1話
1話
(……殿下……)
途切れかける意識。
全身に賊の剣戟を受け、満身創痍となりつつも、グリエという名の騎士は犯人の証拠を手に、歩みを進める。
王族…それも王位継承権第一位であるキラルド殿下を狙った襲撃。
手練れの騎士たちが護衛していたにも関わらず、劣勢だった。
その数と動きはただの賊ではなかった。
明らかに訓練された兵士。
親衛隊副隊長であったグリエは、愛剣である細剣で何人もの敵を地に沈めるが多勢に無勢。
護衛騎士が一人、また一人と倒れ、最後に立っていたのはグリエただ一人だった。
殿下を守るため、殿下を先に逃がし、追っ手を拒む壁を務めたものたちは全滅した。
かろうじて賊をすべて倒し、生き残ったグリエも、全身から溢れ出る血液が止まらず、意識が今にも消えそうだった。
そんな中で、賊の中で唯一証拠となりそうなものを掴み、殿下が逃げた方向へと向かう。
向こうから殿下が駆け寄ってくるのが見える。
その姿は既にぼやけ、細剣を杖代わりにしてなんとか歩を進めていた足からは力が抜けた。
「――――ッ!!」
叫ぶ声が聞こえるが、何を言っているのかは分からない。
ぼやけた視界に徐々に瞼という幕が下りていく。
それは、グリエという名の騎士の人生の終幕だった――
その16年後。
「シセリア様!またそんな恰好をされて!」
侍女長の声が響く。
中庭に通じる扉からずんずん進んできた侍女長に、私は振っていた剣を止め、汗をハンカチで拭う。
「ああ、ちょうどいいところに。冷たい飲み物を貰えるかしら?」
「こちらにございます!」
優秀な侍女長は怒りながらも気配りを忘れない。
渡されたコップの中身を呷ると、僅かな酸味と苦み、そして冷たい液体の感触が体の中へと流れていく。
「ああ、美味しい。ありがとう。レモン水かしら?」
「レモンとハーブでございますわ!ところでシセリア様!」
「なにかしら?」
ニコッと微笑みかけると、毒気を抜かれた侍女長は大きくため息をついた。
「……もういい加減、剣を振るうのはおやめくださいませ。もう16歳になられるのですから、淑女としてのたしなみを…」
「はいはい」
いつもの小言が始まったと私は苦笑した。
シャツにズボン、手には木製の剣。
短く切り揃えられた銀の髪を見て、私を人はどちらの性別だと思うだろうか?
活発な少年?
だが、残念なことに私は女性だ。
シセリア・チェスティス。
チェスティス侯爵家の三女として生まれたのがこの私。
それだけなら裕福な家に生まれた令嬢……なのだが、私は普通とは少し違った。
「まったく。誰も教えてなさらないのにどうして剣なんて……」
侍女長がぼやいたように、この家には剣を使えるものはいない。
護衛の門番は使えるが、当然私は教わったわけではない。
元々ある知識…そう、『グリエ』の頃の知識だ。
それが私が剣を使える理由。
私には『グリエ』の記憶がある。
つまり、私は『グリエ』の生まれ変わりだ。
伯爵家令息にして、親衛隊副隊長を務めた将来有望な騎士。
だが、当時の王子…キラルド殿下の護衛任務中、賊に襲われ命を落とした。
そして再び生を受けることとなる。
それも、『グリエ』と異なる、『女性』として。
自分が『グリエ』だった…という自覚をしたのは早かった。
なにせ、生まれた瞬間からだ。
当時は、あの傷で生きていたのか…と自分の生命力の高さに驚いた。
だがその認識はすぐに改められた。
明らかに高さの異なる目線。
発する声の違い。
全く痛みが無いのに、うごかしづらい身体。
自身の置かれた状況……赤ん坊になっている自分を認識し、そして理解した。
私は…『グリエ』は死んだのだ、と。
それからの時の流れは早い。
自身の性別に戸惑いながらも、両親から愛され、兄や姉たちから愛され、一人の令嬢として育った。
元々令息として育った『グリエ』だが、彼自身は非常に中性的、いや女性的な存在だった。
男には間違いないのだが、やたらと世話焼きで母性的な一面がよく見られた。
本人の容姿もやや幼げ、身長も男性の平均よりやや低め。
筋肉が付きづらく、撫で肩。
髪も肩口まで伸ばしていたため、実は女性ではないかと疑るもの多数。
過去何度、『裸の付き合い』などと称して本当にグリエが男なのかと確認しようと誘われたことか。
そして確認して、何故か崩れ落ちたものが何名かいた。
彼らは本気でグリエを女性だと思っていたのか。
逆に『その気』がある者もいて、何度暗がりに誘い込まれたか分からない。
そういった者は徹底的に仕置きしてきたが。
そう思われる要因は、グリエ自身の振る舞いに問題があったのも否めない。
グリエはそんな自分を、わざと男らしく…などということはしなかった。
自分の思うがまま振舞う…その結果、周囲には『女性らしい』と目に映ってしまっただけだ。
そうして生まれ変わった私ことシセリアは、そのスタンスを変えない。
日々の令嬢教育は女性として生まれた以上きちんと受けてはいるが、その本質まで変えるつもりはない。
その根っこは、『グリエ』であり、『シセリア』でもある。
だから、『グリエ』の頃から日課だった剣の訓練は欠かさない。
「もう淑女教育は終えていらっしゃるのですから、そろそろですね…」
「ああ、そのことなんだけどね」
「言葉遣い!」
「私、騎士になることにしたから」
「………はぁっ!?」
侍女長の驚きの声が、青空を突き抜けた。