043 追憶をあなたに
「それはもう、最高のショーさ。親友同士の村娘ふたりの殺戮ショーだ!」
「なっ⋯⋯!」
祭りの開始を祝うかのように高らかに告げたレインナートに、ラズが思わず動揺を示す。
しまった、と思う暇もなく、その一瞬の隙をついてレインナートが懐から何かを取り出し、次の瞬間部屋の中は煙に包まれる。煙幕だ。
「っけほっ、けほっ⋯⋯待ちなさ──」
「ま、待て! 娘にかけた魅了を解いてくれぇ!」
「きゃっ! ちょっと、どこ見て⋯⋯!」
煙を吸わないように口元を抑えながらレインナートを追おうとすると、近くにいたトマスに思いっきりぶつかられてバランスを崩してしまう。男は煙に包まれた視界を物ともせず、部屋を出ていこうとしていた。
アリソンの代わりに自分が殺すと決めた相手ではあるものの、今は他にやるべきことがある。体勢を立て直したラズは、レインナートの後を追って、煙が充満した部屋から城の廊下へと駆け出していくのだった。
◇◆◇
同じ頃、城の中庭にて、アリソンは双剣を携えたジョアンと向き合っていた。
「──ジョアンっ、やめて⋯⋯!」
振り翳された二対の剣を咄嗟に飛び退きながらアリソンは叫ぶが、虚な目をしたジョアンに届いた様子はない。
再び双剣を手に向かってきた彼女の攻撃を交わしながら、アリソンはやむを得ず、服の下に隠していた短剣を引き抜く。服の下に暗器を仕込んでおくべきだというラズにもらってから、ずっと肌身離さずつけていたものだ。
金属と金属がぶつかり合う音、擦れる音が中庭に響き渡る。
「っ、聞こえてないの⋯⋯!?」
虚な瞳が桃色に侵食されているのを見て、アリソンは顔を険しくする。
ジョアンが勇者に魅了をかけられているのは確実だと思っていいだろう。
だが、おかしい。今まで勇者の魔の手にかかった少女を見たことがあるが、ここまで意思疎通ができない状態ではなかった。
頭の片隅で疑問に思いながらも、現実は考えるための時間をくれない。
切り揃えられた薔薇の茂みの反対側へ回り込むと、アリソンを追ってきたジョアンが容赦無く茂みを斬り裂き、薔薇の花びらがひらひらと血のように舞い落ちる。
遅い来る刃を防ぎ、アリソンは二対のうち片方を弾き飛ばす。空を舞う剣に気を取られ、大きく隙を見せたジョアンを、今なら戦闘不能に追い込める。感情が理性が追いつくよりも早く、本能に突き動かされてアリソンはジョアンをその場に叩き伏せ、喉元に剣を突きつける。
ジョアンはまだ反応ができていない。このまま突き刺せば全てが終わる。
だけど、そんなことは、
「⋯⋯ッ、できないよ⋯⋯!」
カラン、と馬鹿みたいに大きな音を立ててアリソンの手から剣が落ちていく。時間の流れを変えたかのように緩やかに落ちていくそれを、ジョアンが濁った瞳を大きく見開いて見つめる。
いやだ、と呟いたのはどちらの唇だったのか。
アリソンを蹴り飛ばしたジョアンが無防備な首めがけて斬りかかった瞬間。
「それ以上はいけない、ジョアン」
物静かな青年の声が響き、アリソンの身体は緑色の光に包まれる。
──防壁魔術。
魔術の使えないアリソンにはできない芸当に、誰よりもアリソン自身が驚いていると、廊下の方からやってきたらしい声の主の姿が目に入る。大盾を担いだ糸目の青年の姿に、攻撃を弾かれて動きが鈍ったジョアンがピクリと反応を示す。
「やっぱり、君がアリソンだったんだね」
「⋯⋯ミゲルさん」
ドワイトを倒すときに協力した騎士、ミゲルの登場にアリソンの背中に緊張が走る。
アリソンのことを偽名ではなく本名で呼んだ彼は、相変わらず表情の読めない糸目でじっとこちらを見つめると、ふいと顔を逸らしてジョアンの方を向く。
「時間がないから手短に言う。僕はジョアンから君の話をよく聞かされていて、君が彼女の親友だと知ってる。そして、僕はジョアンに、ジョアンの意思に反することをさせたくない。だから、君に加勢するよ」
「あ、ありがとう。⋯⋯ミゲルさんもジョアンと仲が良かったんですね」
「うん。世間は狭いね」
淡々と述べたミゲルは、そう言って少し微笑むと大盾を構える。
以前のドワイトとの戦いでついたひび割れは残っているが、大盾に込められた魔術は健在なようで、淡い緑色に光る防壁が大盾を中心としてアリソン達を守るように展開される。
「君の言葉なら届くだろう。攻撃のことは気にしなくていい、声をかけてあげて」
「⋯⋯そう思いますか?」
「? 君たちは親友なのだろう?」
何を当たり前のことを、と言いたげな顔をしてこともなげに答えたミゲルに、アリソンは言葉に詰まる。
もちろん、アリソンは今でもジョアンのことは大切な幼馴染で友達だと思っているが、村で暮らしていた頃ならともかく、今でもジョアンがアリソンのことを「親友」と呼んでくれていたとは思わなかった。
ミゲルの言葉に勇気をもらったアリソンは、ジョアンに向かって一歩踏みだす。対するジョアンが僅かに怯んだように見たのは気のせいか、それとも。
「ねえ、ジョアン。昔、いなくなった牛を探すのを口実に林の中を探検したこと、覚えてる?」
アリソンが語り出した思い出話に、弾かれて飛んだ剣を拾うジョアンの手が一瞬、止まった。
「それから、怖い魔物から逃げてるんだって体でかくれんぼをしたよね。魔物なんて見たこともないから、大きな動物を想像して、どっちが一番怖い魔物をイメージできるか勝負したりして。そんな魔物いないよってトマスさんに言われて、ジョアンがトマスさんと喧嘩したこともあったっけ」
濁った瞳のジョアンが拾い上げた剣を手に、ふらふらと不安定に揺れながら斬りかかってくる。
「おままごとに本当の食器を使って怒られたこともあるよね。ああでも、行っちゃいけないって言われてる裏山をこっそり二人で探検してるのがバレた時の方が怖かったなぁ。でも、おばあちゃんが庇ってくれなかったら、きっともっと大変だったよね」
放たれた斬撃が防壁魔術によって阻まれる。
合間に、ジョアンの唇が何度も何度も開いては閉じられていく。
「ルノーが生まれてからは、三人でよくひなたぼっこをしたよね。ジョアンが楽しそうに英雄の話をしてくれたっけ。教会の神父さんの話が退屈な時は、三人で手の動きだけで内緒話もしたよね。声を出さずに話ができたおかげで大人にはバレずに済んだし楽しかったけど、誰のアイディアだったんだろう? ジョアンは覚えてる?」
諦めずに何度も斬りつけてくるジョアンの瞳が揺れ、濁った桃色から、本来の柘榴色がうっすらと透けだす。
「そういえば、私が機織りしてる時にどっちが気づかせられるか、ジョアンとルノーが勝負してたこともあったんだよね? 二人はすごい変顔を作ってたのに、結局私は最後まで気づかなかったって言ってたけど、どんな顔だったのか見せてもらえば良かったな」
斬撃の速度が落ちる。
ジョアンが口を開くが、掠れた息の音だけが響く。
「あと、ごっこ遊びの時にジョアンとルノーがどっちが勇者役をするかで喧嘩してる間に、私が寝ちゃったことがあったよね。攫われた姫が寝るなんて台無しだ、って二人に怒られたっけ。でもその後、ジョアンが悪い魔物役をやったら演技が上手すぎてルノーが泣いちゃって。かと思えば、ジョアンに張り合って悪役をやりたがるようになっちゃったりしてさ。覚えてる? あの時のルノーってば、どうやったらジョアンよりも怖くできるかすごく研究してたんだよ。ジョアンが帰ってきた時にはもう忘れちゃってたみたいだけど、一時期なんて毎日毎日、食卓で披露してたこともあったんだよ」
斬撃の音が止む。
立ち尽くしたジョアンに、アリソンは手を差し伸べる。
アリソンが語った思い出の中には、ジョアンが覚えていないものもあっただろう。それでも、彼女の混濁した瞳に、微かな光が映り込むのをアリソンは確かに見た。
あと少しで彼女の心を取り戻せる。そう思ったアリソンは大胆にも、ジョアンに向かって大きく一歩踏み出す。後ろでミゲルが何か言った気がするが、今は何も聞こえない。
防壁から外に出たアリソンに、ジョアンの瞳が驚愕に見開かれる。
「ア、リソ⋯⋯アリソ、ン⋯⋯っ!」
二対の剣が、とうとうジョアンの手から落ちる。
震える唇でアリソンの名を呼んだ幼馴染を、アリソンが抱きしめようとしたその時。
「駄目じゃないか、俺以外の言葉に耳を傾けちゃあ」
その声は、どこまでも優しく、温和で、自信に満ち溢れていて──憎い。
ジョアンの背後から現れたのは、橙色の髪に、春の木漏れ日のような緑の目をした男。すなわち、勇者レインナートその人である。
その姿を目にした瞬間、アリソンは背筋がゾッとするのを感じた。
まずい。今の己には武器がない。本能的にアリソンが先刻落とした剣へと視線を向けた瞬間、レインナートは「やれやれ」とアリソン──ではなく、今にもアリソンに斬りかかりそうになる己を必死で抑えているジョアンに話しかける。
「君は浮気性だね。全く、こんなに魅了をかけているのに思い通りになってくれない女は初めてだよ」
「ぁ⋯⋯、ゆぅしゃ、さま⋯⋯?」
「うんうん。俺が分かるみたいで良かったよ。ほら、それで? 俺は君になんてお願いしたんだったかな?」
「あ、あぁ⋯⋯あぁああああっ!! いや、いやです、アリソンを殺すなんて⋯⋯!」
頭を振って「いやだ」とうわ言のように繰り返し始めたジョアンにレインナートが一歩近づくのと同時に、アリソンがジョアンを守るように立ちはだかる。
「どうしてジョアンにこんなことを!」
「どうして、って? ラフィに似ていたからだよ。それに、君が許せないからさ。君ごときいつでも殺せるからって野放しにするんじゃなかった。寛大に許せば誠意が返ってくるだなんて信じた俺が馬鹿だったよ。俺はいつも学ばないな」
「何それ⋯⋯私を殺したいからって、ジョアンを巻き込まなくたって!」
「殺したい? ははっ、そんなわけないじゃないか」
レインナートは甘ったるい笑みを浮かべて言う。
「ドワイトを、俺の仲間を殺した君を、ただ殺すだなんて生温いじゃないか。憎い仇は苦しめてやりたい。俺を逆恨みしてる君でもそれは分かるだろう?」
逆恨み?
人の家族を殺しておいてよくも──家族だけでは飽き足らず、ジョアンにまで魔の手を伸ばしておいてよくもそんなことを!
怒りに打ち震えるアリソンは袖で指先を隠したまま、ポケットに指を這わせる。
「君はどうやら仲間思いみたいだからね、友人に殺されるのが一番良いと思ったんだ。それか、友人を殺すのもいいね。君に殺されて絶望に染まる彼女が見たくないなら⋯⋯大人しく殺されてくれないかい?」
「黙って! もうあなたの好きにはさせない! 私の大切なものを、二度と奪わせはしない!」
「へえ? 勇ましいね。その威勢の良さがどれだけ続くかな?」
ポケットから、ラズに渡されたマッチ箱を手繰り出したアリソンが後ろ手に火をつけようとしたとき、「待ってください」とミゲルが口をひらく。
大盾を手に、成り行きを見守っていただろう彼は、ジョアン、そしてアリソンの前に進み出る。話に割って入った彼を、レインナートは訝しげに眉を顰めて見た。
「なんだい、君は?」
「僕はミゲル・ハンフリーです。騎士団の⋯⋯」
「ああいや、君の事は覚えているさ。闘技場でも少し話した仲じゃないか。そうじゃなくて、君は何の用なのかを聞いているんだ。まさか俺に楯突くつもりじゃないだろうな?」
「⋯⋯ジョアンを、解放してくれませんか」
「ははっ。おかしなことを言うね、彼女は自分の意思で俺の元にいるのに。そうだろう?」
レインナートが目配せすると、アリソンの背後でジョアンが震え出す。それはまるで頷こうとする体に抗うような。
ジョアンの反応に、レインナートはため息をつく。
「自分から俺の元を訪ねておいてそんな反応するなんて、傷つくなぁ。まあとにかく⋯⋯ミゲル・ハンフリーくん。これは俺と、彼女と、それから見逃してやった恩も忘れて噛みついてきたネズミの問題だ。君にはこのショーを楽しむ感性が欠如しているようだし、とっとと帰ってくれないかな。でないと、どうなるか保証できない。賢い君なら、この意味が分かるだろう?」
「お断りします」
間髪入れずに即答したミゲルに、レインナートが目を丸くする。
アリソンも、アリソンの背後で魅了に抗おうとするジョアンでさえも、ミゲルの返答速度には驚かされていた。
「へえ? こんなことに関わっても、ハンフリー家に得はないと思うけどなぁ。ああ、それとも、君ってもしかして彼女に惚れているのかい? だから帰るに帰れないのかな?」
「⋯⋯っ」
「その様子だと図星かな? だとしても、だ。彼女は俺を選んだんだよ? 彼女が夜中に助けを求めたのは君じゃなく、俺だった。ならば、男らしく負けを認めて、潔く引き下がるべきなんじゃないかい?」
「⋯⋯勇者様が本当にジョアンのことを想っているのなら、引き下がります。だけど、そうじゃない。だから、退けません。あなたが彼女を解放するまでは」
「へえ、彼女の騎士というわけか。ところで、君って他人と飲み回しできるタイプ?」
「──ッ、恥を知れ! それでも勇者か⋯⋯!」
レインナートの言葉に、一瞬の間の後、ミゲルは怒りで顔を真っ赤にして叫んだ。
「ははっ! 勇者に向かって『恥を知れ』だって? 『それでも勇者か』だって? 笑わせてくれるね、腹が捩れそうだよ! 君ごときが勇者を語るのかい? 良いだろう、そこまで言うなら前座として俺が君の相手をしてあげようじゃないか!」
「っ待って! ミゲルさん、レインナートは私が──」
「アリソン、君はジョアンを! 勇者様を僕が抑えているうちに早く!」
ミゲルの言葉にハッとして、アリソンは背後から迫る剣をすんでのところで避ける。
「に、げて⋯⋯おね、がい⋯⋯! 殺したく、な、いの⋯⋯っ!!」
涙ながらに、ままならない己の身体に抗いながら、ジョアンがそう言って双剣を手に斬りかかってくる。
それを飛びのき、躱しながら、アリソンはマッチの火を灯す。
「──炎よ! 力を貸してっ!」
手の先から広がった炎は円状に大きく広がり、アリソンとジョアン、そしてレインナートとミゲルに分った。
◇◆◇
「おいっ、火の手が上がってるぞ! 火事か!?」
「だったら早く火を止めないと!」
「わ、分かってる! でも、なんか⋯⋯身体が動きにくくないか?」
「え、あんたも?」
「あれ? っていうか、今何か通らなかった?」
王宮の使用人の区間を走り抜けたラズは、庭園へ繋がる廊下に辿り着く。
遠目にアリソンとジョアン、そしてレインナートとミゲルの姿を目視したラズは、肩をすくめる。
「思ったより大事になってるじゃない。⋯⋯で? アンタはいつまでそこで震えてるの?」
「ひぃっ!?」
ラズが一瞥したのは、柱の影で震えている小太りの中年男──トマスだった。
威勢よくレインナートの後を追ったものの、あまりの事態に縮こまっていた、というところだろうか。
「な、なんだその目は!」
「別になんでもないわよ。娘を助けるんじゃなかったのか、とか、あれだけ意気込んでおいて結局そこで震えてるのか、なんて思ってないし」
「思ってるんじゃないか! くそっ、馬鹿にするなよ、小娘が!」
「馬鹿にしてないわよ、所詮他人だし、そこまで興味ないわ」
「なんっ⋯⋯」
悪態をつくトマスを冷めた目で見て、ラズはトマスについて考える。
ラズがトマスについて知っているのは三つ。
一つ目、イグニスが魔人だと知らずに介抱していたアリソン一家を勇者に売り渡したこと。
二つ目、アリソンたちに渡すべき売り上げの大部分をちょろまかしていたこと。
三つ目、娘を救うためにレインナートに直談判していたこと。
一つ目と二つ目があるからには、どうあってもトマスに好印象を抱けないが、それでもトマスがなりふり構わずにレインナートにジョアンを解放するよう訴えているのを聞いた時には、「これでも父親なんだな」と多少関心せざるを得なかったのだが、どうやらその評価すらも改めた方が良さそうである。
娘の危機を目にしながら柱の影で縮こまっている男に、ラズは「まあ」と前置きして言葉をこぼす。
「アンタが娘を助けようとしているのを聞いた時は身内贔屓なんだと思ったけど、それが間違いだったっていうのは認めるわ。アンタ、娘より自分の身が大事なんだから」
「しっ、仕方ないだろう!? あの中に入ったら、私は確実に反逆者扱いだ! 勇者様に逆らったらどうなるのか知らないわけじゃないんだ! 守るべき地位のない小娘が私を責めるんじゃない!!」
「責めてなんかないわよ。所詮赤の他人だもの、どうだっていいわ」
どうでもいいなら何故、わざわざ声をかけたのか。ラズも自分が矛盾していることは分かっている。
トマスにさほど興味がないのは嘘じゃない。それでも思わず声をかけて、煽るようなことを言ってしまったのは、多分、アリソンから話を聞いていたからだ。彼の密告によって、アリソンが家族を失うことになったと知っているから、つい、この哀れな小心者を言葉で刺したくなったのだ。
「じゃあ、あたしは行くから。巻き込まれたくないなら、もっと遠くに避難した方がいいわよ」
「なっ⋯⋯お、お前、あの中に行くのか!? 勇者様に楯突くことになるんだぞ!? なぜ⋯⋯」
何故、と問いかけるトマスに、ラズは笑って口を開く。
「だって、アリソンがあそこにいるんだもの」
──そして、殺すべき仇も。
心の中でそう付け足すと、ラズは振り返ることなく、渦中へと駆け出していく。
到底これから行く先には釣り合わない軽やかな足取りに、トマスはその背中が見えなくなっても、目を逸らすことができなかった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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