幕間 亡霊の独白
あるところに、平民に生まれながらも騎士団長の位に登り詰めた男がいた。
彼は貴族の生家の後ろ盾を持つ同僚たちを差し置いてその地位を手にしたにも関わらず、生まれ持った武術の才能と弛まぬ努力によって認められ、また快活で面倒見のよい人柄でもって人々に愛されていた。
奇しくも男が騎士団長として名を馳せたのは、何代目かになる勇者の到来が予言されたのと同時期で、男は国王と共に勇者と顔を合わせることになる。当時18歳の誕生日を迎えたばかりの勇者はまだ幼さの残る顔立ちをしていて、その胸には燃えるような理想を右手と右足を同時に出して謁見の間に入ってきた勇者に、男は笑って手を差し出し、握手を求めた。
「ようこそ、勇者レインナート。騎士団一同を代表して、貴殿の来訪を歓迎しよう!」
そうやって笑いかけた男に在りし日の勇者少年はようやく安堵したように、後に顔に貼り付けるようになったのとは違う、心からの笑みを見せたのだった。
無骨で、けれど暖かみのある、平民上がりの騎士団長。
これは、男が正体を隠すための鎧や鉄兜を必要としない、正真正銘の「ドワイト・ダーモット」だった頃の話である。
◇◆◇
思えば、勇者レインナートには元から危うい部分──言い換えれば「脆い部分」があったと、ドワイト・ダーモットだった男は回想する。
「実は俺、魔人とも和解できると思っているんだよね」
最初こそさん付けと敬語で話しかけてきていた少年は旅を続けるうちに段々と砕けた口調になってきており、一行の人数が5人になる頃には、ドワイトに対しても同世代と話す時のような口調で接するようになっていた。
最初こそ、勇者少年が自分に「懐いた」のだとかつてのドワイトは思っていたものだが、少年を知れば知るほど、あれは勇者という存在が持つ生まれながらの資質の一部だったのではないかと思うようになった。勇者の資質、すなわちは選ばれしもの。女神の寵児、世界の守護者。人の上に立つための天性の視野の高さと傲慢さ。
だが、それで人を不快な気持ちにさせることがないと言うのも、勇者の才能のひとつなのかもしれない。事実、レインナートは対等な喋り方をしているというだけで、決してドワイトを見下していたのではないし、そのことをドワイトも知っていた。
だから、彼の突然の告白に対しても、ドワイトはただただ、天幕の中で眠る仲間を起こさぬように静かに枝を焚き火にくべてため息をついてみせた。
「聞いたのが俺でなかったら、勇者としての適性を疑われていたぞ。気をつけてくれ」
「ドワイトだから話したんだよ」
「だが、最初に話したのは俺じゃないな?」
「⋯⋯」
「ラフィか」
ドワイトの問いかけに、若き日のレインナートは推し黙る。沈黙は肯定だぞ、と心の中でぼやきながらドワイトは天を仰ぎ見る。
死別した妻との間にもうけた娘のラファエラ──ラフィは愛称だ──は、父である己と同じ道、すなわち騎士を志した。父親としての贔屓目を除いても彼女は槍の扱いに長けた優秀な騎士であり、若くして正騎士となっただけでなく、こうして自分と共に勇者の旅への同行を命じられたのも納得のいく結果である。妻に似て、しっかり者の、勇敢で聡明な少女。
そんな自慢の娘は、どうやら勇者と付き合っているらしかった。
「お前はいずれ、王女を妻に娶るのだと思っていたが」
「ラフィとは遊びじゃない、誓って。王女を妻にするなんて話はまだ出てないし、これからも出させない。俺はラフィとは本気で、」
「分かった、分かった。俺は娘の恋愛に口を出すほど面倒な父親じゃない、まあ相手がクズなら話は別だが⋯⋯泣かせなければそれでいい」
「泣かせないよ。恋人なんだから」
「⋯⋯」
若いな、とドワイトは思い、それをため息に変換しそうになるのを堪えて飲み込む。
愛があればなんとでもなるというその若さゆえの青い考えが、時に危うく思えて、けれど時に輝いて見えるのも事実だった。
「ところでさっきの話だけど、俺は本気なんだ」
「⋯⋯流されてはくれないか」
「残念ながらね」
ぽい、と枝を焚き火の中に投げ入れたレインナートは、真剣な顔をしてドワイトを見つめる。
「確かに、俺たちは魔人と長らく争ってきた。互いに傷つけ合って、もうどちらが最初に手を出したのか分からないし、きっと始まりなんてもうどうでもいいところに来ているんだと思う。けれどだからこそ、手を取り合えるんじゃないかと思うんだ。同じ痛みを知る者同士なんだから」
「理想論だぞ、それは」
「分かってるさ。だけど、それを成すのが勇者じゃないか。君も知っているだろう。世界が危機に瀕したとき、女神の寵愛を受けた選ばれし勇者が現れて世界を救う──俺は魔人を倒すために生まれたんじゃない、世界を救うために生まれたんだ。そして、世界を救うためには魔人を倒さなくてはならないなんて決まりは、どこにもない」
若人らしい夢物語、全く具体的ではない理想論。
そう言って切り捨てるのは簡単だが、できないとは欠片も思っていない自信に満ち溢れたレインナートの姿を見ていると、もしかしたら本当に成し遂げてしまうのではないかと感じてしまう。
ドワイトは、以前にも勇者に対して同じような感覚になったことがある。それは、旅の途中で立ち寄った町の酒場で出会った少女マルガリータを旅に同行させると彼が言い出した時のことだ。
決して良い待遇とは言えない条件のもとで働かされていた少女に、勇者が救いの手を差し伸べたこと自体は意外ではなかった。彼らしい行いであったし、勇者の英雄譚のひとつとしてはふさわしいに違いない。しかし、救世の旅に同行させるとなると話は別である。娘が歳の近い同性の仲間が増えて嬉しそうだったため表立って反対こそしなかったものの、ドワイトは本心では快く思っていなかったのだ。
けれど、結果としてマルガリータは根は素直で気立の良い娘だったし、勇者の仲間として申し分のない才能の持ち主でもあった。欠けていた一角を補った彼女を心から認めたドワイトに、その心境の変化に唯一気づいていたレインナートが「だから言っただろう?」と言いたげな満足げな笑みを浮かべたことを覚えている。
だから今回も、彼はドワイトの懐疑など飛び越えてとんでもない結果を見せてくれるのでは──?
そう信じたいと思わせられてしまうのも、勇者という宿命が生まれ持った天性のカリスマなのか。考えても答えは出ないが、ドワイトにはひとつだけはっきりと分かっていることはある。
それは、目の前の少年が勇者であり、そして信頼に足る仲間であるという事実だ。
「俺は手伝わんからな」
「ドワイト、」
「だが、止めることもしない。貴殿ができると思うのなら、やってみるといい。人も魔人も、誰の血も流れずに済む未来があるのならそれも悪い話ではないだろう」
「ありがとう、ドワイト! 君ならそう言ってくれると信じていたよ」
ホッとしたように笑う勇者の顔は、年相応の少年じみていて、先ほどのような強い自信もカリスマも消え失せている。
彼をただの少年でいさせることができたなら、どんなに良い世の中だったか。しかし、それを許さない世界だったからこそ、彼は生まれて、そしてここにいるのだろう。娘とそう変わらない年頃の少年を前に、ドワイトはふっと目尻を和らげる。
「ところで、先ほどの話だが」
「うん?」
「娘は⋯⋯ラフィはしっかりしているように見えて、時々不思議なことを言うから驚かせてしまうかもしれんが、よろしく頼む」
「ああ、『私は水の精霊に愛されてる』とか? うん、でもあの子は光る水面がとても似合う子だから、あながち間違いでもないのかもしれないよ」
──なんて、父親のあなたにちょっと偉そうなことを言ってしまったかな。
照れて後頭部をかきながらそんなことを言う少年を、ドワイトは軽く小突き、二人は友達のように肩を寄せて笑い合った。旅の合間の、束の間の時間。
だが、そんな会話をしてからひと月も経たないうちに、ラファエラは亡くなった。
未来を奪われた若者の死に顔にしては、あまりに綺麗な微笑が浮かべられていて、眠るように水面に浮かんだ妻の忘れ形見を前に、ドワイトは心から世界を呪った。
世界を呪うなど、英雄として語られる人間にあるまじき行いをした罰なのか。娘を見送って数日と経たないうちに、ドワイトは戦いの中で命を落とす。
もう言葉も発せず、意識も遠のいていく中、彼が最後に聞いたのは勇者である少年がマルガリータに何かを懇願する声だった。
「マルガリータ、手伝ってくれ。君の助けがいるんだ」
「レイ、一体何をするつもりなの?」
「死者の魂をこの世に繋ぎ止め、その身体から腐敗を遠ざける。素材も素体もここにある。大丈夫だ、女神に愛された俺ならできる。できるはずだ! 頼む、俺はもう──」
安らかな死へと向かいかけていたドワイトに聞こえていたのはそこまでだったが、それでも、自分はまだ娘のところにはいけないのだということは分かった。
かくして、仲間の死を受け入れられなかった勇者の手によって、ドワイト・ダーモットの肉体は仮初の蘇生を果たした。
その身を魔物や魔人と融合させることによって、潰された心臓を再生し、勇者の血と共に流し込まれた魔力によって再び心臓が鼓動を打ち鳴らす。死という不可逆の変化を無理矢理に可逆させられたのは、後にも先にもレインナートだけであろう。
けれどそれでも、勇者レインナートの試みは失敗に終わった。
肉体を歪にしてまで目覚めさせた男の中にドワイト・ダーモットの燃え滓はあれど、彼はドワイト・ダーモットその人になることはできなかったからだ。
「ああ、そろそろ俺の血が必要なんだね。分かったよ、今夜人払いをするから来てくれ」
「⋯⋯レイ。彼が何を言っているのか分かるの?」
「ん? いや、勘だよ。それにドワイトは、お腹が減ると声が低くなるからさ。知ってるだろ?」
「⋯⋯ええ、そうだったわね⋯⋯」
愛する少女を失い、仲間の死を受け入れられなかった男は、ドワイト・ダーモットだったモノを、ドワイト・ダーモットとして扱うことにした。
人語を操れず、額には絶えず伸びようとする角があり、白眼は反転し、視線は虚で、かつての明るさも人柄の良さも消え去り、さらには己を作り上げた者の魔力を常に必要とし、人の血を求め、創造主の望みに呼応して動き回るだけの抜け殻。
たとえ、微かに残ったドワイトのような行動や思考ですらも、いずれ消える魂の残滓でしかなかったとしても。
◇◆◇
そうして、少年であった勇者が青年になるほど時が過ぎ去った今。ドワイト・ダーモットだった肉体は解き放たれ、人間に武器を向けていた。
男は剣を振るう。己の中に混じった魔人の身体の一部だった物が魔人の気配に共鳴し、それによって己の中を流れる勇者の魔力が「魔人を殺せ」と命じる。創造主の憎しみは痛烈で、特にその血を飲んだばかりの男にとっては耐え難いほどの衝動となり、彼を突き動かす。
当然、周囲の人間のことなど考えることもない。男は淡々と、降された衝動に従って攻撃を放つ。
砕け散った観客席の欠片が誰かに突き刺さる。悲鳴。嘆き。恐れ。ヒトのどんな感情も、もう男には届かない。
目の前に立つ若き騎士たちは、かつてドワイトが指導したこともある人間たちだった。だが、ドワイトだった男には、彼らの言葉も聞き取れなければ、彼らに心を動かされることもない。心など、ドワイトの魂がその死と共に持ち去ってしまった。
だと言うのに、わずかに残った残滓が声を枯らして叫ぶ。だからその言葉の意味も分からないまま、男は口を開き世にも恐ろしい不気味な声と言葉でそれを紡ぐ。誰にも理解してもらえないとしても。
「俺は人間だ、俺は人間だ」
そう、だから人間であるうちに、どうか。
俺がまだ娘と同じ場所にいけるうちに、どうか。
「──殺してくれ」
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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