七話『砕け散る』
◆喜多川レイラ視点◆
今日は七日に一度の休日。子供たちを遊ばせてあげる日、そして私たち保護者の側も羽を伸ばせる日だ。
……と、言っても、子供たちが危険な行動をしないかという監督任務は依然として残っているので、そんなに心休めるわけではない。
子供たちに混じって遊ぶ日、ただし監督役としての働きはある――そんな感じである。
――ともかく、今回の休日の過ごし方は、というと。
「――ここが噴水広場です、ちょうど街のまんなかなんですよ」
ジルダちゃん以下女の子たちによって、新参者たる私に街を案内しよう……そんな予定だった。
両手で一人ずつ一番の年少組と手を繋ぎ、ジルダちゃんに先導されながら街を歩く。5、6人程度とはいえ大所帯で、小さな子供もいるので結構騒がしいが、街の人たちの反応は穏やかなものだった。
――ちなみに、男の子組の方は倉科くんを連れ回している頃合だろう。男の子だけあって全力で走り回ったりしていそうだ。
「あ。あっちの木陰で休んでいこっか?」
「ん、そうですね」
ジルダちゃんの案内で訪れた噴水広場。片隅に木が植えられて、木陰にはちょっとしたスペースが設けられている。ベンチも設置されていた。
歳が小さい子たちも連れ出してきているが、これまでの道のりは、寄り道を多くしたこともあってその子たちには辛かろう。
そのためみんなに休憩を提案すると、ジルダちゃんを筆頭に賛成が返ってきた。
ゾロゾロと木陰に入って、思い思いの場所に腰を下ろす子供たち。
日本で言う初夏の陽気、カラリと乾いた風が木陰を通り抜けて木の葉を揺らす。なんとも爽やかな気分にさせてくれるところだ。覚えておこう。
「? あれなぁに?」
その時、小さい子の内の一人がどこかへ指をさした。そちらを見てみると、薄暗い路地の入口辺りに、敷物を敷いた上にローブで顔を隠した人が座り、目の前に水晶玉を置いた露店らしきものが。
今までこの世界で見たことはないけれども、日本で見かけたならば「占い屋さんかな?」と思うような風情だ。濃い紫色のローブに綺麗な水晶玉、敷物はワインレッド……いかにもな雰囲気である。
「占い屋さんかな……この街にもあるんだね」
「うらないやさん?」
「うん、私と結絃先生の故郷にもあったんだけど、日頃の運勢を占ってくれるところだよ」
という説明では、〝占い〟という概念を知らない子供たちには芳しくなかった。あれこれと運勢や運気について話すと、やがてぼんやりと理解してもらえた。
「ふーん……」
理解してもらえても、やはり反応は芳しくない。馴染みがないせいなのだろうか、いやしかし現地の占い屋さんがあるのに馴染みがないなんて、と私が考えたところで、ジルダちゃんが言う。
「私たちには神様がついてますし」
「あぁ、それもそうだね」
素っ気ない態度で、ジルダちゃんは占いを蹴り飛ばした。言われてみればそれもそうである。
まあ、人それぞれではあると思うけれど、言ってしまえば得体の知れないものなのだし。元々触れる習慣がなければ、信じないのも無理はない。
「――あっ、お婆さん!」
とその時、小さい子の一人が叫んで飛び出した。相変わらず小さい子供は行動が突飛だ。
慌ててそちらに目を向けると、人のよさそうなお婆さんが荷物を抱えて歩いているところだった。結構な大荷物である、代わりに持ってあげたいという話なのか。
保護者兼監督役である私が放置するのはいけないし、大荷物ならば持つのは私が適任だ。すぐに追いかけないと。他の子たちが暴走しないようにも気をつけて――
――なんて考えている間に、占い屋さんのことはすっかり頭から消えていたのだった。
◇
そんな休日の、夕方のこと。
夕飯を作っている最中、少し足りない材料があるのでひとっ走り買いに行くことに。お店が閉まる前に、と急いで足を動かし、なんとか間に合った後のことだ。
「――ちょっとそこのあなた。寄っていきませんか?」
教会に向かって早足で歩く中、横から声をかけられた。
私が「え?」と振り返ると、そこには昼間見かけた占い屋さんが。昼間見た時は噴水広場にいたのに、今はここにいるらしい。
ワインレッドの敷物に座って眼前に綺麗な水晶玉を置き、人相は目深にかぶったフードによって伺えない。昼間と装いは変わっていないようだ。
「あぁ……ごめんなさい、今は――」
なんで移動しているんだろう、との疑問は後回しに。客引きに付き合っている暇はないからと、オブラートを心がけながら私があしらおうとすると。
「――あなた、片想いの相手が振り向いてくれないんでしょう? そういったご相談、得意なんですよ。ご安心ください、お代は結構ですから」
「え……」
その言葉が、あまりにも的を射たものだったから。
少しだけ動揺して、止めかけた足を完全に止めてしまった。
――フードで顔がわからないはずなのに、その占い師がニヤリと笑ったのがわかった。
「大丈夫ですよ。私にかかれば、すぐに――」
占い師の言葉が、妙に私の耳に染み込む。
頭の中に充満して、言葉の意味を余すところなく私に伝えてくる。
――充満するせいで頭が重くなって、思考がおぼつかなくなる。
フワリと、カティアさんが気に入っているお香の甘い香りがした。
「どうです? 少しだけお話、させてもらえませんか?」
その問いかけに、私はどう答えたのか。
――そこからの記憶は、少し曖昧だ。
◆倉科結絃視点◆
休日に、「とっておきの場所を教えてあげる!」という男子たちについて行けば、街の外に連れていかれた。
街の外、と言っても外壁のすぐ傍で、見晴らしのいい原っぱになっているところだ。
街の中では思う存分走り回ることのできない遊びたい盛りの鬱憤は、今までここで晴らしてきたということらしい。
――そうして元気いっぱいの子供たちに引きずられ、俺も童心に帰ったような気持ちで原っぱを駆けた。
教会に帰る頃には、思い出したように疲労が身体を襲う。あそこまでめいっぱい走り回るのは久しぶりだったせいか、明日は筋肉痛が酷そうだ。
そんなこんなで夕飯を作り、材料が少し足らなかったため疲れている俺の代わりに喜多川が買いに行ってくれたり、なんて一幕もあったが、無事夕食を終える。
休日恒例の入浴も済ませ、あとは本当に寝るだけとなった時間。
俺が部屋に入ってベッドの上に腰掛け、灯りを落とそうとすると――ちょうどそのタイミングで、扉がノックされた。
「? どうぞ」
来客を招き入れる。おずおずと開かれた扉の向こうには、寝間着姿の喜多川がいた。
「喜多川? どうしたんだ?」
今週は女子が先に入浴する週だったので、てっきり男子が入浴している間に眠っているものだと思っていた。
そのため不思議に思いつつ俺が首を傾げると、喜多川はその場に立ったまま口を開く。
「……えっと……は、話が、あって……入って、大丈夫?」
なんだか、妙にか細くて不安げな声色だ。俺と接する時の喜多川らしいと言えばらしいけれども、今夜は輪をかけて酷い気がする。
――なぜかは知らないが、喜多川は俺と相対する時は身構えて緊張しているのだ。時たま気が抜けて素が覗くこともあるが、基本的には俺と接触するのを過度に意識している節がある。
そんな風に、今の喜多川の態度はそういう事情だと思いついて――案外嫌悪感もなく、するりと自然にこう思った。
別に、部屋に入るくらい構わないのに、と。
「ん、いいぞ」
「っ……あ、ありがとう」
おずおずと、喜多川が部屋に入ってきた。
話がある、と言うのだから長話にもなろう。というか、この間カティアさんから言われた件もある。相談相手に選ばれた、ということなのか。
であれば腰を落ち着けて話したい。俺はベッドに座っているので、とりあえず喜多川はそっちの椅子にでも――
――と、俺が勧めようとした時。
「…………」
おっかなびっくりのくせに一直線に、俺の座るベッドの脇にまで喜多川が歩いてきた。
一瞬俺が言葉に詰まった隙に、そのまま喜多川がベッドに腰を下ろす。もちろん俺の隣で、少し身体を傾ければ肩が触れるくらいの距離だ。
――反射的に、俺の肩が強ばった。
「……っ」
さり気なく、を意識しながら、喜多川から微妙に距離をとる。大して大きくもないベッドの上、落ち着けるほどの距離をあけることはできない。
――……俺は、喜多川が隣に座る程度で、落ち着かなくなるのか。
そのことに気がついて、胸に痛みが走ったような気がした。
これは……罪悪感、なのだろうか……?
「――なんていうか……案外、ここでも上手くやっていけてるね」
不意の喜多川との接近、それへの対処、胸の中の感情の見極め……それらに必死なせいで、喜多川に意識を向けていなかった。
ポツリと話し始めた喜多川の声に慌てて耳をすませ、相槌を打つ。
「あ、ああ……そうだな」
「うん。最初はどうなることかと思ったけど、ほんと、最初だけだったし……」
喜多川の声は、酷く躊躇いがちだ。先ほどまでと変わらず、不安と緊張で揺れるか細い声。
彼女の話を聞きながら、喜多川の様子を伺う。
目を伏せて俯きながら、手元を見つめて言葉を紡いでいるその横顔が、なぜか、
「子供たちも可愛くて、さ……先生先生ー、って言ってもらえるの、結構気に入ってるの」
――怖いものに、見えた。
湯上りだからか、緊張のせいなのか、少し上気した頬。膝の上で組んだ指に視線を落とし、か細い声で語る喜多川。
その喜多川の顔に、ゾワリと寒気が走った。なにか嫌な予感がする、と、懸命に身体が訴えかけてくる。
真っ先に考えつくのは、俺の女性恐怖症。知らず知らずの内に喜多川への嫌悪感を募らせていき、今までになく接近した今になってそれが表面化しているのか、と。
――それは違う、と直感して……刹那の時間に考えることができたのは、そこまでだった。
「……ずっと、言えなかった、ことがあるの」
「……っ、ぁ……?」
もはや俺は相槌など打ててはいない。それでも喜多川は構わなかったのか、そこで初めて顔を上げ、彼女は震え声で言う。
「あの、時……森で、私が狼に、襲われ、てた、時……」
死にかけた、という最上の恐怖を思い出したのか。より一層声を震わせ、途切れ途切れになりながら懸命に喜多川は続けた。
「助けてくれて、ありがとう。……今まで、お礼を言えなくて……痛い思い、させて、ごめんなさい」
背筋に走る謎の警鐘、強ばった肩が報せる女嫌いの刷り込み……俺はそれらを一切無視して、喜多川への返答を考える。
――この返答を間違えれば、取り返しのつかないことになるとわかったから。
「……どう、いたしまして。喜多川が助かったなら、それでよかったんだ。だから、気にしないでくれ」
これでいいはずだ。
答え合わせを求めるように、意識は自然と喜多川の表情に向かった。
上目遣いでこちらを見上げる喜多川は、驚いたように少し目を見張って――数瞬後に微笑んだ。
「……そっ、か……ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しい」
へにゃりと力が抜けたように。背負っていたものを下ろしたように。
言うなれば、安心したように。
喜多川は嬉しそうに微笑んで、言葉でも自身の内心を表した。
――その微笑みに、またしても寒気を覚える。
同時に頭の片隅で、本能的に理解した。俺が恐れた理由は、やはり女性恐怖症と言えば女性恐怖症だ。それもそのはず、この〝女〟は恐ろしい。
「……私ね、ここでやっていける自信、なかったんだ」
俺の恐れは露知らず、喜多川は話を続ける。先ほどとは打って変わって軽やかに、明るい声色でその内容を語った。
――喜多川の視線はもう、俺を向いていない。正面の壁を見つめて、〝女〟の顔だって俺に向けられてはいない。
なのに、寒気が止まらない。
「でもね、倉科くんがいてくれるから、私もなんとかやっていけるの。倉科くんはすごいよね、みんなとあっという間に仲良くなって、街の人たちにも信者さんたちにもすぐ覚えてもらって」
――喜多川の口角が、自然と上がっていく。口元が緩んでいく、とも形容できる、上機嫌がゆえの笑顔だ。
「……それにさ、倉科くんは特別なの。倉科くんも、そう思ってくれるよね? 倉科くんと私、二人だけだもんね。日本人、ってさ」
この笑顔に感じるものを、俺は理屈もなく直感した。
これは、きっと、
「私、倉科くんとは離れたくないよ」
――〝妖しい〟、と、そういうものだ。
再び喜多川がこちらを向く。笑みによって細められた瞳に、俺の顔が写り込む。
「……っ、喜多川……?」
「倉科くん、だけなの。日本のことを、知ってる人」
喜多川の纏う空気が変わる。いいや、本当なら、変わってなどいない。
妖しい、すなわち妖艶とも言える雰囲気は、初めからあった。気づかなかっただけだ。
――喜多川は、膝の上にあった手をベッドについた。
彼女はそうやって重心を移動させ、ベッドについた手へと体重をかけながら俺へと距離を詰める。俺はあまりのことで動けなくなり、喜多川から目が離せなくなった。
――今ここで目が離せないのはきっと、〝天敵〟から目を逸らすのが自殺行為だから、という理由。
ギシ、とベッドが軋む。
「……私のことをわかってくれるのは、倉科くんだけなの――」
囁くようにそう言って、妖艶な顔のまま喜多川が、俺に顔を寄せてきて――
「――ッ!」
「きゃっ!?」
――俺は全身に駆け巡った衝動に逆わず、喜多川を無理やり自身から引き離した。
思い出したように、今の今まで止まっていた呼吸と鼓動が戻ってくる。
自然と俺は息が荒くなり、過呼吸のようにもなりながら――喜多川がまた近づいてこないよう腕へと力を込めながら、俺は必死に身体を落ち着かせた。
心臓が痛いほど鼓動している。呼吸は荒く、酸欠が原因なのか過呼吸が原因なのかは知らないが、とにかく目眩もしてくるような気がする。
呼吸が少し落ち着いてきた頃になって、胸の奥に居座る吐き気も自覚した。食道に胃液が逆流でもしているのだろうか、今にも吐きそうなくらい嘔吐感が酷い。
「……くら、しな……くん……?」
――その全ての原因が、〝この女〟だ。
心臓の痛み、荒い呼吸による苦しみ、胃袋がひっくり返りそうな吐き気……全てが嫌悪感にとって変わった。
――ああそうとも、こうなったのは全部、〝この女〟のせいだ。
「……すまん。今日はもう、帰ってくれ」
間違っても吐かないように口元を抑えながら、俺は女のことを睨みつけ――なんとか謝罪の言葉を選び、要求をオブラートに包むことに成功した。
――その後で、女は部屋を出ていった。そうしてくれと俺が言ったのだから、そりゃああいつも拒否はしない。
元凶がいなくなったことで、吐き気は落ち着いてきた。バカ正直に荒い呼吸をしていたのを見直す余裕もでき、俺は深呼吸に切り替えて本格的に身体を落ち着かせる。
「…………」
ベッドに身体を投げ出して、たった今の自分の行動を振り返る。
――余裕がなかったから、仕方がなかった。それについてはもうどうしようもない。
だけれど。
「………っ」
――「ごめっ……ごめ、ん……ごめん、なさい……」。
今にも吐きそうなほど体調を崩した俺を見て、その俺から拒否されて――その時の喜多川が浮かべた顔が、頭から離れない。
◆悪魔王視点◆
『キヒッ、ヒヒヒッ!』
見た。
見た見た見た、今しがたこの目で、しかと。
――あの異世界人どもが、すれ違って仲違いする様を。
『ヒヒッ、ヒヒヒャハッ!』
無様で滑稽だ。少し煽ってやればすぐこれである。かくも人間というのは御しやすくて面白い。
女の方はこれで心が折れただろう。その偏執と情愛、それが失敗する様はとくと堪能させてもらった。もう用済みだ。
それならば、今女の身体に忍ばせている私の加護で、女を乗っ取ることも――
……いやしかし、それでは面白くない。
まだいたぶっていない〝獲物〟が一つ、残っているのだから。
――ここはあえて、哀れな人間に真実を話してやり、激情して踊り狂ったところを踏み潰してしまおうか。
『ヒ――ヒッ、ヒヒヒッ!』
その瞬間の快楽を想像し、それだけで笑いが込み上げてくる。
――ああ、楽しみだ。