細野晴臣を語る
現在の日本ミュージックシーンにおいて欠かせない存在であり、多大なる影響をもたらしているのは、細野晴臣である。
1968年、モンキーズのファンクラブオーディションで生まれたGSグループ「フローラル」がメンバーチェンジに伴い、1969年4月1日にバンド名を「エイプリル・フール」と改め再スタート。
そう、あの伝説のサイケデリックバンドの「エイプリル・フール」だ。
そこに、当時アマチュアミュージシャン内で有名だった、立教大生の細野晴臣は、慶応大生の松本零(松本隆)と共に加入する。
細野のプロミュージシャンとしての始まりはそこからである。
「エイプリル・フール」は活動期間はわずか半年で解散してしまったが、アメリカの「ローリングストーン誌」に取り上げられたりと、当時フォーク全盛の日本のミュージックシーンの中、「エイプリル・フール」の残した軌跡は日本ロックシーンにおいて、重要な位置を占めていたといえよう。
「エイプリル・フール」解散後、細野と松本は、大滝詠一、鈴木茂と1969年秋、「はっぴいえんど」を結成。
このバンドで、日本における「日本語ロック」を確立。
70年代フォークブームのときは、「はっぴいえんど」のメンバーで、岡林やエンケンらURC系ミュージシャンのバックでサポート活動。
「はっぴいえんど」解散後は、ソロとして名盤「HOSONO HOUSE」を始めとし、トロピカル3部作のアルバムで、ソイソース・ミュージックと称されるエキゾチックでクロスオーヴァーなワールドミュージックを展開。
その後、スタジオミュージシャン集団「キャラメル・ママ」 ~「 ティン・パン・アレイ」時代は、ユーミンを始めとする数々のアーティストらをプロデュース&バックアップし、当時の日本のニューミュージック&歌謡曲界での中心的存在であった。(魔女の宅急便のEDテーマ「やさしさにつつまれたなら」なんかもそうだ)
80年代のアイドルブームでは聖子ちゃんを大ヒットさせてる。
彼のロックシーンのみならず、当時から現在にかけての、日本のニューミュージック&歌謡曲シーンで与えた影響力は計り知れない。
更に「YMO」時代では、テクノポップで社会現象を起こし、海外でも成功。
国内外の多くのテクノ系&ニューウェーヴ系ミュージシャンらへ多大なる影響を与えた。
とにかく細野無くして、現在の日本音楽シーンの繁栄はありえない!
J-POPSの父といっても過言では無いんじゃないか!と俺は思っている。
細野晴臣は、音楽ジャンルもプレイスタイルも、ベーシストという枠を超えたマルチミュージシャンである。
細野と活動を共にしていた「キャラメル・ママ ~ ティンパン・アレイ」での当時の面々は口を揃えていう。
「細野さんを越えるベーシストは日本にはいない」と。
細野のベースプレイスタイルは、タイトでシブく、ものすごい存在感があるらしい。
レコーディング中は気がつかないのだが、プレイバックしてみると、細野のプレイは1拍の取りかたが長く、十分に間合いがある、ソウル系のベーシストなのだと。
なるほど~。アメリカでいうと「チャック・レイニー」みたいなプレイスタイルということだろうか?
当時はガキだった僕は、その存在感というものが、なんのことだかサッパリ分らなかったが、今にして思えば、YMOの「テクノポリス」でのプレイで「ここの部分のことかなぁ~」と思える部分がある。
あのデジタルボイスで「TOKIO…TOKIO…」ってブレイクが入る部分の後ろで弾いている細野のベースプレイ。
あの重厚さ。
しかもあのフレーズ。
フツーあそこであのフレーズは出て来ないだろ~」という細野のセンス!
まったく持ってオリジナリティ溢れてカッコイイフレーズなのだ。
うん…。
たぶんアソコ!絶対、ああいうセンスのことを言っているに違いない!
細野晴臣は大人のミュージシャンにならないと理解できない偉大なベーシストなのだ。




