057 嵐の前の
どこまでも続きそうな草原を、二頭の馬が駆けていく。
馬はヒナコとルークが聖都から乗ってきた馬で、焦茶色の毛並みが美しい馬だ。ルークとヒナコ、そしてアリソンとラズでそれぞれ二人ずつ馬に跨っている。
「それにしても、またアンタたちと共闘することになるなんてな」
「そうだね、なんだか懐かしいかも」
ルークの言葉に答えながら、アリソンは草原の果てを見据える。聖都で大司教を相手に戦っていたことは、今となっては遥か昔の出来事のように思える。
アリソンとラズ、そしてヒナコとルークの四人は、王都を目指していた。
流石に徒歩では何ヶ月もかかる途方も無い道のりだが、幸いなことに彼らが馬に乗ってきたおかげで、時間を短縮できる見込みだ。
「で、さっきから聞こうと思ってたんだけど、あれが勇者ってどういうことなの?」
背中越しにもラズが顔を顰めているだろうことは、アリソンにも分かった。
地平線の彼方に広がる青空には、巨大な卵のような形をした、神々しくもどこか禍々しい、毒々しい紫色に染まったものが浮かんでいる。
「レインナートが真の勇者となるためには、あの卵の中で己を変容させる必要があって、あの卵はいわば蛹なんです。彼が真の勇者になるための」
そう説明したヒナコに、なるほど、とアリソンは頷く。道理であの卵から女神の力が感じられるわけだ。
「ワイバーンもあの卵に集結しているみたいに見えるわね。卵を守ろうとしてるのかしら?」
「あいつらの一部はまだ各地を気まぐれに蹂躙してるらしいが、殆どはあの気持ちわりー卵に向かってるみたいだぜ。あとは、王都にも、な。王都ってのは、国のシンボルだ。そこが落ちたとなれば、各地で細々と抵抗を続けてる奴らも諦めるって考えだろうな」
ルークの言葉に、一行に緊張が走る。
アリソンたちが王都を目指している理由の一つが、そこにあった。王都は今、地上は蹂躙されきったものの、まだ王宮の地下に避難した人々が生きている筈だ。だが、それもいつまで持ち堪えられるか定かではない。王都が陥落したとなれば、抵抗を続けているという他の地域も危うくなる。それを阻止するため、まずは王都を奪還しなければならない。
それに、アリソンとしても国王には生きていてもらわねば困る。ドルフ村の汚名を返上するには、国王が必要だった。
「それにしても卵、ね。どうしてそんな面倒な手段をとるのよ? さっさと真の勇者の力とやらをばら撒けばいいじゃないの」
「それはできないんです。女神の力に対して、人間の身体はあまりに脆弱なので、チューニングする必要があるんです」
「そもそも真の勇者ってなんなんですか? 十分人間離れした姿になっていたと思うんですが⋯⋯」
王都でレインナートが自身の心臓を貫き、それと当時に人間の姿を捨てたことを思い返しながらアリソンは疑問を口にする。
あの時、あの場にいた全ての人間が勇者が女神の力によって行き着くところまで行ったと悟っただろう。それなのに、まだ真の勇者ではないとはどういうことか。
アリソンの言葉に、ヒナコは「確かに、人間離れはしていました」と答える。
「でも、まだ神ではない。覚醒とは、真の勇者になるとは、要は勇者を神の存在に近づけることなんです」
ヒナコの声は、ひどく憂鬱げだった。
神の存在に近づけるのはどういう意味なのか、と訝しげな目を向けたアリソンに、彼女は続ける。
「そこまでは女神様も教えてはくれませんでした。ただ⋯⋯そうすることで彼は女神様の代わりに女神様の力を行使することができるようになるのだと思います。多分、女神様には何かしらの制約があって、直接的に魔人を滅ぼしたりすることはできない。ただ、そのように誘導はできる。きっとそうやって今までは誘導して物事に対処してきたように感じます。けれど、今度は勇者という器を通して、直接女神様の力で世界を大きく変えようとしている⋯⋯そういうことなんだと思います」
「抽象的だなぁ、結局何がしたいのかよく分かんねーな」
「剪定⋯⋯なのかもしれませんね」
ヒナコの説明を聞き、ぼやいたルークにアリソンはそう言った。
旧神ポラリスから聞いた話、そしてヒナコの推測を合わせると、確かに女神は能動的に世界を変えるために動いているように感じられる。それは畑から雑草を取り除くように、木を思うように整えるような、そんな行動に似ているように思った。
「そもそも、勇者は全ての仲間を失くすことで覚醒するのよね? だったら、ヒナコは? ヒナコも勇者の仲間だったんじゃないの?」
ラズの疑問に、そういえば、とアリソンもヒナコを見やる。彼女はなんだか複雑そうな顔をして首を横に振る。
「わたしは、そもそも最初からカウントされていないんです。聖女が勇者側だと認識しているのは人間だけです。わたしも女神様の天啓で初めて知りましたが⋯⋯わたしの本来の聖女としての役目は、女神の補佐なんです。つまり、女神様の采配を手助けする駒。⋯⋯そんなものなくても、女神様の目的は達せられてしまいましたが」
それに、とヒナコは続ける。
「仲間を失くす、というのは何も死ななければならないわけではないんです。本当はマルガリータさんだって死ぬ必要はなくて、離反したり、勇者を見限ればそれも仲間を失ったことに数えられます。でもあの人は⋯⋯」
「絶対に勇者を裏切らないから死ぬしかなかった⋯⋯ってことか」
「⋯⋯そうです」
ヒナコの言葉を引き継いだルークに、彼女は小さく頷く。
そして、ヒナコはマルガリータについて思い出しているのか、遠くの空を見つめる。
「マルガリータさんは、優しい人でした。あの一行の中で、あの人だけがわたしを本当の意味で気づかってくれていたように思います」
残念です、と呟いた声は本当に心の底から残念そうで、だからこそアリソンは「でも」と言わずにはいられない。
「ラズから聞いた話によれば、マルガリータさんは自分の意思でここに死ににきたそうです。それに、最後に『生まれてきて良かった』と言い残したって。だったら、レインナートのために死ぬことがそのマルガリータっていう人の幸せだったんだと思います」
「⋯⋯あんな男のために死ぬことはないと思うけど、アリソンの意見にあたしも同感ね。愛する人のために死ぬのって、最高に自己満足で、最高に幸せな死に方だと思うわ」
アリソンには後ろに座っているラズの表情は見えないが、彼女が何を考えているのかは手に取るように分かる。イグニスのことだろう。
アリソンも思いを馳せてみる。己には愛する人はいないが、愛する家族はいた。家族のために死ねたなら──確かにそれは自己満足だろう。残された家族がどんな気持ちになるか、アリソンは身を以て知っているようなものだ。
だけども、それはラズの言う通り、最高に幸せな死に方だと思った。
「⋯⋯慰めてくれてありがとうございます、お二人とも」
「別にそういうんじゃないわよ。あたしはただ事実を言ったまでよ」
「アンタって素直じゃねえよな〜」
「しばき倒すわよ」
「ヒュウ、怖っ」
ラズに揶揄うような笑みを向けたルークを即座にラズが睨みつけたらしい。二人のやり取りにヒナコがつられて笑っていて、アリソンもおかしいと思ってはいて、でも相変わらずアリソンにはどうしても笑うということができないのだった。
◇◆◇
草原を抜け、森を抜け、荒地を進み、また森に入って。
時に空を見上げて星の位置を見て、時には地図をにらめっこをして、そして時には魔物や野盗を叩きのめし、アリソンたちは王都に近い森の中で野営をしていた。四人は焚き火を囲み、パチパチと響く火の音を聞いている。
どこからかフクロウの鳴き声が聞こえてくる夜の静寂の中、ルークが口を開く。
「予定通りなら、明日で王都に着くぜ」
「思ったより早かったわね。もっと長旅になるかと思ったわ」
「やっぱりあれだろ、途中で魔術師のばーちゃんがちょっとばかし転送してくれたのが効いたんじゃねえか?」
「途中の街で生きている人に会えて本当に良かったですよね」
「だな。人間って意外としぶといよな〜、ワイバーンの肉食ってる奴もいたし」
道中の思い出をポツポツ語り合っていると、ヒナコが口を閉ざしているのに気が付く。気がついたのはアリソンだけではなく、ルークもラズも同様だ。チラリと目配せしあった後、やはりこれはルークの役目だろうということになり、ルークが苦笑しつつもまんざらでもない様子でヒナコに近づいて話しかける。
「何か不安なことでもあるのか?」
「あっ⋯⋯いえ、その、久しぶりの王都だと思うと、少し怖くて⋯⋯」
怖い?
目を丸くしたアリソンに、ヒナコは言いにくそうにボソボソと話す。
「あそこは、わたしが勇者から逃げ出した場所ですから⋯⋯」
「⋯⋯心配しなくても、アンタが王都を見て何かを思い出すようなことはないと思うわよ。どうせもう地上はしっちゃかめっちゃかになってるんでしょうし」
「あの、ヒナコ。ラズのこれはちょっと分かりにくいですけど、励ましてますからね?」
「ちょっと、アリソン?」
「だって、ラズの優しさが伝わらない方が嫌じゃないですか」
困惑したように、あるいは抗議するように睨みつけてきたラズに、アリソンはしれっと言う。
ラズの素直じゃなかったり、あるいは口にしない、分かりにくい優しさがアリソンは好きだった。
「ふ、ふふっ⋯⋯ありがとうございます。ラズさん、アリソンさん」
二人のやり取りに、思わずと言った様子で軽やかな笑い声を上げたヒナコは、礼を言って、それから自分の近くにいるルークにも微笑みかける。
「ルークも、いつもありがとう」
「お、おう」
少したじろいだルークの頬は少し赤い。
ふうん、と呟き、目を細めたラズの隣で、アリソンは首を傾げていた。
◇◆◇
翌日。
森の出口の高台で、馬から降りたアリソン達は変わり果てた王都を見下ろしていた。
半倒壊した建造物、大理石や石で作られた頭部のない像、法則に従って設置された石がかろうじて大通りの体を残している。ここから見えるだけでも数十頭のワイバーンが巡回するように、壊れた都の中を闊歩、あるいは空を飛び回っている羽音が、森まで響いている。王宮に地下があることを知らなければ王都は陥落したと誤解しても仕方がない有様であった。
「あれが王都⋯⋯? まるで⋯⋯」
「嵐が通り過ぎて行った後みたいね」
両手で口を覆うヒナコ。風に揺れる髪を押さえながら溢されたラズの呟き。ヒナコの肩を抱いて黙り込んだルーク。そして、息を吐くアリソン。
「ワイバーンはまだこちらに気づいていないんでしょうか?」
「そうみてぇだな。ま、侵入者に気づいたらすぐに来るだろうけどな」
「後はここから降りるだけですよね。巻き込んだら悪いし、馬は置いて行きましょう」
馬の顔を撫でながら言ったアリソンに「なあ」とルークが遠慮がちに声をかける。
「聞こうと思ってたんだけどさぁ、作戦とか考えなくていいのか?」
ルークの言葉に、アリソンとラズは顔を見合わせる。
そして異口同音に言う。
「それ、必要ですか?」
「それ、必要?」
「おいおい、ぶっつけ本番かよ⋯⋯」
「ワイバーンを倒すだけなら、正面突破で十分ですし⋯⋯それに、聖都で一緒に戦ったじゃないですか。あの時と同じですよ」
「同じって、まさか⋯⋯」
青ざめたヒナコに、そういえば、とアリソンは思い出す。聖都で共闘した時、自分は何をすればとおろおろするヒナコに、確かラズはこう言い放ったのだ──『あたしたちの誰かの足がもげたり、腕がもげたら治すことよ』、と。
「そうですね、もげたら治してください」
「や、やめてください!? 命大事に! 命大事に戦ってください!?」
「あー、まあ、なんだ。俺もヒナコも全力で治してやるけど、程々で頼むぞ」
苦笑するルークに親指を立てて見せて、アリソンは馬から手を離して一歩を踏み出す。
レインナートに復讐するため潜入した王都に、今度は奪還するため立ち入る。王都を取り戻し、国王に約束を取り付けて、そうしたら、ようやくあの男を殺しに行ける。高鳴る心臓は緊張ではなく、高揚のために鳴っていた。
「さて、それじゃあ王都奪還と行きましょうか」
ラズの声に振り返る。青い瞳が楽しげに揺らいでいるのを見て、アリソンは、いつかこの目に笑い返したいと心から思うのだった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
多忙につき、次回更新まで少し時間が空きますが、引き続きアリソンとラズの物語にお付き合い頂けると嬉しいです。
次回更新日:7/28予定




