【SSコン:明後日】今を見つめて
土曜日の早朝の街は人が少なくて、太陽の淡い光に照らされた街路樹の紅葉がきれいだった。
家の前の通りを外れて細い路地に入ると、いっそう深まった静けさのなか葉の擦れるかすかな音が耳に入る。
その先にある小さな公園が、私のお気に入りの場所だった。
滑り台やジャングルジムなどの、少し色あせていながらもカラフルな遊具。生い茂った木々と、木漏れ日の差す木のベンチ。まだ誰もいない朝の特等席、少し低めに造られた黄色いブランコ。
しかし、今日は珍しく先客がいた。
「大和?」
ベンチに座って退屈そうにスマホをいじる幼馴染みの背中に声をかけると、大和は驚いたように振り返った。
「沙弥!どうしたんだ、こんなところで」
「……散歩。そっちこそどうしたの?明後日テストなのにこんなとこで勉強サボって大丈夫なの」
さりげなく話を逸らすと、大和は苦笑いを浮かべた。
「それはお前も一緒だろ」
「私は勉強しなくても点取れるもん」
「はは、さすが学年トップ」
とっさに出た言葉は半分嘘で、半分本当だった。確かにこのままでも80点は取れるだろう。だけどそこから先、確実に90点以上取るにはこの週末が大事だった。だからこそ休日にもかかわらず勉強しようと早起きしたのだが。机にワークを出したところで、何かがぷつんと弾けた。「なぜ私はこんなに勉強を頑張っているのだろう。なんの意味があるんだろう」
前からくすぶっていたその問いは、明後日のテストのことなど一瞬で追い越していった。
勉強なんてしても得た知識は大人になれば忘れる。試験でいい点とって、いい高校に行って、また勉強していい大学に行って。就職で有利になって、大手の会社に勤めて、安定した収入。
それが本当に幸せ?
明確な夢もなくただいい成績を取って教師や親に褒められる自分より、成績なんて気にせず夢を追いかける他の友達の方が輝いて見える。
今やってることは全部無駄なんじゃない?
散々悩んで結局こんなところでなんの生産性もないことをしている自分は、テストの点が低い同級生たちよりよっぽどバカみたいだ。
思わずため息をつくと、大和がからかうように言った。
「お、どうした。学年トップ様にもなんか悩みがあんのか?」
「あるに決まってんでしょ。それにその呼び方やめてよ、私だっていつもトップなわけじゃない」
実際前回は3位だった。今回だってこのまま何もしなければ5位、いや10位以下も十分あり得る。
だから、本当は早く帰って勉強しないといけないのに。
テストの存在を思い出して顔をしかめる。と、大和は本気で心配する表情を見せた。
「まじでなんかあったのか?真面目な沙弥がテスト直前にブラブラ散歩してるなんておかしいとは思ったけど」
大雑把な性格のくせして、そういうところは優しい。ただの幼馴染みだったはずがいつの間にか片思いの相手となったのは、時折見せる優しさに惹かれてしまったのだろうか。
だが、中学に入ってからというものあまり大和と話せていない。
目標もないままがむしゃらに勉強してやる気を失い、恋愛も前途多難。
「なんか勉強する気なくなっちゃってさ。勉強する意味なんてないような気がして」
弱気になって、思わず本音が漏れた。心配してほしかったのかもしれない。
「大和は、なんのために勉強してる?」
「え、俺?お前と違って勉強なんかほとんどしないからわかんねえよ」
軽口を叩く大和が、急に真剣な顔をした。
「あー、でも、今は部活のためかな」
「え、部活?」
大和はサッカー部のはずだ。勉強は関係なさそうだが、戦術に必要なのだろうか?
「テストで平均取らないと、部活やめさせられそうでさ。朝から母さんとケンカして家飛び出してきたんだ」
「ああ、そういうこと……」
大和も大和でいろいろあるんだな。
……当たり前か。中学生なんだから、何もないはずがない。いろいろと悩みを抱えながら、それでも私たちは前に進まなくちゃいけない。
「だから、そろそろ帰って勉強しないといけないんだよなあ。あの母さんの様子だと、マジで部活がピンチだ」
そう言って大和は立ち上がった。
「まあ、勉強の意味とかはわからねえけど、お前は俺と違って将来のこととか考えすぎるからな。もうちょっと気楽に生きてもいいんじゃねえの?俺みたいになっても困るけどな」
「……そうかな」
気楽に生きる、か。確かに夢もないのに将来について考えても無駄かもしれない。もっと目の前のものを見た方がいいだろうか。
「そうそう。肩の力抜けって。沙弥と話せて気晴らしになったよ。じゃあな」
「あ」
「ん?」
久々に大和と話せたこの時間が名残惜しくて、声が出た。
だけど、ここで呼び止めてどうする。大和は部活がピンチだと言っていたじゃないか。私だって成績を維持するには勉強しないと──いや、違うか。こういうところがダメなんだ。
明後日なんか見てないで、目の前の「今」を見ろよ。
「この土日、一緒に図書館で勉強しない?」
「え?」
「部活、やめさせられる瀬戸際なんでしょ。私が勉強教えてあげるよ」
「いや、それはありがたいけど……。お前も、自分の勉強があるんだろ?」
そうだそうだ。恋にうつつを抜かしてテストを疎かにしていいのか。
理性の声を、力任せにねじ伏せる。うるさい、せっかく大和と二人きりで居れるチャンスを逃してたまるか。
「私は、勉強しなくたって点取れるって言ったでしょ。人に教えるのも勉強になるし。それより自分の心配しなって」
そう言うと、大和はニヤッと笑った。
「はははっ、やっぱり学年トップ様はすげえなあ。じゃあ、遠慮せず学年トップ様に教えていただこうかなあ」
「その呼び方やめろって言ってるでしょ。で、何の教科が一番やばいの?」
「日本史……と、あと英語と理科もやばい。あ、家庭科もかな」
「多すぎでしょ!あーもう、じゃあ今日は日本史と英語!教科書とワークと、ノート……は私のでいいか。日本史と英語の教科書とワーク持って10時に市立図書館集合ね。資料集は私持っていくから」
「え、歴史の資料集?重いだろ、それも俺が持つよ」
「そんぐらい私も持てるって」
話しながら公園を出る。来た時よりも位置を高くした日が街を一層明るくしている。
明後日なんか無視してちゃんと今を見つめてみれば、大和と一緒のこの瞬間は存外楽しい。それなら、将来のことなんて考えてる暇ないよね。
人通りの増えた街に溶け込んだ私たち二人は、きっと輝いているって、そう思えた。