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村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第4章 王都編(上)
38/76

030 愚者の行進



 暖かな陽気の差し込む午後。

 うららかな日差しに、道行く人々の顔もどこか眠そうに見える。そんな外の様子を、アリソンは所狭しと並べられた武器の中からぼうっと眺めていた。


 アリソンがいるのは、人の行き交う大通りから少し離れた、小さい通りに建つ武器屋の中だ。

 もっと大きな武器屋に行かなくて良いのかと尋ねたところ、大衆向けの店ではないからこそマニア向けのお宝が眠っている、と答えたラズは先ほどから店主と店の奥で話し込んでいる。普段から様々な暗器を身体中に仕込んでいる彼女は、この武器屋の主人と気が合うようですっかり意気投合した彼らの話は止まるところを知らない。

 話の内容はアリソンには半分も分からなかったが、自分の大切な人間が楽しそうにしているのを見ていると自分も楽しくなる。特に、それが好きなもののことについて瞳を輝かせている姿であれば尚更。


 そんな楽しそうなラズとは反対に自分はといえば、窓の外の人々に当てられたのか瞼が何だか重くなってきておいる。曇りひとつない磨き抜かれた刀身に映り込んだ己の顔はどう誤魔化そうとしたところで、うとうとしている時の弟そっくりで。


「ごめんなさいねえ、うちの夫は話が長くて」

「あっ、いえいえ。こちらこそ、ラ⋯⋯えっと、あの子に色々お話聞かせてくれて、ありがとうございます」


 声をかけてきたのは、武器屋の店主の妻だ。笑い皺の刻まれた穏やかな顔が、少し祖母に似ている。

「気安く名前を名乗ると危険だ」と忠告されたというのに、思わずラズの名前を出してしまいそうになり慌てて呑み込んだが不自然ではなかっただろうか。そっと様子を伺ってみるが、老婦人は気にしている様子もなくにこにこと夫である武器屋の店主を見つめている。


「もうね、この店、誰にでも扱いやすい武器なんて全然置いてないでしょう? だからいつもは常連さんしか来ないんだけど、久々に新しい人が、それも趣味の通じるお客さんが来てくれたものだからあの人嬉しくて仕方ないんだわ」

「確かにそんな感じがしますね」

「そうでしょう? 私もねえ、武器のことはあんまりよく分からないんだけど、好きな人が好きなことを語っている姿を見るのが楽しくて仕方がなくてね」

「ああ⋯⋯それは分かります。すごく」


 穏やかに笑う老婦人に、アリソンの口角が緩む。

 そんな風に武器屋の主人とラズの様子を二人で見ていると、ふいにラズがくるりと振り返る。ずんずんと近づいてきたかと思うと、彼女は「ちょっと来て」と有無を言わさぬ力でアリソンの手を掴んで店の奥へ戻ってしまう。


「あ、あのっ? 急にどうしたんですか?」

「この中に何か気になるものはある?」

「⋯⋯へっ?」

「何でも良いのよ。ほら、どれがいいか言ってみなさい」


 アリソンを引っ張ってきたラズは、店主と自分の間にあるカウンターに並べられた短剣を指してそんなことを言う。

 ずらりと整列した短剣たちに、アリソンは目を瞬かせる。

 どうして自分に聞くのだろう。あんなに武器の話で盛り上がれるのなら、ラズが好きなものを好きなように選べば良いのに。


「えっと⋯⋯」

「試しに握ってみても良いわよ。あ、でも振る時は人に当たらないように気をつけて」


 そう言ってラズはアリソンの手にぎゅっと短剣を握らせてくる。しばらく持ったままでいると、「こっちはどう?」などと言って別の短剣を握らせ、再び「どう?」と聞かれるが⋯⋯正直、違いがよく分からない。

 もちろん、細かい装飾の差異や形が少し異なっていることなどは分かるが、基本的な部分はどちらも同じに感じてしまって、どう思うか聞かれても答えられない。これで重量に差があれば何かしら意見も言えるが、重量も同じぐらい軽いのだからなんとも言えない。

 ああでも、せっかくラズが聞いてくれたのだから、何か気の利いたことのひとつでも言いたい──困ったアリソンは視線を彷徨わせた先にあった剣に目を止める。

 なぜそれに目を止めたのか、すぐには分からなかった。けれど3秒ほど視線をそのままにしていると、仄かな懐かしさが胸を過ぎる。そうだ、この剣は。

 意を決したアリソンは、カウンターの端に置かれていた短剣を指差した。


「あの短剣がいいなって思うんですけど、どうでしょうか」

「これ? これ、ただの鉄の短剣よ? 特に持ちやすいわけでも、加工が凝ってるわけでもないのに」

「いえ、これがいいです。ラズが剣を教えてくれたときに使ってたものと似てるので」


 うん、見れば見るほどよく似ている。

 短剣にしては少し剣先が長いからだろうか。僅かに切先が湾曲しているものの、無骨で凝ったデザインが少しも施されていないところが、訓練所でラズに挑み続けた日々を思い起こさせた。

 もちろん、重さも使い勝手も違う別の剣であることは分かっている。それでも、どれかを選べというのならこれがいいと思ったのだが──


「ラズ? あの、どうして頭を抱えているんです?」


 心配になって問いかけると、黙って二人のやり取りを見ていた店主が口を開けて笑う。


「がっはっは! お嬢ちゃん、いい友達を持ったねえ。まさか装飾でも使い勝手でもなく、思い出の品を選ぶとは! 流石のおっちゃんもこんなお客さんは初めてだよ」

「あっ⋯⋯」


 そうだった、これは武器なのだから、もっと実用性で選ぶべきだった。しかも、あれだけ気をつけようと思っていたのに、結局彼女の名前を出してしまった。

 これじゃラズに呆れられてしまうのも無理はない。そう思って謝ろうとしたものの、なぜか彼女はアリソンが口を開こうとするのを遮るかのように「これ買うわ」と言って、アリソンの選んだ短剣を店主に差し出してしまった。


「えっ、ラズさ⋯⋯じゃなくて、あの、それじゃなくても別に、」

「何よ、文句でもあるの!?」

「な、ないですけど⋯⋯あのう、でも実用性とか全然考えてなかったので、」

「あたしが買うって決めたんだからアンタは黙ってなさい!」


 怒ったように顔を赤くしたラズに一喝され、アリソンは反射的に口を閉じる。

 てきぱきと会計が進められていく横で、本当にいいのだろうか、とアリソンは思う。ラズがこんなにも己の意見を重視しているのなら、もっとちゃんと彼女の手に馴染む武器を考えれば良かった。

 というかそもそも、ラズが使う物なのに自分が選んで良かったのだろうか。さっき選んだ物以外にも彼女は色々と購入している様子ではあるものの、使いにくかったりしないだろうか。あんなにこれしかない、という口調で選んだのに今更不安になる。

 やはり、怒られるとしてもあの短剣の購入は待ってもらうべきかもしれない。そう思い立ったアリソンが口を開こうとした時、ふいに窓から店の中に影が差す。通行人が窓の外を通り過ぎる時の影だろうと、何気なく横目で見た瞬間、アリソンの頭の中は白一色になった。


 髭の生えていて、少し清潔感に欠けた裕福そうな男。

 その男は、かつてレインナートの命でラズを売り飛ばした奴隷商人だった。


「終わったわよ、待たせて悪かったわね。どこかで少し休んでから宿に⋯⋯、アリソン? 顔色が悪いわよ、何かあったの?」

「あ、いえ。えっと⋯⋯」


 会計を終えたラズは、男の姿がちょうど見えなかったようだ。彼女は首を傾げ、少し心配そうに眉を顰めてアリソンを見つめている。

 今から飛び出せば、通り過ぎて行った男に追いつくことは容易いことだろう。そのまま殴りつけることも、路地裏に引き摺り込むことだってやろうと思えばできる。できるけれど。


「⋯⋯えっと、ちょっとお腹すいたなぁ、って思ってました」


 お腹をさすって苦笑いしてみせると、ラズは「しょうがないわね」と目尻を下げて微笑む。


「それじゃ、なにか食べに行きましょ。食べたいものはあるかしら?」

「いえ、ラズの好きなもので」

「そう? じゃあ、適当にぶらぶら歩いて、気になる店があったらそこにするのはどう?」

「いいですね、それ。あ、荷物持ちますよ」

「は? あ、ちょっと⋯⋯!」


 ラズが抱えていた荷物をひょいと抱えて、アリソンは歩き出す。重いから、と取り返そうとしてくるのを避けながら、アリソンはさりげなく奴隷商人の去って行った方角を見やる。

 けれどそこにはただ人々の行き交う雑踏があるだけで、ほの暗い人影はもうどこにもいなかった。



◇◆◇



「で、さっきはどうしたのよ」


 大通りからは少し外れた店内で、頼んだ料理が出揃ってしばらくした頃にラズはそう言った。

 他の店に比べて内装はそこまで凝っておらず人気もまばらで、果実をふんだんに使った飲み物はなんだかよく分からない濁った色をしているものの、料理の味は悪くない。ラズの作る料理同様、母の手料理に似た味のするシチューをスプーンでよそいながら彼女の言葉を聞いたアリソンは、数秒固まったのち、ゆっくりと顔を上げて彼女を見る。

 こちらを真っ直ぐ射抜く蒼は、真剣そのもの。

 逃げ切るなら相当の技術がいるだろう。腹を括り、アリソンは口を開く。


「⋯⋯何の話ですか?」

「お腹すいた、なんて嘘でしょ。ちっとも進んでないじゃない」

「ラズさんが早いだけですよ」

「やっぱり嘘。だってあなた今、あたしのことラズさんって呼んだわ。知ってる? あなた、隠し事があるときは特にさん付けで呼びがちなのよ。気が緩んでるのか、それとも構ってられないから間違えるのかは分からないけどね」

「えっ⋯⋯そ、そんなことはない⋯⋯はずです!」


 ⋯⋯多分。

 自信のなさが顔に出て、あからさまに目が泳ぐアリソンにラズは半目でため息をつく。


「まあ、ハッタリなんだけど」

「えっ」

「へえ、そこで動揺するの? ってことはやっぱり嘘をついてたんじゃないの」

「び、びっくりしただけです! 本当に何でもないですよ!」

「あのねえ、嘘じゃないんなら『そんなことはない』なんて言う必要ないの。『そうでしたっけ』で済む話なの。それでもって、動揺する必要も、動揺したことに対する言い訳もいらないの。そうやって言葉を重ねれば重ねるほど嘘臭くなっていくのよ」

「うぅっ⋯⋯」

「⋯⋯それでもね、多少の嘘なら見逃してるわ。誰にだって見られたくないものの一つや二つあるんだから、見ないフリぐらいしてあげる。っていうか、もう何度かしてあげてるし」

「えっ。⋯⋯っ、あの、それもハッタリだったり⋯⋯?」


 その問いに、ラズは笑って首を傾げる。まるで「どう思う?」と言うように。

 アリソンが冷や汗を流していることなど、きっと分かっているのだろう。本当に機嫌がいい時とは全く違う笑顔を浮かべた彼女は「でもね」と続ける。


「今日のはさすがに不自然すぎて見逃せない。わざわざあたしに言うか迷ってやめたみたいだし、尚更だわ。さあ、とっとと白状しなさい?」


 にっこり笑ったラズから放たれる威圧感に、アリソンは口の中で悲鳴を噛み殺す。猫に睨まれた鼠に逃げ場はもうない。

 ここまで来れば素直に従うほかないことは分かる。ラズと目を合わせられないまま、アリソンは武器屋で見た一切合切を白状した。きっと取り乱すだろう、と思っていたアリソンの予想に反して、話を聞き終えたラズの第一声はひどく呆れたような声で。

 恐る恐る顔を上げると、彼女は「はあ」とため息をついた。


「⋯⋯つまり、あたしが傷つくと思って黙ってたわけ?」

「傷つくっていうか、その、酷いことをした人で、好き好んで会いたい相手じゃないから言わない方がいいと思って⋯⋯」

「会いたくないっていうのはまあ、そうね。でもそんなに気を遣うこともないわよ、想定内だもの」

「え?」


 アリソンの不安をよそにラズはひどく凪いだ様子で、潰れた果実の入った飲み物を呷る。


「だってここ、王都よ。奴がいることは最初から分かってたじゃない。どこかですれ違ったって少しもおかしくないわ」


 フォークで赤い肉をつつきながらそう言ったラズに、「でも」とアリソンは反射的に口にする。


「でも、見せたくなかったんです。⋯⋯ラズを苦しめた人だから」

「⋯⋯」

「ごめんなさい。嘘をつくのが下手で結局バレちゃいました」

「⋯⋯あなたはあたしに気を遣っただけよ、謝ることなんてないでしょ。こっちも無理に追求して悪かったわね。ほら、そんなことより食事が冷めるわよ。このステーキ、ちょっとレアだけど食べてみる?」

「あ、はい⋯⋯ありがとうございます」

「そうそう、さっき武器屋のおじさんから聞いたんだけど、今年も誕生祭の日に合わせて御前試合を行うらしくて──」


 話題を変えたラズから取り皿を受け取り、アリソンは肉を一切れ口に運ぶ。柔らかくて弾力があるそれは、よく焼けた肉とだいぶ食感が違うが味は母の料理と似ているような似ていないような⋯⋯よく分からない味がする。対面のラズも話の途中で一瞬顔を顰めたっきり料理の味には触れないので、つまりそういうことなのかもしれない。

 もごもごと口の中で噛み締めながら、アリソンは魔界でラズが作ってくれた料理のことをぼんやりと思い出していた。



◇◆◇



 その夜のこと。

 同じように大きな都市であった聖都が夜には静まり返っていたのと違って、王都の夜は騒がしい。昼間寝ている動物が一斉に起きて出かけ出したかのように、賑やかな笑い声や行き交う足音や音楽が絶えず聞こえてくる。

 そんな中でも隣のベッドから寝息が聞こえてくることに、アリソンは胸を撫で下ろす。

 良かった。ラズが寝つけなかったらどうしようかと思っていたのだ。


 頬をぎこちなく緩めたアリソンは、そっと自分のベッドを抜け出し、素足を床に──


「こんな夜遅くにどこ行くつもりなの」

「⋯⋯」

「アーリーソーンー?」


 もしかしたら寝言かもしれない。それか聞き違いかも。きっとそうだ。

 そんな儚い期待は、背後のベッドから聞こえてくる怒気のこもった声に打ち砕かれる。


「⋯⋯なんで寝てないんですか⋯⋯」

「それはこっちのセリフだけど? あたしに隠し事しようなんて百年早いのよ、昼間の件でもう懲りたかと思ってたんだけど?」

「はい、今度こそ身に染みました⋯⋯」


 諦めて姿勢を正し、ベッドに座り直ったアリソンに「で?」とラズは促してくる。


「夜中にコソコソ何しようとしてたの? 今から一人で王宮に忍び込むつもりだったーなんて言うんじゃないでしょうね」

「そこまで大それたことは⋯⋯」

「じゃあ何よ」


 見逃してくれる気はないらしい。

 昼間のようにこちらをじっと見つめてくる蒼から逃げる事なく、アリソンもまた彼女を見つめ返す。


「本当は一人でやろうと思ってたんですけど⋯⋯こうなったら提案します」

「提案?」

「あの男、殺しませんか」


 物騒な発言に、瞬きの刹那だけ沈黙が降りる。


「⋯⋯どの男?」

「ラズさんを物みたいにケースの中に入れて売り渡した奴隷商人です」

「ああ、なんだ。あいつのことね」


 アリソンの返答を聞いて、ラズはふっと息をつく。

 仇がすぐそこにいる事態にアリソンが先走るのではないか──先ほど問い詰める時に口にした言葉は、ラズが密かに案じていたことだ。それに比べれば奴隷商人など些細なことである。

 しかし、それを知らないアリソンの目にはラズの態度は自分の提案を軽く捉えているようにも感じられた。特に、彼女が次に放った一言によって。


「理由を聞いてもいいかしら?」

「え?」

「え、って何よ。あいつをわざわざ殺しに行く理由なんかないでしょ」

「あ⋯⋯ありますよ! 大有りですっ! あの男は、ラズを奴隷にして、ひどい実験をする魔術師に売り渡したじゃないですか。そんなことする悪い人がのうのうと生きてるなんて⋯⋯!」

「悪い人なんていくらでも生きてるでしょ。あたしだって悪い人よ?」


 小首を傾げたラズは、薄く笑ってそう言う。

 なんてことを言うのだ。頭が沸騰するのを感じながら、アリソンは考えるよりも早く吠えるように叫ぶ。


「なんでそんなこと言うんですか! ラズが悪い人なわけないじゃないですか!」

「あなた、あたしが善人に見えるの?」

「当たり前じゃないですか! 私に剣を教えてくれて、優しくしてくれて、分からないことはなんでも説明してくれて、助けてくれて⋯⋯そんな人が悪人だなんて意味がわからないです!」

「お褒めに預かり光栄ね。でもそれは、あなたから見た話でしょ? 例えば、あたしに倒された山賊にとって、あたしはいい人なのかしら?」

「え⋯⋯」


 どうしてラズがそんなことを言うのか、アリソンには分からない。沸騰した瞬間いきなり火を消された水のように、行き場のない感情が手のひらを滲ませる。しっとりした不快感に思わずシーツの上に転がした拳が持ち上がらない。

 そんなアリソンにラズは憐れな子供に言い聞かせるような口調で語りかける。


「あのね、アリソン。世の中の善悪なんてものは、全部ひとりひとりの主観でしかないのよ。あたしやあなたにとってレインナートが絶対的な悪であることと、世の中の人々にとって彼が絶対的な善であることは両立できるの」

「な⋯⋯なに、を、言いたいんですか。復讐が間違ってるって、ラズが⋯⋯他でもないあなたが、言うんですか」

「違うわ! そうじゃなくて⋯⋯なんて言えばいいのかしら。ただ、あなたが奴隷商人を殺そうと思ったその原動力が悪人を懲らしめたいという気持ちから来ているのなら、それは止めた方がいいと思うだけよ。正しさなんて、立場が違えば変わるものなんだから」


 宥めるように、それでいてどこか淡々と語るラズを、アリソンは呆然と見つめる。

 ぎらぎらと星が燃えている蒼の中に、これまで幾度となく、自分の中に燃え盛る炎と同じものを見てきたはずだ。それは今も変わらず彼女の瞳の中で轟々と燃えていて、自分達が同じものを尚も持ち続けているのだと証明している。

 ラズは復讐を否定しているのではない。彼女自身が言うように、それは事実なのだろう。

 けれどそれならば何故、こうも彼女の言っていることが何ひとつ分からないのか。

 戸惑いながらも、アリソンはどうにかこうにか震える口を開く。


「⋯⋯分からない。分からないです、ラズ。だって、レインナートは私の家族とイグニスさんを殺しました。それは悪いことで、間違ってることじゃないですか」

「ええ。家族を奪われた側であるあなたやあたしにとっては、もちろんそうよ。でも向こうにとっては、そして関係のない他人からすれば──」

「レインナートがどう思うかなんてどうだっていいじゃないですか! 悪いのは向こうなんですからっ!」

「そうね、それはもちろんそう。奪われた側が奪った側の立場を考えてあげる義理はないわよ。あたしが言いたいのはそうじゃなくて、自分でちゃんと考えた上で決めて欲しいの。⋯⋯ねえ、あたしがレインナートを殺したいのは、彼が間違っているからでも自分を正義だと思っているからでもない、ただあたしが『許せない』と思ってるからなのよ」


 何を当たり前のことを、とは言えなかった。

 何故ならアリソンがレインナートを殺したいのは、それだけではないからだ。家族を生き返らせたかったから、というのもあるし、それに。


「たとえ世界中からお前は悪だと指を指されても、あたしは勇者を殺す。正しさなんてクソ喰らえ、あいつを殺しやる、っていつも思ってる。あなたは違うの? あなたは、復讐が正しいことだと思っているからやるの?」

「わ、たし⋯⋯私、は、」


 ──それに、どちらが正しいかなんて、そんなのは自分達が正しいに決まっているとアリソンは思っていた。

 そしてそれは、アリソンが自分が正しいのだと思うように、()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


 それなのに、ラズが言うには「正しさ」とは人の数ほどあるものだという。人々にとっては、勇者たるレインナートを殺そうとしているアリソン達こそが間違っているのだという。

 困惑しながらも、けれども自分はどこかでそれを知っていたのだろうとアリソンは頭の片隅で思う。だってそうじゃなければ、復讐しに王都へ来たのだとどうして隠す必要がある。本当に誰もが事情を知りさえすれば味方してくれると思っているのならば、自分達がレインナートにされたことや、魔人が勇者に騙されていたことを堂々と宣言しまえばいいのだ。

 本当はアリソンにも分かっている。人々にとっては、レインナートがアリソンの家族を殺したことなどどうでも良く、世界の守護者たる勇者こそが正義であり、世界を顧みずに殺そうとしている自分達こそが悪なのだと。


「⋯⋯あ、たまを。頭を、冷やして、きます⋯⋯」


 ふらふらとおぼつかない足取りでベッドから降りたアリソンに、ラズは手を伸ばしかけて下ろす。

 今までずっと二人で旅をしてきたが、アリソンにもひとりで考える時間が必要だとそう判断してのことだった。


「⋯⋯気をつけて行ってきなさいよ」

「はい⋯⋯ありがとう、ございます」


 互いに気まずさを漂わせ、ぎこちなく交わした挨拶を最後に扉が閉まり、アリソンは出ていく。

 残されたラズは、膝を抱えため息をつく。


 ──アリソンがエリザベスに唆されて復讐を決めたことを、ラズは知っていた。


 尤も、エリザベスが復讐についてなんと言って唆したのかまでは知らなかったが、それでもアリソンが深く考えずにこの道を選んだことは分かる。

 聖都では聖女のヒナコの懺悔に迷い、より「悪役」らしい大司教に狙いを変えた。魔術師セネカに対しては躊躇こそしなかったものの、それは彼がアリソンの思い描く「悪役らしい姿」をしていたからだろう。もしも彼が弱々しく、自分は勇者に脅迫されていたのだとでも言っていたら、彼女にセネカを殺せたとは思えない。


 そして、そこまで分かっていてなお、今の今まで止めることなくその様を見てきたのはラズ自身の甘えでしかない。


「イグニス⋯⋯あなたがいたら、叱ってくれたかしら⋯⋯」


 ぽつりと弱音を零して、ラズは膝に乗せた腕に顔を埋める。

 

 あの時。セネカによって作り出された悪夢の中で、こちらに手を伸ばす彼女の姿を思い出す。

 夕焼けよりも赤く燃える瞳、焦ったように名を呼ぶその姿に、自分は確かに彼女の上に別の存在を重ねてしまった。音に出す前に消えた呼びかけはきっと、アリソンに届いてしまっていただろう。


「⋯⋯あたし、人を傷つけることしかできないわね」


 そう自嘲して、ラズは目を閉じる。


 失うものなんて、もう何もないと思っていたのに。

 それなのに、いつかあの子が笑顔を浮かべられる日が来たならば、それを隣で見たいと思っている自分がどこかにいる。


 ──矛盾している。

 幸せになって欲しいのなら、これ以上傷つけたくないのならば、手放すべきなのに。



◇◆◇



 一方その頃。

 部屋を飛び出したアリソンは、宿の前のベンチに座って放心していた。

 様々な感情がせめぎ合い、新たな感情を呼んではまたせめぎ合う。その繰り返しに、感情を明確な言葉にする術が消えていく。


「いい考えだと、思ったんだけどな⋯⋯」


 もつれて絡まった思考の中、残ったひとつが溢れ出る。

 ラズを苦しめた人間のひとりをこの手で殺す。それはとても良い考えのようにアリソンには思えたのに。


 大司教にはラズと二人で止めを刺したけれど、セネカを殺したのはアリソンひとりで、そのせいか剣を振り下ろす時には確かに命を奪うことの重みを感じた。

 ただ、それならばもう何人殺しても同じだ、と思ったのも事実だ。

 どうせもう自分は人を殺しているのだから、のうのうと生きているのが許せない悪人をもう一人殺したって構わないじゃないか。

 それなのにどうして、ラズは。


「⋯⋯私がもっと上手く、やれたら」


 そうしたら、褒めてくれたのだろうか。喜んでくれたのだろうか。

 ラズからすれば見当違いもいいところだが、アリソンは本気でそう思っていた。あるいは、他のことを()()()()()()()()()()()


 何のために復讐するのか、何のために人を殺すのか。何が正しくて、何が間違っているのか。

 自分の「正しさ」を、自分以外の全ての人に糾弾された時、自分はそれでも復讐を選べるのか。

 その問いかけ全てから目を逸らして、本当は気づいていることにも蓋をして、アリソンは立ち上がる。


「あの、そのマッチ、もらえませんか」

「ん? ああ、いいけど⋯⋯」


 道端に座り、尻の下に敷いたボロボロの布の前に、汚れたマッチ箱を並べている身なりの貧しい老人に声をかける。すると老人はアリソンをじろりと見遣ったのち、代わりに何かよこせ、と言うように手のひらを差し出された。身なりやマッチ箱の状態から察するに、まだ使えそうなものを拾い集めて、それらを売ることで生計を立てている浮浪者なのかもしれない。

 よく観察してみれば、王都はこれまで見たどんな町よりも華やかで活気に溢れている割に、道端で物乞いをしている人の数がどの土地よりも多かった。


「えっと、これで足りますか?」

「⋯⋯いや、足りるどころかお釣りがくるよ。マッチ以外にも何かいる?」

「あっ、いえ、マッチだけで大丈夫です」


 ポケットの中にあった銀貨を渡し、マッチ箱をもらう。無事にマッチを手に入れたアリソンは、老人に軽く会釈をして、宿ではなく、通りの方へと歩き出す。はじめて歩く道のはずなのにそう思えないのは、セネカによって見せられたラズの記憶の中で見て予習済みだからだ。

 あといくつの角を曲がり、あとどれくらい歩けば奴隷商人の店に辿り着くのか、アリソンは知っている。

 体に任せて動くのは楽だ。何も考えずに済むから。


「⋯⋯そうだよ、もう何も考えたくないよ⋯⋯」


 思えば、家族をなくして魔界で目覚めてから今まで、ずっとラズが傍にいてくれたおかげで、何も考えずにここまで来れた気がする。なのにそのラズに考えろと言われ、目を背けるためには彼女から離れるしかなくて。

 もう、自分がどうしたいかなんて分からない。何も言わないで欲しいし、何も考えさせないで欲しい。ただ、頭を空にして剣を振るいたい。単純な衝動に身を任せてしまいたい。


 その日、アリソンは初めて立ち向かうためでも復讐のためでもなく、ただ逃げるために殺意を胸にたぎらせた。



最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

久々の更新が鬱々とした終わり方になりましたが、引き続きアリソンとラズの物語にお付き合い頂けると嬉しいです。


次回更新日:6/5予定

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