044 決着と末路
王宮の中庭に円を描くように広がった炎の中心で、2人の少女は火花を散らす。
ジョアンが放つ一撃一撃は決して防げないほど重くはないものの、その速度はかなりのもので、ラズに剣の師事を受けていた日々を思い出させる。ひとつ違うのは、あれはあくまでも訓練だったのに対して今行われているのが実戦であり、こちらを襲いくる攻撃の全てが殺意を伴っていることだ。
双剣で左右同時に切り掛かってきたジョアンの攻撃を体を低くして避けたアリソンは、対峙する彼女の右足を切り付けながら背後へと回る。アリソンが背にしていた木を斬りつけてしまったジョアンは、抉れた木の板を払い、アリソンへ向き直った。
「に、げて⋯⋯アリソン⋯⋯っ」
幼馴染の喉から絞り出された悲痛に塗れた声に、アリソンは胸が痛くなる。
勇者レインナートの魅了によって操られ、その意思を曲げられているジョアンは、時折、その支配に抗うようにカクカクと動きを鈍くしながらも突進してくる。捨て身のような攻撃は、当然アリソンからの反撃にあうが、彼女は一向に気にする様子がない。それがレインナートの支配によるものなのか、あるいは彼女自身の意思によるものなのか。
「そんな声で言われたって、逃げられるわけないでしょう⋯⋯!」
言い返しながら、アリソンは攻撃を防ぎ切ると、攻撃に専念するあまりガラ空きになったジョアンの胴を蹴り付ける。地面に転がった彼女は、けれどすぐに双剣を握り直して走り出す。先ほど彼女が斬りつけたことで抉れた木の板を盾代わりにし、アリソンは斬撃を受け流して再び対話を試みようと幼馴染の名を叫んだ。
◇◆◇
一方、炎の円に区切られた外側では、ハンフリーの大盾で防壁魔術を展開していたミゲルが、レインナートからの猛攻に耐えていた。
ミシミシと軋み出す防壁に、ミゲルの額に汗が滲むが、一歩も引くものかという意地が彼をその場に縛り付けている。
「やれやれ、よく立っていられるね。でも、そろそろ諦めてもいい頃だとは思わないかい? 例え何らかの奇跡が起きて君が俺に勝ったところで、どうしようもない。本当は君も分かっているはずさ、勇者を倒したその先に人類の未来は無いんだと。ハンフリー、君だって世界を失いたくは無いだろう?」
「お断りします」
「⋯⋯正気かい? 君は厭世家なのかな、それとも破滅願望が?」
「勇者様には分からないかもしれないけど、好きな女の子ひとり守れないのは世界を失うのと等しいよ。⋯⋯僕は世界を失いたくないんじゃない、ジョアンがいる世界を失いたくないんだ」
愛するものが生きる世界を失いたく無いのだ、とミゲルがにべもなく本音をぶつけると、軽口を叩いていたレインナートは目を見張り、そしてため息をついた。
「君もジョアンも、揃いも揃って俺の逆鱗に触れたがるね。本当に、本当に──うっとおしいな」
痛いところを突かれたとでもいうように苦々しく吐き捨てると、レインナートは攻撃の手を止める。
しかし、それまで苛烈にミゲルを責め立てていたレインナートの剣が止まったからと言って、それが休戦の合図では無いことは誰の目にも明らかだった。相対する者全てを飲み込み砕こうとする威圧感は、ジョアンから放たれていたそれを遥かに凌駕するほどに重く、鋭く、そして何百倍も洗練されている。
「防御しか能のない騎士か。これからの魔人討伐にはあまり役に立ちそうにないね」
役に立たないのだからこの場で殺してしまっても良いのだと、勇者は言外に言っていた。
向けられた純然たる殺意に、ミゲルの喉がごくりと鳴る。
「っ、ミゲル!」
「おっと、させないよ──ジョアン! 俺の忠実な恋人として、君の幼馴染を食い止めろ!」
ミゲルの危機に気づいたアリソンが向かってこようとするのを、レインナートの命令を受けたジョアンが遮る。殺す気で向かってくるジョアンに対し、彼女を殺せないアリソンは少し分が悪い。剣と剣がぶつかる合間にアリソンが放つ説得の言葉によってジョアンの瞳は揺れるものの、魅了をかけた張本人が近くにいるせいか、瞳はすぐにまた濁ってしまう。
そうこうしている間に、ミゲルは防壁を押し切られて地面に倒される。レインナートの振るう聖剣の衝撃波に吹き飛ばされてなお大盾を手放さずにいられたものの、防壁魔術を再度展開するには時間が足りなかった。
「さて、邪魔者にはご退場願おうか。さようなら、ミゲル・ハンフリー。恨むなら、君の愛するジョアンとやらがラフィに似ていたことを恨んでくれ」
レインナートの手に光が集まり、閃光が放たれる。地面を抉り、一直線にミゲルに向かったそれは、けれど乱入者の気配と共にぱちんと弾けてしまう。
「あら、手が滑ったわ」
澄んだ声と共に現れたラズは、そう言ってレインナートが放った魔術を無効化すると、ミゲルの横に降り立った。無効化された魔術は、ただの魔力の塵となってその場に霧散し、空気の中へ溶けていく。
それを見たレインナートは面倒くさそうに舌打ちをし、炎で分たれた反対側にいるアリソンは目を輝かせる。
「ラズ! だいじょ──」
「こっちは食い止めておくから、そっちはそっちでなんとかしなさい!」
「えっ、あっ、はい⋯⋯!」
大丈夫ですか、と聞こうとしたのを捲し立てるように遮られ、アリソンは慌ててジョアンに向き直る。
そんなアリソンの様子を横目に見ていたレインナートは、「へえ?」と意味ありげにラズに笑いかけた。
「可哀想に。お仲間の助けになってやらないのかい? 君の得意技でジョアンの魅了を解いてあげればいいのに」
「そんな無意味なことをするよりも、アンタの首を刎ねる方が早いわ」
「ははっ! ああ、なるほど──君は身の程を弁えてるわけだね?」
レインナートの言っていることは偏った言い方ではあるものの事実であり、それを分かっているが故にラズは挑発には乗らずただ黙って男を睨みつける。
ラズが魔術を無効化できるのは、魔術が世界に干渉するために刻まれた式を解読し、分解することで世界への干渉を「無かったこと」にして消しているためだ。しかし、魅了にはそれができない。魅了の性質は、どちらかといえば魔人の異能に近いものである。すなわち、式を刻むことなく世界に干渉を及ぼせるのだ。
アリソンが王妃に渡した首飾りが魅了に対して効果を発揮できたのは、首飾りが「精神への干渉を阻害する」魔術具であるからだ。その本質は分解や無効化ではなく、いわば「精神に干渉してくるなんらかの力」に対して「防壁を生じさせる」ものであり、そのため、ラズが無効化できない魅了に対して効果を発揮できたのである。
だから、ジョアンとの戦いにおいてはラズが参戦したところで変わりはない。
ジョアンにかけられた魅了という名の呪いを解きたいならば、彼女の心を揺さぶれる人間がしつこく言葉を投げかけ、彼女自身の意志が呪いを打ち破るのを期待するほかないのだ。
「でも、だったらせめて君が腰にさしてるその火だるまみたいな剣を渡してあげるべきだったんじゃないかい? そうすれば、あの愚鈍な村娘でも親友の首をもっと簡単に落とせるだろうに。大事な仲間なんだろう、助けになってあげたくはないのかい?」
「おあいにくさま。あたしはアンタと違って、あの子が望んでもいないことをさせることを"手助け"なんて呼ぶほど腐ってないの」
レインナートの言葉を一笑に付し、ラズはミゲルを立たせる。
「アンタ、まだやれるわよね?」
「⋯⋯ああ。勇者様をジョアンに近づかせるわけにはいかない」
「その意気よ」
それぞれ短剣と大盾を構えた2人に、レインナートはやれやれと言いたげに肩を竦めてみせる。そして、強者の余裕と笑みでもって、無謀な挑戦者たちを迎えた。
◇◆◇
幼馴染とのせめぎ合いの最中、ラズとミゲルの様子を見て少しホッとしたアリソンに、二対の剣が襲いかかる。
問答無用の斬撃の嵐。けれど、防げぬ程ではない。躱し、受け流して、言葉を投げかける。簡単なことだ、苦ではない。懐かしく、美しいだけの思い出は何度口にしてもし足りないぐらいだから。
──そう、自分はずっと、誰かと思い出話がしたかったのだ。
ラズは優しいから、そして他人は無関心だから、アリソンには家族の思い出話をする機会があまりない。
だけど、話さない思い出は少しずつ消えていってしまう。今はもう僅かばかりの人間しか知らない出来事、あるいはアリソンしか知らない事は、やがて最初から無かったことのように忘れ去られる。そうして誰の記憶からも消えてしまった者たちは二度目の死を迎えるのだ。
そうさせないためには、話すしかなかった。話して、記憶の蓋をこじ開け刻みつけて貰わなければ、記憶の中でさえ死者は生きられない。
「ジョアン、私を見て!」
ぶつかり合った剣の先、ぐっと顔を近づければジョアンは微かに怯む。首筋に当たる彼女の剣の冷たさを感じながら、アリソンは濁ったその瞳を見つめる。
「あの村で、色んなことがあったよね。楽しいことも、悲しいことも、沢山あった。ジョアンだけが知ってることも、私だけが知ってることも、もしかしたら私たちがお互いにそう思ってるだけで、本当は2人ともが知ってることもあると思う」
「っ、アリソ⋯⋯っ、」
「それをもっと、私はジョアンと話したいよ。私ばっかり話すんじゃなくて、ジョアンの知ってることも聞きたい! だから、私はジョアンから逃げない!」
逃げて、と幼馴染は繰り返し言うが、そんなつもりは毛頭ないのだと言葉で、そして態度で示して、アリソンは渾身の力を込めてジョアンの剣を押し返す。
「だからジョアンも、自分から逃げようとしないで! 操られている自分に打ち勝って! ジョアンはジョアンのものだよ、あんな奴の忠実な恋人なんかじゃない。言ってみてよ、自分の名前を!」
「ぁ⋯⋯っ、アタシ、アタシは⋯⋯!」
剣を握る手を震わせながら、ジョアンの口が開いて閉じる。
音もなく紡がれたものを、アリソンは知っている。それは、名字を持たないただの村人である自分たちが、名乗りをあげる時に使っていたもの。
──アタシは、ドルフ村のジョアン。
自分を取り戻そうと足掻くジョアンの瞳に、再び光が戻った瞬間だった。
◇◆◇
苦しみもがきながらも、己のアイデンティティを取り戻しかけているジョアンの様子に、レインナートがため息をつく。
「全く、最近の子は浮気性なのかなぁ? あの娘、あんなに俺のことを慕っていたのに魅了の効き目が悪いんだよね」
対峙するラズとミゲル──特にミゲルは疲労の色を見せているが、二人の意思は同じだった。
──レインナートをジョアンに近づかないこと。
でなければ、彼が再び彼女に魅了を重ね掛けすることを阻止できないからだ。
「行かせないわよ!」
「だから、俺に毒は効かないよ。そのちゃちな剣を使ったらどうだい?」
ラズが放った毒塗りの短剣をわざと受け、無造作に引き抜いたレインナートは詠唱することなく風の魔術を放った。
風で遠ざけるつもりかと身構えたラズだったが、レインナートの意図は逆だとすぐに気づくことになる。踏ん張ったはずの足が掬われ、前へ前へと、レインナートへ近づいていくのだ。魔術はラズを遠ざけるものではなく、反対に、引き寄せて殺すためのものだった。無効化を試みるも足を引きずられ、風の中心で剣を携えたレインナートの元へ連れて行かれそうになったラズを、ミゲルの防壁魔術がその場に踏み止まらせる。
それを眺めていたレインナートは、「運がいいね」と微笑む。何の感慨もない、ただ目の前の風景を称するような声だった。
「ああ、それにしてもあの村娘は酷いな、俺がジョアンに魅了をかけて無理矢理に言うことを聞かせてると思っているだなんて。かつて俺と愛し愛されあった人間として、君からもなんとか言ってやってくれないかい?」
「──⋯⋯アンタを愛したことなんかないわよ。魅了で植え付けられた愛なんて、ただの洗脳に過ぎないわ。洗脳なしでアンタを愛してくれるような趣味の悪い女が、そう何人もいたら大事でしょ」
レインナートの言葉に、ミゲルがラズを見やるが、それに構うことなくラズは淡々と返す。
名前と共に葬り去った過去を引き摺り出したレインナートを睨みつけた彼女に、彼は殊更におかしそうに笑う。
「果たしてそうかな? 君は、君が言うところの"趣味の悪い女"のひとりだと言っても?」
「──は、」
思いがけない言葉に、ラズは息を止める。瑠璃よりも煌めく蒼に柔らかく細められた緑の瞳が映り込み、そして彼女は理解する。
嘘を言っている目ではない。
ならば、この男の言っていることは。それは、つまり。
「ラズっ!!」
驚愕と、理解と、そして絶望に、ラズの反応が遅れる。ミゲルの防壁魔術が破られ、限界を迎えた大盾が真っ二つに割れる。それを見て彼女を救うべく駆け出したアリソンをジョアンが影のように追う。軋む心を無視して振り上げられた刃が、アリソンのがら空きの背中を狙って振り下ろされる。
アリソン、とその名を呼んだのは誰だったのか。
やめて、と悲鳴をあげたのはどちらの少女だったのか。
その身を襲う衝撃。揺れる身体と視界。現実は脳が理解するよりも早くめまぐるしく進んでいく。吸い込んだ息を吐き出すよりも早く剣は役割を果たし、誰かの身体がアリソンを押し退けた形のまま少しだけ宙に浮く。
「パ、パ⋯⋯?」
ジョアンの瞳が大きく見開かれ、剣を握った手がだらりと垂れ下がる。
呆然と立ち尽くす彼女と同じぐらい、ただただ目の前の風景を──倒れていくトマスの姿を見ていたアリソンは、反射的に手を伸ばし、彼が地面に倒れ落ちる前にその体を受け止めていた。
どうしたらいいか分からない。この手を離すべきなのか? だけどもう受け止めてしまったのに今更どうすれば。そもそも、どうしてこの人がアリソンを庇うのか。レインナートの洗脳か、だけどレインナートの魅了は異性にしか効かないはずだし、そもそもこんな事をする理由がない。
困惑しきった顔のアリソンを見上げ、トマスは口を開く。
「アリソン⋯⋯私はずっと、お前の父親のことが⋯⋯ゴードンのことが、疎ましくて、憎らしくて⋯⋯いなくなって欲しいと思っていた⋯⋯」
絞り出すような、痛みを堪えるような声に、アリソンは息を呑む。
トマスは、アリソンたちが殺されるように仕向けた張本人で、村人の信頼を裏切り、売上を横領していた汚い大人で。
だけどトマスは幼馴染ジョアンの父で、そして、アリソンの父とも腐れ縁の友人だった。そんな日々も確かにあった彼の告白に、アリソンは震える唇を開く。
「本当はずっと嫌っていたの? だから、私達を、お父さんとお母さんを殺そうとしたんですか⋯⋯?」
口から溢れた問いかけは子供の泣き声のように震えていて、アリソン自身そのことに驚きを隠せない。
この男に対する信頼など、とうに無くなっているはずだった。それなのにどうして、たったいま裏切られたかのようにこうも悲しみが押し寄せるのだろう。
口数の少ない父がトマスを自慢の友人だと言っていたことを思い出し、アリソンはやるせなさに唇を噛み締める。
「王都での商売に失敗して、嫌っていた故郷に帰るような⋯⋯そんな負け犬でも、私は村の誰よりも成功しているはずだった⋯⋯行商人と交渉できるのは私だけだったのだから。高度な計算も、文字の読み書きも、村の人間にないものを私は持っていた。それなのに⋯⋯ゴードンは、お前たちは、私にあるものを持たないのに幸せそうに笑っていて⋯⋯見下していたはずのお前たちが、私にないものを持っているのが私は⋯⋯疎ましくて、目障りで、羨ましかった。ああ、羨ましかったんだ⋯⋯!」
言い切った直後に、血を吐き出した男を見下ろしながら、アリソンは「そんな⋯⋯」と呟く。
「羨ましかったから⋯⋯? だから、レインナートがみんなを殺すように仕向けたんですか? そんな、そんなことで⋯⋯?」
「⋯⋯そうだ。私は、自分が羨ましく思っていることさえも⋯⋯ずっと気づかないふりをしていたのだ。私は大馬鹿者だ。お前たちの誰よりも醜く、愚かで⋯⋯許されないことをした⋯⋯」
自分を愚かだと称しながらも、トマスは何故か笑う。
まるで、アリソンの作った織物が初めて売れた日に見せてくれたような暖かな表情に、アリソンはどんな顔をしていいか分からなくなる。
この男が許せない。その気持ちが揺らぐことはないのに、過去の思い出が、美しい日々が、引いては返す波のように戻ってきてしまう。いっそ忘れてしまいたいのに、優しい記憶なんていっそ最初から無ければ良かったのに、どうして憎しみだけを握らせてはくれないのか。
「許してくれなんて言わない⋯⋯当たり前のことだ。私は許されないことをしたし⋯⋯許して欲しくてお前を庇ったのでも、こんな話をしているのでもない。だが、ジョアンは⋯⋯! あの子は何も知らなくて⋯⋯お前を傷つけることをきっと望んではいなくて⋯⋯だからアリソン、どうかあの子だけは⋯⋯どうか、あの子を⋯⋯っ、⋯⋯」
「⋯⋯トマスさん? トマスさん!!」
言うだけ言って、男は事切れたようだ。
一気に重みを増した身体に落ちていく雫が何のためのものなのか、アリソンには分からない。
ただ、狡いと思った。
言いたいことだけ言って、勝手に庇って、恨み言のひとつも聞かないまま死ぬなんて。
そして──娘をひとり、こんな暗闇の底に残していくなんて。
「あ⋯⋯あぁ、あぁああ! いやぁああああああああ──ッ!!!」
剣を放り出したジョアンが、頭を掻きむしって叫んでいる。
自らの肉親を手にかけてしまった少女の絶叫に、誰も、何の言葉も口にできなかった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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