026 ふたり(後)
「ここが訓練所に繋がってたのは幸いだったわね」
「そうですね⋯⋯あ、このナイフなんて使えそうじゃないですか?」
「あら、いいわね。じゃあそれも持っていきましょ」
訓練所の隅に山積みにされた武器の中から、扱いやすそうな短剣を拾い上げたアリソンに、ラズが横目で笑って答える。
ラズの言う通り、この空間は扉と扉がかなりデタラメな繋がり方をしているようで、先ほどまでいた部屋のドアを開けた先は訓練所の中だった。ランタンに火の灯っていない訓練所はひどく暗く、目が慣れるまでは壁づたいに歩くしかなく、何度も前方のラズにぶつかったものだ。
あれでもない、これでもないと手当たり次第に放り投げられたせいで、床には大量の武器が散乱している。その中からフランベルジュと似たような長さの片手剣と、腕に取り付けられる小さい木の盾を手に振り返ると、ラズは武器の山の中心でこちらに背を向けてしゃがみ、ゴソゴソと音を立てていた。
「何か手伝いましょうか?」
「武器を装着してるだけよ、気にしないで」
振り向くことなく答えた彼女に、アリソンは「はあ」と気の抜けた返事をする。
ラズは体のあちこちに武器を隠し持っているらしかったが、彼女がどうやってそれらを装備しているのか、アリソンにはいまだによく分からない。きっと何かコツがあるのだろう。
「武器、それだけでいいの? 念の為、これも持っていったらどう?」
「あ、ありがとうございます」
武器の装着が終わったラズは、アリソンを一瞥するとそう言って湾曲したナイフを投げてよこす。受け取ったそれをどこに装備すべきか迷っていると、ラズが近くにあった包帯で太ももに器用に巻き付けてくれる。
「さて、できればセネカに遭遇する前に、あなたのフランベルジュも手に入れておきたいところね」
「そういえば、ラズさんの魔術で火を出してもらうわけにはいかないんですか?」
「あたしもそうしたいのは山々なんだけど⋯⋯あの魔術師、腕前だけは一流ね。見事なまでに火を封じられてるのよ」
「ええっ」
「さっき交戦した時に、火を展開するために必要な幾つかの式を封じられたみたいなの。おかげでランプひとつ灯せやしないわ」
「ああ、だからランタンで明かりをつけなかったんですね」
肩をすくめたラズの言葉に驚くと、彼女は淡々と「腕のいいバカほど厄介ね」と言いながら、拾い上げた錆びた剣を放り捨てた。
耳障りな音を立てながら転がった剣は、柱に当たって止まる。刃こぼれした刀身は、きちんと手入れを施せば切れ味を取り戻せるのだろうが、残念ながらアリソンたちにはそんなことをしている時間はない。
「それじゃあ、とりあえずここの出口がどこに繋がっているのか試してみます?」
「そうね。運よくフランベルジュの在処に繋がってたら万々歳なんだけど⋯⋯あ、ちょっと手を貸してくれる? そこのボウガンも持っていこうと思うの」
「えっと、これ⋯⋯ですか?」
疑問符をつけながら機械仕掛けの弓を持ち上げたアリソンに、ラズは頷いて受け取る。
「ラズさん、弓も使えるんですか?」
「使えるか使えないかで言ったら、使えなくもないけど──これは罠に使おうかと思って」
「罠⋯⋯ですか?」
「ええ。まあ、上手く引っ掛かったらラッキーって程度だけどね。色々仕込んでおけば、そのうち一個ぐらいは役に立つでしょ」
「な、なるほど⋯⋯?」
悪巧みをしている子どものような顔をしながら、ラズはボウガンを手に出口へと向かう。その背中を追いかけながら、ふと視線を感じて振り返る。
しかしそこには、明かりが灯ることのない、静まり返った訓練所があるだけだった。
◇◆◇
「ここは⋯⋯誰かの部屋、でしょうか?」
訓練所の門をくぐった先は、カーテンの閉め切られた部屋の中だった。天蓋付きのベッドに、魔界らしく黒で統一された気品を感じる調度品と家具。大きな姿見があることから察するに、部屋の主は見目を気にする人物なのだろうが、流石にそれだけでは誰の部屋かまでは分からない。
「アンタはこの部屋、入ったことないの?」
「ラズさんはあるんですか?」
「⋯⋯まあね。とにかくここはハズレみたいだし、他に行きましょ」
「あっ、はい」
誰の部屋か知っているから、ラズは興味がないのだろう。さっさと部屋の扉へと向かった彼女の後をついて行こうとして、ふと、部屋の隅に階段があることに気がつく。地下室だろうか。
──何のために?
一度気になると、どうしても気にせずにはいられない。思わず足を階段に向けかけたアリソンの腕を、パシっとラズの手が掴む。
「行くわよ、アリソン」
「えっ。あっ、ちょっと、ラズさん!? あんまり引っ張ったら袖が伸びちゃいます⋯⋯!」
「どうせ現実世界じゃないんだから、本物の袖は伸びないわよ。安心しなさい」
「あ、それもそうですね⋯⋯?」
でもやっぱり、何か言いくるめられたような気がしてやまない。
ぐいぐいとラズに引っ張られながら、アリソンは誰のものともしれない部屋の外へと出た。
「⋯⋯廊下みたいね」
「ここだけ何だか普通ですね」
部屋から出て廊下につながるなんて、当たり前のことに少し拍子抜けしてしまう。しかし、窓から見下ろした景色から察するに、ここは先ほどの部屋があったのとは別の階層のようだ。
と、状況を確認していると、パリンと何かが割れる音が聞こえてくる。どうやらこの階層のどこかにセネカもいるらしい。
「できれば万全な状態で挑みたいけれど、うっかり鉢合わせたら、そのまま奇襲するわよ」
「は、はいっ! 頑張ります!」
大丈夫だ、武器も手に入ったことだし、それはアリソンにもできることだ。両手を握り、力強く頷いたアリソンに、ラズは「期待してるわよ」と薄い笑みを返す。
「で。あなた、どこでフランベルジュを手に入れたの?」
「あっ、そういえばあの時はラズさんいなかったんでしたよね。えーと⋯⋯」
あの時はエリザベスに案内をされて、魔人の長と謁見を──ラズと並んで歩きながら答えようとして、アリソンはピタリと言葉を止める。
「あの、待ってください。ここって、ラズさんの記憶から出来てるんですよね?」
「おそらくはね」
「じゃあ、あの、ラズさんが知らない場所には行けないんじゃ⋯⋯」
そうだ、どうして気づかなかったのだろう。
ラズがフランベルジュの在処を知らないのであれば、どれだけここを彷徨っても、永遠に辿り着けないのではないか。
サッと顔を青くしたアリソンに、ラズは少し考え込んでから口を開く。
「そうね。説明するより、実際に見てもらったほうが早いかしら。⋯⋯ねえアリソン、そこの曲がり角の先にある花瓶にはどんな花が生けられてたか覚えてる?」
「えっ? は、花!? えーと⋯⋯」
「残り3秒ね。さーん、にーい、いーち」
「ひぇっ!? あ、赤いバラとかですか⋯⋯!?」
唐突なカウントダウンに、思いついたものを適当にあげたアリソンにラズは「魔界に赤いバラ?」と笑う。
「じゃあ、確かめてみましょうか」
そう言う彼女と同時に曲がり角を曲がると──そこには小さな花瓶に、大輪の赤いバラが生けられていた。
「えっ。本当に赤いバラ!? 適当に言ったのに、当たってたんですか⋯⋯!?」
「残念ながら、答えはノーよ」
驚いて声を上げたアリソンに、ラズは首を振る。
「本当はね、ここに花瓶なんて飾られてないのよ」
「⋯⋯えっ?」
「さっきは便宜上、あたしの記憶を元に作られた空間だって言ったけど、どうも混ぜこぜになっている、いえ⋯⋯なってきている、と言うべきかしら? あなたやセネカの魂があんまり長く留まっているものだから、あたしの認知とあなたの認知が混ざり始めているんだと思うわ」
「えーと⋯⋯どういうことですか?」
目を白黒させたアリソンに、ラズは「つまりね」と前置きして語り出す。
「あたしの認知では、ここに花瓶なんてなかった。でもさっき急に聞かれて、あなたは確かにここに赤いバラが置いてある様子を頭の中に思い描いたでしょう。その認知が、空間に反映された結果、ここに花瓶とバラが現れたのよ」
「⋯⋯つまり、私の記憶とラズさんの記憶が混ざってる、みたいな感じですか?」
「そんな感じね。だからあなたがフランベルジュの在処を知ってさえいるのなら、あたし達はたどり着けるはずよ。あなたの頭の中に存在さえしているのなら⋯⋯あるいは、あの魔術師の言葉を借りるのなら、あなたの心の中に存在さえしているのなら、ね」
「なるほど⋯⋯」
心の中に存在しているのならば、なんだってあり得る世界。
そう思うと、何か引っかかるものがあるが、それがなんであるのか考えるよりも先に「伏せて!」とラズの鋭い声が飛ぶ。
咄嗟に身を屈めると、先ほどまでアリソンの頭があったであろう場所を、冷気を纏った風がゴウっと唸り声を上げて突き抜けていく。あんなものを正面からまともに受けていたら、体どころか頭が吹っ飛んで死んでいたのに違いない。ゾッとしない想像に、肝が冷える。
「やっと見つけたよ、ドブネズミ共。さあ、僕にひれ伏せ!」
廊下の先から現れたセネカが、杖を高く振り上げながら高笑いをする。同時に放たれた氷のつぶてを、先ほど訓練所から拝借してきた剣で防ぎ、アリソンはラズの名を呼ぶ。
「今です! 行ってください!」
「言われなくても!」
アリソンの後ろから飛び出したラズが、セネカの喉元に短剣を突きつける。不意打ちに目を見開きつつ、彼はそれを皮一枚で凌ぐ。
ちっ、と舌打ちしたラズが次の攻撃を繰り出し、セネカがそれを防壁魔術で防ぐ。しかし、それでは終わらない。彼がラズに気を取られている隙に距離を詰めていたアリソンが、ラズとは反対の方向から剣を振るう。両側から攻め立てられた防壁が軋み、セネカが歯を食いしばる。
「くそっ、クソクソクソ!! このっ、身の程知らず共がぁっ!」
「ッ! まずい、下がって!」
「え──」
ふいに服の袖を引かれ、戸惑いながらも飛び退く。
あともう少しで防壁が破けそうだったのに何故──その疑問に答えるように、刹那、セネカの防壁が光を放ち、彼の付近にあるすべての壁や調度品が次々と爆発していく。
「ったく、ただの防壁じゃないってワケね⋯⋯! わざわざ防壁が破かれる瞬間に、付近のものを巻き込んで連鎖的に爆発する式を書き加えるなんて、これだから才能のあるバカは」
アリソンを掴み、咄嗟に柱の影から近くの扉に飛び込み、膝をついたラズが顔を顰める。
扉の先は厨房につながっており、広々とした台の上に様々な調理道具が揃えられ、まるで誰かが料理をしていた痕跡すら残っていた。だが、それも記憶の再現の一部ということなのか、周囲にはアリソンとラズ以外の人の気配はない。
爆発から逃れられたことに安堵しつつ、遠くから未だ響いて止まない爆発音に手汗が滲む。
「じ、じゃあ、どうすれば⋯⋯防壁を破かないことには、殺せませんよね?」
「そうね⋯⋯防壁を築かれる前に不意をついて殺すか、もしくはこっちも防壁を展開して特攻するか。ただ、展開できてもあの爆発を凌げるかは保証できないけれど。悔しいことにあのクソガキ、魔力と才能だけは本物なのよね。魔力と才能だけは」
窮地にあっても、強調すべきはそこらしい。ラズらしい言葉の選び方に苦笑しつつ、アリソンは彼女のあげた案を脳裏で反芻する。
防壁を築かれる前に不意をつくか、防壁を展開しての特攻か。
考え込んだアリソンを横目に見やり、ラズは「思うんだけど」と前置きして口を開く。
「やっぱりあなただけでも先に帰っ──」
「私、帰りませんからね。ラズさんが一緒じゃなきゃ、絶っ対に嫌ですからっ!」
「⋯⋯はいはい。そう言うと思ったわよ」
間髪入れずに拒否を示したアリソンに、対するラズも肩をすくめて笑う。彼女としても予想通りの答えだったはずだ。
それでも安心できず、「絶対ですからね」とアリソンは念押しをする。
「分かったってば。⋯⋯全く、あなたって変な子ね」
「そうですか?」
「そうよ。なんだってあたしなんかのためにこんなところに来て、しかも残ろうとするの? そこまでする価値があるか、よく考えて見なさいよ」
「そんなの、あるに決まってるじゃないですか。大体そんなこと言って、ラズさんだって私の目が覚めなかったら来るでしょう?」
「まあ、行くでしょうね。⋯⋯でもそれは、もうあたしがイグニスにできることが、彼の守ったあなたを守るぐらいしかないからよ。あなたは違うでしょ、あたしを守る理由も義務もないはずよ」
まるで己に価値があるなどとは少しも考えていないようなラズの言い分に、思わずムッとする。
もし、彼女が「そんなことはない」と言われたがって、わざとこんなことを言っているのなら──それはそれで腹が立つが構わない。大切だと言われたいと願っているのであれば、自分は大切にされるべき存在であると理解していることになるのだから。
けれど、そうではない。
ラズは本当に、アリソンがラズを大切にする理由がないと思っている。自分が大切にされるには、慮れるには、何かしらの義務や大義名分がなければならないとすら思っているような。
──むかつくなぁ、とアリソンは思う。
目の前の、息が詰まるほど蒼い瞳をしたこの人は、自分が眠っている間、アリソンがどんな気持ちでいたか全く知らないのだ。彼女を失うかもしれないと思ってどれだけ不安だったか、どれだけ生きた心地がしなかったのか、知らない上に想像すらしてない。ひどいなぁ、人の気も知らないで、本当に、本当にひどい。
でもきっと、これをそのままぶつけたって、彼女には自分が悪いと言われてる以上の事は伝わりはしないのだろうから。
喉から出かけた言葉をきゅっと、締め殺すように呑み込む。それから、できるだけ柔らかい声を出して言う。
「私だって同じですよ。だって、イグニスさんにラズさんを頼むって言われてるんですから。⋯⋯もちろん、それだけじゃないですけど」
「⋯⋯」
「どう言えば伝わるのか分かりませんけど、たとえば⋯⋯私が壁に嵌まる前、えっと、空間がこんな風に歪む前のことですけど。あの時、ラズさん一瞬私のこと、イグニスさんと呼び間違えましたよね?」
ぴく、とラズの顔が強張ったのは見間違いではないだろう。
けれどそのことには触れず、なんでもない顔をしてアリソンは続ける。
「私をイグニスさんと見間違えるぐらいイグニスさんを想ってるなら、自分のためじゃなくても、せめてイグニスさんのためだと思って、もう少し自分のことを大事にしてください。ラズさんってば、私のことは助けてくれるのに、自分のことは全然助けてあげないんですから。見ててハラハラします」
「⋯⋯あたしにそんなこと言うの、アンタとイグニスぐらいよ。あたしにはそんな風に、大事に扱われる価値なんかないのに」
「ありますよ。言ったでしょう、あるに決まってる、って」
ラズの手を掴み、アリソンは立ち上がる。
見つめ返してくる蒼がちっとも揺れていないのが悔しい。きっとアリソンの言葉は、全然届いてなんかいないのだろう。それでもいつかは。いつかは、降り積もった言葉が彼女の心を動かせたのなら。
「今は分からなくても、信用できなくてもいいです。でもいつか、あの時言ってたのはこういうことだったのね、って言える日が来るように頑張りますから。だからあんな奴、さっさと倒して、一緒に帰りましょう」
「⋯⋯あたしさっき、あなたは変な子だって言ったけど撤回するわ。すごく変な子だわ」
「ええ? えっと、どうもです?」
「褒めてないのよ。⋯⋯まあ、貶してもないけど」
ラズが言葉を切ったことで、その場に静寂が満ちる。なんとなしに耳を澄ませていると、相変わらずつんざくような爆発の音が聞こえてくる。
空間の繋がり方がデタラメとはいえ、近くにあの廊下に繋がる扉があるのだろうか。あの爆発の中をセネカがくぐり抜けて、ここまで辿り着いたら、どう応戦すべきか。
知らず知らずのうちに剣の柄を握る手に、力が込もるアリソンの様子を見てとったラズは、小さくため息をついた。
「アイツがバカで良かったわ、少ししたら終わるかと思ったけど、まだ爆発してるみたい」
「そうですね」
「⋯⋯それだけ?」
「えっ? す、すみません、何か見落としてましたっけ?」
「⋯⋯はあ。何が言いたいかって、つまりね、今の隙にフランベルジュを見つけてくれば、アンタの願い通り、さっさとあんな奴を倒して帰れそう、ってことよ」
そっぽを向いたラズの黒い髪の間から、赤みの差した耳が見える。彼女の言葉を反芻し、その真意を理解したアリソンは思わず「はいっ」と弾んだ声で答える。
──良かった。また置いていかれるのかと思った。
全然届かないと嘆いたけれど、ほんの一文字ぐらいは、彼女の心に響いているのかもしれない。
「私、絶対いつか、分かったって言わせて見せますから。ラズさんが知らないだけで、ラズさんが大事にされていい理由はあるんだって、一生かけて教えますからっ!」
駆け寄ってそう言ったアリソンに、裏口の戸を押していたラズは目を見張ったのち、フッと笑う。
「なにそれ、プロポーズ?」
「いいえ。ただの我儘ですよ」
揶揄うような言葉に、アリソンは目を伏せて答える。
瞼の奥に、今はもうないのであろう小麦畑が見える。そこに佇んでいた、黄金の髪の青年はどんな顔をしていたのか、もうかすみ始めてしまっているけれど。
ラズが彼の人の遺志だと言って守ってくれるように、自分も少しでも彼女を守れたならと、アリソンはそう思った。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回更新日についてですが、身内に不幸がありましたので、更新を1週お休みさせて頂きます。
楽しみにしてくれている方々には申し訳ありませんが、ご理解頂けますと幸いです。
どうぞこれからも、アリソンとラズの物語をよろしくお願いいたします。
次回更新日:12/5予定




