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001 新米騎士の帰郷


『こんな地図にもない村で暮らすなんて、もう堪えられない。アタシは王都で生きる』


 そう言って村を飛び出したのは、やっぱり間違いではなかった。それが、2年ぶりに故郷に足を踏み入れたジョアンの感想だった。


 目新しさは何もなく、相変わらず退屈な何もないドルフ村。全てが2年前から変わっていないような村の人々は、ジョアンを見つけると口々に「背が伸びたね」だの「顔つきが大人っぽくなった」だの、あれこれ好き勝手言いながら王都の話をせがんでくる。当たり前だ。空を漂う雲のように退屈な村の生活とは違い、王都での生活は全てが刺激に満ちているのだから。

 ジョアンが王都での出来事をいくつか話して聞かせると、村の人々は羨望のこもった目で嘆息しては、もっと話してくれと強請る。こうした反応は帰郷する前から予想していたことだったので、ジョアンは期待にそうような話をとても上手く話すことができた。


 そして思う。やっぱりこんな村なんて大嫌いだ、と。


「近々大きな任務があるから、一度里帰りしておいたらどうだ」なんて、団長が変な気を使わなければジョアンはわざわざ王都から遠く離れた故郷に帰ってくるつもりなどなかった。

 それでも大人しく団長の言うことを聞いたのは、断る理由が思いつかなかったのと、この大嫌いな田舎村に大事な幼馴染のアリソンがいるから。閉鎖的で小さな村の中で唯一歳が近かったアリソンや彼女の弟のルノーとは、小さい頃からよく一緒に遊ぶ仲だった。自分があのまま村を出なければ、きっと親友と言って差し支えない存在になったはずだという自負もある。


 だが、村の殆ど全員が群がってきているというのに、肝心の幼馴染の姿だけはない。

 話がひと段落したところを狙い、ジョアンは彼女について切り出す。


「ところで、アリソンは? さっきから見かけないけど」


 まあ、大方昔みたいに機織り部屋にでもこもっているか、川に洗濯に出かけているのだろう。そうたかを括っていたのだが。


「あ、あー⋯⋯それはその、なあ?」

「うん⋯⋯」


 なぜか人々は気まずそうな顔をして一様に互いを見やった。

 しかも、その目には王都の話を聞いている時以上の興奮が宿っている。それを見れば、このドルフ村での退屈な生活を吹き飛ばすだけの秘密を人々が隠し持っていることは疑うまでもない。

 馬鹿馬鹿しい。この村で王都以上に刺激的なことなど起きるべくもない。


 けれど、もしも、そのまさかが起きたのだとしたら?


 最悪な想像に、ジョアンは顔をサッと青くする。


「ちょっと、まさか──」


 まさか、の続きを口にする前に、ジョアンを囲む人だかりのその向こう側、河原へと通じている小道から人影が現れる。

 その人影は、腰の辺りまでありそうな灰髪を首の付け根でひとつにまとめ、前髪を一筋顔の真ん中に垂らし、ふらふらと穴の空いた洗濯籠を抱えて歩いていた。髪と同じ色をした目は丸く、こちらを真っ直ぐに見ているようで見ておらず、ところ構わずぼうっとする癖はいまだに変わらないと見える。


 それだけ分かれば十分だ。ジョアンは周りを囲む人々の声に耳も貸さず、ありったけの力で彼らをかき分け、走り出す。


「アリソーーンっ!」

「え⋯⋯あっ、ジョアン? わあ~久しぶり!」


 駆け抜けたその勢いのまま抱きつくと、彼女も戸惑うことなく片手で抱擁し返してくれた。背中に回った指の、農作業や機織りで荒れた感触までもが懐かしい。

 少し干し草の匂いのする身体を離し、改めて見ると、アリソンは若草色のワンピースや、腰に巻いた布やサンダル、そして髪をまとめている紐までも、全て2年前とそっくり同じものを着ているようだった。

 対するジョアンは、髪留めなんてもういくつ変わったかなんて分からないし、服装だって、村にいた頃とは全然違う。端くれとはいえ、昔から憧れていた騎士になったから胸元は固い装甲で覆われているし、足元は機動性を重視して軽装備にしているけれど、それでも村にいたら一生履く機会のないような華美な装飾のブーツを着用している。すっかり変わった自分の姿に、アリソンが目を瞬かせているのが誇らしい。


「もー、村のみんながすっごく神妙な顔するから焦っちゃったじゃん。元気そうで良かったー」

「あはは、みんなきっと、誰が最初にジョアンに言うか迷ってたんだよ。あんなびっくりするようなこと、誰だって一番最初に話したいに決まってるもの」

「へ? 話すって⋯⋯何を?」

「あれ、まだ誰も話してないの? 私が一番最初でいいのかなぁ⋯⋯」


 籠を両手で抱え直し、ジョアンが後方に置いてけぼりにしてきた人だかりをちらりと見た後、アリソンは「うーん」と煮え切らない様子で首を傾げる。その様に、ジョアンは眉をしかめた。


「いや、だから何があったの?」

「んっと⋯⋯あのね、実は私、ちょっと死にかけたっていうか、えっと、殺されかけたんだ」

「⋯⋯は?」

「それでね、えーと、雨漏りが直って」

「なんで雨漏り? 待って、話が見えない」

「うーん、やっぱり私うまく話せないね。えっとね、つまり、私ちょっと殺されかけたんだけど、雨漏りも直ったし、まあいいかなって」

「待って待って待って」


 両手を前に出してアリソンの説明を遮り、ジョアンは混乱する頭を必死で動かす。


 アリソンは時々、言葉が足りない。

 というか、変なところを抜くせいで、相手の頭をこんがらがせるのだ。


 父親が無口だから、それに似て口下手になったのかもしれない。まあ理由はともかくとして、本人の中では順序よく繋がっている出来事なのだが、口に出すところがあまりに突飛なせいで、周りが混乱することが昔からままあった。

 そんな時、周りの大人がアリソンの話を理解できなくても、ジョアンはいつでも彼女から適切な言葉を引き出し、整理することができたものだ。それは幼馴染という付き合いの長さからくる経験や、あるいは父から様々な学問を習っていたおかげかもしれない。ともかくそれは、このちっぽけなドルフ村でジョアンが胸を張れるものでもあったのだが、今回はさすがに彼女の言いたいことがよく分からない。


 とにかく、重要なのは「死にかけた」「殺されかけた」「雨漏りが直った」という3つのキーワードだろう。ここから導き出される答えは⋯⋯。


「⋯⋯アリソン、ちょっと確認させてね。まず、誰かに殺されかけたのって、それは文字通りの意味?」

「うん、そうだよ。短剣を首にこう、ジャキンッ! って感じで⋯⋯あっ、でもそれは誤解っていうか」

「誤解」

「うん、誤解だったの」

「それは、あー、誰が誤解したの? アリソンが? それともその人が?」

「誤解してたのはイグニスさん、あ、えっとイグニスっていうのがその人の名前でね。えーと、つまりその人が誤解してたの」

「⋯⋯なるほど」


 幼馴染の一見支離滅裂な話を頭の中でパンでも作るかのように引っ張ったり捏ねたりして、ジョアンは「わかった」と呟く。


「つまり、アリソンはそのイグ⋯⋯なんとかさんに殺されかけた。でも、実はそのイグなんとかさんはアリソンのことを殺したかったわけじゃなかった。それで、その人は多分お詫びとして、家の雨漏りを直してくれた。だからアリソンは殺されかけたことは水に流すことにした。⋯⋯これでオッケー? 合ってる?」

「うん、そうだよ。さすがだね、ジョアンは頭がいいなぁ。私そんなにすっきりまとめられないよ~」


 ジョアンを褒めながら、無邪気な笑顔を浮かべたアリソンに、ひと仕事やり遂げたような達成感が胸に満ちた。後方からも、「あのアリソンの無茶苦茶な言葉を正しく整理できるとは⋯⋯」みたいな感嘆の声が聞こえてくる。

 一連の出来事はやっぱりよく分からないが、きっとこの幼馴染に初めて説明された時、村のみんなも自分以上にわけが分からなかっただろうなとジョアンは思った。


「でもさ、そもそもなんで殺されかけるようなことになったの? アリソンが魔物の扮装してたとか?」

「やだなぁ、そんなことしてないよー秋の収穫祭じゃないんだから。私はただ、河原に洗濯しに行っただけだよ」

「⋯⋯それがどうして、殺人未遂に発展するの?」

「ふふっ、不思議だよねえ」

「いやいやいや。そこを詳しく聞きたいんだけど?」


 何がおかしいのか、「ふふふ」ともう一度笑ってから、アリソンはふとジョアンに向き直る。


「楽しくって、つい、言い忘れちゃってた。⋯⋯おかえりなさい、ジョアン」

「あー⋯⋯うん。えっと、ただいま⋯⋯」


 2年前から全然変わらないと思っていたアリソンが、急にそんな、大人びた顔をして、当たり前のように言うものだから。

 本当はもうとっくに、この村を──自分が生まれ育った、辺鄙で呑気で地図にもないドルフ村を──自分はもう帰る場所だと思ってはいないのだと、どころか大嫌いなのだとは、口が裂けても言えなかった。



◇◆◇



 その後、アリソンを改めて問いただしたところ、つまるところ、事が殺人未遂にまで発展したのは、本当にただの誤解が原因だった。


 現在、アリソン家で居候中のそのイグニスという旅人の男は、自由気ままに各地を旅するちょっと変わった人間で、地図上では何もないことになっているこんな田舎にまで、ふと足を伸ばす気になったのだと言う。しかし運の悪いことに、道中で魔物に遭遇──これは本当に運が悪い。何せドルフ村の近くには、滅多に魔物が出ないのだから。

 魔物に襲われたイグニスはなんとか魔物から逃げおおせたものの、大きな怪我を負ってしまう。意識の朦朧した彼がたどり着いたのは、偶然にもアリソンが洗濯に訪れていた河原で、草の茂みに身を隠していた彼は、こんなところに人が住んでいるとは思わなかったので魔物が追ってきたのだと誤解し、持っていた短剣で彼女を攻撃。しかし、すぐに自分が攻撃したのが人間の、しかもか弱くて鈍臭そうな少女だと気付き、慌てて彼女を解放したところで意識がなくなり、次に目を覚ましたときには件の少女の家で、すでに丁重に介抱されたあとだった、と。


 アリソン家の居間で、彼女の足らない言葉を埋めながら聞き終えた一部始終に、ジョアンはため息をついた。


「そりゃ、申し訳なくも思うし、雨漏りのひとつやふたつ直すよねー⋯⋯」

「ふふ、1年ぐらいずっと雨水が入ってきてたから、助かっちゃった。イグニスさんって本当に人が好いの」

「いや、人が好いのはアリソンと、アリソンの家族でしょ。アタシだったら放置してるね、人をいきなり襲いかかってきた男なんか」

「そうかなぁ?」

「そうだよ。王都の近くなんかだったら十中八九、旅人を狙う盗賊だし」


 ジョアンの言葉に、アリソンは「そんな人もいるんだね」と、やや呑気な感想を口にする。まあ無理もないだろう。村から出たことのない彼女には想像もできない世界の話だから。


「ところで、そのイグニスさんが直したって言う雨漏りってどこの?」

「んっと、二階の部屋のと、あと、機織り部屋の端っこのところかな。雨水溜めておいたら、色々使い道があって便利だなぁって思ってたけど、やっぱり漏れてない方がずっと便利だったよ」

「そりゃそうでしょ⋯⋯そういえばおじさんとおばさんは? それにルノーと、例のイグニスさんとやらも見かけないけど」

「お父さんはトマスおじさんのところに行ってくるって。お母さんはお祈りで、ルノーは上だよ。イグニスさんも一緒なんじゃないかな? あの人は話し上手だから」


 アリソンの言葉に、ジョアンはなるほどと頷く。

 トマスはドルフ村で、よそ者である神父を除いて唯一文字が読める人間だから、何かと頼りにされやすい。村で作られた作物や織物を売ってくれる行商人との交渉も彼が引き受けているから、きっとアリソンの父は今月の売り上げをもらいに行ったのだろう。

 彼女の母が教会に行っているのは意外だが、アリソンの祖母の命日が確か近かったはずだから、墓前に何か供えにでも行ったのかもしれない。

 残るはアリソンの弟のルノーと居候のイグニスだが、これは納得のいく答えだ。おっとりしたアリソンと違って、好奇心が強く、幼い頃からやんちゃなルノーなら、各地を旅していると言うイグニスの話に食いつくだろう。


「じゃ、アタシはアリソンのこと独り占めしちゃおーっと」


 冗談半分に茶化して言うと、彼女もくすぐったそうに笑う。

 けれど、すぐに「いいの?」と首を傾げる。


「ジョアン、村に帰ってくるの久しぶりでしょう? みんないっぱい話したいと思うよ。えっと、トマスおじさんも、きっとそうだと思う」

「えー? アリソンはアタシがここに居座ったら迷惑?」

「そんなことないよ! でも、ジョアンに会いたかったのは私だけじゃないし、ジョアンだって他に仲良かった人もたくさんいるし⋯⋯」

「いーの! アタシがアリソンといたいんだから。それに王都の話ならさっきいくつか話したし充分でしょ。ていうか、会いたいなら向こうが来ればいいじゃん。アタシがアリソンの家にいるのなんて、今頃村中の人たちが知ってるんだから」


 そうだ。この村のそういうところもまた、ジョアンは苦手だった。


 何かあればすぐに人を伝って、村中に知れ渡ってしまうこと。別にやましいことがあるわけじゃないけれど、他人のことを何でもかんでも娯楽にして消費する、その精神が嫌いだった。

 例えば、いま目の前に座って、ヒビの入ったコップで水を飲むアリソンが、イグニスに殺されかけたこと。ただでさえ平穏すぎて退屈な村では、さぞ興奮できる刺激的な娯楽だったろう。

 でも、アリソンはきっと怖い思いをしたはずだ。川に洗濯に行っただけだったのに、魔物なんかと間違えられて、襲われて。

 それを面白おかしく、人から人へとひそひそと話したりなんかして、良いのだろうか。少しも良心が痛まないのだろうか。


 それに比べて、王都はやっぱりいいところだった。最初こそ田舎娘だと馬鹿にしてくる奴もいたけれど、実力を示せば認めてくれるし、ジョアンのことを応援してくれる人たちだっている。噂好きな人はいても、誰か一人の身に起きたことが娯楽として王都中に広まることだってない。

 今はまだ下っ端の騎士だけれど、目をかけてくれている団長もいるし、近々始まる任務で手柄を立てれば、正騎士として認められる日も近いかもしれない。


 そうしたら、いつかあの勇者様と肩を並べて戦える日も来るかもしれない──夢想に浸るジョアンに、アリソンが「ふふっ」と微笑みを溢す。


「ジョアン、嬉しそうだね」

「えっ? あ、ごめん、なんかボーッとしちゃって」

「そんなの普通だよ~私もよくぼうっとしてたら1日が終わってたりするし」

「あ、それはあんまり良くないと思う」

「えへへ、やっぱり? ⋯⋯えっとね、なんでジョアンがそんなに嬉しそうなのかはわからないけど、でも、ジョアンが嬉しいと、私も嬉しいな」


 少し気恥ずかしそうにそう言って笑ったアリソンに、ジョアンは顔に熱が集まるのを感じる。

 全く、この幼馴染はどうしてそう恥ずかしいことを、自分でも恥ずかしいくせに、それでも口に出すのか。

 間にテーブルがあって良かった。でなければ、こちらも感極まって彼女をぎゅうぎゅうに抱きしめてしまうところだった。

 友達に抱きつくなんて、再会の瞬間だけで充分だ。熱い頬を誤魔化すため、ジョアンは王都での話の中でも、村の人々には聞かせていない部分をアリソンに話すことにした。

 村のみんなが知ったらきっと嫉妬するような、とびっきりの思い出を。


「あのね、実はアタシ、勇者様に会ったんだよ」

「えっ、勇者様ってあの勇者様?」

「そう! あの勇者レインナート様! 噂通りに優しくて、すごく格好良い人だったんだよ。伝説の剣を背中に背負っててさ、本当に遠い人なのに、でもでも、全然そんなこと感じさせないぐらい親しみのある感じもするっていうか」

「そうなんだ。良かったね、ジョアン」

「うん! やっぱりアタシ、勇者様と一緒に戦えるぐらい強くなりたいんだ」


 例えば、昔村の神父が語ってくれた英雄譚の中に出てくる勇敢な戦士たちのように、勇者と共に邪悪な魔人を討伐できるような、そんな騎士こそがジョアンの目指すものであった。


 人々の生活を脅かす魔物。幸いドルフ村の近くにはあまり出現しないが、王都や他の都市は常に魔物の襲撃という脅威と共に暮らしている。

 その魔物を生み出しているのが、豊かなこの世界を狙う魔人で、勇者はその魔人を倒すために女神が選んだ人間なのだと言われている。王家に伝わる勇者にしか抜けないという伝説の剣を抜いたことからも、それは明らかな事実だ。


 そんな勇者様と共に、自分も一緒に戦いたい。

 同期の騎士に話したらなんだか微笑ましいものを見る目をされたが、それはジョアンが初めて英雄譚を聞いた日から、今日に至るまでずっと燃やし続けている夢なのだ。

 

「じゃあ、いつかジョアンもああいうお話になるのかな?」

「え、ええっ? そりゃ、そうなれたらなーって思ってるけどさー!」

 

 照れを誤魔化すため王都でのエピソードをまくしたてても、アリソンはそれを責めることなく、相槌を打ちながらとても楽しそうにジョアンの話を聞いてくれた。

 素朴で素直な彼女の反応ひとつひとつに、ジョアンは今日初めて、帰郷して良かったと思った。



◇◆◇



「ごめんねー、夕飯まで一緒しちゃって」

「気にしなくていいよ。私こそ、たいした⋯⋯えっと、おもてなし? 出来なくて、ごめんね」

「あはは、それこそ気にしなくていいよ! 楽しかったしね」


 時間は夕暮れを過ぎて、月が空に浮かび上がる頃。食卓を囲み終え、もうそろそろベッドに入ってもいい時間に、これ以上居座るわけにもいかない。

 それだと言うのに、のろのろと玄関に立ったままの自分を、アリソンは急かすことなく、どころか付き合ってくれている。


 ──寒いでしょ、早く入りなよ。


 そう言うべきだと分かっていたけれど、言わずにいるのは甘えだ。引き止めて欲しい、とか、まだ行きたくない、みたいな。そんな子供じみた甘えを、分かっているのか分かっていないのか、アリソンは文句ひとつ言わず、今もこうして隣に立ってくれている。

 この優しい幼馴染を、早く解放するべきだ。

 頭ではそう分かっているのに、何かが詰まっているような口からは言葉が出ず。結局ジョアンは幼馴染を、この肌寒い春先の夜に付き合わせてしまっているのだった。


「私ね、もう帰ってこないかと思ってたんだ」

「へ?」

「ジョアンって、昔から『もうこんな所になんかいられない!』って、よく言ってたでしょう? だから、今日は会えてとってもびっくりしたし、とっても嬉しかったよ」

「アリソン⋯⋯」


 少し寂しげな彼女の笑みに、今日一日の思い出がジョアンの頭を駆け巡る。

 河原へと続く小道から現れた、2年前から何一つ変わらない姿のアリソン。ヒビの入ったコップや、彼女を襲ったというとんでもない出来事の話。それから、その彼女を魔物と誤解した男、イグニスのこと。


 帰って来てよかった。そう感じたことは嘘ではないし、今日が楽しい1日だったのも事実だ。

 だけど。


「⋯⋯ねえ、アリソン。アリソンはこのままでいいの?」

「えっ?」

「本当に、アタシと一緒に王都に来る気はないの?」


 王都、という言葉にアリソンの目が瞬く。髪と同じねずみ色をした瞳が少しでも揺れてくれたらいいのに、というジョアンの願いに反して、彼女の瞳は困ったように逸らされるだけだ。


「2年前も言ったけど、アタシ今でも、アリソンの機織りの腕は王都でも通用するって──ううん、むしろ王都でならもっともっと、発展できるって思う。だから⋯⋯もう一度、考えてみて欲しいんだ。それで、聞かせて欲しい。アリソンの気持ち」


 困ったように目を逸らしたアリソンに畳み掛ける。今日村に帰った本当の理由は、これを言うためだったと、いくらなんでも気づかない彼女ではないはずだ。

 2年前、同じことを言って誘った時、アリソンが家族を理由に誘いを断ったことがずっと不満だった。だって家族なんて関係ないじゃない、アリソンがどうしたいのか聞いてるのに。

 当時のジョアンにはそれをアリソンに直接ぶつける勇気がなかった。でも、今日は違う。彼女の本当の気持ちを聞くまで、引く気はなかった。

 アリソンが逡巡するように口を開いては閉じる。急かすことなく辛抱強く待っていると、ややあってから、意を決したアリソンは逸らしていた瞳をジョアンに合わせ、「ごめんね」と小さな声で言った。


「私、ジョアンと一緒には行けないよ。だって⋯⋯」

「⋯⋯『家族を置いていけないから』? 家族は関係ないよ、アタシはアリソンの気持ちが知りたいの!」

「関係なくないよ。ジョアンも知ってるでしょう、ルノーの病気のこと」

「病気って⋯⋯大袈裟じゃない? そりゃあルノーは昔からちょっと体が弱かったけど、でも今日だって元気そうに⋯⋯」

「元気そうに見えるだけだよ。本当はもう、いつお迎えが来てもおかしくないの」

「⋯⋯えっ」


 驚いて、思わずルノーがいる家の方を振り向いてしまう。振り向いたところで、扉の中が透けて見えるわけでもないのに。

 確かにルノーは王都で見かける彼と同年代の子供たちより、身体が小さく、顔も少し青白く見えたけれど、まさかいつ死んでもおかしくないほど危険な状態だなんて。知らなかった自分がなんだか恥ずかしくて、頬がカッと熱くなる。


「で、でも⋯⋯じゃあアリソンは、ルノーのために村に残るの? 自分を犠牲にして?」

「ねえ、ジョアン。私は自分を犠牲にしてる、なんて思ったことは一度もないよ。それに、ジョアンは私の家族のことを誤解してる」

「へ? 誤解?」

「ジョアンは、私が家族のせいで村を出れないって思っているのかもしれないけど、それは違うよ。むしろ逆なの。お父さんもお母さんも、それにルノーもね、『ジョアンと村を出なくていいの?』って心配してくれたんだよ」

「え⋯⋯じゃあ、どうして⋯⋯」


 てっきりアリソンが村を出ないのは、家族に反対されているのだと思っていた。アリソンの両親は悪い人たちではないが、良くも悪くも田舎の農村で生まれ育った人たちで、どちらかといえば保守的な考えの持ち主たちだ。

 でもそれは違った。ならば何故──?

 問いかけるように見つめると、アリソンは「私の気持ちだから」と、ふいに大人びた笑みを浮かべて言う。


「私が、この村を出たくないの。私がみんなと一緒にいたいの。それだけなんだよ、ジョアン」


 ──信じられない、と思った。

 こんなつまらない、王都と比べて何もない村にいたいなんて。そんなことを思う人間がどこにいると言うのだろう。年寄りなら仕方ない。保守的な人間ならそういうこともあるだろう。けれど、ずっと一緒だった幼馴染がそんな風に思うだなんて、ショックで。

 だけど同時に、長年胸につっかえていたものがスッと腑に落ちた気もした。

 なんてことはない。目の前の幼馴染は、ジョアンが嫌いなこの故郷を愛していた。それだけのことだったのだ。


「⋯⋯そっか。アリソンは、この村が好きなんだね」


 確かめるように呟くと、アリソンは静かに頷く。

 ジョアンはずっと、アリソンは家族のせいで村から出たくとも出られないのだと思っていた。弟の病気を盾に、村に縛られているのだと勝手に決めつけていた。そんなことをする人たちじゃないと、ジョアンだって知っていたはずなのに。

 全部違った。アリソンはただ、自分の意思で村に残ることを選んだだけだった。


「うはー2回も振られちゃった。てかごめんね、しつこかったよね」

「え? ふふ、そんなことないよ。ジョアンの優しさだって知ってたよ」

「ちょっ⋯⋯面と向かってそういうこと言うの禁止! 恥ずかしいってば!」

「うん、知ってる。私もちょっと恥ずかしかった」


 わざと明るく、戯けたように喋るジョアンに、察してか察していないのか、アリソンもそれに乗って笑ってくれた。

 この幼馴染は、嫌いな人を前にこういう振る舞いや芸当ができる人間じゃない。だからきっと全部本心だと、ジョアンは思う。

 村に残り、流れるような日常を生きることを選んだアリソンの幸福を、ジョアンはきっと一生理解できないし、逆に村を嫌って外の世界に飛び出したジョアンの幸福を、アリソンが真に理解することもきっとないのだろう。

 ジョアンが村を訪れない限り、二人が再びこうして顔を合わせることはなく、ならばこれが今生の別れになったっておかしくはない。そのことを少し、いやかなり寂しくは思うけれども。


「アリソンは幸せなんだね」

「うん。ジョアンも?」

「そりゃあね、毎日楽しく生きてますとも。⋯⋯あのさ、離れてても、友達だーって思っててもいい?」


 もう二度と会えなくても。たとえ一生、お互いの幸福を理解できなくても。

 きょとんとした後、「当たり前だよ」と満面の笑みを見せてくれたアリソンは、言外に込めた意味に気づいてくれたのだろうか。

 別に気づいてなくてもいいか、と思う。言質はとったから、それでいいや。


 村に帰ってきた理由は、もう果たした。

 他にジョアンがこの村でするべきことは、あと一つを除いてもうない。


「⋯⋯本当はさ、アタシ、アリソンに挨拶したら、っていうかアリソンを誘ったら、後はもうさっさと王都に帰ろうって思ってたんだよね」

「うん、そんな気はしてたよ」

「あはは、バレてた? ⋯⋯けど、それじゃダメだよねって、思った。いい加減、あの頭の固いバカ親父にも挨拶しなきゃだよね!」

「もう、ジョアンってば。トマスおじさんのこと、そんな風に言っちゃ駄目だよ」

「だって、パパ本当に頭固いんだもん。王都に行くのはともかく、騎士になるなんて許さん! なんて言うし。今日だって、全然会いに来なかったじゃん。まだ怒ってるんだよ、どうせ」


 本当は昼間、アリソンと話している時に父の名前が出た時、少しだけドキッとしたし、もしかしたら自分に会いに来てくれるのでは、なんて期待もしていた。そんな期待は打ち砕かれたわけだが。

 父とは喧嘩別れして以来連絡もとっていない。そんな親子仲をアリソンも心配して、さりげなくトマスの近況をジョアンに教えてくれたのだろう。ぼうっとしているように見えて、たまにこんな気遣いをしてくるのだからたまらない。


「ってことで、アタシはバカ親父のところに行くね。あ、前みたいに夜中に飛び出したりしないで、ちゃんと明日帰る前に寄るから安心して」

「うん。あっ、ちょっと待って! これ、良かったら⋯⋯」


 父と向き合う決意をし、背中を向けて歩き出そうとしたジョアンを、幼馴染の声が引き止める。振り返ると、彼女は手縫いの巾着袋を差し出していた。

 考えるまでもなく彼女の手作りに違いないそれは、あの頃ジョアンが何度もアリソンに地面に描いて見せた騎士団の紋章を模した花の刺繍があしらわれ、紐の部分にはジョアンの好きな桃色が使われていて。


 一目でわかる。これは、自分のことを思って作られた物なのだと。


「あのね、昔は、村を出る人には、こういう袋を渡すしきたりがあったんだって聞いたの。信仰の、えーと、統一? がされてからは、段々と薄れていったんだけど、元は無事を祈る意味があったらしくてね。だから、ジョアンにって思って」


 上手くできてるといいんだけど、と恥ずかしそうに、そして自信なさげに言うアリソンの手を握り、内緒話をするように囁く。


「言ったじゃん、アリソンの腕は王都でも通用するって。もっと自信持ちなよ!」

「そ、そうかな?」

「そうだよー! ⋯⋯あのさ、アタシもアリソンに会えて、しかもこんなプレゼントまで貰えちゃってさ、すっごく嬉しいよ。ありがとっ!」


 もしかしたら、明日には村のみんながこの出来事をどうにかこうにかして、知り尽くしてしまっているのかもしれない。

 それでも、今だけは自分だけのものであって欲しかったから、閉じ込めるように囁いたジョアンの思いを汲んでくれたのか、アリソンは囁きの訳を問うこともなく、ただ「どういたしまして」と、それから「明日お見送りするね」と、些細な約束を同じように囁き声で返してくれた。


 そしてアリソンは、肌寒い夜にもかかわらず、ジョアンが父の家に入るまで、ずっと佇んで見送ってくれた。

 最後に手を振った時、アリソンが白い息まじりに手を振りかえしてくれたこと。こちらが振り返すと、張り合うようにぶんぶんと両手を大きく振ってくれたことが嬉しくて、そして少しくすぐったかった。



◇◆◇



「お前はもう、この村には帰ってこないものだと思っていたよ」


 父は、アリソンたちの家よりよっぽど広い居間の真ん中で、ぽつんと座っていた。


 明かりも灯さずに何をしていたのか、とか、ずっと連絡しなくてごめん、とか。言いたいことは他にもあったはずなのに、気づけば、「2年ぶりに会う娘にかける言葉がそれなの?」なんていう、つまらない悪態が口から出ていた。

 父はきっと、怒るか、呆れたようにため息でもつくだろうと思っていたが、その予想のどれとも違い、父はなぜか哀れみを込めた目を向けてくる。


 ──相変わらずの上から目線。そう言う態度が気に食わないっていうのに。どうして分かってくれないの?


 苛立ちが募るも、背中を押してくれたアリソンのことを思い出し、ジョアンは深呼吸をしながら、握りかけた拳からゆっくりと力を抜いていく。


「⋯⋯アタシだって、帰ってくることになるなんて思ってなかった。でも、もうすぐ大きな任務があるから、久しぶりに里帰りでもして来たらどうだって団長が言うから」

「そうか。まあ理由はどうでもいい。今すぐ荷物をまとめて来なさい」

「⋯⋯は?」


 まるで言い訳をする子供みたいでみっともない、と思いながらも経緯を説明したところで、そんなことを言われても意味が分からない。

 黙って睨んでも、父に説明する気は無いらしく、平然と、憮然と、しかめっ面を返され、面食らう。

 そりゃ、家にいる時の父は、外にいる時ほど愛想がいいわけでも、常にニコニコしているわけではない。人間なんだから不機嫌になる時があるのは当たり前だ。それでも、こんな顔をしている父を見るのは初めてで、戸惑ってしまう。


「な、何よ? なんで急にそんなことしなきゃいけないの? アタシを追い出したいにしても、こんな夜中じゃなくたって──」

「いいから早くまとめて来なさい! 巻き込まれる前に、早く村を出るんだ!!」


 バン、とテーブルを叩いて怒声を上げた父に、困惑が加速する。

 商売人は他人に喜怒哀楽を察せられてはいけない──それが、外で常に笑顔を浮かべる父の信条であったはずだ。その父が、この場にジョアンしかいないとはいえ、ここまで感情的になるなんて。


「巻き込まれるって、何に? 村はいつも通りだったじゃない。何が起こるって言うのよ」

「⋯⋯お前は知らなくていいことだ」

「何よそれ! ちゃんと説明してくれなきゃ分かんない!」

「いいから、お前の部屋を片付けて来なさい。あと数分もしないうちに馬車がくる手筈になっているから、大事なものだけを持ってくるんだ」

「な、何よ⋯⋯本当に大ごとじゃない。避難しなきゃいけないようなことって、何なのよ?」

「それは言えない。いいから言う通りにするんだ、ジョアン」

「なんで言えないのよ! 納得のいく説明を聞かせてよ!」

「ジョアン! もう時間がない、急ぐんだ! 説明ならあとでするから早く!」


 進まない問答に苛々しているのは、ジョアンだけでなく、父も同じらしい。鬼気迫った顔で肩を掴んできた父に、ジョアンは渋々頷いた。


「⋯⋯わかった。でも、本当にあとで聞かせてよ?」

「ああ。約束しよう」

「うん⋯⋯じゃあアタシ、アリソンにも知らせてくるから。他のみんなも準備する時間が必要だろうし──」

「知らせなくていい」

「え? 何よ、もうみんな知ってるってこと? もー、それなら誰か一言ぐらい言ってくれたって⋯⋯」

「違う。逃げるのは私たちだけだ」


 ──は?


 父の言葉がうまく飲み込めず、玄関に向かいかけたままの形で固まったジョアンの肩に力を込め、父が重苦しい声で言う。


「誰にも悟られないよう、手早く、大事なものだけを持ってくるんだ。わかったね?」


 父は──こんな冷たい目をする人だっただろうか?


 父は、ドルフ村の中で唯一王都で勉強をして、そこで学んだことを村に役立てるためわざわざ王都での仕事を蹴ってまで帰ってきたらしい。

 ジョアンはこの村にそこまでの価値があるとは思えない。けれど、彼ほど村を愛し村のために尽くしているものはいないと誰もが口を揃えて言うから、きっと父は思うところはあれど、この村のことを愛しているのだと思っていた。

 反抗心から決して口にしたことはないけれど、本当はそんな父のことを、理解はできなくとも尊敬していたのだ。


 なのに、父は見捨てる気なのだ。

 何らかの、口にできないような危険から故郷を。そこに住まう人々を。


 アリソン、とジョアンは幼馴染の名を呼ぼうとした。だがそうするよりも早く、父の後ろで寝室のドアが開く。そこから現れた人の姿に、息が止まる。

 どうして、この人がここにいるのだろう。

 まるで懇願するように喉が震える。握った拳から力が抜け落ちる。息が詰まる。

 だけど、どれだけ苦しくてもその人から目が離せない。


 ジョアンの髪よりもだいぶ明るい、マリーゴールドの髪。

 かき上げた前髪の間からあらわれた、優しく、どこまでも公明な光を灯す緑の瞳。

 一目で他者と何かが違うと思わせる、圧倒的な存在感。

 それなのに、差し伸べられた手には親しみやすさを感じてしまう矛盾。


 一度だけ、ジョアンはこの人と直に話したことがある。みんなに生暖かい視線を向けられがちなジョアンの夢を、この人は真っ直ぐに信じて、応援してくれた。まさに噂通りの、優しく高潔な、英雄譚の主人公そのもの。

 どうしてこの人が、こんな辺鄙な田舎の農村に来ているのか。


「⋯⋯勇者、さま⋯⋯」


 カラカラに乾いた喉から絞り出した声に、来訪者は、微笑みと沈黙をもって答えた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


もし面白かったら、評価を頂けると嬉しいです。

よろしくお願いします。


次回更新日:10/27予定

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