011 修道女はかく語りて
厳かな鐘の音と共に、聖都マンディスの長い夜は開けた。
部屋に差し込む光と嗅ぎ慣れぬ潮の匂いに、机に突っ伏していたアリソンは目をこする。向かい側に座っていたはずのラズは、いつの間にか窓辺に立っていた。
朝焼けの光を浴びるラズは、その遠くを見つめる眼差しもあってか、教会のステンドグラスの絵を思い出させる。完璧な、完成された一枚の絵。思わずぼうっと見ていると、視線に気づいた彼女が振り向き、ステンドグラスの情景が霧散する。
「おはよう、アリソン」
「お、おはようございます。えっと、ごめんなさい、私いつの間に寝ちゃってたみたいで」
「気にしないで。あたしもさっき起きたところだから、お互い様よ」
再び窓の外に目をやった彼女は、何を見ているのだろう。それを知りたい気持ちもあったが、それよりも、座ったまま寝たせいで身体中が悲鳴を上げている。ぐっ、と大きく伸びをすると、パキパキと骨の音が響く。
一晩かけて、手に入れた情報はふたつ。
一つ目、窓から見たところ、衛兵の見回りは一定の間隔を置いて、決まったルート、決まったパターンで行われていること。そして当たり前だが、見回りは複数人のチームで行われていること。
二つ目、アリソンには魔術の天賦がない。
ラズが付きっきりで教えてくれたのにも関わらず、夜が明けても、アリソンは暖炉どころか蝋燭に火を灯すこともできなかったのである。理論上は合っているのに、式に問題はないのにと師であるラズも首をひねる始末で、最終的には「魔人の異能があるのだから、魔術は使えなくても問題ない」という慰めのような結論が出された。
慰めのような、というよりも、事実それは項垂れるアリソンを慰めるための言葉だったのだろう。
思い出すと気分が凹むが、できないことを悔やんでも仕方がない。気を取り直し、アリソンはラズの隣に並んで、陽光の差し込む街並みを覗く。
「ラズさん、何を見てるんですか?」
「⋯⋯なんでもないわ。ちょっと昔の事を思い出していただけよ」
「そういえばラズさん、聖都に来たことがあるんでしたっけ?」
魔界を出る時に交わした会話を思い出しながら問うと、ラズは「まあね」と答える。
「さ、下に降りて朝食を食べましょ」
ふいっと窓辺から離れたラズはそう言って歩き出す。
それはまるで、これ以上その話はしたくないという、彼女なりの意思表示のように見えた。
◇◆◇
朝食の後、アリソンとラズは引き続き夕方まで別行動を取ることになった。
昨日は聖都全体の態様を知るための情報収集だったが、今日は明確な目的がある。衛兵の見回りルートと、夜間の行動禁止令の目的を探ることだ。それを知ることができれば、夜に偽の聖女の住む大聖堂に忍び込み、本物の在処を聞き出すこともできるはず。
とは言え、一体どこから手を付ければいいのか。
往来を行き来する人々の邪魔にならないよう、道の端に立ったまま、アリソンはぼうっと考え込んでしまう。ラズはもう目をつけている場所があるのか、さっさとどこかへ行ってしまったが、彼女に相談してみればよかったかもしれない。
「おっ、昨日のお嬢ちゃんじゃないか。こんなところで何してるんだ?」
「え? ⋯⋯あっ、昨日の衛兵さん!」
ふいに肩を叩かれて振り向くと、そこには、昨夜宿屋の食堂で出会った額に傷のある衛兵の姿があった。反射なのか、目が合った瞬間にニコニコと笑顔を振りまかれ、アリソンも笑い返そうとする。
「えっと、実は今日、何をしようかなぁって悩んでいたところなんです」
「そうなのか。あれ、もう一人の娘は?」
「どこか行きたい場所があるみたいで、別行動することになって」
「おお、なるほどなぁ。あの子は気が強そうだもんな、顔は可愛いのにもったいない」
──気が強いことが、なんで勿体無いんだろう?
首を傾げたアリソンに気づかず、衛兵は「そうだ!」と手を叩く。
「せっかくなら、大聖堂に行ってみたらどうだ?」
「えっ、大聖堂に?」
「ああ。今日は開放日だから、見学できるぞ。巡礼者や子供向けのツアーなんかもやってるから、なんだったら参加してくるといいんじゃないか? 優しいシスターさんが一から十までしっかりレクチャーしてくれるぞ」
大聖堂に一般人は入れないのではないかと思っていたが、開放されている日もあるとは思わなかった。
これはもしや、白昼堂々、下見ができるのではないか──頭をよぎったひらめきに、アリソンはぐっと拳を握る。
「ありがとうございます! 私、大聖堂って入れないんじゃないかって思ってたので、教えてもらえて助かりました」
「分かる分かる! あんな壮大なところ、入ったら怒られそうだもんなー。ていうか悪いなぁ、非番だったら俺が聖都の観光ガイドやってあげてもいいんだけど、今日は見回りの途中でね」
「そうだったんですね。⋯⋯昼間も見回りがあるんですか?」
「当たり前だろ? そりゃ夜は昼間以上に警戒して警備にあたってるけど、昼間だって人知れず、こうして往来に混ざって見回りをしてるんだ。偉いだろー?」
そうなのか、とアリソンは頷く。
「えっと、じゃあ私、大聖堂の方に行ってみますね。お仕事、頑張ってください」
「おうよ。上層区に行くにはそこの階段をまっすぐ上まで登ればいいからなー」
手を振る衛兵に見送られながら、アリソンは彼の指差した階段へと向かう。空まで続きそうな階段の長さに一瞬げんなりしたが、その先に偽聖女の住む大聖堂があると思うと、俄然やる気がわくというものだ。
息を切らすことなく階段を登り切った先では、アリソンのように巡礼者のマントを羽織った者や、親子連れなど聖都の住人らしき人々が大きな列を成していた。その最先端と最後尾にそれぞれ、黒い修道服に身を包んだシスターたちが、呼びかけを行っている。
どうやら、この列は大聖堂の見学目的でやってきた人々らしい。どのくらい待つことになるのだろう、と不安になりながら、アリソンは最後尾に並んだ。
列に並んでから、1時間ほど。ちょうど時間を告げる鐘が鳴った頃、ようやくアリソンは大聖堂の中に入ることができた。前に並んでいた親子連れと一緒に入って、まず驚くのが天井の高さだ。家にしてみれば5階建てぐらいはありそうな高さ。
そして次に目に入るのは、天井や壁に描かれた絵画たち。女神を取り囲む羽根の生えた人間──天使たち、巨大な怪物に立ち向かう剣士など、聖書の内容が分からないアリソンにはどんな場面の絵なのかわからなかったが、それでも、そこから感じ取れる物語性に胸がワクワクしてくる。
毎晩、寝物語をせがんでいたルノーもこんな気持ちだったのだろうか。
礼拝堂から順路を辿って廊下へ行くと、無地の壁一面に額縁に入った絵が飾られていた。やはり聖書の一場面を描いたのか、躍動感に溢れている。どの絵にも下に絵のタイトルと、説明らしきものを刻んだプレートが取り付けられていて、見学者の中には、それを一心に読んだり、隣の人と議論し始めている人たちもいた。それに倣ってアリソンも、目の前の、星空を描いた絵画のプレートに目を凝らす。
「えっと、V⋯⋯a⋯⋯g⋯⋯a⋯⋯ヴァ? ヴァガ?」
たった4文字、されど4文字。
眉間に皺を寄せ、口の中で唸ったアリソンに、背後から救いの手が現れた。
「良かったらこちらの絵画について、説明しましょうか?」
透明感のある声に振り向くと、幼い顔立ちのシスターが立っていた。くりっとした栗色の瞳が、栗鼠を思わせる。全体的に小動物のようで、「守りたくなる女の子」という雰囲気だ。
「いいんですか? 助かります、私文字がまだあまり読めなくて⋯⋯」
「もちろんで⋯⋯ひっ!?」
「えっ!? あ、ご、ごめんなさい! フード取ったら駄目でしたか⋯⋯!?」
室内に入ったのだし、と巡礼者のマントのフードを取った瞬間、声をかけてきたシスターが目を見開き、悲鳴を上げた。驚くアリソンと、周りの視線に、シスターは小さな体をさらに小さくして「そんなことは」とかろうじて口にする。
「こ、これは違くて。その、つまり⋯⋯」
「つまり?」
「⋯⋯お、おっきな虫がいたので、びっくりして⋯⋯」
「虫?」
しどろもどろに答えるシスターに首を傾げていたアリソンは、壁に見て「あ、本当だ」と呟く。
「結構大きい蜘蛛ですね」
「えっ!? う、うそっ、いやぁ!」
「シスター・ナナ! いい加減になさい!」
生まれも育ちも農村であるアリソンにとっては怯えるほどの大きさではなかったが、目の前のシスターにとっては恐ろしい事態であるらしい。その場にしゃがみ込んでしまった彼女に、廊下の端からやってきた年配のシスターが叱責を飛ばす。
「たかが蜘蛛で悲鳴なんて上げて! 皆様を驚かせるんじゃありませんよ、全く! 皆様、お騒がせしてすみません、この娘は新入りでして⋯⋯しっかり教育していきますから、何卒ご容赦ください」
年配のシスターがペコリと頭を下げると、周りで様子を見ていた人々も納得したのか、あるいは興味を無くしたのか、それぞれ散っていく。
「あなたもすみません、よろしければわたくし共が代わりにご説明しましょう」
「あ、いえ、大丈夫です。誰だって最初は慣れないと思いますし、何かを覚えるには慣れるのが一番だと思いますから。ナナさん、説明をお願いできますか?」
驚かせないよう、努めてゆっくり話しかけると、シスター・ナナは目を丸くした後、おずおずと頷いた。
「それでは⋯⋯えっと、こちらの絵は『ベガ』⋯⋯その名の通り、女神様を描いたものです」
「女神を? 星空の絵じゃないんですか?」
「はい、この星は女神様を表しているんです。星々の中、旅人を導くひときわ光る北の星⋯⋯それがベガ様の星なのですから」
「なるほど⋯⋯?」
そういうものなのか、と思いながらアリソンは相槌を打つ。説明を聞いた上でもう一度絵をよく眺めると、確かに数多の星の中で、ひときわ輝きを放っている星がある。あれがベガの星なのだろう。
時に最前列で、時に子供たちに前を譲りながら、シスター・ナナによる丁寧な絵画解説の旅は続く。
ある時は、「勇者が水の加護を受けた騎士と出会う場面を描いたものです」と言って、水面に佇む騎士の絵を指し、またある時は、「最古の勇者様が女神から天啓を受けた場面を描いたものです」と言って、太陽に向かって傅く青年の絵を指した。
女神は導きの星ではなかったのかと聞くと、「画家によってモチーフは異なりますから」とナナは弱々しく微笑んだ。
「ちなみに横の絵も同じ画家によるもので、やはり勇者と女神の出会いを描いています。勇者が何人もいるのは、世界に危機が訪れるたびに勇者が現れるのを表しているからだそうです」
「へえー⋯⋯でも、みんな同じ顔をしてて、ちょっと怖いですね」
「ああ、そういう見方もありますよね」
シスター・ナナは、周囲の人の迷惑にならないよう声量を抑えながらも、聞き取りやすいようゆっくりと、突飛な絵の解説をしてくれた。
黒く禍々しい化け物と踊る少年の絵は「死闘の末に世界を襲う災厄に打ち勝った勇者の絵」、泉に浮かぶ槍の絵は「仲間を亡くした勇者の嘆きの心」、そして、赤い花の中心に横たわる剣士の絵は「勇者の束の間の休息」なのだと彼女は言う。
後半になるにつれて、アリソンは抽象的な絵の意味を自分で理解するのを諦めていたが、それでも思わず、「じゃあこの赤い花はなんなんですか?」と聞かずにはいられなかった。
「赤い花びらは血を表しています」
「血? 束の間の休息なのに?」
「直前の戦いで傷を負った勇者自身の血であるとも、敵の返り血であるとも言われています」
「なるほど⋯⋯?」
休息を描くのになぜ血を描いたのか、とか、なぜ血を花にする必要が、とか。そんな疑問も頭に浮かんだが、それを口にするのが野暮だということはアリソンにも分かった。難しいことはよく分からないし、絵の場面も、表現の仕方も不思議に思えて仕方がないが、それでも、絵に込められた感情は伝わる。
「どの絵も、すごく綺麗ですね」
例えば、順路の先で絵について論じ合っている貴族たちなら、もっと高い語彙力で絵画たちを評すことができるのだろうが、アリソンには簡単な感情を抽出するのが精一杯だった。だが、そんな単純な感想に、けれどナナは、大きな目をキラキラと輝かせる。
「そうですよね、わたしもそう思います。あの絵なんて、今にも襲って来そうなのに、どこかダンスを踊ってるみたいで綺麗ですよね」
「あ、分かります。怪物退治の場面なのに、手を繋いで踊ってるみたいに見えて」
「ほんとに不思議ですよね。どうしてこういう風に描いたんだろうって、わたしも思うんです」
そんな会話を交わしながら、とうとう順路の最後に辿り着く。ひときわ大きな額縁に飾られた巨大な絵には、燃え盛る家たちと、それを見つめる青年の背中が描かれていた。空からは火を消そうとするかのように降り注ぐ雨と、雲の合間から顔を出す虹がある。
燃え盛る家の絵に我が家の姿が重なり、ほんの一瞬、息が止まった。
ぎゅっと服の裾を握ったアリソンは、気を取り直してナナに声を潜めて問う。
「この絵はどんな絵なんですか?」
「え⋯⋯そ、それは⋯⋯」
「なんだ、お姉さんたちそんなことも知らないの?」
なぜか気まずげに顔を背けたナナを怪訝に思っていると、最前列にいた身なりの良さそうな子供達が振り返る。
「ここに書いてある通りなのに」
「文字が読めないんじゃないかしら?」
「そんなことあるかなぁ、ボクらにも読めるのに」
口々に囁き合う子供達は、顔を見合わせると仕方がない、と言いたげに肩を竦める。
なんとなくだが、それは彼らの親がよくやる仕草なんじゃないか、とアリソンは思う。それぐらい、彼らが肩を竦める仕草は大人びていた。
「これは、邪教徒の村を焼いた勇者に免じて、汚れた地上に女神が慈悲の雨を与えている場面だよ」
「邪教徒⋯⋯」
「女神様ではない間違った神や、魔人を信仰する人たちのことよね。断罪されるのも仕方がないわ」
「そんな人々を勇者が『シュクセイ』したから、怒っていた女神様は人々の過ちを許したんだ。ボク、この前本でこの絵を見たんだ。こんなにおっきい絵だったんだね」
間違った神、魔人崇拝、そして、断罪と女神の慈悲。
子供達が口にしたキーワードに、考えるよりも早くアリソンは口を開いていた。
「それは、誰が決めるの?」
「決めるって?」
「何が間違っていて、何が正しいのか」
アリソンの言葉に、子供達はまた顔を見合わせると、先程以上に呆れた顔をする。
「そりゃ、女神様と、女神様の代理人である勇者様だよ。ほら、この間も勇者様がまたひとつ、邪教徒の村を焼いたでしょ? あれと同じだよ」
「なんていう名前の村だったっけ? 確か⋯⋯ドルー村?」
「違うわ、ドルフ村よ。綺麗な織物で有名だったのに、残念ね。王都じゃドルフ村産というだけで銀貨20枚はくだらないってお父様が⋯⋯」
──銀貨20枚?
そんな馬鹿な。だって、トマスはいつも田舎の名産品なんて大した値がつかないと。もっと口利きしてあげられなくてすまないと心底申し訳なさそうにしながら、行商人たちの分け前を除いた売り上げの7割として、銅貨を数枚、アリソンや父に渡してきたのに。
「だ、大丈夫ですか? 顔色がすごく⋯⋯あの⋯⋯」
ナナの怯えたような声が、遠くから聞こえる。
自分がそれにどんな返事を返したのか、分からなかった。
◇◆◇
「つまり、騙されていたのね」
合流したアリソン達は、海の見える広場のベンチに腰掛けていた。宿屋に戻らなかったのは、アリソンのあまりの顔色の悪さに、ラズが無言でここまでアリソンを引っ張ってきたからだ。潮風が当たり、ぐらぐらした頭が冷えていく気がする。
「そのトマスっていう男は、村と行商人の間の交渉を一手に引き受けていたんでしょ? 王都で銀貨20枚だとして、行商人が彼からいくらで買い取ったのかは分からないけれど、行商人の取り分と、例え彼自身の取り分を差し引いたとしても、あなた達の手元に銅貨数枚だけが行き渡るなんてことはあり得ないわ。本当に彼の言う通り、売り上げの7割があなた達の元に渡っていたのなら、ね」
「⋯⋯」
「確か、あなた達がイグニスを匿っていることを密告したのもその男だったかしら? 村中がイグニスの存在を知っていたのなら、誰もがイグニスを人間だと思っていたことは明らかだったでしょうに、わざわざあなた達が知っていて匿っていたように密告するなんて、己の利益だけを追求する腐った人間しかしないわよ」
「そんな⋯⋯」
腐った人間──トマスのことをそう言われて、反射的に反論しようとして、自分がそうしようとしたことにアリソンは肩を落とす。
トマスはジョアンの父で、そしてアリソンの父の幼馴染でもあった。自分とジョアンも彼らのように、ずっと仲の良い友達として付き合っていくのだと思っていた。例え、ジョアンがもう二度と村に戻って来ることがなかったとしても。
だが、トマスは本当はドルフ村のみんなを騙し、自分の懐を肥すような人間だったのだ。
「ジョアンも、知ってたのかな⋯⋯」
「ジョアン?」
「幼馴染です。騎士になるって、村を出て王都に行って⋯⋯トマスおじさんの娘なんです」
「⋯⋯まあ、そりゃあ知っていた可能性もあるけれど、知らなかった可能性も充分あるんじゃない? あたしがトマスだったら、わざわざ娘に自分がそんなクソみたいなことしてるって教えないわよ。それに、あなたの口ぶりだとそのジョアンっていう子とは親しかったんでしょう? その子は、全部知った上であなたと仲良くできるような神経の持ち主なの?」
「いいえ⋯⋯でも、私がそう思ってただけなのかもしれないですよね」
アリソンは、そう言って力なく項垂れる。
アリソンを見つけた時のジョアンの笑顔、交わした抱擁、手作りの巾着を渡した時の嬉しそうな顔。トマスの本性を知った今となっては、それらが全て欺瞞に塗れたものだったとしてもなんらおかしくはない。王都で暮らしたい、村を出たいと口癖のように言っていた彼女が、父親に加担していたとしても──
「⋯⋯はあ。しっかりしなさいっての!」
「ふぺぁっ!?」
ガッ、と頬を掴まれたかと思うと、無理矢理にラズの方を向かされる。
間抜けな声を上げたアリソンが首の痛みを訴えるより早く、喝を入れるようにラズの声が響く。
「あたし達の目的はなに?」
「ふ、復讐することです」
「そうね。で、その相手はどこにいるんだった?」
「ど、どこと言われてもっ」
「そりゃ各地を出歩いてるでしょうけど、あいつが帰るところ、あいつの拠点はただ一つでしょ」
「⋯⋯お、王都?」
「当たり」
手を離され、ようやくまともに喋れるようになったアリソンは恨み言の一つでも言おうとするが、ラズのぎらついた蒼い瞳に、言葉を飲み込む。
「あたし達は、どんな道を辿ったっていつかは王都に行き着く。なら、あなたのその幼馴染とやらと顔を合わせる機会だってあるわ。その時にハッキリさせればいいじゃない。今確かめようがないことでぐるぐる悩んだって仕方ないわ」
「⋯⋯そう、ですね」
励ましてくれてありがとうございます、と言うと、ラズは「そんなことした覚えはないわ」とそっぽを向く。
黒髪の間から見える耳が少し赤く見えたのは、きっと夕日のせいではない。
「さ、そろそろ宿に戻りましょう。日が暮れたら捕まるわ」
「そっそうでした! 早く戻りましょう!」
我に返って立ち上がったアリソンは、その勢いのままラズの手を引いて駆け出す。ちょっと、と戸惑ったような声が上がった気もするが、慌てているアリソンは気づかない。
手を繋いだ二人が宿屋に駆け込んだのは夜間禁止令が発動する時刻すれすれだったらしく、入口はアリソン達のように肩で息をする人々で混み合っていた。それだけでなく、さらに、新しく来た宿泊客のものであろうトランクケースが、何十個も積んで並べられているせいで、通り道がほとんどない。
一体どんな客が、こんなに大量の荷物を持ち込めるのだろう。人混みの中から覗くと、カウンターで宿泊手続きをしている婦人と、婦人に手を引かれた子供が目に入る。一目で貴族とわかる派手で上質な服を着た彼らの周りには、彼らよりは遥かに低品質の、それでいて庶民よりはやはり上質な服を身につけた使用人達が数人ほど控えていた。
「なんだって貴族がこんなところに⋯⋯」
「それが、どうも予定していたホテルに問題があったらしくて。一番近いここに滑り込んできたんですよ」
ひそひそと交わされる会話に耳を傾けていると、「そろそろ離してもらいたいんだけど」と囁かれた。よく見れば、ずっとラズの手を握りっぱなしだったらしい。すみませんと謝って手を離していると、ちょうど人垣の向こうで貴族の親子がチェックインの手続きを終えたところだった。彼らの使用人と宿屋のスタッフを総動員しても、荷物を運び終えるのには時間が掛かりそうに見える。
「あの、良かったら運ぶのを手伝いましょうか?」
「いいのかい? いやあ、助かるよ。本来ならお客さんにそんなことはさせられないんだけど⋯⋯」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから」
思わずスタッフの一人に声をかけ、承諾を得たアリソンは腕まくりしてトランクを運ぼうとする。
だが、その手が荷物に触れるよりも早く、スタッフがぎょっとしてそれを止めた。
「こ、こらこら! 怪我をしてるのに、重たいものを運んだらダメだよ!」
「え?」
「気づかなかった私も悪いけど、お客さんも怪我してるのに手伝うとか言ったらダメだって!」
怪我?
首を傾げたアリソンは、スタッフが注視している左腕を見やる。何の変哲もない、ただの左腕だ。
それなのに、スタッフは有無を言わさずアリソンを押しのけ、トランクを運んで行く。
「いやー今のはあの人の言う通りだな」
「言い方はちょっとキツイけど、その包帯が取れるまでは安静にした方がいいですよ」
「もしかして、その怪我を直してもらいに聖都に来たのかい?」
立ち尽くすアリソンの脳内を、周りの宿泊客の声や自分を見つめるラズの姿が素通りしていく。
ただ、この人たちは何を言っているのだろうと、怪訝にしか思えない。だって左腕には包帯なんてない。そもそもアリソンは、左腕を怪我したことなんか、生まれてこの方一度もないのに。
「あっ! 字の読めないお姉さんだ!」
ぼうっとしていたアリソンは、その声にびくりと肩を揺らす。見れば、婦人に手を引かれていたはずの身なりのいい子供が、いつの間にかすぐ目の前に立っていた。
そしてよく見れば、その子は今日、大聖堂で大きな絵の解説をしてくれた子供達のうちひとりだった。
しゃがんで、目線を合わせたアリソンに子供は愛想の良い笑顔を振りまく。
「お姉さんもここに泊まってたんだね。こんばんは!」
「こんばんは。昼間は説明してくれてありがとう、すごく助かっちゃった。物知りなんだね」
「えへへ、ボク勉強は好きなんだ。⋯⋯あのね、ボクもね、お姉さんとおんなじなんだ」
「同じって?」
「ボクね、小さい頃からすっごく体が弱くて、お外に出るのもダメだって言われてたんだ。父上と母上が、ボクは大人になれないかもしれないって話してるのも聞いちゃった。⋯⋯でも、ここの癒し手のひとに治してもらったから、ヨボヨボのお爺さまになるまで生きられるんだって! だからお姉さんもきっと、すぐに元気になれるよ!」
「そっか⋯⋯良かったね」
どうしてこんな子供まで頑なに、アリソンは怪我をしていると言い張るのだろう。訝しみながらも、そこには触れないで、アリソンは子供の健康を祝福した。
それにしても、大人になれないかもしれない虚弱体質だなんて、ルノーの病によく似ている。もしかしたら、この子は弟と同じ病気だったのかもしれない。とてもそうは見えない健康ぶりだが、ルノーも聖都まで来る事さえできれば、普通の人間のような健康体になれたのだろう。
そんな金、どこからも用意はできないけれど──そう思いかけた時、先程のラズとの会話が頭をよぎり、影をさす。
違う。そんな金も手に入ったはずだったのだ。トマスがアリソン達を欺きさえしていなければ、今頃ルノーは⋯⋯いや、ルノーだけでない。両親もイグニスも、それにラズだって。
「エリック? そんなところで何をしているの、早く来なさい! 明日はタンブルウィード大司教様に御目通りをするのだから、早く寝ないと」
「はーい、母上。じゃあまたね、文字の読めないお姉さん」
「あ、うん⋯⋯元気でね」
甲高い母親の声に、元気よく返事をして階段を駆け上っていく子供を見送り、アリソンは立ち上がる。
「私たちも、部屋に戻りましょうか。ラズさん」
「⋯⋯ええ、そうね」
ずっと昔からトマスに欺かれていたこと。ルノーと同じ病の子供が今は飛び跳ねるように階段を登れること。
今更どうしようもない事実が、しこりのように胸に残る。
階段を登る途中、時々ラズはひどく何かを言いたげにしていたが、結局、彼女がそれを言葉にすることはなかった。
◇◆◇
その夜、情報交換もそこそこに、どちらからともなく言葉少なに床についたため、結局この日も夜の散策を行うことはなかった。
夜中にふと目を覚ましたアリソンは、こちらに背中を向けて眠るラズの呼吸音に耳を澄まし、寝返りを打つ。
このままもう一度、睡魔が訪れるのを待とうか。それとも、水でも飲んでみるか。少しの逡巡の末、アリソンは起き上がる。
どうせなら、少し廊下の窓から夜景でも見てみよう──浮かんだ思いつきに、アリソンは床に足をおろし、備え付けのブランケットをストールのように羽織って、そっとドアを開けた。幸いなことに、気配に敏いラズを起こさずに済んだらしく、そのことにアリソンは胸を撫で下ろす。
静寂に包まれた無人の廊下に、アリソンの足音がひたひたと響き、壁に長く伸びた影が映る。
壁に映る自分の影は本当の自分よりもずっと大きくて、強そうに見える。勇者なんてきっと一撃だ。そう思うと何だか面白くて、両手を広げて影遊びに興じていると、廊下の先から物音が聞こえた。
あの先は確か、ラウンジがあったはずだ。こんな時間に一体誰がいるのだろう。
──まさか、泥棒?
息を殺し、廊下の曲がり角まで進むと、子供のしゃっくり声が聞こえた。もしかして、先ほど階下で話をしたあの子供だろうか。
思わず普通に声をかけそうになった時、ふいにもう一人の声が静かに響いた。
「そっか。明日、大司教と会うのが嫌で泣いてたんだな?」
どこかで聞き覚えのある少年の声に、アリソンは再び息を潜める。そろりそろりと気づかれないように近づくと、灯りの落ちたラウンジで、肩を震わして泣いている子供と、しゃがみこんでいる誰かの背中が見えた。
その「誰か」は長い赤髪を垂らし、子供を甘やかすような、それでいて真剣な声色で子供と向き合っているようだ。
赤い髪というと、アリソンの頭の中には二人の姿しか浮かばない。
一つは、エリザベスの力で「覗き見」した勇者一行にいた踊り子の女性。
もう一つは、昨日スラムで出会った少年、ルーク。
先ほど聞いた声からして、おそらく後者なのだろうとアリソンは確信する。けれど、どうしてルークがここに? まさか忍び込んだのだろうか? どうやって、そして何のために?
「うん、ボク、大司教様に会いたくないの⋯⋯でも母上は、ワガママ言う子は嫌いですって言って、ボクにここで反省してなさいって言ったんだ」
「どうしてイヤなのか、母さんに言ってみたか?」
スラムの子供達のまとめ役だと自称するだけあって、ここにいる目的は分からないものの、少なくとも子供を傷付ける意図がないことは明確だ。
子供はルークの言葉に、弾かれたように首を横に振る。
「ううん⋯⋯大司教様が言っちゃダメだって。天罰が降るって言ってたもん! それに、言ったら悪い子になっちゃう⋯⋯母上もボクのこと嫌いになっちゃう。だから、言えないよ⋯⋯絶対に言えない!」
「チッ、同じ手口ばっか使いやがって⋯⋯いいか、そんなこと絶対にねーよ。大司教ってのはただの役職だ、天罰が降るかどうかなんてアイツには分かんねえんだ。ただ、適当言ってるだけのホラ吹き野郎なんだ。だから、母親にぐらい助けを求めたっていいんだぜ」
「で、でも⋯⋯母上は大司教様のことすごく頼りにしてるんだ。言っても、信じてくれない⋯⋯怖いよ⋯⋯」
その言葉に、何かを考え込むように黙った後、ルークが静かに口を開く。
「あのな⋯⋯、ッ誰だ!?」
パキリ、と床の軋む音に、ルークがパッと振り向く。我に返ったアリソンが行動を起こすよりも、彼が曲がり角の向こうから腕を伸ばす方が早い。
痛いぐらいの力で掴まれ、思わず顔を歪めたアリソンに彼は反射的に力を弱めた後、目を丸くする。
「アンタ、昨日の⋯⋯」
目を丸くした彼に、アリソンは「ごめんなさい!」と頭を下げる。
「立ち聞きするつもりはなかったんだけど、あの、物音がしたから、泥棒かと思って⋯⋯っ」
「その声⋯⋯文字の読めないお姉さん?」
ルークの後ろをついてきた子供が、涙を拭いながら問いかける。
目を見開いたままのルークは、アリソンと子供を交互に見やった後、ため息まじりに口を開く。
「アンタ、このガキの知り合い? それとも、こいつの母親だったりする?」
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
作中ではベガを北極星であると匂わすような書き方をしていますが、現実での北極星はポラリスです。フィクションということで、現実との違いも楽しんでいただけたら幸いです。
次回更新日:2/14予定




