006 魔界での日々
「もっとよく見て打ち込んで来なさい!」
朝の訓練所に、剣と剣がぶつかり合う小気味良い音が響く。
注意すべき点を口にしながら、舞うように剣を振るうラズには熟練者の余裕が見えるが、彼女の一挙一動を真剣に見据えるアリソンの動きは、まだ荒い。実力の差も経験の差も、全てが著しく目に見えている。
しかし、その差を縮まらせようとするかのように、アリソンの動きは数秒の間で格段に良くなっていた。両者の間にある差に食らいつくようなその集中力には、目を見張るものがある。
「脇が甘い! もっと踏み込んで! そこからじゃ届かないわよ!」
次々と指摘される点を必死で反芻しながら、剣を突き出す。ラズの左手を狙った剣は、あっさりと躱される。
攻撃する側から防御する側に転じたアリソンは、迫り来る反撃に慌ててバックステップ。間一髪のところで、首を的確に狙う剣閃を避けきる。
だが、そこから続く連続攻撃に対応できるほどアリソンは強くない。左手の盾を使うまでもなく、あっという間に劣勢に追いやられ膝をつくことになってしまった。
肩で息をするアリソンに、ラズは手を差し出す。
「最初の頃に比べたら、大分上達したわね」
「あ、ありがとうございます⋯⋯でも、ラズさんの剣は本当に速いですね。目で追うのが精一杯です⋯⋯」
「それはそうね。ギリギリ見える程度に調節してるもの」
次はもっと早くしても良さそうね、等と涼しい顔で言い出すラズにアリソンはあんぐりと口を開く。
彼女が本気で向かってきてはいないことはアリソンにも分かっていたが、まさか、そこまで手加減されていたとは。
もっと頑張らなくちゃ、とアリソンは豆だらけの手で拳を握りしめる。
初めて剣を握ってから1ヶ月。
最初の頃こそ、攻撃を躱されるたびに勢いよく転ぶような有様だったが、今は手加減されているとは言え、ラズの動きについていけるようになっていた。
アリソンが全くの素人だったことを考えれば目覚ましい上達具合だが、この程度で満足する気はアリソンにもラズにも、当然ない。
「ラズさん、もう一回⋯⋯」
「その前に休憩しましょう。あなたは集中していたから気づかなかっただろうけど、身体は疲れを感じている筈よ」
「でもっ!」
「無茶な訓練は身体を痛めるわ。イグニスの力を引き継いだと言っても、あなたは生身の人間なんだから、傷を負ったらすぐに再生するわけじゃないのよ。再生力を確かめる、とか言ってエリザベスがアンタの手を切った時の傷、まだ治ってないんでしょ?」
ぐうの音も出ない正論に、アリソンはがっくりと項垂れる。
エリザベスから魔人の異能を、そしてラズからは剣の扱い方を習うようになって間もない頃。エリザベスの茶会にラズと二人で招かれた折、ふとした好奇心で「自分は今どれぐらい魔人に近いのか」と質問をしたのが、全ての元凶だった。
『あら、じゃあ試してみます?』
ニコニコと素敵な笑顔を浮かべたエリザベスは、次の瞬間、テーブルの上のカップの紅茶でアリソンの左手首を切りつけたのだ。
水だと思えないほど凄まじい水圧で裂けた傷口から血が溢れ出すのを見て、治りませんわねえ、と呑気に呟いたエリザベスを、ラズが『そんなこと言ってる場合!?』と怒鳴りつける。それを聞いてようやくアリソンは「あ、私切られたんだ」と気づいた。そのぐらいエリザベスの行動は早かったのだ。
「でも、傷はもう塞がったんですよ。ほら」
「そりゃ2週間も経つんだから、塞がってなきゃ困るわよ⋯⋯」
左手はまだ包帯が取れないが、エリザベスに切られた右手はもう包帯がとれていた。微かに傷跡の残る右手を見せて、安心させるように言ったアリソンに、ラズは呆れた顔をする。
「それじゃ、10分後に続きを始めましょうか。ちゃんと水分は取りなさいよ?」
「は、はい!」
慌てて背筋を伸ばしたアリソンに、ラズは軽く笑みを浮かべると、背を向けて歩き出した。
おそらく水を取りに行くのだろうと思い、自分もその後に続こうとしたアリソンは、ふいに、初めてラズに師事してもらった日のことを思い出す。
あの日、ラズはアリソンにわざと隙を見せた。明らかにわざとだと分かるような無防備さ。それを前に、どうしても剣を振り下ろせなかったアリソンを、ラズは完膚なきまでに叩きのめした後、叱咤した。
『相手が丸腰だろうが、こっちに気づいていなかろうが、躊躇したら駄目よ。むしろ、その機会を利用するつもりで一気に剣を振り下ろしなさい』
でも無抵抗の相手に斬り掛かるなんて、と戸惑うアリソンに、彼女はこうも言った。
『躊躇したら隙が生まれるわ。隙さえあれば、どんな格下の奴だって勝ち筋が見える。それはあなたもあたしも、レインナートだってそう。あなたが隙を見せればあなたが死ぬし、向こうが隙を見せれば向こうが死ぬ――優しいのは良いことだけど、戦いにおいては邪魔になるだけよ』
それでもなお躊躇するアリソンに、ラズはあえて突き放したような冷たい声で続けた。
『当然、丸腰の時や、こっちに気づいてなくて無防備な時もチャンスよ。本気で人を殺したいのなら、次は迷わず振り下ろすのね。じゃなきゃ、稽古をつける意味がないわ。あなたも殺されるために習ってるわけじゃないんでしょ?』
ラズに言われた言葉を反芻し終えたアリソンは、下げていた視線を上げてラズをみる。
こちらに意識を向けていないラズの背中。小さくて折れてしまいそうなほど細いのに、しなやかで強かな身体。
『躊躇したら駄目よ。一気に剣を――』
その背中めがけて、アリソンは一気に距離を詰めると、その庇護欲をかき立てられそうな華奢な背中めがけ、大きく振りかぶった剣を振り下ろす。
躊躇はなかった。
なかった――つもりだった、けれど。
「⋯⋯残念。相変わらず甘いわね」
何が起きたのか、アリソンには分からなかった。分かるのは、自分が地面に転がっていること。そして一瞬、こちらに足を振り上げるラズの姿を見たような気がすることだけ。
恐らく、蹴り飛ばされたのだろう、と理解し、アリソンは恐る恐るラズを見上げる。
「⋯⋯な、なんで分かったんですか?」
「あなたが迷ってたからかしらね」
「ま、迷ってないです!」
「振り上げた瞬間まではね。その後、迷ったでしょ。⋯⋯違う? 人の背中を襲えるのはいい度胸だけど、最後の最後で迷ったら駄目よ」
的確な指摘に、アリソンはぐっと言葉に詰まる。
それでも認めるのはなんだか癪で黙っていると、ラズは首を傾げ、悪戯めいた目つきを向ける。
「おかしいわね、返事が聞こえてこないんだけど?」
悔しい、と顔に書いたようなアリソンの表情に、くしゃりと笑ってラズは返事を促す。
「⋯⋯間違ってないです⋯⋯」
「よろしい。自分のミスを認められるのは良い事よ。苦手なことに挑戦する気概もあるんだし⋯⋯ほら、もう落ち込まないの。また次、頑張ればいいだけでしょ?」
「⋯⋯もし、私があのまま振り下ろしてたら大怪我してたかもしれないのに。どうしてそんなことが言えるんですか?」
思わず口にした疑問に、ラズは目を瞬かせると、ふっと目を細める。
「それは大丈夫よ。あたしはあなたより強いから、そう簡単に斬られない。それに、そんな気配丸だしの単純な攻撃なんて、振り向かなくたって避けられるしね」
最後までにこやかかつ余裕を持って、ラズはアリソンを立ち上がらせる。再び背を向けて去って行く、その小さくて強い背中にもう一度斬り掛かる勇気は、アリソンにはもう無かった。
◇◆◇
訓練所の近くに設置された井戸の傍に、ラズはひとり佇んでいた。
先ほどのアリソンとの攻防では余裕そうに見せていたが、その実、とんでもない集中力で食らいついてくる彼女と戦うのは、そう楽なことではない。涼しそうな見た目に反して、ラズは疲労を感じていた。
「動きを追うのに手一杯、って顔してるくせに⋯⋯」
ひとり呟きながら、ラズは井戸から汲み取った水で喉を潤す。
自信なさげにしているくせに、アリソンは指摘された点をその都度的確に改善し、切りかかってくる。人に刃を向ける躊躇はあるが、それさえ吹っ切れれば良い剣士になるという予感があった。
「随分と手加減してあげてるんだな」
と、言って近づいてきたのは、訓練所の警備をしている魔人だ。彼はイグニスやエリザベスのように外見が人間とほとんど変わらない魔人と違い、一目ですぐ人間でないと分かる外見をしている。何せ、首から上がトカゲのリザードマンなのだから。
せいぜい肌や髪、瞳の色が異なる程度の人間と違い、魔人はそれぞれの個体による差異が非常に大きい。警備兵の彼は二足歩行だが、そうでない者も多いのだった。
「随分と手加減してる、ね⋯⋯本当にそう見える?」
「そうだろ。だってあの娘、ここにくる前は剣を持ったこともなかったって聞くじゃねえか。そんな相手があんたと──イグニス様の女と対等に戦えるもんかよ」
何故か不満そうにしている警備兵に、ラズは苦笑する。
それにしても「イグニスの女」とは。残念ながら自分は彼とそのような関係になることはついぞ無かったのだが、どうも彼だけでなく、多くの魔人から自分はそのような立場だと認識されているらしかった。イグニスがラズを連れて来た時のことを思えば、それも仕方のない話ではあるのだが。
「でも、あの子は上手くやってるわよ。少なくとも、1ヶ月前に初めて剣を持った素人にしてはね」
「そりゃそうかもしれねえけどよ。ベティさんはあの娘を勇者を殺せる者にするって言ってたんだぜ? あんなひょろひょろした奴にできるのかよ?」
「ベティ⋯⋯ああ、あいつそんなこと言ってるの? 無茶なこと言うわね、1ヶ月ぐらいであのレインナートが殺せるようになるわけないでしょ」
「何年かかっても無理だろ、ありゃ」
彼の言う「ベティさん」がエリザベスのことを指しているのだと、ラズは一拍遅れて気づく。不自然にならないようすぐさま話を繋げた甲斐あってか、そのことを警備兵に悟られずに済んだようだ。彼は大きくため息をつき、やれやれと首を振る。
ラズとて、今のアリソンには無理だと分かっていた。そんなことは当たり前だ。一生一夕の努力で勇者に追いつくことができるのならば苦労しない。
だが、他人に彼女の努力を否定されるのは、仮にも「師匠」として悔しかった。
「⋯⋯それはどうかしらね」
「あン?」
「届くかもしれないわよ。いつか」
そんなまさか、と笑い飛ばそうとする彼に、ラズは「あたしは本気よ」と告げる。
「アリソンの集中力には目を見張るものがあるわ。この間なんて、訓練は終わりだって言ってるのに、何度も斬り掛かってきたのよ。それこそ、親の仇を目にした時みたいにね」
あの時ばかりは死を覚悟する、とまでは言わないが、その尋常で無い食らいつき方にはぞっとした。
身体はとっくに疲弊しきり、限界を超えていただろうに。そんな事も気にせず、彼女は何度膝をついても立ち上がり、その度に口もきかずに殺す気で剣を振るってきたのだ。
普段は人を傷つけることを無意識に恐れているのに。あの時ばかりは、そんなことも目に入らぬような戦い方をしていた。
ラズがようやくアリソンを大人しく――もとい気絶させることができたのは、訓練は終わりだと言ってから2時間以上も経っていた。案外、あの集中力と粘り強さが彼女の本当の武器なのかもしれないとラズは思う。
尤も、次に目を覚ましたとき、アリソンはあの時のことをすっかり忘れていたのだが。
「はン。そりゃ大したことで」
「信じられないなら、今ここで見てみなさいよ。あなたの目でね」
かったるしげに、けれどラズの言うことに従い渋々振り向いた警備兵は、ぎょっとした顔で振り返ってくる。
「おいおい、休憩中じゃなかったのかよ? 何やってんだあの娘。あんなことしてたら身体がぶっ壊れるだろうが!」
「でしょうね」
「はぁ?」
「あの子ねえ、全っ然人の言うこと聞かないのよ」
訓練所の方を見なくたって分かる。アリソンは休憩だというラズの言葉を聞かずに、剣を振りかぶっているのだろう。
初めて彼女に手ほどきをした時からこうだ。指摘された箇所を修正するときは、忠実すぎていっそ怖いほどなのに、こういう時は全然言うことを聞かないのだ、彼女という人間は。
力も技術も、足りないものは多度あれど、食らいつこうとしてくるその根性は悪くない。というか、いっそ執念じみている。
「けどよ、どれだけ高く飛んだって星に手が届くようになるわけじゃないんだぜ?」
「そりゃあね。けど、可能性は感じない? 分かるはずよ、あの子が剣を振るのを見てあなた、何も感じなかったわけじゃないんでしょ?」
「⋯⋯残念ながら、俺ぁあんたと違ってロマンチストじゃないんでね」
不貞腐れたようにそう言っても、一心不乱に剣を振る姿から目が離せないのは、誤摩化しようがない。クスリと笑って、ラズもまたアリソンを見やる。
たったひとりで、何度も何度も、豆だらけの手で剣を振り続けるアリソン。届かないものを貫こうとするその信念は、ラズにも覚えのあるものだ。
「⋯⋯馬鹿でしょ、本当に」
俯き、誰にも聞こえないぐらい小さな声で、ラズはひとりごちる。
勇者に選ばれる前から剣を握っていたというレインナートに、素人同然の村娘が叶うはずなどない。だけれど、剣を振るう彼女の姿には、そんな現実さえも飛び越えてくれるのではないかという淡い期待を抱かせるだけの、妄信的な思いの強さが見える。
そしてその思いを否定することが、ラズには出来ない。
神に愛され、人々の喝采を浴びる勇者を殺すこと。自分もまた、そんな夢をずっと前から抱いているのだから。
「そうだなぁ。馬鹿だよ、あの人間もあんたも」
「あら、ひどいわね。『ベティさん』に言いつけるわよ?」
「いーや、あんたは言いつけないね。イグニス様があんたを連れて来た時から、あんた、俺たちの誰に何を言われても、あの人に泣き言のひとつも言わなかったじゃないか。今になってわざわざベティさんに言いつけるようなこと、あんたがするはずないさ」
虚をつかれて言葉に詰まったラズを見下ろし、リザードマンは大きく口を開けて笑う。
「んじゃ、せいぜい頑張ってくれよな」
そう言って踵を返していく警備兵を見送り、ラズもまた、彼に背を向けてアリソンのもとへと駆け出す。
いい加減、無茶な訓練を止めるべき頃合いだった。
◇◆◇
「異能の使い方にも、だいぶ慣れてきたみたいですわね?」
「ほ、本当ですか⋯⋯?」
「ええ。1ヶ月でこれほど自在に操れるようになるなんて、わたくしの期待以上ですわ」
ポットを片手にしたエリザベスに微笑まれ、アリソンはホッとする。
アリソンは今、エリザベスと噴水に囲まれた庭園の真ん中でテーブル挟んで、向かい合わせに座っていた。午前中のラズとの訓練が終わると、午後からはエリザベスによる異能の扱い方の講義を受けているのだが、学びに入った後は彼女とこうしてテーブルを囲み、茶会を行うのがすっかり恒例となっていた。
日替わりで様々な紅茶を飲むのが好きだというエリザベスに付き合って、アリソンも毎日こうして色々な紅茶を飲んできているが、正直紅茶の違いはよく分からない。
それよりも、彼女のお手製だと言う、母の作るものと似た味のする、ケーキやパイといった菓子を食べることの方が楽しみだった。
「でも、ベティさんが見せてくれたみたいに、お菓子の形にしたりするのはまだできなくて⋯⋯」
「あれは良いんですのよ、ただのお遊戯ですもの。あんな手品のようなことよりも、貴女に必要なのは実戦的な使い方でしょう?」
「そっか⋯⋯それもそうですね」
エリザベスが淹れてくれた紅茶を一口飲み、今日のケーキ──苺のミルフィーユ──に切れ込みを入れると、クリームがぐちゃりと垂れた。
「そういえば、気になってたことがあるんです」
「あら、なんですの?」
「ベティさん前に、魔術は何もないところに火を出せるけど、そこから変形させたり火を止めることもできないけど、私たちの異能なら、何もないところからは出せないけど、自在に操ったり消したりする事だってできるって言ってましたよね? でもそれなら、魔術師の人は最初からすごーく大きい火を作ったり、後で消えるように式を書けばいいんじゃないですか?」
アリソンの問いに、エリザベスは「良い問いですわね」と微笑む。
「でも残念ながら、そういう負担の大きいことは不可能なんですのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。そもそも人間は無から有を生み出しているんですのよ? そこにないものを生み出すのですから、人にとっても世界にとっても、負担が掛かってしまうのは当然ですわ。例えばわたくしにとって、このカップの水で津波を作り出し、その津波で貴女をやすやすと飲み込み、溺れさせ、溺死させることは造作もないことですわ。けれど、魔術師にとって、無から津波を生み出すのは非常に困難なことですの。大規模な式が必要になりますし、相当量の魔力も必要になりますわ」
そういうものなのか、とアリソンは首を傾げる。
もはや元の姿とは似ても似つかない、崩れ落ちたミルフィーユを口に運ぶ。母が昔作ってくれたお菓子とよく似た、甘くて懐かしい味がする。
「ですので、そうですわねえ⋯⋯無から津波や、貴女の言う『すごーく大きい火』が作り出せる魔術師は、稀代の天才魔術師と謳われているセネカ・レミントンぐらいのものでしょうね」
セネカ・レミントン――。
その名に、アリソンの心臓が否応もなく軋む。
『セネカとニーナにも経験を積ませてあげようと思ったんだけど、その隙をつかれるなんて。僕もまだまだだね』
レインナートが、そう言って笑う姿が脳裏に蘇る。
思えば、村の近くで初めてイグニスと出会った時、怪我をしていた彼はレインナートたちから逃げている途中だったのだろう。だからアリソンに短剣を突きつけて来たのだ。勇者の仲間だと思ったから。
『今この家を包んでる火はセネカの魔術なんだ。凄いだろう?』
誇らしげな顔をして語るレインナート。そうだ、彼は確かにセネカと言った。エリザベスが前に見せてくれた彼らの中で、フードを目深に被った少年がいたのを思い出す。きっと彼だ。彼が稀代の天才魔術師セネカ。
瞼の奥に焼き付いて消えない炎は、残酷なまでの鮮明さで燃え盛る。
「ベティさん、私、勝てますか。セネカ・レミントンに」
陰りを含んだ危うい瞳で問うたアリソンに、エリザベスはその決意を褒め称えるように、柔らかな微笑を乗せて頷き返す。
「ええ、きっと勝てますわ。貴女には魔人の力が宿っているのですもの。その力を物にした今なら、互角に渡り合うことは充分出来ますわ」
その先は貴女次第ですけれども。そう続けたエリザベスに、アリソンは「分かっています」と答える。
テーブルの下で握りしめた拳に、震えは無い。
燃え盛る炎に突き動かされるまま、真っ直ぐに目の前の彼女を見つめる。
「勇者と、あの人たちを倒すための努力は惜しまないつもりです。だから⋯⋯これからもどうか、よろしくお願いします」
深々と頭を下げ、目を閉じる。瞼の奥に広がる炎は、まだ消えない。きっと一生消えることはない。この炎がある限りは、嘆きに負けず、理不尽な世界に屈せずにいられる。
勇者も、彼に連なる者たちも、絶対に許しはしない。この胸に、赤黒く染まりゆく炎が燃え盛る限り、決して。
そして彼らを殺して、取り戻すのだ。これから先も続くはずだった、あの愛しい日常を。
「⋯⋯そろそろ、頃合いかもしれませんわね」
「え?」
「いえ、それより──食べないんでしたら、わたくしが貰いますわよ?」
エリザベスは意味ありげに扇を口元に当てて呟くと、アリソンの皿の上で無惨な姿になったミルフィーユにガツンとフォークを突き刺す。
一拍遅れて、庭園中にアリソンの悲しげな声が響き渡った。
◇◆◇
「⋯⋯それ、なんですか?」
「は? 何って夕食に決まってるじゃない」
その日の夜。
いつものように借りている部屋に帰ると、当たり前のように帰りを待っていたラズが、テーブルにスペアリブの山を並べているところだった。
そのまさしく「山」と形容するほかない量に目を白黒させて問うと、ラズは「なぜそんなことを聞くのか」と言いたげな顔をして答える。それはまあ、確かに夕食なのだろうけれど。
そもそも、常に月が浮かぶ魔界では、すべての食事が夕食のようなものだ。便宜上、時間の区切りに朝や昼といった言葉を使ってはいるものの、正直本当に今が夜なのか、あるいは朝なのかなんて、アリソンには分からない。ただ、エリザベスやラズがそう言うので、そうなのだろう、と考えることを放棄して従っているだけだった。
「これ、食べきれるんですか?」
「アンタもいるんだから楽勝でしょ。ほら、さっさと席につきなさい」
「はあ⋯⋯」
いただきますと呟き、山を崩さぬよう慎重にスペアリブを一つ抜き取る。真向いではラズが勢いよく肉に齧り付いているところだった。骨すら噛み砕きそうな勢いで、決して行儀がいいとは言えないはずの行動なのに、下品な感じはちっともしない。むしろ、見ていて気持ちがいいと思う。
「今日はどうだった? エリザベスに何か言われた?」
「そんな人知りません」
「⋯⋯どうしたのよ。珍しいわね、いつもベティさんベティさん言うのに」
スペアリブを握っていると、アリソンの中にふつふつと怒りが蘇る。怒りに任せて噛み付くと、ガキィンと大きく音が響き、同時に歯に激痛が走った。とても痛い。
「ちょっ、大丈夫!?」
驚いた顔をしたラズが慌手た様子で心配してくる。涙の滲む瞳で、アリソンは「だって」と声を詰まらせた。
「だってあの人、私の食べかけのケーキを勝手に食べたんですよ!?」
「⋯⋯は?」
「は、じゃないですよ。人の食べ物を取ったんですよ? もう、あんな人もう知りませんっ」
「⋯⋯まあ、そうね。食べ物の恨みは分からなくもないわ」
「ですよね!? やっぱり、ラズさんなら分かってくれると思ってました!」
アリソンは気を取り直し、今度はパクリと浅く肉に噛み付く。スパイスが程よく効いていて美味しいが、そういえば何の肉なのか聞きそびれてしまった。
「だって、食べ物はみんなで分け合って、みんなにちゃんと行き渡らなくちゃダメじゃないですか。分け合った後に人の物を取るなんて、子供でもやったらダメですよ」
「ああ、そういう⋯⋯てっきりケーキを取られて悔しかったから怒ってるのかと思ったわ。そうよね、あなたそういうタイプじゃなかったわね」
祖母や父、母から学んだことを口にすると、ラズはやっと合点がいった顔をする。
よく分からないが、特に気になることでもなかったのでそのまま流し、アリソンは「ところで」と切り出す。
「ベティさんから聞いたんですけど、明日は魔界のお祭りなんですか?」
「あら、そんな人知らないんじゃなかったの? そうね、明日は魔界で年に一度の祭りよ。ちょうど言おうと思ってたのよ、訓練所も閉じられて使えなくなるから場所を変えなきゃと思って。⋯⋯それともお祭りが気になる?」
「ううん、そんなことしてる場合じゃないって思って。でも、ラズさんも息抜きが必要だから、一緒に行ってきたらどうかって」
「え? それ、エリザベスがそう言ったの?」
こくんと頷き、既に半分ほどになっている山に手を伸ばす。
ミルフィーユを食べられたアリソンがショックで固まっていると、罪悪感を感じたのか、エリザベスは急に明日の祭りについて話題に出した。そんなことをしている場合じゃないとアリソンは思い、彼女にもそう言ったのだが。
『この1ヶ月間、貴女だけでなく、ラズもずっと訓練漬けでしたでしょう。たまには息抜きも必要なのではなくって? 二人で行ってきたらどうですの?』
エリザベスの言葉をラズに伝えると、ラズは少し考えるような素振りをしながら「そう」と小さく答えた。
「なんていうか、あいつらしくない気の回し方ね。⋯⋯でも、そういえばあなたは訓練所とエリザベスの庭ぐらいしか知らないのよね。せっかくの機会だもの、魔界案内でもしましょうか」
「え。でも、じゃあ訓練は?」
「1日ぐらい休んでも、あなたなら大丈夫だと思うけど。心配なら、午後からにしましょう。その様子だと、エリザベスの方は休みなんでしょ?」
「それはそうですけど⋯⋯」
「決まりね。明日は適当な時間になったら呼びに来るから、今日は夜更かししないでちゃんと寝なさいよ?」
あれよという間に、明日は祭りに出かけることになってしまった。
いいのかなぁ、とアリソンは首を捻ったが、「1日ぐらい休んでも影響は出ない」とラズから信頼されていることには、仄かな喜びも感じる。
その後は、特に会話もなく淡々と取り皿に骨が積み上げられていき、早々にギブアップしたアリソンの前で、最後のスペアリブがラズの胃に収められたのだった。
◇◆◇
次の日。
ラズに言われた通り、夜更かしを控えて早めに眠ったおかげですっきりとした寝覚めを迎えられ、体調も普段より良い。いつも通り若草色のワンピースに袖を通し、髪を首の付け根で結んだアリソンは、ラズと共に初めて魔界の街の通りを歩いていた。
祭りの会場は、アリソンが住まわせてもらっている館がある丘から、長い階段を降りた先にある。あの館は普段、エリザベスやイグニスのような上位の魔人が暮らしている場所で、一般の市民たちは館のある丘の方へは滅多には近づかないのだと言う。
確かに、大きな訓練所や入浴場が内装されている館は、一般人の暮らしている場所とは思えない。今までは訓練に夢中で今まで思い至らなかったが、アリソンは魔界の中で相当恵まれた環境にいるらしかった。
黒い街並みの間に立ち並ぶ、色とりどりの露天商たち。露天に並ぶ商品の物珍しさもさることながら、通りを歩く人だかりの方もまた思わず目を引かれてしまう者ばかりだ。浮き足立った人々は人間に似た姿のものから、二足歩行の獣のような姿、あるいは二足歩行ですらない者たちまで多岐にわたる。
そんな魔人たちでごった返す通りは、村での暮らししか知らないアリソンにとってあまりに見慣れないもので、先を歩くラズについていくのがやっとだ。きょろきょろとあちこちを見回しながら、おぼつかない足取りでラズを追いかけて歩いていると、それに気づいたのかラズは歩くスピードを落として振り向いた。
「すごい人でしょう? 1年に1回の祭りだから、みんな浮かれてるのよ」
「わあ、それは浮かれちゃいますね。わっ、見てください、あの赤い石。夕焼けの色みたいですごく綺麗ですよ!」
「見惚れるのはいいけど、周りにぶつかって転ばないようにね」
「は、はいっ。あ、そういえば、今日って何のお祭りなんですか?」
「そうね、人間の言葉で言えば降臨祭、かしらね」
「降臨祭? ってなんです⋯⋯わ、わわっ!?」
首を傾げたアリソンが反対方向へ向かう集団に巻き込まれるのを、すんでのところでラズが手を掴んで引き寄せる。人の波をうまく躱せないアリソンと違い、ラズは人波をかき分けて進むのがひどく上手い。掴んだままの手に導かれていれば、アリソンでも人に流されず、安心して進むことができた。
「あ、ありがとうございます。その、助けてくれて」
「別に大したことじゃないわよ。それより、はぐれないよう気をつけて。さすがにこの人混みの中からあなたを見つけるのは、骨が折れそうだわ」
あたりを見渡し、アリソンは頷く。
人の数だけでなく、魔人はみな背が高いものなのか、誰も彼もがアリソンやラズより頭が一つ二つは飛び抜けている。そういえばイグニスも身長が高かったことを思い出し、アリソンは懐かしさに目を細めた。記憶の中で黄金の麦畑に佇む彼の顔は、逆光でよく見えない。
「とりあえず、何か食べ物でも買いましょうか。いつもあたしの料理ばかり食べて、そろそろ飽きた頃でしょ」
「⋯⋯えっ、あれって全部ラズさんが作ってたんですか!?」
「そうだけど?」
ということは、とアリソンは思う。
あの山のようなスペアリブも、最初にここに来た日に食べた、母が作ったのと似た味がするスープも、全部ラズが作っていたのか。
剣が上手で、人だかりの中を歩くのも得意で、とても綺麗な顔をしていて、いい匂いがして、そして料理もできるなんて。
──ラズさんにできないことなんて、ないんじゃないかな。
そのまま伝えてみたかったけれど、なんとなく、彼女はそのまま受け取ってくれない気がしたから、アリソンは感嘆を胸に秘めて、他の言葉を舌に乗せる。
「あんなに大きいお家だから、てっきりご飯を作る係の人がいるのかな? って思ってました」
「ああ⋯⋯昔はいたわよ。あたしが来たばかりの頃には、その人が作ってくれてたの。気難しくておっかない人だったけど、料理は絶品だったわ。ふふ、懐かしいわね、あの頃はイグニスとあたしとエリザベスと、あと他にもあの家で暮らしてた人たちと食べてたのよ」
「じゃあ、その人たちは今どうしてるんですか?」
人波の間をうまく潜り抜けていくラズに連れられるまま、アリソンはどこへ向かっているのかも分からないで必死に歩く。
食事を売っている露天商は色々あるが、そのうち一つに目星をつけてずんずんと歩いていたラズが、アリソンの質問に動きが止まる。つんのめって彼女にぶつかるが、小さい背中はびくともしない。
すごいなぁ、と尊敬を抱いていると、ラズが何かを呟く。
けれど、その声はあまりに小さく、人通りの中に飲まれてしまう。
「あの、ごめんなさい。今なんて⋯⋯」
「死んだわ。全員」
「⋯⋯えっ」
「レインナートに殺されたわ」
淡々と、感情を排除して事実だけを語る声でラズは言った。
振り返った彼女は、泣きたいようでも怒っているようでもある、感情のぐちゃぐちゃになった顔をしている。声からは想像もつかないほどの激情が、彼女の冷たい皮膚の中を暴れて、今にも突き破って来そうに見えた。
「でもね、全員、いつかは人間と分かり合えるって、一緒に暮らせるって、本気で信じていたのよ。最期まで」
惨めでしょ、とラズが零す。
立ち止まった二人の周りを避けて、人々は流れを止めずに行き交っている。周りは色とりどりの笑顔に溢れて、賑やかで凄まじい熱気を放っているのに、まるで自分たちだけが違う温度の場所にいるかのように寒い。
何と声をかければいいのか、分からない。
だけど、自分がラズに何かを言わなくてはならないのだとアリソンは思った。共に暮らしていた、おそらくは家族のような存在を亡くした彼女に、愛する家族を亡くした自分だからかけられる声があるはずだと。そんな傲慢にも似た、エゴのような、それでいて祈りのような何かが、アリソンを突き動かしていた。
「⋯⋯強かったんですね、その人たちは」
かろうじて絞り出したのは、そんな言葉だった。
「強い? 殺されたのに?」
「だって、最期までずっと自分の信じたことを、ずっと信じていたんですよね? それって、すごく強いじゃないですか」
繋いだ指先が、一瞬だけピクリと動く。
離したいのだろうか。そう思って力を抜くと、ぐっとそれまで以上の力で強く握りしめられる。
「⋯⋯つまらない話をしちゃったわね。お詫びにあそこのワッフルを奢るわ。甘くて美味しいのよ」
くるりと背を向けて歩き出したラズには、先程の激情はもう見当たらない。自分たちを囲んでいた空気も気づけば霧散していて、まるで白昼夢でも見ていたかのようだった。
自分の言葉は、果たしてほんの少しでも慰めになったのだろうか。アリソンには分からない。それでも、繋いだ手を拒否することなく、握り続けてくれていることを答えだと思いたかった。
それにしても、奢る、とは。今までも何から何まで世話になっているのに、なんだか申し訳ない──そこまで思って、「あっ」とアリソンは気が付く。
「あの、ラズさん。今気づいたんですけど、私、お金持ってないです⋯⋯」
どうしよう、という気持ちでいっぱいになりながら言うと、ややあってから呆れた声で、「でしょうね」と返事が返った。
◇◆◇
ストロープワッフル、ベイクストーン、シナモンロール、アイスクリーム、そしてドーナツ。
ラズに連れられて歩き回る中、彼女が食べようと提案するのはどれも甘いものばかりだった。ラズが口にした塩気のあるものといえば、アリソンに付き合って食べた焼きたてのピザぐらいのもので、それ以外は何かの動物の丸焼きパフォーマンスに目を惹かれたほかは無い。
会場を後にしながらアリソンは我慢できずに聞いた。
「ラズさんって、甘いものが好きなんですか?」
「いや、好きなのはあなたでしょ?」
「え?」
「え、って⋯⋯違うの? エリザベスとよくケーキを食べてるんでしょ?」
「それはそうですけど、あれは──」
あれはベティさんがお茶会好きだから──でも、そういえば。
母が作ってくれたのとよく似た、あのお菓子たちの甘い味。あれは確かに、好きと言えなくも無いのかもしれなかった。
「うーん⋯⋯やっぱり、好きなのかもです」
「なあに、それ」
困ったように笑うラズの横顔は、訓練所や毎朝、あるいは毎晩、食事を共にするときよりも無邪気で可憐に見える。
一通り店を見たり、催し物を見たりしているうちに、時間は駆け足で過ぎ去っていた。午後からは訓練だと約束していたのに、気づけば夜を告げる鐘が鳴り響いている。そのことに名残惜しさを感じて、つい歩く速度が落ちてしまう。
アリソンの気持ちに気がついているのか、それとも単に彼女も同じ気持ちなのか、ラズもまたいつもよりゆっくりと、帰路への道を歩いていた。
「魔界って、ずっと夜でしょう? だから、いつまでも同じ時間が続いてるように錯覚してしまうのよね」
「そうですね。変わるのなんて、月の満ち欠けぐらいですもんね」
それも、空を覆い尽くさんばかりの巨大な月だ。
漆黒の空でぱくりと口を開けている月を見上げ、相槌を打ったアリソンにラズは「ねえ」と問いかける。
「今日は、ちゃんと楽しかった?」
「──⋯⋯楽しかった、ですよ」
見たことも聞いたこともないものが沢山あって、食べたことのないお菓子をお腹が痛くなるまで頬張って。楽しかったのだろう、帰りたくないと思ってしまうぐらいには。
だけど、どうしても手放しに「楽しかった」と喜べない。
本当はこんなことをしている場合ではないのだ。勇者を殺すためには、まだ全然足りない。もっともっと、血が滲むどころか爪が剥がれるぐらいの努力をするべきで。
「えっと、そういえばラズさん、その麻袋って何を買ったんですか?」
あからさまに話題を逸らしたアリソンを、ラズはじっと数秒ほど目を合わせた後、「気になる?」と話に乗った。
「これはね、あなたへのプレゼントよ。今日の記念にと思ってね」
「えっ。でも、もう沢山お菓子を奢ってもらいましたし、これ以上は⋯⋯!」
渡された麻袋は、ずしりとしていて重い。慌てて突き返そうとすると、ラズの手と眼力に阻まれる。
「いいから、素直に受け取っておきなさいよ」
「でも⋯⋯」
「でもじゃないわよ。逆らうなら力尽くで受け取らせるわ」
「力尽くでって⋯⋯な、何をするつもりですか?」
「そうねえ。差し当たっては、一発殴って気絶してもらおうかしら。それからこれをあなたの手に握らせるわ」
思った以上に本当に力尽くだった。
こちらを睨みつける蒼は真剣そのものだったので、アリソンはありがたく彼女の好意を受け取ることにした。
「ところでこれ、今開けても?」
「いいわよ」
麻袋は特に封をされているわけでもない。一体何が入っているのだろう、と折り返された開き口を開けると、中に入っていたのは──
「革鎧⋯⋯?」
「と、言うよりは革の胸当てね。本当はそれらしい防具をあげるべきなんでしょうけど、さすがに鉄だの銀だのは値が張るし、よしんば買えたとしても、そんな重たいものを身につけて動けるかは別の話だと思って」
「それもそうですね。ありがとうございます、大事にします!」
重たい鎧を着込み、身動きが取れなくなっている自分の姿を思い浮かべ、苦笑したアリソンにラズは「お礼を言うのはまだ早いわよ?」と悪戯に目を細める。
首を傾げて袋の中に手を入れると、コツンと小さくて硬い何かに手が触れた。引っ張り出すと、夕焼けのような色をした石が出てくる。そういえば道中で見かけたような。あまりに綺麗だったから指差してラズに声をかけた気もするが、まさか。
「今日が何の祭りなのかって聞いてた時、あなたそれが気になってたみたいだから。⋯⋯貸して、ブローチになってるのよ」
真っ赤なそれを、ラズはアリソンの服に着けてくれた。赤い色が映り込んだラズの瞳が、紫色に煌めく。
「これはね、ガーネットって言うのよ」
「ガーネット?」
「ガーネットは誠実を意味するの。目の色とも合うし、あなたにピッタリね」
さらりと明日の天気を言うように褒められ、反応が遅れる。
──本当はそんなことない。だって、自分はラズに重大な隠し事をしている。イグニスは生き返らないけれど、勇者たちを殺せば家族は生き返ること。そのために復讐を決意したのだということ。
だけど、ラズがまるで宝物を見るように微笑むから、アリソンは精一杯誠実なふりをして笑い返すしかなかった。
「あ、そうだわ。言うのを忘れてたけど、明日の午前は訓練所に来なくていいわ。エリザベスがあなたに用事があるらしいから」
「えっ、そうなんですか?」
「今日、部屋を出る前にアイツに会ってそう言われたのよ。全く、自分で伝えれば良いのに」
ベティさんの用事ってなんだろう。
胸元の茜空を見下ろしながら、アリソンはぼんやりとエリザベスのことを考える。
許せないのなら殺してやればいいと、そうすれば家族も生き返るのだからと進むべき道を示してくれた人。世話焼きなラズとは別の意味で優しい人だ。
「良い人ですよね、ベティさん」
考えていたことをそのまま口に出したアリソンに、ラズは「どうかしらね」と含みを持たせた相槌を打った。
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次回更新日:11/22予定