25話
思わぬタイミングでのヴィッツ王弟殿下の逮捕劇は、ただでさえ混乱していた王宮内をさらに混乱の渦に落とし込んだ。
結局、例の懐柔していた刺客及び、それ以前に捕縛していた刺客からこれまで起こしていた事件の証拠の全てを押収していた。…つまるところ、ルドはいつでもヴィッツ王弟殿下の悪事を白日の下に晒すことはできた。しかしそれをしなかったのは、せめて自らの罪を自分自身で認めてほしいという家族ゆえの情けと……命の奪い合いをした相手とはいえ、相手が肉親ゆえの葛藤。
けれど、ルドも私にまで危害が及んだ襲撃事件で腹をくくり、ヴィッツ王弟殿下自身が行った明確な犯行現場を取り押さえることで、一切の言い逃れを許さず断罪することに決めた。その犯行現場が私の誘拐であり、その覚悟の証が実の弟に剣を向けたことだった。
15年前のキラルド殿下暗殺未遂及び親衛隊殺害、伯爵家全員殺害及び証拠隠滅、王妃候補への襲撃及び騎士団謀反の首謀者、そして王妃候補の誘拐事件、国王への退位及び自害要求。これほどの罪状を前に、ヴィッツ王弟殿下に下された刑は…流刑。本来ならば即極刑も免れないのに、それは先代国王夫妻の嘆願によるものだった。しかし、流刑先は治療施設は無い離れ孤島。ルドによって腹を貫かれたヴィッツ王弟殿下は、完治を待たずに移送された。治療施設も無い場所で、重傷を負ったままのヴィッツ王弟殿下がその地で生き残れる可能性は……無い。事実上の極刑だった。
一方、毒で動けなかった私は、数日後には完治していた。盛られた毒は後遺症が無い物を選別されたらしく、身体に支障が残らないようにとせめて配慮されたものだった。
本当は誘拐当日、私を毒でこっそり動けなくした後、誘拐(この際にルドにもこっそり連絡)。そしてルドが、離れの塔の隠し通路を使い、幽閉されたヴィッツ王弟殿下と誘拐された私が同じ場にいることを確認することで、確かな罪状を突き付ける…というものだった。しかし、予定外でヴィッツ王弟殿下が私に興味を持ち、襲おうとしたのを目撃したルドは、感情的にヴィッツ王弟殿下を刺してしまった。その剣が『グリエ』の愛剣だったのは、狭い隠し通路を通るのにいつもの剣では大きすぎて通れないからだとか。
その後、剣は綺麗に磨き抜かれて返却された。
それからひと月。今日も私は騎士団の特訓に精を出している。
混乱に次ぐ混乱のおかげで、完全に式の日取りは宙に浮いてしまっている。おかげで未だ『王妃未満』という私自身も宙ぶらりんな立場であり、王族としての執務をこなす権限も無く、なし崩し的に騎士団の特訓を続けている。
ガイアス元団長はその後僻地の警備任務を命じられ、王都を離れた。最後になるかもしれない姿を、私が目にすることは無かった。今は、副団長が団長代理をしているが、その後が果たしてどうなるやら。一部の騎士の間では、私に王妃兼団長になったらいいんじゃないかと、本気で思っている者もいるとか。絶対にごめんです。
…そして今。何故か私が剣を受けている相手は………ルド。
「私が勝ったら今夜私の部屋に来い」
あからさまな誘い。顔がひきつる私。真剣そのもののルド。
「一月もお前に触れていないんだ。そろそろ我慢ならん」
実はこの一月、ルドとは一切夜を共に過ごしていない。誘拐事件以降の数日は、毒が抜けきっていなかったので無理だった。ただ、毒が抜け切ってからもあの抱きつぶされた感覚が若干トラウマになり、なんやかんや理由を付けて拒否していた。一方で、拒否し続ければし続けるほど男は溜まるもの…というのは、私自身の『グリエ』の経験からも理解している。日数が長引けば長引くほど後が怖い…そのせいで今日も拒否、そしてまた溜まり、それがさらに恐怖を煽る……を繰り返していくうちに一月が経ってしまった。
そして今日。騎士団の特訓に介入し、わざわざ私との勝負にかこつけて夜の要求をぶつけてくるルドが、相当溜まっていることを理解し、引きつる。
剣戟の音が響き渡る。
「はっ!」
「おおお!」
ここで本気を出し、なんとか勝利をもぎ取ろうかとも考えた。連日の深夜業務でルドの動きは冴えが無い。勝てる見込みはある。
けれど、一方でここまでしてでも求められること自体は悪い気はしていない。
…ここが潮時なのかもしれない。ルドを拒否しているわけじゃない。行為への恐怖があるだけで、それがどうにかできれば…。それに、こうまでしてきたのになお拒否すれば、最悪…夜這いされるんじゃないかと危惧してしまう。
「…わかりました」
一歩引き、剣を鞘に収め両手を上げる。
「私の、負けです」
ヒューヒューと周りで茶化してくる声が聞こえる。それをぎろりとルドが一睨みで黙らせた。
「…どういうつもりだ?」
お望みの展開になったのに、ルドは不満げだ。聞かれると回答に困る。
ルドが一歩ずつ近づいて来る。そして、手が届く距離まで近づき、ルドの手が私の頬に触れた。その感触に、一瞬身体がびくりと反応する。その反応を、ルドは見逃さなかった。
「私が、怖いか…?」
それは、私よりもルドの方が恐れているように聞こえた。私の返事を怖がっている。ルドの手に私の手を添え、紅い瞳を見返す。
「ええ、怖いです。なので条件があります」
私の返事に表情を強張らせる。そんな条件なのか、不安でしょうがないといった顔だ。
***
その夜。かちりと何かがハマる音がした。音の出どころは手枷から。着けているのは…ルド。その手枷はベッドにもつながれており、つまりルドはベッドに固定されていることになる。
…間違っても、これからアブノーマルな行為に及ぼうというわけではない。結論として、ルドに好きなようにさせると私が抱きつぶされる。なので、ルドが好きにできない状態にすれば私も安心して行為に及べる、そう思った訳だ。
ただし、ルドが動けない以上すべての行為の主導権は私…というか、私から動くしかないので、まだ2回目ですることじゃないと少し後悔している。
既にルドの上半身は何も身に着けていない。けれど、下半身はまだズボンを履いたまま。だから、このズボンを脱がすのも、そして私自身の準備もすべて私がやらなくちゃならない。
それがわかっているからなのか、ルドはさっきからずっとニヤニヤしている。手が動かせない状況なのに、私に主導権を握られているのに、その余裕が憎たらしい。
(いっそこのまま放置してやろうかしら)
「いっそこのまま放置してやろうかしら」
…心の声がそのまま出てしまった。しかし、それを聞いたルドはその表情を一変、凶悪な笑みに変えた。
「そんなことをすれば枷を引きちぎってお前を抱く」
いや、いくらなんでも鉄製の枷を引きちぎるのは無理でしょ。
…そう思ったけれど、その先のベッドは木製だ。ベッドを破壊して襲い掛かられる……十分にありえそう。背筋に悪寒が走った。
「冗談です」
そう言ってごまかす。とにかく、このままではいつまで経っても終わらない。まずは……と、ルドの下半身に視線を移す。
「………」
「さぁ、早く脱がせ」
まだ何もしていないのに既に大きく盛り上がっている『そこ』に、私は不安と緊張のため息を隠せなかった。
***
「素晴らしかったな」
「…ソウデスネ」
一通りの行為が終わり、今は二人でベッドに並んで寝ている。ルドの枷は外した。外したからと言って襲い掛かるようなことをすれば、二度と夜を共にすることは無いと釘を刺して。
「実にいい眺めだった。シセリアの身体を、こんなにもじっくりと眺めることができて実に興奮したぞ」
「…ソウデスカ」
…行為中、前よりも大きかったんじゃ?と思ったのは間違いじゃなかったかもしれない。
「月明かりに照らされたシセリアの裸体はまるで月の女神のようだった。絵師に描かせて永久に保存したいな」
「フ・ザ・ケ・ル・ナ」
「冗談だ。この美しい身体を他の誰にも見せん」
そう言って私の身体をその二本の逞しい腕で抱きしめる。…それだけならいいけど、その一本がこっそり私のお尻のあたりに伸びてきたところで手の甲を抓る。
「約束、破るんですか?」
「冗談だ」
腕が戻っていく。
なんだろう……愛しい人(?)に抱きしめられて安心するはずなのに、全然安心出来ない。警戒心が解けない。行為の余韻に浸ることもできず、心が緊張したまま。
「…不満そうな顔だな」
私の顔を見下ろしたルドがぽつりと呟く。
「私とするのは……そんなに嫌か?」
不満げな…というよりも、不安そうな問い。
空いた期間はひと月。そして、行為を終えた後の私の表情を見ればそんな風にも思ってしまうかもしれない。
…嫌じゃ、ない。嫌じゃないけれど……何かが違うと、私の中の何かが訴えている。
求められて嫌なわけじゃない。むしろ嬉しいくらい。なのに……素直にそれを喜べない。
「……………」
どう答えていいかがわからない。もやもやとしたものがはっきりと言葉にならない。そんな状態で、私の口から出た言葉は、自分で凍り付くほどだった。
「ルドは、『誰を』愛しているの?」
「…!」
誰を。
そんなの分かり切っている。
私だ。
私?
私って…誰?
シセリア?
それとも…
『グリエ』?
…そうだ。ルドははっきりと、『グリエ』を愛していたと、私に言った。だから私は…私も、『シセリア』も愛されていると思っていた。いや、勘違いしていた。
でも、そうだ……私は、もう『グリエ』じゃない。生まれ変わりであって本人じゃない。いくら『グリエ』の記憶があっても、もう私はルドが愛した『グリエ』じゃない。
だから、彼が見る私は、『女の身体を持ったグリエ』なんだ。そこに、シセリアは…いない。だから……身体を重ねても、何も満たされない、伝わってこない。彼の想いは…『グリエ』に向けられているから。
それに気づいた瞬間、心が……闇に堕ちた気がした。
王妃に選ばれる前だったか、愛されない覚悟を決めた。愛は無く、ただ世継ぎを王族としての義務をこなすことになるだけだと。
そんなことはなかったと、愛されていると勘違いをした。
そして今。何の覚悟も無いままに、現実が突き付けられた。突き付けられた現実は、太く、長く、心に深く突き刺さった。
「私は、シセリアを愛している」
ルドの言葉は、もう私の心には届かなかった。ただの雑音…いや、空気の振動でしかない。
「そうですか」
ただそれだけを返した。その言葉は、とても空虚な響きがした。そして、抱きしめる2本の腕を除け、私はルドに背を向けた。
股間から漏れ出たルドのそれが冷えて冷たく感じるように……私の心も冷たくなっていた。




