一話(表紙付)
僕の好きな女の子は、ここから少し離れた別の世界に住んでいる。
「さあ、グリ。今日も彼女へ手紙を届けてくれ」
僕は腕に止まる鳥の背中を優しくなでた。灰色の毛並みが太陽の光に透かされ、白く輝いて見える。
「テガミ、トドケル」
グリは僕の書いた手紙をくわえると、空へ舞い上がった。
「僕に彼のような翼があればな……」
目の前に広がるのは僕と彼女の世界を隔てる崖。切れ目なく続いており果てしなく深い。ここを越えることができるのは翼を持つものだけだった。
向こう岸に目を凝らすと、彼女が大きく手を振っていた。僕は彼女のもとにグリが降り立つのを見届け、崖のそばにある家へ戻った。
幼い頃、僕と彼女は同じ世界に住んでいた。家が隣同士だったので顔を合わす機会が多く、僕たちはすぐに仲良くなった。流行り病でお互いの親を亡くしてからは、僕は鉱山で見習いとして働き、彼女は宿屋で給仕として働いて生計を立てた。下働きは辛かったが、僕たちは家族のように支え合って暮らしていた。
休日になると、彼女の妹と一緒に三人で遊んだ。
「大きくなったら、みんなで暮らそうね」
彼女の妹は口癖のように夢を語った。その言葉を聞く度に、僕と彼女は夕日のように顔を赤く染めた。だがそんな穏やかな日々は突然終わるのだった。
ある日の夜、僕は凄まじい轟音に目を覚ました。
「タイヘン、タイヘン!」
グリが大きな声で鳴いていた。暖炉の火は消えていたので、月明かりを頼りに部屋の中を見渡した。だが特に異常は見当たらない。
「一体なんだったんだだろう」
僕は首をかしげた。その後もグリが騒いでいたが、僕は耳をふさいで再び眠りについた。
翌朝、家を出た僕は目を疑った。昨日まで隣にあった彼女の家がなくなっている。代わりにあったのは大地を引き裂く深い崖だった。
「――そんな馬鹿な」
崖は見渡す限り切れ目なく続いていた。僕は恐る恐る崖の下を覗き込んだが、夜の闇のように暗く、底は見えない。試しに崖へ小石を落としてみたが、底に当たる音はいつまで待っても返ってこなかった。
「アッチ、アッチ」
グリが崖の向こう岸を翼で指した。目を凝らすと、彼女の家と彼女の姿が小さく見えた。
「おーい、大丈夫か!」
僕は力の限り叫び、手を振った。彼女は手を振り返してくれたが、返事はない。向こう岸までは距離があり、崖の上を吹く風によって声はかき消されてしまうようだ。僕は急いで家へ戻り、彼女たちの無事を確認するために手紙を書いた。
「これを彼女へ届けてくれ」
グリはこくりとうなずいた。彼は手紙をくわえ、世界の向こう岸へ飛んでいった。しばらく待っていると、グリは彼女からの手紙をくわえて戻ってきた。
『私も妹も無事です。あなたも無事でよかった』
手紙を読み、僕は安堵した。だがすぐに不安が押し寄せてくる。僕と彼女の家の間になぜこんな崖ができてしまったのだろう。
それから僕たちは、崖をはさんで会うようになった。毎朝手を振って挨拶し、手紙を使って会話をした。
『手紙がなくてもグリが君の家へ行きたがるんだ。何でだろう?』
『妹がいつも遊んでくれるからじゃないかな。こっそりおやつもあげているみたい』
『いつか僕の所に帰って来なくなりそうだ』
僕と彼女の間には深い崖が存在していたが、手紙を読むとすぐそばで笑っているように感じられた。
『いつか必ず君に会いに行く』
『ずっとあなたを待ってる』
手紙の最後には、必ず再会するという強い気持ちを書いた。僕たちは手紙の言葉を支えにし、日々を過ごした。
『どうやら都から調査隊が来るらしい』
世界の都は崖のこちら側にあった。不思議な崖の噂が都へ伝わると、たくさんの学者を引き連れ、調査隊が街にやってきた。調査は一ヶ月ほど続いたが、裂け目は延々と続いており、向こう岸へ渡る道は見つからなかったようだ。橋をかけることもできない距離だったため、崖を越えることができるのは翼を持つものだけとなった。
しばらくすると分かれた街同士で郵便配達がはじまった。僕たちのように鳥を使った方法だ。とても盛況で崖を往復する鳥の姿を毎日見かけた。
『お互い仕事場が向こう岸にならなくてよかったね』
『いや、鉱山がそっちにあればよかったと思ってる。口うるさい親方と会わなくてすむからね』
僕と彼女は手紙の上では努めて明るく振る舞った。いつかこの崖は現れた時のように突然消え去り、僕たちは再び会えると強く信じていた。