23話
思わぬ事件により闘技大会は中止となった。そのまま、団長への尋問が始まった。そして事件の全容が明らかとなった。
事件の首謀者はヴィッツ王弟殿下。ガイアス『元』騎士団長に嘘の情報を流し、彼が私を慕っていた心を利用し、今回の事件を引き起こさせた。幸い、この事件に騎士団に所属する騎士全員が加わっていたわけではなかったため、被害は最小限で済んだ。一部は団長の語る内容に疑問を感じ、体調不良を理由に拒否していたのだ。その大半がかつて私と手合わせをしたことがある者達なのはきっと偶然じゃない。
そして、このことをヴィッツ王弟殿下へ問い詰めるも、当人は事実ではなく噂で聞いただけだと容疑を否認。
「私は王宮内で聞いた噂を団長に確認がてら話しただけです。それとも、陛下は噂だけで私を罰する気ですか?」
あくまでも唆したこともなく、扇動したこともなく、ただ噂を話しただけ。ただそれだけだと他に弁解の言葉を述べることもせず、繰り返すばかり。
当然、そのことを知ったガイアス元団長は怒り狂った。
「そんなはずはない!殿下は俺が陛下を殺しても罪は問われない!それどころか政治を私利私欲で支配する暴君から民を解き放った英雄となり、そし…て……」
そこから続く言葉は、さらに私を落胆させる。
「…君が…良ければ、褒美として…シセリア様を……私にくださる…と」
呆れてものが言えないとはこのことだった。私を褒美扱いするヴィッツ王弟殿下も、それに喜ぶガイアス元団長も。しかし、これで明確にヴィッツ王弟殿下が陛下殺害を扇動し、その褒美まで約束していたことが明らかになった。
しかし、ヴィッツ王弟殿下はそれすらも否定。ガイアス元団長の妄想だと一蹴。挙句、『犯罪者』の妄言を真に受けるなどなんと嘆かわしいと陛下を愚弄までしてきた。
結局、ヴィッツ王弟殿下を首謀者扱いにはできなかったが、事件のきっかけを作り、ただの噂をその立場ながらに口にしたのは許しがたい行為だとし、王宮内の敷地の外れにある塔に幽閉されることとなった。
そして、事件首謀者のガイアス元団長は牢獄での幽閉、後に処刑する予定となった。すぐに処刑とならなかったのは、今は陛下に王妃となるものが決まっためでたい時期であるとし、結婚式を執り行い、時期が落ち着くまでは保留とするものだった。
しかし、この事件により、騎士団は大きな再編成を迫られる。所属騎士の1/3が今回の事件による幽閉もしくは除隊の上領地での謹慎となった。王宮内警護を行う騎士不足、そしてその最高責任者の不在により、人事は混乱を極めた。それは同時に、そのほとんどが貴族の子息であったために貴族内での力関係にも影響を及ぼし、王宮の内外で混乱をきたした。
結果、この混乱が落ち着くまでは結婚はお預けということに。
そうして慌ただしい王宮内で、私はこれといってすることもなかった。なにせ未だ身分は王妃候補のチェスティス家令嬢。正式に結婚式を挙げるまでは、王族の一員としての執務に関わることは許されず、もちろん事件の処理に関わることもできない。
なのでぶっちゃけ暇でした。
だったのだけれど、いい暇つぶ…もとい、気がかりだったことについて陛下に打ち上げたところ、陛下も気になっていたということで正式に許可が下りた。その許可とは…
「遅い」
「ぐへっ!」
また一人、挑んで…否、挑ませた騎士が地面に転がった。
気がかりだった点、それは…騎士の弱体化。先日の騎士団の謀反は、一歩間違えば大事件となるところだった。その一歩が届かなかったのは…ひとえに騎士団が弱かったから。最初こそ不意打ちで親衛隊の何人かが負傷したが、結局まともに手傷を負わせられたのはそれだけ。以降は、親衛隊の圧勝だった。
明らかに弱い。全員と対峙したわけではなく、また『グリエ』の頃の感覚から、精鋭として揃っていた親衛隊に比べれば力量は若干劣ってもしょうがない。その認識だった。しかし、今回の事件で、明らかに騎士団が弱いことがわかった。
これでは、万が一敵の侵入があった場合、騎士団にその敵の排除は可能なのか。それすら疑問視された。確かに、騎士にも一部実力者はいた。が、その大半が今回の事件に関わったため、騎士団は数も質も大幅に低下した。騎士団の再編、そして質の向上は急務だ。
かといって、騎士団長は不在。副団長はその管理能力を買われてだったので、剣の腕はひどいの一言。親衛隊は陛下の警護とその雑務に追われている。結果、私自らの申請と陛下の意向も相まって、騎士団の特別訓練任務という新たな仕事が生まれた。
そして今。今いる騎士の実力を測るため、一人一人相手をしているわけなのだけれど…
「…よくわかりました。あなた方の実力が」
盛大なため息とともに私は言った。その言葉を受け止めるべき騎士たちはそろいもそろって地面に転がっている。いい加減最初に転がった人くらいは起き上がって欲しい。
どうしたものかと思ってしまう。
徹底的にしごき上げるのもありだけど、しょせん私がやっているのはこの混乱の中でのわずかな期間での任務。正式に王妃となればこのようなことはできない。
「…いえ、そんな、王妃様に本気で剣を向けるなんて……」
「へぇ…?」
ようやく起き上がってきた一人がそんなことを呟く。これは聞き捨てならない。王妃(予定)だから本気を出せないなんて話にならないし、まして自分の実力不足をそんな言い訳で誤魔化すなんて許しがたい。
なので嬲りました。徹底的に。
骨や内臓には損傷を与えず、でも徹底的に。最初こそ大人しくやられていた騎士たちも次第に反抗するようになってきたけれど、そもそも実力差が違う。どんなに本気で向かってこられようとも一撃で蹴散らす。次第に誰も起き上がらなくなってきた。
そして、全員誰も立ち上がらなくなってきたときに止めの一言。
「私より弱い者に守られたくありませんね」
そう言って私は訓練場を去った。
***
「……やりすぎだ」
はぁ…とため息をつく陛下。場所は陛下の私室。騎士たちに仕置きをしたその夜、連日深夜まで執務を続けては身体を壊すと部下たちに無理やり部屋に戻らされ、久しぶりにできた私的な時間を過ごすのに、呼びつけられた私。
一度夜着には着替えていたものの、すぐにゆったりとした青のワンピースに着替え直す。間違っても夜着のまま行く気は無かった。
なお、座る位置はテーブルを挟んで向かい側。さすがに陛下もお疲れの様で、私に隣に座るように催促してくる余裕も無い。
そうして、私の手づから淹れた紅茶を一口飲んだ陛下の放った最初の一言がそれだった。何がやりすぎかはすぐにピンとくる。
「だらしなかったので、つい」
「つい、で全員を病床送りにするんじゃない。重傷者はいないようだが…」
「加減しましたので」
「…だろうな」
陛下が席を立ち、戸棚に向かう。戸棚からは瓶を一本持ってきた。
「ほどほどに」
「お前も飲め」
いつの間にかグラスも二つ用意されており、どちらにも琥珀色の液体が注がれていく。お酒を飲んではいけないわけでもないけれど、正直気が進まない。
「乾杯」
「…乾杯」
カチンとグラスの音が響く。ゆらゆらゆれる琥珀色を、陛下は一気に流し込んだ。私も、ついばむように一口だけ口に含む。瞬間、濃厚な香りが鼻を抜ける。ついで喉を通すと焼けるような感覚。
「…そんな一気に飲み干してはもったいないですよ」
瓶の装飾、芳醇な香り、喉の灼ける具合から分かる度数。どれをとってもかなりの高級品だ。飲み慣れていない私でもわかるくらいに。しかし陛下は瞬く間に次を注ぎ、そして飲み干す。
「祝杯代わりだ。再会と……結婚に」
そう言われ、顔が少し熱くなる。お酒のせいではないことははっきりわかった。しかしそれ以上に陛下の顔が赤い。かなり酔いが回っている。空になったグラスに酒を注ぎ、それを手にするとやおら立ち上がった。
…次に陛下がどう動くのかは予想できた。予想したうえで……私はまた、一口だけ酒を飲む。それを見た陛下はテーブルを回りこんで、私の隣に腰を下した。私は、そのまま。
「…逃げないのか?」
赤い顔のまま、けれど声色は少し怯えてもいるようだった。
陛下のため、だけと言ったら嘘になる。『グリエ』だということも明かした今となっては、王妃予定という立場もあり、遠慮はもうない。何かしようものなら遠慮なく反撃できるし、それに……私自身、今はそこまで拒否する気持ちはない。
「変なことをすれば叩きのめします」
「…冗談に聞こえないから怖いな」
そうは言いつつ、陛下は距離を詰めてくる。
互いの脚が触れ合う距離。ずいぶん大胆に攻めてきたと思いつつ、まぁいいかとも思う。
「………」
「………」
沈黙が場を支配する。私の持つグラスの液体はほとんど減らず、陛下の持つ3杯目のグラスはもう半分もない。その残りを一気に煽ると、陛下はすぐさま次を注ごうとした。
「もう終わりです」
しかし、瓶に伸びた手は空を切る。私が瓶を取り上げたから。もの言いたげに黙って私を見つめる陛下。それを毅然と見返す私。これ以上はもう飲み過ぎだ。しかし次の瞬間、陛下の手が伸びたかと思うと、私の飲みかけのグラスを奪い取られていた。声を上げる間もなく、またもや陛下はそれを一気に煽った。
「…ん……はぁ…」
さすがに酔いが回ってきたのか、陛下は背もたれに身体を預けた。頃合いかなと思いつつ、酒よりも水だなと、水差しを取りに立ち上がった。
「どこに行く?」
その私の腕をすぐさま陛下が掴んでくる。それは、立ち上がった私への不満でも怒りでもなく、迷子になることを怖れる子供のようで……
(不安…なのかしら)
無理もない。国を守るべき騎士団の謀反。それを裏で操った実弟。この非常に不安定な状況下で、常に毅然として立ち向かうには陛下はあまりに味方が少ない。その中で、最も支える立場になる人物がこれまでいなかった。そこに現れた、私という存在。
いくら王といえど、所詮は人の子。完璧でいられ続けるわけがない。そんな彼を、一人の人間として看てあげるのも、私の役目だろうか。
実年齢だけで言えば、陛下…いや、キラルドとは倍近い差がある。下手をすれば親子ほどだ。けれど、心で言えば私はキラルドよりも年上かもしれない。だから…
「水差しを取ってくるだけよ」
掴む手にそっと手を掛けると、思いのほかあっさりと離された。足早に水差しへ向かうとその手に取ってすぐに戻った。私が隣に戻ってきたことに、キラルドはわかりやすくほっとしていた。
(ほんと…変わらないわね)
苦笑しつつ空になったグラスに水を注ぎ差し出せば、キラルドは黙って受取り飲み干した。
「陛下」
「キラルド……いや、ルドと呼べ」
心の中ではとっくに名前呼びしていたと内心苦笑しつつ、要望にお応えすることにした。
「ルド…」
手を伸ばし、ルドの首へと腕を回す。私の行動にルドは目を瞠り、動けないでいる。そのまま、私は顔を寄せていき……頬へと口づけをした。
ゆっくり離れると、動けないでいたままの陛下はその表情を不満げに曇らせた。その不満そうな顔が面白い。
「…そこじゃないだろう」
「じゃあ……どこですか?」
わざとらしく、いたずらっ子のように微笑む。ちょっとしか口にしなかったのに、私もずいぶん酔っているのかもしれない。もしくは、大量に飲んだルドから漂う酒気に酔わされたのかも。でも、どっちでもよかった。
私の挑発に、ルドはニヤリと口を歪めて乗ってきた。
「誘ったのはそっちだからな」
「まぁひどい。私のせいにするなんて」
クスクスと笑えば、ルドも笑う。そして、すぐに私の顎に指を添えてきた。その行為が何の前触れなのか分からないほど初心ではない。ずいぶんとせっかちだと思うとさらに笑みがこみ上げてくる。
「そんなに可笑しいか?」
「はい」
「散々拒否されてきたんだ。少しくらい急いだっていいだろう」
そう言い終えると同時に、ルドの唇が寄せられてくる。そっと目を閉じると、ほどなくして唇に何かが触れる感触がした。伝わる熱に、その何かは今更確認するまでもない。
それが離れ、唇が少し寒さを感じたところで目を開ける。
「柔らかいな……いつまでも触れていたい」
そんな感想を寄せられても困る。ついにしてしまったことに、徐々に恥ずかしさがこみ上げてくる。その恥ずかしさを誤魔化すように、私からも感想を告げる。
「お酒臭いです……もうしなくていいかもしれませんね」
「顔が赤いのは酔っているからか?」
「そうですよ」
「なら、次は素面のときにするか」
「その時は逃げますよ…んん!」
完全に油断していた。先ほどと違い、強引に交わされた口づけは目を閉じる暇すらなく、目の前にルドの顔がある。今自分が何をされているのかをまざまざと見せつけられていた。
「んぅ……ふっ……」
息苦しく、鼻で息を吸い込むとさらに強い酒気が飛び込んでくる。そのあまりの強さに、このためにわざわざ何杯も煽ったのではないかと疑いたくなってくる。
まだお酒には慣れていないせいなのか、それとも元々お酒に弱いのか、酒気だけでもどんどん自分が酔っていくのが分かる。
完全に調子に乗ったルドは次の行動に移る。
「んん!?」
酔い始めて緩んだ唇から、にゅるりと何かが忍び込んできた。それが陛下の舌だと分かり、咄嗟に押し返そうと私も舌を動かした。しかし、結果的に絡ませることになってしまったと気付いたのは、口の端から唾液が零れそうになってからだった。
しかしその頃にはもう、舌と舌を絡ませる官能的な行為に、お酒とは別の意味で酔いしれてしまっていた。温かくて柔らかく、時には固く。そして意思を持って口中をなぞられたり、唾液を絡ませてにちゃりと粘液を響かせたり。舌にはルドの口に残った酒のわずかな苦みが感じられる。鼻にはお酒の芳醇な香りと、汗ばみ始めたルドの汗と香水の入り混じった香り。そんな私の目には、ルドがしっかりとこちらの目を見返している。その目には、かつて押し倒されたときに感じた、情欲の灯がしっかり灯されている。
視覚も、聴覚も、触覚も、味覚も、嗅覚も五感すべてで感じさせられ、その底なし沼に陥ってしまったかのような錯覚に抜け出せない。いつの間にか後頭部にはしっかりルドの手が回され、引き剥がそうとしても、酔っている今ではそれも叶わない。動かせるのは舌だけ。
本気で抜け出したければ、いつものように手の皮膚を抓ればいい。けれど、それすらできない。……いや、しようとしなかった。頭の芯まで染みわたる官能の酔いは、私にいつまでもこの行為を堪能させた。
「ん…ふっ……んあ……」
密着させた唇と唇の間から漏れる声が、自分のものだとは思えないほどに上ずっていた。時折かかるルドの吐息に肌をくすぐられると、それだけで改めて強烈に行為を認識させられる。
しかし、慣れない行為は思った以上に疲れ、段々舌が動かなくなってきた。私からの動きが減ってきたことに気付いたルドは、ようやく唇を離した。
いやらしくも、二人の間に唾液の橋がかかり、ランプの光に照らされ輝く。その橋が切れ、ルドは自分の口周りを舌なめずりして舐めとる。そんな行為を間近で見て、私の口周りも唾液まみれになっているのに気付き、その行為を真似していた。
「そこまで私を誘惑して……もう止まらないぞ?」
私の行為はルドの情欲の火にさらに燃料を投下してしまった。何を?と聞くほど初心じゃない。押し倒されたときと同じ状況。なのに、今はあの時のような恐怖を感じない。酒と官能によって恐怖の感覚が鈍り、さらにあの時と違い、私もその気になってしまっている。
行為に対する恐怖はもちろんある。けれど、一方で行為への好奇心、興奮、そしてなにより……ルドを受け止めたいという心。心だけではなく体で…受け止めてあげたいと思った。
「大丈夫。……ちゃんと受け止めてあげるから」
言葉だけでなく、両腕をルドの体に回して抱きしめ、伝える。ただ性欲としてだけじゃない。ルドと心と身体をつなげる行為として、したい、と伝わるように。
「…優しくする。だから……受け止めてくれ」
ルドの腕が、私を優しく、しっかりと抱きしめてくれる。そしてその腕が、私を立たせ、抱き上げてくれた。その足が進む先は……寝室。一歩一歩進む足は、急がず焦らず、しっかりと床を踏みしめている。
そして……月明かりが差し込む寝室の中で、私はルドを受け入れた。




