表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第4章 王都編(上)
40/76

032 悲憤慷慨




 どうしてここにレインナートが、とまともに物を考えていられたのは一瞬だけ。

 憎い仇が目の前にいる事実を脳が理解した瞬間、それ以上何かを考えるより早く体が駆け出す。躊躇の一つもなく真っ直ぐに振り下ろした剣は、しかし空を切る。


「おっとっと⋯⋯危ないなぁ、何するんだい?」


 殆ど同時に地面を蹴ったアリソンとラズが左右から切り込んだにも関わらず、レインナートは武器すら抜かずに躱してしまう。

 きょとんと目を丸くした彼は、本当の本当に、なぜ自分が攻撃されているのか分からないかのように首を傾げて見せる。その様が余計に、アリソンとラズの怒りを煽る。


「どうして攻撃してくるんだい? 困ったなぁ⋯⋯俺はさっき来たばかりで状況がよく分からないんだ。説明してからでも遅くないと思わないか?」

「全くもって思いません!!」

「えぇ? 何を熱くなってるのか知らないけど、話し合おうじゃないか。平和に行こうよ、民主主義っていうんだっけ? まあ、そんな感じでさ」

「ッ、ちょこまかと⋯⋯! それ以上動くんじゃないわよ!!」


 加減なんてしてなければ、躊躇もない。

 それなのに、無防備に構えもしていないはずのレインナートには掠りもしない。


「やれやれ、乱暴だなぁ。いいかい? 俺たちは偉大なる文明を築き上げた神の子、つまり人間なんだよ。下劣な魔人じゃないんだから、暴力なんて野蛮な手段にたやすく走るべきじゃあないと思うんだよ」

「──ッ、ふざけるなッ!!」


 魔人を侮辱する言葉に、カッとなる。

 感情に身を任せて注意力が疎かになったらいけないと、頭では分かってはいるけれど心が追いつかない。目の前の男を殺せと、その首に刃を突き立てろと、心臓が狂ったような音で跳ねる。


「あのひとたちは下劣でも野蛮でもない! 訂正してください⋯⋯ッ!!」

「⋯⋯魔人を下劣だって言ったことに怒るのかい? うーん、でも君たちは魔人のようには見えないし⋯⋯ははっ、変なところに沸点があるんだね?」


 何が楽しくて笑っているのか。敵意など微塵もないような、春の木漏れ日めいた微笑を浮かべながら、ほんの一瞬、その目に影が差す。

 刹那、アリソンとラズを引き裂くように、二人の間を一直線に衝撃波が飛ぶ。勢い余ったそれは、壁に突き刺さったままの奴隷商人の四肢を分断し、肉片をばら撒く。

 レインナートが、ようやく剣を抜いたのだ。


 視線を落とせば、溝のように真っ直ぐ抉られた地面が目に入る。ただの薙ぎ払いでこの威力。もしも直撃していたら瞬時に身体が四方八方に散らばっていたに違いない。

 そのことにゾッとはするが、しかしだからと言って攻撃の手を緩める理由にはならない。交戦する意思が変わらないことを示した二人に、レインナートは「へえ」と感心した様子で息を吐く。


「これを見ても、命乞いをしなかった人間は初めてだよ。君たちってもしかして、よく人から変わり者だって言われたりしているんじゃないかい? 今一度聞くよ、剣を下ろして話をしよう。大丈夫、勇者である俺は寛大だから、さっきまで君たちが俺に武器を向けてきたことなんて水に流すよ」

「なら、魔人は? どうして魔人とは話をしようとしなかったんですか?」


 アリソンの問いに、レインナートの眉がピクリと跳ねる。


「⋯⋯魔人と話をしろって、この俺に言ってるのかい? どうやら本気で俺を殺したいようだね」


 微かな苛立ちが温和な皮の下からこぼれ出る。

 だからなんだ。顔色ひとつ変えないアリソンとラズに、彼は腑に落ちないと言いたげな顔をする。


「いいよ、無謀と勇気は違うということを勇者たる俺が手ずから教えてあげてもいい。だけどその前に、ひとつだけ答えてくれるかな。君たちはどこの誰で、どうしてそんなにも俺のことを恨んでいるんだい?」


 まるで、なぜ空は青いのかと問う幼子のような顔をした彼に、全身の血が沸騰したかのような錯覚に囚われる。

 なぜ恨んでいるのかなんて、どの口が!

 軋む歯と歯を離し、こじ開けるようにしてアリソンは、ラズは、叫ぶ。


「そんなの、あなたが私の家族と村を焼き殺したからに決まってるじゃないですか!!」

「そんなの、アンタがあたしにとってこの世で最も大切な存在を殺したからよ!!」


 身を焦がす憎悪。悲嘆。怨嗟。ぐちゃぐちゃに混ざってどす黒く、純粋な黒に染まった絶叫。

 忘れることなんてできない、忘れたなんて言わせない。

 そんな悲痛な声に、レインナートは目を見開く。


「⋯⋯? そんなことあったっけ?」


 は、と息が詰まる。

 まさかこの男は、煽っているのではなく、本当の本当に、



「というか、君たち誰だっけ?」



 ──自分達から奪ったことすら、覚えていないと言うのか。



◇◆◇



「ドワイト? こんなところにいたの?」


 王宮の中、勇者一行に与えられた区間。その通路の隅で、小さくなろうとしてかその巨体を縮めている重騎士の背中に、マルガリータは戸惑いの声を投げかけた。

 自分は用事があるから、かわりにドワイトを探してくれ──そう言って服を整え、数人の「遊び相手」を連れて何処かへと向かったレインナートの言葉を理解した彼女は、ため息まじりにドワイトを見下ろす。自分よりも遥かに恵まれた体格を生まれ持った彼が、いくら壁に向かって膝を折ったとて、壁に溶け込むことは不可能だと言うのに。


「⋯⋯そういえばあなた、目線を合わせるために屈んで話しかけてくれる人だったわね」


 特に、その長身で怯えられることが多い女子供にはそうだった。そうやって視線を合わせて話しかけてくれた時、彼がどんな声だったかも思い出せないのに。


 鉄仮面に覆われた頭を壁に預けた男は、どうにも動く気配がない。

 仕方がないわねえ、と苦笑いしてマルガリータは屈み込む。どうしても彼の方が背が高いから同じ目線にはなれないが、あの日の彼をなぞるべきだと思った。きっとレインナートも、そうしてきたのだろうから。


「例えその身体が人間でなくなっても、あなたはドワイトのままなのね。⋯⋯レイの血を飲んだこと、気にしているんでしょう?」


 ピクリ、と鉄仮面が身じろぎするが、完全には振り返らない。

 温度のないひんやりとした鎧の背中に手を添えて、マルガリータは語りかける。


「私ね、最近よく思い出すの。セネカやニーナちゃんたちと出会う前、私があなたたちと出会ったばかりの頃のことよ。覚えている? あなたがまだ人間で、ラフィがまだ生きていて、レイも⋯⋯今みたいじゃなかった頃のこと」


 いつまでもあのままでいたかった、涙が出るほど優しくて遠い日々。

 だけど、どんなに戻りたくたって時は巻き戻らないし、死人は生き返らない。セネカはきっと自分になら出来るなどと言ったかもしれないけれど、どんな奇跡にも限界はある。女神は万能ではない。


「⋯⋯あなたはあなたよ。どれだけ姿形が変わろうと、私たちの大切な仲間だわ」


 そしてそれは、レインナートも同じことだ。青い夢を見ていたあの日の少年がどれだけかつての夢を踏み躙り、嘲り、数多の死体を踏み越えようとも、マルガリータにとって彼が彼であることに変わりはない。驚いたようにこちらを見て手を差し伸べてくれた少年の姿は、瞼に焼き付いて離れないから。


「もういないラフィの分も⋯⋯私たちがレイを守らなくちゃ。そうよね、ドワイト」


 どこか自分に言い聞かせるような声色に、鉄仮面の下で異形の口が微かに動く。

 けれどそれが肯定なのか否定なのか、あるいは仲間の彼女を案じる言葉だったのかは、発した本人ですらきっともう分からない。

 言葉になることもなく掠れた反響音となって消えた吐息の真意など、空高く座す我らが女神でさえも知ることができないのだった。



◇◆◇



 家族の仇であるレインナートが、自分のしたことを何も覚えていなかった。

 ドルフ村を焼き払ったことも、アリソンの家族をなぶり殺した事も、イグニスを痛めつけた末に殺したことも、ラズを弄んだ末に捨てたことも、何一つ彼の記憶に残っていない。

 こんなにも私たちから奪い、こんなにも私たちを絶望させたことが、この男にとっては忘れてしまえるような取るに足らない出来事だったと言うのか。


「記憶力はいい方なんだけどなぁ⋯⋯思うに、君たちが大袈裟なだけで本当は大したことなかったんじゃないの?」


 あっけらかんと放たれた言葉は、最悪そのものだ。

 なぜこの男は、自分が奪った命を覚えていないのだろう。なぜこの男は、そんなにも簡単に誰かの未来を踏み潰して笑っていられるのだろう。

 分からない。この男の考えていることが、何も分からない。


「過去ばかり見ていても未来はないよ、ほら、そんな取るに足らないことは互いに水に流そうじゃないか」


 ──怒りで、憎しみで、もう言葉さえも出ない。

 奥歯が砕けそうになるほど歯を噛み締めたアリソンは、無言でレインナートに切り掛かる。単純な振り下ろしはすぐさま阻まれ、反撃が襲いくる。衝撃波に吹き飛ばされる前に後方転回。再び踏み込むため、着地した足に力を込める。

 ちらりと反対側にいるラズを見やれば、彼女も同じように怒りに打ち震えながら、レインナートから目を逸らすことなく短剣を強く握りしめている。


「黙ってください、もうあなたの言葉なんて聞きたくない。あなたは私の、お父さんとお母さん、ルノー、イグニスさん、そしてドルフ村全ての仇。絶対に、生きて帰らせはしない!」

「ドルフ村⋯⋯? それにその左腕⋯⋯そっか、確かに君の家族は俺が殺したのかもしれないな。だけど、そんな田舎の村なんて、あってもなくても変わらないよ。むしろ村が無くなったおかげでおかげで君は故郷に縛られることなく王都に来れたんだから、却っていい結果になったんじゃないか? 君だって本当は何もない田舎のそのナントカ村よりも都会の方が好きだろう?」


 ──何を言っているのか、分からない。


「そんな顔をするなよ。何もない村と王都、どちらの方が暮らしやすいかなんて比べるまでもないじゃないか」


 何もない?

 何もないのは王都だ。家族も、村の人たちも、畑も動物も河原も、ここには何一つない。アリソンが愛したものは、ずっと共にありたかったものは、何一つ。


「ふざけないで⋯⋯!! 私は王都なんて来たくなかった! 私はただずっと、家族と暮らしていたかっただけなのにッ!!」


 後ろ手につけたマッチから巨大な火球を作り上げたアリソンは、感情のまま肥大化させたそれをレインナートに向けて放つ。


「火球か、でもそんな初歩的な魔術じゃ俺は殺せないよ。──炎無効化(ファイアガード)


 部屋の天井まで届くほど大きな火球は、けれど防壁魔術のような赤い膜に覆われたレインナートだけを残して燃え広がり消える。辺り一面が黒く焦げていくのに、彼だけは何事もないかのように立っている。

 今までも防壁魔術で炎を防がれたことはあった。けれど、防壁さえも無傷なのは初めてで、アリソンとラズは愕然として目を見開く。


「属性別の防壁魔術⋯⋯!? あの魔術師セネカでも使えなかったのに、そんな上位魔術を魔術師でもないアンタが使えるなんて⋯⋯」

「へえ、そっちの黒髪の君は知ってるんだ? そうだよ、これは相手の魔術の属性に合わせた防壁魔術だ。普通の防壁魔術に比べたら汎用性は落ちるけど、君みたいに一つの属性に絞ってくる相手には有効さ。何せ、一つの属性だけに特化した代わりに、防壁の強度は段違いだからね。セネカだって生きていればそのうち会得できただろうに、残念だよ」


 つらつらと、さして残念そうでもないような顔で語るレインナートの言葉はアリソンの耳に入ってこない。

 イグニスから託された炎が、防壁に傷すらつけられなかったことのショックで、剣を握る手がわなわなと震える。


「な、なんで⋯⋯っ、なんで⋯⋯ッ!!」


 憎い男に傷ひとつ付けられなかった事実に取り乱したアリソンは剣に炎を纏わせ、火球と連携して切り掛かるものの、聖剣に受け流された挙句に腹を蹴り飛ばされてしまう。

 なんとか意地で武器は握ったままだったが、壁まで吹き飛ばされ背中を重くぶつけた衝撃で、どこかの骨が折れたのか、立ちあがろうにも体が痛くて動けない。胃液を吐き出し、咳き込んだ体が痙攣する。


「っ、がはッ! ゔぇぇ⋯⋯っ!」

「アリソンッ!!」

「おっと、させないよ」

「ッ退きなさいよ、邪魔なのよアンタ⋯⋯!!」


 アリソンの元へ駆けつけようとしたラズの進路を、レインナートがにこにこと塞ぐ。

 短剣と、その何倍もの長さのある聖剣がぶつかり合い、金属の擦れる音が響き渡る。両手にそれぞれ持った短剣をクロスさせて聖剣を受け止めたラズは、その重さに歯軋りする。武器の重さと、力の差の関係で押されながらも踏ん張り、受け流して攻撃へ転じようと力を込めるが、レインナートも伊達に勇者と呼ばれているわけではなく容易にはそれを許してはくれない。

 視線が交錯した瞬間、ふいにレインナートが何かを見つけたように目を細める。


「ん? その傷は⋯⋯」

「は⋯⋯っ、触らないで!」

「ああ、やっぱり⋯⋯俺がつけたマークだ。なるほど、君はラフィに成れなかった"失敗作"だったのか」


 片手で聖剣を持ったレインナートは、空いている方の手でラズの右頬の傷をなぞる。黒く染まった歪なその傷跡は、聖剣によって切られた人間のみ残る傷跡だ。

 身を捩るラズの顔をガッと掴んだレインナートは、自分を睨みつける少女を嘲笑する。


「俺に捨てられたことを恨んでいるのか、可哀想に。でも俺に初恋を捧げられてよかったじゃないか。君がラフィに成れなかったことは残念だけど、恨むなら自分の無能さを恨めばいい。それとも、もう一度チャンスが欲しいのかい?」

「ッ馬鹿にしないで!! 大体、アンタが昔あたしにしたことなんて今更どうだっていいのよ! あたしがアンタを殺してやりたいのは、そんな陳情のもつれみたいな理由じゃない。アンタがあたしの大切なひとを──イグニスを殺したから⋯⋯!!」

「イグニス⋯⋯? もしかして、君の新しい恋人は魔人なのか?」

「アンタがその名前を口にしないでよッ!!」

「それは肯定かい? はあ⋯⋯俺に捧げた純潔を守らないで魔人に捧ぐごうだなんて汚らわしい、失望したよ。これだから女は」


 レインナートがラズに侮蔑の眼差しを向けた刹那、感情的になり隙が生まれたその脇腹に剣が突き刺さる。ラズから目を離した彼が見たのは、先ほど蹴り飛ばしたおかげでしばらく動けないでいるはずのアリソンだった。

 まだ息の整わないアリソンは、ゼエゼエと息をつきながらレインナートを至近距離から睨みつける。


「汚らわしいのはあなただよ! 魅了の力で人をたぶらかして、利用して、奴隷に堕としたくせに!!」


 これ以上ラズを貶めるようなことを言う前に、首を落とし、心臓を抉り出し、五臓六腑をズタズタに切り刻んで井戸に放り込んでやる。

 全身全霊で煮詰めた憎悪の限りが込められたその瞳に、レインナートがフッと微笑んだ。


「いいね、その目。悪くないよ」


 次の瞬間、レインナートから突如として眩い光が放たれたかと思うと、彼を中心とした衝撃波が四方八方に放たれ、アリソンとラズの身体は為す術なく弾き飛ばされる。踏みとどまろうにも足が地面から浮いてしまい、受け身を取るのが精一杯で、さらには近距離から光を当てられたせいでまともに目を開けていられない。

 地面に膝をついた二人を見やりながら、レインナートは「今のは光魔術、シャインバーストさ」と歌うように言う。


「でも本題はここからさ。ほら、目を閉じてないでよく見てごらん」


 そう言いながら彼は脇腹から剣を一気に引き抜くと、血の滴る傷跡に数秒手をかざす。

 その後、ゆっくりと手を離した脇腹には⋯⋯傷など跡形もなかった。

 傷を癒す術は聖都で見たことがある。聖女と呼ばれていたヒナコが行使していて、修練を積めば誰でもある程度は扱えるようになる魔術とは違い、素質のある者にしか扱えないという治癒術。


「まさか、治癒術を⋯⋯」

「田舎者でもそれぐらいは知っているんだ? そうだ、俺は勇者、すなわち女神の寵愛を受ける者であり、世界の防衛機構だ。勇者がいなくなっては世界の危機を救えないだろう? だから俺が治癒術を扱えるのは必然さ。まあ聖女に比べたら治癒力は劣るけど、君たちみたいな凡人に毛が生えた程度の人間が相手なら有り余ってしょうがないよ」


 ──さあ、どうする?

 そう挑発するように、レインナートが片眉を吊り上げて嘲笑うのを見てアリソンの口元が引き攣る。

 どうするなんて、そんなの。


「笑わせないでください、そんなのは最初から決まってる⋯⋯!」

「どんな手を使ってでも、アンタを殺す! それしかないのよ!!」


 揃って叫んだ二人は、痛みで軋み、悲鳴をあげる身体を引きずり起こして武器を手に駆け出す。


「まだやる気だなんて正気かい? シャイン──」

「同じ手を二度も喰らうわけないでしょ!!」


 レインナートが再び光の魔術を放つ前に、鮮やかな黒髪がほとばしり、懐に滑り込んだ彼女が目にも止まらぬ速さで連続攻撃を浴びせる。その多くは彼の聖剣、そして防壁魔術に阻まれるものの、それでも手先や顔先を掠めていき、徐々に余裕の表情を浮かべていたレインナートも真剣さを滲ませるようになっていく。


「アリソン!」

「分かってますッ!」


 短く声を発したラズに応えるように、レインナートの背後に回り込んでいたアリソンは、マッチの火から引き出した炎を一直線にレインナートにぶつける。ただの防壁魔術ならば、破れる可能性はあるはず。

 しかし、それよりも早く無詠唱で予備動作なく放たれたシャインバーストにより、アリソンが体勢を崩されたことで炎も狙いが逸れてしまう。それでもただ転ぶわけにはいかない。アリソンは即座に体勢を立て直すと、その勢いのままレインナートに向けて剣を振り下ろす。

 ──が、防壁魔術で阻まれ、また壁際まで弾き飛ばされる。幸い、今度ばかりは事前に予想できていたことだったので、損傷は最小限に防げたが、レインナートとの間の距離はだいぶ空いてしまった。


「おっと! やれやれ、本当に無謀な子たちだね。この程度じゃ俺には一生擦り傷しか与えられないよ」

「ハッ、だから何? 試してみないと分からないじゃない、それに掠る程度で十分だわ。毒を盛るのにはね」

「毒⋯⋯?」


 汗を滲ませながらも、不敵に笑ったラズの言葉にレインナートが目を丸くする。

 そうだ、何も正攻法で押し切る必要はない。先ほどまで避けられてばかりだったのに、レインナートの動きは僅かに鈍くなってきたように見える。毒がこのまま全身に回れば。

 だが動きが鈍くなってきたのはレインナートだけではないことに、アリソンは気づけなかった。先ほど壁に叩きつけられたばかりのラズが無理に動き続けていたら、身体が疲弊して動けなくなるという単純な事実でさえも、勝利が目前にあるという希望が目を眩ませてしまっていた。


「⋯⋯へえ、考えたね。だけど、俺に毒が回るよりも早く君が死ぬと思うなぁ。というかそもそも、この毒がこれ以上俺に効くかな?」

「ぐ⋯⋯ッ!?」

「ッラズ!!」


 手の甲を打ちつけられ、反射的に痛みに呻いたラズの腹をレインナートが容赦なく蹴り上げる。短剣がカラン、カランと地面に落ちていく様が実際よりもゆっくりに見える。


「痛かった? 将来子供が産めなくなったらごめんね。でも、魔人の子を孕むかもしれない胎なんて潰した方がいいんだ。大丈夫だよ、君も正気になったら俺に泣いて感謝するから」

「は⋯⋯っ、さっきから、ペラペラペラペラ⋯⋯不快なのよ⋯⋯ッ!」

「なんだ、それだけ口がきければ平気だね」

「ッ、あ゛ぁ⋯⋯!」


 レインナートは聖剣をだらりと下げると、もう片方の手でラズの首を絞めて持ち上げる。ぶらりと浮いた彼女の足がばたつき、両手でもがいて抵抗するがびくともしない。


「ラズを離してッ!」

「近づかせないよ、防壁魔術・拡大」

「なっ⋯⋯!?」


 ラズを助けようと駆け出したアリソンだが、レインナートの周囲だけを薄く纏っていた防壁魔術が大きく広がり、アリソンを部屋の隅まで押し出していく。

 

「本来なら、君たちみたいな雑魚は殺す必要ないんだけどね。まあでも、君たちって随分と無謀みたいだからさ、少しは痛い目に遭わないと俺に歯向かうとどうなるのか覚えてもらえないだろうから⋯⋯失敗作の一つぐらい、仕方ないよね」

「ふざけないでッ! ラズから手を離して!! ラズ⋯⋯ッ!!」


 がむしゃらに防壁に向けて剣をぶつけながら叫んだアリソンを、ラズの蒼い瞳が写す。

 そして、白い唇が微かに開いて。


「⋯⋯っ、ァ、リ⋯⋯ソ、⋯⋯い、」


 ──いいから早く、火を。

 

 遠目に見えた彼女の唇の動きに、はっとする。レインナートが立っている場所のちょうど真上、ラズが上階から降ってきた時に空いた穴の端に、小さな、今にも燃え尽きそうな火が見える。先ほどレインナートを焼き殺そうとした時、燃え広がった火がまだ残っていたのだ。

 レインナートが防壁を拡大したおかげで、防壁の範囲内に収まっている。あの火さえ動かせれば、ラズを救える。レインナートを殺せる。


「も、えろぉおおおおぉおおおお──ッ!!!」


 叫んだアリソンに呼応して、燃え尽きるまさにその瞬間の火が大きく膨らんでいく。そしてそのまま真下にいる、レインナートの頭めがけてなだれ込むように炎が降った。


 



最後まで読んで下さり、ありがとうございます。


次回更新日:7/3予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ