2話
「……もう一度伺います。本気なのですね」
「はい」
場所は王宮、騎士訓練所の一角。
全ての騎士をまとめる、騎士団長。
その補佐を務める副騎士団長に問われ、私は頷いた。
騎士になると家族に宣言した日。
それはもう、猛反対された。
特に母から。
次いで兄から。
意外にそれほどでもなかったのが、父と姉たちだ。
日頃から素振りをする私の姿を見ていた父と姉たちは、いつかそういうことを言い出すだろうと予測していたらしい。
その現実を見て見ぬふりをしてきた母と兄は、どうしても認めようとしなかった。
が、一向に折れるつもりがない私に、ついに母と兄も折れ、母は条件付きで騎士になることを許した。
一つ、髪は絶対に切らない事。
二つ、許すのは今回のみ。もし、今回入団が叶わなかった場合は諦めること。
私は素直にこの条件を呑んだ。
髪を切らないのは正直邪魔くさいのだが、その程度ならばと。
二つ目についてはあり得ないと確信していたから。
前世とはいえ、元親衛隊副隊長まで上り詰めた。
その絶対の自信からだ。
そして、父から紹介状を書いてもらい、今に至る。
「…分かりました。チェスティス侯爵の紹介である以上、あなたには一定の教養があることは認めます。ですが……その……」
言い淀む副団長。
彼が何を考えているかはわかる。
「女性…の騎士は、過去前例がないので」
そう、これまで女性の騎士は存在したことがない。
当然、訓練所も宿舎も、全て男性を前提とした作りだ。
それはグリエの頃からよく知っている。
…その規則も。
「ですが、女性を禁じているわけではありません」
「それはそうですが…」
騎士団は、わざわざ女性を禁じているわけじゃない。
単に、今まで女性が入ってこなかっただけだ。
だから、そこを突いた。
「規則にないのであれば、断る理由にはなりませんね?」
「…そういうあなたこそ、わかっているのですか?騎士団には男しかいないんですよ?」
それもよくわかってる。
ただ、彼の思っていることと違い、全員が全員女性に興味があるわけじゃないということも苦い記憶から知っている。
「返り討ちにします」
微笑んで言い放てば、副団長は頬を引きつらせた。
「ですが、さすがにこれは私の一存で決定できません。一旦…」
「いいんじゃねーの?」
そう言って姿を現したのは現団長。
あれから16年も経っているため、私が知っている団長ではなかった。
もちろん副団長もあのころとは違う。
ガイアス・アドラー団長。
侯爵位を継ぐ、国内有数の貴族だ。
私が『グリエ』だったころはまだ平の騎士だったが、ずいぶん出世したようだ。
…『グリエ』の頃の苦い思い出の相手でもある。
「…よろしいのですか?」
「宿舎は侍女んところのを間借りさせてもらえばいいだろう。女だからって甘く見てると痛い目見そうだし、そっちの心配はいらんだろ」
なっ?と白い歯を広げて呆れるくらいに豪快な笑みを見せてくる団長に、私も微笑んで返した。
もちろん、と。
が、何故か団長はそっぽを向いてしまった。
「……あー、これは何人か本気になりそうな奴いるな」
「そう…ですね」
「はい?」
団長の言葉の意図が分からず首を傾げると、「わからなくていい」と言われてしまった。
場所を変えて訓練場に連れてこられた。
ここで実際の剣の腕を見ることとなる。
渡されたのは普通の木剣だ。
本当なら細剣がいいのだけれど、これでも問題はない。
早く始めてほしい。
そう思っていると、途端に待機所の方が騒がしくなってきた。
そして、その待機所から現れてきた人に驚く。
「で……陛下?」
危うく殿下と言ってしまいかけたが、もう違うと言いなおす。
現れたのはかつての殿下。
今はもう王位を継ぎ、名実ともにこの国の国王となったもの。
…かつて、私が…『グリエ』がその命を賭してでも守り抜いた存在。
キラルド殿下のの16年後の姿がそこにあった。
『グリエ』が死んだのは当時25歳のとき。
そのとき、キラルド殿下はまだ15歳。
将来を期待され、いずれは親衛隊隊長確実視されていたが、その人生はたった25年で閉じた。
そのことに、まったく後悔は無かった。
いや、正確には、後悔することが無かった。
まだ生まれ変わった当時は、自分の周囲の状況を確認するだけで精いっぱいだった。
……私が死した後の、殿下の状況が分からないでいた。
襲撃した賊こそ撃退したものの、その後の殿下の無事を確認できずにいた。
それが唯一の心残り。
けれど5歳になり、ようやく周りの状況を知ることができる段階になったとき、ある一報が届く。
『キラルド殿下が王位を継ぎ、国王となられた』
この報は彼が無事に生き延びたことを教えてくれたものだった。
その瞬間、私は『グリエ』の唯一の心残りが消えたことを悟った。
そして、私は『シセリア』として生きていくことを決めたのだ。
キラルド殿下の16年後の姿。
もう少年の面影はなく、恐ろしいぐらいに整った容貌ながら、その眼光は鋭い。
流した金髪は肩口で切り揃えられており、陽の光を受けて輝く。
鍛え上げたのか、服の上からでもわかるくらいに筋肉が隆起している。
私自身が『グリエ』よりも小柄なのもあるけれど、キラルド陛下はあのころよりも身長が伸びている。
その手にしている木剣が、私と同じサイズのものなのか疑ってしまうくらいに縮尺がおかしく見える。
かつてまだ少年だった殿下が、31歳になり立派な大人となったことに感動すらした。
逞しく、雄々しい姿は王としての貫禄が漂う。
だが、一方で何故ここに現れたのか疑問だ。
「騎士になりたいという女がいると聞いてな。私直々にその腕を見てやる」
陛下のまさかの言葉に、私はまた驚いた。
陛下直々に腕を見る?
というかそこまでの剣の腕はあったかしら?
当時の私の記憶では、陛下…キラルド殿下の剣の腕は大したことなかった。
仕合を始めれば、5秒後に殿下の手の中にあったはずの剣が宙を舞う。
その程度だ。
「しかし陛下!」
必死に止めようとするガイアス団長。
だが、その団長に向かって陛下は信じられない言葉を放った。
「私より強くなったら止められてやる。どうした?止められるのか?」
「っ!」
その言葉に団長は言葉を詰まらせる。
一瞬、何を陛下が言ったのかが分からなかった。
私より強くなったら?
それはつまり、陛下は騎士団団長より強いということ?
しかし、いくら団長といえど、陛下相手には手を抜くしかない。
だから勝っている、そう勘違いしているだけでは?
そう思ったのだけれど…
「………」
言葉を詰まらせたままの団長の表情は、口を閉じ、その瞳は悔しさを滲ませている。
護衛する対象より弱い。
それが事実であることが伺える。
まさかの事実にただ驚くしかなかった。
沈黙を肯定と受け取ったのか、陛下は私へと向き直る。
その口元は面白がっているのか、口角を上げてにやりと笑う。
「名乗れ」
「シセリア・チェスティスでございます」
「チェスティス家の娘か。さぁこい」
本当にいっていいのだろうか?
ちらりと団長を見ると、苦渋の表情のまま頷いた。
止められないということか。
ならばと、陛下へ向き直り…
「!?」
こい、と言った筈の陛下がこちらに突進していた!
「よそ見とはずいぶん余裕だな!」
瞬きで5mはあっただろう間合いを詰められていた。
その速度に驚くけど、振りかぶりは決して速くない。
…やはり女と侮っているのか。
その表情は明らかに『遊んでいる』のが分かる。
振り下ろされる木剣。
その刃を受け止めるように剣を構え……交差した瞬間に力を抜く。
「!」
思った抵抗が無いことに陛下が驚愕する。
陛下の剣の軌道から身体を逃がし、けれど手にした木剣はそのまま。
体勢を崩した陛下に向け、そのまま木剣を陛下の木剣の側面を滑らせるように振る。
「………」
「………」
振り下ろした体勢のままの陛下。
その首元に、私の持つ木剣の刃が添えられる。
二人の距離はとてつもなく近い。
陛下の耳元で、私はそっと囁いた。
「見た目で侮ると大けがしますよ。……陛下」
刃を首元から外し、一歩下がる。
「まさか……陛下が…」
「負けた!?」
周囲で見ていた騎士たちから驚きの声があがる。
負けた、とはいっても明らかに本気ではなかったのがわかる。
最初の接近こそ本気だったかもしれないが、直前の余所見で所詮と侮った。
それが陛下の敗因だ。
まして、これは騎士団に入れるだけの腕前があるかどうか。
だから、本当の意味での負け。……ではないのに…
「…ああ、私の負けだ。が……」
再び木剣を構えた陛下。
けれど、その気迫が明らかにさっきと異なる。
「気が変わった。本気でやれ」
「えっ?…ですが、これは騎士団に…」
「それは合格だ。私が認めてやる」
「なら…」
「お前の本気が見たい」
私を見据える眼光は、先ほどと比べ物にならないくらい鋭い。
さっきまでが余裕ある勝者のものならば、今は飢えた野獣だ。
『喰らう』気で来る。
「行くぞ」
剣を構えた陛下。
放たれるプレッシャーは決して冗談ではないことを感じさせる。
(何でこんなことに…)
戸惑いながらも、再び剣を構える。
もうさっきのような不意打ちは通用しない。
あの筋肉から放たれる斬撃は、今の私では一秒とて受けてなどいられないだろう。
かといってかわせなければ、骨の一本や二本は覚悟するべきだ。
本気でやらないといけない。
(来る…!)
そう思った瞬間、二人の間に割ってはいる影。
「そこまでです、陛下!」
団長だった。
陛下に向き合い、止めに入ってきてくれた。
「邪魔だ、どけ」
「どきません。このままでは将来有望な騎士が潰されてしまう」
「………」
「………」
しばしにらみ合う二人。
先に緊張を解いたのは陛下だった。
「…白けた。私は戻る」
そう言って陛下は訓練所を後にした。
一気に周囲の緊張も解けていく。
「…ふぅー…」
向き合っていた団長も相当緊張したのか、大きく息を吐いた。
「すみません、私のために…」
「いやなに、かわいい部下のためならこれくらいするさ」
ニカッと笑うその顔に、どことなく親しみを覚える。
ありがとうございますと礼を言うと、何故か視線を逸らされた。
「団長?」
「……あとは副団長に任せるな」
そう言うと団長は足早に去っていった。
どうしたんだろうか?
「あれ?団長、顔真っ赤ですよ」
「あっれー、もしかして団長…」
「うるさい!」
団長の去った方向から何やら聞こえてくる。
(顔が真っ赤…風邪だったのね。悪い事をしたわね)
後で見舞いの品を持っていこう。
そう思いながら、手続きの為に副団長の下へと向かった。