12話
そのままお忍びの視察は終了した。
帰りも、ルドは厳しい表情のままだった。
それとなくアークに尋ねても、ルドに何を言ったのか教えてくれない。
エプロンドレスを脱いで部屋着に着替えると、ソファーに沈み込むように座った。
(何だったのかしら……)
あれはまずかった。
あれ以上、続けられたら……もう恋人『役』じゃない。
だからこそ、アークが止めた。
それは分かる。
けど……その後。
アークはルドに何を言ったのか。
アークに何か言われたルドは、以後『恋人役』として振舞うことはしなかった。
厳しい表情のまま。
何が起きたのか。
私の知らない事情がある。
それをアークは告げた、とみるべきだろう。
そしてそれは……ルド、いや…陛下にとって良くないことだ。
何なのか、まだ分からない。
私は侍女にエプロンドレスの洗濯を頼み、そのまま眠りにつくことにした。
そして、翌朝。
宮中を歩いていると、やたらと囁き声が聞こえる。
それも私に向かって。
…思い当たることが無いわけではない。
陛下と関係を持った、という噂が流れていたのだ。
それが聞こえただけのこと。
だが、ふと聞き取った会話の内容は聞き捨てなら無いものだった。
『キラルド陛下は、国王として相応しくない』
それは、たまたま近くを通りかかった衛兵二人が喋っていたものだ。
その二人を掴まえ、私はその内容を問いただした。
彼らも、私が陛下と関係を持った、という噂は知っている。
その当人に聞かれて喋るのを渋っていたが、親衛隊という立場をチラつかせて喋らせた。
曰く、
陛下とシセリアという令嬢が関係を持った
↓
そのシセリアは親衛隊に選ばれた
↓
陛下が特別な想いを抱いているのは間違いない
↓
このままではシセリアが王妃となるのではないか?
↓
だが、シセリアは王妃として神殿で選ばれていない
↓
神殿で選ばれた王妃以外が王妃となった場合、国に災いが引き起こされる
↓
国に災いを引き起こす王は、王として相応しくない
というロジックだった。
もっとも、このロジックは最初から破綻しているので大間違いもいいところなのだけれど。
神殿で選ばれた、というのは神殿に行くと王妃が選ばれるからというのが周囲の認識だ。
そこで、光の審判があること自体は関係者しか知らない。
だから、周囲は神殿に行くと勝手に選ばれるものだと思っている。
まあその通りなんだけど。
とにかく、衛兵二人にはしっかりと関係を持ったことは否定しておく。
王妃になる気も無い、と。
けれど、事態は想像以上に深刻だった。
「謹慎?」
「そうだ。命じられるまで、親衛隊としての任務を禁じる」
訓練所に向かうと親衛隊副隊長に呼ばれた。
そこで告げられたのがこれだ。
「何故…と伺ってもよろしいですか?」
「君も、噂は聞いているだろう?」
「…どの噂でしょうか?」
恥ずかしながら、心当たりが多くてどれなのかわからない。
「君と陛下が…関係を持った、という噂だ
「それですか、ええ、『噂』ですね」
噂、という点を強調しておく。
「あの噂を元に…王弟殿下を国王に、という動きが出ている」
「っ!」
王弟殿下。
キラルド陛下の実の弟であり、歳は三つ下。
陛下に跡継ぎがいないため、王位継承権は第二位。
陛下に何かあれば次代の国王は彼になる。
そのため、キラルド陛下が国王となるまでは、王位を争ってさまざまな争いが起きた。
当時の『グリエ』はもちろん、キラルド陛下側だった。
しかし、王族の護衛をする親衛隊でもキラルド陛下派と、王弟殿下派に分かれていたのだ。
結果的にこの争いはキラルド陛下が王位を継いだことで決着した…と思われている。
けれど実際は、陛下に跡継ぎがいないために王弟殿下は王宮内におり、何かあればすぐに王位を継げるようになっている。
その何かが……陛下の身に起きようとしている。
「王宮内では君を陛下が寵愛している…なんてところまで発展している。陛下は明確に否定されているが…貴族たちは信じているし、先代国王もそのことを憂慮されている」
「そう…ですか」
先代国王は未だ健在だ。
王位をキラルド陛下に譲ったのは、老齢に差し掛かったからというもの。
今は後宮に引きこもっているが、元気でいるらしい。
「こうなると、君が陛下の近くにいるだけでどんどん事態が悪い方向に進んでいく。それだけはなんとしても避けたい」
この言葉から確信できた。
この副隊長はキラルド陛下派だ、と。
しかし、親衛隊は王族護衛が任務だ。
それなのに陛下の近くにいることができないなら…
「でしたら、私を親衛隊から除隊させては?」
噂が出始めてからでは遅い気もするけれど、そもそもが異例の出世だ。
それを取り消すことで、多少の火消しになる気もする。
「陛下が拒絶された」
「…………」
顔が引きつる。
事態を把握できていないの?
そこまであほルドだったの?
「なので、謹慎という形を取らせてもらった。すまないが、しばらくそれで我慢してくれ」
「はい……」
一度部屋に戻り、椅子に座りこんだ。
謹慎ではあるが、部屋に閉じこもる必要はない。
訓練所は使ってもいいし、王宮内も陛下の執務室等に近づかなければ問題ない。
要は陛下に会いさえしなければいい。
ただ、それがいつまで続くか分からない。
噂が落ち着くまでか、もしくは……
「陛下が結婚すれば、か……」
言葉にした瞬間、何か胸がきしむ感じがした。
気のせいだ。
陛下が正式に、神殿…光の審判…で選ばれた王妃と結婚すれば万事解決だ。
跡継ぎも生まれればなおよい。
そうすれば、私は正式に親衛隊として任務に付ける。
そんなことをぼんやり考え事をしていると、ノックの音が聞こえた。
誰だろう?そう思い、椅子から立ち上がる。
が、次に聞こえた声に体が止まった。
「私だ」
この声……聞き間違えようが無い。
キラルド陛下だ。
何故ここに?
今、最も会ってはいけない人の登場に体は動かない。
「いないのか?」
訝しむ声が聞こえる。
そうだ、このまま声を出さず、物音を出さずやりすごそう。
居留守でやり過ごせば問題ない。
しばらく沈黙が続く。
そろそろ去ってくれるはず。
そう思っていた私が甘かった。
唐突に、鍵の開く音が聞こえた。
「えっ?」
そしてドアノブが回り、扉が開く。
ゆっくりと開かれた扉から、陛下が姿を現した。
「………」
「………」
ばっちり目が合う私と陛下。
何故陛下がこの部屋の合いかぎを持っているのか。
いや持ってたとしても既に居住人(しかも女性)が、いるのに勝手に開けて入るのはいかがなものか。
いや、そんな道理が通じる相手ではないか。
平気で下着のサイズを聞いてくるような男だし。
そんなことをぐるぐる考えていると、ハッとしたように陛下が動いた。
「シセリア…」
名を呼ばれた瞬間、硬直が解けた。
私はすぐさま振り返り、窓枠に手をかけた。
「待て!」
待てと言われて待てますか!
今すぐ問いただしたいことは山ほどあれど、それ自体してはならないというこのもどかしさ。
それを抱えつつ、窓を開け放ち、一気に外へ躍り出た。
一度振り返れば陛下が扉を開け放ち、こちらに向かってくるのが見える。
このままではまずい!
とにかくこの場を離れなければと、無我夢中で足を走らせる。
しかし、陛下も全力で追いかけてくる。
直線では足のリーチの差で距離を詰められるが、小回りはこちらの方が上だ。
付かず離れずの距離を保ったまま、いつの間にか裏門に来ていた。
「開けて!」
「開けるな!」
門番へと声を掛けたと同時に陛下の声も届く。
門番は混乱し、しかし陛下の命が絶対と裏門を開けてくれない。
「チッ!」
このままじゃ追い込まれる!
私は門番の背後の回った。
門番は迫りくる陛下と、背後に回った私との板挟みにされ困り果てている。
そして、追い詰めたとばかりに陛下の足が歩みに変わったところを狙い…
「ごめん!」
「ぐえっ!?」
私は門番の肩に手を掛けると、その場でジャンプ。
片足を門番の肩に載せ、さらに跳躍。
鍛えられた門番だけあって、女の私が足を掛けてもわずかに揺らぐ程度。
いい足場のおかげで、陛下の頭上を楽々と越すことができた。
「………」
一瞬、こちらを見上げる陛下と目が合う。
その唖然とした表情を面白いと思いながらも、着地。
すぐにダッシュ。
「っ!ま、待て!」
一時停止しながらもすぐに再起動した陛下がまた追いかけてくる。
外に出れば、『陛下』として追ってこれないと思ったけれど失敗。
ならば。
城内を駆け回り、辿り着いた先は親衛隊訓練所。
「副隊長!」
ここはもう事情を知っている副隊長にかくまってもらうしかない。
駆け込んでくる私に何事かと目を瞠った副隊長は、さらに続いて来た陛下の姿にさらに目を丸くする。
「総員!陛下を止めろ!」
副隊長の指示に、訓練中の親衛隊は一気に集まり、陛下と副隊長…の後ろの私との壁になってくれた。
「どけ」
陛下の重く、ドスの効いた低い声が響く。
その声に、冷や汗が流れる。
「どきませんよ。陛下、今の事態をご理解されてますか?」
しかし、副隊長はそれに臆さず、堂々と対する。
『グリエ』の後釜がこんなしっかりした人物であることに、こんな場面ながら安心した。
「理解している」
「どの口がそれを言いますか?シセリア嬢には近づくな。これは隊長と宰相殿が決めた結論です。それを破るつもりですか?」
「私が王だ」
「ええ、そうですね。『王』のままなら」
副隊長の言葉に、一気に場に緊張が走る。
そうだ、下手をすればこのままでは『王』ではなくなってしまう。
だからこそ、私には謹慎が言い渡されたのに。
「大人しく執務室にお戻りください。でなくば、力づくでお戻しいたします」
「………」
副隊長の眼光が光った…ような気がした。
睨み合っているだろう二人。
一触即発。
そんな状態が、わずか数秒なのか、それとも数分続いたのか、時間の感覚すら麻痺しかけたころ。
「おやおや、陛下。そんなところで何を?」
場にそぐわぬのんびりした声。
けれど、その声の主はこの場に最も来てほしくなかった人物。
「ヴィッツ…」
「王弟殿下…」
掛けられた言葉に、その場の全員の視線がその人に注目する。
ヴィッツ・アシュタール。
キラルド陛下の実弟で、王弟殿下。
陛下と同じ黒髪に紅い瞳。
一見の印象は似ているが、鍛え上げたキラルド陛下と違い、ヴィッツ王弟殿下は線が細い。
…かつて、キラルド陛下と王位を争った相手。
「おや、そちらにいるのは……陛下と大層仲が良いと噂のシセリア嬢じゃないですか」
「………」
目ざとくも、副隊長の背後にいた私を見つけてくる。
その目は愉悦に歪んでいた。
…明らかにこの事態を楽しんでいる。
「そういえば先ほどから、城内を陛下がそこのシセリア嬢を追いかけまわしていたとか。いやはや、王城内でおいかけっことは仲が良くて大変羨ましいかぎりですなぁ」
ヴィッツ王弟殿下の言葉に副隊長の眉尻が上がる。
何をやっているんだと言いたげに私に目が向けられる。
いえ、私は被害者です。
「何が言いたい?」
ヴィッツ王弟殿下の言葉に、陛下は苛立ちを隠そうとしない。
目の前の実弟が王位を狙っている。
そのことが分かっていて、なお挑発に乗るつもりなの?
「いえ何も。ただ、そろそろ陛下に跡継ぎが生まれないと、民は不安に思うでしょうなぁ、と」
跡継ぎどころかまだ伴侶もいないのにそんなことを言うなんて…
ヴィッツ王弟殿下の性格は昔から変わっていない。
王位への執着は強く、そのせいで兄弟の確執はすさまじい。
『グリエ』だったころは、殿下の護衛を務めていた時もこうしてよく絡まれていた。
散々見た目で護衛らしくないと揶揄されたものだけど。
「いっそ、跡継ぎの為に神殿を無視されてはいかがですか?そのほうが民も安心するでしょう」
「っ」
挙句、光の宣託を無視するよう働きかけてくる。
確かに一部では、そう言った声が上がっているのも事実だ。
それだけ跡継ぎが望まれている。
…だからこそ、それらの声に負けてはならない陛下の苦悩もある。
「神殿が決めた伴侶は幸福を。神殿の認めぬ伴侶は災いを。貴様も知っているはずだ」
「ええ、知っていますとも。ですがそれは所詮言い伝え。事実ではありますまい」
言い伝え…そう考えている者も多い。
けれど、光の宣託を直接見た私…『グリエ』としては、その言い伝えがただの言い伝えだとは到底思えない。
あの現象がただの光の偶然?
そんなわけがない。
あの超常現象が起きるなら、言い伝えもただの言い伝えで終わるわけがない。
だからこそ、陛下は神殿での決定を無視できないはずだ。
未だ伴侶がいない、選ばれていないという決定だ。
「それとも神殿は…陛下に伴侶など不要、跡継ぎは要らないとされておられるのかな?」
「貴様!」
その言葉に副隊長がいきり立つ。
だが、それを陛下が手で制した。
「直に伴侶は決まる。貴様はその時を待っていればいい」
「ほう……?」
陛下の言葉に王弟殿下が、そして皆が注目する。
「どのようにして伴侶が選ばれるのか、王位を継げなかった貴様には知りえぬことだ。仕方ないな」
ニヤリと笑みを浮かべ、王弟殿下へと告げる。
その言葉に、ヴィッツ王弟殿下は屈辱とばかりに顔を歪めた。
「…いいでしょう。誰が陛下の伴侶となるのか、楽しみに待たせていただきますよ」
そう言い残し、ヴィッツ王弟殿下は去っていった。
後には、何とも言えない空気だけが残った。
(伴侶が…決まる?)
陛下の言葉がぐるぐると回る。
しかし、光の宣託はもうじき分かる…というものではないはずだ。
少なくとも『グリエ』の時は、何の前触れもなく光が照らしたのだ。
誰を指すのか、事前に分かるものではないはず。
…陛下の言葉の意図が分からない。
ヴィッツ王弟殿下へのただのハッタリ…?
そうやって考え込んでいると、突然肩を掴まれた。
驚き、その手の持ち主に目を向けるとそこには…
「ようやく捉まえたぞ」




