029 王都潜入
「⋯⋯"初めての、こ⋯⋯告白? に⋯⋯わたしの心は、ち⋯⋯蝶々が羽ばたいた、よう、に⋯⋯。わたしは、すぐさま水辺へと報告に⋯⋯"」
「アリソン、そろそろ出発するわよ。⋯⋯アリソン?」
「あっ、ごめんなさい! いま行きます!」
木陰の手頃な岩に座り、本の内容を音読していたアリソンはラズに呼ばれて我に返る。
あの悪夢に囚われた町を出発してからおよそひと月が過ぎ、アリソンたちは既に王都からそう遠くない街道まで辿り着いていた。道中で問題が起きなければ、おそらく今日か明日には王都へ入ることができるだろう。
スカートを軽く叩き、慌てて立ち上がったアリソンは、ラズの後方の馬車と商人、それからしっかり体を休めることができて嬉しそうにしている馬を見て目を細める。
彼らとも、思ったより長い付き合いになったものだ。
「相変わらず凄い集中力ね。そんなに夢中になって、何を読んでたの?」
「えっと、これです。聖都でヒナコから貰った⋯⋯」
アリソンが差し出したものを見て、ラズは露骨に顔を顰める。
それは聖都を発つ間際、ヒナコから「勇者が大司教に防壁魔術をかけて保管するよう言っていた」と伝えられ、何かの役に立つかもしれないと渡された本だった。特に高級そうな作りでもなく、中は印刷ではなく、誰かがペンで書き連ねた言葉が並んでいる。
「いくら文字を覚えるためとは言え、よくそんなつまらない日記を読めるわね。他の本を読んだ方が身のためだと思うけど」
「うーん、でもラズさんや聖都で会った子供たちに貰った本は読み終えちゃいましたし⋯⋯それに、レインナートがわざわざ大司教に防壁魔術まで掛けさせていたぐらいだから、きっとレインナートにとって重要な意味のあるものだと思うんです。もしかしたら、勇者の弱点とか書いてあるかもしれませんし⋯⋯!」
「⋯⋯まあ、あなたがそうしたいなら止めないけど。それより、そろそろ行きましょ。今日中に王都につける見込みらしいわよ」
ラズの言葉に、アリソンは「それは良い知らせですね」と声を弾ませる。
やっとだ。やっと、勇者のいる場所へ近づいてきたのだ。
「そうね、ここまで長かったわね」
ラズもまた、そう感慨深げに呟いて押し黙る。
しばらく無言で馬車に向かって歩きながら、アリソンは彼女を見やった。遠くへ向けられている蒼に映っているのは、今まで共に歩いてきた日々なのだろうか。それとも、かつて暮らしていた王都のことだろうか。
「⋯⋯ところでアリソン、あなたさっきなんて言ったのかもう一回言ってみてくれない?」
「えっ? えーと、それは良い知らせですね、って?」
「その前よ。あなた、あたしのことなんて呼んだか覚えてる?」
「えっ、あー⋯⋯」
言葉に詰まったアリソンに、ラズは先程の憂いを帯びた顔とは打って変わって悪戯に微笑む。
「いい加減、呼びなれてよね。ほら、なんて呼ぶんだったかしら?」
両手を背中で組み、笑みをのせて向き直るラズに、アリソンはしばしの間を置いた後、彼女の名を舌に乗せた。
◇◆◇
馬車の揺れが落ち着けば落ち着くほど、活気立った声や人の気配が近づいてくる。こんなに離れていても大勢の人が生活していることが伝わってくるなんて、王都とはどれほど大きな、そしてどれほど人の多い都市なのだろう。
荷馬車の中、普段なら商人やラズと他愛ない話をするか、手持ちの本で文字を読む練習をしているのだが、もうすぐ王都なのだと思うとどれも身が入らない。そわそわしていると、商人が「外の様子が気になるかい?」と声をかけてきた。
「はい、そうですね⋯⋯王都に来るのは初めてなので」
「じゃあきっと驚くと思うよ。とても大きくて、活気に溢れた都だからね」
「聖都よりも?」
「もちろんさ、全然比べ物にならないよ!」
「そ、そんなに⋯⋯!?」
アリソンにとって聖都は魔界を除いて、生まれてから今までで一番人の多い賑やかな街並みだったのだが、比べ物にならないとは。
「あちこち目移りして、迷子にならないように気をつけなさいよ」
商人の言葉に唾を呑むと、それまで黙っていたラズがふいにそう茶化すような口調で投げかけてくる。だが、馬車の外で馬を御している商人には見えない彼女の表情は、真剣そのものだ。
ラズが伝えたいのは、言葉通りの意味ではない。そう察したアリソンは、彼女と目を合わせるとこくんと頷く。
王都が近いということは、勇者レインナートが近いということ。これからアリソンとラズが踏み入れるのは、華やかで誰もが憧れる都ではない。敵地なのだ。油断はできない。
「さあ、王都が見えてきたよ。いつも商売しに来てるから大丈夫だとは思うけど、許可証を見せに一旦降りるから、それまで馬車の中で待っててくれるかい?」
「私たちも降りた方がいいですか?」
「いやいや、大丈夫だよ。門番とは顔見知りだから、積荷の点検をしないでも通れるんだ。本当はいけないんだけどね⋯⋯まあ万が一君たちが見つかったら、旅の途中で雇った用心棒だと言っておくよ」
「ありがとう、助かるわ」
「こっちこそ、君たちのおかげで盗賊達に大事な商品を奪われずに済んだんだ。その上、セネカの恐ろしい復讐劇からも救ってくれただろう? なに、心配はいらないよ」
そう言って、にこやかに笑った彼は馬車を降りていく。王都の門前で馬車を停めているらしく、周囲からは馬車の音や人が言葉を交わし合うざわめきが響いている。
「やっぱり、許可証がないと王都には入れないんですか?」
「一応ただの旅人でも入れるには入れるわよ。ただ、今はもうすぐ誕生祭で警戒度が上がってるだろうから、ある程度の持ち物検査はされるでしょうね。となると、あなたの剣が問題になると思うわ」
「ああ⋯⋯そっか、ずっと燃えてる剣なんてあり得ないですもんね」
「ええ。魔術だって言い張るにしても、なんで検査の最中にも魔術を使ってるんだって話になるもの。本当、あの商人が話の通じる人で良かったわね」
「そうですね⋯⋯」
もしかしたら、あの商人もアリソンたちが訳ありだということには薄々気付いているのかもしれない。だから大っぴらに用心棒だと紹介するよりも、必要に迫られるまではアリソン達を馬車の中に隠すことを選んだのではないか──というのは考えすぎだろうか。尤も、彼も流石に、アリソンとラズが勇者を殺すためにはるばる王都まで来たのだとは思ってはいまい。
人の賑わう声を聞きながら、アリソンは王都のどこかにいるレインナートの姿を瞼の裏に思い描く。今この瞬間もどこかで笑っているだろうあの男を殺すために、自分はここまで来た。その背中に、その心臓に、もうすぐ手が届くのだ。
この気持ちは恐怖なのか、それとも高揚なのか。静まることなく燃え盛る炎の音が、鼓膜の中に響いていた。
王都に入れば、商人との付き合いも終わりだ。中央通りへと向かう道の途中でアリソンとラズは商人と握手を交わし、互いの前途を祝福し合って別れを告げた。
「あの人の商品が良い値で売れるといいですね」
「そうね、いい人には報われて欲しいわ」
そんな会話をしながら、アリソンとラズは大きな石造りの門をくぐり抜け、王都で最も賑わうという中央通りへと踏み入れる。
その瞬間、馬車の中で商人を待っていた時とは比べ物にならないほどの活気と人々の声が、一気に押し寄せた。
「どう? 王都に入った気分は」
ラズの問いに何も言葉が出てこない程度には、アリソンは目の前の街並みに目を奪われていた。
白を基調としていた聖都とは違って色とりどりの屋根とレンガの家が立ち並んでいるのに、不思議な統一感があるおかげで雑多な印象はない。カラフルで、華やかで、活気があって。まさに王都というにふさわしい景色が広がっている。一歩立ち止まるだけで流されそうな人混みの中、アリソンはラズについていくので精一杯だ。これからどこへ向かおうとしているのかなんて考える余裕はない。
辺りを見渡しながら歩いていると、すれ違い様にひとりの少年とぶつかりそうになる。咄嗟に気付いたラズがアリソンを引き寄せてくれたおかげでぶつからずに済んだが、少年の方はそれほど運が良くなかったようで、ぐらついた彼は腕に抱えていた袋を落としてしまう。
ばさりと音を立てて地面に落ちた袋に、少年が「あ」と小さく声を洩らすのが聞こえた。袋の中から可愛い包みのお菓子がこぼれ落ち、その上を道行く誰かの足が──
「っ、危ない⋯⋯!」
咄嗟に誰かの靴底の下に手を滑らせると、見知らぬ誰かがぎょっとした顔で足を引く。道に散らばったお菓子と袋と、それを中心に立ち止まったアリソンたちを、周囲の人々が迷惑そうに避ける。
「手、大丈夫?」
「はい。それよりお菓子は無事ですか? 割れたりしてませんか?」
「見たところ問題なさそうよ。地面に落ちたから、少しパリッとしたところが剥がれてるものもあるけど⋯⋯アレンジパイかしら。美味しそうね」
アリソンの横に屈んだラズが、地面に落ちたお菓子を拾い上げて確かめる。彼女の言葉にホッとして、アリソンも散らばったお菓子を拾い上げて少年に渡す。彼はハッとした様子でそれを受け取るとすぐに頭を下げる。
「僕の前方不注意だったのにすまない、ありがとう」
「いえいえ、私もあちこち見てたから⋯⋯それより、間に合ってよかったです。誰かへのプレゼントですか?」
「⋯⋯まあ、そんなところだ」
少年は耳にかかった緑色の髪を払いながら、袋を抱え直す。よく見ると少年は、先ほど落とした袋以外にもいくつかの手提げ袋やカゴを腕にかけており、旅道具を持つアリソンたちよりもすごい大荷物ぶりだった。
こんなに抱えていたら、さっきのような事故が起こるのも当たり前だ。せっかく可愛く包んだ誰かへの贈り物なのに。
例えばもし、自分がこんな風にラズへの贈り物を抱えていて、それを落として踏まれてしまったとしたら。頭に浮かんだ光景はただの想像であるはずなのに、予想以上に胸を刺した。だから。
「⋯⋯あのっ! 良かったら、運ぶのを手伝いましょうか?」
──だからつい、首を突っ込んでしまったのだ。
◇◆◇
「すまない、せっかく観光で来たのに荷物運びなんてさせて」
「いえ、そんなこと。今日はお天気もいいし、散歩になってちょうどいいですよ」
少年とアリソン、そしてラズは幾つかの路地を抜けて、閑静な住宅街を歩いていた。熱気の溢れる人並みは大通りに集中しているようで、先ほどよりも景色を見る余裕があるし、風も気持ちがいい。
横を見やると、隣を歩くラズは石畳の緩やかな坂道に少し顔を顰めている。平らなサンダルを履いたアリソンと違って、ヒールのある靴を履いている彼女には歩きづらいのだろう。いざとなったらラズをおぶって歩こう、とアリソンは思った。
「それにしてもこんな昼間から出歩いてていいの? アンタ、騎士団員でしょ」
「えっ、そうなんですか?」
「⋯⋯今日は非番だから。知り合いの様子を見に行くんだ」
ラズの問いに、少年は端的に答える。よく見れば確かに、彼の着ている鎧の紋章には見覚えがある。幼馴染のジョアンが自慢げに見せてくれたのと同じものだ。
久々に思い出した幼馴染の姿に、アリソンは俯く。
ジョアンとは彼女の父トマスも含めて、家族ぐるみの長い付き合いがあった。しかし、アリソンたちが魔人であるイグニスを匿っていると密告して、両親と弟とイグニスがあんな無惨な死に方をする原因を作ったのもトマスだ。それに、村で作ったものや採れたものを行商人に売る際の交渉を引き受けていたトマスは、売上の値を偽って、村のみんなを騙していた。
トマスの行いを、ジョアンも知っていたのだろうか。知っていながら友達のような顔をして隣にいたのだとしたら、それはなんて。
「⋯⋯少し休憩するか?」
「えっ?」
「顔色が悪い。旅をしてきて疲れただろうに、こんな坂道を歩いたから疲れたんだろう」
「い、いえ、違うんです! ちょっとその、考え事しちゃって⋯⋯」
「⋯⋯本当に?」
「本当ですよ、本当! 大丈夫ですよ、このぐらいの坂道、農作業に比べたらちょちょいのちょいです!」
アリソンの言葉を少年は信じきった訳ではなさそうだが、ガッツポーズのように腕を折り曲げて力持ちをアピールすると、くすりと笑った。
「ところで様子を見に行くって、その知り合い病気にでもなったの?」
「いや、謹慎しているんだ」
「謹慎?」
厳格そうな言葉に思わず顔を上げて聞き返すと、少年はふいと顔を逸らす。
「⋯⋯大したことじゃない」
「あっ。すみません、その、立ち入ったこと聞いちゃって」
「いや、僕も失礼だった。ごめん。⋯⋯もうすぐそこだから、ここまででいい」
立ち止まった彼に、アリソンたちは抱えていた荷物を返す。王都の街並みのように色とりどりに包まれた可愛らしいお菓子を、少年は大事そうに抱える。
「お菓子、喜んでもらえるといいですね」
「⋯⋯うん。ありがとう」
道中、あまり表情を変えることのなかった少年が僅かに頬を染める。
弟のルノーも、生きていたらこんな風に誰かへの贈り物を買ったり、相手の喜ぶ様子を想像したりするような未来が待っていたのだろうか。そんな考えても仕方のないもしもが、頭の片隅に浮かぶ。
少年に手を振り、アリソンはラズに向き直る。
「それじゃあ、通りに戻って宿を探しましょうか」
「そうね。でもその前に、ちょっと寄りたいところがあるんだけどいいかしら」
「はい、もちろんです。どこへ行くんですか?」
「それは⋯⋯」
来た道をラズと引き返していると、ふいに足音と共に「待って!」と声が後ろから掛かる。振り向くと、そこには先ほどの緑髪の少年が立っていた。
「君たち、しばらく王都に滞在するんだろう。もし困ったことがあったら、いつでも騎士団の詰所に来てくれ。ハンフリー家の末っ子──そう言えば通じるから」
「はん、ふりー家?」
「ああ⋯⋯僕はミゲル・ハンフリー。ハンフリー男爵家の末っ子なんだ」
「あ、えっと、私は──」
「ありがとう、ミゲル。何かあったらぜひ頼らせてもらうわ」
名乗ろうとするアリソンを遮るようにそう言うと、ラズは彼に手を振りながら、もう片方の手でアリソンの手を掴んで歩き出してしまう。
アリソンはもつれそうになる足で、彼女に引っ張られるまま坂道を乱雑に下るしかない。
「ど、どうしたんですか、ラズ。何か⋯⋯」
「⋯⋯はあ」
ため息をついたラズが振り返る。坂道の高低差のせいか、普段は同じぐらいの高さにある彼女の顔が少し低い位置にあって、なんだか変な感じがした。
「今まで言わなかったあたしも悪いけど、あんまりホイホイ人に本名教えるもんじゃないわよ。あたし達が今いるのは王都なんだから」
「あ⋯⋯」
「そりゃ指名手配されてるわけでもないし、道でバッタリ勇者に出くわすなんてこともないでしょうけど、気をつけるに越したことはないわ」
「そ、そうですよね⋯⋯ごめんなさい、うっかりしてました」
思えば、聖都でもルークやヒナコには本名を名乗ってしまっていた。あの時はあれで良かったけれど、これからもいつもそうするわけにはいかない。
「⋯⋯偽名って、どんなのがいいんでしょう」
「なんでもいいけど、自分が書ける程度の名前にしておきなさい」
そう言ってラズは歩き出すが、掴んだ手を離してくれる気配はない。
「あの、ラズ?」
「何よ」
手、離してくれませんか。
そう言おうとしたアリソンだったが、振り向いたラズの顔があまりにきょとんとしていたせいで、呑んだ息ごと言葉が行方不明になる。
もしかして無意識ですか、と言おうとしてやめた。かわりに口から出たのは、「やっぱりなんでもないです」なんて曖昧な言葉。
「? 何かあるなら言いなさいよ」
「いえ、本当になんでもないので⋯⋯ところで、宿の前に寄りたいのってどこですか?」
「武器屋よ。あなたも暗器のひとつやふたつ仕込んでおいた方がいいと思って」
「⋯⋯そういうものですか?」
「そういうものよ」
二人は坂道を下り、人のひしめく大通りへと戻っていく。
彼女に掴まれたままの手を見て、まあいいか、とアリソンはぼうっとしながら思う。別に嫌じゃないし、はぐれないで済むし、それに、手を繋ぎっぱなしだったことに気づいた時のラズの反応が気になるから。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回更新日ですが、大規模な引っ越しを控えている関係上、少し長めのお休みを頂きます。楽しみにして下さっている方には申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。
次回更新日:5/8予定
→追記:諸事情にて次回更新日を【 5/22予定 】に延期します。すみません。




