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村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第1章 魔界編
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005 死に損ないの決意



 ギィィ、と引き攣ったような音を上げながら、見かけ以上に重い扉が開く。

 扉の向こうに立つエリザベスは、モノクルの奥の理知的な瞳を細めて、たおやかに微笑んでいる。するりと部屋の中に踏み入れた彼女は、アリソンをテーブルまで誘導すると、椅子に座るよう促した。


 二人だけで話したいことって、一体何だろう。

 空のコップに向けて水差しを傾けるエリザベスを見ながら、アリソンが黙って言葉を待っていると、彼女は「さぞ戸惑いましたわよね」と切り出した。


「先程は突然のことに、頭が混乱したのではなくて?」

「そう、ですね。まだあんまり、実感がなくて」

「分かりますわ。わたくしも異能(アビリティ)を受け継いだ日は、ドキドキして眠れませんでしたもの」

「えっ? エリザベスさんも、他の魔人からその、水を操る力を受け継いだんですか?」

「あら、もっと気軽にベティと呼んで下さっていいんですのよ? わたくし、貴女とはもっと仲良くなりたいんですもの」

「仲良く?」

「ええ。⋯⋯まあ、世間話はこのぐらいにして、そろそろ本題に入りませんこと?」


 本題、と言われても、アリソンは特に言いたいことはない。

 黙って様子を見ていると、彼女はついと水で満たされたコップを優美な仕草でテーブルに置き、口を開く。


「貴女、これからどうするつもりですの?」

「どうって⋯⋯そんなの、」

「分かるわけがないとでも言いたげですわね」


 エリザベスはただ淡々と、確定事項を告げるように言う。

 その様子に、「これから先も続くはずだった日常を奪われたこともないのに、そんな簡単に言ってのけるな」と。あなたに何が分かるのだと、僅かな苛立ちがアリソンの胸に芽生える。

 それを踏まえたかのように、エリザベスは殊更に優しい笑みを浮かべると、両手でアリソンの右手を包み込み、覗き込むように目を合わせて言った。


「実は、貴女に見せたいものがあって戻って参りましたのよ。きっと気になっていると思いましたから」


 どういう意味なのかをアリソンが聞くよりも前にエリザベスが、先ほどテーブルに置いた水を入れたばかりのコップを握らせてくる。

 彼女が何をしたいのか分からないまま受け取ると、水面がゆらゆらと揺れていることに気が付く。

 そしてそこに、ありえないものが映っていることにも。


「レイン、ナート⋯⋯!?」


 声を震わして叫んだアリソンに、エリザベスはそっと見守るような微笑を浮かべる。


「先ほど説明しましたように、わたくしは水を司どる魔人ですの。この部屋に来た時のように水を通じての移動は魔界でのみ出来る芸当ですけれども、水を通じて『盗み見』をするぐらいのことなら、魔界でなくとも可能なんですのよ」

「そんなこともできるなんて⋯⋯魔人ってすごいんですね」

「違いますわよ?」

「え?」


 即座に否定され、驚くアリソンにエリザベスは当然のように答える。


「魔人がすごいのではなくて、わたくしがすごいんですのよ」

「⋯⋯そ、そうなんですか」

「そうですのよ」


 理知的で優美な外見からは想像もつかない、子供っぽい言い方に思わず頬が緩む。

 自信のある人は嫌いではない。むしろ自信を持って、「自分はすごい」と言えるその真っ直ぐな強さが、どこか眩しく見えた。

 だが、それとは別に、エリザベスの言葉に一抹の不安も覚える。


 ──水は、人間にとって生活の必需品だ。それが地図にもない村だろうが、人が雑多に集まる都市であろうが、人がそこで生きている限り、必ず水は近くにあるだろう。

 ならば、エリザベスの言う「盗み見」はつまり、世界のどこにいても彼女の目からは逃れられないことを意味しているのではないだろうか。

 そんな考えが浮かび、一瞬ゾッとするものの、彼女は善意で自分を救ってくれた恩人でもあることを思い出す。そんな人が悪い人であるはずはないと思い直して、アリソンはコップの中の仇を見つめる。


 あの日となんら変わらない、陽光の祝福を一心に受けたオレンジ色の髪の勇者は、どうやらどこかの町の広場にいるようだった。ちょうど魔界とは真逆の、白を基調としたレンガの街並みは、清廉さと壮観さを感じさせる。こんな時でなければ、美しい街並みに見惚れたことだろう。

 そして、レインナートはひとりきりではなかった。隣には、ひらひらと風を受けてなびく踊り子のような衣装を着た赤い巻き毛の女性と、深緑の外套を着た黒髪の少年、厳つい兜で顔を隠した体格の良い騎士、最後にクリームイエローのフードを浅く被った短髪の少女が、彼の後ろに並んで歩いていた。


「どうやら、これが英雄一行の面々というわけですわね」


 エリザベスの言葉にぼんやりと頷き、アリソンは食い入るようにコップの中の彼らを見つめた。

 どうやらこの「盗み見」では音までは拾うことができないようで、彼ら4人の会話が聞こえてくることはなかったが、レインナートを始めとした彼らの誰もが、屈託のない笑みを浮かべている。


 ──それは、彼の手で奪われた光景だった。


 あの日、レインナートが現れなければ、今も両親やルノーはこんな風に笑っていたはずだ。何も恐れることなく、こんな風に大きく口を開けて、無邪気に無防備に、笑っていられたはずだった。それなのに。

 身振り手振りを交えて、何かを面白おかしく話しているレインナート。それに同調するように頷く騎士、口元に手を当てて笑い合う赤毛の女性と短髪の少女、からかわれたのか拗ねたような顔をした少年は、けれど次の瞬間にはレインナートと笑い合っている。

 あくびが出るほど平和で和やかなその場面は、自分たち家族にはもう二度と訪れないもので。なのにどうして、奪ったはずの彼らがそれを享受しているのだろう。


 4人の姿が遠くなり、最後には水面から完全に消えるまで、アリソンはじっと彼らの姿を見つめ続けた。

 

「何を話しているのかは分かりませんけど、楽しそうでしたわね」

「⋯⋯はい」

「たった3日前に、貴女の家族を殺したとは思えない姿でしたわね」


 自分が3日も眠っていたことに対する驚きよりも、その後に続いた言葉に胸を抉られる。

 顔をあげてみると、彼女はもう、あのゆったりとした優雅な笑みを浮かべてはいなかった。こちらの気持ちを思いやる真剣な顔に、息を飲む。


「ねえ。あの悪魔のような男は、報いを受けるべきだと思いません?」


 大丈夫。貴女の気持ちは分かっているから。

 そう言うような表情で、そっと囁くように告げられた言葉の意味を、アリソンは最初、咀嚼しかねた。

 けれど、1秒、また1秒と時間が過ぎるごとに、じわりじわりと染まるように理解する。


「貴女がもし、復讐を望むのなら⋯⋯わたくしは貴女の力になりますわ」


 最初に思ったのは、「そんなことを望んでも良いのか」、ということだった。

 けれど、それを肯定するようなエリザベスの視線と言葉に、逆にどうして望んではいけないのか、と腹立たしい気持ちが強くなる。

 そうだ、あの男は私の全てを奪い去って行った。そのくせ、自分だけあんな楽しそうに、何一つ失わずに生きていくなんて許さない。


 でも。


「でも、みんな戻ってこないんですよね。たとえ私がこの手であの人を殺したところで、お母さんもお父さんも、ルノーも、イグニスさんだって⋯⋯」

「そうとは限らない、と言ったら?」

「え⋯⋯」


 まさか、そんな。

 肌を食い破りそうなほど強く握られたアリソンの拳を、エリザベスの手が優しく包むこむ。冷たく、まるで亡骸のように温度のない手に、触れられた手がびくりと震える。


「もしも、貴女がレインナートを見事打ち果たせたら、その時には──」


 エリザベスが顔を近づける。耳元に吐息が当たってくすぐったい。

 思わず身をよじると、逃さないとでも言いたげに、肩に彼女の手が食い込む。痛い、と思う暇もなく、耳元で囁かれる。


「──勇者たちの心臓と引き換えに、貴女の家族を生き返らせてあげますわ」


 ドクン、と脈打つ鼓動の音が、ひときわ大きく聞こえた気がした。


「そんなこと⋯⋯できるん、ですか」

「ええ。ただ大量の魔力が必要になりますわ。例えば勇者レインナートや彼の仲間たちのように、生まれつき多くの魔力を持つ人間を殺し、その魔力を使わない限りは不可能でしょう」

「それって、つまり⋯⋯」

「ええ、貴女の考えている通りで間違いありませんわ。つまるところ、貴女の家族を殺した、憎きレインナートたちの命で、貴女の大切な方たちを取り戻せるという話ですわ」


 レインナートが悪魔なら、エリザベスはなんなのだろうか。

 こんなにも上手く噛み合った、都合のいい話があるわけない。そんな考えと同じぐらいに、でも本当ならどれだけ良いだろうとも思う。

 返事をする前に、最後にエリザベスの顔を見つめる。真剣そのものという表情で見つめ返してくる彼女が嘘をついているとは思えない。

 しばらくの間見つめ合ったあと、アリソンは、引きつった喉を震わせた。


 目の前に垂らされた希望はあまりに甘美で、今まで生きて来た世界の全てをあっけなく失ったアリソンにとって、それに縋り付かない選択肢はどこを探してもなかった。

 己の肩に食い込んだ彼女の爪よりも強く、差し出された手を握り返した時、アリソンはようやく、地に足がついたような気がした。


 

◇◆◇



 エリザベスとの対話から、一体どれだけ時間が経ったのだろう。魔界だからなのか、一向に光の差さない部屋の中では、時間と言うものが全く分からない。

 だが、恐らくは一晩程度の時間は経っているのだろう、とアリソンは考える。静かになった廊下に、人の、いや魔人の行き来する音が聞こえ出したからだ。


 アリソンは昨夜、一睡もしなかった。

 夜は眠るものだ。少なくとも村にいた頃は、機織りにどれだけ勤しんだところで、夜が明ける前にはベッドに潜り込んでいた。

 けれど昨日は眠らず、ベッドの上で膝を抱え、エリザベスとのやり取りをひたすら思い返していた。そのせいか、目が充血してしまっている気がする。

 特に思い返したのは彼女と約束した両親の復活と復讐──ではなく、彼女が部屋を出る前に交わした『約束』のことだ。


『え? ラズさんに言っちゃいけないんですか?』


「二人だけで話したい」と最初に前置きされていたことなど、すっかり忘れていたアリソンはびっくりしてそう尋ねた。

 エリザベスは『ええ』と頷くと、苦渋の決断だというように、渋い顔をしてため息をつく。


『死者の復活は、魔人の間でも一部の者にしか出来ない事であり、そして禁忌でもあるんですのよ。故に、この方法にはある呪いが掛かっていますわ』

『の、呪い?』

『ええ。自分に死者復活の手段があることを3人以上の知り合いに知られてはならない──という呪い。そして、貴女はわたくしに死者の復活ができると知る3人目ですの。だからもし、貴女がラズにこのことを打ち明けてしまったら、わたくしは呪いで水に還ってしまいますのよ』

『そ、そんな⋯⋯!』


 眉根を下げ、大声を上げたアリソンにエリザベスは『心配なさらないで』と微笑む。


『大丈夫ですわ。わたくしは貴女が秘密を守れる方だと信じていますわ』

『エリザベスさん⋯⋯』

『もっと気軽に、ベティと呼んでくださって構いませんのよ? まあ、呪いがなくても言いにくいことには変わりありませんし、どうかそう重く捉えないでくださいませ』

『えっ?』


 首を傾げたアリソンに、エリザベスは気遣わしげな声を作って『実は』と口を開く。


『人間は生き返らせられても、既に異能(アビリティ)の継承を果たしてしまった魔人は、生き返らせることができないんですの』


 つまり、生き返らせることができるのはアリソンの家族だけで、アリソンを助けようと力まで譲ってくれたイグニスは蘇らないのだ。

 ショックを受けたアリソンに、エリザベスもまた、やるせない顔で唇を噛んでいたのを思い出す。

 たったの2週間近く共に居ただけの自分でも、イグニスの死は悲しいのだ。同族で、より長い知り合いだったエリザベスは、もっと辛いだろう。

 そして、それはきっと、ラズも同じはず。


 だから向き合わなくてはならない。勇者を殺せば家族を取り戻せる自分と違って、大切な人が二度と戻らない彼女と。

 控えめなノックの後、扉を開けて入ってきたラズの姿に、アリソンは覚悟を決める。


「おはようございます、──で良いんですよね?」

「え、ええ⋯⋯確かに今は朝だけど。それより、あなたもしかして一睡もしてないんじゃないの? 目の下、ひどい隈よ」

「えへへ⋯⋯でも、お互い様です。だって、ラズさんも目が赤いですもん」

「っ! ⋯⋯そうね。人のこと言えなかったわね」


 気まずげに視線を逸らし、ラズはベッドサイドに座る。


「ラズさん、渡したいものがあるんです」


 しばらく言葉を発することなく、互いに様子を伺うような時間が流れた後、アリソンは沈黙を破った。

 もう後戻りはできない。そんな予感を抱えながら。


「渡したいもの?」

「はい。えっと、これです」

「な⋯⋯っ!? それ、イグニスの⋯⋯ッ!?」


 怪訝そうな顔でアリソンの広げた手のひらを見たラズは、瞬時に口を覆って驚く。動揺した顔がどこか泣きそうに歪んでいくのを見て、アリソンは目を伏せる。


 アリソンがラズに見せたのは、イグニスから預かっていたピアスだった。

 昨夜エリザベスが部屋を出て行った後、ふいに袖の中から転がり落ちてきた、夜空のような色をしたピアス。キラキラしたそのピアスは、ラズが左耳につけているのと全く同じものだ。

 それに気づいた時、アリソンは悟った。彼女こそが、イグニスの想い人なのだと。


「イグニスさんに頼まれたんです。誰よりも大切なひとに渡して欲しい、って。きっとラズさんのことだと思って」

「⋯⋯そうね。同じピアスをつけてるものね」

「それもそうですけど、何よりラズさんもイグニスさんのことを大事に思っていたから、分かりました」


 イグニスに助けられた命を無駄にしないで欲しい──祈るように、アリソンの手を握って懇願したラズの姿を見れば、彼女がどれだけ彼を思っていたのかは明らかだった。

 あんなに自信なさそうにしていたくせに、やっぱり両思いだったんじゃないですか。

 心の中でイグニスにぼやいて、そして、もう直接彼にそんな風に言うこともできないことを思い出し、虚しい気持ちが胸を満たす。


「⋯⋯これ、あの人と片方ずつ分け合ったものなの」


 両の手のひらに転がったピアスを見て、ラズはポツポツと話し出す。


「イグニスは右耳に、あたしは左耳に。言葉はなくても、あの人があたしを想っていたことは知ってたわ。なのにあたしは止められなかった。止めるべきだったのに⋯⋯!」


 止める? 何から何を?

 首を傾げたアリソンの前で、ラズは震える手で自分の耳にピアスをはめ込む。ギチリと嫌な音をして、彼女の瞳のような美しい蒼が肌を食い破る。

 彼女が無理矢理ピアスを穴の開いていない耳に突き刺したのだと、遅れて理解する。

 ぽたぽたと右耳から涙のような赤い雫を垂らしながら、ラズは気丈に微笑んだ。


「ありがとう、アリソン。あの人の最期の頼みを聞いてくれて」


 光を受けて悲しげに反射するピアス。溢れる雫は、泣かないラズの思いを代弁しているようにも見える。

 その白い頰に伝う見えない涙を拭うように手を伸ばすと、彼女は「何してるのよ」とおかしそうに笑う。無理をして浮かべたものだと、一目で分かる笑い方だった。


「それで、あなた他にも何か言いたいことがあるんじゃないの?」

「はい。えっと、その⋯⋯ラズさんにお願いがあるんです」

「お願い?」

「私に、剣の使い方を教えて欲しいんです」


 これも、昨夜エリザベスと相談して決めたことだった。


『レインナートを殺すには力が必要ですわ。幸い、貴女にはイグニスから受け継いだ業火の異能(アビリティ)がある。これについてはわたくしが直々に力の扱い方を教えてあげますけれど、でも、これだけでは不充分ですわね。わたくし、手元にいい武器がありますから後でお譲りしますわ』


 でも自分は武器を持ったことがない、と告げると、彼女はクスクス笑って言った。


『なら、これから覚えれば良いんですのよ。ラズは剣が得意ですから、聞いて見れば良いですわ。復讐のためだといえば、快く教えてくれると思いますわよ? わたくしも準備が必要ですし、武器の調達が終わるまでしっかり特訓してらっしゃいな』


 エリザベスに言われたことを思い出しながら、アリソンは「お願いします」とラズに向けてぐっと頭を下げる。


「⋯⋯急にどうしたのよ? 剣なんて習ってどうするつもり?」

「私、復讐したいんです。私の家族と、イグニスさんの命を奪った勇者を⋯⋯殺したいんです」


 殺す、という単語を口にした時だけ、どうしても言葉が震えてしまった。

 誰かを害したいと思うのは生まれて初めてで、これから自分がやろうとしていることが、アリソンは自分でも恐ろしくて仕方がない。

 それでも、やるしかない。

 そうすればエリザベスが家族を生き返らせてくれる。またもう一度、みんなで笑い合えるのだ。

 そのためなら、どんなに罪を重ねたって構わない。


「復讐、ね。正直あたしは、あなたはそんなことをするより、家族の後を追って死にに行くようなタイプだと思ってたわ」


 警戒するような、あるいは疑うようなラズの言葉に、アリソンは反論できない。

 実際、エリザベスに死者復活の話を聞くまではそうしたい気持ちでいっぱいだったし、それを見透かしたからこそ、ラズも「そんなことをしないで」とあの時懇願したのだろう。

 もっと言えば、もし家族が生き返らないのであれば、アリソンは復讐を選ばなかったはずだ。

 どれだけレインナートが憎くても、彼を殺したところで家族は二度と帰らないことを思うと、全てが無意味に思えてくる。だから、アリソンが復讐を決めた動機を語るには、死者復活は決して欠けてはならない重要なピースだった。


 だが、死者が蘇ることをラズに言うわけには行かない。そんなことをしたら、エリザベスは泡になって消えてしまうのだ。

 

 ──どうしよう。どうすればラズさんに本当のことを言わないまま、説得できるんだろう?


 こんな大きな嘘をつくのは初めてで、上手い嘘のつき方など全く思いつけない。

 冷や汗が背中を伝う。目が合わせられない。

 お願い、これ以上疑わないで──その祈りが届いたのか、ラズは「まあいいわ」とふいに警戒を解いた。

 ほっとしたアリソンは気づかない。気が緩んだ瞬間を、ラズが見逃さずにその目でしっかり捉えていたことに。


「で、どんな復讐を考えてるの?」

「ど⋯⋯どんな、って⋯⋯」

「あたしも、あいつらのことは殺してやりたいわよ。でもね、復讐ってそれだけじゃないでしょ?」

「えっと⋯⋯どういうことですか?」

「分からない? 復讐って別に相手のことを命を奪うだけじゃないでしょ。社会的に殺すとか、そういうのもあるじゃない。殺すにしたって、さっさとその首を落としたいのか、それともこの世のありとあらゆる苦しみを味あわせてから殺したいのか、とか。他にも⋯⋯そうね、飼い殺しにして一生そばで苦しむところが見たいって人もいると思う。復讐ってね、復讐してやりたいって思った気持ちの数だけやり方があるのよ」


 はあ、と曖昧に頷いたアリソンに、ラズは嘆息する。


「別に責めてるわけじゃないのよ。あたしだって復讐したいと思ってるのに、あなたのことを責められるわけがない。ただ、分からないから知りたいの。あなたが考える復讐ってなに? あいつをどんな目に遭わせたいと思ってるの? ただ殺せば満足なの? そうじゃないなら、何がしたいの?」

「⋯⋯それは⋯⋯」


 ラズが真剣に問えば問うほど、アリソンは困惑する。

 正直なところ、そこまで深く考えていたわけではなかった。ただ、勇者を殺せば家族を生き返らせられると聞いて、その誘惑に負けてしまっただけなのだから当然だ。

 けれどそれを言うわけにはいかない。あくまでも、アリソンの主目的が復讐であるとラズに思ってもらわなくてはならないのだ。

 考えなしに復讐したいと口に出したのか、と暗に問うラズに言葉を見つけられないまま、時間だけが過ぎていく。


「⋯⋯まあ、今すぐじゃなくてもいいわ。でも、考えておいてね。あなたなりの、あなたが望む復讐の形を。それが。あたしがアンタに剣を教える条件よ」

「え、じゃあ⋯⋯」

「せっかくイグニスが助けたのに、無策で勇者に挑んで死なれても寝覚めが悪いもの。ちゃんと責任を持って、あたしに教えられることは全部叩き込んであげるから、覚悟しておきなさい」

「あ、ありがとうございます⋯⋯!」


 素直に喜ぶアリソンに、ラズはなんとも言えない複雑そうな顔をする。

 そのことに最後まで気づかないまま、アリソンはただ、家族を取り戻す未来に一歩近づけた幸せを噛み締めた。


「ところで、あなたその口ぶりだと武器を持ったこともないのよね?」

「は、はい⋯⋯ないです」


 まさかピッチフォークは武器ではないだろう、と真っ先に思い浮かんだ農具を頭の隅に追いやる。

 気まずげなアリソンに、ラズは「そうよね」と頷くと、身を屈め、ベッドの下に手を指し込むと、何かを引っ張り出す。


「これ、持ってみて」

「え⋯⋯」


 身を起こしたラズの手には、一振りの剣が握られていた。

 およそアリソンの半分はあるであろうその剣は、非常にシンプルな造りの、いわゆるロングソードであった。何の装飾も施されていない刀身は七色のランタンの光を受けて鈍い煌めきを放ち、その輝きに誘われるようにアリソンは恐る恐る手を伸ばす。


 剣を握ると、右手にずしりとした重みが落ちるが、左手を添えるほどのものではない。

 表と裏をそれぞれ見ていると、刀身に映った自分の顔の青白さに驚く。まるで幽鬼のようだ。


「どう? 初めて剣を持った感想は。これを使って人を殺す覚悟はある?」


 感想――脳裏をよぎるのは、肉を裂かれる痛み。父と母の事切れた身体。腕に抱えた弟の軽さ。

 これがあの日、家族を殺した武器なのだ。

 あの人と同じ武器で私は、同じように誰かを殺そうとしている。そう思うと右手に伝わる重みが、ふいに増したように感じてしまう。


 けれど、私はあの人と同じではない。アリソンはそう思い直して、剣を握る手に力を込める。


「⋯⋯できます。殺してみせます。あの日を無かったことにしないために⋯⋯イグニスさんの死を無駄にしないためにも、必ずあの人を殺してみせます。だから、私はあの人とは⋯⋯レインナートとは同じじゃない。そう、ですよね?」


 最初は力強く、けれど最後は自信無さげに響いたアリソンの言葉に、ラズは一瞬目を丸くしたあと、元の憮然とした顔に戻って頷いた。


「当たり前でしょ! あんな男とアンタが同類だなんて、想像するだけで吐き気がするわよ」


 その言葉を信じて、アリソンはホッと胸を撫で下ろす。

「よろしくお願いします」と頭を下げると、「大げさね」とラズは苦笑した。


「それじゃ、朝食を持ってくるわね。まずはしっかり食べて、体力をつけること。いい? それが最初のステップよ」

「はい、ありがとうございます」


 剣を仕舞い、ラズは部屋を出ていく。

 カツカツと響く彼女の足音が完全に聞こえなくなるのを待ってから、アリソンは「はー」と大きく息を吐いた。


「よ、よかった〜。バレなかったぁ⋯⋯」


 ぱたんとベッドの上に転がり、アリソンはなんとかエリザベスとの約束を守り通せたことに、安堵の息をつく。

 それにしても、嘘をつくことがこんなにも辛いことだとは。何も隠さず、思った通りに口に出せていた村の暮らしが、恋しくて仕方がない。

 ごめんなさい、と彼女への懺悔を呟き、同時に両手で顔を覆う。

 指の間から覗く瞳には、悲しみや嘆き、人を騙している罪悪感が渦巻いているが、それとは別に、確かな意思も浮かぶ。


 目を閉じれば、今でも浮かんでくる。平和だった、平穏そのものだった村での生活。父の、母の、ルノーの笑顔が、そして、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 これから先も続いていくはずだった、あの愛しい日常。

 それを思えば、誰かを騙す罪悪感や痛みを背負うことぐらい、なんてことない。

 もうアリソンの心は決まっていた。そもそも、失った大切な者たちを取り戻せるのに、憎い仇を殺すことに躊躇いなどあること自体がおかしかった。そんなものは最初から必要なかったのだ。

 両手を顔から離し、前を見据えて、アリソンは心に決める。

 もう悲しみに溺れることはやめよう。秘密を抱えることに覚えるのも、「殺す」という言葉に躊躇するのも、もうやめだ。


 無力な手に剣を。淀んだ目には戻らない日々への渇望を。

 そして、生き残ってしまった身体には、己を焼き殺すはずだった業火を纏い。

 死に損なった村娘は、今日も生きる。かの勇者、レインナート・ローウェンを殺すためだけに。


 

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

ようやくあらすじに追いつけたので、次の更新まで1週間お休みを頂きます。

次回以降は毎日更新はできないかもしれませんが、執筆速度と相談しつつ、定期的に更新を行いたいと思っています。詳細は次回更新日に併せてお知らせします。


今後とも、アリソンの物語にお付き合い頂けたら嬉しいです。


次回更新日:11/8予定

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