041 ロータンゼに決別を
どんよりとした黒い雲が空を覆う今日は、誰がどう見てもお出かけ日和ではない。そのせいか、王都に来てから今までで一番人通りの少ない日だ。
いつ雨が降り出すかも分からない曇天の下を、アリソンとラズは小さな紙切れを見ながら歩いていく。
閑静な住宅地の中、見上げればどこかの家の窓から子供と大人が話している様子が見える。親子だろうか。それとも周りの住宅の絢爛さを見るに、貴族の子供と家庭教師だろうか。
「なんだか見覚えのある通りですね」
「そう? 王都の街並みなんてこんなものでしょ」
「うーん、言われてみれば⋯⋯確かに、どこも同じような家が並んでますね」
曇天につられてか、いつも以上に愛想のないラズとしばらく歩いて行くと目当ての家らしき場所につく。
流石に王宮や聖都の大聖堂に比べれば小さいが、それでも故郷の村の家の何倍もある屋敷には、よく手入れされた大きな庭があった。庭に咲き誇る赤いバラと白い百合は、トマスが娘のジョアンを思って植えたものだろう。何故なら、百合は王都の騎士団の紋章によく似ているし、赤いバラは彼女の瞳の色に少し似ているからだ。燃えるような赤。苛烈で全てを焦がす炎のような赤。
アリソンの家を焼き払ったのも、同じ赤だった。
「ベルを鳴らすわよ、準備はいい?」
「⋯⋯はい。お願いします」
アリソンの返事を聞くと、ラズはスッと玄関のベルを鳴らす。チリンチリンと来客を告げる音が鳴り、汚れひとつない扉が開かれる。
茶色い髪を高い位置でひとつにまとめ、いつも明るく輝かせていた柘榴色の目を伏せた少女が、そこにいた。
村に来たときは違って騎士団の鎧を身につけていない彼女は、かわりに騎士団の紋章を模した花の刺繍があしらわれた巾着袋さえ握っていなければ、どこにでもいる町娘のように見える。体を固くした彼女は、上目遣いでアリソンの様子を伺うように見つめていた。
「あ、アリソン⋯⋯! その、えっと、⋯⋯あのねっ、」
「失礼。挨拶は後にして中に入れてもらっても構わないかしら? この天気だもの、いつ雨が降り出すかも分からないわ。ねえ、アリソン」
「⋯⋯そうですね。ジョアン、中に入れてもらってもいい?」
「あっ⋯⋯う、うん、そうだよね! ご、ごめんね、えっと⋯⋯ど、どうぞ! 狭いところだけど⋯⋯っ!」
狭いところ、という言葉に乾いた息が零れる。
ただの謙遜の言葉だとは分かっている。分かっているが、自分の住んでいた家が丸ごと3つ入っても空きが出そうな家を前にそんなことを言われると、良い気はしない。
俯いたアリソンの心情を察してか、ラズがふっと鼻で笑って言う。
「狭いところ、ねえ? 謙遜することないわよ、とても農村生まれの商人の家には見えないわ。この辺りは中流階級の中でも限りなく貴族に近いぐらい、お金を稼いでる人たちが暮らしてる地区なのを知らないわけじゃないでしょ? その中でも見劣りしない立派な屋敷じゃないの、自信を持ったら?」
「ッ! アリソン、この人は⋯⋯」
「ラズは私の大事な人だよ」
簡潔に答えたアリソンの後ろで扉が閉まる。カチリと鍵をかけたのは、アリソンに続いて家の中に入ったラズだ。
アリソンの答えにジョアンは目を見開く。何か言いたげな彼女を、アリソンは体の横につけた己の手のひらをぐっと握りしめ、正面から見据える。
もう、逃げられない。ジョアンも、そして自分も。ここで何かが終わるのだとしても、後戻りなど最初からできない。家族とイグニス、そして生まれ育った大好きだった故郷を奪われたあの日から、戻るための道なんてとうに失われていたのだから。
その喪失感と覚悟を胸に、アリソンは息を吸い、口を開く。
「久しぶりだね、ジョアン」
言葉だけ見れば、それは旧友との再会の言葉でしかない。けれど、アリソンの口から出た声は固く、もうジョアンが村へ帰郷した時とは状況が異なるのだということを否応もなくジョアンに理解させる。
傷ついたような顔をした後に、自分には傷つく資格がないのだと思い直した彼女は、力なく項垂れたのだった。
◇◆◇
もしも事情を与り知らぬ者が通りがかり窓から覗き込んだのなら、家の誰かが危篤になったのかと尋ねたことだろう。それぐらいに、ダイニングルームでテーブルを挟んで向かい合うアリソンとジョアンは、固く暗い顔をしていた。生憎の天気のため、大きな窓からは日差しの代わりにどんよりした影が差し込み、一層場の空気が重たく感じられる。
唯一、涼しい顔をしているラズはアリソンの隣に並んで座り、口元に運んだカップをソーサーに戻す。
「ふうん、いい茶葉じゃない。王宮で使われてるものと同じね」
そう言った後、ラズは思い出したように「毒はないから安心して飲んでいいわよ」とアリソンに向けて付け足す。
自分達のために敢えていつも通りの態度でいるのだろう彼女には感謝しつつも、今はそういう気分ではないので、茶を勧める気遣いをアリソンは首を振ることでやんわりと断った。
静かな沈黙が流れる部屋の中、ふいに遠くの方で鳴る厳かな鐘の音が響く。時間を伝える教会の鐘だ。
このまま黙っていても、時間が過ぎるだけで何の意味もない。ジョアンが切り出さないのなら──切り出す勇気がないと言うのならば、こちらから行くしかなかった。手持ち無沙汰にカップをくるくると弄んでいるラズをちらりと見遣った後、アリソンは向かいに俯いたまま座るジョアンを見つめ、口を開く。
「⋯⋯ジョアンは、知ってたの?」
何を、とは言わなかった。言わなくてもこの幼馴染は分かってくれる筈だと思ったから。
その期待が外れることはなく、項垂れたジョアンがびくりと肩を揺らして、控えめに首を横に振る。
「し、んじてもらえないかもしれないけど、アタシは知らなかった⋯⋯ぱ、パパがアリソン達を陥れようとしてたなんて、今でも信じられないぐらいで⋯⋯」
「じゃあ、あの時村に帰ってきたのは偶然だったの?」
「うん⋯⋯大きな作戦が始まるから里帰りでもしとけって、団長に言われたから帰ったんだよ。それがまさかあんな⋯⋯」
「団長って、ドワイト・ダーモット?」
「あっ、ううん。ドワイト様は勇者様と魔人を倒して、各地を守る旅に出たでしょ? だから、団長は今は別の人がやってるんだ。ただみんな、ドワイト様のことを慕ってるから団長って呼んでるだけで⋯⋯」
騎士団の話になると饒舌になるのは、変わらないらしい。
光が灯りかけた瞳がアリソンを映した刹那、彼女は我に返ったのか、言葉尻がしぼんで消えていく。
「⋯⋯ごめん、こんな話してる場合じゃないよね。アタシは知らなかったよ。だけど、パパがしたことは本当に酷いことで⋯⋯謝って済む話じゃないって分かってるけど、それでも、どうしても謝りたくてアリソンをここに呼んだの。本当に、本当に⋯⋯ごめんなさい」
下げられたジョアンの頭のつむじを見ながら、アリソンは反射的に「いいよ」と口走りかけていた。それを制したのは、ラズの視線だ。
アリソンが願った通り傍にいてくれているラズのその、揺らめくことのない凪いだ水面のような蒼がこちらを見ている。
──本当に、それでいいの?
そう問いかける瞳に、アリソンは口走りかけていた言葉を頭の中で反芻して、飲み込み、砕いて、吐き出す。
「いいよ、って言えない」
顔を上げたジョアンがくしゃりと顔を歪める。きっと今、自分もこの幼馴染と同じような顔をしているんだろうなとアリソンは思った。
滲みそうになる視界の中、彼女の目を見て話すためにアリソンは瞬きを繰り返して、視界を綺麗にして言葉を続ける。
「ジョアンの気持ちは分かったし、それを信じたいって思うよ。ジョアンが関わってたわけじゃなくて良かったとも⋯⋯でもだからって、『いいよ』なんて言えない。お父さんとお母さん、ルノー、イグニスさん⋯⋯みんなが死んだことにトマスさんが関わってて、それなのに、それを娘のジョアンが代わりに謝ったからって、『もういいよ』なんて言えない。言えないよ⋯⋯っ」
トマスが、アリソンたちが魔人を庇っていると勇者レインナートに伝えたから、アリソンの両親と弟は死んだ。村は焼かれた。
それを、ジョアンの謝罪で無かったことにはできない。
「そう、だよね⋯⋯許せないよね。それが当たり前だよ、アリソン。もしアタシがアリソンだったとしたら、今はアタシの顔なんて見たくないと思うから⋯⋯それなのに、会いに来てくれただけでも嬉しい。ありがとう」
目元が赤いジョアンが、そう言ってぎこちなく笑う。
天真爛漫な幼馴染の知らない顔に、胸がぎゅっとして、だけど、どうしても彼女の父を許せはしなくて。今度はアリソンが何も言えなくなる番だった。
「⋯⋯パパは許されないことをした。でも、だからね、償わせて欲しいの。パパが嘘をついて村を陥れたことはアタシが勇者様に告発して償わせる。それで、勇者様にドルフ村の汚名を返上してもらって──」
「そんなことしなくていいよ」
話の途中で弾かれたように断りの言葉を口にすると、ジョアンは目を丸くする。
心底驚いた表情の彼女を、けれど気づかう余裕はアリソンにはもう無かった。
「な、なんで? だって⋯⋯」
「勇者に告発したって意味なんてない。だって勇者は、あんな残酷なやり方で誰かを殺せる人間なんだから。そんな人に間違った出来事を正すような公平心が残ってるわけがないよ」
「え⋯⋯? な、何言ってるの? 勇者様がそんな⋯⋯」
「ジョアンが勇者様、勇者様って、いつも追いかけていた英雄様は、私の家族をバラバラにして殺したんだよ。イグニスさんのことも、あんな⋯⋯っ」
その時のことを思い出し、口元を覆って耐えたアリソンに、ジョアンが「ちょ、ちょっと待って!」と慌てたような声を上げる。
「そのイグニスさん、って魔人だった人⋯⋯だよね? アリソンのお父さん達⋯⋯ゴードンさんとマリアさん、それにルノーが殺されたのは悲しいことだし、絶対に間違ってるけど、でも、魔人は仕方ないんじゃない? だって、アリソン達はその魔人に騙されてたんだよ?」
「違う! イグニスさんはそんなこと⋯⋯!」
「その程度なのね、あなたの謝罪って」
それまで成り行きをただ見守っていたラズが発した言葉に、アリソンとジョアンが息を呑む。
いつもと同じ、憮然とした顔つきのラズが顔を上げる。その瞳は先ほど見た静かな水面などではなく、ギラギラと燃える星のようで。
「殺されたのは悲しいこと? 魔人は仕方ない? 随分と簡単な言葉で片付けるのね。死者は二度と返事をしてくれないし、触れることもできないのに。イグニスのことだって、あなたは彼と言葉を交わしたはずでしょ? たとえ短い間だったとしても、彼を知っていたのに、どうして魔人なら仕方ないと言い切れてしまうの? しまいにはそれを他でもないアリソンに言うなんて、それがあなたの浅さだわ」
「なっ⋯⋯! なんで部外者にそんな失礼なこと言われなきゃいけないの!? アタシは⋯⋯」
「『アタシは悪くない』? そうね、悪いのはあなたの父親と勇者ね、あなたは何も知らなかったんだから。⋯⋯なら、あなたの謝罪になんの意味があるのかしら。あなた、ただ謝って楽になりたかっただけなのね」
ラズの言葉に、ジョアンがぐっと言葉に詰まった。
口を開いては閉ざす彼女に、自分よりも感情を剥き出しにしたラズのおかげで冷静さを取り戻したアリソンは努めて穏やかに語りかける。
「イグニスさんは、誰かを傷つけるようなことは何もしてないよ。それどころか、人間と和解しようとしていたの。それをレインナートに騙し討ちされて、殺されかけて私たちの村に辿り着いたんだよ」
「っそんなの、嘘かもしれないじゃん! アリソンは単純だからそうやって信じちゃったのかもしれないけど、だって、魔人なんだよ? 人を襲う怪物なんだよ!? それに、勇者様がそんな卑劣な手段をとるわけがないよっ!!」
言葉を荒げたジョアンに、ラズが立ち上がりかける。その手をアリソンは素早く掴んで制止する。突き刺さる視線に、懇願を込めて見つめ返す──この場は任せて欲しいと。
不満げではあるものの、アリソンになら任せられると思ってくれたのか腕を組み座り直した彼女から視線を外し、アリソンはジョアンに向き直る。
「私も、そう思ってたよ。よくわからないけど、魔人は恐ろしい怪物なんだろうって。でも、それは違ったんだよ」
憎むべき敵であるはずのイグニスは、アリソンを勇者の剣から守ろうとして肉塊になって死んだ。彼によって逃された魔界では、みんなが優しかった。エリザベスも、魔人の長も、訓練所の警備をしていた人も。人間を殺す恐ろしい化け物であるはずの彼らは、人間であるアリソンに優しかった。
あの晩、アリソンは同じ人間である勇者の方が魔人よりも何百倍も怖かった。故に知ったのだ。人々を守る英雄である勇者こそが、恐ろしい化け物なのだと。
アリソンの話を聞き終えたジョアンは呆然とした後、ふるふると力なく首を横に振った。
「信じられないよ⋯⋯そんなの」
目を逸らしたジョアンに、それでもアリソンは食い下がって言い募る。
「お願い、ジョアン。私のことが信じられなくたっていい、それでも考えてみて欲しい。魔人が敵だったとしても、それでも⋯⋯あんな風に弄ぶみたいにして殺すのは、虫の羽を笑いながら毟ってから殺すような、あんなやり方が正しいの? 無抵抗の人をわざと痛めつけて殺すのが、英雄のすることなの? ジョアンが憧れた騎士や英雄は、弱った敵の手足を切り落として楽しんで殺すような、そんな人たちなの⋯⋯?」
「やめて、やめてよ! 勇者様は、レインナート様はそんな人じゃ⋯⋯!」
「『そんな人じゃない』? ならどうして、私はここにいるの。ジョアンの誘いを断って村に残った私が、どうしてこんなところまで来てるの」
ジョアンの脳裏にも、きっとアリソンと同じ記憶が今、閃光のように流れているのだろうと目を見るだけで分かった。
あの日、あの夜。まだ勇者に焼かれる前の小さな村の中で、王都に一緒に行かないかと誘うジョアンの声とそれを断るアリソンの声が、夜風に揺れる草木の匂いが、互いの胸を締めつける。
きっと、こんなはずじゃ無かった。
次に会う時が再びあったとしても、それはきっと、こんな形では無かったのに。
「わからない⋯⋯わからないよ⋯⋯」
戦慄いた幼馴染に、アリソンは肩を抱こうと手を伸ばして、それを静かに音もなく下ろす。
まるで自分の腕を切り落とすような心地だった。
◇◆◇
静まり返った部屋の中に、窓の外からどこか遠くの賑やかな笑い声が聞こえてくる。壁一枚隔てただけで、ひどく遠い世界の出来事のようだ。
けれど、もう終わりにしなくてはならない。だからアリソンは沈黙を破った。
「⋯⋯私は、ジョアンのお父さんのこと──トマスさんのこと、許さないよ。絶対に」
「それは⋯⋯それは、当然だと思うよ。ちゃんと償うから、だから⋯⋯!」
「だから、次に会う時はきっと⋯⋯、⋯⋯ううん。やっぱりもう、ジョアンとは会わない。これで最後にする」
「え⋯⋯ま、待って⋯⋯アリソン、待ってよ!」
ジョアンの呼びかけには答えず、アリソンはラズの手を引くと玄関に向かって歩き出す。
「アリソン、あなた──」
「大丈夫です。ジョアンはしない」
ラズの問いかけを遮ってアリソンが放った言葉に、ラズが目を見開く。
「ジョアンは、トマスさんや他の人たちに今日のことは話さない。だから、私がドルフ村の生き残りとして追われることはない。⋯⋯ラズは、これが心配だったんですよね?」
「⋯⋯ええ、そうよ。でも本当に? 信じるの?」
「信じます。今日話して分かったから。ジョアンは私の知ってるジョアンだった、って」
ずっと一緒に笑い合っていけると思った幼馴染はあの頃と同じで、だけどもう一緒に笑い合えることはない。元々、王都へ行ったジョアンと村に残ったアリソンで道は違えていたが、それがより徹底的になってしまっただけのことだ。それでも、ジョアンが少なからず二人の友情に未練を感じてくれているようであることが、アリソンは少し嬉しかった。
自分だって、ジョアンとは友達のままでありたかった。叶うのならば、たとえ二度と会わなくても、それでも友達だと胸を張って言えるような世界であってほしかったのだから。
「待ってってば、アリソン⋯⋯!」
ダイニングルームを横切り、廊下に差し掛かったところで追いついたジョアンがアリソンの手を掴んだ。
これで最後だ、と自分に言い聞かせながら、アリソンは彼女を振り返った。目が合うとホッとしたように息を吐いた彼女の手に自分の手を重ね、そっと手のひらを解かせながらアリソンは別れの言葉を口にする。
「⋯⋯さよなら、ジョアン。その巾着袋、ずっと持っててくれてありがとう。嬉しかった」
「⋯⋯っ!」
ジョアンが息を呑み、胸元でその袋をより一層強く抱きしめる。
彼女が扉を開けた時から分かっていた。ジョアンの好きな桃色を使って作られた巾着袋は、あの日アリソンが別れ際に彼女に渡したものだったこと。
「これからも、大事にしてね」
それだけを言って、今度こそ玄関に向かおうとしたアリソンの前で玄関がノックされた。
「ジョアン! すまない、鍵を忘れてしまったようだ。開けてくれないか」
それは、何度も村で聞いたことのある声だった。
父と会話する様を、織物を預けるときの様を、娘のことを語るときの様を──アリソンはよく知っている。
「嘘⋯⋯今日は遅くなるって言ってたのに、なんで⋯⋯」
呆然と呟くジョアンの声をよそに、アリソンはどくどくと頭が割れるほど響く心臓の音を聞いていた。
扉の向こうにいるのは、トマスだ。
ジョアンの父親で、アリソンの父とも懇意にしていて、村の特産物の売買に関する交渉を一手に引き受けていて、そして両親と弟が殺されるように仕向けた男。
手が自然と剣の柄にかかるのに、それ以上動くことができない。
「アンタ、まさか父親が来るまで時間稼ぎを──⋯⋯いえ、アンタの策じゃなさそうね。裏口はある? それか屋根伝いに出られそうな窓は?」
「え、あっ、に、2階⋯⋯! 2階の右奥の、アタシの部屋の窓からなら出られるかも⋯⋯あっでも、開けられないように術が掛かってて」
ラズがジョアンに疑いの目を向けるが、顔を真っ青にして玄関扉を見つめるジョアンの様子に、それはないと判断し即座に質問を変える。
状況を飲み込めないながらに返事をしたジョアンに、ラズは「それで構わないわ」と頷く。
「行くわよ、アリソン」
「でも、トマスさんが。扉の向こうに、すぐそこにいるのに」
ラズに手を掴まれるも、アリソンの視線はいまだ扉に釘付けになったままだ。足は縫いとめられたかのように地面から動かず、柄にかけたままの手もびくともしない。眉間に皺を寄せたラズや、顔面蒼白のジョアンの姿も、今はアリソンの目に入っていない。
分かるのはただ、扉の向こう。すぐそこに、両親を裏切った男がいることだけ。
「おーい、ジョアン? すまないな、聞こえてないのかもしれない⋯⋯おーい、ジョアンー! 開けてくれー! 鍵がないんだ!」
困ったように扉が打ちつけられる音が続くが、家の中にいる三人の誰もがそれどころではなかった。
ラズは目を細め、アリソンに耳打ちする。
「アリソン、ここは住宅地の真っ只中よ。いくらなんでも、ここでトマスやジョアンを殺すのはまずいわ。分かってるでしょ? トマスは一人じゃないみたいだし、目撃者がいたら困るんだから。ああそれとも、目撃者ごと皆殺しにする? それなら問題ないわね」
「えっ⋯⋯待ってください、ジョアンは⋯⋯」
「あら、幼馴染は殺したくない? じゃあどうするつもりなの? トマスだけ殺して逃げる? 顔も名前も知られてるのに?」
捲し立てるようなラズの言葉に思わず異を唱えたアリソンに、ラズは畳み掛けてくる。
「そ、れは⋯⋯それは、でもっ」
「迷いがあるなら、アンタは残るべきじゃないわ。別に最悪あたしが代わりに手を下したっていいわよ? でもね、そもそもの前提だけれど──目の前で父親を殺しておいてその娘と戦うことにならない、なんて考えてるんじゃないでしょうね?」
──考えていなかったわけじゃない。ただ、考えないようにしていただけだ。
きっと自分は、トマスのことを殺せる。それは希望的観測などではなく、確信だ。家族が殺される原因を作った旧知の男を葬る決意はできている。
だけど、その娘のジョアンと戦うことは。彼女を殺すことは。
「⋯⋯っ」
「決まりね。2階に向かうわよ」
トマスもジョアンも、その他にいるであろう目撃者たちも、全員まとめて皆殺しにする──そう口にできない時点で、アリソンの答えは出ていたようなものだ。
悔しさに唇を噛み締めたアリソンの手を取り、ラズは階段へ足を向ける。
「あ、アリソン! アタシ、ちゃんとやるから⋯⋯アリソンがなんて言おうと、絶対にパパに償わせるから! だから⋯⋯っ!」
階段を駆け上るアリソンとラズに向かって、ジョアンが外に聞こえないよう絞った声で伝えてくる。
それに返事を返すことなく、二人は2階へ消えていく。
一人残されたジョアンは、巾着を強く抱きしめて目元を拭い、困ったように戸を打ち続けている父親に向き直った。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
サブタイトルのロータンゼの花言葉は「変わらぬ思い」「終わりのない友情」です。二人の友情の行く末も見守って頂けると嬉しいです。
次回更新日ですが、今月中旬〜下旬にかけて用事があるので少しお休みを頂きます。
次回更新日:2/5予定 → 2/19予定 に延期します。すみません。




