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村娘Aが勇者を殺すまで  作者: 藤森ルウ
第2章 聖都編
20/69

016 共闘



 バタバタと荒々しい音が、大聖堂の敷地内に響き渡る。

 裏庭から建物の周りに沿って伸びる石畳の廊下を走り抜けるアリソン、ラズ、ルーク、そしてヒナコの姿を見た人間がいれば、何事かと驚くことだろう。尤も、その前に彼女らの背後から迫り来る巨大なツタに目を奪われるに違いないが。

 巨大なツタ、というか、もはや分厚い木の幹のようなそれに追い回されながら、アリソンは「あのっ」と口を開く。


「大司教はっ、精神操作系の魔術が得意なんだーって話じゃありませんでしたっけ!?」

「いやー悪ぃな、あのクソジジイ植物系の魔術も得意で」

「そういうことは早く言いなさいよ!」

「言う暇なかっただろーが! つーかアンタに踏まれたせいで肺が痛えんだけど!?」

「キャンキャンうるさいわね、風穴が開かなかっただけマシだと思いなさいよ」

「アンタの靴は凶器かよ!?」

「ふ、二人とも、今はそれどころじゃ⋯⋯っ」


 アリソンの質問から始まって、なぜかラズとルークの軽口の応酬に発展した会話に、息をぜえぜえ切らしたヒナコの声が割り込む。

 大司教の放った巨大なツタは、蛇のように身をくねらせながら、逃しはしないと言うように執拗に追ってくる上、そのツタの下には教会の衛兵の姿もまばらにあった。誰も彼も金属製の鎧をガシャガシャ鳴らしながら、やたらと生気のない顔で、無表情かつ無言で追いかけてくるその様は不気味だ。道中でヒナコが言った「ホラー映画みたい」という言葉の意味はアリソンには分からなかったが、怪談話に出てきそうな状況であった。


「あの、大聖堂の中に入った方がいいんじゃないですか? このまま外をぐるぐる回っても、そのうち追いつかれちゃうんじゃ」

「いや、そいつは悪手だぜ。建物の中じゃ、逃げ場がなくなっちまう。このままどこかで撒いた方がいい」

「それにしても、まるでこっちが見えてるような動きなのが気になるわ。アイツ、まさか誰かと視覚共有でもしてるんじゃないでしょうね?」

「い、いえ、さすがにそれはないと思います。ただ、多分なんですけど、えっと、あのツタに、追跡魔術の応用をきかせているんだと思います」

「ああ、なるほど。対象を捕獲するまで止まらない、ってこと。厄介ね⋯⋯」


 柱の影に身を潜め、アリソンたちは息を潜めた。ツタはぐるりと周囲を窺うように回り、徘徊している。ツタに耳はないはずだが、一応、喋る声を落としてひそひそと囁き交わし合う。

 それにしても、まさか大司教がこうも大々的に手を出してくるとは──心臓がバクバクと早鐘を打つ。ラズの様子を伺うと、彼女も同じことを考えていたのか、アリソンの視線に頷いてくれる。

 ひんやりとした柱にもたれかかり、アリソンは4人で逃げ回る羽目になった、その発端を思い出す。



◇◆◇



 別にアリソンだって、こうも大々的に大司教と戦う気はなかった。むしろ、彼はあまりに隙がなかったものだから、殺すにしても、ルークに教えてもらったあの抜け道を使って忍び込み、闇討ちでもしないと勝ち目がないのでは、と思ったぐらいだ。

 そのためにも、まずはこの場をどう切り抜けるか──未だ睨み合ったまま動かないルークと大司教に、アリソンは必死で頭を回した。


 2年ぶりに顔を合わせた、ルークと大司教。かつて腕を切り落とした者と、切り落とされた者。

 二人が火花を散らしている間に、ラズの手を引いてさっさと逃げるべきか? それとも、わざわざ出向いてくれたこの幸運を逃さず、斬りかかるべきなのか。あるいは、ラズが現在進行形でルークを踏みつけていること、その手に剣を握っていることについて適当な言い訳を見繕い、警戒を解いてもらってから次の行動を決めるべきなのかも。

 そんな風に考えていた自分は、大司教をたいそう見くびっていたのだとアリソンが知るのは数秒後。


 なんの警告も、なんの予備動作もなく、一瞬で展開された魔術。

 風を切る音。スパーク。弾け飛ぶ白い光と赤い血。


「ラズさん⋯⋯っ!」

「⋯⋯平気よ、掠っただけ」


 大司教の手から放たれた魔術が、ラズに当たる直前で不自然に逸らされ背後の塀にぶつかる。音を立てて崩れたレンガの塀に、もしも当たっていたらラズもああなっていたのかとゾッとする。

 元からある頬の傷の上を掠ったのだろう。つ、と唇に向かって垂れた血を舐めとるラズに、大司教は「ほう」と感心したような声を上げた。


「いい反射神経ですね、咄嗟に完璧な防壁魔術を展開できるとは。うちの衛兵に見習わせたいぐらいですよ」

「そっちこそ、さすがは大司教様と言うべきかしら? 無詠唱でいきなり攻撃されるとは思わなかったわ」

「これはこれは、失礼。自分の『()()()』に触られて、つい抑えきれなくて」

「⋯⋯『持ち物』って、コレのことかしら?」


 防壁魔術を展開した拍子に地面に下ろした右足で、彼女はわざと見せつけるようにルークを小突く。軽く呻いた彼に、大司教の眉がピクリと震える。


「ええ。2年ぶり──でしたか? 君のことはよく覚えていますよ、赤毛君。とても丈夫で、私のコレクションの中では随分と長持ちした。流石にお気に入りとまでは言えませんが、まあ、悪くない品でしたからね」


 人間をまるで品物のように語る大司教に、嫌悪感が隠せない。アリソンだけでなく、ラズも顔を顰めている。けれどそんな視線をものともせず、大司教は微笑み続けている。

 何かひとことでも言わなければ気が済まない──そう思ったアリソンが口を開いた時、それを遮るようにルークが「ははっ」と笑った。地面に手をつき、埃を払って立ち上がった彼は、真っ直ぐ大司教を見つめると皮肉げに口端を歪める。


「相変わらず、素敵な趣味をお持ちのようで。けど、もう2年経ったんだ。俺は14になって、筋肉もつき始めてる。ペドフィリアのアンタはもう、お気に召さないんじゃねーの?」

「おや、君に気遣われる日が来るとは。声変わりしたとはいえ、14歳ならまだまだ子供ですよ。ご心配なく」


 ──『ペドフィリア』って、どういう意味だろう?

 皮肉げに笑うルークに対し、不敵な微笑みで返した大司教を横目に、アリソンは聞き慣れない言葉に首を傾げる。それに気づいたラズが手招きするので、大人しく耳を寄せると、彼女は囁いた。 


「つまり、子供を性的な目で見てる倒錯者のことよ」

「せいて⋯⋯えっ。⋯⋯ええ!?」


 思わず大きく口を開けたせいで、視線が集まるが、気にしている場合じゃない。

 隠し通路を通って逃げた時に抱えていたキッドの、自分よりほんのり温かかった体温を思い出す。本能的な庇護欲を感じるぬくもりと、病気のルノーと同じぐらい軽くて痩せた小さな体。

 あれを、性的に見ている?

 

 そんなまさか。大司教を一目見て、ラズを見やる。だけど、彼女は嘘を言っているようには見えない。

 大司教に視線を戻したアリソンは、ずず、と一歩後退り、口を押さえる。


「えっ、そんな──気持ち悪い⋯⋯」


 遠慮のない本音に、大司教を纏う空気がピシリと凍りついた。


「⋯⋯失礼、うまく聞き取れませんでした。今、なんと?」


 丁寧な口調に反し、一文字一文字に圧力を感じる。

 引き返すなら今だ、と本能的に悟った。何を引き返すかも分からないのに。

 目の前の男の笑みは、今にも剥がれ落ちそうだった。温厚な仮面のその下に眠る、権力に塗れた傲慢な顔があと少しで見える。

 だから、引き返すのはやめた。


「気持ち悪い、って言いました」


 大司教の顔から笑みが消える。骨が軋むほどの重圧感と共に、男の中の膨大な魔力が膨れ上がるのを肌で感じる。彼がラズに放ったのと同じ魔術が放たれる前に剣を抜き、放たれたスパークを切り裂く。

 火花が散った後も、アリソンが立っていることを確認すると、大司教は「はあ」と大きくため息をついた。


「これでも、洗脳を施したら帰してあげようと思っていたんですが⋯⋯計画変更です。私の崇高な行いを理解できない人間に生きる価値はない。私の慈悲を乞いながら、無様に死んでください」


 淡々と、不気味なほど感情の籠らない声で大司教は告げる。まるで宣告するような口ぶりに、「いいえ」とアリソンは首を振る。


「死ぬのはあなたです、タンブルウィード大司教。私はあなたを殺して、あなたの心臓を手に入れる」


 交わった視線に、怒りが灯り、そして。


 

 ──そして、冒頭に至る。


 気づけば、大司教の魔術である巨大なツタや、衛兵に追われ身を隠す羽目になっている。一体自分が何をしたって言うのだろう。ついぼやくと、「したでしょ」と間髪入れずに小突かれる。


「あんなこと言ったら逆上するのは分かってたでしょ」

「え、だって気持ち悪いじゃないですか。子供をそんな目で見てて、しかも腕を切り落としたり、洗脳して遊ぶなんて」

「⋯⋯まあ確かに、子供に手を出すのはどうかと思うけど。でも、わざわざ言って逆上させることもなかったでしょ」

「うっ⋯⋯」

「いや、俺からしちゃアンタはよく言ってくれたよ、マジで」


 確かに、言わなければここまで追い回されることは無かったかもしれない。柱の影からツタを見つめながら項垂れたアリソンの肩を、ルークが軽く叩いた。顔を上げると、どこか吹っ切れたような清々しい顔をした彼と目が合う。

 そういえば、キッドだけでなくルーク自身も大司教の被害に遭っていたのだった。大司教の元にいたのは2年前だと言っていたが、だとすると彼が12歳の頃のことになる。

 自分が12歳の頃は何をしていただろうか。そう遠くない過去であるはずなのに、意外と思い出せない。


「他の教会の人たちは知ってるの? 大司教が、その⋯⋯」

「アイツの『ご趣味』のことか? そりゃ、知らねえ奴が殆どじゃねーの? けどまあ、見て見ぬ振りしてる連中もそこそこいるぜ。どうでもいいけどな」

「⋯⋯誰も止めなかったの?」

「残念ながら人間って生き物の大多数は、権力と金の前には膝が曲がっちまうんだよなー」


 つまり、誰も彼や他の子供達を救おうとはしなかったのか。

 ゾッとするアリソンに、ルークは「そう珍しいことじゃねーよ」と言う。


「ま、俺も周りに助けなんか求めちゃいなかったからな⋯⋯言ってもどうせ、信じちゃくれねーだろと思ってたし。それにほら、俺こんな顔だし?」

「こんな顔?」


 聞き返すと、彼はそばかすを指し示した。

 それがどうしたのだろう、と困惑を深めるアリソンに、「美人とは言えねーだろ?」と苦笑する。


「どうせ手を出すなら、もっと見た目の綺麗な子供を選ぶんじゃないか⋯⋯って大抵は思う。例えば、あいつの部屋に飾ってある美少年の絵、見たよな? ああいう美少年やら美少女やらが被害に遭えば、なるほどなって思う。けど、俺みたいな地味で、別に中性的でもない奴が被害に遭ったって聞いたら、首を傾げるだろ。実際、あのクソジジイもあの絵みてーのがタイプだしな」

「それって⋯⋯えっと、子供が被害を訴えてもみんなが信じにくいように、わざと好みのタイプじゃない子供に手を出してるってこと?」

「そういうこと。ついでに言えば、俺は孤児だからな。頼る大人のいないみなしご、おまけに癒し手と来た。どれだけ痛めつけてもある程度は自分で治してくれるんだから、好都合だろ?」

「⋯⋯最低ね」


 吐き捨てたラズに、同感だとアリソンは頷く。

 思った通り、あの男はやはり悪虐非道の人間だ。殺すのを躊躇わずに済むだろう最低な、最悪の人間。

 ──やっぱり、心臓を手に入れるのなら、あの男の方がいい。

 会話に混ざらず、荒れた息を必死で整えているヒナコを一目見て、アリソンは改めてそう思う。


「ああ、そこでしたか」


 ゆったりとした男の声が上空から響く。顔を上げると、大聖堂の屋根の上で白いローブが揺れている。顔は逆光で見えないが、大司教であることに疑いはない。

 彼の声を合図に、柱の周りがツタで囲まれる。おぼつかない足取りの衛兵が、弓矢を構える。

 逃げ場のない包囲網。けれど不思議と負けだと思う気持ちはない。何故なら隣にいるラズが、鮮やかな嘲笑を浮かべたから。


「アリソン、異能(アビリティ)を使いなさい」

「え、いいんですか?」

「向こうがこれだけ目立ったことしてるんだもの、こっちだけが大人しくしてたってしょうがないでしょ。それにどうせ、魔術にしか見えないんだから」


 言われてみればそうだ。スラムで絡まれた時も、彼らはアリソンの力を魔術と勘違いしていた。

 ラズの言葉に頷き、アリソンは剣を抜いて前に進み出た。周りを囲むツタはじわじわと、袋小路に追い詰めた獲物を弄ぶ捕食者のように、わざと緩慢な動作で近づいてくる。

 ツタと、遥か上空の大司教を見据え、アリソンは息を吸う。体を駆け巡る炎に呼びかける。さあ、全てを焼き尽くせと。

 剣を握り、叫ぶ。


「──焼き払え(フランベルジュ)!!」


 アリソンの魔力の高まりに呼応し、剣が炎を纏う。薙ぎ払いに合わせて炎は大きく唸りをあげ、アリソン達を囲んでいたツタを一瞬で包み込む。

 耳をつんざくような轟音と、身を焦すような熱さ。燃え落ちていくツタには目もくれず、一直線に屋根の上の男を見据え、剣を突きつける。アリソンを中心に渦を巻いた炎が天高く穿たれ、大司教に手を伸ばして巻きつく。それは炎を操る魔人でもない限り、痛烈な痛みを伴って、男の身を灰と化すはずだった。


 ──しかし。


「やれやれ、まさかそちらの小娘までもが魔術師だったとは。少々、侮りましたかな?」


 弾かれたように音を立てて炎が男から剥がされる。大司教が纏うのは、彼に攻撃された時にラズが張り巡らしたのと同じ白い光。防壁魔術だ。


「さて、これはどうします?」


 パチン、と男が指を鳴らすと、生気のない衛兵たちがアリソンたちを囲む。弓矢は既に燃やし尽くしていたが、他にも武器を隠し持っていたようだ。剣や槍、斧といった武装が揺らめく。

 さらにボコボコと地面が揺れ、白い指が──いや、指の骨が這いずり出る。


「ひっ⋯⋯!?」

「こいつは⋯⋯死霊魔術(ネクロマンス)か!? あの野郎、とうとう行き着くとこまで行きつきやがったな⋯⋯!」


 悲鳴を上げたヒナコを抱き寄せたルークが、歯を食いしばる。


「どういうことですか? 死霊魔術(ネクロマンス)って⋯⋯まさか大司教も、死んだ人を生き返らせられるんですか!?」

「いいえ、それは違うわ」


 動揺に早鐘を打つ心臓を押さえたアリソンに、ラズが首を振る。


「死者を生き返らせる魔術はないわ。死霊魔術(ネクロマンス)はただ、動物の死骸や死んだ人間の体を動かすだけの魔術よ。とんでもない死者への冒涜だから、禁術として指定されているはずだけど──そんなことを気にするような人間じゃなかったわね」


 地面から這いずり出た骸骨は、ガシャガシャと骨を鳴らしながらアリソンたちに近づいてくる。骸骨は背丈がアリソンの半分ほどしかないことから、幼くして亡くなったのだと言うことが推察できた。言うまでもなく、大司教の手によって殺された被害者に違いない。

 ヒナコが裏庭の花壇に埋葬したのとは別の被害者たち。おそらく彼女が死んだ子供達を埋めるようになる前に、大司教がその手で殺めてきた子供達だろう。次から次へと土の中から現れる骸骨の集団に目もくれず、衛兵たちは距離を詰めてくる。

 ──何かがおかしい。

 そう思ったのはアリソンだけではなかったようだ。アリソンの視線にラズが黙って頷き、ルークは怒りに拳を握っている。


「アンタ、年端のいかないガキ相手にしかコーフンできないんじゃなかったっけ? いつからこんなに大量の衛兵相手に『遊ぶ』ようになったんだ?」

「おや、ひどい言い草ですねえ。私はただ、迷えるものどもを導き、正しく『使って』いるだけです。一生を棒に振るよりも、私と共に神に奉仕する方がよほど有意義でしょう?」

「要は邪魔な奴は殺すなり洗脳するなりして、操り人形にしてるってことね。最高に吐き気がするわ」

「ははっ、なんとでもどうぞ。あなた達も直に、彼らの仲間となるのですから」


 汗ひとつかいていない大司教は悠々と、屋根の上からアリソンたち、そしてそれを囲む衛兵と子供の骸骨を見下ろす。

 大司教の言う「彼ら」とは、操られた衛兵たちのことだろうか。それとも、死んでなお彼の意のままにされる子供達のことなのか。どちらにせよ、その先に待つのはゾッとしない地獄である。

 だけど、そうはならない。させない。

 握った剣に炎を纏わせ、アリソンは息を吸う。


「そんなことになる前に、あなたを倒して、この人たちも解放します!」

「⋯⋯どうやらそれしかないみたいね」


 小さく呟いたラズは、ルークと彼に庇われているヒナコを見やる。


「あたしは、聖女を生かすことにまだ賛成したわけじゃない。⋯⋯けど、共通の敵がいるのに争ってる場合じゃないのは分かるわ。だから、アンタ達のことはアイツを倒してから考えることにするわ」

「そいつは助かるな。傷んだ肺の分ぐらいは助けてくれよ?」

「はいはい。それで、どう倒すかだけど。死霊魔術(ネクロマンス)もあの馬鹿みたいに大きいツタも、いちいち相手にしてたらキリがないわ。つまり──」

「つまり、俺らが狙うべきは一点集中、大司教の脳天ってことだな?」

「⋯⋯話が早くて助かるわ」


 ラズに視線を向けられ、反射的に身をびくりと縮こませたヒナコと対照的に、ルークは即座に笑って軽口を返す。切り替えが早いのは彼だけでなく、ラズもだ。さっきまで殺す気で剣を交わし合った者同士と思えないほど、とんとん拍子に話が進んでいく。


「アリソン、元はと言えば大司教を殺す話の言い出しっぺはあなたよ。だから──任せてもいいわね?」


 話をまとめたラズがアリソンを見つめてくる。美しい蒼に信頼されているのだと思うと胸がいっぱいになり、いつも以上に力を出せそうだ。

 グッと拳を握り、アリソンは力強く頷く。


「はい! 任せてください!!」

「いい返事ね。他のことはあたしとルークでどうにかするから、アンタは大司教のことだけ考えなさい」

「わかりました!」

「あ、あの、わ、わたしは何をすれば⋯⋯っ」


 おどおどした声に、全員の視線が向けられる。複数の視線に晒され、ヒナコは消え入りそうな声で「ご、ごめんなさいっ」と言う。今にも泣きそうだ。


「アンタは聖都で、いえ、世界で一番強い癒し手なんでしょ。だったらアンタのするべきことはただ一つ。あたしたちの誰かの足がもげたり、腕がもげたら治すことよ」

「も、もげ⋯⋯っ!?」

「あ、そっか。聖女がいるから、私たちは後先考えないで特攻しても大丈夫なんですね」

「そうよ。腕がもげようが足が落ちようが、気にしないで前進できるのよ。あそこの骸骨さながらにね」

「ひ、ひぇ⋯⋯」


 納得して手を叩いたアリソンに、ヒナコが半泣きで震え出す。救いを求めるように彼女はルークを見やるが、肝心の彼の視線はスッと横に逸らされる。彼もまたラズに同意見なのだと察したヒナコが「ひぃ」と悲鳴をあげる。


「いやまあ、そういう戦法も取れるよなーってだけで、積極的に腕をもがれに行くわけじゃねーんだし、大丈夫だって!」

「じ、じゃあ、なんでわたしの目を見て言わないんですかぁ!」

「とにかく、話はまとまったわね? それじゃ、手筈通りにさっさと攻め落とすわよ」


 ラズの号令に「はい!」とアリソンが威勢よく返事をし、「おうよ」とルークが応じる。観念したようにヒナコが小さな声でモゴモゴと答えると同時に、全員が動き出す。襲い来る骸骨と衛兵を各々の武器で弾く音が響き渡る。


「ほう、やっと覚悟が決まったのですかね?」


 屋根の上で他人事のようにことの流れを見ていた大司教の声に、笑い声で応じたのは誰だったか。迫り来る骸骨の手を剣で防ぎ、隣の衛兵を蹴り飛ばし、ラズが「今よ!」と叫ぶ。その声に合わせて、彼女とは反対の方向で戦っていたアリソンは、しのぎあっていた衛兵を弾き飛ばし、一目散に駆け、そして「ごめん」と小さく懺悔を呟いて飛んだ。

 骸骨を踏み台に、衛兵の肩を踏みつけ、屋根の上へと飛び上がったアリソンに、大司教が「おやおや」と肩をすくめる。


「なるほど、私を先に倒してしまおうと? しかし、そう簡単に行きますかね」


 大司教の手に魔力が集まる。またあのスパークかと身構えるが、違う。アリソンの上に大きく影が落ちる。見上げれば、そこには轟々と燃える巨大な火球。


「私を侮辱したあなたには、地獄の如き業火こそがふさわしい。──ファイアボール!」


 なるほど、先ほど彼を焼こうとした意趣返しであるらしい。

 大司教の意図を理解した瞬間、アリソンの体が炎に包まれる。地上でルークとヒナコが何かを叫ぶ声が聞こえるが、ラズの声は聞こえない。

 当たり前だ、彼女は知っている。炎の魔人(イグニス)異能(アビリティ)を継承したアリソンに、炎は効かないことを。


「さて、地獄の業火はいかがで──ぐごぉッ!!?」


 為す術なく炎に包まれたアリソンを見て、勝利を確信した大司教の腹を剣が貫く。


「がはっ⋯⋯な、なぜ⋯⋯防壁魔術を展開する暇など無かったはず⋯⋯!」

「あれぐらいで地獄なんて、生ぬるいですよ」

「そんな馬鹿な⋯⋯っ!」


 血を吐き、信じられないものを見る目で大司教は己を貫く剣を見つめている。それをどこか他人事のように思いながら、アリソンは眉一つ動かさずに答えた。

 一拍してから剣を引き抜こうと力を入れるが、フランベルジュの形状のせいか、なかなか抜けない。剣を抜こうと動かすたび、傷が抉れて大司教は苦悶の声を上げる。


「よい──しょっ!」

「ッぐふぅ⋯⋯!」


 ずるりと引き抜いた剣は、炎の波紋のような形状のせいか、所々肉片が絡まっていた。なるべくそれらを視界に入れないようにしつつ、アリソンは大司教を見やる。男はよろよろと数歩後退し、なんとか踏みとどまった。

 腹部を貫通したぐらいで殺せたとは思っていないが、予想以上にはしぶといようだ。再び剣を構えたアリソンの目に、大司教の口が逆三日月に吊り上がるのが映りこむ。

 嫌な感触に、ざわりと全身の神経が張り詰める。


「は、ははは⋯⋯! してやられましたねえ! こんなに不愉快なのは久しぶりですよ!!」


 まるで貫通した傷を見せつけるかのように、両手を広げて笑う大司教は狂気に満ちている──まるであの悪夢の日の、勇者のように。

 悪人というのは、誰も彼もが狂気的でないといけないのだろうか。フラッシュバックに顔を顰めながら、アリソンは大司教に止めを刺すべく、彼に近づく。


「大司教様、ご無事ですか!?」


 ふいに割って入った声に、アリソンは思わず眼下を見下ろす。教会の修道女や修道士たちだ。これだけの騒ぎがいつまでも気づかれないわけがない。ヒナコを庇いながら衛兵や骸骨と戦っているラズとルークが、厄介なことになったと顔を見合わせる。


「こ、これは一体!?」

「シスター・ナナ? それに隣の少年は⋯⋯」


 口々に混乱の声をあげる彼らに、ニヤリと大司教が笑う。状況を考えれば、それは窮地に助けがやってきたからとも考えられる。だが理屈ではなく本能で、それ以上に嫌な予感がした。


「ッこっちに来たら駄目! 早く逃げて!」


 アリソンが彼らに向けて叫ぶのと、大司教の腕がぷくりと膨らむのは同時だった。泡のように膨らんだ腕が、人間ではありえない長さに伸び、駆けつけた修道女や修道士、そして正気を保っている衛兵の首を一緒くたに握り込んだ。

 ミシミシと、人間の体から鳴ってはいけない音が響く。

 彼らは幸運だった。何が起きたのか分からないまま、神の元へと旅立ったのだから。


「ふう⋯⋯仕方ないですね。面倒なので本気は出したくなかったのですが」


 ポイと、ゴミを捨てるように大司教が膨らみ切った手を放す。こぼれ落ちた遺体は身体中の水分という水分を吸い尽くされたように枯れ、目を見開いたままの頭が首から落ち、コロコロとボールのように転がっていく。


「いやぁあああああ!!」

「アンタ、まさか人間から魔力を──ッ」


 ヒナコが頭を掻きむしって叫び、その隣でラズが推察を口にしかけるが、ラズがその先を言うより早く大司教は自ら実践してみせた。

 先ほど貫いた傷が塞がり、ぶくぶくと両腕だけではなく身体中が膨らみ出したのである。

 同時に、骸骨と衛兵、そして大司教が魔術で出したツタが一直線に、大司教の方へと吸い込まれるようにして飛んでいく。

 重さに耐えきれなくなった屋根が崩れ始め、アリソンは瓦礫に巻き込まれる前にラズたちの方へ飛び降りる。着地して振り返った時、大司教は既に大聖堂の一角を踏み潰し、ぶくぶくした巨大な肉塊に成り果てていた。


「はは⋯⋯あの野郎、常日頃から外道だと思ってたが、とっくに人間やめてたんだなぁ」


 ルークの引き攣った苦笑に、何を返せばいいのか分からない。

 崩れ落ちた大聖堂をも巻き込んで、大司教の体はどんどん、どんどん大きくなる。巻き込まれていくものたちが渦を巻き、竜巻のように彼を取り囲み出す。留まるところを知らない肥大化は、あまりにも非現実じみている。


「とにかく、巻き込まれる前に退避するわよ!」

「で、でもっ、まだ中に人がっ! わ、わたしに良くしてくださった人たちもあの中に⋯⋯っ」

「気持ちは分かるけどよ、まずは生き延びてから考えようぜ。このままここにいたら、俺らも巻き添えになっちまうぞ!」


 ラズに急かされ、アリソンは少しの躊躇の後に走り出す。最初はそれに抵抗していたヒナコも、ルークに論され、泣きながら走る。

 すれ違う誰もが、突如現れたこの怪物に恐れをなす。ある者は逃げ出し、ある者は恐怖に体が凍りつき、またある者は取り込まれていく知人を掴もうと手を伸ばし。


「⋯⋯長い1日になりそうね」


 走りながらラズがぽつりと呟く。

 晴天の空の下、調和を保っていた聖都が崩壊し始めた瞬間だった。


 

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。


次回更新日:5/9予定

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