050 アフター・パーティー(前)
「お帰りなさいませ。如何でした? 貴女の知りたかったモノを見た気分は」
目を開ければ、そこはエリザベスの地下室だ。床に尻餅をついたアリソンは顔を上げ、エリザベスの姿を視界に収める。アリソンはずぶ濡れなのに、目の前に立っている彼女には水一つないのは、彼女が水を操る魔人だからだ。差し出された手を取って立ち上がると、身体についていた水滴が途端に蒸発する。エリザベスが何かしらしてくれたのだろう。礼を言うと、エリザベスはにこやかな調子で微笑み、先ほどの言葉の答えを促す。
「⋯⋯勉強になりました、って言えば満足ですか」
アリソンのそっけない返答に、エリザベスはますます笑みを深くする。
その頬が少し引き攣っていて、常よりも微笑が固いことには触れないことにしたアリソンは、視線を逸らす。いつもと違い余裕のない彼女の姿を、今はあまり見たくなかった。
「ひとつ聞きたいんですけど、いいですか?」
「ええ、何なりと」
「私はベティさんがイグニスさんを止めなかったのは、ベティさんが人間との和解を持ちかけたからだって思ってました。それは正しかった⋯⋯でも、あれはラズがイグニスさんと出会う前の記憶ですよね。だって、イグニスさんが人間界に行く時にはラズが見送っていたはずで、つまり⋯⋯」
言い淀んだアリソンに、エリザベスは察したのだろう。固い微笑のまま、彼女は息を吐く。
「ああ⋯⋯貴女の言いたいことが分かりましたわ。そうですわ、わたくしには止める機会はありましたわ。けれどわたくしは、自分がしたことが間違いだと認められなかった。あの子の望みを叶えただけなのだと自分を正当化したのですわ。だから言えなかった、いえ、言わなかったのですわ。勇者がもう和解を望んでいない理由を」
「でも、イグニスさんを止めようとはしたんですよね?」
「⋯⋯ええ。けれどわたくしの曖昧な説得に、イグニスが耳を貸してくれるはずもありませんわ。『不安になったのか? 大丈夫だ、自分を信じろ』⋯⋯そう言って、彼は人間界へ行きましたわ。今まで勇者と和解しようとして、行方知らずとなった他の仲間たちと同じように」
自嘲を浮かべたエリザベスの姿を、アリソンは不思議な心持ちで見ていた。
アリソンにとって、エリザベスはずっと自分を導いてくれる大人で、それと同時に強大で底知れない存在だった。だけどそう見えていたエリザベスが、本当はこんなにも弱くて臆病なひとだったなんて。
目の前の彼女は、何を考えているのか分からない掴みどころのない存在ではなく、自分と同じように悩み、間違え、過ちを隠そうとするような人間くさい一人の存在だったこと。それを、アリソンは記憶の旅を通して、そして今のエリザベスとのやり取りでようやく腑に落ちることができた気がした。
ああでも、魔人を人間くさいと思うなんてちょっとおかしな話かもしれない。アリソンは頭の片隅でそう苦笑しながら、そっと慎重に、言葉を選ぶ。
「正直、ベティさんがしたことはどうかと思います。イグニスさんには真実を打ち明けるべきだったし、そもそもラファエラを殺すべきじゃなかった。⋯⋯でも、彼女のことを思っての行動なのも本当だったんですよね」
ラファエラが息を引き取る寸前に言い残した言葉と、その顔に浮かんでいた幸福としか言いようがない笑みを思い出しながら、アリソンはエリザベスを見つめる。
レインナートの永遠になりたいという彼女の願いを叶えるため彼女を殺すのは、正直なところどう考えたって無茶苦茶だ。だけど、その無茶苦茶な行動は確かにラファエラの望みを叶えたいがためのもので、事実ラファエラの望みを確かに叶えたのだろう。そうでなければ、死の間際にあんなにも恍惚とした顔ができるものか。
それに、「レインナートの永遠になる」という願いを叶えるのならば、なんだったらレインナートを殺すこともできたはずだ。死者は変わることができないから、心変わりをする心配もない。それをしなかったのはきっと、「ラファエラがそれを望まない」からで──エリザベスはエリザベスなりに、どこまでもラファエラのためにラファエラを殺したのだろう。
アリソンの態度が予想と違ったのか、エリザベスは近くの棚に身体がぶつかるのも構わず数歩後ずさる。
「何故ですの⋯⋯何故貴女は、そんなにも平然としていられるんですの?」
声を震わせた彼女は、アリソンが口を開くよりも前に憂憤の声を上げる。
「わたくしがラフィを殺していなければ、勇者は魔人を憎むことはありませんでしたのよ! そうしたら貴女の家族も⋯⋯!」
「でも、私の家族を殺すことを選んだのはレインナートです。ベティさんじゃない!」
わざと傷を抉ろうとするようなエリザベスの言葉を遮るように、アリソンも負けじと声を張り上げる。
「さっきも言いましたけど、ベティさんも悪いです。でも、私の仇はレインナートであなたじゃない。あなたじゃないんです!」
「ですが、わたくしはそもそものきっかけを作った張本人ですのよ!? それなのに、どうして貴女は落ち着いているんですの。まさかとは思いますけれど、この後に及んでもまだわたくしを信じているだなんて気色悪いことを言うんじゃありませんわよね?」
「そりゃ、ベティさんのことを少しも恨まないって言ったら嘘になりますよ。特に、私に家族が生き返るなんて嘘をついたのは最低です。一生恨みます、当たり前じゃないですか! ⋯⋯でも、それでも、私の復讐するべき相手はレインナートだということは変わりません」
どれだけ時が経とうとも、アリソンの脳裏にはあの日の光景がありありと思い起こせる。
炎に包まれる我が家。バラバラに切り刻まれた両親。目の前で失った弟。肉塊になるまで嬲られたイグニス。
それらを行ったのは、勇者レインナートだ。狂気的な行いを、彼は一切合切が正気のまま、善人じみた陽だまりのような微笑みのまま実行した。表情や声色と彼の行いが一致せず、脳が混乱したことをよく覚えている。
だからこそ、アリソンの仇はレインナート・ローウェンや彼に与する者であり、エリザベスではないのだ。
「ベティさんは、レインナートに私の家族を殺すように唆したんですか? してないでしょう? だったら、例えベティさんがラファエラを殺したからレインナートが魔人を恨むようになったんだとしても、その後のことはレインナートの選択です。私が仇として追うべきは彼だけです。私の家族が死んだ件に関して言えば、ベティさんは全く関わりのない人なんです。⋯⋯嘘をついたことはもちろん、さっき言ったみたいに許す気はないですけど」
「ですが、わたくしは⋯⋯!」
言い切ったアリソンは、なおも食い下がろうとするエリザベスを見据えて続ける。
「ベティさん、ヒナコみたいなこと言うんですね」
「ヒナコ? ⋯⋯ああ、聖女のことですの?」
「はい。ヒナコも今のベティさんみたいに⋯⋯誰かに責められたくて必死でした」
はっ、と息を呑んだエリザベスに、アリソンはやっぱり、と呟く。
誰かに罰されたい、いっそ殺されて楽になりたい。良心の痛む人間であれば、そのような気持ちになってもおかしくはないだろう。だけど。
目を伏せたアリソンに、エリザベスは「それで?」と嘲るような、それでいて縋るように言う。
「貴女は、聖女になんて言ったんですの?」
「むかつく、って。許されたいから殺されたいなんて、そんなのむかつくって。だから、殺してなんかやりませんでした」
「⋯⋯」
「だからベティさんのことも、おんなじです。私を騙してたことは許さない。でも、殺しません」
「なら、ラフィのことは? わたくしが人間を殺したことを、勇者が魔人を恨むきっかけを作ったことを、貴女は許すとでも言うんですの?」
食い下がるエリザベスに、アリソンは首を横に振る。
「ラファエラのことに関して、私にはベティさんを許すとか許さないとか、そんなことを言う権利はありません。だってそれを決める権利があるのは、ベティさんが殺したラファエラと、彼女を大切に思っていた家族や友人、恋人だけじゃないですか」
「⋯⋯」
「だから、私はベティさんがラファエラを殺したことも、自分が間違ってるって認めたくない臆病さからイグニスさんや他の魔人を見殺しにしたことも⋯⋯許す許さない以前に、責めることだってできないですよ」
それはつまり、今この世でエリザベスを責める権利があるのは、勇者レインナート・ローウェンだけであるということだ。
エリザベスはアリソンにとって仇ではない。けれど、レインナートにとっては恋人を殺した仇だ。アリソンが彼に復讐する権利があるのなら、彼にだってエリザベスに復讐する権利がある。
「だからベティさんがどうしても、ラファエラを殺したことや他の魔人を止められなかったことを、誰かに責められたいなら──許されたいのなら、その人達に決めてもらうしかないですよ」
「⋯⋯貴女って、本当に⋯⋯」
「思い通りにならない?」
「ええ、本当。引き裂いてしまいたいぐらいですわ」
するりと頬を撫でる指先に、このまま爪を立てられて引き裂かれてしまうのではないかと少し考えないでもなかった。でも同時に、多分、そうはしないだろうという予感があった。
結局のところ、エリザベスは嘘をつくし打算的だ。だって、もしもアリソンが気づかなかったら、一生アリソンを騙すつもりだったのだから。けれども、同胞や懐に入れたものへの情も確かに持ち合わせているのも確かで、だからこそ取り返しのつかない過去に苦しんでいるのだろう。
「⋯⋯それで? 貴女はこれで真実を全て知ったわけですけれど、これからどうするつもりですの?」
触れられていた手が離れた頃には、彼女はもういつものような嫋やかで掴みどころのない微笑を浮かべていた。そのことを残念に思うべきか、あるいは喜ぶべきなのか、アリソンには分からない。
「初めに言っておきますけれど、これから勇者を殺したとしても貴女の家族は生き返りませんわ。こればかりは嘘ではなく、真実ですわ」
つらつらと続けたエリサベスの言葉に、アリソンの心臓が人知れずぎゅっと締め付けられる。
たとえとうに分かっていたことでも、現実を突きつけられるのは辛いものがあった。何を犠牲にしても取り戻したい日々が、本当に帰らぬものとなってしまったことを理解できても、痛みが軽くなるわけではない。
無意識に胸元で手を握りしめていたアリソンに、エリザベスは口端を吊り上げ、優しげな声色で語りかける。
「貴女を騙したわたくしが憎いでしょう? わたくしを殺しておしまいにしても構いませんのよ。どうせわたくしに騙されて汚した手ですもの、これ以上汚れがつくことを厭う理由もありませんでしょ?」
──ああもう、この人は!
この後に及んでまだそんなことを言ってくるエリザベスの諦めの悪さに辟易して、アリソンは顔を顰める。
「ベティさんを殺してどうなるんですか。そんなことしたって、楽になるのはベティさんだけですよ」
「あら、貴女の気は晴れませんの?」
「晴れませんよ、私をなんだと思ってるんですか!」
いい加減にしろ、という意味も込めてはっきり拒絶し、アリソンは息を吸って答えを口にする。
「私は──勇者レインナート・ローウェンを殺します」
数秒の沈黙の後、エリザベスが徐に口を開く。
「彼はわたくしに恋人を殺された被害者ですのに?」
「だからって私の家族を殺していい理由にはなりません。それに、たとえ世界中の誰が許したって私が許さない。ううん、許しちゃだめなんです。きっと他でもない私が、そんなのはよくないって声をあげ続けなくちゃだめなんです。じゃなきゃ⋯⋯」
じゃなければ、記憶の中で笑う家族たちがあまりにも浮かばれないではないか。
手を伸ばしても届かない、星よりも遠い過去を思いながら、熱い目頭に背中を押されるようにしてアリソンは矢継ぎ早に続ける。
「勇者の行動を正しいことにしちゃだめなんです。間違ってるって、誰かが言わなきゃ。それに⋯⋯」
「それに?」
「今、勇者は世界を壊してまわっているんでしょう。もうあの人は勇者なんかじゃない、世界の敵です。それを私が倒すんです。ドルフ村のアリソンが」
「⋯⋯ああ。つまり貴女は、村の名誉を回復したいというんですのね? 邪教徒として勇者に裁かれた悪逆の村を、世界の敵に滅ぼされ新たな英雄を生んだ村にすると?」
生者が死者のためにできるのは安息を祈ることと、そして彼らを忘れないことぐらいしかない。
だからこれはきっと自己満足でしかなくて、それでも、愛する故郷が汚名を被ったままであることがアリソンはどうしても嫌だった。
「それが、貴女の選択ですのね?」
「はい。私が自分で考えて、自分で決めた答えです」
すっきりした顔で言い切ったアリソンに、エリザベスは少し微笑む。それは今まで見たことのない、含みのない本当の笑みであるように見えた。
「貴女に幸運があるよう祈りますわ。わたくしの祈りに意味があれば良いのですけれど」
「だったら、私が証明しますよ。ベティさんの祈りに意味があったことを」
手を差し出したアリソンに、エリザベスは虚をつかれた顔をした後、諦めたようにその手を取る。
「わたくしの目的のために貴女を騙して、申し訳ありませんでしたわ」
「はい、許しません」
「ええ。許さないでくださいませ」
憑き物が落ちた顔をして、エリザベスはアリソンの手を離す。
「これから長に会いに行こうと思うんですけど、ベティさんも来ますか?」
「いいえ、わたくしは少しここで考えたいことがありますから。道は分かりますわね?」
「一度連れて行ってもらいましたから、大体は。それに、多分⋯⋯迷ったとしても、私の中のイグニスさんが教えてくれる気がします」
初めて長に謁見した時、ひとりでに膝を折ったことを思い出して、アリソンはそう答える。
エリザベスは特に何も言わず、「そうですの」とだけ零した。
その場を去ろうと踵を返した時、ふと思い出してアリソンは振り返る。
「そういえば、勇者たちの心臓で私の家族を生き返らせられるのが嘘だったなら、今まで投げ入れてきた死体ってどうしてたんですか?」
「ああ、それならわたくしのペットの餌にしましたわよ」
ほらそこに、とエリザベスが指し示す方向には、巨大な水槽があった。
暗がりの中で蠢くそれは、窮屈そうに身体をうねらせるタコのような生き物。アリソンの顔ほどの幅を持つ触手が、吸盤を水槽の中からこちらに向けている。
「元々、ラフィもこの子達の餌になる予定だったんですの。乙女の柔らかな肉は大層美味だったはずでしたのに、ついぞ叶わず残念ですわ」
心にもないことを言う魔人にアリソンは肩をすくめ、今度こそ振り返らずにその場を後にした。
◇◆◇
アリソンが地下室から出ていくのを見届けて、エリザベスは力を無くしたようにふらりと近くの棚に身体を預ける。水槽の中のクラーケンが心配するように蠢くのが視界の端に見える。
「⋯⋯長を謀ったわたくしが、今更お目通りなどできるはずもありませんわ」
独り言を言いながら、ずるずるとエリザベスはその場にしゃがみ込む。長いマーメイドスカートの下から、クラーケンに酷似した触手の足がはみ出る。
勇者が和解を望んでいることを長に伝え、説得したのはエリザベスだった。長は人間界での動きを逐一報告するよう命じたのに、エリザベスはラファエラの死の真相を長から隠していただけではなく、イグニスが力をアリソンに継承して息絶えた時までずっと、勇者の動向を知らないふりをしていた。そして全ての罪を勇者になすりつけた──勇者が魔人を騙して、殺そうとしていたのだと。
アリソンはエリザベスを裁くことができるのは勇者だけだと言っていたが、それよりも前に長から罰を与えられることとなるだろう。
地下室の天井にぶら下がった七色に光るランタンを見上げて、エリザベスは口を開く。
「そうでしょう、長──」
まるでエリザベスの言葉に答えるように、ランタンの中で光を発している植物が瞬きをするように点滅した。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回更新日:9/30予定 → 10/14予定 に延期します。すみません。




