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少年再び



キャナリの小さな後ろ姿を、マリアとシンクは追いかける。走ることで横腹が痛くなり、マリアは手で腹を押さえながら前に進む。

細長い通路を息を切らしながら、あのナイフ使いの男から少しでも距離を置くように。

荒い息と靴の音が空間に騒がしく響き渡る。無心で走り続け、再び、開けた空間に出た。マリアは手のひらを膝に乗せ、息を整える。来た道を振り返った。どうやら追っ手はいないようだ。だからといってホッと一息つけるはずもなく、マリアの眉間にグッとしわがよる。

「アイグルは大丈夫なの…っ?」

聞かれたキャナリは、無言のまま頬に張り付いた髪をゆっくりかきあげた。何度か深呼吸を繰り返し、手にしていた槍を握り直した。槍の穂先を見おろし、淡々と話す。マリアに顔を向けない。

「兄さんのことなら心配いらないでしょう。商人として旅した経験もありますし、有事には慣れているはずです」

「でも、あんなに敵がいたら…。それに、あのナイフ使いの人…強い人だわ、きっと」

マリアはぐるぐると嫌な妄想を膨らませた。確かにアイグルは頼りになるし、戦いに関する経験はマリアと比べ物にならない。しかし、それでも、でもと心に躊躇が生まれる。焦燥感が育つ。

「やっぱり私戻るわ。私の魔法があればアイグルもきっと…」

引き返そうとするマリアを止めたのはキャナリの小さな手のひらだ。くいとマリアの服の袖を摘む。

「ご心配はいりません。兄は1人でも戦えます。きっと無事に戻ってきます。私たちは奥に進みましょう」

「でもキャナリ…」

マリアは、キャナリの手が小さく震えていることに気づいた。マリアは動きを止め、キャナリの子どものような頭を見つめた。前髪に隠れ、キャナリの目元ははっきり見えない。

マリアはその姿に、先ほどの自分の言動を後悔した。普段は兄に対して冷たく接しているように見えるキャナリだが、誰よりもアイグルを尊敬しているのだ。おそらく、マリアやシンクよりもずっと、アイグルを気にしている。

「マリア、行こう?」

シンクが呼びかける。マリアは頷くしかなかった。

「…ええ」

マリアは、詫びるように元気付けるように、キャナリの肩に手を置いた。キャナリはゆっくり頷き、体の向きを変えた。前を見据え、ある一点を見つめ目を見開き、その整った相貌を歪ませた。

「どうしたのキャナリ」

マリアとシンクは不思議に思ってキャナリの視線を追い、うっと声を漏らした。

「嫌そうなリアクションしないでよ」

光の下に立っているため、顔がはっきりと見える。少年特有の高い声が遺跡内に反響し、妙な不気味さが生まれる。それはマリアの聞き覚えのある声色だった。

「あなたは…」

「邪魔者その2です。なんてね」

言葉通り、先に進むための通路を塞いでいるのは、黒い服を身につけた少年だった。マリアは久しぶりに見た姿に、顔を顰め唇を嚙む。

「マリア様、知っているのですか」

少年を見据えながらも、平坦な声で問うキャナリ。マリアもまた少年から視線を外さず、頷いた。

「ええ。ストゥマの闘技場で戦った後、魔法の特訓に付き合ってもらった子がいるって話したよね。あの時の子が、」

「オレでーす。久しぶりだね、お姉さん」

マリアの言葉を勝手に引き継ぎ、少年はマイペースに手を挙げてみせた。左右にゆったり腕を振る。キャナリは、いい加減な少年の振る舞いに眉間に皺を寄せた。

「なんでそんな貴方がここにいるのでしょう」

「…ぷくく」

キャナリの問いかけに、少年は心底可笑しそうに吹き出した。耐えきれないように、手のひらで口元を押さえている。少年は自分を睨みつけるキャナリを、三日月型の瞳で見つめた。

「なんでってそんなの、オレが君たちの敵だからだよ?当然じゃん」

「な…」

少年は笑いながらキャナリを睨み返した。あっさり告げられた答えに、マリアの顔がいっそう歪む。キャナリは片足を前に出し、姿勢を低くした。槍を構える。

「マリア様、シンク、先に…」

先に行かせようとするキャナリに、マリアはすかさず首を横に振った。

「駄目よキャナリ。あの子は強いわ。あなた一人だけ置いていけないわ」

「でも」

「…あの子、私の魔法を受けても平気だったの」

その言葉に、キャナリの指先は微かに揺れた。しかし、躊躇ったのはその刹那のみ。キャナリはなんでもないといった風に槍を構えなおした。

「心配は不要です。どうぞ先に行ってください」

「キャナリ!」

「へー、面白いな」

マリアは焦れたように大声を上げる。一方、少年はわざとらしく目を見開き挑発してみせた。

「マリア様」

迷いを払拭できないマリアに、キャナリは諭すように話しかける。

「私はいつだって貴女のために行動しています。生まれたときからずっと、優しい貴女を尊敬し、だから仕えているのです。今回も同じことをするだけです。……兄さんも頑張っています。どうか先に行って」

「……」

短い言葉だった。マリアは口を挟めなかった。有無を言わせない説得力を感じた。

「…わかったわ」

マリアは頷くと少年を睨むように見つめた。まず、道を塞ぐ彼をどうにかしなければならない。少年は、

「あ、お先にどうぞ」

「……どういうつもり」

少年はあっさり道を空けた。小さい歩幅でそそくさと横に避け、道に向かって手を伸ばしマリアを先に促す。マリアは目を細めて訝しげに少年を睨む。少年は大げさなしぐさで肩をすくめた。

「どうもこうも、オレ一人でお姉さんたちの相手とかめんどすぎでしょ。オレ、楽なほうが好きだしさ。一人の相手で十分なの。だから先に行ってよ、ぜひぜひどうぞどうぞ」

ふざけた理由で、通路を示す少年。マリアは罠を疑ったが、少年はそんなそぶりも見せない。睨みつけているだけ時間の無駄のように感じる。

「行きましょうシンク」

「…うん」

マリアは少年を気にしつつも、一歩足を踏み出した。少年はその様子を横目で見るばかりで邪魔をする気配もない。

マリアは先に進んだ。シンクも続こうとして、しかし服の裾をキャナリに摘まれる。

「キャナリ?」

「シンク、マリア様を頼みましたよ」

「…うん」

シンクは短く答えた。正直なところシンクに、自信はなかった。マリアの魔法すら打ち消す少年がいて、その先にまだ誰かがいるみたいで、そいつもきっと強いに違いなくて。しかし、大切なひとを守るため全力で戦うと、強く誓っている。旅に出たときからその気持ちは変わらない。キャナリは薄く小さな唇を開く。

「それから、貴方も無事でいて」

ついでのような言い方で真剣に、唐突に告げられた。

少しの間をあけて、シンクは髪を揺らした。

「うん」

答え、シンクはマリアの後を追った。キャナリを振り返ることはしなかった。キャナリはシンクの細い背中を見送った。

「話は終わったかな?」

少年の声に、キャナリは瞬きすることで反応した。

「ええ。待たせましたね」

すましたように返事をし、キャナリは己の長い髪を持ち上げ一つに縛り上げた。気合いを入れるように、根元から強く引っ張る。少年はそんなキャナリの気合いを鼻で笑った。

「大丈夫。すぐに済ませるから」

そんな少年の気遣いに、キャナリは怜悧な瞳で答えた。

「私、これでも腕に自信があるんですよ。こう見えて闘技場で優勝しましたから」

「ああ、見てたよ君の試合。確かに強かったね。…でも、あの程度の実力でオレに勝てるかな」

少年は該当する記憶を掘り起こし、しかしヘラヘラと笑みを浮かべるばかりだった。

「そうだ、戦う前にこれだけ、言わせて」

キャナリは何を言うのかと身構えた。少年はおかしそうに口元を押さえ、やがて胸に手を当て、腰をゆっくり曲げた。美しい所作に小馬鹿にした口調で、告げた。

「オレの名前。カレフです。ヨロシクね、キャナリちゃん」

「…馴れ馴れしく呼ばないでもらえますか」

キャナリの眉が苛立たしげに動いた。カレフは、表情を変えることはなかった。


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