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世界の向こう岸の彼女  作者: 篠也マシン
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三話

 僕は学校に通いながら、教授の研究を手伝うようになった。学業と研究の両立は難しく、休日になっても世界の端にある街まで帰れないことがあった。彼女のために頑張っているはずが、彼女を想う時間が減っていることが不思議だった。

 数週間ぶりに家へ戻った僕は世界の端に立った。グリが僕の肩にそっと止まる。

「テガミ、トドケル」

「これから書くから少し待ってくれ」

 僕は研究の話題を避けながら、彼女への手紙を書いた。

『いつか必ず君に会いに行く』

 手紙の最後、いつもの言葉を書こうとした時にペンが止まった。

「……本当に彼女と会えるのだろうか」

 研究を進めていくうち、空飛ぶ船を造る難しさを理解できるようになっていた。船は完成せず、いつになっても彼女に会えないかもしれない。そんな不安から『必ず再会する』という言葉を書くことができなかった。僕は手紙をグリに渡し、返事を待った。

『新しい仕事は大変みたいね。こっちもとても忙しくしているわ――』

 僕は彼女からの手紙をゆっくりと読んだ。そこには『ずっとあなたを待ってる』という言葉は書かれていなかった。これまで彼女に対して物理的な距離を感じることはあったが、心の距離を感じたのははじめてだった。僕がいつもの言葉を書かなかったからだろうか。

「――それとも、彼女も不安なのかな?」

 僕はグリに聞いた。だが彼は何も答えず、黒い瞳で僕をじっと見つめていた。

 

 それから僕たちの手紙から必ず再会するという言葉は失われた。手紙の内容は当たり障りのないものとなり、言葉の内側に不安や寂しさを感じられるようになった。世界の向こう岸に立つ彼女の姿も、以前と異なりどこか儚げに見えた。

 僕たちは心すらもこの世界のように離れてしまうのだろうか。僕はそんな暗い気持ちを払拭するように、研究へ打ち込んだ。改良を重ねるにつれ、船はその大きさを増していった。そしてついに人が乗れる大きさの船が完成した。

 僕と教授は試験飛行に向けて船の最終確認を行った。船の中にある装置を起動し、翼を羽ばたかせると辺りに大きな風が吹いた。

「――よし、問題ないぞ。装置を止めてくれ」

「分かりました」

 僕は装置を停止させる。風が止み、辺りに静寂が訪れる。

 僕と教授は完成したばかりの船を見上げた。翼を広げた姿は、世界の端に建つ僕の家より大きいかもしれない。

「ようやくここまで来たな」

「教授のおかげです」

「試験飛行は明日予定通り行う。船には君が乗れ」

 教授は僕を見つめた。

「船に問題がないか、僕を使って確かめるつもりですか?」

「よく分かってるじゃないか」

 僕の軽口に、教授は笑みを浮かべた。そして肩をすくめて両手を広げた。

「私の体型では操縦席で身動きがとれない。悔しいが君にゆずろう」

「ありがとうございます」

 僕より体の小さな人はいくらでもいる。だが船を熟知している者となると、適任者は僕しかいない。

 翌日、僕と教授は馬に船を引かせ、都にほど近い丘の上へ向かった。街道を歩いていると、すれ違う人々が不思議そうに船を見つめた。

「これは何だい?」

「鳥のように空を飛ぶ船だ。ついてきたら面白いものを見せてやるぞ」

 教授の言葉に何人かは笑って通り過ぎ、何人かは笑って後をついてきた。誰もが冗談と思っているのは変わりなかった。

 丘の上に着くと、僕は僕の住む世界を見渡した。東の方に世界を隔てる崖がぼんやりと見えた。僕の家はあの辺りだろうか。そしてその向こう岸に彼女がいる。

「こんなに見物人が増えるなんてな」

 教授はため息をついた。丘の下に広がる草原には、たくさんの人々が集まっていた。

「人が空を飛べる訳がない」

「いや、俺はあの教授の書いた本を読んだが、飛べると思うね」

「成功しても失敗しても面白くなりそうだ」

 彼らの言葉が風に乗って僕の耳に届いた。

 丘は先端に向かって下り坂になっており、この傾斜を利用して船は飛び立つ。僕たちは傾斜がはじまる場所まで船を運び、滑り落ちないように石で固定した。

「成功したら世界が大騒ぎになりますね」

「そうだな。まずは彼らを驚かせてやろうじゃないか」

 僕は大きく深呼吸をし、船に乗り込んだ。操縦桿(そうじゅうかん)を握り、船を起動させる。動力が船全体へと行き渡り、翼が羽ばたきはじめる。翼が起こした風が辺りに吹くと、見物人がどよめいた。

 グリが僕の肩に乗り、船と同じように羽ばたく。

「テガミ、トドケル」

「ああ、行くぞ」

 教授が船を固定していた石を蹴った。船がゆっくりと丘の先端へ向かって動き出す。船は速度を増しながら、激しく揺れた。衝撃に歯を食いしばって耐えていると、ふいに地面の感覚が失われる。

「――あ」

 眼下に見えるのは、歓声を上げる人々。頭上には澄み切った青い空が広がっている。

「飛んでいる、飛んでいるぞ!」

 僕は操縦桿を強く握り、空の海で舵を取る。だが突然、歓声が悲鳴に変わる。

「え?」

 瞬間、船の翼が大きな音を立てて折れるのが見えた。そこで僕の意識は途絶え、深い崖の底へ沈んでいった。


「……気がついたかい?」

 ぼんやりとした頭に教授の声が響く。僕は世界の端に建つ自分の家のベッドで寝ていた。ゆっくりと体を起こし、教授に聞く。

「――船はどうなったんですか?」

「残念ながら木っ端微塵だ。また一から作り直しだよ。だが何より君が無事でよかった」

 僕は体の具合を確かめる。奇跡的に大きなケガはないようだ。僕は再びベッドに体を預けた。

「でも飛べましたよね? 翼の強度さえ上がれば、世界の向こう岸にも届くと思います」

 教授は首を横に振った。

「君には飛んでいる時間がとても長く感じたかもしれない。だが飛んだのは一瞬で、翼が折れる前から落下をはじめていた。翼の強度を上げただけで解決する問題じゃない。安全面についても考え直さないと、次はケガだけじゃすまない」

 あれがほんの一瞬だって? 僕は耳を疑った。教授は僕の肩を優しく叩く。

「ケガは軽いがしばらくゆっくり休んだ方がいい」

 僕は小さくうなずいた。一刻も早く研究を再開させたかったが、うまく頭が働かない。教授が去った後、僕は強烈な眠気に襲われ、意識が再び遠のいた。

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