012 トラスト・ミー
「それとも、こいつの母親だったりする?」
しゃっくり声を上げている子供を指し、顔色ひとつ変えずに放たれたルークの問いに、アリソンは絶句する。
「そ、そんなわけないじゃないですか! だとしたら、私がいくつの時の子なんですか!?」
「んー⋯⋯10歳、いや9歳ぐらいか」
「その歳で子供は産めませんよ!」
「そうかぁ? スラムじゃよくある話だけどな。ガキ共に混じって遊んでる女の子が、腕に赤ん坊抱いてたりとか」
再び絶句したアリソンとは対照的に、ルークは「価値観の違いってあるよな」とカラッとした態度で頭をかく。
そんな一言で片付けていい問題なのだろうか。
「それよりアンタ、あー⋯⋯アリソンだったか? 俺らの話、どこから聞いてた?」
矢のようにこちらを射抜く瞳に、息を呑む。言外に、返答次第では──と言われているようで冷や汗が滲むが、嘘のつきようがない。
「あの、タンブルウィード大司教に会いたくない、って泣いてたところぐらいから⋯⋯」
「チッ、殆ど全部じゃねえか」
「た、立ち聞きしてごめんなさい。でも、そんなに聞かれてまずい話なんですか?」
思ったことをそのまま言うと、子供もルークも、信じられないものを見る目をしてアリソンを見る。
えっ、と戸惑っていると、ルークが「なんとなくそうじゃねーかとは思ってたけどよ」とぼやきながらため息をはく。
「アンタさあ、相当な田舎もんだろ」
「そうですけど⋯⋯でも、良いところですよ?」
「そういう話じゃねえんだよなぁ⋯⋯あのな、聖都で一番偉いのは大司教なんだよ。機嫌を損ねたら、問答無用で首が飛ぶんだ。そんな奴に会いたくないって言ってるところを聞かれたら、まずいどころじゃない。分かったか?」
「え、大司教ってそんなことしていいんですか?」
「良いとか悪いとかじゃねーよ。それがまかり通ってるんだよ」
ガシガシと乱暴に頭をかくルークに、アリソンは「はあ」と言う。その様子に、彼は「絶対分かってねえ⋯⋯」と肩を落とす。
「とにかく、お前」
「う、うん」
ぐるっと子供の方を向いたルークは子供の肩を掴んで低い声で言う。
「悪いが、俺は今すぐにお前を助けてやることはできねー。けど、いつか必ず大司教の野郎をぶっ飛ばす。だから今はまず、アイツにされたことを親とか、身近にいる信頼できそうな奴に話せ。友達でも大人でも、誰でもいい。助けを求めろ」
「でも⋯⋯」
「大司教が言う天罰だの何だのは、全部いちゃもんだ。アイツは悪いことをしてる。お前が感じてる違和感から目を逸らすな。間違ってるのはお前じゃない、アイツの方だ」
「⋯⋯本当に? ボク、間違ってない?」
「間違ってねーよ。大丈夫、俺は癒し手だから嘘はつかない」
子供にも分かりやすいよう噛み砕いて伝えるルークに、子供は「そうなの?」とパッと顔を明るくする。
「じゃあ、あのお姉さんの怪我治せるよね?」
子供に指をさされたアリソンは「えっ」と肩を揺らす。アリソンを一瞥した後、ルークは子供に向き直ると、その頭を小突く。見ているだけでも力を込めていないことは分かる小突き方。
キャッキャと大袈裟に痛がる仕草をして遊ぶ子供に、ルークは「あのなぁ」と口を開く。
「お前はまず自分の心配をしろっての。⋯⋯そんでもし、万が一、そいつらがお前よりもあのクソ大司教野郎の方を信じるようだったら、俺のところに来い。いい生活はできないけど、守ってやることはできるから」
ぽんぽんと頭を撫でられた子供は、大人びた顔をして「うん」と頷く。
──ああ、その表情はよく知っている。それは諦めだ。発作が酷く、寝台から起き上がれないルノーがよく、窓の外を見ながら同じような表情を浮かべていた。
きっとこの子は、何があってもルークの元を尋ねないのだろう。ルークもきっと同じことを悟ったに違いないが、何も言わず、ただ「いい子だ」と子供に笑いかける。
よく分からないが、大司教というのも、何かしら裏のある人物なのだろう。もしかしたら、聖女が偽物とすり替えられていることとも関係があるのかもしれない。
どちらにせよ、やはりルークには聞きたいことが山ほどある。子供と話を終えた彼が立ち上がるのを見て、アリソンが声をかけようとしたその時。
「あなた、そこで何をしているの!?」
甲高い女性の声に、ルークが「しまった」と顔を歪める。
振り向くと、廊下の途中にある上の階とつながる階段に、繊細なレース細工の寝巻きを着た婦人が立っていた。あの子供の母親だ。
「は、母上! あの、これは、」
「なんですか、この浮浪児は!? うちの息子に触らないで! 誰か、来てちょうだい! 不審者が入り込んでいるわ!」
何かを言う暇もなく、婦人がギャアギャアと喚き散らす。バタバタと降りてきた使用人たちは、アリソンを押しのけ、ルークと子供をあっという間に囲んでしまう。足音の大きさとあまりの素早さに、目が点になりそうだ。この騒ぎで他の宿泊客が起きてしまうかもしれない、ということは、婦人の頭にはないのだろうか。
「どうせ息子を誘拐でもして、身代金を取るつもりだったんでしょう? 貧しい人間が考えそうな卑劣な考えですこと。でもお生憎様、そんなことはさせませんから!」
「ち、違うんです、母上! この人は、ボクが泣いてるのを見て、話を聞いてくれただけで⋯⋯っ」
貧しい人間──婦人の言葉が、ちくりと胸を刺す。
ルークを見下ろし、軽蔑の眼差しを向ける婦人の足元で子供が必死に首を振るが、子供の声は婦人に届かない。彼女は「お黙り!」とピシャリと言い放ち、己の息子を睨みつける。
「お前も、こんな浮浪児と口をきくんじゃありません! 何のためにここで反省するよう言ったのか、まだ分かっていないみたいね。今日は冷えるからそろそろ部屋に戻ってもいいと思っていたけれど、それなら一晩中ここに立っていなさい!」
「は、母上⋯⋯!」
「ったく、さすがは腐ってもお貴族様。身なりが汚そうな奴は問答無用ってわけですか? 大層ご立派なお頭だことで」
「お黙り!! お前のような輩に、我が男爵家を侮辱される謂れはありません! お前たち、さっさとこのネズミを衛兵に⋯⋯いえ、突き出すまでもないわ。この場で殴り殺しておしまい!」
婦人はヒステリックに頭を振りかざして叫びながら命じると、ルークを取り囲む使用人たちは一様にギョッとした顔をする。
対して、ルークはこんな状況にあっても、ヘラヘラと笑っている。何を考えているのだろう。
「お、奥様、さすがにそれは⋯⋯」
「私の命令が聞けないの!? 大方スラムの人間でしょう? スラムのドブネズミの一匹や二匹、大したことないじゃない! 私が殺せと言ったら殺しなさいよ、私を誰だと思っていて!?」
婦人の眼光には、軽蔑と見下しと、そしてルークへの殺意が詰まっていた。このままでは本当に、彼は殴り殺されてしまうのではないか。
そう思った時、アリソンの脳内にあったのは、あの日、アリソンのカバンを盗もうとした子供キッドや、ルークの手から食物を受け取って嬉しそうにするスラムの子供たちのことだった。
もし、ルークが死んでしまったら。
弟ルノーと同じぐらい、あるいはそれよりもっと幼いあの子供たちは、庇護者なくしてスラムで生きていけるのだろうか。
アリソンはスラムのことを知らない。聖都マンディスに来て初めて、あんなにも痩せ衰えた人々を見た。あんな環境で、子供たちは生きていけるのだろうか。食べるものもなく、死んでしまうのではないか。
弟と同じぐらいの年嵩の、痩せ衰えた子供たちが死屍累々と地面に倒れている様を想像し、アリソンはその画の鮮明さに息を呑む。
──そんなの駄目。
そう思うと同時に、アリソンは「待ってください!」と婦人に声をかけていた。
「お願いします。ルークさんを殺さないでください!」
「あなたは⋯⋯確か、1階で息子と話していた人ね? 見窄らしいけれど、巡礼者のようだったから見逃したのに。まさかあなたも、この汚らしい浮浪児と手を組んで⋯⋯」
アリソンが声を上げて初めてその存在に気づいた婦人は、目を潜めて、ジロジロとアリソンを見やる。
まるで、もう一匹ネズミが飛び出してきた、と言いたげなその視線にグッと拳を握り、アリソンは「違います」と腹から声を出す。
「彼は⋯⋯ルークさんは、私たちの用心棒なんです!」
「用心棒? あなたたちの?」
「そうです。私たちは遠くの村から、巡礼にやって来ました。だけど村は聖都からとても遠いし、野盗だっています。彼は私を野盗の攻撃から守ってくれました」
ドルフ村が聖都から遠いのは嘘じゃないし、道中に野盗がいるのはジョアンから聞いた話だから嘘ではない。ルークが攻撃から守ってくれたのも嘘ではない──相手は野盗ではなく、柄の悪い男だったが。
「彼はただ、子供がこんな夜遅くに部屋の外にいたから、心配して声をかけただけです」
これもまあ、多分事実だろう。どうして宿屋に忍び込んだのかは知らないけど。
アリソンが目を逸らすことなく、婦人の目をじっと見て訴えかけると、彼女は「あらそう」と呟いた。
「でしたら、その身なりをなんとかしなさい。スラムの浮浪児かと思いましたわ、みっともない⋯⋯まあ、あなた貧そうですし、卑しい人間は卑しい人間を用心棒にするということね」
あんまりな言い草に言い返しそうになるが、目が合ったルークが微かに首を振るのを見て、アリソンは言葉を飲み込む。
「ふん。何をグズグズしているの、さっさと行くわよ!」
「は、はい、母上! ⋯⋯あの、おやすみなさい、お姉さん、お兄さん」
子供と使用人を引き連れて上の階へと婦人は消えていく。彼女の背中が見えなくなり、足音も聞こえなくなってから、アリソンは大きく息を吐いた。
「アンタ、やるなぁ! あのばーさん、信じちゃったぞ。俺が用心棒だって」
「おばあさん⋯⋯っていう年でしたっけ?」
「さあ? つーか、これで貸しひとつだな。あんまし他人に貸しは作りたくねーんだけど⋯⋯」
困ったように頭をかくルークに、アリソンは「それじゃあ」と提案する。
「私たちの質問に答えてくれたら、貸しは解消というのはどうですか? 私たち、ルークさんに色々聞きたいことがあるんです」
「そうね、気になって夜も眠れないもの」
「そうそ⋯⋯って、ラズさん!?」
背後から肩に手を回され、サラサラした黒髪がうなじを擦る。
いつの間に後ろにいたのだろう。一瞬驚いたものの、気配に敏い彼女ならあれだけの大騒ぎに起きないはずがない、とアリソンはすぐに思い直す。
ラズはにっこり笑っているものの、目が据わっており、決して逃さないという意思を感じ取れる。ルークもそれが分かったのか、観念したように肩をすくめてみせた。
◇◆◇
「それで、アンタはどうして聖女が偽物であることを知ってるの?」
部屋に入るなり、直球を投げたラズに、ルークが目を瞬かせる。
「なんだ、聞きたいことってそれか?」
「それ以外にないでしょ」
「えっと、他にもありますけど、やっぱり一番気になるのはそこですよね」
「ふーん? まあ、そうだなぁ⋯⋯ちっとばかし長くけど、聞いたのはそっちだからな?」
備え付けの椅子を引き、片足を膝に乗せて座ったルークはそう言った。
ラズに促されるままアリソンも椅子に座るが、部屋には椅子は二つしかないため、必然的にラズが立ちっぱなしになる。それに気づいて立ち上がろうとすると、無言で制止されてしまう。さっきだって立ち話をしていたのだから、立ち続けるのはどうって事ないのだが。結局、ルークと向かい合って座るアリソンの斜め後ろに、腕を組んだラズが立つことになった。
「俺は元々スラムで生まれたんだが、6歳になる頃に癒し手の力があることが分かって、それを聞きつけた教会の連中に大司教のお膝元の孤児院に引き取られたんだ。まあ色々あって、結局孤児院からは逃げ出してスラムに帰ったんだが⋯⋯ちょこちょこ教会に出入りしてたことがあってな。そん時に、本物の聖女と会ったのさ」
「それじゃあ、本物は今でも教会に⋯⋯?」
「さあな。それからも何度か聖女とは会ったんだが、そのうちに聖女は勇者と聖都を出ることになったからな。俺も教会からお声が掛かることは無くなったんで、彼女とはそれっきり。⋯⋯けど、最近バルコニーから手を振ってる聖女サマは、全くの別人だ。本物はあんなピンクの髪でもないし、あんなデッカイ胸もねえぞ」
所々言葉を濁しながらもそう語ったルークに、ラズは「ちょっと待って」と口を挟む。
「あなた、本物と出会ったことがあるの? それなら、どうして今の聖女が本物じゃないって分かるの?」
「は? そりゃ、見ればわかんだろ。会った事があるんだから」
「そうじゃなくて⋯⋯」
アリソンとラズは、顔を見合わせる。
以前ラズの語った推察では、聖都全体に「本物の聖女を見たことのある人間は、今いる偽物を本物と思い込む」魔術が掛かっているということだった。
だが、ルークの内容はそれと矛盾する。
彼が本当に、本物の聖女と会ったことがあるのなら、どうしてその魔術が効いていないのか。
「アンタが会ったその女が、本物の聖女だっていう確証はあるんでしょうね?」
「ああ。俺はアイツの馬鹿みたいにヤベー治癒力をこの目で見たんだよ。聞いたことねーか、聖女が腕の千切れた人間の腕を再生したっていう。あの、腕の千切れた野郎が俺だよ」
「えっ⋯⋯」
「自分の目で見ても、なかなか信じられなかったね。確かに腕が斬り落とされたってのに、そこからするすると新しい腕が生えて来たんだからな。あの時はビビったなぁ」
「その腕、見せてもらってもいいかしら?」
「いいぜ? まあ、今となっちゃ何の変哲もない右腕だけどな」
笑いながら袖をたくし上げたルークの右腕は、確かに普通の腕だった。つなぎ目も、傷跡の一つだってない。
「じゃあ、あたしの仮説が間違っていたのかしら⋯⋯」
「仮説? なんだ、俺の話を疑ってるってだけじゃなかったのか?」
「ラズさん、ルークさんにもあの話、聞かせてみた方がいいんじゃないでしょうか」
「⋯⋯そうね。その方がいいかもしれないわ」
ラズの了承を得たアリソンは、ルークにラズの仮説を話して聞かせた。エリザベスの「覗き見」を通して聖女の姿を見たことについては伏せたが、それ以外はできる限り正直に。
彼はしばらく黙って聞いた後、「なるほどな」と頷いた。
「そりゃあ、確かに俺の話と矛盾するな。ただ、それを説明できるかもしれねえもんも一応ある」
「えっ、それはなんですか?」
「精神に作用する魔術は、何度も繰り返し使われると耐性ができるって話。アンタら知ってるか?」
首を横に振ったアリソンと違い、ラズは「聞いたことはあるわ」と頷く。
「確か、よく眠れない人が自分に催眠の魔術をかけ続けていたら、段々と魔術の効き目がなくなった、という話だったわよね」
「そうそう。博識だな、アンタ。まあちょっとばかし訳があって、俺も洗脳の類の魔術を結構な頻度でかけられてた事があるんだ。だからもしかしたら、アンタの言うこの街全体にかけられてる魔術ってやつが、俺には効かねえのかもしれねーな」
「せ、洗脳!? 大丈夫なんですか、それ?」
「大丈夫じゃないように見えるか?」
思わず前のめりに心配したアリソンに、ルークは子供を宥めていた時のような顔をして笑う。
「⋯⋯つーかそういう事なら、その魔術をかけた奴に心当たりがあるぜ」
「本当ですか!?」
「ああ。まあ、そっちのお姉さんはもう察しがついてるのかもしんねーけど⋯⋯大司教だよ。タンブルウィード大司教。アイツの得意な魔術に一つが、精神操作⋯⋯つまり洗脳系の魔術だ」
「⋯⋯じゃあもしかして、ルークさんに繰り返し洗脳の魔術をかけたのも大司教ですか?」
アリソンの質問が、しんとした部屋の中に落ちる。
まずいことを聞いてしまっただろうか。謝ろうとしたアリソンに、ルークはなぜか自嘲気味に笑ってそれを遮る。
「そうだよ。俺はアイツの変態趣味に耐えきれなくなって、孤児院を逃げ出したのさ」
「変態趣味⋯⋯」
大司教には、人を洗脳する趣味があるということなのだろうか。
それは確かに紛れもなく変態だ、とアリソンはゾッとする。他人を洗脳して楽しむだなんて、意味が分からない。一体どんな育ち方をすれば、そんな歪んだ人間が出来上がるというのか。
「⋯⋯ま、その話はともかく。俺からもひとつ質問があるんだが、いいか?」
「ええ、いいわよ」
「どーも。あのさ、アンタらの言う『聖女を直接見たことのある人間は、今の偽物を本物と誤認する』魔術が大司教によって聖都全体に掛かってるとして、アンタらはどうやってそれに気づいたんだ? 本物を見た事がないなら聖女が偽物だってことが分かるはずもないし、逆に本物を見た事があるなら、魔術にかかって偽物を本物だと思い込むはずだよな?」
「それは⋯⋯」
ぎくり、とアリソンは机の下で手のひらを強張らせる。
彼の問いは当然のことだ。だけど、それに正直に答えようとしたら、エリザベスの水を司る魔人の異能によって、王都の様子を覗き見したことを話さなければならなくなる。
どうやって答えれば、とアリソンが二の句を継げずにいると、ラズが「そのことね」と至って冷静に、すまし顔のまま口を開く。
「聖都に来る途中に立ち寄った町で、遠くの出来事を水面に映し出す事ができる魔術師がいて、この子はその人に王都の様子を見せてもらったの。ちょうど、勇者一行の凱旋が行われていた時だったらしいわ」
「へえ、そりゃ面白い魔術だな。そんな事ができる奴もいるのか?」
「あたしも驚いたわ、もしかしたら自作の式なんじゃないかしら。ともかく、その人に見せてもらった光景の中に聖女がいたのよ。つまり⋯⋯」
「あー⋯⋯なるほどな。直接見てはいないから、魔術の発動条件からは微妙にズレてる、と。だから術の効き目が不安定になってて、聖女が偽物だってことに気づいた⋯⋯ってとこか?」
「飲み込みが早くて助かるわ」
確かに魔界は、聖都に来る前に立ち寄った町と言えなくもないし、エリザベスが遠くの出来事を水面に映し出したのも事実だ。そう考えれば、彼女が魔術師ではなく魔人であるという点以外は、かろうじて事実と言えなくもない。
それにしても、こうも一瞬で話を作り上げられるなんてすごい、とアリソンは内心でラズに拍手を送る。目があった時にそれが見て取れたのか、彼女は一瞬だけフッと微笑む。
「ふーん⋯⋯で? アンタらは俺に本物の聖女の話を聞いて、どうしたいんだ?」
「わ、私たちは、本物の聖女を見つけたいんです。彼女にどうしても、会わなくてはならないんです」
「本物の聖女にねえ⋯⋯危篤の家族でも助けたいのか? そりゃ残念だな、俺も本物が今どこにいるのかは知らねえんだ。ただ、勇者たちが聖都に来た後、聖女だけが聖都に残ることになってから、表に出てるのは偽物だってことしか分かんねー。ったく、俺が知りたいぐらいだぜ。アイツがどこにいるのかなんてよ」
「うーん、そうですか⋯⋯でも、一歩前進ですよね。大司教が魔術をかけたなら、大司教は本物がどこにいるのか知っているはずで⋯⋯」
そこまで言って、ふとアリソンは違和感に気づく。
途中で言葉を切ったアリソンに、ラズとルークがどうしたのかと見つめてくる。
「あの、じゃあ大司教も本物の聖女が誰なのか知ってるんですよね? なら、大司教も自分でかけた術に掛かっているんじゃ⋯⋯」
「それはないわ。大抵の場合、広範囲に影響を及ぼす魔術を掛ける際には、術者を除外する式も入れているはずだから」
「だろうな。それに、偽物の聖女もだ。あの女は肌身離さずある首飾りをつけてるらしいが、多分、精神操作系の魔術を阻害する代物だろうな。いっそ、自分ですら自分を本物だと思い込めば楽になれるのに、わざわざ自分が偽物だってことを自覚していたいらしい」
「へえー⋯⋯そうなんですね」
二人の解説に、アリソンは感心して頷く。
だが、ラズは彼に思うところがあったらしい。目を細めた彼女は、鋭い声で言う。
「あなた、よく調べてるのね。それに、アイツがどこにいるのか俺が知りたいぐらいだ、って言ってたわよね。もしかしてあなたも、本物の聖女を探しているのかしら?」
「⋯⋯そんなこと、ねえよ。別に俺は、スラムのガキ共が元気で、大司教の手にかからなきゃそれでいいんだよ」
本当にそうだろうか、とアリソンは思う。
ラズの問いに、彼は僅かに言葉に詰まったように見えたし、聖女について語る時の彼は、子供達を見る時のような優しい目をしていた。
「本当はルークさんも、本物の聖女に会いたいんじゃないんですか? だから、私たちの質問にも答えてくれたんでしょう。私たちがルークさんの知らない、聖女に関する何かを知ってるかもしれないって思ったから」
「⋯⋯そこまで教える義理はねえな」
畳みかけたアリソンの言葉に、ルークはへらりと力のない笑みを浮かべ、分かりやすく線を引き拒絶を示した。
◇◆◇
「もう夜が明けるわね」
「えっ、本当ですか?」
窓の方へと目を向けたラズにつられ、アリソンは立ち上がって窓辺へと向かう。ふわぁ、と眠そうにあくびをするルークを横切り、カーテンを少しだけ開くと、ラズの瞳によく似た色の空が広がっていた。夜明け前の、一番暗くて一番綺麗な空。
「参ったなぁ、こんなとこで時間を潰すつもりじゃなかったんだけどよ」
「すみません⋯⋯というか、ルークさんはどうして宿屋に? 何か用事があったんですか?」
「いんや? お高そーな馬車が止まってたもんだから、ちょっと失敬しようと」
「えっ。駄目ですよ、人の物を盗んだら」
しれっとた顔でそんなことを言うルークに驚くと共に、思わず説教じみた言葉が口を突いて出たアリソンに、彼はやれやれと言うように肩を竦める。
「おいおい、アイツらお貴族さまだって俺らから奪ってるんだ。少しばかり返してもらったっていいだろ? それに、宝石の一つや二つ消えたって、アイツらはどうせ気づかねえんだ。なくなったことにも気づかれないぐらいなら、俺らがちょっとばかし『有効活用』してやった方が宝石も喜ぶってもんだろ?」
「でも⋯⋯」
「考えてみろよ。アイツらが一食にかける金で、俺らは何ヶ月もしのげるんだぜ? アイツらは銀貨1枚無くたって死にはしねーけど、こっちは銀貨1枚でガキ共の腹を満たして、数ヶ月は飢えをしのげるんだ。それでも悪いことだってアンタは言うのか?」
「う、うーん⋯⋯」
「なんでちょっと説得されそうになってるのよ」
呆れたように笑うラズに、アリソンも苦笑する。
「えっと、人の稼いだお金を盗むのはやっぱりよくないですけど。でも、ちょっとその気持ち分かるなぁ、って」
「へえ、そうか?」
「はい。私、村を出て初めて銀貨を見たんですけど、みんな結構普通に持っているみたいで、うちにもあれだけのお金があったら⋯⋯なんて、考えちゃって。だから、もし村の近くにルークさんの言う貴族様みたいな人たちがいたら、私もちょっと、分けて欲しくなっちゃうかもしれないなーって思いました」
あれだけの銀貨があれば、聖都までルノーを治療に連れて来られたのでは、とか。そうすれば村は焼けても、家族は聖都にいて助かったかも、とか。
そんな話はただの空想で、叶わぬ話で、今更どうしようもない、無意味な「もしも」に過ぎないのだけど。
「⋯⋯そっか。アンタもアンタで苦労してんだな」
それでも、もしもそうだったら、と願う気持ちが表情に滲んでいたのかもしれない。
先程の「そうか」よりもずっと柔らかい声でルークに言われ、アリソンは返事をしようと口を開きかけて、また閉じた。
なんと返せばいいのか、分からない。
貧しくとも家族と共に温かな日々を暮らしていたアリソンと、スラムで明日をも知れぬ日々を自分より幼い者たちと共に生きてきたルーク。きっと苦しみは比べるものではないけれど、ここで頷くのはなんだか彼に悪い気がした。
「⋯⋯私から言えるのは、これからも盗んで暮らしていくつもりなら、せいぜい気をつけなさいってことだけね。アンタたちが派手に動くものだから夜間禁止令なんてものが出たんだし、警戒されてるはずでしょ?」
「ま、そりゃそーなんだがな。俺はともかく、ガキ共を飢えさせるわけにはいかないんでね」
「えっ。駄目ですよ、ルークさんがお腹を空かせるのも」
夜間禁止令の終わりを告げる、朝の鐘が鳴り響く。
人目につかないうちに宿を出るつもりなのだろう、部屋のドアへと向かって歩き出したルークに、アリソンは声を掛ける。
「ルークさんもちゃんと、お腹いっぱいに食べて、生きてください」
だってそうしなければ、彼の帰りを待つ幼い子供たちは死んでしまう。
子供を守りたいのなら、親も生き残っていなければならない。加えて、ルークもまだ子供と言っていい年齢だ。本当は彼もまた、親の庇護が必要な年頃なのに。それを思うと、なんともやるせない。
「⋯⋯ルークでいいよ、俺の方が年下なんだろーし。あと敬語もナシでいいぜ。かったるいし」
「わかった。じゃあルーク君、入り口まで送るよ」
「あたしもいくわ」
本当はラズには部屋で休んでいてもらおうと思っていたのだが、マントを羽織った彼女がすかさずそう言ったため、3人は並んでぞろぞろと部屋を出た。
夜が明けたばかりだからか、日中よりも冷えた空気が充満している。建物の中なのに、吐き出した息が白い。
「そういや、アンタらはこれからどうすんだ?」
「どうって⋯⋯聖女を探します。どうしても、彼女に会わなくちゃいけないですから」
「ふーん。ま、俺はさっき言った以上のことは何にも知らねーけど⋯⋯もし、アンタらが大司教や偽の聖女に問い詰める覚悟があるってんなら、今度、大聖堂に通じる抜け道の地図を書いてやるよ。この抜け道を使えば、大司教の執務室やら聖女の部屋やらまで一直線だ」
「えっ」
「なんでそんなものを⋯⋯いえ、今はそんなこと言ってる場合じゃないわね。でも、いいの? あたし達の方も、これ以上あなたに教えられる情報はないんだけど」
驚くアリソンと訝しむラズに、ルークはからりと笑って「いいさ」と言う。
「その代わりと言っちゃなんだが⋯⋯本物の聖女の様子を俺にも教えてくれねえか? アンタらの用事が終わってからでいいからさ。せめて、元気でやってるかどうか知りたいんだ」
「それだけでいいの? えっと、伝言とか⋯⋯」
「いい。向こうはもう、俺のことなんか覚えてねえだろうし。⋯⋯その方がいいんだ」
意味深に、けれど決意の固い声で言われては食い下がれない。会いたいなら会えばいいのに、と納得のいかない気持ちながらも、アリソンは頷いた。
「そんじゃ、また近いうちに──」
ドアからルークが一歩踏み出した、その時。
「いたっ! ルークお兄ちゃんっ!」
「ずっとまってたのに、かえってこないなんてひどいよぉ⋯⋯こわかったのに⋯⋯!」
「お前ら⋯⋯! ひとりで上に来るなっていつも言ってんだろ?」
「だって、キッドがたいへんなんだもん。それなのにお兄ちゃんぜんぜんかえってこないから⋯⋯」
「は? ⋯⋯待て、どういうことだ。何があった?」
道の向こうから、ボロボロの服を着た小さな子供が数人、ルークの足めがけて飛びついてくる。パッと見ただけでは子供の性別は分からないが、少なくとも先日出会ったキッドでないことは確かだ。
子供たちは一様に不安そうな顔をして彼を見上げていて、中には泣き出す子供もいる。どうしたのだろう。嫌な予感に、心臓がドクンと大きく鳴る。
「キッドにーちゃん、つれてかれちゃったんだ! とめようとしたけど、テーコーしたらころすって、ルークお兄ちゃんのこともころすって⋯⋯」
「⋯⋯キッドを連れて行った奴は、どんな顔してた? 服装は? スラムの奴か?」
「ちがうよ、スラムの大人じゃなかった。教会のおようふくをきてたよ」
「うん。おんなのひとだった」
教会。その2文字に、ルークは舌打ちをして顔を歪める。
「ちくしょう⋯⋯ッ俺が絶対に、ガキ共に手を出させねえって決めてたのに、俺が油断したせいで⋯⋯クソッ!」
「ねえ、ルークお兄ちゃん、キッドだいじょうぶだよね? こ、ころされたりしないよね?」
「⋯⋯大丈夫だ。俺が必ずキッドを無事に連れ戻す」
ルークは、子供達を安心させるために笑いかけるが、その声はひどく硬い。
そんな彼の緊張と焦りが子供達に伝わらないわけがなく、子供達はより一層強く、ルークの足にしがみつく。
「俺がキッドを助けに行くから、お前らは自分たちで帰って⋯⋯いや、それは危険だな。クソッ、悪いがこいつらのこと、少しの間だけ見ててもらえねーか?」
「どこいくの、ルークお兄ちゃん! わたしもいく!」
「ルークにーちゃんまでいなくなるの? やだよぉ⋯⋯」
ぐずぐずと泣き出す子供達に、ルークが「そんな場合じゃねえんだよ!」と苛立ちを露わにする。直後、自身の怒声で子供達を怖がらせてしまったことに気づき、項垂れて謝罪する。
キッドが誘拐されて誰よりも不安なのはきっと彼だ。それでも、自分よりも年下の子供達を落ち着かせる役割を背負っているから、自分の不安を表に出したら謝らなくてはならなくて。がんじがらめになった少年の肩に、アリソンは手を乗せた。
「ルーク君、抜け道を教えて。大聖堂には私たちが行くよ」
「なっ⋯⋯」
「そうね、あたしも賛成よ。子供達にとってあたし達は知らない人間だし、あたし達といるより、あなたと一緒にいた方が落ち着くと思うわ。あなたにとっても、その方が安全でしょ?」
ルークは逡巡の末、アリソンとラズ、そして自身の足にしがみついて泣きべそをかいている子供達を交互に見やった後、拳を握りしめて頭を下げた。
「悪いけど、地図を書いてる時間はねえ。口頭で説明するから、覚えてくれ」
ちらほら人通りが多くなってきたのを見て、3人は子供達を連れて宿屋の裏路地に滑り込む。
ひそひそと囁き声でルークが託した情報をアリソンとラズが復唱し、間違いがないことを確認してから、言葉もなく頷き合う。
「幸い、今日は礼拝の日よ。人は礼拝堂に集中するから、忍び込むにはもってこいの日だわ。急ぎましょう」
「ルーク君、私たちが絶対にキッド君を連れ帰るから。大丈夫、信じて」
彼の震える手を握り締め、アリソンはできるだけ力強く励ますように言葉を紡ぐ。揺れるルークの瞳に、自分はどう映っているのだろう。
「⋯⋯頼む」
祈るように絞り出された彼の声に、アリソンは「任せて」と力強く頷いて見せた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回もお付き合い頂けると嬉しいです。
次回更新日:2/28予定




