11話
経緯は何であれ、ひとまず人垣から脱出することはできた。
一騒動起こしたことで乾いた喉を潤すべく、一度カフェに入ることに。
ちょうどよく、丸テーブル一つに椅子が三つのセットがあったので、そこに座ることになった。
…さっきから、ルドの視線が痛い。
ルドとアークはコーヒー。
私は季節の果物を絞ったフルーツジュースにした。
ほどよい甘さと酸味が心地よくて、美味しい。
…なお、コップはルド側ではなくアーク側。
以前に強奪されたときのことを反省して。
「何故私の手を取らなかった」
まだそのこと追及してきますか?
一体何なんだと、呆れのため息が漏れる。
「取る理由が無いからです」
「理由なら……ある」
「どんな理由ですか?」
「………」
だんまりである。
らちが明かない。
「一人で視察でいいじゃないですか?それがいつもなんでしょう?」
「………」
これにもルドはだんまり。
隣でアークが何か焦っている様子だけど無視。
「………」
「………」
「………」
完全に沈黙した3人。
ルドは口を引き結び、その様子は決して言わないという固い意志のよう。
私は、ルドから理由が聞けるまで沈黙。
アークはそんな私たち二人の様子に口が挟めずおろおろ。
「…言えるわけがない」
そんな中、ぽつりとルドが呟いた。
その呟いた内容に、声色に私は瞠目した。
まるで今にも泣きたくなるような…どうしようもない思いを抱えたように聞こえたのだ。
どうしてだろう…
今日はやたらとルドが幼く見えてくる。
あの時の…殿下だったころのように。
そんなルドを見ていると、まるで自分がいじめているかのように思えてきてしまう。
いじめられているというか、弄られているのは私のはずなのに。
「……わかりました」
私の言葉に、二人が揃って私へと顔を向ける。
喜んで…とは言い難く、少し呆れたような感じで。
「ルドの恋人役、引き受けます」
アークはホッとした様子。
ルドは……顔をまた明後日の方向に向けた。
耳が少し赤いけど…正確な感情は分からない。
「ただし」
ただ引き受ける気はない。
ちゃんと条件を付けさせてもらう。
「ただし…なんだ?」
こちらに向き直ったルドが、私の言葉を待つ。
その様子はなんだかおあずけされてる犬のようで…立場が逆じゃないですか?
いや、犬のつもりもないけど。
「ちゃんとエスコート、してくださいね」
あんな無理やり引っ張るようなエスコートなど、紳士として落第である。
それとも、伴侶が決まらないことでそれを忘れてしまったのか。
なら、せっかくの恋人役。
ルドがしっかりと、将来の伴侶をエスコートできる紳士になるよう、また育てるのも悪くない。
これでも『グリエ』の頃はそこそこモテた。
見た目が若干あれだったけど、家柄・実力・一部の婦人相手だと特に…別の意味で。
また、あまり男性慣れしてない令嬢相手には、見た目のおかげで苦手意識を持たれず、一部の令嬢の間では『貴婦紳士』呼ばわりもされた。
なので、令嬢をエスコートする機会は多かった。
…本命となる令嬢と出会えずに終えたのは、『子守』が忙しかったからだ。
ともかく。
そんなわけで、紳士としてのマナーは十分熟知している。
あまりにひどいようなら再教育である。
「ああ、分かった」
ルドは力強く頷いた。
その目には自信がうかがえる。
さて、その自信のほどがどれほどのものか、確認させていただきましょう。
果たして。
ルドのエスコートは完ぺきだった。
身長差がかなりある私との歩くペースは、なめらかだ。
早すぎることも遅すぎることもない。
腕を組もうとすると、ルドが屈むか私が背伸びするかどちらか強いられるので、手をつなぐところで妥協した。
掴む手は大きく、柔らかく私の手を包み込んでくれる。
決して握りこまれるような強さは無い。
あくまでも優しく、けれど決して離れないように握られている。
(やればできるじゃない)
さっきのは何だったのかと詰問したいくらいに違う紳士ぶりに、逆にこっちが困惑する。
とはいえせっかくだ。
ルドのエスコートを堪能させてもらおう。
『ルド』である、今だけ。
ルドではない、『陛下』にはこのようなことは許されない。
光の審判が定めた伴侶以外とは、決して恋仲になってはいけない。
王妃にも、愛妾にすることも許されない。
未だ伴侶が見つからない陛下の…ルドの息抜き、そう思えばいい。
『グリエ』が伴侶として選ばれてしまったことの罪滅ぼし……ではない。
露店の店に向かうと、そのほとんどがルドの顔なじみだった。
そして、普段とは違う『女』連れのルドに店主らしき男たちははやし立てた。
しかし、ルドはさらりと私を『恋人』と紹介する。
恋人。
そう紹介されるたび、心臓の鼓動が一泊跳ねる。
恋人『役』。
そう分かっているのに。
分かっているはずなのに、ルドの声は微塵もそんな気持ちを感じさせない。
演技で言っているとは感じさせない紹介に、店主はおろか私すら騙されている気になってしまう。
時折、見せつけるように耳元で囁くものだから平静を装うのに必死だ。
「これをひと箱貰おう」
そう言ってルドが買ったのは、一口サイズに丸めて焼かれた、甘い香りを漂わせるお菓子だ。
それを、一つ串にさすと私の口元に持ってくる。
「あーん」
「………」
まさかの行為に顔が引きつるのが分かる。
(いくらなんでもやりすぎじゃ……)
確かに恋人ならそのくらいするかもしれない。
けれど、今はあくまでも『役』だ。
「どうした?ほら」
しかしルドは気にする様子もなく、催促してくる。
さすがにこれは恥ずかしい。
誰かの目があるこんな公衆の面前で…いや、誰もいなくても恥ずかしいけど。
すくなくとも護衛のアークは絶対にこっちを見ている。
…確認しようとアークに目を向けるのは、何か恐いことが起こりそうでできない。
間近まで近づけられた丸い菓子。
食べない限りずっとこのままだろう。
ならばと、思い切って食べてやった!
「あむっ!」
しかし、思ったよりも一個が大きく、少し串に残ってしまった。
口の中のものを飲み込み、残りを食べ切ろうとして…
「ん……なかなかうまいな」
「っ………」
ルドが……食べてしまった。
私の……食べかけを。
「なんだ、そんなに照れて」
ルドの言葉に、私は自分の顔が真っ赤になっているのに気づいた。
照れ、いや恥ずかし……もうどっちでもいい!
人の食べかけを食べて衛生的にどうとか、そう文句を言えばいいのに。
そんな文句が白々しく聞こえるくらいに今の私の顔は赤い。
何の感情が今自分を支配しているのか分からない。
「くくっ。ここに付いているぞ」
「えっ?」
そう言うが早いか、ルドの指が伸びて私の唇をなぞる。
なぞられた指の感触に一際鼓動が跳ね上がる。
それだけでもかなりまずいのに、ルドはその指に付いた菓子の欠片を…自らの口に入れた。
「……っ…っ!」
「なんだ、ひな鳥みたいに口をパクパクさせて」
私の様子を面白がるルドに、感情がついてこれない。
ふと、ルドの目が細められる。
その目は………とても危険な光を……『陛下』が持ってはいけない光を宿していて。
「っ!」
その目に見つめられ、何度目か分からない動悸の激しさに呼吸すら苦しくなる。
(ダメ………)
その光がなんなのか分からない。
けれど、このままではまずいと頭が警告を鳴らしている。
なのに、いつの間にか頬に添えられた陛下の手がその警告を無視させる。
ルドの顔が近づいてくる。
ルドの紅い瞳に自分の顔が映っているのが分かった。
このまま……あと少し近づいたら……
「ルド!!」
そこにアークの声が響く。
その声に、弾かれたように私は飛びのいた。
(今……何を……)
アークの声が無ければどうなっていたのか。
それは………とても、とても恐ろしい事。
国に災いを起こす……禁断。
「…何故邪魔をした」
アークへと向けられたルドの声は、低く恐ろしい。
しかし、アークは怯まない。
空けていた距離を詰め、ルドへと歩み寄る。
「………」
「………!」
アークがルドへ何か耳打ちすると、ルドは目を瞠り、そして歯を噛み締めた。
それはなにか悔しそうで…
私の知らない何かがそこで行われていた。
アークがルドの下から離れると、ルドは私へと近づいてくる。
そして一言。
「…すまなかった」
そうとだけ言い………そして、もう手をつなぐことは無かった。




