014 誰かを殺すということ
「おねえちゃん、きょうね、すっごくいいおてんきだよ」
「⋯⋯ルノー?」
目を開く。
視界に飛び込んできたのは、何の変哲もない我が家の2階の光景。いつもの定位置、すなわちベッドの上に座ったルノーがこちらを見下ろしていた。
自分がベッドにもたれかかるようにして地面に座っていることに気づき、アリソンはのろのろと顔を上げて弟を見上げる。弟の話し相手をしているうちに、つい微睡んでしまったのだろうか。
まだ眠たい瞼をこすり、窓の外に目を向ける。ルノーの言う通り、外には雲ひとつない青空が広がっていた。洗濯物が乾きやすそうで良かったなぁ、とアリソンはぼんやり思う。やはりまだ覚醒しきっていないせいか、頭の回転が随分と遅い。覚醒したって、早くもないけれど。
「ねえ、おねえちゃん。ぼくもそと、いきたい」
「⋯⋯駄目だよ、ルノー。今日は日差しが強すぎるから」
にべもなく断ると、弟は「うー」とひとつ唸ったっきり、拗ねることも文句を言うこともせず横になった。
アリソンの返事なんて分かっていただろうに、それでも聞いてみたくなっただけなのだろう。せめてもの慰みに、聞き分けのいい弟の頭を撫でる。
「おねえちゃん、あのね、さっきラズおねえちゃんがきてたよ」
「ラズさんが?」
「うん。それでね、おみやげくれたんだぁ」
見て見て、と言うように弟が何かの包みを持ち上げる。包みを広げると、中には真っ赤な石のブローチがひとつ。
確かガーネット、という名前のはず。誠実を意味する石だと教えてくれたのは誰だったか。意識が覚醒しきっていないせいか、どこか朦朧としていて思い出せない。
「良かったね、ルノー。大事にするんだよ?」
「うん!」
何かおかしいな、と思いつつ、アリソンは相槌を打った。
嬉しそうに笑う弟に頬を緩めようとしたが、どうにも上手く筋肉が動かない。まるでもうずっと長いこと、笑ってないみたいに。
本当におかしな話だ。家族や優しい村の人たちに囲まれて、アリソンは幸せなはずなのに。どうして笑っていないのだろう。
「ねえ、おねえちゃん」
「うん?」
「むらのそと、たのしい? ジョアンおねえちゃんみたいに、むらのことキライになった? だからかえってきてくれないの?」
村の外?
ルノーは何を言っているのだろう。アリソンは生まれてこの方、村の外に出たことがない。そんなことルノーだって知っているのに。
それに、帰ってきてくれないとはどういう事だ。アリソンは今ここにいるのに。
首を傾げたアリソンに、弟は空色の目を瞬かせて言う。
「ねえ、ぼくもつれてってよ」
「⋯⋯駄目だよ、ルノー。今日は日差しが強いから」
「ちぇー」
先程と同じやりとりを繰り返し、ルノーの頭を撫でる。
少しかさついた髪をすくい、「大丈夫だよ」とアリソンは言う。
「ルノーが動けない分、お姉ちゃんがここにいるよ。ずっとずっと」
この暖かな陽だまりを捨ててまで得たいものなど、アリソンには無かった。
それなのに、幸福な陽だまりの夢はすぐに溶けて消えてしまう。最初からそんなものは存在しなかったとでも言うように。
目を覚ます。
視界いっぱいに飛び込んできたのは見慣れた我が家──ではなく、宿屋の天井だ。
いつからここで眠っていたのだろう。何か懐かしい夢を見ていたような気がして、アリソンは目元に溜まった涙を拭う。
「おや、起きたのかい?」
「え⋯⋯女将さん?」
声をかけられたアリソンは、驚いて目を見張る。
確かに近くに人の気配はあったけれど、てっきりラズだとばかり思っていた。しかし予想に反し、ベッドのすぐ横に座っていたのは宿屋の女将だ。
きょろきょろと部屋の中を見渡すが、ラズの姿はない。どこへ行ったのだろう。
「倒れる前の記憶はあるかい?」
「倒れる⋯⋯?」
「そうだよ。今日は日差しが強いからねえ、熱中症にでもなったのかい? 連れのべっぴんさんがお前さんを背負って、外から帰ってきたんだよ」
倒れた記憶はないが、そう言われれば心当たりはある。記憶を取り戻したショックだ。
偽物の聖女イライザが首から下げていた、精神干渉を阻害する首飾り。それが偶然手首にぶら下がった瞬間、アリソンはそれまで忘れていた本物の聖女の姿を思い出した。てっきり首にかけないと効果はないのだろうと思っていたが、手首でも何でも、とにかく体の一部に通すことで効果が発揮されるのだろう。
今は手首にかかっていないが、布団の中でポケットをまさぐると、ジャラジャラした音が微かに鳴った。聖女の首飾りを持っていることに気づかれてはまずいと、ラズがあらかじめアリソンの手首から外してポケットに入れてくれたに違いない。彼女の用意周到さに、アリソンは心の中で感謝した。
「あの、ラズさ⋯⋯彼女はどこに?」
「ああ、なんだか外せない急用があるとかで出かけて行ったよ。それで、お前さんの目が覚めるまでそばにいてくれって頼まれたのさ。目が覚めた時に誰もいないと不安だろうから、ってね」
「そうだったんですね⋯⋯ありがとうございます。その、お仕事中なのに」
「構わないさ。うちの旦那や、息子たちもいるからね。それにうちは食事時以外はそんなに繁盛してないからね、暇な時の方が多いんだ」
そう言ってにっこりと笑った恰幅の良い女将は、少し母に似ている。目を伏せたアリソンは、もう一度お礼を言った。
「それじゃあ、私は下に戻るよ。何かあったら言うんだよ」
「はい。ありがとうございました」
先程の言葉はアリソンを安心させるためのもので、本当は仕事があるのだろう。部屋を出て行った女将を見送り、アリソンはポケットの中から首飾りを取り出す。
頭の中に本当の聖女の姿を思い起こそうとすると、霧がかかったように思い出せない。大司教の魔術にかかっている証拠だ。
この首飾りを体のどこかに通せば、また思い出せるのだろう。二度目なら、一度目ほどのショックはないかもしれない。
それにしても、ラズはどこへ行ったのだろう。外せない急用とは一体──
「⋯⋯まさか」
頭を過ったある考えに、アリソンはガバッと布団を剥いで地面に足を下ろす。
履き古したサンダルに足を入れ、剣と盾を持って部屋を飛び出して行く。
「ちょっとお前さん、目を覚ましたばかりなのに走ったら──」
「ごめんなさい、でも大丈夫ですからっ」
玄関へと駆け出していくアリソンに気づいた女将が、カウンターの裏から声をかける。それを遮るように声を張り上げ、アリソンは大通りを駆けていく。
もしも、アリソンの考えている通りだったら、ラズは今、聖女を殺そうとしている。たったひとりで。
ラズは優しい人だ。例えば、イグニスと面識があるからと言って、見ず知らずの仲だったアリソンを親身に看病するぐらいには優しい。
そんな彼女のことだから、具合の悪いアリソンを置いて一人で聖女と決着をつけるぐらいのことはするだろう。するだろうけど。
「駄目だよ、ラズさん⋯⋯!」
口の中で呟きながら、アリソンは今までにないくらいの速さで通りを抜ける。
脳裏に響くのは、あの日、家族の喪失に嘆いていたアリソンに、エリザベスが口にした甘い誘惑。
『──勇者たちの心臓と引き換えに、貴女の家族を生き返らせてあげますわ』
人間を生き返らせるには、大量の魔力を持つ者の心臓が必要なのだとエリザベスは言った。
もしラズが先に聖女を殺してしまったら、アリソンには聖女の心臓を取り出すことができなくなってしまう。エリザベスが家族を生き返らせる術を持つことを彼女に伝えてはいけないというのに、どう言い訳をして死体から心臓を取り出せばいい? 殺した拍子にこそ、許されることなのに。
大通りを駆け抜けたアリソンは、ようやく長い階段に辿り着く。大聖堂へと続く、気の遠くなるような階段。
聖女がどこにいるのかは知らないが、それはラズも同じだ。大聖堂の敷地には修道女や修道士の暮らす修道院がある。まず最初に探すべき場所はそこであるはずだ。
息を切らして階段を登り切る。相変わらず壮観な大聖堂だが、今日はここに用はない。
あたりを見渡すと、今日は解放日でないためか一般人の姿はなく、修道女や修道士がが忙しそうに歩き回ったり、たむろしている。
そのうちの適当な一人に、聖女こと「シスター・ナナ」の名前を出すと、彼女は訝しげに首を傾げて言う。
「シスター・ナナ? この時間なら、向こうの離れ⋯⋯っていうか、裏庭の方にいるはずですけど」
「え、何。アナタ、あの子を探してるの? やめた方がいいわよ、変わり者だし、それに──」
「ちょっと、余計なこと言わないでよ。大司教様に知られたら、どんな目にあうか⋯⋯」
「そういえば、さっきもあいつを探してる子が来てたわよね。あいつ何やらかしたの?」
わらわらと集まり、口々に喋り出した修道女たちに、母たちの井戸端会議を思い出して苦笑する。
「そのさっき来たっていう人、もしかして黒い髪に綺麗な蒼い瞳をしていませんでした?」
「あ、してたしてた」
「そうですか⋯⋯じゃあ多分、私の知り合いです」
「ふうん? ていうかアナタ、なんか顔色悪いけど──」
「大丈夫です。ありがとうございました」
詮索される前にお礼を言って、その場を離れる。急に走ったり、階段を飛ばし飛ばし駆け上がってきたせいか、両足がふらつきそうになる。それでもなんとか地面を踏みしめて、アリソンは彼女らの指し示した方角へ向かう。
すれ違う人がどんどん減り、人の目や音が遠ざかるのは好都合だった。これで誰かに見咎められることもない。きっとラズもそう考えたはずだ。
どうか、間に合いますように──誰へともなく捧げた祈りが通じたのか。
裏庭に辿り着いたアリソンは、風に揺れる花壇の花たちの前にしゃがみ込んだ修道女と、そんな彼女を茂みから覗くラズの姿を目にした。
「っ誰⋯⋯」
「私ですよ、ラズさん」
気配に気づいたラズに囁くように返事をする。
ポケットの中の首飾りを雑に手首に通すと、少し離れたところで雑草を抜いている修道女が、本物の聖女と同じ顔をしているのが分かった。雑草を抜き終わったのか、彼女は土だらけの手で今度は花の前に小さな木の板を差し始める。花の名前でも書いてあるのだろうが、この距離では流石に文字までは読めない。
遠くからでも分かる幼い顔立ちに、胸がざわつく。
「アンタ、なんでここに⋯⋯」
「だってラズさん、抜け駆けする気だったでしょう」
「それは⋯⋯っていうか、具合はもういいの?」
「いいからここにいるんですよ」
青空の下、聖女によって手入れされた花たちが風に揺れる。文字の書かれた木の板は芝生の上にいくつも並べられており、一人でこの量を全て差し終えるにはだいぶ時間がかかりそうだ。
つまり、聖女を殺す時間はたっぷりあるということ。
誰も来る気配がないし、全てがアリソンたちにとって好都合だった。頭上に広がる快晴でさえも、まるで今日この舞台のために作られたかのようで。
「それより、ラズさん勝手にひとりで聖女を殺そうとしないでください。私の仇でもあるんですよ」
「じゃあ、どうするのよ。せーのでナイフでも投げて殺す?」
「いえ。それより、少しだけ話が、というか恨み言のひとつでも言ってから殺したいです」
苛立ちを抑えきれていないラズの目を見て、アリソンはそう言った。
聖女と話をしてどうするのか、あるいは何の意味があるのか、自分でも分からない。それでも、目の前の聖女が何も分からないまま死ぬのだけは許せなかった。
「⋯⋯勝手にしなさい。その代わり、もし聖女が怪しい動きを見せたら、問答無用で抜け駆けさせてもらうわよ」
「分かってます」
「そう。⋯⋯手短に済ませなさいね」
「それも分かってます」
いっそ朗らかなほどに答えられたら良かったが、実際に喉から出た声は情けないほど硬かった。
気配を隠すのをやめ、遠慮なく芝生を踏みしめたアリソンの足音に聖女が振り返る。キョトンとした彼女は、けれどアリソンの表情を読み取った瞬間、全てを悟ったかのように目を伏せて笑った。
「こんにちは。⋯⋯いつかこんな日が来るってこと、分かってました」
聖女ニーナはそう言って、両手を前に重ねて佇んだ。
「分かってたって、どういうことですか?」
「最初に大聖堂でお会いした時から、あなたは復讐のために来たんじゃないかって思ってたんです」
「⋯⋯どうして」
「あなたの村が焼かれたあの日、わたしもその場にいたから⋯⋯」
──ああ、聞くんじゃなかった。
後悔したってもう遅い。誰かの口から吐き出されてしまった言葉を、無かったことにすることなんて出来やしない。それでも、苦々しい思いでアリソンは唇を噛み締めた。
後悔の味が口に広がり、胸に溜まった感情を濃くしていく。
「最初から、知ってたんですか」
「はい」
「⋯⋯それなのに、よく普通に話しかけてこれましたね。親切を装って、仇が目の前にいるのに気づきもしない私を笑ってたんですか?」
「それは違います⋯⋯っ! わたし、最初はあなただって分からなくて。だってわたしがあなたを見たのは、あなたが床に倒れて⋯⋯その、レインナート様があなたの左腕に傷を負わせた後だったから、すぐには分からなくて」
左腕に傷、と聖女は言った。
そういえば、そんなことを誰かにも言われたような。それもごく最近。
おかしなことだと思いながら、アリソンは自分の左腕を見る。長袖に包まれたそれをめくり上げると、聖女が息を呑んで俯く。その仕草の意味がアリソンには分からない。まるで罪を前にしたかのように項垂れる必要なんてないはずだ。
アリソンの目に己の左腕が映る。そこには──
『どうせなら、模様でも刻むとしようかな?』
──傷どころか、包帯すら、アリソンの目には映らない。
一瞬だけ頭を掻き乱したノイズは都合よく捨てる。左腕だのなんだのよりも、今は相対している聖女の方が問題だ。
「どうでもいいことを聞いてすみませんでした。私、話をまとめるのが得意じゃなくて。村のみんなのことも、よく困らせちゃってたんですよ。そのみんなも、あなた達が殺したみたいですけど」
「⋯⋯っ」
「死ぬ前にひとつだけ教えて欲しいんです。どうしてあなたは私の家族を殺したんですか?」
「わ、わたしが殺したんじゃ⋯⋯」
「私の家族を殺そうとする勇者を止めなかったんだから、同じことでしょう。それに、その場にいたんですよね? どこかで隠れて見物でもしてたんですか? 答えてください。どうして私のお父さんとお母さんは、それにルノーも、あんなに小さな子までも、どうして、死ななくちゃいけなかったんですか!」
アリソンの慟哭じみた叫びに、聖女は。
「⋯⋯ぐすっ」
はらはらと、涙を落とした。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい⋯⋯っ」
泣きながら謝り出した聖女ニーナの姿に、アリソンは無言でちらりと未だ茂みに隠れているラズを見やる。アリソンの意図を察した彼女が、首を振って伝える──「嘘泣きじゃないわ」。
それを理解したアリソンは、カッとなって聖女の小さく細い肩を掴む。力を入れすぎたのか、「痛っ」と彼女は小さく呻くが、アリソンはもう止まれなかった。
「謝るぐらいなら、最初からやらないでよッ!!」
「ひっ、ご、ごめんなさ、」
「だったら返してよ! 私の家族を、村のみんなを、イグニスさんを!」
できない相談だ。村のみんなも、イグニスも帰ってこない。
けれど、目の前のこの少女の心臓を捧げることで、家族を取り戻すことはできる。失った温かいひだまりを、もう一度この手に取り戻せる。
「で、できないです⋯⋯ごめんなさい。だから、こ、殺してもいいです。わたしのこと」
「⋯⋯どういう意味ですか?」
泣きべそをかきながら聖女が口にした言葉に、頭が少しだけ冷える。きつく握っていた彼女の肩から手を放し、アリソンはニーナの目を見た。
茶色くて丸い、小動物のような目は下を向いており、視線が交わることはない。
「わ、わたし、ずっと怖かったんです。大司教様も、勇者様も、セネカさんも、この世界のことも、怖くて怖くて。だからずっと言うこと聞いてきました。殺さないで欲しかったから、死ぬのが怖かったから。でも、わたし⋯⋯あなたを見て分かりました。そんなこと、言い訳にしかならなくて、このままじゃ許されないって。それに、このまま生きていたってどうせ意味なんてないってもう分かったんです。だから、殺してもいいです」
なんだ、それは。
戸惑いと、怒りと、訝しみと。最初こそ、ないまぜになった思いで彼女を凝視することしかできなかったが、やがてすとんと腑に落ちるようにして理解する。
「そっか、言うことを聞かなきゃ殺されるから仕方なかった、って思ってるんですね。──仕方なかったんだから私のせいじゃない、って」
「⋯⋯っ」
「そっか。⋯⋯そうなんですね」
噛み締めるように繰り返したアリソンに、聖女は言葉ひとつ溢さない。この沈黙が肯定だということは、アリソンにも分かる。
こんなどうしようもないことを明らかにして、結局のところ自分はどうしたかったのか。
そんなことは最初から決まっている。みんなを見殺しにした少女の心臓で、家族を取り戻すのだ。失われたひだまりを、アリソンのあるべき場所をもう一度この手に。
柄からフランベルジュを抜き、一歩踏み出す。
「お父さんとお母さんとルノーとイグニスさんを見殺しにするのが『仕方のないこと』で、『あなたのせいじゃない』のなら。あなたがここで死ぬのも、『仕方のないこと』だし、『私のせいじゃない』」
これから行われることを悟った聖女は、その時を待つように目を瞑り、胸の前で祈るように手を組む。
いざとなれば抵抗するとばかり思っていたのに、「殺してもいい」と言った言葉は真実だったようだ。無抵抗の聖女を見やり、アリソンは高く剣を掲げる。
アリソンやラズよりもずっと小柄な少女。組んだ手どころか睫毛までもが震えている。死の恐怖がないわけではない。それでも甘んじて受け入れようとしている。
意を決し、彼女の首めがけて振り下ろした瞬間、いつかの訓練所が頭をよぎった。
無防備に見えたラズの背中。振り下ろした手に躊躇はなかったはずなのに、防がれてしまったこと。どうしてそんなことを今思い出すのか。状況は全く違うのに。
重ねるべきは、別の記憶であるはずだ。
『本物の聖女の様子を俺にも教えてくれねえか? アンタらの用事が終わってからでいいからさ。せめて、元気でやってるかどうか知りたいんだ』
砂埃の舞うスラムで出会った、子供達の王様のルークが優しい目をして語る。
ああ、そうか──今更ながらに理解して、アリソンは息を詰める。
誰かを殺すということ、誰かの命を奪うということ。それは、誰かから大切な人を奪うのだ。
レインナートがアリソンから家族を奪い、ラズからはイグニスを奪ったように、自分はルークから聖女を奪う。奪われた側の気持ちを知りながら。
無数の情景が頭を駆け巡ろうとも、振り上げられた剣は止まらない。身体を動かすのには感情も理性も必要ない。ただの本能、ただの反射で身体は動かせる。
そうして一瞬の間も無く、静寂を切る音と共に刃は振り下ろされた。
◇◆◇
刃を振り下ろしたアリソンの目の前を赤色が舞う。切り裂いた首から飛び散る鮮血──ではなく、赤い髪の切れ端だ。
突き飛ばされた聖女が、自分を庇った人間の姿に目を見開く。
「ルーク君⋯⋯っ!?」
三つ編みになっていた赤い髪が解けていく。聖女を後ろに庇った彼が、ゆっくりと顔をあげる。
──目を合わせるのが、怖い。
剣を握る手が震える。それでもアリソンは視線を逸らすことはしなかったし、剣を下げることもしなかった。自分は一人でここに立っているわけではないから。
「まったく、抜け駆けするなって言ったのはどっちよ?」
「ごめんなさい、つい」
後ろの茂みから現れたラズに聖女が驚き、ルークは「やっぱりいたか」と目を細める。
「これで2対2ね。で、あなたはどうして子守もせずに、こんなところにいるのかしら?」
「それはこっちの台詞なんだけどなぁ? 俺はアリソンがすげえ形相で走ってたって聞いて、いやーな予感がしたもんで、追っかけさせてもらっただけだぜ」
「あらそう。じゃあ、もう退いてもらっていいかしら?」
「それは出来ねえ相談だな」
ラズとルークの応答は、ただの確認事項だった。退くつもりがないことなんて、火を見るより明らかだ。双方ともに譲る気はない。ならば、選択肢はひとつだ。例え、相手が年下の少年だろうが、その少年の肩にスラムの子供達の明日が懸かっていようが、押し通るしかない。
ルークの後ろで、尻餅をついていた聖女が立ち上がる。一触即発の空気に、栗色の目が揺れる。
「ま、待って⋯⋯やめてください!」
「馬鹿っこっちに来んなって! 下がってろよ!」
「やめてください、ルーク! これはわたしのせいなんです、死んで償うしかないんです。だから、わたしなんか庇わないで⋯⋯っ」
「はあ?」
ルークの腕に縋った聖女は、泣きながらそう訴える。
殺されかけている側が、殺そうとしている側を庇うという妙な状況に、ルークが素っ頓狂な声を出す。隙を見せた彼にラズが一歩踏み込んだのを、アリソンはうっかり反射的に肘を掴んで引き止めてしまう。
振り返ったラズが「何してんのよ」と怒気をあらわにするが、アリソンにも自分が何をしているのか分からない。
まさか、同情しているのだろうか。両親と弟を見殺しにした女に? いくら何でもそれはない。自分の中をどれだけ探しても、目の前の聖女を「可哀想」だと思う気持ちはどこにもないことに、アリソンは少し安堵する。
「ふざけんなよ、アンタが殺されるのを黙って見てられるわけねーだろうが!」
「でも、でも⋯⋯っ」
泣きながら首を振る聖女の姿はひどく憐憫を誘うもので、けれどアリソンの胸の内は、隣で舌打ちするラズと近しいものであった。
勇者に逆らったら殺されるから、だから父と母と幼い弟が殺されるのを見殺しにして、仕方がなかったと自己を正当化した女。その上で、殺してもいいと、甘んじて死を受け入れようとしたその姿。今も自分を救いに英雄よろしく颯爽と登場した少年に、自分を庇うなと泣きついている。
──もしかして、彼女は。
頭に浮かんだ考えを上手く咀嚼する前に、アリソンはぼうっと、考えるより先に口に出していた。
「もしかしてあなた、自分のこと、かわいそうって思ってるんですか?」
ひゅ、と息を呑んだのはアリソンじゃない。目の前の少女、ニーナだ。
「死んで償うしかない、って言いましたよね。つまり、自分から死を受け入れることで、許されたいんですね? 『自分から死を受け入れる、こんなに可哀想なわたしは許される』、そういうことですか?」
ずるり、とルークから腕を離した聖女がその場に崩れ落ちる。彼女を支えようと慌てて伸ばされたルークの手を払い除け、彼女は「だって」とくぐもった声を出す。
「だって、わたしだって、幸せになりたかった! あっちの世界じゃ無理だったけど、この世界でならもしかしたらって、そう思っただけだったのに⋯⋯っ!」
下らない、とか、ふざけるな、とか、あなたの事情なんてどうでもいい、とか。
言ってやりたい言葉も、吐き捨ててやりたい気持ちも、いくらでもあった。数え切れないぐらいあった。
けれど、すぐには口をついて出ることができなかったのは、顔を覆った彼女のその手首。
長い袖が下に垂れたことで明るみに出た細い手首に、無数のミミズのような引き攣った傷跡があったからだ。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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