表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫殺  作者: 岩尾葵
2/2

 そうして当たり前のように猫と日常を過ごしているうちに、私はそれまで見たことのないような奇妙な夢を見た。

 寝室に接するベランダに、裸体の人間が何人か横たわっている夢だ。触れるか触れないかという位置に座ってそれを見ていると、人間の顔はどれも、この人とはこういう話があったな、と鮮明に思い出せるほど記憶に深く刻み込まれているのだった。けれども、かといってそれ以上の感慨はなく、新しい発見ができないことに私はなぜか落胆している。裸体にはハリがあり、みずみずしく、記憶にある顔そのままの姿であった。血色が覚束ない上にどこに触れてもピクリとも動かないが、では死んでいるのかといわれれば、どの身体にも目立った外傷は何一つ見受けられなかった。毛穴や指の皺などもよく見えないし、第一不思議なことに、身体の位置をどんなにずらしてみても、それら横たわっている人間の顔しか見ることが出来なかったように思う。顔の印象は強かったが、身体を見た、という記憶は全く残っていない。それでありながら、身体を着飾っている様子が全くない、爪や髪の毛すら生えていない状況にもかかわらず、顔だけでその人物との面識、約束、別れ等がはっきりと思い出せるというのが、どうにも納得行かない上に奇妙であった。一個体としての人間が目覚め、活動している様子が記憶の中であろうと存在している以上、当の私でさえも記憶を否定することが出来ないのであるが、では目の前で、死んだように固く目を閉じているそれら個体とは如何なるものであろうか、問いかけずにはいられなかったのである。そして再び辺りを見回すと、今度は寝室中を覆いつくさんばかりの大量の裸体がそこらじゅうに転がっているのであった。とりわけ、四角い寝室から唯一逃れることのできるドア付近には、平面的であった人間の裸体が幾重にも重なり合って、ついには天井にまで達していた。顔がどんなにたくましかろうと、それらはどれも細い肢体であった。のびのびと垂れ下がった腕や足が、重なり合う身体の至るところから自由な方向にどんどん伸びていく。そしてついに、中央に座った私の足にまで到達すると、突然動きを取り戻して私の足首、手首を、がしっと掴むのであった。気味が悪く、恐ろしくなって振りほどくと、次から次へと伸びては掴み伸びては掴みを繰り返す。それらを振りほどくと消えるが、繰り返しているうちに無限に肢体は伸びてくるのであった。

 あまりの恐怖に目覚めた私は、息が荒く、動悸が激しく、頭が呆けていた。日々忙しい身であったから、帰宅すればすぐに熟睡してしまうのに、その日は妙に寝苦しかったのだった。いつ思い返しても、その悪夢は私に付きまとっていて離れない。だが、現実に戻って考え直してみると、夢の中での人間の顔はどれも実際には見覚えがなく、どんなに記憶をさかのぼっても、それらの人々との面識、約束、別れなど、何一つ思い出せなかった。それ以前に、私が親以外の人間を頼るなどと言う事は、まずなかったはずだった。だとすれば、記憶をいくら探ってみたところで何も思い出せないのは当然で、寧ろ逆に夢での記憶の方が疑わしいのであった。

 学校に登校する際、見知った人物が誰一人いないバスの中で、短くその夢に出てきた人物に心当たりがないか反芻してみたが、やはり何も思い出せない。そういえば、確実に、とまでは行かないが、夢の中に両親の姿はなかったということを咄嗟に思い出す。濃厚な夢の中なのに、両親が登場せずに、わけのわからない人物が出てくるというのは、非常に不可解なことであった。過去夢を見る際は、どんな夢であれ、そこには自分がおり、両親がおり、その他キャラクターがいた。そこまで考えて、では夢の中の登場人物たちにはもともとそれにまつわる記憶など存在しておらず、ただの一般的な人間の有様を写していただけなのでは、ということに行き着いた。だが、ではなぜそれでは私の記憶の中にあれらの人間と出合ったときの記憶が鮮明に思い返せるのだろうか。しかも、例え見覚えがあるにしても、出会ったときの見た目とは程遠いであろう、全裸、髪の毛も爪すらもない、ただ顔があるだけの人間を見て。さらに不可解な場所にはまり込んだ私は、一旦その思考を取りやめ、到着したバス停の前の校門へと向かった。

 夜、学校から帰宅すると、既に時刻は午前三時を回っていた。正確には、学校から下校したあと、あちらこちらへと店をめぐり、課題に必要なものを探し回っていたのだが、結局なかなか目的のものが見つからず、ようやく目的のものが見つかったと思ったら、いつの間にか遠くの方まで来てしまっていて、終電の電車とバスを乗り継いで何とか辿り着いたのが、午前三時だったのだ。あまりにたくさん歩き回った上に、翌日のことも考えて、帰宅したと同時に即寝室に入った。とてもではないが、今日ばかりは猫に構ってもいられないと思いながら、寝室にはいるや否や眠気に襲われて、ベッドに身体を重く下ろすと、すぐ足元にあった毛布と掛け布団をかけ、瞼を閉じた。

 だがベッドに入って数分すると、何かに頬をつねられたような、触られたような、温かくも不自然な感覚を覚え、ぱっと、目が覚めてしまった。明かりをつけると、ベッドの隣の低い洋服棚の上に、目を真ん丸に開いた猫が、尻尾を振りながらたたずんでいるのだった。夜、こんなときでも、餌の要求を忘れない猫。仕方なしに空き部屋の餌場を見てみると、なるほど確かに朝用意していった分の餌は綺麗に舐めとられて、跡形もない。とりあえず、はいはい、といいながら頭を掻いて欠伸をし、キャットフードを餌場に置いてやり、今度は猫が寝室に入ってこられないように鍵をかけて、眠りについた。

 今年も忘年会の時期がやってくる。十二月の下旬、サークルの関係で毎年恒例の忘年会が行なわれる。参加するか否かは本人の自由だがほぼ強制に近く、その席で今年度の残りの予定や連絡事項が行なわれる、というのが例年決まっているらしい。というのも、このお決まりは、そもそも年の暮れに必ず忘年会が行なわれているにもかかわらず、忙しいあまりほとんど人が集まらないことから始まったらしい。連絡事項や来年度のことなどを一升瓶片手に皆で楽しくわいわいやりながら一気に決めてしまおうというのが目的でありながら、たいていの場合は結局決まらず、新年会に持ち越されるというのが一連の流れである。したがって、この忘年会に参加しなければ、自分の場所だけ空白にされて新年会に持ち越されるのは目に見えており、そうでなくても予定が揺らぎやすい年末年始のごたごたの中なので、早めに予定を組んでおかなければならないのである。

 とはいうものの、やはり酒の魔力には勝てるわけがない。一つ上の先輩に無理矢理進められた一杯の酒を飲んだだけでもすぐに酔って眠くなるほど酒に弱い私は、最後の最後まで断り続けたのに押し切られて飲んでしまい、一瞬で浮き足立ってその場で眠り込んでしまった。夜もかなり更けたころ、店の人が「お客さん、終点ですよ」とか一昔前の冗談を言いながら肩をゆすったことで、ようやく目が覚め、その場はお開きとなったのだった。

 例年通り、もう一度同じような状況の新年会にも行かなくてはならず、しかもその日の帰りも遅くなり、やはり猫に構っていられる時間はなかった。なんだかんだ言って、年末も年始も、年度末も、年度開始も、どたばたでちっとも落ち着かなかった上に勉強もしなくてはならず、毎日のスケジュールが完全緻密に組まれた。なぜ、必要最低限の付き合いしかしていない私が、ここまで行事に苦しめられるのかはよく分からない。だが、連日こうした付き合いによって、自分の時間が削られ、かえっても寝るだけになった私の眼中には、最早次の日何をするかしか見えていなかった。

 解剖学を勉強していた私は、時々何だか無性に動物の体内を自分で調べてみたくなることがある。そうでなくても、時々薬学系の話題でどういった薬を処方するのかということを訓練しておけ、といわれて、薬が体内でどの程度分解されるか、異常が見られないかを自発的に調べる習性があった。その習性が他人から見てどう思われようと、私の知ったところではない。そもそも、幼い頃から他人の目を気にするな、と強くいわれてきたのだから、私の行なう事は全て私のためにある。両親がペットを飼っても問題ないマンションを借りてくれたおかげで、時々マウスを買ってきては、週末に解剖してレポートを提出する、などということもあった。ある程度の解剖器具も売っている範囲で買い揃えることも出来、実験用マウスも必要に応じて二匹買ってくる場合や、時にはそれ以上買ってくることもありと、結構な出費だったはずだが、医者不足の御時世に地元で開業医を営んでいる父の仕送りのおかげで、生まれてこの方金に不自由したことがなかった。月に一度だろうと、週に一度だろうと、マウスを買う金など、莫大な財産を掌中に収める父にとっては大したことはなかっただろう。それよりも、家業を継がせるために子供のためになるならと、金を出すことを惜しまないのだ。買ったマウスは実験の準備が整うまで、部屋のケージに入れておく。

 ところが、年末からどたばたで忙しくなって、買ってケージに入れておいたマウスがいつの間にか消失する、ということが相次いだ。始めのうちはあまりにばたばたしすぎてケージの鍵をかけ忘れていたのかとばかり思っていたが、そのうちどんなに鍵をかけたと確認しても、帰宅してケージを確認するとやはり昨日と同じように消失しているのであった。不審に思った私は消失した十数匹のマウスの捜索に乗り出したが、これがどこを探しても見つからず、時間がない現状でもあることから、次回からは実験用具をそろえてからマウスを買いに行こう、と考えたのであった。

 そんなある日、気づかないうちに餌場からも姿をくらませていた猫は口に赤黒くくすんだ何かを強く噛み締めて、開けておいたリビングのドアの隙間からひょっこりと入ってきた。赤黒くくすんだ何かは猫の八重歯で切り裂かれ、原型をとどめない形に変形しているようで、ときどき猫の口の動きと同じ方向にびくっと動く。リビングに入って暫く、猫は何かをくわえたまま私のほうを見ていて、私は驚きのあまり猫の口元を見て呆然としていたが、あとになって猫は顎が疲れたのか、くわえていたものをリビングに放置してどこかに行ってしまった。

 ようやく長い多忙生活が一区切りして、リビングのソファーで一服していた私は、コーヒーを飲み終えて台所にコップを置いた後、猫の置き土産が気になって近づいてみた。コーヒー豆の香りに混じってほぼ悪臭といえる何かの臭いがした。赤黒くくすんだ何かには猫に噛み引きちぎられたと見られる大きな切り傷が複数あり、生々しい感じというよりも不自然な印象の方が強い。赤黒かったのはその何かの切り傷から出血していたためで、履いていたスリッパで位置をずらしてみたらフローリングに血痕がついた。いくらか噛み千切られたと思える部分もあり、特に切り傷が大きい場所が、私がそれを覗き見ている側からいえば、正面と丁度反対側である。不思議に思って洗面所下からトイレ清掃用のゴミ手袋を持ってきて解体してみると、音のない薄暗いリビングでぐちゃぐちゃと気味の悪い音が響き、最終的にそれが柔らかな内臓をもつ小動物であり、頭の部分と尾から三センチくらいのところを、猫に噛み千切られたということが分かった。筋肉は完全に弛緩して、いくら刺激をくわえても中枢神経に伝わって、反射的に動くということはなかった。

 そこまで調査して、私は、その生き物がケージにしっかり鍵をかけておいたにもかかわらず消失したマウスだったのではないかと思った。だとすれば、この噛み殺したマウスを私の目の前にこうして持ってくる、顕示欲が大きく賢い猫が、外側から首を使ってケージの鍵を押し開け、開いたと同時にマウスを逃がして追いかける、と考えれば合点がいくのではないか。近々こういう生き物を殺して噛み砕くということをよくやっているのかもしれない。近頃構ってやれなかったから擦り寄ってきたりなどせず、ただ黙々と、見えないところで私の知らないことばかりをやっている猫の姿を想像しながら、とりあえずは床に放置してあったマウスの死骸を片付けて、ゴム手袋とその他諸々の解体器材を洗浄液につけた。何かの拍子に私が猫の姿を見たとき、そのとき猫に理性というものがあるならば、人間で言えば自殺者が自らの手で命を絶とうとしているか、犯罪者が罪を実行しているか、或いは個人的な性的趣味を目撃されたかのように、羞恥にまみれることになろう。とにかく、猫のやっている事はおそらく趣味に過ぎないが、私に見られては困るもの、らしい。

 だがこれでは私の方が理不尽ではないか。構ってやれなかったのは忙しかったからであり、過密になったスケジュールが私を束縛したからである。猫は実験材料であるマウスを隠すことによって手間を二重に増やし、さらに自分が構ってもらえるチャンスを半減させた。それの繰り返しで、結局のところ、話の核心はまるで解決することなく、同じことばかりを繰り返す。このように考える私ではあったが、最も重要なのはこれらのことが猫には全く理解できていないもので、説明のしようもないもの、ということである。猫には羞恥心もなければ理性もない。自己を抑制することが出来ない生き物であるなど、当然のことであったのに。都会の夜道をゴミ溜めの中で生活していた猫は、おそらく野生的で束縛するものもなく自由に生きていたはずだった。その証拠に、当時の猫の毛並みはボサボサで、触ると至るところで指が引っかかっては、ゴミもつき放題だった。それでも、猫はそれ以上のことを知らなかったから、それで自由に生きていた、といえる。物があれば食い荒らし、ゴミ袋を見つければ引きちぎり、縄張り争いなどでは獰猛に吠えて敵を威嚇した。確かに猫は孤独の身であったかもしれないが、束縛を受けていない孤独であり、自らは自由に生きるべきものだという認識が強い、はずである。動物の心などはよく理解できないが、私が見ている限りでも、今マウスの死体を私の元に持ってきた猫と、アナログテレビの上でうずくまっていた猫は、明らかに欲望の本質が違うように思える。食うことに満足しきった猫は、生き物を噛み続けるという満足を満たされなくなり、マウスを食いちぎるような真似をしたのではないか。

 理由を聞きだすことなど無論できないが、相変わらずずいぶん前に用意してやった赤い箱型の餌場に猫の姿はなく、外出したのか隠れているのかすら分からないような状況だった。だが気づけばいつもよりは遅く学校に行く時間でありもしたわけで、探す間もなく、散らかった机に置いてあったノートや課題を詰めるだけ詰めて、家を出ることを余儀なくされた。

 日々の大学生活と猫の世話も上手く両立できているかといえば決してそんなことはない。寧ろうまくいっているどころか、講義を受けて復習する時間しかない今日この頃において、猫を飼わなければならないというノルマを課せられた私に元よりまともな生活ができるはずもなく、肉体は疲弊し精神はストレスに過剰に反応する。何より辛いのは、そこまで追い詰めていられながら、頼るべき相手に話す時間が全くないということにある。以前は猫に構ってやりながら愚痴をこぼすことによって少しはストレスも解消されたものだが、今はその時間すらないことに、ストレスは鬱積されていくばかりである。

考えてみれば、愚痴をこぼす相手ができたのは、猫が初めてだったかもしれない。それまでは頼るべき相手が親以外の誰でもなかった。友人も恋人も一切持ったことがなかった。高校時代の私は他人からみればあまり近寄りがたい雰囲気を放ってはいなかったらしく、読書に耽っていると、比較的温厚派の、孤独が辛いだろうと判断したものが勇気を出してよく話しかけてきたものだった。だがそうした者は、仏頂面で何も語らず頷き、話題を振ることもなく心を閉ざす私に次第に「この人は駄目だ」と判断して離れていくのが関の山であった。多く友人を作って集団になりたがる彼らにとっては、私ごとき人間に多大な時間を費やしてまで集団に入って欲しくないと考えたのだろう。或いはこの人にはついていけないと判断して離れていったのかもしれない。いずれにしても、後には事実が残るばかりで、そんなことを考えるくらいであれば英単語の一つでも覚えろ、というのが私の考えの打開の方法であった。誰かのことを思う前に、まず自分を高める努力をしたほうがよい。人間の物思いに耽るのは何も残らないが、勉学や努力は自分のためになるだろうと考え、そこからもう他人を信用しなくなった。高校二年の時分に毎日のように話しかけられて、時事的な話題やテストの時期などを話し合ってやや心を許しかけた者もあったが、それもあとになって豹変して、嫌いな洋服と芸能の話題しかしなくなって、普段は私を放っておきながらテスト前になるとと悉く質問をする程度の関係になった。結局のところ、この性格は大学生になっても変わることなく貫かれ、高校の段階で恋人をつくる者や、対人関係に悩む者が現れる中で、私は一人黙々と勉強していた。両親が、口癖のように周りを見るなといったおかげで、この年まで何とか初志貫徹して見事現役にしてある大学の医学部に合格したのであった。

 これまでは、そうした意思を持つことによって、自分は強くあり、強く生きるのだと決めていた。つまりは自分の邪魔をするものなど、見向きもしないように生きてきた。そうすると一部の嫉妬の強い連中が、校内でやたらと暴言を吐いたり、金を巻き上げようとするのが世間的な常識だが、これは本格的な苛めであろうと担任の教師と学年主任に相談を持ちかけ、厳重注意させた上でさらに攻撃的になる彼らを、上手い具合に被害者を演じ学校から追放することに成功した。そうしていなくなったものは、私が見た中では彼らが最初で最後であったが、私の邪魔をしようとして返り討ちになったものは少なくない。それから、私はある意味で周囲から恐れられ、近寄りがたい人物として警戒範囲に置かれたのだった。

 故に猫が初めて部屋に忍び込んできた日、こいつもどうせ私の邪魔にしかならないだろうと思っていた。翌日には追い出すつもりであったのに、いつになっても出窓を動かないから、仕方なく出迎えたまでだった。一緒に過ごすうちに、私は猫がいることが当たり前になり、猫は私になついたが、その意識もだんだんと希薄になり、ついにはお互いが距離を置くまでになった、というわけだった。ここまで来ると、猫がいなかったときの生活の方が自然であったともいえるかもしれない。今更猫がいなくなったところで、私に何かデメリットがあるかといえば、そうでもないような気がする。鬱積したストレスを解消する手立ては、猫に話しかけることだけではないはずだ。そう考えて、私は今日、帰ったら猫を追い出す決心をした。実験用のマウスを喰ってしまう猫など、いても私の邪魔になるだけだ。

 授業が終わると真っ直ぐ帰宅した。部屋の鍵を鞄から取り出してドアを開け、すぐさま猫を探しに散らかった空き部屋のいたるところを覗いた。ところが不思議なことに、猫はどこを探しても姿が見当たらなかった。猫の餌場として使っていた空き部屋は徹底的に探した上に、リビング、キッチン、寝室、自室、バス、トイレ、洗面所、出窓も完全に、隠れられそうなところは探した。だがやはり猫は見つからなかった。探し回っているうちに、自室の窓が開け放してあることに気づいた。そういえば、閉まりきってじめじめした蒸し暑い空気を追い出そうと、登校前に開け放して、そのままにしておいたことを思い出した。もしかしたら、暑苦しい空気だけでなく、猫もそこから逃げ出してしまったかもしれない。それならそれで好都合だな、と思った私は、開け放してあった窓を閉めて鍵をかけた。これでもう、猫が私のところに戻ってくることはなくなったのだ。晴れて自由の身、マウスの解剖もこれまでどおり行なえる。

 一つ安心しきって、自室のクーラーをつけた。真っ直ぐ帰ってきた分、直射日光に当たった時間は少なかった割にずいぶんと汗をかいてしまったので、シャツの背筋がびしょびしょになっていた。日々勉強詰めでほとんど外に出ることがない私は、日光を浴びるとどうもくらくらしてしまって調子がよくない。キッチンの冷蔵庫を開けて、何かのめるものはないか、とあさって、炭酸水があったのでそれを一気に飲み干した。

 その際、探していた猫のかわりと言っては何だが、不可解なものを見つけた。台所の、冷蔵庫の陰の壁に、一箇所人間の手が入るくらいの大きな穴があいていた。猫が知らない間に頭を壁に打ち付けて意図的に作ったものなのか、それとも私が気づかないうちに自分で作ってしまったものなのか、いずれにしてもマンションの壁に穴をあけてしまったという事は重大な問題で、私が作ったものでなかろうと、住んでいる以上私が解決しなくてはならない問題であった。

 まずは壁の穴の深さがどの程度のものかを測るために、試しに自分の腕を入れてみた。と、次の瞬間、突っ込んだ手の先に生々しい、ぶよぶよしたものが当たるような感触がした。気持ち悪くなってすぐに穴から手を引き抜くと、指の先端に赤黒い血痕のようなものと、埃と塵がついていた。この中に、何かあるに違いないと踏んだ私は一度、手を洗ってゴム手袋をつけ、もう一度穴の中に手を入れてみた。先程と同じくぶよぶよした感触。穴の中に詰まっているものを引っ張り出そうとすると、その物体に糸のような、毛のようなものがびっしりついていることがわかった。そしてそれをゆっくり持ち上げるようにして入り口のほうへと引き寄せると、埃と塵と、若干の蛆虫が集った、あの赤黒くくすんだ何かが出てきたのだった。

 家の中にこんなものがまだ居たのか、と思った私は、さらにその奥へと手を突っ込み、おそらくは猫が溜め込んでしまいこんでいた、マウスの死骸を徹底的に引っ張り出した。全て出し終わると、その数は以前に買いなおしたマウスの数とぴったり一致していて、どれもが直射日光によって温められたマンションの篭りきった熱によって、腐敗やミイラ化していたのであった。猫は、そんなものを置き去りにして、私の元を突然去ったのであった。

 猫がいなくなってから、暫く経ったときだった。もう私は猫と一緒にいたときの生活を忘れつつあった。猫がいなくなってから、極めて順調に勉学に励むことが出来たので、さほど生活面で苦労したことはなかった。懸念していたストレスの鬱積も、問題なく解決することができた。安定した生活を送っていた私は、猫がゴミを食い散らかしている、とマンション近隣の住民が噂しているのを耳にした。近所付き合いがあまり得意ではなかったので、登校するときにたまたま耳に入ってきた、という感じではあったが、その猫が三毛猫で、結構太り気味であることからすると、飼い猫だったのではという説が流れていることまでは聞いた。

それから数日たった頃だったか、私が帰宅し、食事の煮物をつくる合間を縫って、自室で勉強していたときだった。突然、ガラスを何か大きなものが叩くような音がして、驚いて思わず声をあげてしまった。こんな時間に一体何だろうと思ってカーテンを少し開けて覗き見てみると、ちらと光の差し込んだ場所に、猫の影らしきものが見えた。意表を点かれてあれ、と思い、カーテンを完全に開くと、部屋の明かりで見えた猫は、確かにあのとき家に住み着いていた猫だった。だが、なぜかその周りには小さな子猫が数匹、親猫の周りを取り囲むようにしている。つまりは、住み着いていた猫は夏の暑い時期に盛りを迎えて部屋を勝手に抜け出し、今になって子供をつれて、私の家に戻ってきたということだった。猫は目を大きく見開いて、光源である蛍光灯を見つめながら、こちらに向かってあけてくれ、と頼んでいるかのように一声鳴くのであった。

 ところが、私は猫の姿を見たときに、夏の出来事を思い出した。実験用のマウスを食い荒らした猫。マウスを噛み千切って引き裂いて、冷蔵庫の陰の穴に溜め込んでいた猫。日夜執拗に愛情を求める猫。考えてみれば、私の邪魔ばかりしてきた。あれだけ一緒にいた猫でさえも、最後には私の邪魔にしかならないのだ。もともと、ここは私の家だ。私の帰るべき場所なのだ。それを勝手に上がりこんで、勝手に住み着いて、本能のままに過ごして、しかもその上愛情まで求める、そんなわがままで気楽に過ごしていた猫に、私は何を貰ったというのであろう。私はあの時決心していた。もう、猫は必要ない。だから追い出そうと決心したのではないか。

 私は猫が見上げる部屋のカーテンを一思いに閉め切った。そしてその場から立ち退こうとしたが、往生際の悪いことに、猫はなおも引き下がろうとせず、ガラス窓に体当たりを試みる。その、ぼんぼんとガラスを叩く音が非常に不愉快に感じた私は、一言、今更戻ってくるな! と叫んで、猫のすがってくる窓ガラスのサッシを軽く蹴った。それが決め手となったのか、猫は、それ以上ガラス窓に体当たりすることはなかった。私も、安心しきって、置きっぱなしにしておいた煮物の鍋の火を止めに向かった。

その日の晩、眠りについた私の夢の中に、猫が再び姿を現した。思い入れが強かったからなのか、それとも猫が私の目の前に現れたのがあまりにも印象深かったからなのかは知らない。だが、なぜか見た夢の中には、子猫の姿はなく、ただ住み着いていた猫がゴミ袋を引きちぎって余った野菜や肉などを貪っているシーンだった。猫は全てのゴミをあさり終わると、最初に出会ったときと同じ様子で身体を丸めて眠りについた。だが、そうこうするうちに、猫の耳と尻尾が伸び始め、第三者視点で見ていたはずの私の方へと伸びてくるではないか。その光景は、いつか猫と過ごしていたときに見た、見知った顔の人間の手足が伸びてくる夢に酷似していた。

 そして恐怖した私は、また真夜中に突然目を覚ました。今度ははっきりと、あの夢が分かったような気がした。きっと、猫は私を利用して、もう一度ここに居座ろうとしているに違いない。野生の中での厳しさも、寒さもない、このペット持ち込み可のマンションの一室で。自分の無力さに甘えて、私を利用しているのだ。

 利用される、ということが、そのときの私の覚醒を促した。利用という恐怖とそれによる重圧。いつの間にか身体に染み付いていた、それらの恐怖に突き動かされて、私は徘徊同然にパジャマ姿のまま、キッチンへ向かった。

 魚を捌くのに手ごろな穴あき包丁が一つあった。夜も相当更け、もう都会の住人といえども、誰も起きていないだろう。当然、猫もどこかで寝ているはずだ。ゴミ袋をあさり、ゴミに群がる薄汚いかつての野性的な猫。その存在を凌駕するとき、私はもう一度、夢の住人を増やして、醜く生き延びる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ