幕間 勇者の凱旋、緋の遺志
「おい、勇者様だ! 勇者様が帰ってきぞー!」
「ねえ、聞いた? 勇者様たち、また魔人を倒したんだって!」
「ヤダーかっこいいー!」
黄色い声をあげる女性たちと、歓喜の声をあげる民衆たちに手を軽くあげて挨拶しながら、レインナートは石畳の道を歩いていた。後ろに続くセネカとニーナが会釈をしたり、手をふってみせると、レインナートに対するほどではないものの、それなりの歓声が上がる。
「な、なんだか久しぶりですね、王都に来るの⋯⋯」
「そうだね、今回は長い作戦だったからね」
「そ、そうですね。⋯⋯え、えっと、帰りはセネカさんの魔法でパッと移動できて、すごく便利でしたね! いつもあんな風に移動できたら良いのになって思いませんか?」
「そうかい? 俺は馬車の移動も嫌いじゃないんだけどな」
「あ、そ、そうなんですね⋯⋯!」
「まあ、君の気持ちも分からなくはないよ。山道なんかを延々と歩くのも大変だからね。でも、行ったことのない場所に飛ぶ魔法を作るのは難しいから仕方ないんだ。いくらセネカでも、こればかりは今後に期待するしかないさ」
やたらと話しかけてくるニーナに相槌を打ちながら、レインナートは自分たちを取り囲む民衆の間に、今回の作戦には同行しなかった他の仲間の面々を探そうとする。
だが、しばらくしてそうする必要もないことに気がつく。進路方向の人だかりが不自然に開けたかと思うと、人だかりの中から、赤い巻毛の美女と、全身を鎧に包んだ重騎士の姿が現れたからだ。
「マルガリータ、ドワイト! 元気にしていたかい?」
「久しぶりね、レイ。あなたこそ、元気にしていた? 今回の魔人は手強かったかしら?」
「⋯⋯」
レインナートに向かって大きく手を振りながらも、踊り子のような衣装をひらひらと揺らし、民衆──特に男性──へのサービス心を忘れないマルガリータと、彼女とは対照的に黙って頷くのみの鉄仮面の騎士ドワイトに、レインナートはひときわ明るい声を上げる。
セネカとニーナも大切な仲間の一員であることに変わりはないが、勇者として認められた当初から一緒に旅をしていた古参たちというのは、やはり気心が知れているという意味でも、他と比べて特別な存在だと改めて思う。
「お、お久しぶりです。マルガリータさん、ドワイトさん」
「ニーナちゃんも久しぶりね。初めての魔人討伐、大変だったかしら?」
「っ⋯⋯い、いえ⋯⋯! そ、そんなことないです! 大変だったのはレインナート様とセネカさんだけで、わたしは何も⋯⋯」
和気藹々とした二人の様子に、レインナートも頬を緩める。仲間たちが親睦を深めるのは良いことだ。
周囲は相変わらず、魔人を討伐した勇者一行を一目でも見ようとする人々の姿でごった返している。
「これからどうするの? 宿に行くのも楽じゃなさそうだけれど」
「うーん、そうだね。どうせこのままじゃ帰れないし、しばしの間、民衆の皆さんに付き合ってあげるのはどうだろう? 突発的なパレードになるけど、こういうのも悪くないだろ?」
「そうね、レイらしい素敵なアイディアだと思うわ。それに⋯⋯今夜の獲物も見つけられそうだわ」
マルガリータが妖艶な笑みを浮かべるのを見て、レインナートは苦笑する。
「やれやれ。ハンティングも程々にしてくれよ?」
「あら、そう言うあなたこそ。さてはあそこの純情そうな娘を、後で宿に呼びつける気でしょ?」
「ははっ、してやられたな」
クスクス笑って、マルガリータは「行きましょう」とレインナートの腕を引き、軽やかな足取りで舞うように一歩を踏み出す。ふわりと南の花の香りが辺りに広がって、群衆がわっと声をあげる。彼女が腰を捻るたび、あるいは跳ねるたびに、そこかしこで男たちの目が奪われていく。
やれやれ、ご愁傷様──マルガリータの見かけに惑わされる哀れな男たちに、レインナートは同情を込めた視線を送る。
「そういうことなんだが、君たちはどうする?」
マルガリータに手を引かれたまま、身を捩って問うと、ドワイトは相変わらず寡黙に頷くだけの意思表示を見せる。どうやら彼は賛成らしい。
では新参組はどうだろう、と視線を向けると、ニーナは控えめに微笑んで答えず、セネカはフードを深く被り直している。どうやら二人とも特に反対ではないらしい。
「勇者様ー! 魔人を殺してくれてありがとうー!!」
熱狂的な支持者なのか、他の民衆を押しのけて顔を出した者が、そんなことを声高に叫ぶ。周囲は同調するように、次々と声を上げていく。
ありがとう、ありがとう。恐ろしい魔人を殺してくれてありがとう。あの化け物の手足をもぎ、贓物を引き摺り出してくれてどうもありがとう。
向けられた感謝の言葉たちに、レインナートはこの上なく勇者らしく笑い、手をあげる。
そうして、もう顔も覚えていない魔人に向けて、心の中で思う。
──俺のために死んでくれて、どうもありがとう。
◇◆◇
王都が英雄たちの凱旋で賑わう頃、王都から遠く離れた部屋の中で少女は倒れていた。
部屋の中は床や壁に、家具、調度品に至る全てが黒く塗り潰されており、その様はどこか不気味ながらも、高貴な気品をも感じさせた。
窓から差し込む月明かりが照らし出す少女の表情は苦しげで、呻きながら絨毯をかきむしる手は白く、額は微かに汗ばんでいる。
荒い息遣いで打ち震えながらも、少女は涙ひとつ落とさず、己に覆い被さる不気味な『ソレ』を気丈に見つめ返す。
『ソレ』は、いつだって少女の意思とは関係なく、その身を襲うものだった。
無慈悲に無秩序に、ただ本能のまま暴れる『ソレ』を少女に制御する術はなく、いつだって嵐が去るのを待つように身を縮めてやり過ごすか、床をのたうち回ることしかできない。
けれど、今日の『ソレ』はおかしかった。
『ソレ』は無遠慮に少女の身を苦しめることなく、どころか少女の身を案じるかのように、少女が受ける痛みを最低限のものにして通り過ぎて行ったのだ。
「ハァ⋯⋯っひ、ぁ⋯⋯ッ!」
床に倒れた少女は、陸に上がった魚のように派手に身体を跳ねさせる。『ソレ』が出て行く瞬間は、いつだって特別に苦しい。
だが、いつもと違うのは『ソレ』がそのことを心苦しく思っていることだ。
乱暴な『ソレ』を知っているからこそ、少女は己の身を労ろうとしてくれる『ソレ』の優しさに、強がりの笑みを浮かべる。
「大丈夫よ、イグニス。あたしは慣れてるから、大丈夫⋯⋯」
仰向けに転がった少女は、虚空に向けて呟くと、その吸い込まれるような蒼い瞳から一筋涙を流した。
少女の中を通り抜けていった『ソレ』は、死んだ者がこの世に残した未練や感情の表れ──『残留思念』だ。
通常は目に見えず、感じることもできないそういった思念を、少女は生まれつき、己の意思とは関係なく惹きつけ招き入れてしまう異能の持ち主であった。
死者の思念は、常に一方的に言いたいことだけを言って過ぎ去っていく。
時には自分を殺した者への呪詛を、時には愛する人を残して逝く悲哀を、そしてまた時には、叶わぬ生への執念を。なんの関係もない、ただ近くにいただけの少女の中に好き勝手に吐き出し、追体験させては消えて行く。少女にとっては耐え難い苦痛でいい迷惑であったが、残留思念に恨言を吐くのもまた正しくはないことを少女も理解していた。
彼らは自分の思念が誰かに見られることを知っているわけではない。ただ、死の直前に魂に刻まれるほどに何かを強く思い、それが少女の体質と偶然作用して、そのような形に変換されてしまうのだから。
しかし、今日の残留思念は少し違った。
受け手の身を案じるあの思念は、確実に受け手がいることを分かっていた。
あれは正確に言えば思念などではない。
少女への遺言だった。
「⋯⋯ええ、そうね。迎えに行ってあげないとね⋯⋯」
独り言を呟きながら、少女は涙を拭って立ち上がる。肌が汗ばんでいて気持ち悪かったが、着替えたり拭いたりするよりも、今の少女にはすべき事があった。
最初の一歩は不安定に、けれど二歩目から少女の足取りは迷いのないしっかりしたものへと変わり、やがてはカツカツと慌ただしさをそのまま体現したような、忙しない歩みへと転じる。
長く、そしてやはり黒い廊下を抜けて、その先に広がる赤と黒で彩られた草原をかき分け、少女は果てを目指して走る。二つに結んだ黒髪が水平になるほどの速さで駆け抜けていく姿は、しなやかな猫科の動物を思わせる。
誰ともすれ違う事なく、ようやく辿り着いた石壁の門の前で、少女は周囲を見渡す。人気がないことを確かめた少女は小さく息をつくと、目前にある、竜のレリーフの彫られた門に手をかざした。
「そこで何をしていますの?」
「ッ!?」
──おかしい、誰の気配もしなかったはずなのに。この女、どこから現れたの?
突然響いたまとわりつく様な女性の声に、驚いた少女が振り返ると、先程まで誰もいなかったはずの背後には孔雀のような青の、足元を覆い尽くしたマーメイドドレスを身に纏った女性が立っていた。
「⋯⋯なんだ、アンタだったの。驚かせないでよ」
「フフ、何やら真剣そうな様子だったんですもの。ちょっと揶揄いたくなってしまいましたのよ。それで、どうしたんですの? こんなところまで」
「ここに来てるってことは、アンタにも大体分かってるんじゃないの?」
「あら、わたくしは全知全能ではありませんもの。何を言っているのかさっぱり⋯⋯」
ふう、とため息をついた女性は、わざとらしく憂鬱げな様子で広げた扇で口元を覆う。
「悪いけど、今日はアンタの演技に付き合ってる暇はないの。ねえ、エリザベス、あたしだけじゃこの門は開けないみたいなの。だから開けるのを手伝ってくれない?」
「まあ。この業火の門をわたくしに開けと? 大した度胸ですわね、イグニスが知ったらどう思うか⋯⋯」
「そのイグニスがいいって言ったのよ」
顔を背けたラズをひとしきり眺めて、エリザベスは「そうですの」と淡々とした声を零す。
「じゃあ貴女は、わざわざイグニスの抜け殻を迎えにこんなところまで来たんですのね。それで、迎えてどうするんですの? 埋葬でもしますの? 人間って本当に変わっていますのね。魂亡き抜け殻を手厚く葬ったところで、死者に届くことはありませんのに」
「違うわ。この先にいるのはイグニスじゃない」
少女の言葉に、エリザベスが目を瞬かせる。
様々な疑問が彼女の胸に飛来するのがラズにも分かったが、今はこの応酬を続ける時間も惜しい。やや苛立った声で少女は「いいから手伝ってよ」とエリザベスを見上げる。
「お願いよ、エリザベス。イグニスの最期の望みを叶えさせて」
「まあ! 貴女が懇願するだなんて、一体どういう風の吹き回しですの?」
「⋯⋯」
「フフ、仕方ありませんわねぇ、そこまで言うなら手伝って差し上げましょう。ただし、後でこの借りはしっかり返してもらいますわよ?」
「⋯⋯分かってるわよ」
苦虫を噛み潰したような顔で少女が頷くのを見て、エリザベスは淑女らしく扇の裏で口端を吊り上げる。
そうと決まれば、あとは動くのみ。エリザベスが手を門に当てると、それに合わせて少女もまた再び手をかざす。門が二人に呼応して錆びついた音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
「さて、何がお出ましになるんですの?」
この状況を楽しむようなエリザベスの言葉に、少女は答えない。
やがて門が開き切ると、中を一瞥したエリザベスは「あらぁ?」と頬に手を当てて驚いたような声をあげる。
門の中には、左腕から血を流した煤だらけの少女──アリソンがうつ伏せに倒れていた。
意識のない彼女はピクリともせず、まるで死んでいるようにも見える。煤と血に紛れて、頬に残った涙の跡が痛々しい。
残留思念が⋯⋯いや、イグニスが伝えてくれた通りの様子に、少女は目を伏せる。
「なんですの、この子は?」
「イグニスの置き土産よ」
薄汚れた惨状にか、顔をしかめたエリザベスに少女は憮然とした顔つきで答える。躊躇なく門の中に踏み入れた少女は、アリソンの左腕に応急処置をするため地面にしゃがみ込む。
手慣れた手つきで止血し、クルクルと包帯を巻き出した少女を手伝うことも、それ以上近づくこともせず、エリザベスは一定の距離を保ったまま二人の様子を見つめている。
「置き土産、ねぇ⋯⋯?」
そう呟いたエリザベスの目が、獲物を見逃すまいとする猛獣のように光っていたことを、少女もアリソンも、未だ知る由も無かった。
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