16話
襲撃してきた者たちが何者なのか。
それは、陛下が率いてきた騎士団に委ねられた。
そして、新たな護衛の中、私は再び馬車に乗り、王宮へと向かった。
王宮に着くや否や、私はあっという間に侍女たちに連れ去られた。
事前に陛下から手筈されていたようで、待ち構えられていたのである。
…まぁ確かに、激しい戦闘でスカートを自ら切り裂いたり、泥だらけになったり、見た目は散々だ。
かすり傷でも生傷を負わなかったことは不幸中の幸いだった。
しかし、だからといってそんな恰好で王宮内をうろつけるわけもなく。あっという間に服を脱がされ、湯船に投げ込まれ、清められ、真新しいワンピースに身を包むこととなった。
陛下に投げ渡された『グリエ』の剣は、なし崩し的に持ってきてしまった。今は宛がわれた王宮の一室の、部屋の片隅に立てかけられている。
本当は、到着したらすぐ神殿に向かうはずだったけれど、襲撃事件で事後処理が発生してしまい、陛下含め処理に追われている。
なので、手持無沙汰の私は『グリエ』の剣を手入れしていた。
既に手入れはされており、血糊は拭われている。
けれど、かつての愛剣が再びこの手に戻ってきているのは純粋にうれしかった。
見慣れた、けれどいつ見ても美しいと思う装飾に、まっすぐで煌めく刀身。
骨や鎧にぶつけたことのない切っ先は、その鋭さを維持したまま。
「綺麗なままね…」
そのあまりの綺麗さに、当時ずっとその剣に魅せられていた『グリエ』は一部では危ない人間扱いされていた。
…確かに、刀身をうっとりと眺める様は、近寄りがたい雰囲気もあったかもしれない。
と、ノックの音が聞こえた。
「はい」
「私だ」
陛下の声だった。
「入るぞ」の声と同時に扉が開く。
私は剣を鞘に仕舞い、立てかけ、立ち上がる。
「…すまない。お前を危険な目に合わせた」
開口一番の謝罪に、私はどうしたものかと頭を巡らせる。
襲撃事件が、はたして陛下のせいなのか、そうでないのか。
もともと陛下に謝罪を要求できるわけなどないし、かといって謝罪を受けるということも難しい。
「いえ……」
私は無難に、そう返すしかなかった。
「疲れてはいないか?」
「…多少は」
重いドレスを身に纏い、中にも衣服を纏った状態で動き続ければ疲労も出てくる。
湯船につからせてもらったとはいえ、そう簡単に疲れは取れてはいない。
しかし、それは陛下も同じはずだ。
「陛下もお疲れでは?」
「気にするな。それより……早急に用件を済ませたい」
「……はい」
要件…とは、神殿に赴くこと、宣託を受けることだ。
私が、陛下の王妃として相応しいか、判定される。
ドクン、と鼓動が跳ねる。
もし、何も知らないままなら、選ばれるのか選ばれないのか、ただどちらかだけだ。
それだけで済んだ。
けれど、私は違う。
私は、かつて『グリエ』が選ばれたことを知っている。
そして、選ばれた者は既に亡くなっている。
以降、誰も新たな王妃は選ばれていない。
何者も、キラルド陛下の王妃となることはない。
私が、『シセリア』が選ばれることはない、はず。
神殿に赴くために正装に着替えた。
実家から持ってきた白を基調とした華美な装飾を控えたドレスに、髪は簡単に編み込む程度。
首元まで覆うデザインは、夜会で男を誘うような色気は微塵もない。
陛下の伴侶か否か、ただその宣託を待つ純白の令嬢として。
陛下に続いて、神殿へと向かう。
以前に陛下と大勢の令嬢が連れ立って神殿へ向かっていたのを思い出した。
今は私だけだ。
道中、誰も声を発しない。
キラルド陛下も、護衛の親衛隊も、お付きの神官も、私も。
やがて神殿に辿り着くと、あの例の間『宣託の間』に向かった。
既に待ち構えていた大神官。
かつて、『グリエ』が立ち会った際の大神官とは別の方だ。
既に高齢で、辞したらしい。
太陽が真上に上る正午を、もうすぐ迎える。
正午になると、神殿の最頂点に開け放たれた窓から降り注ぐ光が、宣託の間の中央にある水晶を照らす。
そして、その水晶で光が屈折し、陛下と、王妃となるものを指し照らす。
その時を、私は徐々に激しくなる鼓動を感じながらただ静かに待った。
隣に立つ陛下も、その顔つきは険しい。
(もし……)
選ばれたら…選ばれなかったら……
もう間もなくその結果は分かるのに、そこに何か不安を感じているかのように思考が巡る。
選ばれたらどうしよう。
選ばれなかったらどうしよう。
光が徐々に水晶へと向かう中、そんな不安がピークに達した時。
正午を迎えた。
「っ!」
「!!」
水晶へと振り注いだ光。
まぶしくも暖かいその光は、陛下を……そして、私を…『シセリア』を照らした。
その光景が『見える』大神官は驚愕の表情で、そして陛下は…どこか安堵したような表情だった。
そして私は……
「なん…で……」
かつて『グリエ』を指し照らした光。
何故その光が、私を照らすのか。
「どうして…」
意味が分からない。
宣託は、選んだ者が無くなると別の者を選ぶのか?
そんな疑問につい口を滑らせた私のつぶやきを、陛下は聞き逃さなかった。
安堵したはずの表情を、再び険しくさせていく。
「っ!」
陛下の手が、私の腕を掴む。
その険しい表情のまま、私を見下ろす。
「陛下…?」
何故掴まれているのか、それがわからず困惑する私に陛下は言った。
「どうして、とはどういう意味だ?私の王妃になりたくないというのか?」
「それ、は……」
陛下の言葉に親衛隊の面々がざわつく。
彼らには理由は分からないが、言葉から私が陛下の王妃に選ばれたというのは理解したからだろう。
けれど、私の困惑は別にあった。
王妃になりたいとか、なりたくない、ではなく。
「だって、選ばれたのは『グリエ』…っ…!」
気づいたときにはもう遅かった。
咄嗟に自分の口を手でふさぐも、陛下の顔はみるみる険しくなっていく。
絶対に陛下の前で出してはならない名前。
それも、この場では絶対にまずいのに。
「大神官、見ての通りだ。王妃は決まった」
「え、ええ、はい、その通りですね」
「手続きを進めておけ」
そう大神官に指示を出すと、陛下は掴んだままの私の腕を引き寄せると、あっという間に抱き上げてしまった。
「陛下!?」
突然の陛下の奇行に親衛隊の面々も動揺する。
陛下の顔は険しいまま、その放つプレッシャーに私は何も言えずにいた。
「二人だけで話をする。貴様らは外せ」
言うや否や、陛下はずんずんと進んでいく。
「お待ちください!その…婚前に相応しくないことは…」
「しないわ馬鹿者!」
抱き上げられたまま向かった先は陛下の私室だった。
扉の前に立っていた護衛も下がらせ、中に入ると私はゆっくりとソファーに下ろされた。
そのすぐ隣に陛下も腰を下し、私は肘掛と陛下に挟まれる形になる。
…逃げられそうにはない。
「………」
「………」
無言の間が続く。
何を言っていいのか、分からない。
陛下は今一体何を考えているのか、その険しいままの表情からは分からない。
私が不用意に口走ってしまった名『グリエ』。
「…何故、お前が『グリエ』を知っている?」
「それ、は………」
どう答えたらいいのか。
まさか、私が『グリエ』の生まれ変わり、だなんて間違っても言えない。
信じてもらえるわけがない。
表情を悟られたくなくて、陛下とは反対の方を向いた。
「…あの『剣』の元の持ち主だと…教えてもらいました」
「………」
私の回答に、陛下の表情は変わらない。
いや、むしろプレッシャーが強くなった気がする。
「正直に言え」
「………」
誤魔化すことはできなかった。とはいえ、だったらどうすればいいのか。
言いあぐねている私に痺れを切らしたのか、陛下は私の顎を掴み、むりやり自分の方に顔を向けさせた。
「っ!」
向けさせられると、陛下の顔は目前だった。
少し距離感を間違えただけで唇が触れてしまいそうな…そのくらいの際どい距離。
陛下の紅い瞳が、私のすべてを見通そうと強い光を灯している。
「目を逸らすな」
せめて目だけでも…そう思って逸らそうとすることすら許されなかった。
でも、直視してしまうと胸が落ち着かない。ざわつく鼓動が、不安なのか、緊張なのか、それともそれ以外なのか……分からない。
「答えろ」
そう言われても、高鳴る鼓動が冷静な思考を阻害する。口を出る言葉は無く、ただ沈黙が場に流れていくだけ。
「答えなければ……」
言うが早いか、再び抱き上げられ、今度は……ベッドに下された。
そしてすぐさま、陛下は私の上に覆いかぶさる形になった。
「シセリア。お前は私の王妃として選ばれた」
「…は、はい……」
何故それを今告げるのか。
しかし、今の状況と、その言葉の意味。
それが頭の中でつながったとき、陛下が何をしようとしているのかの答えが出た。
「答えないなら……お前を抱く」
「っ!!!」
陛下の口から答えが告げられ、その意味を理解し体中が熱くなった。
抱く…とはそういうことであり、それはつまり『グリエ』が……
そこまで考えたとき、頭が急速に冷えていった。
陛下は目の前の存在が、『グリエ』だと。
元『男』だと知らない。
なら、もし……それを知ったら?
元『男』だと知ったら……?
陛下はきっと拒絶する。
元『男』なんて抱きたくないはずだ。
(じゃあ言ってしまったら…?)
元『男』でも。
神殿で、光の宣託は私を選んだ。
何故私なのかは分からない。
でも、元は男でも今は間違いなく女で。
ちゃんと月のものは来ている。
子を成すことだってできる。
『グリエ』とは違う。
王の義務として……私を王妃にし、子を成させることを陛下は拒否できない。
国の為に。
ここで、答えず、抱かれて子を成せばいい。
秘密は秘密のまま、一生このまま黙っていればいい。
それで、私の義務は果たせるのだから。
王妃となる私に拒否権はなく、わざわざ『グリエ』の生まれ変わりであることを明かす必要はない。
「………」
真剣に私を見下ろす陛下の眼は、その言葉通りに私を抱く…というつもりには見えない。
むしろ、何としても私の答えを聞こうと待っている。
その眼を前に、黙っていればいいと思った私の考えが崩れていく。
言うことが、その瞳への答えだと、そう思った。
腕を、胸の前で交差させてしまう。
答えを言うことへの不安が、身体を勝手に動かしていた。
陛下はわざわざそのことを見咎めはしなかった。ただじっと待っていた。
一度目を閉じ…そして開く。
覚悟を決めた私の眼に、陛下もまた表情を引き締めた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「『お久しぶりですね…キラルド殿下』」




