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誰もいないこの世界で  作者: 如月月 月
番外編『A sequel to the story』
12/24

後日談その一『はじめてのデート』

番外編、後日談。『誰もいないこの世界で、彼女は恋をして――』、始まります。

こちらは本編完結後のお話で、時系列は話毎にまちまちとなります。言うなれば、「ふと浮かんだネタに基づいて作者が好き勝手に書く場所」ですので、ふわっと緩くご覧ください。

また、ifルートも後日掲載予定です。書いた順に投稿していきますので、後日談とifルートが混ざることも予想されます。サブタイトルに気をつけながらお読みくださいませ。


長文失礼しました。それでは番外編をどうぞ。

 ◆喜多川レイラ視点◆


 私が決心をつけた日には、いろいろなことがあった。


 なんでも、悪魔王……というのがいたらしく、それが一連の元凶で、そしてもうカミーユさんによって倒されたそうで。


 ……それから、その騒動の折に、カティアさんが亡くなられたこと。


 ――だからそれからの数日は、新米の牧師と修道女として、先達に助けてもらいながら葬儀を執り行うのにてんやわんやだった。


 しかしそのおかげ――と言うと不謹慎だが――で、カティアさんやメガーヌさん以外の、教会関係者とのコネクションができた。


 どちらかと言えば参列者の方である私と倉科く――ちがう、結絃くん。ともかく、私たちでは葬儀の進行役などをすることができない。経験も不足している。


 それを補うのがメガーヌさん、本職の聖女様だが、彼女はカミーユさんと共に世界を救う旅をする身。この先も頼り続けることは叶わないので、それならば自分以外の伝手が必要だろう――そんな風に、メガーヌさんが隣町の牧師さんに取り次いでくれたのだ。


 初老の、優しげな目が特徴の牧師さんである。今は隣町の教会でお孫さんと暮らしているそうだ。子供好きなのか、ウチの子供たちを見て微笑んだ顔が印象的だった。


 ――と、そんなこんなで葬儀を行って、この世界独自の風習に四苦八苦しながら対応し、後学のためにいろいろなことを覚えたりもして。


 それが一段落した、私たちがこの世界へ訪れてから三度目の休日。


 朝起きて、身嗜みを整えて、朝ご飯を作って食べ終わって――


 そんなタイミングで、ジルダちゃんが言った。


「――先生先生、今日は二人で遊んできてください」

「「……え?」」


 朝食を食べ終わった頃に言われた、唐突なその発言。どういうことだと聞き返す声が、私と結絃くんの間で重なる。


 先生相手だからと敬語ながら、最上級の懐きっぷりになってきたジルダちゃん。言い草はとても馴れ馴れしい。


「先生たちって、この街をじっくり歩いたりとかしてませんよね? 今日一日、教会は私たちに任せて、先生は遊んできていいですよ」


 あまりに唐突だったジルダちゃんの話に呆然としている間に、私の前にあった空の食器が横から奪われた。そちらを見るとアルドくんが。


 結絃くんの方も同様に、有無を言わさず食器が強奪されている。後片付けなどやらせまい、という意思を感じた。


 結絃くんが、なんとかジルダちゃんに言い返す。


「……いや、なに言ってるんだ。誰か大人がついてなきゃ――」

「大丈夫ですって。カティア先生の時も、ちっちゃい子たちの世話を私たちに任せて出かけるのとか、よくありましたから」

「…………」


 話を遮られ、結絃くんの反論は却下された。彼は未だに不安なのか、「いやそれは仕方なくそうしたんだろ」などと言いたげな顔である。


 それでも、ジルダちゃんの言う「先生たちがいなくても大丈夫」、という言い分には反論できない。不利を感じ取ったか、結絃くんはそれ以上口を開けないままだ。


 生憎と、私にも妙案はない。なにがなんでも二人で遊びに行かせる、という強い意思をありありと感じさせる周囲のみんなの動きに、すっかり気圧されてしまっていた。


「……えっと、どうしよっか?」


 結絃くんへ上目遣い。「もうこれ諦めた方がいいんじゃ……」という意図を込めたそれには、結絃くんも負けを認めるしかないようだった。


「どうするも……はぁ。わかった、俺らの負けだ。ほんとに心配ないんだな?」

「はい」


 最後にジルダちゃんへ念を押して、未だに不安そうながら、結絃くんは外出を決めた。


「じゃあ、みんなに任せちゃうけど……困ったらすぐに他の人を呼ぶんだよ? あんまり教会から離れたりもしないから、代わりに私たちを探してもらったりして……」

「わかりました、大丈夫ですってば」


 私も、自身の心配を取り払うためにジルダちゃんに念を押す。しつこい言い方になってしまって、ジルダちゃんは鬱陶しそうにそう繰り返した。


 あまり言いすぎるのもいけない、とそれ以上は自重して。私と結絃くんは顔を見合わせて、困ったようにお互い苦笑した。


 ◇


 ――そして、大変なことに気がついた。


 着ていく服が、修道服の他に学校の制服くらいしかない。


「……う、うわぁ……」


 一度準備をしに部屋に戻ろう、と、結絃くんと別れて自室に入ったのはいいが。遊びに行くのだから相応の格好に、と思った次の瞬間にそのことに気がついたのだ。


 私のクローゼットの中には、この世界に来てから用意した下着類を含めた着替えたち。それと初めに着ていたブレザーの制服くらいしか入っていない。


 まあ、仕方ないと言えば仕方ない。この世界に来てから三週間程度しか経っておらず、その間は何着かの修道服を着回すだけだったのだから。


 普段も休日もそれで事足りたのだし、そもそも服に使える出費なんてたかが知れている。子供たちに買い与えるのがせいぜいで、まして自分は修道服だけでいいのだから買う必要さえなかった。


 だから、仕方がなかった。必然的に、ここへ落ち着いた。


 ――落ち着いた〝ここ〟というのが、年頃の乙女としてどうかと思うようなところでなければ、それで本当に万事解決だったのに。


「……ど、どうしよ……」


 どうしようもなにも、修道服か制服で行くしかないのだが。切実に、お洒落がしたいと思ってしまう。


 だって、結絃くんと遊びに行くのである。子供たちのことは気掛かりながら、それでも遊びだ。言わばデー……ト?


 ……そうだ、デートじゃないかこれ。


 服がないなら彼に選んでもらう口実にできる――とポジティブに考えたとしても、そこに着ていく服が心許ないのではそもそもスタートラインにさえ立てていない。


「……ふ、普段着、ちょっとくらいは用意しないと……」


 そうなると、まずは金銭のやりくりからだ。


 ありがたいことに、この教会は街の皆さんの援助のおかげで余裕のある暮らしができている。とはいえ、まずはきちんとみんなに相談しないと。


 というか、この問題は結絃くんだって同じはず。早急に解決すべき事柄だ。


「が、頑張ろ……」


 ――というわけで私は、「せめて普段と違う格好を」という苦肉の策で制服を着て、結絃くんとのデートに臨んだのであった。


「――そ、そういうわけなの……」


 と私は、教会から出発しながら、頭の痛い問題は先に言っておこうと結絃くんへ相談をする。


 なんとも情けない話だが、恥を忍んで言うしかない事柄でもある。結絃くんは真剣な顔で受け止めてくれた。


「それもそうだよな、普段着は用意しないと……すまん、そこまで考えが及ばなかった」

「えっ、うぅん! 君が悪いわけじゃないからっ」


 小さく頭を下げて謝ってくる結絃くんへ、私は慌ててそう言った。


 そんな結絃くんは、牧師服の上着を脱いだ白シャツといつものズボンで、普段より随分ラフな格好になっている。


 ……彼も、この世界に来た当初に着ていた男子校の制服があるはずだけれど、それは腕を狼に噛まれた際に破損している。血塗れだったりもしたはずだし、さすがに着られないのか。


 かく言う私も、狼に足を噛まれた時に出た血のせいでタイツが汚れ、穴も空いているので使えなくなってしまっている。幸いそれ以外は無事だったので、今日こうして着ることが出来たのだが。


 ――ともかく、結絃くんも同じ状況なのだからと、私はそれを提案した。


「え、えっと、そういうことだから、ちょっとやりくりしないとな、って。倉科くんの分も買わないとだし……」


 ――とそこまで言って、私は気がついた。


 結絃くん結絃くんと、脳内ではそう呼んでいるのに。今までそれを口にしたことがないせいか、私の口は勝手に「倉科くん」と呼んでしまう。


 しかも、いきなり呼び方を変えるのはハードルが高すぎる。なにかきっかけがないと、呼び名を変えるのは厳しそうだ。


「そうだな。二人分、って言っても俺は適当でいいから……レイラはやっぱり、たくさん揃えた方がいいだろ?」

「えっ? ……あ、うぅん。私も適当でいいよ、どうせ遊ぶ時にしか着ないし、これもあるし」


 結絃くんの声に我に返って、彼の言葉に返事をする。なにやら気を使われたようで、いかにも「お洒落したい……よな?」と恐る恐る聞いてくるような雰囲気だ。


「……そうか?」


 なので、とりあえず今しがた気がついたことは置いておくことにして。私は結絃くんを安心させるべく、内心を少しだけ明かすことに。


「まあ、正直に言うと、たくさんお洒落したいです。でも、あんまりできないでしょ? だから必要に応じた分だけでいいよ」


 もっと言うなら、結絃くんの前で可愛くありたいから、などというのもついたりするが……さすがにそれは恥ずかしくて言えない。


 結絃くんは私のそれを聞き、納得はしていないだろうけれども意見を引っこめる。


「……そうか。レイラがそう言うならそれでいい」

「うん、ありがとう」


 そうして始まった、私と結絃くんの初デート。恋人にもなっていないのにデートと言っていいものか、と葛藤はあるが、デートと言えばデートなのだ。


 ……とは言うものの、今朝になって急に予定を開けられて無理やり放り出されたようなものなので、私にも結絃くんにも具体的なプランはない。


 道中、自然とこんな会話になる。


「どうする? ジルダたちは俺たちに街を歩き回ってほしいみたいだが」

「そうだね……教会からあんまり離れ過ぎないようにしないとだし、それだと普段とあんまり変わらないし。どうしよっか?」


 二人して、今日の予定について頭を悩ませる。とりあえずの行き先として通い慣れた商店街の方へ足を向けてはいるが、いい案は出ない。


「――おや? 珍しい格好だね、お二人さん。どうしたんだい?」


 商店街の入口からすぐ。馴染みの八百屋さんにて、店主の女性が話しかけてきた。


 知り合いが物珍しい格好をして、いつもは子供たちを連れているのに今日は違う――彼女の好奇心はわかりやすい。


「ドレムさん、おはようございます」


 結絃くんが挨拶をしたので、私も自然にそれへ追随する。ついでに私が事情を話すことにした。


 ちなみに、ドレムさんというのはこの女性の名前で、八百屋の名前も同じなので苗字だと思われる。カティアさんや子供たちはみんなこの名前で呼ぶので、私たちもそれに倣っているのだ。


「おはようございます。実はですね、ここに住み始めてしばらく経つのに街を歩いたことがないんじゃないかって、子供たちに言われちゃって。「教会は私たちがなんとかするから、先生は一日遊んで来てー」……って」


 えへへ、と苦笑いを一つして、私は話を締めくくる。今朝の子供たちの様子を思い出すと、彼らの微笑ましさと気を使ってもらえた嬉しさで、私の頬が緩んだ。


「へぇ――」


 するとドレムさん、ニヤリと嫌な笑みを浮かべて何度か頷いた。そして私の格好を見て、更に何度か頷いてなにかに納得する。


 ……なんだか、変な勘ぐりをされたようだ。間違いでないというのが、また微妙な気分にさせてくれる。


 若い男女の片割れである女の子が普段と違う格好をしている、というのはまあ、わかりやすいポイントではあるし。


「なるほどなるほど。それなら噴水広場へ行きな。あそこがちょうどいいだろ?」

「あっ……」


 そうして、ドレムさんはそんなアドバイスをくれた。もしかすると、ここに来るまでの道中の会話を聞かれていたのかもしれない。


 以前ジルダちゃんたちに連れられて行った噴水広場。確かにあそこならばピッタリだ。


「?」


 結絃くんは噴水広場を知らないようで、話についていけていない雰囲気。それでも口を出してくることはなく、私がお礼を言うことで話が終わる。


「あ、ありがとうございます。行ってきます」


 ドレムさんが、依然ニヤつきながらまたウンウンと頷いて。


 彼女に見送られながら、私たちは街の中心部、噴水広場に向かった。


 ◇


 噴水広場へ辿り着くまでの少しの時間に、結絃くんへ私が噴水広場を知った経緯を話す。その話の流れで、彼はその時街の外で子供たちと一緒に走り回っていた、とも聞かされた。


 そんな話がひと段落する頃に、噴水広場に到着する。


「ここが……」


 結絃くんが、うわ言のように呟きながら広場を見回した。以前来た時のように些か人で賑わっており、これぞ街の中心部といったところか。


 とそこで、私は一つ気がついたことがあって、結絃くんに問いかける。


「あっ……人混み、とか、大丈夫かな? と、とりあえず、あっちのところで座って休みながら、なにか話せたらなって思うんだけど」


 広場の片隅。木が植えられて木陰にはちょっとしたスペースが設けられている、ベンチも備え付けられた箇所。


 私はそこを示しながら、結絃くんへ確認をとった。彼はなんでもないことのように気軽に答える。


「ん、大丈夫だぞ。満員電車とかも我慢すれば乗れるんだ、これくらいなら心配ない。気ぃ使ってくれてありがとな」

「う、うぅん、どういたしまして」


 お礼と返礼を交換し、結絃くんは私が示したスペースの方へ歩いていく。私はそれについて行きながら、内心の動揺をなんとか宥めていた。


 ……なんというか、こういう何気ない会話に自然と「ありがとう」が出てくるって、地味にすごいことではないだろうか。


 私もこれから、意識してお礼を言うようにしよう。夫婦生活の鬱憤はこういう小さなところから溜まると言うし……いや、まだ付き合ってすらないんだけど。


 同居してるから無関係ではないのだ。とにかく気をつけよう。


 ――先にベンチに辿り着いた結絃くんが、それに腰掛ける。元々3、4人程度が座れそうな幅のベンチだ、彼の隣には充分なスペースがあった。


「…………」


 ――結絃くんとのことでなにかを気にする、という話をするなら、〝これ〟が一番重要だ。


 結絃くんに過度な接近をしてはいけない。間接的、直接的を問わず接触など以ての外。


 これには不意に起こる不可抗力のものも含まれ、たとえ双方に悪意や過失がなかったとしても罰則がある。


 罰則とは、結絃くんからの拒絶。ひいては、結絃くんから嫌われる。


 ――それはめちゃくちゃ困るので、当然私はすこぶる気を使い、結絃くんとは反対側のベンチの端に腰掛けた。


 私と結絃くんとの間に空いたスペースは、悠に人一人分。


 ――私がそんな風に距離を空けたのは、いかにも気を使っているあからさまな動作である。結絃くんは、当たり前のように私の行動の意図に気がついただろう。


「ん――」


 一度私の方に目を向けて、一瞬躊躇うような間を置いてから、結絃くんは視線を逸らした。なにか言いたげな雰囲気だが、生憎とそれを汲み取ってあげることはできそうにない。


 とりあえず、結絃くんの態度に嫌悪感は現れていない。そういうことで構わない。私の行動に、間違いはなかったと思う。


 ……まあ、例の夜の一件で、結絃くんから突き飛ばされてまで拒まれ、射殺すような目で睨まれたことが忘れられなくて、そのせいで行動が過剰になりがちなのは認める。


「…………」

「…………」


 少し、沈黙が降りる。


 元から雑談を多く行う間柄ではなかったし、ここには話題もない。その気まずさと距離感は、そのまま私たちの物理的な距離と同じだけだ。


「――レイラ」

「っ、なに?」


 口火を切るのは結絃くんの方。特にどんな感情も込められていない、雑談の合図として相応しいなんでもないような声色だ。


「その制服って、――高校のだよな?」

「あ……うん、そうだよ」


 選ばれた話題は、私たちの間で共通したもので、なおかつ普段は話せないようなことだった。それもなんの益にもならない無駄話で、とことん雑談に相応しい。


「倉科くんが着てた制服は――校のだよね」

「ああ。そこそこ近くに住んでたんだな、俺たち」

「うん」


 そこそこ近くというか、小中学校が同じところになるくらいには近所である。しかし結絃くんの方は私を覚えていないようだし、それは話題に出さないでおこう。


「久しぶりに制服だったから、なんか新鮮だ。似合ってるな、それ」


 こちらに視線を向け、私の服に目を下ろしながら結絃くんが言う。


 好きな人からの突然の褒め言葉、もちろん私は動揺した。


「えッ、う、うん、ありがとう……」


 着飾ろうと思って着たわけではなく、むしろ「制服でデートに行くなんて……」と若干気分が沈んですらいたところだった。


 そこを褒められたとあって、私は緩みそうになる頬を必死に取り繕う。


 つまりかなり嬉しい。


 ……ちょっとした褒め言葉一つで舞い上がるとは、我ながら安い女だ。


 内心をごまかすために、なんとか私からも切り返そうとする。


「く、倉科くんも、あんまり見慣れないから新鮮。に、似合ってる」

「ん、そうか? ありがとう」


 結絃くんの方は大して照れた様子もなく、すんなりとお礼が返ってきた。……彼にとっては、女からの褒め言葉には価値がなかったりするのだろうか。


 考えてみればそれもそうである。私だって、嫌いな人から褒められても嬉しくなんてない。結絃くんはそう感じたのだ。


 ……いけない、なんだか思考がネガティブだ。無理やりポジティブに解釈すれば、なんでもないことだからほんとになんでもないようにあっさり答えた、と考えることもできるのに。


 でも――そうやって夢を見て、勘違いをして、先走った行動をすれば、またあの夜の再現になるから。


 それなら、ネガティブなくらいがちょうどいいのかな。……いやいや、それだと関係が進展しなくなる。行動は積極的に、思考はネガティブに、だ。


 ……それでいいのか、私。恋する乙女だろうに。


「――――」


 ふと、会話が途切れる。やはり雑談を普段からしない間柄では、会話はあまり続かない。


 ちょうどいい話題でもあればいいのだが、なんて考えて、私はそれを思い出した。


 結絃くんへの呼び名の件だ。口では「倉科くん」、心の中では「結絃くん」なので、口の方も結絃くん呼びにしようという話。


 ――思考をどうするかはともかく、行動は積極的に、である。もちろんあの夜のようなことにならない範疇でだが、呼び名を下の名前にするくらいは結絃くんもやってくれているのだし、許容範囲のはず。


 というか、そんなに不安なら、ぶっちゃけて許可を求めてしまえばいいのだ。思い浮かんだ話題とはそのことである。


「……あー、えっと……くらしな、くん」

「ん? なんだ?」


 呼び名を意識したせいか、呼び慣れた「倉科くん」でさえぎこちなくなってしまった。


 めげずに、私はそのことを聞いてみる。


「わ、私も……ゆ、「結絃くん」、って……呼んでいい、かな?」


 ――心臓が脈打つ。身体全部が熱を持ったようで、嫌な汗が吹き出した。


 極度の緊張。それも恐怖や不安を多分に含んだ代物で、それは私から平静を奪うには充分すぎる――


「あぁ……そうだな。俺も「レイラ」って呼んでるんだから、そうしてもらえると助かる。というか――」


 結絃くんの返答は、いかにも平常運転なもので。


「――そうしてもらいたい、な……好きな子から下の名前で呼ばれるの、結構嬉しいんだ」


 しかし最後は頬を染めながら、ボソボソととんでもないことを言うものだから。


「あ、や、えと、そ、そっか。じゃ、じゃあ、そ、そういう感じで……」


 結絃くんの照れ具合は十倍返しで跳ね返ってきて、私は見事にどもりまくった。


 ……これはやばい。これから結絃くんのことを呼ぶ度、全部こんな風になる気がする。それは本当にまずい。


 いやいや、子供たちの前だといつも「結絃先生」と呼んでいるのだから、そこから先生が取れたくらいで軟弱な。


 問題はそこではなく、「〝二人きりの時だけ〟下の名前を呼び〝合う〟」と、そんなところなのは理解しているがそれでもだ。


 とにかく、とにかく一旦落ち着け。それから結絃くん呼びを積極的に行って、慣れるところから――


「……それで、だな。レイラ?」

「えっ? は、はい、なに?」


 今度は結絃くんから、妙に言いづらそうにおずおずと言われた。


 彼の頬は染まったままで、そんなに恥ずかしい申し出をするつもりなのかと私は変に身構えてしまう。


「俺からも一個、お願いしたいことがあってな……」

「う、うん」

「……手、握らせてほしい」


 ……。


 …………。


「………う、うん?」


 手? 手が、なんだって?


 握る? 誰が? 誰のを?


 え、まさか私?


 ……え?


「っ、手を、握らせてほしいんだ、レイラの。い、嫌なら別に構わないんだが、こう、手を繋ぐ、みたいなことをだな……」


 …………。


 ……ばっちり、恥ずかしい申し出じゃないか。


 そうかなるほど、結絃くんも私と同じことを考えたのだな。相手に嫌がられるかもしれないのだから、もういっそぶっちゃけて許可を求めてしまえ、と。


 その果てに行うのが、私は下の名前呼び、結絃くんは手を繋ぐ……付き合いたての小学生カップルか。なんたる初々しさ。


「ぅ、うん……ど、ど、どうぞ……」


 ……ああもう、手を差し出すだけなのにどれだけ緊張しているのか、私は。


 でも仕方がない。ほんとに恥ずかしいのだ。わざわざ口頭で許可を求められたせいで、恥ずかしさが増幅されもしている。


 これには結絃くんも、さっきの赤面っぷりをさぞ酷くさせて――


「――――」


 ――私が伺った結絃くんの顔は、妙に表情が固かった。


 赤面はしていない。女性の手を握ることに緊張しているというよりも、別種のなにかに縛られているような顔だ。


 ――そりゃあそうだ。彼にとっての恐怖の象徴に、今から手を触れようというのだから。


 それも自分の意思で、だ。それは最早、抜き身の刃物に自ら触れようとすることとなんら変わりがない。


 触れれば切れるし、切れるとわかっていながら手を出すなんて。そんなもの、痛いだけじゃ済まない。


 正しく身を切るほどに、恐ろしい――


 ……冷水を浴びせられたように、私の思考も冷却された。その冷却の勢いたるや、正しく頭を鈍器で殴られたかのよう。


「あっ、く、倉科くっ、無理しないで……!」


 呼び名に気を配ることができないくらいに動揺して、私は手を引っ込めて胸の前で握りしめた。恐る恐る私の手に向かってきていた結絃くんの手も、そこで動きを止める。


「あ……すまん。心配かけたな」

「そ、そうじゃなくてっ!」


 私が心配したことへ謝意を表す結絃くんに、私は思わず声を荒らげる。


 私が言いたいのはそうじゃない。私がどうしたかなんて関係ない。結絃くんが無理をしようとしたこと、それがなにより悲しいのだ。そっちの方が重要に決まってる。


「っ……」


 ――けれども、結絃くんが私の声に肩を跳ねさせて、より一層表情を固くさせたから。


「あ……ご、ごめん、なさい」


 またもう一度頭を殴られて、強制的に私は冷静になった。


 ……私はバカだ。結絃くんにしてみれば、女である私の行いは全部が恐怖の対象だ。なのに声を荒らげるなんて、逆効果にもほどがある。


 私は視線を落とす。項垂れるままに頭を下げて、結絃くんへ謝った。


「……今のはレイラが悪いわけじゃない。俺の方もごめんな」

「っ、ち、ちがっ――」


 頭上から降ってきた、結絃くんのその言葉。それがあまりにも見当違いで、私はまたしても声を荒らげそうになった。


 寸前で堪えて、これだから私はダメなんだと今一度強く自身を諌める。唇を引き結び、なんとか穏便な言葉を引き出そうと四苦八苦していると、そんな私に結絃くんが言う。


「俺は、レイラのことが好きだ」

「は……えっ?」


 突然の告白。一気に頭の中が漂白され、思わず私は結絃くんを見た。


 ――結絃くんはびっくりするほど真剣な表情で、私を真っ直ぐに見つめていた。


 視線が合い、私は結絃くんの瞳に射抜かれる。射抜かれたことを示すように心臓がドキリと高鳴って、ほっぺたが熱くなった。


 結絃くんは目が合ったことに安堵したようにフッと雰囲気を和らげると、ぎこちない口調で続ける。


「俺は女が嫌いだが、その、恋愛対象としては女性を選びたい。男が好きってわけじゃないからな」


 なにも言えない私に、結絃くんは静かに告げた。


「だから、俺はレイラのことが好きだぞ。ちゃんと恋愛対象として――嫌いな〝女〟として見てたとしても、それでも〝レイラ〟を好きになった」


 「そうだな……うん。絶対そうだ」と呟いて、結絃くんは自身の中の感情を確かめる。私にそれを告げながら、彼も自分の心を知ろうとしているのだ。


 ――そして今度は、躊躇いはあれども勢いは充分で。


 結絃くんは、私の手をとった。


 私が引っ込め、胸の前で握っていた手を。結絃くんはパッと思い切って掴んで、グイッと引っ張るように自身へ引き寄せた。


 結絃くんの方へ手が引き寄せられ、その勢いで私の上体が倒れる。なんとか握られていない方の手をベンチへ突いて踏みとどまるが、結絃くんと距離が近づいてしまった。


 いけない――と私の脳内に走った危機感は、ばっちり的中していた。


「っ――だいっ……じょうぶ、だろ?」


 慌てて結絃くんの顔を見上げた私の視界に、結絃くんが無理をしながら笑う顔が映り込む。グサリと、なにかよくわからないものが心に突き刺さった。


 ……突き刺さったものはきっと、結絃くんへの申し訳なさと、罪悪感。


 そして、結絃くんが無理をしているという事実に加えて、無理をさせているのが他ならぬ私だという最上の悲しみ。


 ――でも、結絃くんは気丈に笑ってみせていた。


 声は硬くて震えており、見るからに無理をしている顔色なのに。


「………うん」


 それしか、言葉が出なかった。


「…………」


 結絃くんは私の肩に触れ、倒れた私の身体を元通りに起こしてくれた。


 そこにもやっぱり若干の躊躇いや緊張があって、結絃くんの無理が伺えた。


 するりと結絃くんの手が離れていく。よかったこれで――と思ったのも束の間、結絃くん本体が腰を浮かせて私の方に近づいてきて、僅か拳一つ分ほどしか距離を開けずに私の隣へ。


 そして、当然のように再び手を握られた。


「…………」


 私は、固まったまま動けない。


 ――どうして、結絃くんはこんなことをするんだろう?


 だって、怖いはずだ。ほら、今だって顔色が悪い。めっきり喋らなくなったのは、喋る余裕さえないからだろう。


 私は、結絃くんが抱く種類の恐怖を感じたことはない。だから、そんな恐怖を堪えながら手を握る苦しみは、さっぱりわからない。


 ――でも、結絃くんの顔色を伺うことはできる。結絃くんが、尋常でない無理をしているのはわかる。


 だから、こんなことはやめさせるべきだ。結絃くんの意志を無視することになったって、彼が苦しまないことが一番のはずだから。


 ……なのに。


「…………」


 どうして、なにも動けないんだろう。


 この状態の結絃くんには、私の行動は全てが毒だから? 手を振り払うなんて強引な手段は論外で、言葉を発するのも考えものだから?


 ――違う。


 もっとずっと利己的で自分勝手な、醜い理由のせいだ。


 ――結絃くんの手を離したくないと、思ってしまったからだ。


 だってそうだ。いいじゃないか。結絃くんを傷つけてしまうことだったとしても、彼本人がそれ望んでいる。


 これ幸いと甘受したって、他ならぬ結絃くんがよしとするのだから構わないだろう。


 ましてその要求が「手を繋ぎたい」だなんて、私にもメリットのある話だ。好きな人からそんな風に求められて、拒む理由がいったいどこに――


 …………。


 ……拒む理由なら、これ以上ないものがある。


 私のバカ。死んでしまえ。


「……あ、あの、倉科くん……?」


 ピクリ。結絃くんが私の方を向いた。


 話に応じてくれる雰囲気。私は用件を話そうとして――結絃くんに先を越された。


「結絃。……呼んでくれるんじゃなかったのか?」

「――――」


 純粋に疑問に思ったような口調で、結絃くんは私の出鼻を挫いた。不思議そうに彼は小首を傾げ、私を見てくる。


「ゆ、ゆづる、くん……」

「…………」


 なんだか勢いが奪われた気分だ。恐る恐る結絃くんの名前を呼ぶと、なぜか彼から反応が返ってこない。


 どうしたんだろうと私が微かに慌てた瞬間、結絃くんがポツリと零した。


「……もっかい」

「えっ?」

「もういっかい、呼んでくれ」

「え……」


 なんだか子供っぽい要求だった。毒気が抜かれたような思いで、そんなに呼ばれたいのだろうかと不思議に思いつつ、私は結絃くんの名前を呼ぶ。


「……ゆ、結絃くん?」

「…………」


 またしても反応が返ってこない。私を見つめたまま結絃くんは固まるので、なんだか気まずいのだが。


「……ゆ、結絃くーん……」


 困って、私はもう一度その名を呼んだ。パチリと、結絃くんがまばたきを一つ。


 ――彼はゆっくりと顔を逸らし、私から表情が見えない角度まで首を回転させて、口元に手をやった。


 ……見間違いでなければ、結絃くんの頬やら耳が赤くて、口元が緩んでいたように見えたのだけれど。


 な、なんだろうか、この反応。結絃くんが恥ずかしがってる? それとも、私に名前を呼ばれたのがそんなに嬉しいのか?


 そ、そういえば、好きな子から呼ばれるのは云々とさっき言っていた。それか。


「……ゆ、結絃くん?」


 結絃くんが、口元を手で隠しながらこっちを向いた。やっぱり頬が赤く、隠しきれていない口角は緩んでいる。


「……すまん、なんか嬉しくてな」

「あ、そ、そうなんだ……」


 私はもう「よかったね……」と言うしかない。なんだか恥ずかしくなってきた。


「も、もういい時間だし、そろそろ戻らない? あんまり離れすぎるのもよくないでしょ?」


 耐えきれず、私はそんなことを提案していた。


 いい時間、と言ったって、大して経過しているわけでもないのだが。結絃くんも耐えきれなかったのか、彼はその申し出を快諾してくれる。


「そ、そうだな。帰るか」

「う、うん」


 二人同時にベンチから立ち上がる。気づけば、周りから注がれる視線の量がすごいことになっていた。これではただの見世物である。


 ――二人して逃げるように広場から教会の方へ早足で。帰り道にドレムさんと遭遇してからかわれる一幕はあれ、そのまま何事もなく教会へと帰りついた。


 帰りついた教会では、


「え? まだお昼にもなってないですよ。帰ってくるの早すぎます! また行ってきてくださいっ!」


 と、ジルダちゃんに追い返されて。今度は行ったことのないところへ行ってみようということになり、私と結絃くんは連れたって歩き出す。


 ――そしてそこで、手放したくないと思ってしまい、それを必死に自制した温もりがまだ片手にあることに、ようやく気がついた。


 その日は結局、ずっと結絃くんと手を繋ぎっぱなしで……でも、途中から結絃くんの態度に緊張がなくなったのは、〝進歩〟と言っていいのだろうか?


 ……いや、別に進歩でもないのだろうか。ただ単に、結絃くんも私も、手を繋いでいることを忘れるほど異世界の街並みを楽しんでしまった、ということだ。


 ――でも、これなら。


 結絃くんが、苦しまないのなら。


 ……この手の温もりだけしか、求めないから。


 もう少しこのままいても、いいよね……?

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