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誰もいないこの世界で  作者: 如月月 月
本編『誰もいないこの世界で、彼女は――』
10/24

九話『彼なりの終着点』

 ◆喜多川レイラ視点◆


 ……。


 …………。


 ……私は、なにがしたかったんだろう。


 ――「……すまん。今日はもう、帰ってくれ」。


 その、倉科くんの言葉が。


 そう言った時の、倉科くんの眼差しが。


 ……忘れ、られない。


「…………」


 ……ああ、本当に、私はなにがしたかったのか。


 どうして、あんな行為に踏み切ろうなんて思えたのか。どうして、あんな行為を許容したのか。


 ……いや、その理由ならわかっている。自分の気持ちの制御ができなかったから、だ。


 あの時私が考えていたのは、倉科くんを手放したくない、ということだけだった。


 倉科くんを手放したくない、倉科くんが欲しい――そんな思いが暴走して、結果あんなことをしてしまった。


 その末路と言えば、至極当然のものだっただろう。


「……っ」


 誰かから自分に向けられる感情とは、得てしてわかりやすいものだ。ましてあの瞬間の倉科くんは、普段しているような気遣いをする余裕なんてなかっただろうし。


 ――だから、倉科くんの浮かべたあの感情は、嘘偽りのないもののはず。


 その感情とは、憎悪。


 怒りと嫌悪、それを煮詰めた末にできる、炎のような憎しみ。


 ……それを私は、余すところなく突きつけられた。


「…………」


 とんでもないことをしでかした。


 取り返しのつかないことをやってしまった。


 もう、私がどう謝ったとしても、倉科くんは私を許さない。


 だって、普段からあんなに私を嫌っていたのだ。そこに来て昨夜のあれ……完全に、修復不可能だ。


 ………あぁ、今はいったい何時なんだろう?


 倉科くんに拒まれてからの記憶がない。どうやらここは私の部屋で、今の私がベッドの隅に膝を抱えて蹲っているのはわかるけれど。


 後悔と自責に夢中で、眠ることさえしていない。涙が勝手に溢れていて、それは今も止まらず、涙を流しすぎて目が痛いくらい。


 ……もし朝になっているのなら、着替えないと。


 たぶん酷い顔になっているし、カティアさんや子供たちに見つかる前に顔を洗わなくちゃ。


 朝ごはんの準備だってある。日課の礼拝もある。


 ……でも。


 そんなことをして、いったいなんになるんだろう――?


 ――コンコンコン


 突然、扉が鳴った。


「……っ!?」


 違う、これはノックの音だ。


 私の身体がビクリと跳ね、一緒に心臓も騒ぎ始める。そのせいで平静をかき乱され、私は返事さえできない。


 コンコンコン――


『喜多川、俺だ。朝ご飯、持ってきたぞ』


 ――もう一度、今度は呼びかけもセットで。


 その呼びかけの主は、倉科くんである。


「ひっ……」


 今度こそ私は、動けなくなる。


 ――怖かった。


 倉科くんに会うことが、初日に狼に襲われたことが可愛く思えるくらいに、とても。


 倉科くんはきっと怒っている。顔を合わせれば、今度はハッキリとあの憎しみをぶつけられるだろう。言葉でなのか、行動でなのかはわからないけれども、私にはそれを受け止める義務がある。


 ――倉科くんにとって、最も重大な地雷を踏んづけた。


 否、最も重大な地雷を、私は自ら踏みに行った。


 ……そんな私に、倉科くんがどんな思いを向けるかなんて、それこそ火を見るよりも明らかだ。


 だから怖い。彼だけが拠り所なのだ。彼だけが、私の居場所なのだ。


 倉科くんだけが、私のことをわかってくれる人なのだ。


『……ご飯、ここに置いとくからな。お腹空いたら食べるんだぞ』

「ぁ……」


 いつまでも答えない私に痺れを切らしたのか、倉科くんはそう言って去っていった。


 足音が遠ざかっていくのがわかる。


 あぁ。


 ――あぁ、もうダメだ。


「……ぅ、ぅう……」


 ずっと流れていた涙が、一層勢いを増して目から溢れた。


 ……もう、限界だった。


「……ごめ、ん……ごめん、なさい……」


 抱えた膝に顔を押し付け、それによって涙を拭いながら口を動かす。


 ……なにかしていないと、気が狂ってしまいそうだった。


 そんな風に考えてしまうほど、私は追い詰められていた。


「……ごめん、ごめんっ……!」


 泣き叫ぶ、と言うには、覇気も勢いもない。


 ――けれども私は、限界に到達した感情を発散させる方法を、これ以外に実行するできなかった。


 ◇


 ――泣き続けて、力尽きて、気絶するように意識が途切れて。


 次に目が覚めたのが、いったいいつなのかはわからない。


「…………」


 ひとしきり泣いて、喚いて、そうするだけの元気さえ枯れ果てた私にとっては、もうそんなことはどうでもよかった。


 気絶に似た浅い眠りから目が覚めて、身体を動かすだけの最低限の気力が戻っている。


 ……なら、どうする?


 今からでも着替えて、顔を洗って、笑顔でごまかしながら倉科くんの前に出るのか?


 ――無理だ。


「…………」


 もう、本当に限界だった。


 これ以上生きていたくないとさえ、考えられるくらい。


 ……あぁ、それなら、ちょうどいい方法がある。


「…………」


 ベッドから、転げ落ちるようにして離れる。力の入らない手足は急かさず、無気力にノロノロと私は立ち上がった。


 ――森へ行こうと思う。


 道中誰にも会わないよう、路地裏を通っていこう。そうして街の外に出て森に入れば、きっとすぐに死ねる。


 だってそうだ。この世界に来た一番初め、あんなにも早く、私は狼に襲われたのだから。


 ……たぶん、とっても怖いし、とっても痛いし、たくさん泣いて抵抗してしまうだろうけれど。


 倉科くんに拒まれるよりも、ずっとずっとマシなんだから。


 もう、それでいい。


 ……もう、どうだっていい。


 ――ガチャ


 コツン


「………?」


 ヨロヨロと扉に手をかけて開くと、その扉がなにかに当たった。外開きの扉の前の床に、なにかが置かれているらしい。


 なんだろう? と、なにも考えられないほど追い詰められた頭で、私はそれを見て――


 思わず、声が出た。


「………ぁ」


 それは、お盆に乗せられた一人分の食事。


 この二週間、教会で暮らすようになって使い始めた食器に、見慣れ始めた異世界の食べもの。


 ――倉科くんが置いていったものだ。


「…………」


 それを見た瞬間、私は身動きがとれなくなった。


 動けなくなったのがなぜなのかは、自分でもわからない。ただ、今から死のうと本気で考えている時に予想外のものを見つけて、感情の整理がつかなくなったのだ。


 ――そしてその瞬間に、廊下の先から足音が。


「……喜多川」

「――っ!?」


 聞こえた声は、倉科くんのもの。


 身体はビクリと大袈裟に跳ねて、恐怖を思い出した心はより一層私から行動の選択肢を奪う。


 唯一私にできたことは、倉科くんの手元まで視線を上げるだけ。


「起きたのか。お腹空いてるだろ?」


 そう、感情の読めない透明な声で言いながら、ゆっくり歩み寄ってくる倉科くんの手には――


「持ってきたから、とりあえず食べよう」


 ――私の足元にある食事と同じ、一人分のご飯があった。






 ◆倉科結絃視点◆


 喜多川はそれから半日、部屋から出てこなかった。


 ――カミーユさんが急に訪れたこと、かと思ったらすぐに飛び出していったこと、相変わらず喜多川が出てこないこと、カティアさんのこと……。


 それらによっててんやわんやの子供たちを宥め透かし、日課の礼拝は信者の方たちに頭を下げて中止にしてもらって。


 悪魔王とかいう奴をさっくり倒してきたカミーユさんやメガーヌさんにも手伝ってもらいながら、カティアさんの葬儀の準備を始めた。


 ――時間なんてあっという間にすぎた。


 やがて昼食の時間がやってきて、子供たちの世話を買って出てくれたカミーユさんたちに彼らを任せ、俺は喜多川の部屋を訪れていた。


 朝があの調子だったから、昼だって期待はできない――そう思って一人分の食事しか持ってこなかったが、こうなるなら二人分にすればよかった。


「…………」

「…………」


 いや、結局喜多川は朝食を食べずにいたのだし、その残っていた朝食をこうして俺が食べているので、結果オーライというところか。


 ――黙々と食器を動かし、喜多川も俺もなにも喋らず、食事は淡々と進んでいく。


 場所は喜多川の部屋。彼女は自身のベッドへ座り、俺はその正面で椅子に座ってご飯を食べている形だ。


 ……喜多川の顔は、目が腫れていたり涙の痕がそのままだったりと、言ってはなんだがかなり酷い。あとで、顔を洗えるようにタオルや水を持ってきてやろう。


「…………」

「…………」


 重たい沈黙の中、俺たちはほぼ同時に食べ終わる。俺は傍らの机に自身の分の空の食器を載せたお盆を置き、喜多川へと向き直った。


 ――今から、喜多川に全部を話す。俺のことを包み隠さず話したその後で、きちんとした〝返事〟をしようと思う。


 ……深呼吸をひとつ。自分が落ち着いたことを確認して、俺は口を開いた。


「喜多川」

「っ……」


 ビクリ。喜多川は肩を跳ねさせる。


 ……無理もない。喜多川は自分を責めているのだろうし、俺が怒っていると思っているはずだ。なら、俺から言われることは全て、とてつもなく怖いに決まっている。


 まずは、その誤解を解かないといけない。


 俺はなるたけ、優しい声を心がけて――


「……喜多川、初めに言っとくぞ。俺は怒ってない。俺が喜多川のことをどうするかは、喜多川のこれからの行動で決めようと思ってる。だから、怖がらずに話を聞いてほしい」

「……え……」


 喜多川は顔を上げて、驚きに目を見張りながら俺を見た。


 そんなに信じられないだろうか、と思ったが、それもそのはず。俺は昨夜、喜多川を乱暴に突き飛ばしたりもした。思いっきり睨んでしまったりもした。


 ……今の言葉を信じてもらうには、どうして俺がこんな結論になったのかを、順番に話していくべきか。


「……あー、順番に話していくな? ちょっと長い話になる」

「え……う、うん。いいよ……?」


 喜多川は依然信じられなさそうに、けれど話を聞く気はあるようで、俺にそう促した。


 一呼吸あけてから、満を持して話し始める。


「――たぶん、知ってると思うけどな。俺、女性恐怖症……というか、女のことが嫌いなんだ」

「……う、うん」


 喜多川は、大した驚きもなくコクンと頷いた。やはり知っているらしい。自分でも思っていたのだが、それほどまでに俺の仕草はわかりやすいようだ。


「だから、初めは喜多川のことも苦手だった。女はこういう嫌な生き物だ、って先入観で、一方的に嫌ってた。……正直に言うと、今でもそれはまだ抜けてない。すまん」

「えっ……い、いや、謝らなくてもいいよ……!」


 ここは謝るべきだと思って、頭を下げて喜多川へ謝る。ワタワタと彼女が慌て始めて、それでは話が進まないと思って俺はすぐに頭を上げた。


「ありがとう。……それで、だな。今も抜けてない、って言ったのは本当なんだが、それはそれとして、喜多川のことを知って考えを改めたところも、ちょっとはあってな……」


 ……小っ恥ずかしい話になるので、ごにょごにょとした聞き取りづらい声になってしまった。


 聞き取れたのか心配になって喜多川の様子を伺うと、彼女はポカンとしながら俺の方を見ている。一気に恥ずかしくなってきたので、俺はゴホンと咳払いをしてごまかした。


「とにかくっ。……喜多川のことは、もう初対面の時ほど嫌ってない。一緒に暮らしてて、いいところなんて山ほど見つけてるからな」


 早口に吐き捨てて、喜多川へ伝えたかったことその二が完了した。


 喜多川がきちんと理解できたかを見るために相槌を待つと、やっぱり彼女はポカン顔で唖然としている。


「……ここまではいいか?」

「え、えっ? ……あっ、う、うん。だいじょぶ、聞いてますっ」


 その顔で見つめられるのがすごく恥ずかしかったため、俺が照れ隠し半分で喜多川に催促すれば、彼女は小刻みに頷きながらそう言った。


 ならいい、と羞恥心を忘れることにして、俺は努めて真剣な気持ちに切り替える。


「それで、だな……ゆうべのあれは、本気で嫌だったんだ」

「――っ」


 喜多川へ伝えたかったこと、その三。それがこのことだ。


 細かいところを言うなら、すぐ隣に座られたことから既に嫌だった。喜多川が浮かべた笑顔の妖艶さは怖いものでしかなかったし、キスを迫られるなんて論外である。


 本当に、あれは恐ろしかった。思い出すと、今でも吐き気と震えがやってくる。夢に見たりするのではなかろうか。


 ……けれども、本題はこれじゃない。喜多川にわかってもらいたいことは、もちろんこれもそうだけれども、もう一つの方が大事だ。


「だけど、喜多川の気持ちもわかる」

「……へ……?」


 ――昨夜のことは、とても恐ろしかったけれど……それでも、頭ごなしに否定できるものでもなかった。


「この世界で、二人だけの日本人だもんな。俺も、喜多川のことは大切に思ってる。……だから、喜多川の気持ちもわかるんだ」

「……ぁ、え……?」


 喜多川へ伝えたかったこと。


 一つ、俺は女性恐怖症であり、喜多川もその例外ではないこと。初めの頃はもちろん、今もそれが変わっていないこと。


 二つ、しかし今では喜多川個人のいいところをたくさん見つけており、俺の中で、〝女は嫌い〟よりも〝喜多川が好き〟が勝りつつあること。


 三つ、昨夜喜多川がやったことは本当に嫌だったが、それは単に――


「――やり方が悪かっただけなんだ。あんな風にされるのは嫌だが……他のやり方ならまあ、考えなくもない……から、な。ウン」


 カァ、と頬が熱くなるのがわかった。今の俺は絶対顔が赤い。


 喜多川はまたしてもポカン顔で、唖然としながら俺を見る。その視線に耐えきれなくなってきたので、そろそろ話を締めくくろう。


「は、初めに言った、「喜多川のこれからの行動で決める」っていうのは、そういうことだっ。次またゆうべみたいなことしたら、そしたら今度は許さない。ほんとに怒る」


 早口も早口。急いでそれを捲し立てて、俺の言いたいことは全て吐き出した。


 ……直後に、伝えたいことが伝わっているかが不安になった。


 もういっそ、ぶっちゃけて言ってしまおう。遠回しなんかよりも、それが一番確実だ。


「……だ、だから、レイラのことは嫌いじゃない。次またしたら、その時に嫌いになる。今は、まだ……好きだ」


 ……これが、喜多川への――レイラへの、俺からの返答。


 要するに、昨日のはノーカンにするからあとはお前の努力次第だぞ、なんていう偉そうな答えなのだが……女のことが怖いのは本当なので、これで勘弁してほしい。俺なりの最大限の譲歩である。


 それに、昨夜の一件はレイラが悪い。と思う。だからこれは、そのことへの罰でもある。


 ……とにかく。


 まだ俺の言ったことを飲み込めていないのか、相も変わらずポカン顔で固まっているレイラの視線にはもう耐えられない。さっさと逃げてしまおう。


「そ、そういうわけだっ。お前がどう思ってるのか知らないが、俺はまだレイラのこと好きだからな、惚れさせてやるから覚悟しろ。……は、話は終わりだ、今日一日くらいゆっくり休んでろっ」


 傍らの机に置いた、俺の分の空の食器を載せたお盆。それを片手に持ち、レイラの方にズカズカと歩いていって彼女の分のお盆を強奪。苦労しながら扉を開け、俺はレイラの部屋から即座に出ていった。


 ……すごいことを、言ってしまった。


 あんなもの、最早ただの告白である。なんだ、「俺はまだお前のこと好きだから惚れさせてやる覚悟しろ」って。昨夜なにをされたのか覚えてないのか俺は。


 いや、覚えているのだけれども、それによって損なわれたとしても、それでも嫌いになりきれないくらいにレイラへの元々の好感度が高かっ……。


 ……というか、その一件はレイラが引き起こしたことで、あんなことをされる以上は多少なりレイラからも気があるのではなかろうか。


 いやいやしかし、レイラのあれは特殊な環境での依存心。本気の恋とか愛ではない気がする。俺は、〝同じ境遇の者〟というステータスでなく、〝倉科結絃〟という個人に惚れてほしいのであって……。


「……あぁくそ。なに考えてんだ俺」


 レイラ本人の前から去ったからといって、俺の心が休まるわけはない。ついさっきまで、大層恥ずかしい真似をしていたのだから。


 俺の思考は迷走を極め、頭を振り払って無理やりそれを追い出したところで――


 ――ガチャッ、パタパタパタ!


 ……なぜか、レイラが部屋から出て追いかけてきた。


「――ま、待って! あ、後片付け、私がやるから!」

「いや、休んでろって言……その格好で、か?」

「えっ? え、ぅわっ!? ご、ごめんなさいぃ――!」


 そんな風に、レイラが寝間着から着替えていないことを指摘して彼女を追い返して。


 ――この世界に来てから抱え続けた、俺たちの間の蟠り。それが、完全とは言えないだろうけれども、多少なりとも解決したのだった。


 これにて一件落着……と、言っていいはずである。

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