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世界の向こう岸の彼女  作者: 篠也マシン
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二話

「まだこんな所に住んでいるのか? 俺の家に来ても構わないんだぞ」

 ある日、僕は体調を崩して鉱山の仕事を休んだ。すると親方が僕を心配して訪ねてきたのだった。

「いえ、ここが好きなんです」

「ここがじゃなくて彼女がだろ」

 親方はにやりと笑った後、目を細めた。

「――だがあきらめた方がいい。あれから何年も経つが、崖は変わらずそこにあり、誰も越えることはできない」

 街同士を結ぶ郵便は数年で途絶えた。崖の近くに住んでいた人たちは別の街へと引っ越し、残っているのは僕と彼女だけになっていた。いつしか崖の向こう側は別の世界と考えられるようになった。空を巡る星のように決して届くことのない世界なのだと。

「無理せず、ゆっくり休め」

 親方は僕の肩を軽く叩き、仕事へ戻っていった。僕はなんとか体を起こし、いつものように彼女へ手紙を書いた。心配をかけたくなかったので、体調を崩していることはふせておいた。今日は彼女に手を振ることはできないだろう。僕はグリに手紙を渡し、部屋の窓を開けた。

「テガミ、トドケル」

 グリは世界の向こう岸へと消えていった。

 僕は窓から見える空をぼんやりと眺めた。世界が分かれた時、僕たちはまだ子供だったが少しずつ大人に近づいていた。同じ年代の友人たちは街で好きな人を見つけていた。楽しそうに街を歩く彼らを見ると、彼女と会えないことがとても辛く感じた。

 開けた窓からグリが帰ってきた。彼女からの手紙には『しっかり体調を治すように』と書かれてあった。どうやら彼女に隠し事は通じないようだ。僕は手紙と温かな気持ちを胸に抱き、ゆっくりと目を閉じた。


 休日、街で買い出しをしていると店先で不思議な本を見つけた。表紙には鳥の翼を持つ見たこともない乗り物が描かれている。

「空飛ぶ船――」

 本は都にある学校の教授が書いたもので、鳥のように空を飛ぶ船のことが書かれてあった。夢中で読み続けていると、いつの間にか日が暮れていた。続きが気になったが、高価なものだったので買うことはできなかった。

 それから僕は本を読むために毎日店へ通った。

「もうその本は持っていってくれ」

 数日後、店主は格安で本をゆずってくれた。僕の熱心さに心を打たれたわけでなく、毎日来る僕をうっとうしく感じていたに違いない。

 本には手に乗るほどの大きさの船を作る方法が載っていた。僕は材料を集め、失敗を重ねながら船を完成させた。船を勢いよく空へと放つと、翼を羽ばたかせながらゆっくりと空中を旋回した。

「――これがあれば、彼女の世界へ行ける」

 だが本によると、現在の技術では人が乗れる大きさの船は造れないらしい。それならば、と僕はある秘密の計画を思いついた。


「親方! 無事合格しました」

 僕は忙しい仕事の合間を縫い、都の学校へ行くための勉強をしていた。そして先日受けた試験で無事合格したのだった。

「やるじゃねえか。その学校、生活の面倒も見てくれるんだろ?」

「はい。これでもう親方に怒られなくてすみます」

 親方は笑って僕を小突いた。都の学校は難しい試験に合格しないと入れないが、寮が完備されており学費だけでなく生活費も出る。最新技術を研究する場所なので、国から補助が出ているらしい。

「いつでも戻ってきて構わんからな」

 親方は素っ気なく言い、仕事に戻った。僕は頭を下げ、今までの感謝を伝えた。親方は僕を振り返ることなく、黙って片手を挙げた。

 その日、僕は初めて手紙に嘘を書いた。世界の向こう岸に立つ彼女の姿を見ると、針を飲み込んだような痛みを感じた。だが彼女を驚かせるには秘密にしておいた方がいい。

『実は親方から新しい仕事を紹介されてね。思い切って挑戦しようと思うんだ。でも仕事場はここから遠く、毎日この家に戻ってくるのは難しくなりそうだ。手紙の数も減ってしまうと思う』

『親方さんに感謝しなきゃね。私も仕事がとても忙しくなりそうなの。今までのように毎日手紙を書いたりできなくなるわね』

 どうやら彼女も忙しくなるようだ。僕が世界の向こう岸に向かって手を振ると、彼女がいつものように手を振り返した。僕たちは手紙だけでなく、寂しさという感情を何度も交換した。


 都の学校へ着くと、僕はある教授の部屋へ向かった。僕は大きく深呼吸をし、扉を叩いた。

「どうぞ」

 部屋に入ると、積み重ねられた本の壁に行く手を阻まれた。かろうじて通れる隙間の先に男の背中が見えた。

「あなたが空飛ぶ船の本を書いた教授ですか?」

 男はゆっくりと振り返る。年老いた男を想像していたが驚くほど若く、体型も親方のようにがっしりしていた。

「いかにも。見ない顔だが、君は新入生かい?」

「はい。この学校へ来たのはあなたがいたからです。実は――」

 僕は秘密の計画を教授に伝えた。すると彼は声を上げて笑った。

「それは面白い。その彼女は驚くに違いない」

「子供っぽいと馬鹿にしないんですね」

「馬鹿になどしないさ。技術の発展はそういう夢がきっかけで進むこともある」

 僕が考えた計画とは人が乗れる大きさの空飛ぶ船を自分の手で造ること。そしてその船に乗り、崖を越えて彼女に会うのだ。突然空から僕が現れたら彼女はどれほど驚くだろう。

「私も女の子がきっかけで空飛ぶ船の研究をはじめたんだ。そこの窓からお城が見えるだろ?」

 僕は本をかき分け、窓の外を見た。

「北にある塔にはお姫様が住んでいる。子供の頃、窓辺に立つ彼女を見た時一目惚れしてね。いつか彼女の塔まで飛んでいき、声をかけるつもりなんだ」

「それは捕まると思いますよ」

「空を飛ぶなんて世界初の偉業だぞ? その功績があればどうとでもなるさ」

 教授が豪快に笑った。僕もつられて笑う。僕たちの声は部屋の窓を通り抜け、空へと吸い込まれていった。

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