052 ラスト・リゾート
どうして魔界にレインナートの声が──それに、未だ続くこの振動はまさか。
脳内を駆け巡る最悪の想像に、アリソンはラズと顔を見合わせる。
「⋯⋯そのまさかね。あいつ、魔界に侵入して来ようとしてる。アンタも、というか、アンタの方があたしの何倍も直に感じてるでしょ」
ラズの言葉に、アリソンは頷く。彼女の言う通り、イグニスから魔人の異能を受け継いだアリソンは、魔界を守る結界が破られようとしているのを本能で直に感じ取っていた。
「わざわざここに乗り込んで来てくれるなんて、手間が省けたわね」
挑発的に笑うラズにハッとして、アリソンは「待ってください」と言う。
訝しげな目で見返してきたラズに長の話をかいつまんで説明すると、彼女は「ハァ!?」と怒り気味に驚いてアリソンの肩を掴む。
「まずいわね、とにかく結界を張り直さないと」
「でも、どうやって?」
「アンタならできるわ。イグニスが結界の補強をするところを見たことがあるの。門のところに行って、開くんじゃなくて閉じるように力を入れるのよ」
根性論に近いラズの説明に、けれど今は頷くしかない。魔界には全ての魔人が暮らしている。イグニスの同胞で、そしてやがてはアリソンの同胞にもなる彼ら。人間と魔人の共存の未来のためにも、ここを死守しなければならない。
「⋯⋯やってみます!」
「ぶっつけ本番になるけど、期待してるわよ。大丈夫、エリザベスも門に急いでるだろうからアンタ一人が背負うわけじゃない。あたしもあたしにできる事をするわ」
手早く武装したラズが、駆け出しながらアリソンの肩を軽く叩いていく。一拍遅れて、アリソンも武器と最低限の荷物を手に走り出す。
建物の外に出ると、パニックになっている者や、それに寄り添い落ち着かせようとする者、絶望に打ちひしがれる者、逃げ場を求めて右往左往する者たちが廊下に散らばっていた。
「オイ! アンタ達、大丈夫か?」
声をかけてきたのは、リザードマンの魔人だった。アリソンがラズに剣の扱い方を習っていた訓練所でよく見かけた、警備兵をしている男だ。
質問に頷いたアリソン達を見て、彼は少しほっとしたように息を吐く。
「外で、怪我をした奴もいるんだ。なんとか屋内に避難させようとしてるんだが⋯⋯いや、それより、悪い知らせだ。人間界に逃げようとしてる奴らが今、門に向かってる」
周囲に聞こえないように小声で囁かれた内容に、アリソンとラズは目を見開く。
人間界と魔界を繋ぐ門は、高位の魔人にしか扱うことはできない筈。
アリソン達の反応に、警備兵は「そうだ」と声を落としたまま続ける。
「現状、魔界で門を開くことができるのは、長を除けば、ベティさんとアリソン──アンタだけだ。それでも、どうしても逃げたい奴らが詰め寄っているんだ。俺の同僚がなんとかしようとしているが⋯⋯いつまで持つか分からない」
言いたいことが分かるか、と鋭い目で見られ、アリソンは頷く。
「今すぐ向かいます」
「助かる。アンタはどうする?」
「あたしは怪我人の避難を手伝うわ。屋内に避難させようとしてるってことは、外にいた方が危ないんでしょ」
警備兵に視線を向けられたラズがそう答えると、男は頷く。
「結界はまだ完全には破られてはいないが、ひび割れた隙間から勇者の魔術が時々入ってきてる。運悪く当たった奴らとパニックになってる奴を家の中に入れたい」
「分かったわ」
警備兵とラズが並んで、アリソンに向き直る。
彼らの信頼に応えるようにアリソンは頷き、再び走り出す。
その背中が見えなくなった頃、警備兵は何か言いたげな視線をラズに向ける。
「何よ、言いたいことがあるならハッキリ言ってくれるかしら?」
「ああ⋯⋯いや、なんだ。アンタはあの娘に着いて行こうとするんじゃないかと思ってたもんでな」
「あたしが着いて行ったところで、何の助けにもならないわ。でも、避難の手伝いはできる。今はアリソンを信じて、イグニスの故郷を守るのがあたしのすべき事よ」
「⋯⋯そうか。なら、俺たちのすべき事をしようじゃないか」
「ええ」
空の割れ目から差し込む白い邪悪な光を睨みつけて、二人は地面を蹴った。
◇◆◇
門の近くまで来た時、アリソンは警備兵の言葉を真に理解した。
ひしめく魔人、魔人、魔人──なんとか押し留めようとしている他の警備兵達の努力も虚しく、彼らは殆どが門に到達しかけている。
これはどうやって通るべきか。数秒迷った後、アリソンは極めて愚直な行動に出る。
「皆さん、通してくださいっ!!」
声を張り上げたアリソンを、人々が振り返る。警備兵達は「あっ」と言いたげな顔をし、人々はアリソンを訝しげに見やる。
「私は、業火の門を引き継いだ者です! 今から結界を張り直すので──」
「ふざけんな! 一人だけ逃げようったってそうはいかねえぞ!!」
「そうだそうだ!」
「大体、アンタ人間だろ? そんなこと言って本当は向こうの味方なんじゃないのか?」
「っ違いま──」
「うるせえ! 早く門を開け!」
「そうよ、私たちをここで殺す気!?」
殺気立つ彼らにたじろぎながら、アリソンは食い下がる。
「待ってください、私は本当にっ」
「信じられるか! 大体おかしいだろ、なんで俺たちのイグニスさんがお前みたいな人間に継承したんだ?」
「言われてみれば⋯⋯」
彼らの眼差しが、ぴたりとアリソンに合わさる。
興奮状態の群衆を落ち着かせる方法など、アリソンが知っているわけがない。こちらに伸ばされる手に微かな恐怖と警戒を感じて後ずさると、彼らは「やっぱりな」と言いたげな顔を浮かべる。
「本当はこの子がイグニスを脅したってことはないか?」
「いや、そうだったら長がとっくに追放してるよ」
「じゃあお前はこいつが本気だとでも言うのか? 長が騙されてる可能性を考えろよ!」
「そもそも、4つあった門が今はもう2つしか使えないんだぞ? その上、ここにいるのは業火だけだ。たった一人で勇者の攻撃から魔界を守れる結界を作れるわけもないのに、のこのこやってくるなんて怪しいだろ!」
「あらあら、誰が一人だと言いまして?」
嫋やかな声に、群衆もアリソンも一斉に振り返る。
「ベティさん⋯⋯」
「遅くなって申し訳ありませんわ、アリソン」
人々の前に進み出た彼女は、魔界が窮地にあるとは思えないほど優雅な笑みを浮かべると、群衆を一瞥して口を開く。
「お集まり頂いた皆さま、大変不安にさせてしまって申し訳ありませんわ。ですが、長もまだ尽力していらっしゃいますし、結界はわたくし達が張り直しますからどうか安心してくださいまし」
エリザベスの言葉に、人々は顔を見合わせる。
でも、と口を開きかけた人の唇に指を合わせて、エリザベスは「信じてくださいませ」と言う。
「イグニスは誰かに脅されて、人間を継承者にするような者ではないこと、皆さまもご存知でしょう? 信じられないと言うのなら、わたくしの命にかけて誓いますわ。結界を万全にすると!」
エリザベスの宣言に、人々が押し黙る。
満足そうに群衆を見渡した彼女は、さあ、と言うように手を差し出す。頷いたアリソンは、エリザベスと並んで門に近づく。今度はもう誰も邪魔してこなかった。
人々が見守る中、アリソンとエリザベスは門に手をかざす。手のひらから暖かな赤と天空のような色の光が流れ出し、二人の全身を包み込む。やがて空に向かって伸びた光は、今にも破られようとしている結界の亀裂を覆うようにして広がっていく。
「すごい、結界が一瞬で⋯⋯!」
「さすがエリザベス様だ!」
「あの人間の子もやるじゃん!」
群衆から上がる感嘆の声が聞こえないほど集中したアリソンは、ひたすら「閉じろ、閉じろ」と門に向かって念じる。
そのまま亀裂が塞がれようとした時──門から稲妻が走った。
「ッ危ないですわ!」
エリザベスに腕を掴まれ、アリソンは我に返る。先ほどまで自分が立っていた地面は黒焦げになって、煙が上がっている。彼女が助けてくれなければ、少なくとも重傷を負うことは避けられなかっただろう。
同時に、空に再び亀裂が入り、先ほどよりも苛烈な攻撃を受けている感覚が襲いかかってきた。
「そんな、結界が⋯⋯!」
「やっぱり無理だったのか!?」
「ここで死ぬ運命なら受け入れるしか⋯⋯」
「せめて長だけでも!」
「エリザベス様! アリソン様!」
口々に言う人々を、片手を上げて制したエリザベスは、空を見上げる。
そして数秒後、地上に視線を戻した彼女は、ひどく達観した笑みを浮かべていた。
「アリソン、ラズは今どこにいますの?」
「えっと、ラズなら向こうの方で避難と救助を手伝っていますけど⋯⋯」
「分かりましたわ。そこの貴方、ラズを知っていますわね? 彼女をここに連れて来てくださいませ。今すぐに」
「えっ、あっ、はい!」
「それ以外の方々は、屋根のある場所に早く避難してくださいませ。さあ!」
エリザベスに指名された若い魔人が駆け出していき、あっという間に姿が見えなくなる。
周りにいた人々もエリザベスの言葉に躊躇しながらも従って、ぞろぞろと門の周りから去っていく。
「ベティさん、どうしてラズをここに?」
「魔界に誓って、彼女に危険なことをさせるつもりはありませんわ。安心してくださいませ」
問いかけたアリソンに、エリザベスは直接的には答えず、そんな曖昧なことを言う。
「それより、先ほどの彼が戻ってくるまでは同じ要領で持ち堪えるしかありませんわ。できますわね?」
「は、はい⋯⋯!」
今は魔界を守ることに集中しなければ。二人は再び門に手を翳し、光を練り上げて亀裂を塞ごうと試みる。完全に結界を張り直すことはできていなくても、少なくとも隙間から生じる勇者の攻撃を防ぐことはできているのであれば意味はあった。
でも、このままではいつか突破されてしまう。結界を打ち破ろうとする勇者の魔力を直に感じながら、アリソンは本能的にそう悟る。女神の加護がどれくらいのものなのか分からないが、今のレインナートからは魔力切れを起こす気配が全く無い。こちらの体力が尽きたら負けて、結界を破られ魔界を滅ぼされてしまう。
「つ、連れて来ました!」
若い魔人がラズを伴って戻ってくる。ラズは不審がるような表情を浮かべ、ちらりとアリソンに視線をやるが、アリソンはゆるゆると小さく首を振ることしかできない。何故エリザベスがラズを連れて来させたのかなんて、アリソンだって知りたかった。
「感謝いたしますわ。貴方も早く、どこか建物の中にお入りなさい」
「は、はい! どうかご武運を!」
若い魔人を避難させた後、エリザベスはラズの方に少し首を傾けて微笑む。
「来ましたわね」
「急に来てくれなんて、一体何があったの? ここであたしにできることがあるの?」
エリザベスは問いには答えず、アリソンとラズの手を取り、重ねさせる。
彼女の行動に戸惑い、口を開きかけたアリソンを遮るようにエリザベスは言う。
「勇者の猛攻を防ぐため、少し荒っぽい手段を使って対抗しようと思いますの」
「じゃあ、そのためにラズが必要だから呼びに行かせたんですか?」
「いいえ」
やんわりと首を横に振って、エリザベスは重ねさせた二人の手をギュッと握る。
「この方法を使えば、魔界はしばらくの間、完全に人間界と隔絶されますの。だから、それと同時に貴女たちを人間界に送り出さなければなりませんわ」
「待って、それってまさか⋯⋯!」
声を上げたラズに、エリザベスが「静かに」というジェスチャーをする。
「どういうことですか、ラズ。ベティさんは一体何を⋯⋯!?」
胸騒ぎがしたアリソンは疑問をぶつけるが、ラズが答える前に、エリザベスは思いっきりアリソン達の身体を門めがけて押しやる。
「ベティさん!? 待ってください、私も──!」
「さようならですわ、アリソン、ラズ」
門に吸い込まれる寸前、アリソンが最後に見たエリザベスの顔は大往生した祖母の顔とよく似て、ひどく安らかで満ち足りた表情をしていた。
◇◆◇
アリソンとラズを人間界に送り出すと同時に、エリザベスの身体は宙に浮いていた。彼女の身体は天空のような真っ青な光を発し、その光が魔界全体を包み込んでいく。
ひしゃげたような亀裂の間から、その様を微かに捉えたレインナートの顔が喜色に歪む。
『ああ、ああ! 会えて嬉しいよ、君がラフィを殺した魔人だね? そうだろう? 分かるよ、俺には分かる、やっと会えた、やっと殺せる!!』
まるでずっと欲しかったプレゼントを貰った子供のような無邪気な声に、対するエリザベスは「ええ」と静かに答える。
「そうですわ、わたくしがラファエラを殺した魔人ですわ」
『認めたな、認めるんだな、そうだね? よし、結界を完全に壊したら、まずは君から殺してあげよう。いや、違うな、それじゃあダメだ、一瞬で殺してあげるなんて優しすぎるね。まずは君の手足を切り落として転がした後、他の奴らを一体ずつ君の前で殺すんだ。それがいいな、そうしよう。ああそれから、臓器も引きずり出そうかな。実は若気の至りで、君らの仲間の身体を切って開けたことがあるんだ、だから安心してくれ、どこに何があるか知っているからね。そうそう、君たちの臓器が俺たち人間とほとんど同じなことも知ってるよ、反吐が出るね。でも覚えやすくていいよ、唯一の利点だね』
ベラベラと饒舌に喋る勇者の目は、もう柔らかな木漏れ日ではなかった。狂気と正気の入り混じった目に、相対するエリザベスは凪いだ表情でそれらを受け止める。
「言ったはずですわよ。わたくしは、わたくしの命に賭けて結界を万全にしてみせると」
言葉と共に、水禍の門がエリザベスと同じ光を発する。
門は、その門を司る特定の魔人にしか扱えない。そして、緊急時のために完全に門を閉ざす方法もまた、その門の主たる魔人にしか行使できない。
その方法とは、自らの肉体を構成するすべての元素を解放すること──すなわち、己の命を代償とするものだった。
「魔界が勇者に狙われるようになったすべての元凶はわたくしにある。ならば、その責任を取らなくてはなりませんわ。そうでしょう?」
自分の罪から目を逸らし、逃げてきた自分でも、その一端を償うことぐらいはできるのだ。間違ってばかりの自分だったけれど、ようやく正しいことができる。
最後に一度だけ魔界を見下ろすと、エリザベスは口元を緩めて一礼する。
その数秒後、空中に浮かんでいた彼女の身体は弾けて四方八方に散らばり、魔界は完全な静寂に包まれるのだった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回から新章に入ります。引き続きアリソンとラズの物語をよろしくお願いします。
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