四話『胸にのしかかる』
◆喜多川レイラ視点◆
教会で暮らすようになって、数日が経過した。
日の入りと共に寝て、日の出と共に起きる――厳密にはそうではないけれども、とにかくそんな感じの生活リズムにも、少しだけ慣れてきた頃だ。
「――レイラ先生ってユズル先生のこと好きなの?」
爆弾が投下された。
下手人はアルドくん。孤児たちの中の、男の子の最年長。
まだ幼いというのに目端がきいて、優しい心配りのできる少年である。孤児院の中では、新参者との緩衝材役を務めているようにも見えた。
「えっ? い、いや……」
――そんな彼に爆撃された私は、もちろんしどろもどろになった。
時刻はお昼前。信者の方が寄付してくださった野菜なんかを使って、今はみんなのご飯を作っている。その当番として、私やアルドくんたちが厨房に立っているのだが。
そんな中、他に当番の子たちもいるところでの爆弾である。倉科くんがここにいないのが幸いだ。
「そ、そんなんじゃないよ、ウン」
結果、私は挙動不審になりながら答えるしかない。頬が熱いのが自分でもわかる。
「…………」
じーっ、と、アルドくんがジト目で私を見上げてきた。……とても心の痛くなる視線だ。
「……でも、ユズル先生は好きだと思うよ?」
その果てに、アルドくんはそんなことを言い出した。
「えぇっ?」
言われた次の瞬間こそ、私は慌てたけれども。
……ここ最近の倉科くんを思い出して、それはないなと冷静になっていく。
「……そんなことないよ、先生をからかうんじゃありません」
私は苦笑しながら、アルドくんへそう言った。アルドくんが「むぐ」と口を噤み、自分の作業を再開する。
私も作業を再開しながら、最近の倉科くんの動向について思いを馳せた。
――倉科くんは、やっぱりいい人だと思う。
言葉を飾らず言ってしまうなら、優良物件、というヤツか。彼の女嫌いが露呈するまで、周りの女子たちがこぞって倉科くんに目をつけていたのも納得である。
基本的には礼儀正しく、それでいて年下へはきちんといいお兄ちゃんをして、同年代である私への距離感も洗練されている。
――そう、洗練、なのだ。
倉科くんは、ともすれば何年も前からそこにいたかのように、教会やこの街に馴染んでいる。人との距離の測り方が、度を越して上手いのだという印象を受けた。
彼が人に与える印象というのも大きい。とっつきやすそうな甘いマスクの結絃くん。彼が微笑んで愛想良く口を開けば、大抵の人間は初対面なりに親しみを抱いてくれるものだ。
彼が馴染んでくれるおかげで私も馴染めているようなものなのだから、それはもうありがたいのだけれど……。
……私との間に設ける距離感についても洗練されているのは、ちょっとばかり複雑だ。
「…………」
倉科くんの行動を思い出して、私の気分が少し沈んだ。
――倉科くんは、女の子が苦手。
それは、わかっていた。
でも……。
――彼が苦手としている〝女の子〟は、その実、私だけなのである。
わかりやすいところを挙げるなら、カティアさんやジルダちゃん。
カティアさんの横で並んで作業して、不意に肩が触れ合ったりもするのに、倉科くんはノーリアクションだ。
ジルダちゃんたちのような小さい女の子相手でも、倉科くんは相も変わらず〝いいお兄ちゃん〟である。悪いことは叱り、いいことは褒める。褒める時に彼女らの頭を撫で、それでニカッと笑う顔は所謂〝兄貴分の顔〟で、正直とてもとても羨ましい。
……うん、羨ましい。
だって、私と彼の肩が触れ合うなんて、それどころか並んで作業することさえ彼から避けられている。頭を撫でるなど論外だ。
倉科くんが私に接する時は、いかにも〝警戒心マックス〟。私を常に自分の正面に置いて、不意の接近が起こらないよう私の挙動を観察し、それに応じて行動をとる。
どんな厳重な警戒プログラムを敷いているのかと、ちょっと泣きたくなるくらい。
――それなのに、彼も私のことを好き? ありえない。
むしろどの辺りからそう思ったのか、アルドくんに問い詰めたい。
……のだけれど。
「――こっちできたよ、みんなも順調だね? よし、じゃあアルドくんは他のみんなを呼びに行ってきてください」
「はーい」
自分の作業を行いながら、没頭しすぎないように子供たちの監視もし、危ない行動が見られれば止めてなければ積極的に褒めて、仕事は分担して……。
そんなことをしている時に、そのことを尋ねる余裕はないのだった。
◇
「――――」
食前に、祈りの時間。
「「――いただきます」」
その次に、私と倉科くんだけは日本流のものを行って。
それから食事だ。
「――――」
食事中に会話はない。手を合わせる私たちを物珍しそうに見てきていたカティアさんも、この数日で慣れてしまったらしい。
普段は騒がしい小さな子たちだって、ご飯を口に入れている時は大人しいものだ。……いや、彼らの口や手元が汚れるのを、年長の子が注意しながら綺麗にしてあげているので、完全に無音なわけでもないけれど。
――それにしても。
昨日今日になって気がついたのだが、
「…………」
倉科くん、ご飯を食べる姿はなんだか素敵だ。
――初めは、単に自分が作ったものが彼の口に合うかどうか、ひいてはそれで「料理もまともに作れない女なのか」などと思われないかどうか、それが心配なだけだった。
そうして倉科くんの仕草を観察していく内に、目につくことがあったのである。
「…………」
無言で、表情筋に気を配っていないが故の無表情の倉科くん。彼のテーブルマナーが、えらく綺麗なことに。
無音で音を立てず、過度に姿勢を崩すこともなければ、テーブルや口元は綺麗に保たれている。
口を動かす時も無音だし、そもそも口を大きく開くことさえない。フォークとナイフによる食事文化である異世界において、日本人だと言うのに見事なものだった。
私だってテーブルマナーくらい朝飯前だが、根っからの日本人であろう倉科くんが苦もなくこなしているのは意外に思った。
――そう、テーブルマナーがえらく綺麗。
その上、変に表情を取り繕っていない食事時。目の前の食事に集中しているために、正面に座る私のことを意識しない無防備さ。
その辺がうまく混じりあって、なんだかこう、倉科くんの〝素材の良さ〟というヤツが、かなり浮き彫りになっているのだ。
「…………」
正直、惚れ惚れする。
こうして見ると、倉科くんはやっぱりイケメンだ。元から肌荒れを知らない体質だったりするのか、異世界に来て大した手入れもしていないだろうに手荒れもない。
というか手や指の形も綺麗だ。スラッと長い指ながら、男の子らしい無骨さも感じさせる。
それが食器を操り、チョコチョコと動き回る様は、いつまでも飽きずに見ていられるくらい――
「……喜多川?」
「んえっ?」
突然、正面から声をかけられた。怪訝そうなそれ、間違いなく倉科くんのものである。
見れば、私が今しがた見入っていた指も動きを止めている。どうやらバレてしまった――というか、ヘマをしてしまったらしい。
なにせ、倉科くんの声色に若干の嫌悪が混ざっている。さしずめ、「なんでこの女は俺の指なんか眺めてるんだ」と、そんな感じだろうか。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
続けて、答えを催促するように倉科くんが言う。依然私を咎めるようなそれに、含められた意図はわかりやすい。
なんとか、ごまかさないと。
「う、うぅん。心配してくれてありがと、大丈夫。そういうんじゃないから……ご、ごめんね?」
「……。……それならいいが」
必死に言葉を紡ぎ、彼の追及を躱す。倉科くんは硬い声のままで、自身の追及を取り下げた。
――硬い声。
アルドくんやジルダちゃんのように、年下に向ける優しいお兄ちゃんぶった声でも。
カティアさんや商店街の人々に向ける、礼儀正しさを第一とした綺麗な声でも。
そのどれでもない、私にしか向けられない、倉科くんのこの硬い声。
――あぁ、うん、やっぱり。
アルドくんのこと、機会があったら問い詰めよう。
◇
――実は今日は、異世界における休日だ。
曜日、という概念がないこの世界だが、一定周期で休日が設定されているのは変わらない。
客商売のところは店によって曖昧だったりして、休日がない職業もあるのだけれども。
教会では、仕事から子供たちを解放し、彼ら彼女らを遊ばせる日として、それがあった。聞けば世間一般も同じで、それが七日周期なのも同じだとか。
七日で巡る一周期、という概念が同じなためか、日本語のつもりで「一週間」と言っても、異世界の人々に伝わってくれるのはありがたい。
そんな休日、時間の使い方は様々。とある事情がなければ、私や倉科くんは子供たちに付き合って、彼らの監督がてら遊びに興じていたのだが――
「――二人とも、もう完璧ですね……初めの頃が嘘のようです。でしたら、今日から聖書を読んでいきましょう」
カティアさんが、私と倉科くんの手元の黒板を見下ろし、感心したようにそう口にした。
――要は私たち、文字の勉強をしているのである。
そも、この教会へお世話になっているのは、当てのない異世界での住処のため。働き口が見つかれば新しい住居を、ということも考えないでもないが、数日とはいえ子供たちとすごしたことで、そんな気持ちは消えた。
そうして教会で暮らしていくことを決めたのは倉科くんも同じで、となるとカティアさんのように孤児院兼教会の切り盛りをすることになる。
必然的に、孤児たちの世話以外にもやること、学ぶことは山積みだ。その筆頭が、この世界における神学というわけなのである。
その前段階として、まずは文字がわからなければ話にならないということで、カティアさんから文字を教わっていた。
口による言葉がなぜか通じる異世界だが、文字まで同じというのはさすがにありえない。新しい言語を、しかも音声言語は同じなのに学び直す――などという難解な行為だったが、こうしてすんなりと終えられてしまった。
見たこともないような文字の形態だったのだけれど、慣れ親しんだ日本語や韓国語と同じ音節言語だったから、あとは日本語に置き換えて覚えるだけでいいので簡単だった。勉強に慣れている現役学生なのも影響していそう……と、それはいい。
――聖書、やっぱりあるらしい。
文字の書き取りに使っていた、手に持てるサイズの黒板とチョークらしきものを机に置いて。カティアさんが引っ張り出してきた分厚い本に目を定める。
あれが聖書なのだろうか。
「まずは私が音読していきます」
と、カティアさんが言う。倉科くんと私は彼女の声に意識を集中した。
やれ、神様が世界を作った時にはこういうことがあった、神様がこう名付けてどうなった、と。
簡単に言えばそんな感じ。これが創世記らしい。よくわからない。聖書とはそういうものなのだろうか。
……いけない、集中しないと。聖書から読み取れる教えがどうだとか、そういうのが重要になる仕事なのだ、牧師とか修道女というのは。
――そうして、それから二週間ほどに渡って、カティアさんによる神学の講習は続くのだけれど。
こんなことよりも、よっぽど倉科くんの好感度の方が重要だと思えてしまうのは……まあ、うん。仕方ない。
◆倉科結絃視点◆
カティアさんによる神学の講習が始まった日の、夜のこと。
この異世界……というか、国と言った方がいいかもしれないが。ともかくここら辺では、日本で言う入浴の文化があるらしい。
水道があるわけではないので用意が大変で、普段は身体を拭く程度で済ませてしまうのだが。休日は毎度、教会にある大きな浴場に水を張って湯を沸かし、お風呂に入るらしい。
俺や喜多川、カティアさんも含めて男女ごとに別れ、週ごとに一番風呂が男か女かを入れ替えて入浴するそうだ。今週は男子が一番風呂の週らしい。
そんなわけで、今まで引率役のいなかったせいで入浴中は騒ぎまくる子供たちの面倒に四苦八苦しながらも、なんとか湯船に浸かるところまで漕ぎ着けた。
――そこで。
「ユズル先生、お勉強ってなにしてるの?」
男子の中の最年長、アルドが話しかけてきた。
「今日から聖書の勉強だな。お前たちはなにをしてたんだ?」
「僕たち? サッカーしてたよねー」
俺の切り返しに、アルドが周囲のちびっ子に目配せしながら大きめの声で言った。「ねー!」と周囲のみんなが同調し、楽しげな雰囲気が広がる。
サッカー、と言うとあのサッカーだろうか。ボールを足で蹴ってゴールに入れる、あのスポーツ。この世界にもあるらしい。「サッカー」だという見知った単語なのは、元よりあった例の通訳だろう。
「ユズル先生はー?」
「レイラ先生とイチャイチャしてたー?」
楽しげな雰囲気のまま、ちびっ子が騒ぎ始める。いったいどこでそんな言葉を覚えてくるのか、と少し頭痛がするような気分になったが、それを聞いて気になっていたことを思い出した。
「してない。そういうことは言っちゃダメだぞ。……ところでアルド、お前たしか、今日はレイラ先生と一緒の当番だったよな? どうだった?」
「どうって、普通だよ?」
そう、喜多川のことである。
――喜多川レイラ。俺と同い年で、日本にいた頃は学校の制服を見かけたことがあるほどの近所に住んでいた。
この世界においては唯一の〝同郷〟。というか、〝同じ境遇の者〟。思うところは、多少はあるというもの。
正直、俺の女嫌いに引っかかる輩なので、そんなに相手にしたくはないのだが……それとは別のところで、喜多川に対するよくわからない感情があるのも事実だ。
こう……なんと言えばいいのか。執着と言うほど強くもないが、例えば喜多川が「倉科くんから離れて一人で暮らす」などと言い出したら、「目を離すのは心配だ」と思って反対する、ような。
つまり、〝心配〟。異世界に来て初っ端からあんな目に遭って、直後はあんなにガタガタ震えて、と。そんなところも見ていただけに、もはや〝過保護〟と言えるくらいになっていると思う。
「普通、か……」
「うん、普通。気になるならレイラ先生に聞けばいいのに」
「……ごまかされるかもしれないだろ?」
「そう?」
「そうなんだよ」
「ふぅん」
欲しい答えはくれなかったものの、アルドのことはなんとかごまかして。喜多川へのモヤモヤとした思いに、とりあえず蓋をすることにする。
まあ、なんだ。喜多川へのモヤモヤというのは、とても複雑なのである。
喜多川は俺の女嫌いに引っかかる女だ。つまり苦手なのだが、それでも思うところがあって心配も覚える。
しかしそれはそれとして女嫌いは変わらないので普通に嫌悪感もあるし、なにより喜多川が俺へ向ける思いに見当がついてしまって、それにも若干嫌悪感がある。
――喜多川はたぶん、俺に執着している。
彼女にとっても、俺は重要なはずだ。お互いにお互いを、得難いものとして捉えている。
俺からそう思っているのだから、喜多川からもそう思われるのは嬉しかったりする。それはそれとして女嫌いが発動するので嫌悪が微妙にある。でも思うところがあるので心配にもなる……。
……実に複雑だ。
とりあえず、まあ。
喜多川は、今のところはこの教会から離れる気はないだろう。俺もないので、ひとまず俺たちが離れ離れになる可能性は見当たらない。
そういうことでいい。複雑な感情など、時間をかけて整理して明文化すればいいのだ。
――今はただ、俺がなんと、喜多川がなんと思っていようとも、今はただこの形だけ大事にする。
そういうことで、構わないはずだ。