031 血と狂気に塗れた夜
深夜にも関わらず、どこからも人のざわめきが聞こえてくる王都の歓楽街。その中にひっそりと隠されたように連なる路地の先に、その店はあった。
埃を被ったカンテラで飾られた一際明るい、けれど潜むように路地の奥に佇む店は、表向きは会員制の酒場ということになっているが、その実態は、知る人ぞ知る非合法の奴隷市場である。
先代の国王の時代から奴隷制は廃止されてはいるものの、このように裏で取引を続けている店は絶えない。王宮の方も本気で断絶させようという気概はなく、誰もが目を瞑って、公然とその存在を許し続けている。
そんな店の裏口前で、見張りをしている髭面の男は酒瓶を呷っていた。
見張といえど、抜き打ち検査は来週の予定なので来客に対して取り繕う必要もない今日は、本当に形だけの業務なのである。つまり、ここに立ってさえいれば、戸口に寄りかかろうが、時間いっぱい好きなだけ酒を飲んでいても良いということなのだ。
ああ、なんて楽な仕事。なんて素敵な天職だろう。
一口、もう一口と、酩酊感と共に喉へ酒を流し込んでいると、ふいに背後からドサリと物音がした。
振り返ると、草むらの前に木の枝が落ちている。
なんだ、枝が落ちただけか⋯⋯そう思った瞬間だった。背後からガキンッと音が鳴り響き、脳天を凄まじい衝撃が走ったのは。
「がはッ!! な、なにが起こっ⋯⋯べぶしッ!??」
向き直って反撃する暇もなく、二撃目がガツンと容赦無く襲い掛かる。
またもや何者かの攻撃が脳天を直撃したのだ、ということを理解した時には、男はもう意識を手放し地面に倒れ伏していた。
木から落ちたりんごのように地面へと倒れた男を見下ろしているのは、アリソンだった。
額から滴る汗を拭うこともできずにしばらく様子を見た後、男が起き上がる気配がないことを確認したアリソンは手汗の滲んだ手で握りしめていた武器を下ろす。
見張りの男を襲ったのは、なんてことない、ただの村娘と鞘に入ったままの剣であった。
「ちょっとずれちゃったかな⋯⋯えっと、生き⋯⋯てますよね? ごめんなさい、ちょっとそのまま寝ててくださいね」
軽く頭を下げ謝罪しながらもアリソンは男をずるずると引きずり、壁にもたれかけさせた。男からはまだ鼻息の音は聞こえるので気絶しているだけらしいし、とりあえずこうしておけばいいだろう。
ついでに地面に転がっている酒瓶も男の手に持たせ、いかにも酔っ払いが地面で寝てしまったような状況を作り出すと、アリソンは立ち上がり、埃を払って頭上のカンテラに手を伸ばす。
「えいしょ⋯⋯っと。さあ、あなた達も、もう寝る時間だよ。⋯⋯おやすみなさい」
ふっ、と蝋燭に息を吹きかけるように息を吐くと、まるで赤く光る瞳に吸い込まれたかのように、カンテラの火がひとつ、またひとつと消えていく。
残った唯一のカンテラを外し手に持ったアリソンは、今一度屈んで男のポケットから鍵の束を取り出す。
「すみません、借りていきますね」
無言で持っていくのもなんだかな、と未だ意識のない男に声をかけたアリソンは通りに背を向け、不夜城の裏口を開けた。
◇◆◇
一方、その頃。
宿屋に残されたラズは、アリソンを見送った時と全く同じように寝台に腰掛けたままでいた。ただ先ほどと違うのは、扉に目をやっては足を組み替え、時には爪を噛んでいることだ。
窓の外から聞こえてくる、何も知らない笑い声にラズは手身近にあった枕を、アリソンのベッドへありったけの力で放り投げる。
「もうっ、あの子いったいどこまで行ってるのよ⋯⋯っ!」
はー、はーと部屋に響く自分の呼吸音に我に返ったラズは、枕を元に戻しながら深くため息をつく。
アリソンにも一人の時間が必要だろう、と物分かりの良い顔をして引き留めなかったものの、実際のところ、彼女が視界にいないことは、ラズにとって予想以上に精神衛生上良くない事態であった。
田舎からやって来た娘。世間知らず。大都市の繁華街など始めてで、最初から人を疑ってかかることを知らないであろう、呑気でぼうっとした女。それもちょうどよく落ち込んだ様子──今のアリソンに当てはまりそうな言葉を並べていくと、一つの結論に辿り着く。
アリソンは、夜の繁華街にとって格好のカモだ。
とはいえ、フランベルジュも宿に置いて行っているのだから、そう遠くまでは行ってないのだろうが。
それでも万が一のことを考えるなら探しに行くべきなのだろうか。だけど、今は自分と顔を合わせたくないかもしれないし⋯⋯。
爪が食い込むほどぎゅっと枕を握りしめたラズは、ふと、アリソンのベッド脇に置かれたフランベルジュに目をやった。
──そういえば、昼間買った武器もあそこに置いていたはずではなかっただろうか?
「ッあのバカっ! まさか一人で突っ走るなんて⋯⋯ッ!」
戦闘時のような俊敏さでベッド脇に周り込んだラズは、悪態をついて天を仰ぐ。
ベッド脇に揃えて置いていたはずの剣は、アリソンの剣しか残っていない。だとすれば、あの時、ふらふらと部屋から出て行く時にはすでにこっそりと持ち出していたに違いない。
「あたしを騙すなんて、やるじゃないのよ⋯⋯」
手が震えているのは、してやられた怒りからだ。
もう悠長に玄関から出ている場合ではない。部屋に残っているありったけの武器を素早く装着したラズは、部屋の窓を大きく開き、その窓枠に足をかけて宵闇に躍り出た。
◇◆◇
「ううっ、なんだか寒気がする⋯⋯上着持って来ればよかったかなぁ」
ふるり、と肩を震わせながら、アリソンは通路を歩いていた。
途中でうっかり出くわした従業員は気絶させて倉庫らしき部屋に放り込んできたが、殴る前に道を聞くべきだったかもしれない。セネカの作りだした悪夢を通して見たラズの記憶では正面口を通っていたため、裏口からの通路がよく分からないのだ。
ともかく人の気配のする方へと足を伸ばしているのだが、先ほど出くわした従業員以外と、未だすれ違っていない。果たしてこちらで合っているのか。
そんなことを思いながら分かれ道を適当に進んでいると、微かに人の声がし、アリソンは立ち止まる。
店の人間かと思ったが、あまりに細い声は、なんだか違う気がして。
「⋯⋯そこにいるのは、誰?」
語りかけると、分かりやすく怯えた気配が廊下の先から伝わってくる。
もしかして──頭に浮かんだ考えに、アリソンはそっと周囲を伺いながら声を落とす。
「大丈夫、私はあなたの敵じゃないよ。⋯⋯出ておいで」
優しく語りかけたのが功を成したのか、廊下の影から、おずおずといった様子で数人の男女が顔を覗かせる。ぼろぼろの服を纏い手枷をつけた彼らは、少し警戒した様子でこちらを見ていた。
「つまり、隙を見て逃げ出してきたってことなんですね」
彼らの話を要約したアリソンに、彼らは頷く。
若い童顔の男と、固い顔で未だこちらを警戒している男、それから小さい子供を腕に抱いた女性。彼らは「平々凡々な商品」として入荷されたばかりで、まとめて同じ部屋に入れられていたところを、見張りの隙をついて抜け出してきたのだと言う。
「そう言うことなら、向こうに裏口があるので、逃げるならあっちの方に進むのがいいと思います」
そう言って、今しがた来た道を指差すと、「ほ、本当ですか⋯⋯?」と女性が半信半疑に言い、それとほぼ同時に童顔の男が「マジすか!」と素直に喜色をあらわにする。
「いやぁ、ここ窓もないんでどうやって脱出するか悩んでたんすよね〜!」
「⋯⋯待てよ、そんな簡単にこいつを信用していいのか?」
「えっ、どういうことっすか?」
「こんなところに急に現れて、店の回し者じゃないって証拠はないだろ! 騙されてる俺らを見て笑うショーかもしれねえだろ!」
「ショーって⋯⋯この辺、俺たち以外誰もいないじゃないっすか。どうやって見るんすか?」
「知らねえよ! どっか隠れてるとか、魔術で姿を消してるとか⋯⋯おいお前、俺たちの敵じゃないって言うなら証拠を見せろよ!」
「ちょっ、大声出さないでくださいっす! バレたらどうするんすか!?」
「うるせえ! くそっ、なんでこんなことに⋯⋯俺はただ、普通に生きていきたいだけだったってのに!」
言い争いを始めてしまった男たちを前に、子供を抱えた女性がおろおろと彼らとアリソンを交互に見つめてくる。
「あの、落ち着いてくださ⋯⋯」
「おやおやぁ? 商品が増えてるじゃねぇの! 叩いたら増える仕組みなんかねェ?」
男たちを落ち着かせようと敵意のなさをアピールするため両手を上げた瞬間、彼らの後方からいかにも荒くれ者といった容姿の男が現れる。誰なのかは知らないが、味方でないことだけは明らかだ。
こちらを睨みつけた男は、頑丈そうなメイスを手にどしどしと音を立てながら近づいてくる。音を立てるのは威圧感を与えるため、わざとやっているのだろう。
「くそっ、店の連中か!」
「あんたが大きい声出すからじゃないっすか!」
「そんなこと言ってる場合かよ! くそ、くそくそくそ!!」
「おかあさん、こわいよぉ⋯⋯っ」
「大丈夫よ、あなたは絶対にお母さんが守ってみせるから⋯⋯!」
混乱状態が広がる彼らを押し退け、アリソンは前に進み出た。背後から彼らの困惑、心配、期待の混じった視線を感じながら、「大丈夫です」とアリソンは敢えて力強く言って奴隷商人の仲間を見据える。
「この男は私がどうにかします。だからその間に、あなたたちは逃げてください」
「っ! でも、そんなことをしたらあなたが!」
「来た道の壁には小さく目印を残しているので、それを頼りに裏口まで行ってください。大丈夫、私、この人より何倍も強い人を知っていますから」
「⋯⋯わかったっす。俺たち先に逃げるんで、あんたも無事に逃げてくださいっす!」
「今は信じるしかねえな、裏切ったら殺すからな!」
「あ、ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます⋯⋯!」
納得したのか、出来なくとも逃げるしかないと思ったのか、彼らは三者三様の言葉を残してアリソンに背を向けて走り出す。去っていく彼らの方から、「ねえ」と小さな舌足らずな子供の声が聞こえる。
「おねえちゃん、いいひと? わるいひと?」
「私は⋯⋯」
──世の中の善悪なんてものは、全部ひとりひとりの主観でしかないのよ。
脳裏に響くラズの声に、言葉が詰まる。
例えどれだけ己の行いに納得して、正しいと思っていても、それも所詮は自分の見たことでしかないのならば。
「⋯⋯どっちでもないよ。私はただ、人間を売り物にするのは間違っていると思っただけの⋯⋯ただの村娘だから!」
遠く離れていく足音から考えるに、あの子供にはもうとっくに聞こえていないかもしれない。だけど、答えたいと思った。そして、いつか弟ルノーの歳を超えていくだろうあの子が無事でいられるようにと願いたい。
「へえ、泣かせるじゃねえか。自分ひとりが囮になって、みんなを逃すってェ?」
「囮になったつもりはないです。私は、この先に用事があるので」
「ハハッ! 威勢いい女子供は好きだぜ、そう言うのを潰すのが堪らねえよなァ⋯⋯まずは腕、いや足の一本は頂いてくぜェ!!」
無駄な演技をやめてメイスを振り上げ駆け出した男に向かって、アリソンもまた右手に剣を、そして左手にカンテラを構える。
もう何だってよかった。考えるのが怖くて逃げているだけだとしても、それでも今は、どこかにいるであろう奴隷商人を殺すことしか考えられない。
そのためにはまず、目の前の男を殺すことからだ。
アリソンの思いに呼応するように火の粉が散り、剣の表面に薄く炎を渦巻かせる。それに驚いた男が目を見開いた瞬間、剣は彼の胴体を真っ二つに切り裂いた。
◇◆◇
「なんだなんだ、明かりが消えたぞ!」
「さっさと明かりをつけんか! 品物がよく見えんだろうが!」
「た、大変申し訳ございません! 現在対応中ですので、今しばらくお待ちください⋯⋯!」
真っ暗闇になった店内。どよめき、混乱する中を従業員は頭を下げて謝りながら走る。暗いせいで道中誰かにぶつかりながらも、従業員はスタッフルームの扉をなんとか見つけて部屋の中に飛び込む。会場内には安全のため窓がないが、このスタッフルームには小さい窓があり、月明かりのおかげでかろうじて部屋の中の様子を見ることができた。
部屋の中で待機していたもう一人の従業員が、待ち構えていたかのように肩を掴んでくる。
「おいおい、どうなってるんだ? さっさと明かりをつけてこいよ」
「そ、それが⋯⋯火がつかないんです!」
「はぁ? 何言ってるんだ、マッチが湿気ってるなら新しいのを持ってこい! これ以上、お客様にご迷惑はかけられないだろう!?」
「そうじゃなくて⋯⋯どのマッチを使っても火がつかないんです! 本当なんです!!」
「そんな馬鹿みたいなこと、誰が⋯⋯ん?」
部下を怒鳴りつけていた従業員は、ふいに暖炉の方を振り向く。暗い部屋に目が慣れてきたおかげでかろうじてそこに暖炉があるのだと言うことは分かるが、何に違和感を感じたかまでは分からない。
「と、とにかく明かりがつかないんですよ! 一体どうすれば⋯⋯」
「シッ! 待て、今何か⋯⋯」
「へえ、勘がいいのね。でもあんまり鋭いと、長生きできないわよ?」
聞き覚えのない少女の声は、目の前から聞こえたかと思えば、次の言葉がすぐ横から聞こえてくる。移動しながら喋っているのだ。
この暗闇の中をどうやって素早く動いているのか。
「誰だ!? 一体どうやってここに⋯⋯」
「何年掃除してないのよ、この煙突。念の為に防壁魔術を張っておいて正解だったわ」
「なっ⋯⋯まさか屋根伝いに入ってきたって言うのか!?」
「し、侵入者!? 早く警備員に知らせて──」
そう言った従業員が部屋を出ようとした瞬間、どさりと重たいものが崩れる音がする。何事だ、と部下の様子を振り返ろうとした彼は、気づけばその場に崩れ落ちていた。
⋯⋯体が、動かない。
「部屋が狭いおかげで、毒の香が使いやすくて助かったわ」
「くっ⋯⋯貴様、俺たちをどうする気だ!?」
「い、いやあぁ! 死にたくないぃ!!」
「大袈裟ね、ただの神経毒よ。効果が切れるまでそこで大人しくしててちょうだい」
そう言って、侵入者である少女──ラズは、スタッフルームの扉を開ける。
忌々しい過去の、そのひとつの象徴である奴隷市場。こんなところ、できることなら来たくはなかったけれど。
夜目のきくラズには、進み出た廊下の光景が見えている。地面に滴る血の跡と、微かな焼け跡。どうも人々が慌てふためいているのは、明かりが消えただけではなさそうだ。
「アリソンたら、派手なことしてるじゃない。この際あたしも1枚噛ませてもらおうかしら」
慌てふためく客人と、チャンスとばかりに逃げ出していく奴隷、そしてそんな彼ら同様に混乱しながらも必死で客を落ち着かせようとする従業員たちの姿に、ラズは乾いた唇を舐めた。
◇◆◇
突然、ありとあらゆる明かりが消えてしまった店内。その地下にある隠された部屋の中で、奴隷商人は震える手で鍵束を握っていた。
流石に、ヤツもここまでは来られまいと頭では分かっていても、どうしても震えが治らない。早くこの奥にある隠し通路から逃げなければと思うのに、全身が震えているせいで走れない。
どころか、上階から聞こえてくる悲鳴に思わず鍵束を落としてしまう始末。
「クソッ! どうしてこんなことに⋯⋯!」
今日はいつも通りの1日だったはずだ。いつも通り、商品を入荷し、売り捌き、売れ行きの悪そうなものは適宜処分して。
それなのに、急にカンテラが一斉に壊れたかと思うと、商品の失踪、さらにはあんな──
「うぐぇっ、げぇっ⋯⋯思い出すな思い出すな思い出すな!!」
込み上げる吐き気を抑えながら、奴隷商人は震える手で隠し通路に繋がる扉に鍵を差し込もうとする。
──3つの商品が逃げ出していたことには気づいていた。
その時点で捕まえてもよかったのだが、どうせなら「逃げられるかもしれない」と希望を与えた上で、やっぱり逃げられないのだと絶望を与えた顔が見たいと欲が出てしまった。だから、警備員には出口近くまでじわじわ追い詰めて捕まえるように言いつけたのだ。不完全な体を好む警備員にやる気を出させるため、手足の一本や二本は欠損しても良いと許可も出してやった。給金以上の報酬に、警備員の方も気が昂っていたのを覚えている。
そして、奴隷商人はその様子を後方から優雅にひっそりと見るつもりだった。こんな楽しいショーを見逃すわけにはいかないから。
だと言うのに、結果はどうだ。
見覚えのない、商品にしたところで売れ行きも平々凡々だろう灰色の髪をした小娘が、あっさりと警備員を真っ二つに切り裂いたのだ。
あの小娘から発せられる殺意の強さと言ったら⋯⋯
「へえ、こんなところにまだ部屋があったんですね」
聞こえてくるはずのない声にギギギ、とゼンマイを巻くように首を回すと、他人の血に濡れた灰髪の少女が、地下に降りてくるところだった。
一体なぜ、この場所を。ここは店の従業員にも教えていない、一部の警備員やたった一人の上客を除いては奴隷商人しか知らない場所なのに。後を追ってきたと言うのか、それとも警備員が裏切った、いや、命乞いにこの場所を吐いたのか。
「ひぎぃっ!? な、ななな⋯⋯か、鍵は、鍵は閉めたはずじゃ、」
「鍵? えっと、これのことですか?」
そう言った少女の手に揺れているのは、無惨に壊れた錠前。奴隷商人は口元が引き攣るのを感じる。
「壊してしまえば、無いのと同じですよね」
物も人も、と続きそうな口調に、滝のような冷や汗が流れ落ちる。
どうして急にこんな人殺しの女が降って沸いたのか奴隷商人には見当もつかない。しかし、生存意欲に溢れた奴隷商人には、少女の殺意が自分に向けられていることを感じ取るだけの目利きの良さはあった。
そしてその殺意は、自分が有金全てを差し出したところで鎮められるものではないと言うことも。
だが、女神様は微笑んでくださった。少女の後ろから、二人組の警備員が現れたのだ。
「お、お前たち! いいところにきた、助けてくれ!」
「助けて欲しいのはこっちだよ! 上の階で訳のわからん女が暴れてて、もう何人もやられてるんだぞ!?」
「それをやったのはこの小娘だ! いいから殺せ!」
「ハァ? いや、こいつじゃないって。もっと細くて綺麗な女が──」
「御宅はいいから、さっさとこの小娘を殺してくれええ!!!」
「⋯⋯話ができる状態じゃなさそうだな。仕方ない、コイツを殺してから話を聞いてもらうとするか」
外聞もなく叫んだ奴隷商人に、警備員二人はやれやれと呆れた様子で武器を構える。
そんな風に油断するなと奴隷商人は言いたかったが、馬鹿にされるのも嫌なので黙ることにした。それよりも、震えているせいでうまく回らない鍵との悪戦苦闘に戻った方が生き残れるはず。警備員たちが時間を稼いでいる間に鍵を開けて、外に逃げる。うん、我ながら良いプランだ。警備員が何人死のうが、また雇えばいい。金に糸目をつけなければ、この恐ろしい小娘を殺せる奴らを大勢雇えるはず。
──そのはずだったのだが。
「やった、やった! これでここから逃げられるぞ!!」
「あの、次はあなたの番ですけど」
ぽん、と肩を叩かれ奴隷商人は戦慄する。
「ひぎぃぃ!! なんで一瞬で殺されてるんだ、あの給料泥棒共がぁぁ!!」
「一瞬って、そんな言い方はないんじゃないですか? あなたが遅いだけだと思うし⋯⋯あとは、うーん、お給料が低すぎたんじゃないですか? 今度生まれてくるときは、ちゃんと支払った方がいいと思いますよ」
血まみれの少女に地面に叩きつけられ、首筋に剣を突き立てられてなお、奴隷商人は生きることを諦めきれない。全力でもがき、抵抗し、少女の左腕を掴んだ時、戦闘で消耗していたらしい袖がそのままビリビリと引き裂かれる。
それに気づいた少女が「あ」と声を上げた隙に、奴隷商人は少女を押し飛ばし、彼女の下から這い出す。
後から思えば、この時に急いで隠し通路に駆け込めばよかったのだ。そうすればもしかしたら、少しは運命を変えられたかもしれない。しかし、彼にはできなかった。目の前にあらわになった左腕に刻まれた、明らかに異質な黒い紋様のような傷跡を、思わず凝視してしまったのだ。
何故ならそれは、無料で良質な商品を提供してくれるとある上客の、ある癖を思い起こさせるもので。
「は、ははは⋯⋯アッハハハハハ!! なんだ、あんたも勇者様の『お払い箱』だったのかよ!」
「⋯⋯お払い箱?」
「とぼけるなよ、その左腕! 勇者様の聖剣フォルティスで人間を切った時にできる黒い傷跡だろう!?」
嫌な過去を突いて、この傲慢な小娘の顔が歪む様を見たい──生存意欲よりも薄汚れた欲望を優先した奴隷商人は、けれどすぐに失望することになる。
少女がいつまで経っても絶望することなく、ただ左腕と奴隷商人を交互に見て、首を傾げていたからだ。
「⋯⋯傷、ってなんのことですか?」
「は?」
「私の左腕のこと、さっきから見てるみたいですけど。何にもないじゃないですか?」
まっさらですよ、と言う少女の目を見れば嘘ではないことは分かった。少女は本当に、傷を傷と認識できていないのだ。
吐き気のするほど誠実で純粋に濁った目に向けて、奴隷商人は「そりゃ可哀想に」と鼻で笑った。
カワイソウに、とせせら笑う奴隷商人に、何が面白いのだろう、とアリソンは思った。
アリソンからすれば、なんの傷跡もない──本当にそうだろうか、いやそうであるはずだきっとそう──まっさらな左腕にいちゃもんをつけてくる彼の方がおかしいのだけれど。
それに、彼が喚くせいなのかなんなのか、頭痛がしてひどく気持ちが悪い。心なしか左腕まで痛みを訴えてきたような気がして怖い。
まあでも、いいか。この人どうせ、今から死ぬんだし。
そう思い直して、剣を振り上げた時、ふいに轟音と共に天井が激しく揺れる。なんだなんだと、アリソンと奴隷商人と揃って顔を上げた時、バキバキと木の割れる音と共に、上階の床の一部と客と思しき男の死体が、そしてその上からさらにラズが落ちてきた。
⋯⋯えっ、どうしてここにラズが、と口をあんぐりと開けたアリソンに、彼女はにんまりと微笑む。
「あらあら、楽しそうなことしてるじゃないの、アリソン。あたしも混ぜてくれる?」
「えっ、ええ⋯⋯!? ら、ラズさん、えっ、本物⋯⋯?」
「ああっ、お前! お前は見覚えがあるぞ! 勇者様のお払い箱のくせに、やたらと暴れて傷を増やした女だ! お前のせいで俺は値下げ交渉されてあの月は売上が減っ──ぐぎゃっ!!」
奴隷商人が文句を言い終わる前に、ラズの手から目にも見えぬ速さで放たれたナイフが商人の腕と壁を串刺しにする。
「虫の羽音かしら、よく聞こえなかったわ」
「ら⋯⋯ラズさん? あの、もしかして私に怒ってます⋯⋯?」
恐る恐る声をかけたアリソンに、ラズはにっこりと、とんでもなくいい笑顔で向き直って口を開く。
「いやね、そんなの当たり前じゃない?」
「ひぇっ⋯⋯顔は笑ってるのに声が低い⋯⋯」
「アンタねえ、あたしがどんな思いしたか分かってる? よく言えたわねえ、『もしかして私に怒ってます?』じゃないのよ。アンタ以外に誰がいるのよ! この⋯⋯馬鹿!!」
「す、すみません⋯⋯」
「⋯⋯まあ、あたしも少し言い過ぎたわ」
しゅん、と項垂れたアリソンを見て、ぼそっと付け足したラズは「とにかく」と咳払いする。
「今度から一人で敵陣に突っ込むような真似はやめなさい、危ないんだから。分かった?」
「わ、私、ちゃんとラズさんを誘いましたよ! でも、ラズさんがあんなこと言うから⋯⋯」
「あんなことって何よ、大事なことでしょ。タイミングは悪かったかもしれないけど、いつまでも目を逸らしていられるものじゃないわ」
「それは⋯⋯そう、かもしれないですけど⋯⋯」
「⋯⋯ま、それは追々話しましょ。それにしても、思い切ったことをしたわね。相当派手な事態になってるわよ? ここが奴隷市場じゃなかったら、とっくに騎士団が駆け付けてるぐらいだわ」
「あ、そっか⋯⋯そうですよね。騒ぎが大きくなったら、騎士団が来るかもしれないですよね。忘れてました」
「もう、あなたって呑気なんだから」
ふふふ、と怒りの笑みではない微笑を浮かべたラズに、アリソンもなんだか気が緩んだ。
「そういえば、あの、謝らなきゃと思ってたんですけど⋯⋯勝手に剣を借りてごめんなさい」
「ああ、いいのよ。それは元々、あなたにあげようと思ってたんだし」
「え? ⋯⋯私に?」
「何よ、その剣が気に入ったんじゃなかったの?」
「じゃあ、武器屋で私の意見を聞きたがったのは⋯⋯」
「あなたの好みが分からなかったからに決まってるでしょ? どうせなら相手の喜ぶものを贈りたいじゃない。⋯⋯何よ、本当は別の剣の方が良かった?」
「こっ、これがいいです! これが⋯⋯」
ぎゅっと剣を抱いて言い募るアリソンに、ラズは「そう」と呟き、少し気恥ずかしげにそっぽを向く。
なんとなくお互いの顔を見れないでいると、そんな空気を切り裂くように奴隷商人が「無視するなああ!!」と叫ぶ。
「あら、まだ生きてたの?」
「すみません、止めを刺し損ねてました⋯⋯私がもっと早くやっつけてれば⋯⋯」
「あたしが急に落ちてきたんだから、驚くのも仕方ないわよ。あなたのせいじゃないわ」
「蚊帳の外にするなああ!! 興味がないなら早く解放しろおおお!!!」
腕が磔になっているのだから無理もないのだが、残念ながら奴隷商人に対する同情心はアリソンにもラズにもない。
「いま話の最中なのよ! 引っ込んでなさい!!」
「いま話の途中なんです! 黙っててくださいっ!!」
同時に答えた二人が投げた剣がそれぞれ脳と心臓を直撃し、奴隷商人は息絶えた。
戦闘能力のない一般人なのだ、手こずっていたことの方がおかしいのである。
「⋯⋯あたし、こんな男に怯えてたのね⋯⋯」
感傷気味に溢したラズは、この男の下で商品として扱われていた日々のことを思い返しているのだろうか。アリソンは、男の死体を見下ろした彼女の背に手を回す。
「無理もないですよ。手枷とか、足枷とかつけられて、それに⋯⋯」
「⋯⋯いいのよ、大丈夫。もう大丈夫よ」
本当に大丈夫だろうか、と心配するアリソンに対して、顔を上げたラズは少しすっきりした顔をしていた。
「さあ、後は他に捕まってる人がいないか見てから帰りましょ」
「そうですね、さすがに眠くなってきました⋯⋯」
「⋯⋯この状況でそれを言えるなんて、大分したたかになってきたじゃない」
軽口を叩き合いながら、武器を回収し上階へ通じる階段へと歩き出したその時。
「──わあ、派手にやったねえ」
自分達と死んだ奴隷商人以外は誰の気配もしなかった部屋に、突如、聞き覚えのある声が響く。
振り返ると、そこには、奴隷商人が渇望していた隠し通路から現れたであろう人影が立っていた。
橙色の髪。
緑の瞳。
温和な顔立ち。
そして、背中に背負った聖剣。
「これ、君たちがやったの? 凄いね、スカウトしたいぐらいだよ」
──勇者と呼ばれた男レインナート・ローウェンが、まるで散歩に来たとでもいうように無防備に立っていた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
もし面白かったら、評価や感想など頂けると励みになります。
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