028 未来
「ふ、ふざけるな⋯⋯ッ! この僕が負けるなんて、こんなことあっていいはずがないッ!!」
剣先を突きつけられ、だらしなく地面に座り込んだセネカは後退りしようとする。どこまでも続く暗闇の中、逃げ場なんてどこにもないと言うのに。アリソンが何も言わずとも、既に彼の後ろに回り込んだラズが短剣を首に当てている。
正面と後ろの両方から武器を向けられた彼は、ガタガタと歯を鳴らして魔術を行使しようとするけれどできない。彼にだって分かっているはず。この精神空間を満たしているのは、今や彼の魔力ではなく、精神世界の主であるラズの魔力だ。本来の主であるラズに侵入者である彼は敵わない。ましてや、今のように情緒が不安定であれば尚更。
「こんなことあっていいはずがない、って私も思いましたよ。両親と弟の亡骸を見た時」
淡々と言ったつもりだったが、どうしても言葉が震えてしまった。視線だけで大丈夫かと慮ってくるラズに頷き、アリソンは息を呑んで続ける。
「あなたなんかよりも私の方がよっぽど、よっぽどそうやって言いたかった⋯⋯!」
「ハッ、被害者ぶるなよ、魔人を匿ってたくせに! どうせその異能も魔人に媚を売って手に入れたんだろ!? 僕らは悪に正義の鉄槌を降したまでだよ!」
「誰よりも人間との共存を望んでいたあの人を嬲り殺した正義なんて、クソくらえだわ」
ぴしゃりと言い返したラズの言葉に、少しだけ頭が冷静になる。
そうだ、落ち着いてやらないと。確実にやり遂げるには、慎重になりすぎるぐらいがいい。
「は、ははは⋯⋯っそうだよ、冷静になれよ。僕を殺したところでどうなる? 本当は分かってるんだろう、意味なんてないよ。だって、僕を殺したところでお前たちは勇者に手を出せないんだから!」
虚勢か、それともアリソンたちが冷静にさえなれば見逃してもらえると思ったのか。口元を引き攣らせながらも、笑みを浮かべようとするセネカの言葉に、アリソンは首を傾げる。
「手を出せない? 何故ですか?」
「だって、相手は勇者だぞ。僕のような選ばれた人間ならともかく、お前たちみたいな凡人や魔人の成り損ないが敵う相手じゃない」
「⋯⋯でも、勇者も人間でしょう? なら、心臓を貫けば死にますし、首を落としたら死ぬじゃないですか」
心底怪訝に思って問い返したアリソンの言葉に、セネカは絶句し、ラズはくっくと肩を震わして笑う。
「いいこと言うじゃない、その通りよ。敵う敵わないじゃないの、殺すのよ。もちろん、これからアンタもそうなるんだけどね。少しは自分の心配をしたらどう? ああ、違うわね。あなた自分の心配しかしてないのよね、だからあの男を引き合いに出して助かろうとしてるのよね」
「う、うるさい! お前ら正気なのか!? レインナートを殺すなんて、自分が何を言ってるのか分かってるのか!? 勇者とは、女神ベガが世界を危機から守るために選んだ人間、つまり世界の防衛機能と言っても過言じゃないんだ。それを殺したら、防衛機能を失った世界はどうなると思ってるんだ!?」
「防衛機能?」
「大雑把に言うと、自分を守ろうとする本能、みたいなことかしらね」
鬼気迫った言い方をするセネカだが、聞きなれない言葉のせいで彼の緊迫感がいまいち理解できない。
ラズが噛み砕いた説明をしてくれたものの、やはりよく分からず、アリソンは「えっと」と考えながら口にする。
「つまりその、勇者は世界が自分を守るために生み出したモノだ、ってことですか?」
「ええ。それでもって、それが壊れたらどうなると思ってるんだーっていうのがコイツの言い分ね」
「はあ⋯⋯なるほど?」
「だーかーら! お前たちは自分たちのくだらない復讐なんて目的のために、世界を巻き込んでるんだよ! そりゃ、今すぐ世界が滅ぶわけじゃないだろうけど、でも、いつか世界に危機が現れた時に勇者が出現しなければ世界は滅びる。つまり、勇者を殺すと言うのなら、それは世界を滅ぼすのと同じことなんだ! いいのか、凡人の私怨で未来を殺して!?」
頭上で締まらない会話が交わされることに堪えられなくなったセネカが割り込み、叫ぶように言う。その言葉に、二人はどちらからともなく顔を見合わせた。
きらきらした蒼い瞳に浮かんでいるのが自分と全く同じ感情で、アリソンは肩の力が抜けるのを感じる。
そうだよね、間違ってない。
そう思ったのはきっとラズも同じで、だから二人は、なんの躊躇いもなく、最初から決まっていた答えを口にした。
「誰がいつ、未来が欲しいなんて言ったのよ」
「別に、未来なんて無くてもいいと思いますけど⋯⋯」
互いにそれぞれの言葉で、同じ気持ちを口にした二人を、セネカは信じられないものを見る目をしている。
「勇者が世界の防衛機能で、世界の未来そのものだとして。愛するものを奪われたあたし達が、どうして世界のことを顧みなければならないのよ?」
「世界とか、防衛機能? とか、そんな難しい話はどうだっていいんです。私はただ、あの日、あなた達に奪われた全てを取り戻したいだけで、そのために世界がいつか滅びてしまうっていうのなら──まあ、滅びればいいんじゃないですか?」
どうせ、生きているものはいつか死ぬのだから。
言い切った二人を、セネカは「正気じゃない」と引き攣った声で言う。
「し、正気じゃない⋯⋯っ! たかが凡人が数人と、死んで当然の魔人が死んだだけで世界を滅ぼすなんて、狂ってる!」
ギャアギャアと鬱陶しい。彼の声に比べれば、カラスの鳴き声だって優雅な音楽だ。
同じような感想を抱いたのか、顔を顰めたラズに同調するように闇が揺らめく。先ほども感じた通り、この空間はラズと同化しているらしい。これ以上、この空間と彼女のつながりが深くなるのは良くない気がするし、うるさい男はさっさと黙らせてしまおう。
視線を交わし、アリソンはフランベルジュを構え直す。後ずさろうとする彼は、けれどやはり、どこにもいけないまま。ネズミを甚振る猫とはこんな気持ちなのだろうかと、頭の片隅で思う。
「クソッ、やめろやめろやめろおぉお!!」
あまりの恐怖に魔力を抑制しきれなかったのか、セネカの魔力の塊が炎となってアリソンを包む。だがそんなものに何の意味もないことは、この場にいる誰もが知っている。事実、彼の最後の抵抗は、ただフランベルジュのまとう炎を肥大化させただけだ。
彼が廃人と化す前にこれだけは伝えておこう、とアリソンは冷めた目で口を開く。
「よくもその口で、未来なんて口にできますよね。殺されたみんなから未来を奪ったのは、他でもないあなた達なのに」
「ひぃっ! や、やめてくれ! ぼ、僕はあいつの言う通りにしただけなんだ! そ、そうだよ、悪いのは全部、ゆ、勇者なんだ。レインナートなんだよ! だ、だからぁ、僕だけは、せめて僕だけは見逃してくれよおぉおおおお!!!」
死の恐怖を前に今まで築き上げたプライドを放り捨て、無様に吠え立てたセネカに同情心なんてものは湧かなかった。
私の家族を殺し、村を焼き払った。そんな奴からもらう未来なんて。
「──そんな未来、いらない」
一息に刃を振るい、セネカの首が落ちる。
同時に彼の姿は塵となって消え、視界が勢いよく反転した。
◇◆◇
顔を上げると、そこは宿屋の一室だった。窓辺から朝を告げる光が差し込み、ベッドの上や部屋の中を淡く照らしている以外、アリソンがラズの精神世界へ潜る前と何ら変わらない光景に意識が覚醒する。
戻ってきたのだ、現実に。
立ち上がると、体のあちこちから骨の軋む音が鳴った。意識は精神世界の中にいたとはいえ、体はずっと地面に膝をついた体勢でいたせいだろう。
部屋の中をぐるりと見渡すと、ベッドに横たわるラズ、床に倒れ伏した町の人々、そして部屋の隅には導師の格好をしたセネカが蹲っているのが見えた。充血した目を見開き、口の端から涎を垂らしている彼はおよそ正気とは思えない。やはり精神世界で魂が死ねば、現実でも廃人と化すのだろう。
だが、彼の術はまだ完全には解けていない。その器たる身体にも止めを刺さなければならないのだろう。
剣を握る手が、心なしか固い気がする。
──何を迷うことがあるのだろう。彼は仇で、そして何より、アリソンは人を殺すのは初めてではない。聖都では暴走した大司教を討ったし、つい先程も精神世界でセネカを一度殺したばかりではないか。
拳にぐっと力を入れて、抜いて、また力を入れると、妙な固さはいつの間にか消えていた。
やはり、気のせいだったのだろう。そう結論づけ、アリソンは一歩、また一歩とセネカに歩み寄る。
とうとう剣が届く範囲に入った時、一羽の黒い鳥がセネカの前に立ち塞がった。それはただの鳥ではなく彼の使い魔であるのだが、アリソンにそれを知る由はない。ただ、彼を守ろうとするかのようにこちらに向かって翼を広げ威嚇する鳥の姿は、正気を失ったセネカの姿などよりもずっと胸に訴えかけるものがあった。
「⋯⋯ごめんなさい」
誰にも聞こえないような小さな声で使い魔に一言謝り、フランベルジュを大きく振りかぶる。謝ってすむはずがないことは誰よりも分かっていた。けれど、それでも。
次の刹那、グシャリと潰れるような音と共にセネカの首が落ち、鮮血が絨毯のように瞬く間に床に広がる。主人に代わって泣き叫んだ使い魔の断末魔が町中に響き、長い夜の終わりを告げる。
終わったのだ、これで。
⋯⋯本当にそうなのだろうか?
静けさを取り戻した部屋の中で、自分の心臓の音だけが大きく聞こえる。もしもラズや町の人々が目を覚さないままだったらどうしよう。もしも、もしも──嫌な予感ばかりが頭を埋めていく。
そんなはずはない。でも、万が一があったら。
「んんっ⋯⋯」
「ラズさんっ!?」
しじまの中に零れた呻き声に、アリソンはベッド脇まで駆け寄る。脚がもつれ、膝が地面に落ちても、なりふり構わず這っていく。
「⋯⋯アリソン?」
ラズの瞳が、開いた。
現実でずっと固く閉じられていた蒼がアリソンを写し、身じろぎしながら彼女は身体を起こす。逆光のせいか彼女の表情はどこか捉えどころがなく、隠者を思わせる神秘的な蒼に心臓を掴まれて動けない。
アリソンはふと、聖都で見た絵画たちを思い出した。神々しい場面を描いた絵画たちはどれも華やかで、厳かで、目を奪われるものばかりだったけれど、そのどれよりも今のラズの方が宗教画らしく見える。
ラズが目を覚まして、自分を見てくれている。
そのことがどれほどアリソンの心を満たしたか、きっと彼女は知らない。知らないままでいい。
「おはようございます、ラズさん!」
「おはよう、アリソン」
ラズが眠っていた数日間、ずっとずっと言いたかった言葉を口にしたアリソンに、彼女は柔らかく微笑み同じ言葉を返した。
◇◆◇
「しかし、導師が実はセネカ・レミントンで、故郷を恨むあまりこんな災いを振り撒いていたなんて怖いなぁ」
──あれから数日後。
商人のおすすめだという料理屋で、アリソンとラズが彼と食卓を囲んでいた時、ふと彼はそう言って大袈裟に身震いしてみせた。
アリソンとラズは精神世界であったことを話すと、町の人々は驚愕したものの、それでも徐々に事実を受け入れて言った。それはセネカの死体が部屋にあったからかもしれないし、あるいは昔のセネカを知る人の多くが犠牲となっていることが決め手だったのかもしれない。
犠牲となった人々のことを思うと、アリソンはなんとも言えない気持ちになる。
セネカを殺したことで彼の振り撒いた災いのような魔術は解けたが、誰もが自分達のように幸運ではなかった。使い魔に身体を乗っ取られていた者のほか、あまりに長く悪夢の中に囚われていた数十人は眠るように息をひきとっていた。
彼らが助からなかったことは、もちろん悲しい。それでも、それがラズではなかったことにアリソンはどうしようもなく安堵してしまう。特に彼女が、「あのまま精神世界にいて同化が進んだら戻ってこれなかったでしょうね」といつものすました顔で言った後などは、彼女を抱きしめてもみくちゃにしなければやっていられなかった。
そんな恐ろしいこと、淡々と言わないで欲しい。心臓がいくつあっても足りない。
そう面と向かって言ったら、きょとんとした顔で「大袈裟ね」と言われてしまったけれど、ちっとも大袈裟じゃない。彼女は自分が寝ている間、アリソンがどんな心持ちだったか知らないからそんな風に言えるのだと思うと、小さな子供のように拗ねたくなる。
「人って、何を考えているか分からないものだもの。仕方ないわ」
一足早く食事を食べ終わったラズが、口元を拭きながら答える。
それに対して、商人は「そうだけど⋯⋯」と考えるそぶりをしながら口を開く。
「故郷が嫌いでも、せっかく王都で好きなことを学べたんだからさ。そうやってどんどん広い世界へ向かって発展していけばよかったのに、どうしてわざわざ戻ってきて復讐なんかしたんだろうね⋯⋯」
「彼は、そのままにできなかったんだと思います」
思ったことを言うと、ラズと商人の視線が集まる。
「えっと、他人なので分からないですけど。でもきっと、どれだけ王都で好きなことができて、例え何もかもが上手く運んでいたとしても⋯⋯故郷であったことを無かったことにはできなかったんだと思います」
セネカの本当の目的は、アリソンとラズを罠に嵌めて殺すことだった。けれど、そのためにわざわざ故郷を巻き込んだのは、それだけ彼にとって故郷が忘れられないものだったからだ。
家族とイグニスを殺し、ラズを悪夢に閉じ込めようとした彼を擁護したり肯定する気持ちは少しもないけれど、過去を忘れられず、復讐に走っているのは自分も同じだ。
楽しいことがあれば楽しいことがあるほど、それはひたひたと忍び寄る。今この時も、レインナートは仲間と共に笑い合っているのだと思うだけで腹の中の炎が燃え上がる。
無かったことになんて、できない。したくない。許せない。
セネカの言ってることなんて半分も理解できなかったし、したくないけれど、その「無かったことにしたくない」という気持ちだけは分かってしまった。
「⋯⋯まあ、暗い話題はやめようか! とにかく馬車の車輪も直ったし、騒ぎも治ったことだし、今日中には王都に向けて出発できるよ。もちろん、君たちも乗っていくだろう?」
空気を変えるためか、あえて大袈裟な手振りを交えて快活に言った商人に、アリソンとラズは「ぜひ」と声を揃えて答えた。
「忘れ物はないわね?」
「はい、ないです」
「⋯⋯あなた、ずっとそうやって剣を手に持っていく気?」
「えっ? ⋯⋯あっ、ベルト!」
「はあ、全くもう⋯⋯」
出発前、最後の荷物確認をしながら、アリソンとラズは部屋の中を見渡す。思ったよりも長い滞在になってしまった。
「⋯⋯ねえ、アリソン。そういえばあなた、なんでずっと敬語なのよ?」
「えっ⋯⋯なんとなくというか、その、恩人の恋人ですし⋯⋯?」
「それ、いま考えた理由でしょ」
「うっ⋯⋯」
図星を指されて言葉に詰まったアリソンに、ラズはそっぽを向いて歩き出す。
置いて行かれまいと後ろを追って廊下に出ると、彼女は振り返らずにぼそっと何かを呟く。
「ラズさん? いま何か⋯⋯」
「⋯⋯、じゃない」
「はい?」
「⋯⋯っ、だから⋯⋯! 他人行儀じゃない、敬語」
ルークにもタメ口だったのに、と続けたラズにアリソンは目を丸くする。
確かに聖都で出会ったルークに対しては、敬語ではなくタメ口で接していたけれども。
「それはだって、ルーク君が年下だったから⋯⋯」
「あたし達だってそんなに歳は変わらないでしょ」
「多分そうですけど、でも、」
「せめて呼び方ぐらいは変えなさいよ。夢の中で一度呼び捨てにしてるんだから」
そうだっただろうか。
言われてみれば、そういえば一度だけ、彼女に向かって手を伸ばしたときに思わず呼び捨てで呼んでしまったような気もする。
でもあの時、ラズは──
「それとも、あたしとは親しくないってわけ?」
「ええっ!? そ、そんなつもりは⋯⋯」
「ならできるでしょ。ほら、呼んでみなさいよ」
「えっと、じゃあ」
「じゃあ?」
「⋯⋯ら、ラズちゃん⋯⋯?」
戸惑いながら口にした言葉は、思ったよりも似合わない。
「ちゃん付けはやめなさい」と言って振り向いたラズの顔は少し赤くて、思わずもう一度同じように呼びかけてしまい、顔を真っ赤にした彼女にバシバシと背中を叩かれてしまった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
前回あと2回ぐらいで悪夢編が完結すると言いましたが、収まりが良かったので1回にまとめました。次回からは新章スタートとなりますので、楽しみにして頂ければ幸いです。
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