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誰もいないこの世界で  作者: 如月月 月
本編『誰もいないこの世界で、彼女は――』
11/24

十話『彼女なりの出発点』

 ◆喜多川レイラ視点◆


 ――重たい沈黙の中、私たちはほとんど同時にご飯を食べ終わった。


 倉科くんは椅子に、私はベッドに座って、それぞれ膝の上にお盆を乗せて。


 空の食器を乗せたお盆を傍らの机に置いて、倉科くんが私に向き直る。


 ――来る。


 なにを言われても、なにもされても、私には文句を言う資格のない代物が、今から倉科くんの手によって行われる。


 ……ああ、怖い。怖いよ。


 できることなら、耳を塞いでしまいたい。目を瞑ってしまいたい。倉科くんの前から、今すぐ消えたい――


 けれど、彼は口を開く。


「喜多川」

「っ……」


 ビクリ。私の肩が勝手に跳ねた。


「……喜多川、初めに言っとくぞ」


 倉科くんは、なぜか柔らかい声色で言った。


 その声色が予想外で、私は一瞬呆けた。倉科くんはそんな私に気づかず、そのまま続ける。


「俺は怒ってない。俺が喜多川のことをどうするかは、喜多川のこれからの行動で決めようと思ってる。だから、怖がらずに話を聞いてほしい」


 ――言われた内容は、その全てが理解不能だった。


「……え……」


 思わず伏せていた顔を上げ、倉科くんの顔を凝視してしまったくらい、彼の言葉はわけがわからなかった。


 怒っていない? 倉科くんが? あんなことをした私に?


 そんなはずはない。だって知っている。今の倉科くんがどう取り繕っていたって、どれだけ隠したって、昨夜のあの瞬間の倉科くんの激情は、決して嘘なんかではなかった。


 それが、怒ってないだって? ありえない。


 ……ありえない、けれど。


 倉科くんの声が、態度が、表情が――本当に、怒りを抱いてはいなかったものだから。


 希望を、持ちたくなった。


「……あー、順番に話していくな? ちょっと長い話になる」

「え……う、うん。いいよ……?」


 私が信じられないと思ったのを彼もわかっているのか、倉科くんは説明口調に切り替わった。一呼吸置いて、彼は話し始める。


「――たぶん、知ってると思うけどな。俺、女性恐怖症……というか、女のことが嫌いなんだ」

「……う、うん」


 まず最初のそれには、すんなりと相槌がうてた。


 倉科くんも自覚があったみたいだが、彼の態度はわかりやすいのである。彼は女性恐怖症なのだ、ということはもちろん知っていた。


「だから、初めは喜多川のことも苦手だった。女はこういう嫌な生き物だ、って先入観で、一方的に嫌ってた」


 そこまでは、「そりゃあそうだね」と思って聞けた。倉科くんが〝そう〟なのだから、女に生まれた私が嫌われるのは当然だ。


 そこに疑問はない。「なんでなにもしてないのに嫌われなくちゃいけないの」、のような不満は、多少なりあるけれども。


 ――だけど、少しだけ躊躇うように言葉に詰まってから続けられたそれには、疑問を覚えた。


「……正直に言うと、今でもそれはまだ抜けてない。すまん」

「えっ……」


 思わず口から漏れた、心底からの驚き。


「い、いや、謝らなくてもいいよ……!」


 それを慌ててごまかすのと、頭を下げた倉科くんに謝罪をやめさせるために、私は手を振りながらワタワタと言う。


 ――私が覚えた疑問というのは、「なんでそこで謝るんだろう?」。


 普通に考えて、先入観ありきで嫌われている私が覚えた不満に対しての謝罪、なのだろう。私の疑問はその先だ。


 曰く――「倉科くんが謝る理由がない」、である。


 倉科くんは、先入観だけとはいえ女性を嫌う。それによって女性から嫌われたとしても、彼自身はそれで別に構わないはずだ。


 彼も嫌いなのだから、お互いに嫌いあったって大差はない。それは私との間であっても同じはず。


 ――私に嫌われることで、倉科くんになにか不都合があるのだろうか? だから、私に謝ってきたのだろうか?


「……それで、だな。今も抜けてない、って言ったのは本当なんだが」


 倉科くんの言葉に、ハッと我に返る私。考え事に没頭して倉科くんの話に意識を割り振っていなかった。


 話に追いつけるよう頭の中を整理しながら、倉科くんの話を聞いていく。


「それはそれとして、喜多川のことを知って考えを改めたところも、ちょっとはあってな……」


 ところが倉科くん、なぜかごにょごにょと小声になっている。視線も、先ほどまでのように私を見てはいない。斜め下に逸らされ、ほっぺたもなんだか赤いような……。


 ………あれ、もしかして倉科くん、なんか照れてる?


 今の話のどこに、そんな照れる要素があったのだろう?


 ……えっ、まさか、そういう話? いやいやまさか、そんなバカな。


「ゴホン、とにかくっ」


 またしてもハッと我に返る私。今度は考え事ではなく、驚きからの思考停止が原因だ。


 倉科くんは依然照れたような態度のまま、早口で続けた。


「……喜多川のことは、もう初対面の時ほど嫌ってない。一緒に暮らしてて、いいところなんて山ほど見つけてるからな」


 ――と、倉科くんは言う。


 それは、つまり……。


 つまり、倉科くんは、私のことが――?


 ……いや、それは違う。ぜったい違う。


 だからつまり……えっと、どういうことなんだろう。


 そもそもこれ、私がやらかしたとんでもない失敗についての、糾弾やら罵倒やらの話ではなかったか? なんで倉科くんからの好感度が微妙に高いのだろうか。


 え?


 ……え?


「……ここまではいいか?」

「え、えっ? ……あっ、う、うん。だいじょぶ、聞いてますっ」


 あまりにも唖然としすぎたせいか、倉科くんが確認をとってきた。ぶっちゃけ話はよくわかっていないのだが、とりあえず聞いてはいるので私は小刻みに頷く。


 ……とりあえず、倉科くんの話を最後まで聞こう。そうすれば、どういうことなのかわかるはずなのだし。


「それで、だな……ゆうべのあれは、本気で嫌だったんだ」

「――っ」


 ……来た。


 これだ、この話だ。


 この話に繋がってくれるのなら、きっとわかりやすい結論が提示される。


 そう。倉科くんが今しがた言ったように、彼は本気で嫌がっていた。そんなことをやった私には、下すべき沙汰というものがある。


 取り返しのつかないことをしたのだから、リカバリーなんて不可能だ。修復ができないのであれば、行き着く先はもちろん――


「――だけど、喜多川の気持ちもわかる」


 ……は?


 いま、なんて?


「この世界で、二人だけの日本人だもんな。俺も、喜多川のことは大切に思ってる。……だから、喜多川の気持ちもわかるんだ」

「……ぁ、え……?」


 ……わから、ない。


 倉科くんがどうしてそんなことを言うのか、わからない。


 なんでそんなところに辿り着いたのか、てんで全くわからないのだ。順番に説明してくれるんじゃなかったのか、これでは本当にわからない。


 ……でも。


 あぁ、それでも。


 ――信じたい。


 今一番欲しくて、けれど絶対に手に入らないと思っていたものが、それなのだ。


 信じたい、嘘だなんて言わないでほしい。夢を見させてほしい、夢だから叶わないなんてことこそ間違いだと言ってほしい。


 どうしてそう言うのかわからないなんて、本当はデタラメだ。なにより私と同じだと言ってもらえているのだ、わかるに決まってる。


「喜多川。あれは本当に嫌だったけどな、それは単に、やり方が悪かっただけなんだ。あんな風にされるのは嫌だが……」


 倉科くんは、真剣な表情を維持したまま続けた。しかし真剣な表情はそこまでで、またしても照れたような態度になってごにょごにょ声に切り替わる。


「……他のやり方ならまあ、考えなくもない……から、な。ウン」


 カァ、と、ハッキリ倉科くんの頬が染まった。それと同時に、私の頭の中にその言葉が染み込んでいく。


「は、初めに言った、「喜多川のこれからの行動で決める」っていうのは、そういうことだっ。次またゆうべみたいなことしたら、そしたら今度は許さない。ほんとに怒る」


 やけくそ気味の早口で、倉科くんは捲し立てた。


 それはそうだと、その言葉はすんなり飲み込める。私が飲み込むのに苦労しているのは、もっと別のところ。


 つまりこういうことなのか……なんていう、ぼんやりと意図はわかるけれど。自身が辿り着いたそれが、あまりにも荒唐無稽に思えてしまって。


 ――……もうちょっとハッキリ、ちゃんと言葉で欲しい。


 そんな私の思いには、彼の回りくどい話に対する不満も入っていたけれど。


 やっぱり主な部分では、「夢を信じさせてほしい」という、縋りつく行為にも似た甘えがあった。


 ――しかして、その甘えは。


 否、その夢は。


「……だ、だから、レイラのことは嫌いじゃない。次またしたら、その時に嫌いになる。今は、まだ……好きだ」


 叶え、られた。


 確かに聞いた。「好きだ」と、明確に私のことを示して倉科くんが言った。


 というか下の名前で呼ばれた。それに加えて倉科くんのこの激しい照れ様、もうこれは確実だと思っていい。


 ……ねえ。


 ほんとうに、


 そう、思って、いいんだよね……?


 ほんとに、ほんとうに、倉科くんは……私のことが、好きなの――?


「そ、そういうわけだっ。お前がどう思ってるのか知らないが、俺はまだレイラのこと好きだからな、惚れさせてやるから覚悟しろ」


 …………。


 ………あぁ、ほんとだ。


 わたし、倉科くんから、見放されてなかったんだ。


 チャンスを、またもらうことができた。それどころか、私がなにもしなくても倉科くんの方から来てくれると、宣戦布告だってされた。


 取り返しのつかないことだって思ってたけど、私、許してもらえたんだ。


 ……ああ、だけどまだ、ちょっとだけ信じられない。


 地雷を踏みに行ったバカな私を、それでも嫌いにならないなんて。倉科くん、結構無理のあることを言った自覚はあるのだろうか?


 ……頭では、なんとなく理解できている。


 倉科くんが本当に私を嫌いなら、そもそもこんな風に顔を突き合わせることさえしないだろうし。ましてこんな告白紛いの宣言、デメリットでしかない。


 だから、倉科くんの言っていることは本当だ。


 ……でも、でもちょっとだけ、もうほんの少しだけ、躊躇いがある。


 ――私、倉科くんのことを好きでいても、いいのかな?


「……は、話は終わりだ、今日一日くらいゆっくり休んでろっ」


 倉科くんは自分の分のお盆を片手に持ち、ズカズカと私の方に歩いてきて私の分のお盆も持った。両手が塞がっているのに意地を張り、彼は苦労しながら扉を開けて部屋から出ていく。


 言葉通り、話は終わりなのだろう。


 ……そう、いえば。


 一人分の食事を別に取り分けて、お盆に乗せてここまで持ってきて……そんな手間のかかることを二度もした上に、空の食器はああして彼が後片付けを買って出てくれた。


 捨て台詞には「休んでろ」と乱暴な言い方で、私からお盆を奪う手つきも些か乱暴だったが、それは照れ隠しだろうか。


 ……というか倉科くん、私が食べずに残していた方を彼が食べて、私には出来たての方を譲ってくれた。


 ……。


 ……倉科くんは、私のいいところなんて山ほど見つけてると言っていた。


 実はそれ、私も同じ、なんだけど……。


 ……あれ。


 倉科くんって、いい人だ。


 それは初めからわかっていたけれど、今になって初めてそのことを、もっとずっと素直に受け取ったというか、真っ直ぐ受け止められたというか……。


 ――脳裏に倉科くんの顔が浮かぶ。年上に見せる綺麗な愛想笑い、年下に向けたお兄ちゃんの顔……さっきまで見せていた、照れ顔。


「……っ」


 あ、あれ? なんか身体が熱い。


 心臓が変に元気になって、全身が熱を持ったようにカァと熱くなってもいる。


 ……え、まさかこれ、私、ドキドキしてる?


 ………や、や、やばい。なんとかしないと。


 と、とりあえず、身体を動かしたい。なにか行動を起こしてこの熱をごまかしたい。


 なにか、なにかないか。


 すぐに、思いつくのは――!


 ――ガチャッ、パタパタパタ!


「ま、待って! あ、後片付け、私がやるから!」


 無我夢中で部屋を飛び出し、倉科くんの背中を呼び止める。靴を履き忘れたがもういい、構うものか。


「いや、休んでろって言……」


 倉科くんが振り返って、肩越しに私に目を向けて動きを止めた。


「……その格好で、か?」

「えっ?」


 ――そして私の羞恥心が爆発した。


「え、ぅわっ!?」


 その格好、とはすなわち、寝間着姿。


 些か質素な布とデザインながら、地球で言うネグリジェのようなものだ。この頃が初夏の陽気ということもあってそこそこ薄手のもので、どうあれ間違っても外を出歩く格好ではない。


 ――それを私は、気づかなかったとはいえ倉科くんに見せ続けたまま長々話し込み、あまつさえ外に飛び出してきた。しかも裸足だ。


「ご、ごめんなさいぃ――!」


 謝りながら、私は踵を返して全力ダッシュ。気持ち的に光の速さで部屋に逃げ込み、その速度のまま扉を閉めて鍵をかけた。最速ラップを叩き出せた気がする。


 ……ああもう、やってしまった。


 倉科くんの前の私は、なにもかも失敗してばかりな気がする。昨夜のは特大だったし……まあ、今回のはささやかだったのでよしとしよう。


「……うぅ……」


 ……でももうちょっとだけ、この羞恥心に悶えさせてください。


 ◇


 ――倉科くんのしてくれた話で、私はいろいろな答えを見つけたと思う。


 遡れば、この世界に召喚された時から続く問題が、一件落着したと言ってもいいだろう。


 だから、ここから始める。


 女嫌いの倉科くんからああまで言ってもらえたのだ。応えなくては損というもの。


 ……それと同時に、私は自身の歪な心を自覚した。


 今まで私は、倉科くんを見ていなかった。彼のことを観察してなにかを思うことはあれ、それが恋愛感情に結びついてはいなかった。


 倉科くんを求めていた私は、ただ拠り所が欲しかっただけなんだと思う。倉科くんを好きなのは本当だけど、それはきっと歪な〝好き〟だっただろう。


 ――故に、〝ここから〟。


 倉科くん個人を見ていない、という不義理をして地雷まで踏んだ私を、それでも見放さなかった倉科くんに応えるため。


 そしてなにより、私自身の恋心と未来のために。


 ここから、始めようと思う。


 ――ここは、日本でも地球でもない、本物の異世界。


 太陽や月があっても、明るさが随分違う。夜空に星はないし、言葉が通じても言語はまったくの別物だ。


 ……ここは私たちの世界じゃない。ここには、私たちを知る人はいない。


 ――誰も、いないのだ。


 ……けれどもそれは、私が故郷への未練で自棄になったことで生まれた、見当違いの悲観だ。


 だって倉科くんは、この世界に来てからずっと、平然としていたではないか。


 正直、今でも寂しさは変わらない。日本へ帰りたいし、友達や家族に会いたいと心から思う。


 ――でも、悲観的にはならない。気にしないことはできないけれど、要は見るものを変えるのだ。


 故郷を思って、悲しくなるのではなく。悲観的になって、自暴自棄になるのでもなく。


 今ある世界で、明日を見つめよう。


 ……だってその明日には、倉科くんがいる。


 倉科くんだって日本が恋しいだろうに、私だけ立ち直れないなんて申し訳ない。かっこ悪い姿は、見せたくないのだし。


 ……まあ、要するに。


 ――誰もいないこの世界で、私は恋をした。


 だから大丈夫。きっと、孤独には二人で立ち向かっていけるから。……いや、確証はないのだが。


 彼に私の隣に立ってもらって、二人で支え合う未来の確証というヤツは、今から私が作るのだ。倉科くんに作ってもらえるかもしれないけど、どちらにせよ二人の間に生まれるものなのは確かである。


 そのためにも、あの女嫌いで鉄壁な倉科くんをデレさせるために、なんとか頑張ろう。


 ……もう既にデレているとは思うけど、気持ちの問題だ。


 まずは、彼は私のことを呼び捨てにしてくれたのだし。みんなの前では今まで通りにしなくちゃだけど、二人きりの時だけ……えっと。


 ……ゆ、「結絃くん」、と、そう呼んでみよう


 嫌な顔とか、されないといいけど。……いや、照れたりしてくれるかも。ニックネームとか、今から考えてみようかな……。

これにて本編完結となります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。


次話より、結絃とレイラの距離が縮まっていく小話や、もしなんやかんやあって地球に帰れたら、なんて後日談やifルートを予定しています。

そちらは番外編として、書き上がり次第順次投稿とさせていただきます。もしも興味がおありでしたら気長にお待ちください。

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