5話
店を出ると、新しい剣を早速腰に帯びる。
支給された剣よりも軽い感触に、自然と頬が緩んでいく。
(さて、お目当ては買えたし……少しぶらついていこうかしら)
このまま城に戻るのももったいない。
そう決めた私は、華やかな城下町へと繰り出した。
色彩豊かな花を扱う店に、食欲そそる香りを漂わせる屋台。
女心をくすぐる華やかなアクセサリーを並べる露店と、歩くだけでも楽しい。
とはいえ、細剣を買ったばかりで懐は寂しい。
露店でサンドイッチと串焼きを購入し、今日の昼食とした。
香ばしいタレで焼き上げた串焼きを口に含むと、あふれる肉汁と思った以上に柔らかい歯ごたえ。
これは当たりだと思いながら、どんどん口に運んでいく。
食べ終えた串をゴミ箱に放ると、指にたれが付いている。
(…誰も見てないし)
たれの付いた指をそっと舐め上げる。
「…ほう、令嬢の割には卑しいな」
「っ!?」
いきなり耳元で囁かれた声に、思わず身体がびくりと強張る。
背後を取られた癖で咄嗟に剣に手が伸びる。
「待て、私だ」
剣に伸ばした手に被さるように別の手が伸びてきた。
その聞き覚えのある声におそるおそる振り向くと……キラルド殿下…いや、陛下がいた。
(何でここに…何かの視察?いえ…)
声と顔は確かに陛下だ。
しかしその服装はいつもの正装ではなく、平民としては上等な、貴族からは下等な…私と同じような、白いシャツに紺のジャケット、紺のズボンとあり触れた格好だった。
もっとも、恰好はあり触れていても本人の雰囲気が全くあり触れたものではないのだが。
そこで思い出す。
キラルド陛下は、殿下の頃はよく城下町へお忍びで視察によく出かけた。
それが日々の教育から逃れる口実でもあったけど。
そして、いくらお忍びでも殿下一人を出掛けさせられない。
その時、『グリエ』がよく護衛役を務めていた。
背丈含め華奢な『グリエ』は、私服になれば明らかに護衛然とした雰囲気が無い。
そのせいで、キラルド殿下からよくご指名されていたものだ。
…何度か、『兄妹』扱いされるという不名誉な出来事もあった。
どちらが『妹』扱いされたのかは言うまでもない…
嫌なことも思い出してしまったと後悔しつつ、今の状況はそれと同じだと気づいた。
よく見れば陛下の後ろに騎士団…それも直属の護衛である親衛隊のメンバーが二人、陛下と同じ私服姿でいた。
少しだけ距離を取っているが、そもそも騎士団長にすら勝つほどの実力があるのだ。
念のため、というくらいだろう。
「お忍びですか」
「…察しがいいな。その通りだ」
お忍びの視察中、たまたま見つけた私に声を掛けた。
そんなところだろうか。
舐めた指を改めてハンカチで拭きなおす。
醜態を見られてしまったけど、何事も無かったかのようにふるまう。
「今のはどこで買った?」
「あそこの屋台ですが……『あなた』が口にするようなものでは」
『陛下』と呼ぶわけにもいかず、咄嗟に別の呼び方をした。
しかしそれが不服なのか、陛下の額に皺が寄る。
「『ルド』と呼べ」
「……はい、『ルド』様」
「様も不要だ。私は一般市民だからな」
ニヤリと口角を上げてそんなことを言われても、こんな威圧感のある一般市民がどこにいる!?と突っ込みたかった。
ちらりと後ろの騎士たちを見ると、もう慣れているのか何も言ってこない。
というか、『諦めろ』とでもいうようなジェスチャーをされた。
私の背後から離れた陛下…ルドは、私が指した屋台へと向かった。
そして串焼きをその手にすると戻ってきて、私の隣に腰を下ろした。
「…どうして隣に?」
「食べ物は落ち着いて食べたいだろう?」
そう言われればにべもないが、だからといって私の隣の理由にはなってない。
面白がられてるのだろうか?
「ほう、確かにうまいな」
「ええ、美味しかったですよ」
「ああ、お前の顔を見ていれば分かった」
その言葉に顔が引きつる。
「…『いつ』から見ていらしたのですか?」
「お前が一口目をほおばるところから」
つまり私が串を堪能したところを最初から最後の指舐めまで全部ということですね?
見つけた時点で声を掛けず、あえて食べ終えるのを眺めて待っていたと?
面白がられている…いや、もしかすればいい玩具扱いされている。
(…『いい性格』なのは変わっていませんね)
そのままサンドイッチを食べたかったけれど、また絡まれてしまう。
私は開きかけたサンドイッチの包みを戻し、立ち上がる。
「どこに行く?」
「散策の途中なので」
どこかでベンチを見つけてそこで食べよう。
そう思ったのに、何故かルドまで立ち上がる。
「お前がどこに行くのか興味あるな」
「………」
もしかしなくてもついてくる気満々ですね?
もう絶対面倒なことにしかならないのが分かる。
「俺と一緒なのが嫌なのか?」
顎に手をかけられ、顔をのぞき込まれる。
燃えるような紅い瞳に私の姿が移りこむ。
そのままキスでもされてしまいそうな…そんな距離まで詰められ、その麗美な顔で迫られれば世の女性たちは一瞬で虜になるだろう。
「……はぁ」
目線を逸らし、思わず呆れのため息が漏れた。
ずいぶんと女性の扱いに手慣れた感が出ていることに成長が窺える。
が、その成長の成果を自分で確認することになるかと思うと何とも物悲しい。
「…女にそんな反応をされたのは初めてだ」
「ソウデスカ」
初めてで光栄でございますよ、陛下。
だけど、ついてこられてはせっかくの散策が台無しになる予感しかしない。
(強引にでも逃げた方が得策ね)
顎にかけられた手からそっと逃れ、『一般市民のルド』に別れを告げる。
「じゃあね、ルド」
如何にも気安げな、市民らしい挨拶をにっこり微笑んで。
一瞬唖然としたルドだったけれど、その意味を察して手を伸ばしてくる。
その手が届かない距離までサッと下がる。
そのままくるりと振り返り、人込みに紛れた。
…後日が怖いけど、私は今日会ったのは『一般市民のルド』であって、キラルド陛下ではない。
そう言い切って逃げよう、うん。
小柄な体は人混みをスイスイ通り抜けていく。
少しだけ振り返るけど、そこにルドの姿は無い。
どうやらさすがに追ってきてはいないようだ。
さらに歩を進めて、空いていたベンチを見つける。
近くの露店でジュースを買い、そこでランチの続きとしよう。
包みをほどき、サンドイッチを広げる。
具は野菜と卵、そして魚のフライ。
口に運べば、ピリ辛なソースと相まってなかなかに美味しい。
最後の一切れに手を伸ばし…たところで、横から何者かの手がサンドイッチを奪った。
「えっ?」
何者かはサンドイッチにかじりついたままどっかりと私の横に座りこむ。
その何者かの正体に気付いた私は頬を引きつらせた。
「…………」
「…………」
静かに咀嚼するルド。
その顔はこちらを向いていないが、横顔から不機嫌なことは窺える。
ルド…キラルド殿下のころは、何か不機嫌なことがあると直接こちらを見ようとしはしない。
が、明らかに目が険しくなり、口は真一文字になる。
最後の一口を放り込むと、今度は私がもっていたジュースまで強奪し、一気に飲み干してしまった。
間接キス…などと思う隙も許されない。
まさかずっと追ってきていた?
何故?
市民みたいな気安い挨拶にそこまで不機嫌になった?
空になったコップをゴミ箱に放り込むと、その手が唖然としたままの私の手を掴んだ。
「!?」
「もう離さんぞ」
明後日を向いていた目がこちらを向く。
その瞳は静かない怒りに満ちていた。
(…今度は逃げられそうにないかも)
がっちりつかまれた手は少し痛いくらい。
「あの……痛いです」
「お前が逃げるからだ」
「…逃げませんので緩めてください」
「王に反論する気か」
「『ルド』、緩めて」
相当にお怒りのようで、一般市民の顔が剥げていた。
このままでは痕になりそうだから、一般市民『ルド』を呼び戻すことにした。
…それに、せっかくのお忍びの視察の機会を壊させたくも無い。
「っ…すまない」
少し緩んだ手の拘束。
緩んだけれど離してはくれそうもない。
「何故逃げた?」
「…聞きますか?それ」
「聞かせろ」
だからその威圧感はやめてほしい。
周囲に漏れてる。
「一人で歩きたいからです」
「俺と一緒は嫌か?」
「……一人がいいんです」
ここで嫌と言わなかった私を誉めてほしい。
「俺と一緒で何の不都合がある?」
とことん私に嫌と言わせたいんですか?
言っていいんですね?
言いますよ?
喉元まで出かけた言葉を辛うじて呑み込み、どうしようかと思案する。
諦めるのも手だけれど、それは負けた気がするからイヤだ。
人の気配に後ろを振り向くと、そこには護衛の騎士二人。
「遅いぞお前ら」
いや、あなたが勝手に先に進んだからですよね?
あのかわい…くはなかった殿下が、我儘ばかりだった殿下が、こんな俺様になってしまった。
どこで教育を間違えたんだろう……と遠い目になってしまう。
すると、ある店が目に入った。
あの店ならルドも入ってこられない。
勝利を予感させる囁きについ気分も上がる。
「私、あの店に行きたいんですよ」
そう言い、店を指さす。
私の指した先をルドが目で追う。
そして一瞬固まる。
勝利を確信。
「では失礼します」
立ち上がり、その店に向かうために手をほどく。
…のだが、何故かほどけない。
「俺も行こう」
「はっ?」
思わぬ言葉に今度は私が固まった。
「…ふむ、やはりお前には白が似合うな」
「ソウデスネ」
心もはやここにあらず。
色様々、形様々と、女性専用のお店…ランジェリーショップに、何故か堂々と入店したルド。
並の男なら入店拒否だろうが、超美形のルドに、男装の私が連れ立ったせいで結果的に入店してしまった。
そして、その手に堂々と下着を手にし、挙句私に宛がい似合うか確認している。
…私の方が恥ずかしい。
(帰りたい…)
剣を買った時点でまっすぐ帰ればよかった。
今更後悔してももうあの時には戻れない。
「シセリア、サイズは?」
「はっ?」
「はっじゃない。胸のサイズは?」
何を聞いてくるんだろう、このあほ……ルドは。
顔を引きつらせながら私はかろうじて返事をする。
「…教えませんよ」
「何故だ?知らなければ適切なものを買えないだろうが」
恋人でもなければ親族でもない人間に胸のサイズを教える人間がどこにいる?
呆れて言葉が紡げない私に、ルドはしばらく見つめると何か思いついたように手を打った。
「…なるほど。わかった、お前、自分のサイズを知らないんだな?」
「はぁ?」
「普段からその恰好らしいな。だから知らないんだろう?」
いきなり何を言い出すんだろうか、このあほルドは。
段々脳内であほルドが定着しつつある。
「あのですね…」
「よし、脱げ」
その瞬間、盛大な平手打ちの音が店内に響いた。
頭が横向きになったルドの頬に、大きな掌模様。
振りぬいた私の手に、ジンジンと痛みがこみ上げるが気にしていられなかった。
「…すみません、虫が付いていたもので」
「……そうか、虫か」
咄嗟に嘘が出るあたり、どこか冷静かもしれないがとても冷静ではいられない。
いくら女性しかしない店内とはいえ、平然と脱げなどと言うルドには教育的指導が必要ではなかろうか?
いや、その前に私に危機があるかもしれない。
主に貞操の意味で。
もはや私の頭には、目の前の方が陛下であるという認識は消えつつある。
ただの破廉恥野郎に変わっている。
「………」
「………」
にらみ合う私たちに、店員は何も挟めない。
しかし、そこに先ほどの音を聞きつけた護衛の騎士二人が意を決して飛び込んできた。
「陛…ルド!さっきの音はなんです…か……」
主の身に何かあったのかと心配してきたのだろう。
焦った様子の騎士だが、駆け付けた先にある私たちの様子に言葉を詰まらせる。
平手を振りぬいたままの私。
頬に平手マークをつけながら、未だに女性ものの下着をその手にしたルド。
硬直したまま動かない騎士。
この異様な光景。
だが、今がチャンスと私は動く。
「あっ!待てシセリア!」
大声で私の名前を呼ばないでほしい!
そう思いながらも、店内をすり抜け外に出ると、すぐさま店の角を曲がる。
その先の裏路地をさらに進み、今度こそルドが追い付けないようにと走り抜ける。
そして裏路地から表通りに戻り、そこからランジェリーショップのある方向を見つめる。
(……今度こそ、撒いたわね)
後ろも左右も人の寄ってくる気配はない。
今度こそフリーになった。が……
(帰ろ…)
もう散策する精神的余裕はどこにもない。
あほルドのせいでごっそり疲れてしまった。
唯一の成果である腰の剣を手に、王宮へと戻った。




