013 聖女はかく騙りて
ざわざわと道を行き交う人々の声、足音。生活の息遣い。そういったものと隔てられた、暗く、湿気のこめる場所をアリソンとラズは歩いていた。前を歩く彼女の小さな背中を見つめながら、アリソンは苔の生えた石畳を慎重に踏みしめる。
ルークの言う「抜け道」とは、街の外れにある朽ちた荒屋の下に隠された、古い地下通路のことだった。
大聖堂からわざわざこのような隠し通路が作られたのは、おそらく有事の際に要人が街から脱出できるようにするためなのだろう、とはラズの弁だが、しかし長い間、人に使われることがなかったのだろう。湿った通路は、埃っぽいのは言うまでもなく、苔やカビ、そして虫だらけになっていた。道に入った瞬間、ラズがかまいたちのような風の魔術で吹き飛ばしていなかったら、この通路を出る頃には全身蜘蛛の巣だらけになっていたに違いない。
「なんだか探検みたいでわくわくしますね」
「アンタって呑気よね。あたしは早いところ、こんなジメジメした所からおさらばしたいわ」
疲れたようにそう言うラズは、暗さに耐えられなくなったのか、手のひらを上に向けてボソッと式を呟き、小さな火を作り出す。宿で暖炉に火を灯したのと同じ魔術だろうか。言ったら彼女が更に不機嫌になりそうだから言わないが、松明が増えたことでより一層探検感が増した気がする。
ルノーはこういうの好きだろうな、と弟の顔を思い浮かべてアリソンは思う。こんなカビの生えたジメジメしたところ、絶対に来させられないけれど。
「今、聖都のどの辺りなんでしょうね」
「⋯⋯多分、宿屋を通り過ぎたあたりよ。少しずつ上に向かっている感じもするけど、大聖堂はまだ先ね」
「えっ、分かるんですか?」
「進んでいる方角を考えれば、大体はね」
すごいなぁ、と感心して立ち止まっている暇はない。礼拝が終わる前に目的地に辿り着き、攫われた子供──キッドを見つけ、来た道を速やかに戻らなくてはならないのだから。
「それにしても、どうしてわざわざスラムまで子供を誘拐しに行ったんでしょうか」
昼間大聖堂に行ったときのことを思い出して、アリソンは呟く。
アリソンのように一人で訪れている人もいなかったわけではないが、大聖堂を訪れる人の多くは家族連れで、見学している間、子供たちは子供たちだけで固まっていることが殆どだった。あんなにたくさん子供がいて、親もそんなにちゃんと見ていたわけじゃなかったのだから、誘拐するなら大聖堂に来た子供を狙うのではないか。
そんなアリソンの疑問に、ラズはため息交じりに答える。
「そんなの決まってるじゃない。想像して見なさいよ、貴族や平民の子供がいなくなったら親はどうすると思う? 必死に探すし、衛兵にも言うでしょう。貴族なら、捜索隊が編成されるかもしれない。どちらにしても、とんだ騒ぎになるわ。その点、スラムの子供ならいなくなっても大して騒ぎにならない。例え親が、子供がいなくなったと泣きついても衛兵も相手にしないし、誰も気にかけない。そこまで考えて、スラムの子供を狙ってるんでしょうね」
「⋯⋯それってなんだか、すごく嫌な感じですね」
「ええ、あたしも自分で言っておいてなんだけど、胸糞悪くなったわ。でも、事実なんでしょうね。ルークも孤児院に引き取られたことがあるって言ってたでしょう? 孤児ってことはつまり、親がいないということ。親がいないということは、いなくなっても誰も騒がないってこと。そういう最も無力な子供を狙って攫っているのよ、大司教は」
ラズの手のひらの火だけが頼りの、この暗がりの中でも彼女が顔をしかめたのが分かった。
庇護すべき存在である子供を、そのようなずる賢い計算交じりに狙う犯人の悪辣さは、最低と言って差し支えないだろう。
「あれ、でも大司教なんですか? 教会、じゃなくて?」
「さすがに子供を攫うのが教会の総意とは思えないわ。⋯⋯まあ、教会が大司教の独裁状態なら、教会がやってるのと変わらないけど」
「なるほど⋯⋯」
ルークいわく、洗脳魔術をかける変態趣味の持ち主であるらしい大司教。
宿屋で、大司教に会いたくないとルークに泣きついていたあの子供を思い出す。今思えば、あの子は洗脳魔術をかけられるのに堪えられなくなって、あんなに泣いていたのか。
「⋯⋯もうそろそろ出口に着きそうね」
ポツリとラズが零す。その声にどこか安堵が滲んでいるのは、ようやくこの地下通路を出られるからだろうか。それとも。
ともかく、その前にお礼を言わなくては、とアリソンは口を開く。
「あの、ラズさん。ありがとうございます」
「は? 何よ、急に」
「えっと、キッド君を⋯⋯攫われた子供を助けに来ることに反対しないでくれたから、です。なんとなくですけど、ラズさんには反対されるんじゃないかって思ってたので」
「まあ、そうね。他人の事情に首を突っ込んでる場合じゃないでしょ」
「で、ですよね⋯⋯」
「⋯⋯でも、悪くない条件だと思ったのよ。おかげで大聖堂に忍び込めるし、偽の聖女や大司教から本物の聖女のことを聞き出すチャンスにもなる。あなたのお人好しのおかげで、ルークもまさかあたし達が聖女を殺すために聖都に来たなんて、思ってもいないでしょうしね」
いつも通り目を伏せたすまし顔に、少しだけ悪そうな笑みを浮かべて彼女はそう言う。ラズは言外にこう言いたいのだろう──これは、キッドを大司教の変態趣味から救うのが目的ではなく、あくまでも抜け道を教えてもらうための交換条件。自分たちの目的は大聖堂に入り、偽の聖女たちと接触することなのだ、と。
善意による行動ではなく、ただの打算であること。それをあえて強調するのは、まるで自分を責めて欲しいと言っているようだと思うのは、考えすぎだろうか。でも、言わなくてもいいことをわざわざ言うのは、きっと他でもない彼女自身が、自分の行動に思うところがあるからだというのは、間違いないと思うのだ。
だからアリソンは、わざと明るい声を出して言った。
「じゃあ、みんな幸せになれますね」
「は?」
「だってキッド君は助かるし、私たちも聖女を見つけられるかもしれないんでしょう? なら、みんな嬉しいじゃないですか」
善意だろうが、打算だろうが、最後に残るのは「めでたしめでたし」だ。
我ながらいい考えだとアリソンは思ったのだが、それを聞いたラズは目をそらし、「それはどうかしらね」と薄く笑った。
「ええっ、なんでですか?」
「分からないならいいのよ。ほら、もう出口よ、お喋りはおしまい。とっととそのキッド君とやらを見つけて、ついでに聖女の部屋ぐらいは漁って帰りましょ」
不服を訴えるアリソンに答えることなく、ラズはそう言って行き止まりの壁をコツコツと叩く。一箇所だけ音の違うそこを押しやると、壁のようだったそこはずるりと横に外れる。この隠し通路の出入り口だ。その出入り口からは、暗く湿った通路から繋がっているとは信じがたい、明るく煌びやかな部屋が想像よりもだいぶ下の方に見えた。
「ここは⋯⋯」
「どうやら執務室のようね。降りてみましょ」
思ったよりも高い場所に出て戸惑うアリソンに対して、彼女は相変わらずの冷静さだ。とん、と軽やかに飛び降りた彼女は振り向き、こちらに手を差し出す。その手に捕まって降りたアリソンは、改めて部屋の中を見渡す。
高い天井、白い壁、大きな窓。聖都の建物としては特段珍しいものではないが、それにしたって、部屋の広さが尋常ではない。宿屋で借りている部屋の2倍から3倍はありそうだと言うのに、部屋の中にある家具と言えば長方形の机と椅子に、馬鹿みたいに大きい背丈の棚、あとは用途のよくわからない、見た目ばかり豪奢な調度品や額縁に入った絵画があちこちに置かれたり、かけられているのみであった。
振り向けば、自分たちの降りてきた出入り口が壁にぽっかりと空いている。その横に妙な間隔でずれた絵画があるのを見るに、隠し通路はあの絵画の裏にあったのだろう。白百合を胸に抱いた、世にも美しい少年の絵画。薄い色の肌が少しだけラズに似ているが、顔立ちはルークに似ている。もし絵画の少年にもそばかすがあって、もう少し意志のある瞳をしていたら、彼の肖像画だと勘違いするところだった。
「豪華な額縁よね。金で出来てるのかしら」
「え? あ、はい⋯⋯お金持ちの考えることって分からないですね」
「そうね」
額縁を見ていたわけではないのだが、改めて見ると、確かに飾られている絵画以上に目を引きそうな額縁だ。細かい花の細工から、職人のこだわりを見て取れる。
「この部屋、どうやら大司教の執務室のようね」
「そうなんですか?」
「ええ、この机のプレートに書いてあるわ。すぐに目的地につくなんて、拍子抜けね」
「そうですね⋯⋯あ、でもそれなら、キッド君もこの部屋に?」
「その可能性は高いわね。子供ひとり隠すとしたら、やっぱり⋯⋯」
実用的な家具の少ないこの部屋で、人間を隠せる場所なんてそう多くない。二人は大きな棚を見やった。
上部は革張りの本などが置かれているが、下部は大事なものをしまっておけるように扉が閉められている。早速開けようと手を伸ばしたアリソンを、ラズが「待って」と制する。
「鍵が掛かってるだけならともかく、何か魔術が掛かってるかもしれないわ。あたしが確かめるから、開けるのは少し待って」
「わ、分かりました。でも確かめるって、どうやって?」
「式を解析する魔術を使うわ。いうなれば『鑑定』と言ったところね」
スッと触れるか触れないかのところで手を止めたラズが、本人の言うところの「鑑定」の式を呟く。すると、彼女の手の先に青い魔法陣が現れる。沢山の文字で連なっている魔法陣は、恐らく棚にかけられた魔術の式なのだろう。
目を細めて文字を追った彼女は、しばらくして「やっぱりね」と笑った。
「あのまま触らなくて良かったわね。泥棒よけの魔術が掛かってるわ」
「泥棒よけ?」
「さすが大司教だけあって色々仕掛けてあるわね。触れると弾かれる魔術、持ち主に誰かが触れたことを伝える魔術、それから⋯⋯目くらましまで。例え棚を開けても本当の中身を見られないようにしてあるわ。なかなか用心深いけれど、惜しいわね。魔術を防止する式も組み込んでおけば、こうやって鑑定されることもなかったのに」
大司教は随分と用心深い性格なんだな、とアリソンは思ったが、ラズにとってはそうでもないらしい。惜しい、と大司教を評する彼女は、どこか得意げだ。
「わざわざ目くらましの魔術をかけてるってことは、やっぱりこの中にはキッド君が?」
「多分ね。それか、もっと良くないものが隠されている可能性もあるけど⋯⋯まあ、今は気にしなくていいわ。それより、ちょっと待ってて。大司教が掛けた魔術を解除するから」
「えっ、そんなこともできるんですか!?」
「違法だけどね」
「⋯⋯えっ」
「今更でしょ。あたし達がここにいるのだって不法侵入だし、復讐は殺人よ。多少罪状が増えたって大したことじゃないでしょ」
言われてみれば、なぜ今まで気づかなかったのか分からないぐらい、全くもってその通りだ。
手のひらを棚に向けて集中し始めたラズを、アリソンは黙って見守る。棚全体を覆う青白い光が、解除の術なのだろうか。その光を見つめて数秒もしないうちに、術の解除の成功したのか、光はパチンと跡形もなく弾け飛ぶ。
「わあ、さすがラズさんですね。⋯⋯ラズさん?」
「⋯⋯大丈夫、ちょっと疲れただけよ。もう鍵は掛かってないから、あなたが開けて」
「は、はい」
疲弊した様子で額を押さえたラズは、なんでもないと言うように手を振るが、顔色が先ほどより明らかに悪く見える。他人の式を解除するのは、もしかしたら見かけよりもずっと大変なことなのかもしれない。
ともかく、彼女に言われるまま扉を開く。中は、両手を縛られ、声を出せないよう口を布で塞がれた黒髪の子供がいる。間違いなく、スラムで出会ったキッドだ。意識がないのか、固く閉じられた両目の下には、枯れた涙の跡があり、大きく開いた胸元からはアザのようなものも沢山見える。
怖い目にあったのだろう、と思うと胸が痛む。
こんな年端も行かない子供を誘拐して、こんなところに閉じ込めるなんて──大司教は一体何を考えているのだろう。縄を解いた後、小さな手にくっきりと残った跡に、余計憤りが湧いてくる。
「⋯⋯その子、生きてる?」
「少し弱いけど、ちゃんと呼吸してます」
「そう。⋯⋯それじゃあ、とりあえずその子を隠し通路に──」
ラズがいい終わらない内に、廊下からパタパタと足音が響く。
まだそんなに時間は経っていないはずなのに、まさか大司教がもう戻って来るなんて。緊張の走る部屋の中、ラズが目だけで「急いで」と訴えかけてくる。彼女の意を汲んだアリソンはキッドを抱き上げて通路に座らせるが、そうしている間にも足音は扉の前まで迫ってきている。もう今すぐにでも部屋の鍵を開けられてしまう。二人が通路に逃げ込むには時間が足りない。つまり、どう足掻いても衝突は免れないということ。
ラズが逃げ道とは真逆の、扉の死角に滑り込んだのと同時に扉が開く。
執務室に入って来たのは、ベールから桃色の長髪をなびかせた少女──偽物の聖女そのひとだった。
◇◆◇
「んんーっ!? んむむーっ!?」
「あーもう、びっくりしたじゃない。アリソン、鍵閉めた?」
「は、はい。バッチリですっ」
偽物を羽交い締めにし、口を塞いだラズの呼びかけに、アリソンは扉が開かないのを確認し親指を立てて答える。
てっきり部屋の主が帰ってきたのかと思ったが、扉から現れたのは偽物の聖女だった。予想と違う人物の出現にも動揺することなく、咄嗟に彼女の口を塞いだラズの判断はあまりに早く、びっくりしたと言う割には驚いているようにも見えない。尤も、そんなラズの行動を察し素早く鍵をかけたアリソンも、早くなる心臓とは裏腹に、頭はすっと冷えていたのだが。
主不在の執務室の中、拘束された偽物は暴れるものの、ラズの腕はその細さに反してびくともしない。
「あ、あなた達、誰なの!? こ、こんなことして許されると思って!?」
「アンタこそ誰よ」
口を塞いでいた手を離した途端、キャンキャンと小型犬のように喚き始めた彼女に、ラズは顔を顰めて言う。彼女の端的な問いに目を見開き、偽物の聖女は「なんですって!?」とさらに喚く。
「わ、私が誰か知らないですって!? 有り得ないわ、私は聖女よ? 異世界から降臨した聖女、ニーナなのよ!」
「嘘おっしゃい。聖女が礼拝の時間に、こんなところで油売ってるわけないでしょ」
「わ、私ほど信心深くなると、礼拝なんてしなくてもいいのよ! だって聖女なんだもの!」
「へえー⋯⋯そうなんですか?」
「そうなのよ! ふ、ふふん⋯⋯今なら許してあげないこともないわ、だから、さっさと離しなさい! この無礼者!」
首を傾げたアリソンに自分が優位になったと思ったのか、ラズに羽交い締めにされたまま、聖女を名乗る女は得意げに笑う。
だが、一瞬もしないうちに、それが間違いだったと女は知ることになる。首に突きつけられたフランベルジュによって。
「⋯⋯は? な、何、何をしているの?」
「何って、あなたを殺そうと思って」
「な、なんでよ!? 私は聖女なのよ、聖女ニーナなのよ!?」
「だからですよ」
すう、と息を吸い、アリソンは無表情で彼女を見やる。
丁寧に施されたのであろう化粧も、狼狽しきった女を美しく見せることはどうしてもできないようだ。恐怖に目を見開いた女は、可憐な美少女だと噂の聖女と同一人物とは思えない顔をしている。
「私は聖女を殺しに来たんです。だからあなたが聖女だというのなら、ここで死んでください」
突きつけられた言葉に、女は「嘘でしょ」とか細く喉を震わせる。
嘘じゃありません、とアリソンは答えて、フランベルジュをくるりと回す。
「ヒッ⋯⋯い、いや、こ、殺さないで! な、なんでもするから!」
「何でもしてくれるんですか? じゃあ今すぐ死んでください」
「殺さないでって言ってるじゃないの! こんなに話が通じないなんて⋯⋯なんなのよっ! 離しなさいよっ、この野蛮人共!」
「野蛮人で結構。ほら、一思いにやっちゃいなさいよ。この女、聖女だって自分から言ったんだもの。文句なんて言えないわよねえ?」
「そ、それは⋯⋯っち、違う、違うの! 私は聖女なんかじゃない⋯⋯ッ!!」
詰め寄るアリソンと煽るラズを前に、女はとうとう「聖女の顔」をかなぐり捨てて叫んだ。
──ようやく、その言葉を引き出せた。
早る心鐘の音を悟られないよう、アリソンは強く柄を握り直し、ラズと素早く視線を交わし合う。
「聖女じゃない? 自分は聖女なんだ、ってさっきあんなに高らかに宣言していたのに?」
「ち、違うのっ! わ、私、本当は聖女のニーナなんかじゃなくて⋯⋯さっきのあれは演技なの。演技だったの! 大司教様に、おじ様に言われて仕方なく聖女の振りをしていたの⋯⋯!」
「仕方なく、ねえ。その割には楽しそうだったけど」
「そ、それは⋯⋯」
「あなたが聖女じゃないなら用はありません。あなたは誰で、本物はどこですか」
無表情で追求するアリソンに、女は呼吸の仕方を忘れたように、はくはくと口を開く。
「言わないなら殺します」
「い、言うわよ! 言うから⋯⋯! こ、殺さないで⋯⋯」
死の恐怖に震え、涙を滲ませた女はようやく語り出す。
自分の本当の名はイライザということ。大司教の姪であるものの、生活が苦しく、もっといい暮らしをしたかったこと。自分を可愛がってくれている大司教に相談したところ、聖女と入れ替わることを提案されたこと。
時折、嗚咽を交えて語られた言葉が本当かどうか判別できるほど、アリソンは他人の嘘に慣れていない。だけど幸いなことに、アリソンは一人ではなかった。一欠片も気を緩めることなく、警戒心を露わに女を──イライザを掴んだままのラズの目は、彼女の一挙一動を見逃すまいとしている。
ラズならきっと、彼女が嘘をついているかどうか見抜けるはず。そんなアリソンの視線に応えるように、ラズは頷いた。
「ふうん、ちょっと話は盛ってるみたいだけど、大体嘘じゃないみたいね」
「そうよ! だから⋯⋯」
「いいえ、まだ答えてもらってないことがあります。本物はどこですか?」
「ほ、本物は⋯⋯本物は、その⋯⋯教会にいるわ」
「教会? 教会のどこですか?」
「だから、教会のどこかよ! それ以上のことは知らないの! 本当よ、嘘じゃないの、だから殺さないで!」
髪を振りかざす彼女から視線を外し、アリソンはラズを見つめる。首を横に振ってくれたらと思う。けれど、ラズは失望したようにため息をつき、再び頷いた。
「本当に知らないみたい。また振り出しね」
「そんな⋯⋯」
「次はあたしが質問してもいいかしら?」
やっと本物の聖女の手がかりを掴めると思っていたのに──落胆を隠せないアリソンに、ラズが切り出す。
もちろんです、と答えたアリソンに微笑み、彼女はイライザに問う。
「じゃあ、聖女の顔は分かる? アンタは見たことがあるはずよね?」
「わ、分かるわ。一度だけ見たことがあるから⋯⋯地味で小柄で、どこにでもいそうな子だった」
「⋯⋯他には? もっと特徴になりそうなものはないの?」
「他って言われても、本当に大した特徴のない子だったのよ! 一度見たら忘れるような⋯⋯!」
小型犬のような喚き声に、ラズが分かりやすく眉根を寄せる。不機嫌そうな彼女に変わって、アリソンは「髪の色とか長さは? それか目の色は覚えてませんか?」と聞く。
「色? 髪も目も普通よ、普通の茶色だった。髪はあんまり長くなくて、短くて。とにかく全体的に小さかったことしか覚えてないわ」
確かにそれは、特徴がない。
茶色い目のシスターも、茶髪のシスターも、そんなシスターなんていくらでもいるだろう。アリソンは大聖堂で見かけた修道女達のことを思い出して、ため息をつく。そういえばあの時、案内をしてくれたシスターの目もそんな色をしていたような。
「だ、大体、一度会ったっきりの子の顔なんか覚えてられないわよ! 客ならともかく⋯⋯」
「客?」
「っ⋯⋯と、とにかく、質問には答えたんだからもう離しなさいよっ!」
「ああもう、いちいち暴れるんじゃないわよ、鬱陶しい。アリソン、この女の首飾りを取り上げなさい!」
ラズの手を振り解こうと身を捩るイライザに、ラズが舌打ちをしながら言う。
首飾り、と首を傾げかけたアリソンはルークが語ったことを思い出す。偽物の聖女が肌身離さず身につけている首飾りには、精神操作系の魔術を阻害する効果があるのだと。
「これを外せば、この女は自分を聖女だと思い込むようになるわ。あとはついでに、あたし達のことも『忘れて』もらいましょ」
「⋯⋯もしかしてラズさん」
「大司教ほどじゃないけど、あたしも少しばかり目くらましの魔術が得意なのよ。まあ、完全に忘れさせることはできないでしょうけど、『あれは夢だったんじゃないか』ってぐらいにはできるはず」
自分を挟んで交わされる会話の内容に、イライザが子供のように頭を振る。懐かしいな、とアリソンは思う。ルノーも今よりもっと小さい頃は、頻繁に、というか何に対してもイヤイヤする時期があった。
涙まじりに抵抗するイライザはなんだか可哀想な気がしないでもないが、このままにしておいたら、彼女はいずれアリソンとラズのことを、聖女を狙った賊に襲われたとでも言って衛兵に捕らえさせてしまうだろう。まだ勇者どころか聖女すら殺せていないのに、牢屋だの処刑だのといった目に合うわけにはいかない。
アリソンはレインナートを殺して、家族を生き返らせてもらうのだ。だから。
覚悟を持って、するりと女の首から豪奢な首飾りを取り上げると、イライザは絶叫する。
「いやぁ! あ、謝るから! 聖女の振りなんてもうやめるから、だから返して! 返してよぉっ!」
「あなた、聖女になりたかったんでしょ? なら、望み通りじゃないの。それともいざとなったら自分が自分じゃなくなるのは怖いのかしら? そんなに嫌なら、これからは他人に成りすまそうなんて考えは金輪際捨てることね。まあ──」
もう遅いけれど。
そう無慈悲に呟いたラズが、手のひらをイライザの額に向ける。弾けるような青白い光の後、イライザの全身から力が抜けた。咄嗟に支えたアリソンの腕にずしりと意識のない人間の体重がのしかかる。
「あの、これ⋯⋯」
「死んでないわよ、ショックで気絶しただけ。その辺に転がして、とっととここから出ましょう」
「あ、はい」
立て続けに魔術を使って疲れたのだろう。自分の肩を叩きながら隠し通路の方へ向かったラズに、アリソンは少し迷って、力の抜けたイライザを大司教の執務椅子に座らせた。かくんと項垂れた女の涙を拭い、首飾りをポケットに入れて、ラズに手を貸してもらいながら通路へと戻る。
「とにかく、子供は無事に助けることができたし、通路の場所も分かったんだもの。焦らずに行きましょう、アリソン。聖女のことならルークに聞いてみたっていいんだし⋯⋯焦って失敗するより、確実に聖女の息の根を止めることの方が大切よ」
通路を隠していた絵画を元の位置に戻しながら、ラズはそう言った。そんなに焦った顔をしていたのかな、とアリソンは自分の頬を触る。もうずっと動かしていないせいか固くなった頬の筋肉を押してみるが、緩む気配はない。
通路に座らせていたキッドを抱き上げ、アリソンはラズと共に来た道を戻る。
ちょうど礼拝が終わったのだろう、帰路につく人々の足音が頭上に響き出す。けたたましく行き交う、穏やかな午前の足取り。これから何をしようとはしゃぐような音。
もしかしたら、あの中には本物の聖女の足音もあるのだろうか。何食わぬ顔をして、人だかりに混ざっているのだろうか。村を焼いておきながら、何事もなかったかのように仲間達と笑っていたあの憎き勇者のように。
そう思うと、どす黒いものが胸の中から顔を出し、今腕に抱いている子供さえも傷つけてしまいそうな気がして、アリソンはぎゅっと目を瞑り、胸をしめる感情を追い払わなくてはならなかった。
◇◆◇
「あなた、意外と面倒見がいいのね」
「え?」
「さっきのことよ。ぼーっとしてて、どっちかといえば面倒見られる側だなんて思ってたんだけど。あたしにはよく分からないけれど、それもあなたが『お姉ちゃん』だからかしら?」
攫われた子供をスラムに送り届けた帰り道。
ちょうど昼前だからか、人の波でごった返す大通りの中、顔をしかめめつつも器用に人を避けて歩くラズをアリソンは追いかけていると、ふと振り返った彼女はそんな風に言って笑う。
なかなか追いつけないアリソンの手を引いて、隣まで引っ張ってくれたラズに、アリソンは先刻の出来事を思い出す。
『あいつを無事に連れ帰ってくれてありがとな。本当に⋯⋯感謝してる』
隠し通路を抜け、無事にスラムまで辿り着いたアリソンとラズに、ルークはそう言って深く頭を下げた。
誘拐された子供、キッドはひどく衰弱しているものの、彼の見立てでは命に別状はないとのことだ。大司教にかけられていたのであろう魔術も、既に解けてはいるらしい。
『とにかく、これからは今まで以上にガキ共から目を離さねえようにしねーとな⋯⋯』
自分自身の腕を握りしめ、思い詰めたように言うルークを見て思ったのは、彼も子供なのだということ。
だからアリソンは、考えるよりも早く彼の肩にそっと手を置いていた。
『ルーク君、あまり気負わないで。私たちもしばらくは聖都にいるんだし、私にできることなら、いつでも力になるからね』
アリソンがルノーの姉であるように、彼もまたスラムの子供達みんなの「お兄ちゃん」で、だからこそ、色んなことに対して、自分がやらなくては、自分が守らなくてはと気負っているに違いない。
けれど、ルークもまた庇護されるべき子供だ。キッドが帰ってきたことに泣きながら安堵する子供達に、誰よりもそうしたいであろう彼が、唇を噛み締め、アリソン達に頭を下げる様を見ては、放っておくことはできなかった。
昨日今日会ったばかりなのに何故、と訝しみ半分、困惑半分に瞳を揺らした彼に、アリソンは「私も『お姉ちゃん』だからかな」と返した。
ラズが言っているのは、そのやりとりのことだろう。
「うーん、お姉ちゃんだからかは分からないんですけど⋯⋯何となく、子供が困ってるのを見ると放っておけなくて」
「ふうん。そんなものなのね」
「兄弟や姉妹がいる人全員がこう、とは限らないですけどね。⋯⋯ラズさんは兄弟とか、いないんですか?」
「さあ。忘れちゃったわ、そんな昔のことは」
「忘れちゃった、って⋯⋯」
そんな、分かりやすい嘘をつかなくたって。
踏み込んでくるな、と線を引かれたようで少し寂しく思うアリソンの手を離し、ラズは「それにしてもすごい人ねえ」とげんなりする。
けれどそう言う割には、ラズは人だかりの中を歩くのが上手い。彼女の真似をして歩けば、人にぶつかったり流されずに済むのだろうか。けれど、アリソンがどれだけ見様見真似で彼女の足跡を追っても、大抵はすぐに、誰かしらにぶつかってしまうのだ。
肩に子供を抱えた男性、店先のウィンドウに目を奪われている女性、そして荷物を抱えた修道女。
前を見ていない様子の女性を避けようとしたアリソンは、横からすれ違おうとしていた修道女に気づけない。あっ、と思った瞬間には、彼女の手から荷物が落ちていた。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「は、はひっ。こちらこそごめんなさ⋯⋯ああっ!?」
「え? ⋯⋯あ、もしかしてこの間の⋯⋯」
小動物のような、リスを思わせる風貌の修道女が栗色の目を丸くしてアリソンを見上げる。その表情に、アリソンも「あ」と思い出す。先日、大聖堂を案内してくれた修道女だ。確かシスター・ナナ、だったか。
散らばった荷物を拾うのを手伝うと、彼女は「ありがとうございます」と、おどおどしながらもはにかむ。頭を覆う頭巾のような中から、ぱらりと数本の髪が見える。日陰に入っているせいで少し彩度の落ちた、暗い髪色。
散らばった荷物を人の足を避けながら拾い集めて、彼女に渡す。ラズはもう先の方まで行ってしまったようで、殆どはぐれたと言っても良いぐらいの距離が開いてしまっている。早く追いつかなくては。
「拾ってもらっちゃってすみません。あの、急いでたみたいなのに、わたしのせいで本当に⋯⋯」
気遣わしげな、と言うよりは不安で押し潰されような、どこか卑屈な言葉に我に返る。
もうどこにも姿の見えなくなってしまったラズを追いかけなくては。修道女と共に立ち上がったアリソンは、自分を責めているらしい少女に首を振ってみせる。
「そんなことないですよ。私がぶつかっちゃったせいだし、手伝うのは当たり前です。それより、怪我はないですか?」
「な、ないですないです。ごめんなさいごめんなさい」
「謝ることじゃないですよ。それじゃあ⋯⋯えっと、お仕事頑張ってくださいね。良い1日を」
「は、はいっ。えっと、あなたも⋯⋯良い1日を」
ホッとしたように笑顔を見せた少女は、そそくさと人だかりの中に消えた。いや飲み込まれた、と言った方が正しいかもしれない。あんなに小さくては人混みの中で流されずにいるのは至難の技だろう。
「アリソーン? 何かあったのー!?」
「わっ、ごめんなさいー! すぐ行きます⋯⋯!」
遠くの方でラズが人だかりの中から声を張り上げている。こちらに引き返そうとしているようだが、そこまで煩わせる訳にはいかない。早く彼女の元へ急がなくては。
そう思って、修道女の消えていった方向から踵を返すと、そのはずみで、ポケットに入れていた偽物の聖女から取り上げた、あの首飾りが落ちてしまう。
「あっ⋯⋯!」
拾わなくちゃ、と反射的に身をかがめたアリソンは、誰かに踏まれる前にと首飾りを掴む。ブレスレットのようにだらりと手首にぶら下がったそれに、もういっそ首からかけておいた方がいいのだろうか、などと考えた瞬間。稲妻のように衝撃が脳内を走った。
『どうやら、これが英雄一行の面々というわけですわね』
エリザベスの誘うような、あるいは手繰り寄せるような声が駆け巡る。
あの時、彼女に見せてもらった光景。水を通じて見た風景。王都の中、美しい広場の中を歩く5人の姿。勇者レインナート、魔術師セネカ、重騎士、そして赤い巻毛の女性と、フードを被った短髪の少女。
順番に、鮮やかなまでに再現された光景にアリソンは思わず頭を抱えてしゃがみこむ。
5人の中には、桃色の髪の女なんていない。当たり前だ、あの女は聖女を名乗る偽物だったのだから。ならば聖女は。聖女は。
『髪はあんまり長くなくて──』
『髪も目も普通よ、普通の茶色──』
『地味で小柄で、どこにでもいそうな子──』
『とにかく全体的に──』
「ちょっと、アリソン? どうしたの、また具合が悪くなったの?」
地面に蹲ったアリソンの頭上から、気遣わしげなラズの声が聞こえる。肩に触れる手がひんやりとしていて気持ちがいい、いや、自分の身体が熱いからそう感じるのか。
気怠げな気分の中、視線を落とせば、手汗の滲む空の両手が映る。右の手首には、じゃらりと音を立ててぶら下がる豪奢な首飾り。その首飾りは、身につけた者に対する精神干渉を阻害するという。
──ああ、そうか。だから今、思い出したのか。
首に巻き付く代わりに、手首に巻き付いた首飾りの揺れる音に掠れた声が溢れる。答えが分かればなんてことない。聖女の特徴なんか、偽物に聞くまでもなかったのだ。答えは最初からアリソンの頭の中にあったのだから。
ただ、記憶さえも惑わしてしまう、大司教の呪いを阻害さえすれば良かったのだ。
「ラズさん、私、分かりました。本当の聖女の姿」
屈み込んできたラズに低く囁くと、彼女はハッとして目を見開く。どうして、と聞きかけた彼女の目が首飾りを捉えるのが見える。それだけでもう、説明は要らなかった。
周りの雑踏や人だかりの音が遠くなる。まるで二人だけの世界にいるような錯覚。アリソンとラズを避けて歩く人々は迷惑そうな視線を向けてくるが、どうでもいい。ただ、この衝動を放っておいてくれたら良い。
「さっき、すれ違いました。小柄で、茶色い髪と目をした、髪の短い修道女。名前は──」
大聖堂で字が読めなくて困っていたアリソンに、絵画をひとつひとつ説明してくれた、親切で虫が苦手な修道女。か弱くて、応援したくなるような女の子だと思っていた自分が腹立たしい。
家族の仇があんなにも近くにいたのに、のうのうとしていたなんて。気づかずに彼女の隣で喋っていた自分の首を、今すぐ斬り落としてしまいたい。
ぎりりと奥歯を噛み締め、アリソンは罪人の名を告げる。
「シスター・ナナ。彼女が本物の聖女です」
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次回更新日:3/14予定




