14話
「お嬢様、こちらを」
「……ええ、ありがとう」
働き始めて二か月が経った。
今日も屋敷の侍従から手紙を受け取る。
郵便を使わず、わざわざ侍従を使って。
母からの手紙だ。
内容は……早く帰ってこい、と、結婚相手を、の二つ。
二か月分の給料をもらった時点で、もう帰る資金は貯まっていた。
もうこれ以上は延ばせない…
けど、私は未だに何も決められずにいた。
『騎士になる』
たったこれしか決めていなかった自分がいることに改めて驚いた。
騎士になって…その先は完全な空白だった。
例えあのまま騎士を続けたとして、いつまで続けられた?
死ぬまで騎士のつもりだった?
…そんなことも考えたことすら無い。
『グリエ』の時はどうだった?
『グリエ』は伯爵家の次男だった。
嫡男ではなかったから、家を出ていく必要があった。
見た目は華奢でも、思いのほか剣の腕が良かった。
だから必然的に安定のある騎士を選んだ。
もし、そのまま生きていれば…いずれ年頃の令嬢を娶り、どこかに屋敷を構えて暮らしていたかもしれない。
でも…『グリエ』のときも、そこまで考えていなかった。
親衛隊副隊長の責務と、殿下のお守りと日々が大変だった。
先の事なんて考えていなかった。
…そして、もっと短く、『先』すらなく終えた人生もあった。
『リベッカ』
『グリエ』のさらに前世。
私は、二度の転生の記憶があった。
『リベッカ』
『グリエ』
そして…シセリア。
『グリエ』が女性らしい面を持っていたのは、前世が『リベッカ』という女性だった影響だ。
『リベッカ』は孤児だった。
親の顔も、名前も分からない。
不思議と頭の出来と器量が良かった。
孤児院を訪れる貴族婦人がたまに開く勉強会で熱心に勉強し、教養を磨いた。
そのおかげで、街の飲食店で働くことができた。
その後、さらにそれが貴族婦人の目に留まり、侍女になることもできた。
歳は不明だったけれど、見た目で18~9歳程度だった。
……しかし、わずか1年後に流行り病で無くなった。
こうして考えると、悉く短命に終わる人生ばかり。
そのせいで、こうして転生という幸運なのか不幸なのかわからない境遇にあるのだろうか。
それは分からない。
…どうしたらいいのかが、分からない。
私の足は、自然と家へと向かっていた。
アルバイトするために借りた仮初の住まいを引き払い、食堂も辞めていた。
引き留められたが、もう逃げることにも疲れた。
1年にも満たない期間で、騎士になり、親衛隊になり、そして辞めて帰ってきた娘に母は厳しかった。
陛下との関係を持ったのではないかという噂は領地まで流れており、母の耳にも入っていた。
母は本気にしていたようだが、明確に否定した。
それどころか、そのまま王妃になれるチャンスだったのにまで言われた。
私が……王妃?
笑えない冗談だった。
父は諸々の流れを把握していた。
陛下と王弟殿下との確執に巻き込まれけるのは、チェスティス家としては避けたい問題だったらしい。
だから、私の決断は褒められた。
…そんなことを考えて辞めたわけじゃない。
ただ陛下に嫌気がさしただけ。
そんな子供じみた理由は言わなかった。
王宮では、関係を持ったと噂される私が騎士を辞め、王宮から辞したことで一旦は確執は収束しているようだった。
陛下側からも、チェスティス家に私について特に訪ねてくる様子もない。
幸いなのは、王弟殿下側からも特にアクションが無いことだった。
あるいは、陛下側が動けば動くのかもしれない。
あり得ないことだ。
あんな一方的に辞めてきた。
いくら陛下でも…そこにどんな思いがあったのかは知らないけど…動くことはない。
もう……終わった。
そう思っていたのに。
実家に戻って一月あまり。
いつも平穏なはずの屋敷が俄かに騒がしくなっていた。
来客の予定は聞いていない。
有力貴族であるチェスティス家の使用人たちは仕える家を誇りに思い、そのため滅多なことでは騒ぎだてしない。
…つまり、その滅多なことが起きているようだ。
しかし私には関係のないことだろう。
そう思い、手元の本に視線を落とす。
だが、そこへ侍女から声が掛けられた。
「お嬢様、旦那様が至急応接間へ」
「応接間へ…?」
応接間とはお客様を案内するところ。
そこに来るようにということは……
「わかったわ。手伝ってくれる?」
「かしこまりました」
どうやらお客様は私に用事があるらしい。
お客様に失礼が無いよう、最低限飾り立てた服装に身を包み、応接間へと向かう。
「シセリアお嬢様をお連れしました」
「入りなさい」
侍女が扉を開け、中の様子が目に入る。
そこにいたのは、チェスティス家当主である父と……
3か月前に脱隊届を渡した親衛隊副隊長だった。
テーブルを挟んで、対面式に座っている。
「失礼します」
父に促され、父の隣に腰を下ろした。
正面に座ることになった副隊長はなぜか驚いたかをしていたけれども、すぐに表情を直した。
あの驚きはなんだったのだろう…?
「お久しぶりですね」
「はい、お久しぶりにございます」
形式ばった挨拶を交わしながら、何故副隊長が…?という疑問は消えない。
しかも事前通達すら無しで。
その異常さに、嫌な予感が消えない。
「シセリア」
「はい」
父から声がかかる。
その声は、どことなく固い。
「…陛下から、お前を王妃候補にするという王命が下された」
「えっ?」
「よって、いますぐ神殿へ向かい、王妃に相応しいか否かの宣託を受けよ、とのことだ」
「…………」
何を言っているのだろうか?
私が……王妃候補?
いますぐ神殿へ…?
「な、何故……」
「他の年頃の令嬢のほとんどは、神殿にて相応しくないとの判断をされた。お前にもその順番が来た、ということだ」
「………」
どうやら陛下の意向…というよりは、いつまで経っても決まらない王妃を決めるために、年頃の令嬢を片っ端から判断させているらしい。
その順番が、私にも来た。
そう言えば、先日にも陛下と令嬢たちが神殿へ向かう姿を見たことがあった。
あれは、陛下が選んだわけではなく、私と同じように年頃で未婚だからで選ばれたようだ。
陛下が直接名指ししたわけではない……その事実は、何故か私をもやもやさせた。
その後、私は文字通り直後に屋敷を出発することとなった。
父はあらかじめ侍女に私の着替えの支度もさせており、応接間を出る時には既に準備万端だった。
外に出ればそこには王家の馬車が用意されてた。
…もちろん乗るのは私だ。
周囲を守るのは、かつての同僚である親衛隊の面々。
その光景は……私に『あの時』の記憶を蘇らせた。
その後、1時間後に馬車は出発した。
馬車に乗るのは私一人。
その手には……騎士団にいたときに購入したあの細剣があった。
1時間出発が遅れたのはこれだ。
あの時…『グリエ』が死した状況と、今の状況が酷似していた。
違いはある。
乗るのは殿下ではなく、ただの侯爵令嬢。
実家に帰る際、乗合馬車で帰ってきたのだから、道中に危険な要素はない。
なのに、嫌や予感は収まらなかった。
ただの考えすぎだと思い込もうとしてもダメだった。
タラップへの一歩を踏み出せない。
旅の荷物の他、私は細剣も持っていくことにした。
それを父が止めた。
当然と言えば当然だ。令嬢が剣を持ち歩く理由がない。
けれど、私は絶対に譲らなかった。
親衛隊の面々の実力を疑うわけじゃない。
そうではないが、それは『あの時』も同じだった。
実力確かな親衛隊が警護するのだから問題ない、
その過信が……『グリエ』以下親衛隊の面々の死を招いた。
もう一つの懸念は、陛下が動いたということは…王弟殿下も動くのではないかということ。
王弟殿下は陛下への退位を迫ろうとしている。
そのための王として相応しくないという証拠づくり。
それには、『シセリア』は格好の餌だ。
一度王宮から辞したのにこうして再び呼び寄せるのだから、絶対に何かある、と王弟殿下は考えるはずだ。
私でも、他の令嬢と同じ扱い…になるとは思ってない。
戦う術は必要だった。
頑として譲らない私についに父が折れた。
服装も旅用のものに着替える。
…侍女に口止めし、ドレスの下にはズボンとシャツを着こんだ。
動き出した馬車の中で、私はのんびりと窓の外を眺めた。
これからどうなる……という心配はしていない。
光の宣託が私を指すことはない。
指したたのは『グリエ』。
だから、私が…『シセリア』がさされることはない。
けれど、ふと思う。
(光の宣託によって選ばれた人が、亡くなったら…どうなるの?)
『グリエ』だったころ、光の宣託を受けた際に大神官や殿下からそのことについて説明を受けた。
けれど、その中に光の宣託に選ばれながら王が選ばなかった事例はあれど、『亡くなって』からあらたな光の宣託を行った事例は無かった。
光の宣託によって選ばれた王妃を娶った王は、王妃を溺愛し、愛妾を作ることはしなかった。
先立たれたとしても、既に跡継ぎが生まれているので後継を招く必要も無かった。
先ほど父が言ったように、王はもうほとんどの令嬢と神殿へ赴き…未だ選ばれていない。
光の宣託が、誰も選んでいないということだ。
『グリエ』が選ばれたことを知るのは、当人である『グリエ』と、キラルド殿下、そして当時の大神官のみ。
当時の陛下ですら知らない。
だから、表向きは誰も選ばれていない、ということになる。
しかし、そうでないことを知るキラルド殿下…陛下と大神官は、既に選ばれた者がいて、そしてもう亡くなっていることを知っている。
陛下は、どう思っているのだろう?
選ばれた者が既に亡くなり、もう選ばれることはないと思い諦めているのか。
それとも、前例がないだけで、新たに王妃が選ばれると思っているのか。
そもそも、光の宣託とは何なのか……
神の意思か、それとも……
道中は驚くほど安全だった。
王家の文様が入った馬車に、精鋭ぞろいの親衛隊が警護している状態で襲い掛かる者はいなかった。
もうすぐ王都に辿り着く。
そして王宮に辿り着けば、神殿へと向かうはず。
そこで、『選ばれなかった』ら、どうなるんだろうか…
「止まれ!」
突如、副隊長の険しい声が響く。
一瞬にして空気が殺気立ったものに変わっていく。
私はすぐさま細剣を手に取り、窓から外を覗いた。




