三話『心を覆う』
◆喜多川レイラ視点◆
連れられた先の教会で、私と倉科くんは、これからお世話になる女性と対面した。
「あなたたちが聖女様の仰られていた二人ですね? 私はカティア・コロン。この教会を切り盛りしている者です」
丁寧な口調ながら距離を感じさせない、快活で人懐っこそうな妙齢の女性、カティアさん。姓と名前の順番が違うことも言い含めながら、私と倉科くんも名乗り返す。
「ではカティアさん、二人のこと、よろしくお願いしますね」
「はい、聖女様」
ここまで案内してくれたメガーヌさんとカミーユさんは、カティアさんとの会話を最後に立ち去った。自分たちがいては邪魔になる、と思ったのだろうか。
「それでは」とカティアさんが私たちに向き直って、服装に目を留めると「まず」と口を開いた。
「――着替えからです。古着になりますが、すぐに用意します。汚れも落とさないといけませんね」
……そう言われて初めて、私は自分の姿がいろいろとダメなことに気がついた。
狼に押し倒されたり、噛み付かれたせいでタイツに穴が空いていて少し血濡れてもいるし、土汚れも酷い。こんな女がくっつくのだ、そりゃあ倉科くんだって嫌だろう。
……彼の場合、それが理由ではないだろうけれども。
――教会の庭にある井戸で水汲みを教えられて、布の準備もして、着替えを渡される。私は女性用の修道服、倉科くんは牧師服である。
ついでに私たちの個室も一緒に決められ、その中で身体を拭いたり着替えたりを行った。ちなみに、私と倉科くんの部屋は廊下を挟んだ向かい側だ。
そうして見られる格好になれば、次に教会で暮らす孤児たちと引き合わされた。
「――皆さん、この二人は新しい先生です。短い間になるかもしれませんが、仲良くしてくださいね?」
食堂に集められた子供たちに、着替えた私たちが並んで立たされる。自己紹介をすると、私は女の子たちに、倉科くんは男の子たちに即座に囲まれた。
「レイラせんせー! どこから来たの?」
「レイラせんせー、なんで変な名前なの?」
「レイラ先生! ユズル先生のお嫁さんなのー?」
レイラ先生レイラ先生と、ここでは「先生」を名前につける決まりなのか。矢継ぎ早に行われる質問に、私は四苦八苦しながら対応していく。倉科くんも同じ調子だ。
「え、えっと、とりあえずお嫁さんじゃないからっ……! み、みんな落ち着いて? ね?」
小さい子供は得意な方ではあるものの、それでもこんなに大量に相手をするのは慣れていない。私が勢いに圧されまくっていると、カティアさんが助け舟を出してくれた。
「こら、皆さん! いっぺんに質問してはいけません!」
腰に手を当て、大きな声で。しかしあくまで恐ろしくはない、ただ諌めるだけの叱り文句。
カティアさんのそれに孤児たちは「はーい」と揃って返事をして、一番年長の女の子が代表して手を挙げた。
「はい、レイラ先生っておいくつですか?」
つり目で気の強そうな、茶髪の女の子だ。「17歳です」と答えると、「ユズル先生も?」と聞き返される。
それに私が頷けば、今度は出身地を尋ねられた。
「え、えぇと……」
……どうしよう、異世界だ、なんてことを言ってもいいものだろうか。
「――ずーっと遠いところだ。俺とレイラ先生は同じところから来たんだぞ」
言い淀んだ私の耳に、取り囲む男の子たちへ倉科くんがそう答えたのが聞こえた。いろいろ衝撃的だったのだけれど、なんとか私も口裏を合わせる。
……く、倉科くん、この子たちに合わせているのか、私のことを「レイラ先生」と言っている。私もそうしなければ。
「ず、ずっと遠いところかな。結絃先生と同じだよ」
「ふーん? どんなところなの?」
茶髪の女の子が目を細めながら問い返してくる。ごまかしをしたのがバレたのだろうか、この子は意外と鋭そうだ。
……というか、見る限り女の子の数は5、6人ほどいる。年齢はほどよくバラけていて、最年長が13歳程度に見えるこの茶髪の子だ。
――こんなにたくさんの女の子がいて、倉科くんは大丈夫なのだろうか?
どうやら、私が気をつけなくてはいけないようだ。そもそも、これからお世話になるカティアさんだって女性である。倉科くんには辛い生活を強いてしまうことになる。
「えっと、ここよりずっと都会だよ。人がたくさんいて、街もすごく広いの」
視界の端に倉科くんを捉え、彼の声を聞きながら、私は茶髪の女の子の質問を躱していく。倉科くんの声は随分と楽しそうで、彼は小さい子供は得意な方らしかった。
……もやりと心を覆ったなにかには、努めて気がつかないフリをした。
◇
――そんな教会にて、私たちはその日からすぐに働くことになった。
主な役割は、子供たちの監督役である。
孤児と言えど、むしろ孤児だからこそ、将来独り立ちができるように今から訓練をする必要がある。その監督役だ。
今まではカティアさんが、もちろん周囲の手を借りながらだが、それでもほとんど一人で成し遂げてきたことだ。人手が増えて仕事が楽になる、とは、カティアさんが先ほど上機嫌に言っていたことである。
もちろん、洗濯や掃除や料理などなど……そういった基本的な家事も、子供たちに手伝ってもらいながら行ったりもする。
――現在は、それらの雑務や監督を含めた仕事の一つ……子供たちによる商店街への買い出しに、私と倉科くんはついてきていた。
森で狼とくんずほぐれつをやった直後だけれども、メガーヌさんの不可思議な光のおかげなのかなんなのか、身体は万全の状態と変わらなかったため、こうしたこともできている。
「――お、アルドにジルダちゃんか! 買い出しかい? あれ、そっちの二人は?」
行きつけの商店街があるそうで、そこまでの道のりを覚えると共に。そこにある店に子供たち向けの雑用を頼まれることだってあるので、顔合わせはしておいた方がいい。
そういうわけで、私と倉科くんもついてきていたのだが。初めの八百屋さんの店主の女性に、開口一番そう言われた。
アルド、というのが、孤児たちの中の男の子の最年長。ジルダちゃん、というのが、最初の質問攻めの時に名乗り出た女の子の最年長である。
――店主の女性は、割腹のいいおばちゃん、といった風情。アルドくんもジルダちゃんも買い出しは初めてでもないし、彼らに説明を任せてもいいのだが……。
……やはり、相手が女性ということで、私が前に出――
「――初めまして、結絃と申します。聖女様の紹介で、今日から教会にお世話になることになりまして」
にこやかに笑いながら歩み出た倉科くんに、先を越された。
……いや、よく考えてみれば、倉科くんは普通に話す分には愛想がいい普通の男の子だ。むしろ礼儀正しすぎるくらい。
問題なのは過度な接近や接触である。さすがに心配しすぎだったようだ。
「はあ、そうなの? そっちの子は?」
「あっ、えと――」
出遅れた私、話の矛先を向けられ、慌てて名乗ろうとする。
「レイラです。俺と同じく、聖女様の紹介で」
――しかしそこでも、さらりと倉科くんに先を越された。体外的な受け答えのためとはいえ、呼び捨てにもされた。
……呼び捨てそのものに不満はないのに、なんでこんなにモヤモヤするんだろう。
「結絃くんに、レイラちゃんね。教会でお世話になるって、牧師にでもなるのかい?」
「ええ、できればそのつもりです」
「そうかいそうかい。それなら贔屓にしないとね。今日はなにを買ってくんだい?」
案内役として来たアルドくんもジルダちゃんも、もちろん私でさえも挟まず、スムーズに店主の女性とやり取りをしていく倉科くん。女性の方も、初対面だと言うのに随分雰囲気が柔らかい。
……まあそりゃあ、彼にとってのタブーを侵さなければ、倉科くんはごく普通に愛想のいい好青年だ。というか見た目もいい。そんな彼がにこやかに礼儀正しくいるんだから、悪い印象は受けまい。そもそも客商売である。過度に邪険にすることもないだろう。
「――ありがとうございました、また寄らせてもらいますね」
「ああ、カティアさんにもよろしくね。チビたちにも元気にするよう言っといてくれ」
「はい」
終始和やかな雰囲気で、倉科くんと女性だけで用事が終わってしまった。アルドくんもジルダちゃんも感心したように眺めるだけで、倉科くんが大量の荷物を受け取ったのを最後に八百屋さんを後にすることに。
それは、いいんだけど……。
「…………」
――代金や品物の受け渡しの時に、女性と倉科くん、手とかが触れ合ってたのに。
なんで倉科くん、怯えてないの――?
「ユズル先生、私持ちます。これからたくさん買うから、分担しないと」
その時、今まで黙っていたジルダちゃんが口を開き、倉科くんの牧師服の裾を掴んで彼の気を引いた。
――いけない、と、私は危機感を覚えた。
だって、あんな風に背後から、腰元とはいえ女の子が服を掴むなんて。倉科くんからすれば……そう、ちょうど私が彼にしがみついた時のように、不快感を覚えることだろう。
なのに、そこでも。
「ん? 結構重いから持たせられねえよ。でもありがとな」
「えっ……」
――あろうことか倉科くんは、掴まれた服を気にも留めず、しかも無理やり空けた手でジルダちゃんの頭を撫でて穏やかに微笑むことまでやってのけた。
明らかに、私の時とは対応が違う。
違いすぎる。
「……ん、わかった……」
気が強そうに見えたジルダちゃんが、自身の頭を撫でる手によって勢いを削がれる。若干頬を染めながら俯き、倉科くんが手を離したあともそれは変わらない。
そんな彼女の反応に和んで、倉科くんの表情は明るくなっている。そして極めつけに、ジルダちゃんはどさくさに紛れて倉科くんの服から手を離さず、彼もそのことについてなにも反応していない。
――この日一番のモヤモヤが、心を埋め尽くす。
「なにあれ」と、その一言だけが胸の中にこだまする。
「――ユズル先生、でも持つの大変でしょ? 僕なら持てますよ」
「お、それでこそ男だな。ならお前にはこっちを任せよう」
「うッ、重っ……!?」
「ははは、冗談冗談。ほら、こっちなら軽いから交換だ」
そんなジルダちゃんをよそに、アルドくんと倉科くんの親しげな声が周囲に響く。さして時間もかからず次の目的の店に辿り着くが、そこでも私の出番はない。
――ああ、いけない。でも、我慢もできない。
なんで、こんなに、醜い感情が胸に居座るのだろう。
頭にのしかかって、身体を重くするのだろう。
……あぁ、嫌だ。こんな気持ち、ずっと抱えていたくなんてない。
なによりも――あんな倉科くんを、私は見ていたくない。
◇
買い出しから帰れば、仕入れた食材で子供たちと昼食。その頃になってようやく自身の空腹を把握して、腹の虫が鳴りやしないか少し心配になった。
……そのくだらない心配のおかげで、とりあえず例の醜い感情は、消えてくれた。
「――――」
教会というだけあって、食事の前には神への祈りをするらしい。カティアさんに教えられ、習った通りに見様見真似で手を組んで目を瞑る。
祈る気持ちは、正直に言うなら全くない。しかし先生と呼ばれている手前、破るわけにもいかない。
――そんな祈りが数秒続き、やがてみんなが食器を手に取る。
私もさあ食べよう、とフォークを手に取る直前に……なんとなく手を合わせ、日本流のそれを口にした。
「「……いただきます」」
しかしその声は二つ。私と、あともう一人はもちろん、
「「……あっ」」
直後の呆けた声も示し合わせたようにハモった、倉科くんである。
――全員がいっぺんに座れる長テーブルと長椅子、そこのちょうど向かい合わせ。一番の上座にカティアさんを据えた、二番目のところの私と倉科くん。
呆けた声と同時に視線も交わって、次いで三たび同時にお互いの手元を見れば、どちらも手を合わせている。
「「……ぷっ」」
……なんだか可笑しくなって、そこでも二人して吹き出した。
「……? お二人の故郷の風習ですか?」
カティアさんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。「はい」と答える声までハモる私と倉科くん。
「両手を合わせるのが、俺たちの故郷に伝わる祈りで――」
と倉科くん。
「――「いただきます」っていうのが、食材そのものや、それを作ってくれた農家の人や料理をしてくれた人に、感謝を告げる言葉なんです」
と私。
ここでも変に息ぴったりで、際限なく私の機嫌は上がっていく。
買い出しの時のモヤモヤなんて、もう吹き飛んでどこかへ行ってしまった。
「へぇ……土地が変われば、文化も変わるものですからね」
カティアさん、目を輝かせて興味深そうに話を聞いてくれる。
そんな彼女についつい嬉しくなったのは私だけではなかったようで、倉科くんは説明を続けた。
「食後は「ごちそうさまでした」と言うんですよ。これも、食材や作ってくれた人たちに――」
そこで倉科くんから私へアイコンタクト。合点承知と引き継いで、今度は私が口を開く。
「――「ご馳走になりました」と、お礼を言う言葉なんです」
二人の連携。外見は日本人っぽくない私だが、生まれも育ちも日本なのだ。立派に日の丸魂を背負っているし、これくらいの説明は朝飯前である。
――そう、出身や文化が同じという、ただそれだけのこと。
「へぇ……! よろしければ、お二人の故郷の文化について、もう少し詳しくお聞きしても?」
「はい、もちろん。食べながらでもいいですか?」
「ええ!」
――ただそれだけの理由によって、息が合ったのだ。
……でも、それは。
私と倉科くんが〝同じである〟ということの、なによりの証左。
「違う文化圏の方にはよく驚かれますが、生の海産物を食べる国なんですよ」
「な、生で?」
「そうです。お腹を壊したりもしないよう、わさびなんていうものもあってですね」
――カティアさんに、二人がかりで日本文化を吹き込む。
……そんなことを、郷愁の念なしに、100%の楽しさだけで行えたのは。
――やっぱり私が、かつてないほどに、上機嫌だったからだろう。
◆カミーユ・ブレス視点◆
――やはり、この森にはなにかがいる。
ユズルとレイラ、と名乗ったあの異邦人たちが、この世界へ訪れた原因。それが、必ずこの森に。
「……カミーユ、無茶をしてはいけませんよ?」
「わかってるよ。君の方こそ、疲れたらすぐに言うんだよ?」
眼前に広がる深い森を睨みながら、隣にいる仲間――メガーヌと言葉を交わす。
光の御子として、癒しの聖女である彼女とタッグを組み、まだ半年も経っていない。けれど初めから息はあっていたし、不安はなかった。
――光の御子としての直感が指し示すこの森に、足を踏み入れる。
その時の相棒にメガーヌを選ぶのは、つまりそういうわけだ。
「……なにがいると思う?」
自身の直感だけで答えが出ているようなものだが、念の為メガーヌにも問いかける。
僕は世界に愛された子だが、メガーヌは神の加護を授かった聖女だ。見えるものは違うだろう。
「……おぞましいなにかが、としか」
「そうか……」
しかし返ってきた答えは、自身の直感と大差ないものだった。
――この森に巣食う〝なにか〟へ感じる悪寒は、正しくおぞましいものへ感じるもの。
もっと言うなら、この世界にとっての異物――言うなれば、ユズルやレイラと同じ、異邦人の気配も。
「……そうだね、ここにいるのは、ひょっとしたら――」
――なんて、僕は冗談を言おうとして。
光の御子である自分がそれを言うのは、ちょっと洒落になっていなかったので。
「あぁ、いや……やっぱりやめておこう」
「ふふ、そうですね」
自重してごまかすと、メガーヌはそれらを見抜いて、僕の滑稽な行動に対して微笑みを零したのだった。