何かざわつくので気を引き締めた
数刻経ち、マリア達はある場所に向け歩を進めていた。マリアはツェレでの出来事を思い浮かべる。
数刻前。
「王は今どちらにいますか」
ツェレで田舎暮らしを続ける例の家族に対し、マリアは、家族にとっては唐突な質問を投げかけていた。
「ブレック王ですか?」
脈略なく突然出てきた単語に戸惑いつつも、
「王ならハーツの国に向かいましたので、不在です。ハーツの国から急ぎの用事が入ったらしくて」
そう説明してくれたのは、子どもを抱きかかえるあの母親。食事を終えうとうとしている子どもに毛布をかけ、エプロンの紐を締め直している。これから皿洗いをするのだろう。食事を作ったというのに。
ともあれ、今この国にはブレックがいないという。ならば、ハーツに向かうべきだろう。
頭の中で結論を出し、マリアは腰を上げた。瞬時にアイグルの声がかかる。
「待てマリア。ハーツの前に行くところがある」
「なに?」
マリアの応答は端的なものになる。アイグルは構わず続けた。
「一箇所だけ行かなかった国があるだろう。そこに行ってみよう」
アイグルの有無を言わさぬ口調に、マリアは戸惑いながらも頷いていた。子どもも子どもの両親も、なぜこれほど深刻な表情をしているのかと疑問に感じながらマリアやアイグルを見やっていた。
目的地を決定し、マリア達はツェレの国から出ていた。家族には丁重に感謝の気持ちを告げ、また来ることを約束した。
しばらく、一行の間に沈黙が走っていた。先頭を歩くのはいつも通りアイグル。自然と張り詰める空気に、シンクは形のいい眉を下げていた。キャナリは普段よりも唇を引き締めていた。国を出て以降、4人は周囲を警戒しながらひたすら前に歩いていた。
「ネーベルって、例の黒服の人たちが向かったという国の?」
沈黙を破ったのはマリアだった。アイグルは立ち止まり、体ごとマリアに振り返った。
「そうだ。俺たちは今そこに行っている」
アイグルは低い声で肯定した。「もともとフートゥの帰りに寄るつもりだったしな」と付け足していた。
「そこに原因があると?」
「予想だけどな」
腕を組み、アイグルはマリアの問うような視線に応える。
「あそこの文化は独特だって、前言ったよな。王が存在せず、他の国のやつらとあまり関わりを持とうとしないと」
「ええ、そうね」
ストゥマを出た直後、そのようなことを聞いていた。
「ネーベルには、古代の遺跡があるらしいんだ。その遺跡の奥には、不思議な力があるらしい」
「不思議な力?」
「俺もよく知らない。だが商隊の先代隊長が口にしていた」
「具体的にはどういうものなの」
ぼんやりとした説明に、マリアはアイグルの側まで近づくが、
「…先代そこまで話してくれなかったんだ」
アイグルの悲しげに伏せられた表情に、それ以上追求できなかった。
代わりに、ずっと気になっていたことを、声を口から絞り出すように確認した。
「ねぇ、やっぱりおかしいのかしら。あの光景は」
硬く絞り出された言葉は曖昧なもの。その疑問に答えたのはキャナリだった。
「異常というのは大げさですが、まず見られない在り方です。一瞬で文化が変わってしまった姿は」
アイグルも頷き、
「何より、国民全員が、何の疑問も抱いていないことは不自然でしかない」
兄妹はきっぱりと、自分の感じた違和感を口にした。
「…そうよね。やっぱりおかしいよね」
そう言いながらもマリアは別の光景を思い出していた。かつての、在ったはずの自分。破れたページのような薄らぼんやりとした記憶。自分の手から滑り落ちていった花瓶。あったのかそれともなかったことだったのか、はっきりとしない過去の光景が、なぜか現状とリンクしてしまう。何か重なる部分がある気がする。
マリアの思考は霧のように模糊としていた。
気持ちははっきりしているのに、声にするのが難しい。奇妙な感覚だった。
「…黒い服の人たちが、なにかをしたのかな」
シンクが、皆の気にしていたことを雨の一滴のように地面に落とす。
「わからない。それを、確かめに行こう」
はっきり言い切るような口調でしかし、アイグルは頭ひとつ分低いシンクの顔を心配そうに覗きこむ。確認するような所作。
「…うん、わかった」
シンクは、目の前にいるアイグルと目を合わせて力強く頷いた。
「よし」
アイグルは目を細めて顎をひいた。
「ハーツから出たという、急ぎの用事も気になりますね」
キャナリは口を開き兄を見上げた。無意識なのか、小さな手を自身の武器に伸ばしするりと柄を撫でつけた。年下の子どもと仲睦まじく食事をしていた少女の面影は、今はない。
「そうだな」
静かに戦闘態勢に入る妹を、アイグルはからかわなかった。
「ネーベルを覗いたら、ハーツに向かおう。カディス王に訊けば何かわかるかもしれない」
とにかく辺地ネーベルに向かい、少しでもヒントを得る。これが一行の、とりあえずの目的となった。
気合いを入れるため、マリアは握りこぶしを作りぎゅっと力を入れた。これから、大変なことが起こる予感が、マリアにはあった。




