055 いのちの使い道
「久しぶりね、今はラズ⋯⋯と名乗っているんだったかしら?」
フードを外したマルガリータに、ラズは顔色を変えることなく頷く。
「元気そうね。勇者の傍にいてあげなくていいの? それともアンタもようやくあの男を見限ったの?」
「ふふっ、いくらなんでもつまらない冗談だわ。私がレイを見限るだなんてこと、天地がひっくり返ってもあり得ないのに」
「でしょうね」
マルガリータがレインナートに恋慕の情を抱いていることをラズは知っていた。そしてその一途さも。マルガリータがレインナートを裏切れと言うのは、ラズにイグニスやアリソンを裏切れと言うことと等しい。
そんなラズの認識を知ってか知らずにか、マルガリータは「実はね」と秘密を打ち明ける少女のような密やかな声で言う。
「あなたと私、結構似てると思っていたの」
「あら、それはどうも」
「だから残念だわ。あなたを殺さなくちゃいけないだなんて」
流れるようにフードのついたマントを脱ぎ捨てたマルガリータに、ラズも立ち上がって短剣を構える。
何も意外なことではない。骨の髄まで勇者に忠実なこの女なら、これ以外の目的は無いことをラズは知っていた。彼女は勇者の障害となり得るものを排除しに来たのだろう。
だが、何故単身で?
疑問が浮かびながらも、現段階では答えの分からないことを考えても仕方ない。頭の片隅に留めておくことにして、ラズは「よく言うわ」と薄く笑う。
「残念も何も、そんなこと少しも思ってないくせに」
「ふふっ! そうね、その通りね! だって私、嬉しいんだもの。これでやっとレイの役に立てる。彼の敵は、彼の邪魔立てをするものは、この私が⋯⋯マルガリータ・トビアスが一つ残らず破壊するわ」
それで? と、挑むようにマルガリータは笑う。
「あなたは? あなたは何のために戦うの?」
「愚問ね、決まってるでしょ。これ以上、勇者なんかの好きにはさせないために。そして、イグニスの仇を討つためによ」
「なら、お互い愛に殉ずる──ってわけね?」
「悪いけど、それはないわ」
微笑んだマルガリータの出方を窺いながら、ラズは首を横に振る。意外そうに目を見張り、「あらどうして?」と聞いたマルガリータに、ラズは「だって」と前置きして言う。
「あたしはこんなところで死ぬ気はないもの。⋯⋯あの子を独りにする気もね」
それが死にたがっていたアリソンを言葉を尽くしてこの世に繋ぎ止めた己の義務であり、そして祈りであり、願いであった。
置いていかれるのは誰だって嫌だ。ラズ自身だってそんなのはもう懲り懲りだった。ここでマルガリータと差し違えたながら、己はきっと、仇を打てなかったことに無念を感じながらも、幸福なまま死んでいけることだろう。自分が果たせなかったことをきっとアリソンが代わりに果たしてくれると信じているし、誰かを守って未来を託して死ぬのは幸福だ。
けれど、ならば残されたアリソンはどうなる?
いつだって苦しいのは置いていかれる側だ。それならば、互いを支えとしながら、最愛の者たち亡きこの地獄を歩きたい。
「あたしは死なない。アンタを殺して生きる。あの子とレインナートを殺すまで、死ぬわけにはいかない!」
「⋯⋯そう。なら、試しましょう? 私の捨て身の覚悟と、あなたの生きる覚悟。どちらの愛が勝つのかを──!」
トンッ、と軽く音を立てて地面を蹴ったマルガリータが接近してくる。彼女の蹴りを難なく躱したラズの放った短剣はマルガリータの纏う薄い生地の衣装を破り、肌をかすった。たかがかすり傷、けれど毒が入り込むには充分だ。遅効性の毒が全身に回れば、動きを封じることができる。
それにしても、とラズは思う。何故彼女は魔術を放ってこないのだろうか。こうして出方を探りながら戦っている最中でも、護身術程度の格闘を繰り出してくるのみ。肉弾戦が得意というわけでもない。身のこなしは軽やかで、回避する動きこそ見事な者だが、正直に言えばあれだけ仰々しい前口上からは拍子抜けするような実力だ。
マルガリータは、ある意味ではあの天才魔術師と名高かったセネカと似ているのではないかとラズは予測していた。つまり、魔術を主な武器とする者。だけど、彼女が扱う魔術はセネカとは全く異なる領域のものである筈だ。噂によれば支援魔術を扱うということだが、彼女に関してだけは他の華々しい経歴を晒すメンバーと違い、具体的なエピソードがあるわけではない。あの聖女ヒナコ──世間ではニーナと呼ばれていたが──ですら、その治癒術で片腕を生やしたという伝聞があったというのに。
この後に及んで魔術を使ってこない彼女は、一体どんな魔術を秘めているのか。
「何を躊躇しているの? ほら、早く縊り殺してしまえばいいじゃないの?」
分かりやすい挑発。乗ってはならない、と本能が訴える。
「⋯⋯アンタ、さっきどっちの愛が勝つのかなんて言ってたけど、アンタのそれって本当に愛なの?」
ラズの言葉に、ピクリとマルガリータの眉が動く。
「レインナートが道を誤ったこと、アンタは気づいてたんでしょ。仲間だって言うのなら、愛しているって言うのなら、間違いを正してあげるべきだったんじゃないの?」
もしもマルガリータが狂信的な人間であれば、ここでレインナートが道を誤ったという言葉そのものを否定するだろう。だが、彼女はそうしないはずだとラズは思った。そしてその推測通り、マルガリータは「レイは道を誤ってなどいない」とは言わずに、ラズの言葉を否定する代わりに硬い声で「愛しているからよ」と言った。
「愛しているから、彼が道を誤ったのなら最後まで共にありたいと思うの。世界中が許さなくても、私は許すわ。どんな彼も受け入れる。それが愛よ」
「アンタにとっては、全部受け入れることが愛なのね」
「ふふっ、そう言うあなたは違うのね? いいのよ、愛の定義なんて人それぞれだもの。全てが等しく美しい」
くすくすと笑う姿は狂気じみているが、彼女が紛れもなく正気なのは目を見れば分かった。
「あなただって、世界よりもただひとりを選ぶ。そうでしょ?」
「⋯⋯本当に似てるのね」
「ええ、だからきっと同族嫌悪なのよ」
そう言ったマルガリータがふらりとよろめいた理由は明確だ。毒が回ったのだ。
アリソンなら、もしかしたらこの女を生かすのかもしれないとラズは思った。それとも案外、今のアリソンなら己と同じ選択をするだろうか。
「⋯⋯じゃあね」
あまりの呆気なさに何を言えば良いのか、一瞬躊躇する。
このまま放っておいても悶え苦しみながら死ぬだろうが、せめてもの情けとして一息に殺してやるべきか。地面に膝をついた彼女に向けて止めを刺そうとした時、ガシッと腕を掴まれた。骨が軋むぐらいの強さと同時に、目を開けてはいられないような眩しい赤色の光がほんの刹那、ラズを包み込む。
「うふふ⋯⋯ダメよ、ラズ。詰めが甘いわ。私のことを警戒するのなら、最後まで怠ってはいけなかったのよ。近づいたりするべきじゃなかった」
「っ、アンタ⋯⋯これってもしかして⋯⋯」
己の身体を見下ろしたラズは、目を見開く。そこには、まるで鏡写しのように、マルガリータと全く同じ位置に擦り傷がついていた。
「ええ、反射よ。私が普段得意とするのは、筋力強化だとか⋯⋯そういうまさしく支援系の魔術だけど、隠し玉はコレなの」
「そうだとしても無駄よ。あたしに毒は──ッ!?」
ガクン、と崩れた膝に、嘘でしょ、とラズは呆然と思う。
レインナートによって毒を馴染ませられたこの身体に、並大抵の毒は効かない。自分が扱っているものだって例外ではない。だから例え染み込んだ毒ごと反射されたところで何の意味もないはず。それなのに何故。
息を呑んだラズに、マルガリータは微笑みかける。まるで宗教画の中の慈母のように。
「私の魔術は、私の身体の状態そのものを反射させる⋯⋯だからあなたの毒への耐性だって貫通するのよ」
最悪だ、とラズは奥歯を噛み締めた。
だからマルガリータは得意としているとかいう筋力強化も使わなかったのだ。恐らく、その強化自体も反射してしまうから。確実に毒だけを反射できるように、時間稼ぎに集中していたと言うのか。
だが、彼女はひとつ嘘をついている。それを指摘するため、ラズは口角を無理矢理に持ち上げて笑う。
「違うわね、これは魔術じゃない。異能だわ。そうでしょ?」
「魔人みたいな言い方をしないでちょうだい。祝福と言って欲しいわ」
呼び方なんてどちらでも構わない。実のところ、それは同じものなのだから。
それでも彼女にとっては我慢できないことだったのか、笑みを崩してまで否定してくるマルガリータに、何だかおかしくなってくる。笑っている場合ではないというのに。
「私はここで死ぬ。それが私の選んだ運命。⋯⋯でも、一人ぐらいは道連れにしなきゃ気が済まないの。分かってくれるでしょ?」
しなだれかかってきたマルガリータのゾッとするほど妖艶で美しい微笑に、ラズは舌打ちする。それにさえも目を細める彼女に、背筋が寒くなる。
掴まれた手に爪を立てると、己の手にも爪痕がついた。
「一緒に来てちょうだい、ラズ? 常世でお互いの愛しい人たちの決着を見届けましょう?」
「嫌だって、言ってるでしょ⋯⋯!」
どうにかしなければ、とラズは頭を回す。どうにかする方法に心当たりはあった。無効化だ。だけど、魔術の無効化では足りない。必要なのは、マルガリータに与えられたこの祝福──否、異能の無効化である。
やれるのか、そんなことが。理論上は可能な筈だ、ただ誰も今まで試そうとも思ったことのない領域であるだけで。
ある意味では異能は魔術と似ている。魔術は世界に式を刻むことで事象を引き起こし、異能は生まれつき、あるいはラズやアリソンのように例外的ながらも後天的に身体と魂に刻み込まれているものだ。ならば式があるのではないか。血管が張り巡らされているように、魔力が身体の中を回っているように、必ずどこかにあるはず。
ラズが未だに諦めていないことに気づいたマルガリータは、何をしようとしているのか分からないなりに「無駄な抵抗はやめましょうよ」と囁いてくる。
「強情なのね。あなた、今まで殺してきたどんな男の人よりも気が強いわ」
「それはそうでしょ。だって男は、アンタの色香の前に腰が砕けるもの」
「ふふ、嬉しいわ」
ちっとも嬉しくなさそうな声を聞きながら、ラズはマルガリータから自分へと何かが流れ込んだ形跡を見つけ、息を吐く。喜色をおくびにも出さないよう、表情に気をつけながら無効化の手順を行う。式をひとつひとつ迅速に、けれど間違えないよう丁寧に分解していく。
毒が全身に回りきってしまうまでに、気取られず、密やかに、速やかに、無効化するのだ。
「死ぬ寸前まで爛々と煌めく蝶も好きよ」
絡められた腕を無視する。
蜘蛛の巣に囚われた蝶になどならない。なってたまるか。
「マルガリータ」
「なあに?」
「あたしはまだ⋯⋯そっちに行けない。だから先に逝ってて。地獄でアンタの男を待ってやって」
ごめん、なんて呟いたのは何に対してだろうか。ポカンとした顔の彼女の前で、鮮やかに反射が解かれる。そして、ラズの身体から擦り傷と爪痕が跡形もなく消える。
忠告通り距離を取ったラズに、マルガリータの顔にやがて苦笑が浮かぶ。
「残念。あなたを連れていきたかったのに」
「悪いわね」
「⋯⋯でもね、私の勝ちよ」
「は?」
「私はただ、ここで死ななければならなかった。それが天啓で、運命で⋯⋯できることならレイのために少しでも敵を減らしておきたかったけれど、叶わないならそれも仕方ないわ」
どう言う意味だ、とラズが聞くよりも先に、マルガリータの身体が前のめりに倒れる。もう身体が限界なのだろう。
先ほどのように迂闊に近づいてまた反射されてはたまらない。距離を置いたまま、ラズは彼女を見つめる。
「私⋯⋯生まれてきて、よかっ、た⋯⋯」
そんな小さな声を最後に、マルガリータはぴくりとも動かなくなった。死んだのだ。
その場にずるりと現れた残留思念に、ラズは手を伸ばす。黒いモヤのようなそれには怨嗟も嘆きも無く、ただただ、愛する人のために命を使うことができた喜びを謳っていた。
◇◆◇
マルガリータが息絶えるのと時同じくして、レインナートはワイバーンを引き連れて辺境の都に立っていた。
住民が嬲り殺されていく様を無感動に眺めていた彼は、ふいに身体の中の魔力が湧き立つのを感じ、首を傾げる。いや、魔力ではない。これは女神の──
「⋯⋯マルガリータ?」
『時は満ちたのです、勇者よ』
最後の仲間の名前を呼び、立ち尽くしたレインナートの脳内に知らない声が響く。男性とも女性ともつかない、中性的な声。
「お前は⋯⋯まさか女神なのか?」
半信半疑で問いかけたレインナートに、肯定するようにぐわん、と彼の視界が揺れる。
『すべての鍵は揃いました。さあ、仲間の命を力に変え、真の勇者としての使命を果たすのです』
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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