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朝食を食べたので、男の髪を整える その2


気がつくと『私』は、誰かと会話していた。相手の顔は、もやがかかってよく見えない。相手の言ってる言葉の内容は分からなかった。唯一分かるのは、相手は男性で、『私』になにか理不尽なことを言っていること。『私』の話に、ちっとも耳を傾けないこと。

『私』はムキになって何かを言い返すが、その男は大声で『私』の声をかき消した。それから男は『私』に、何事かを怒鳴る、怒鳴る、怒鳴る。

「お前は俺の言うことに逆らうんじゃない」

唯一聞き取れたのは、氷にも似た刃。

おかしい。こんな世界、絶対におかしい。





「マリア、マリアー」

「……」

朝。マリアが目を覚ますと、目の前にはクリクリアイズ。

「起きて。朝だよぉ」

間延びした声がやたら近い。説明するまでもない、その声はシンクの声だ。

シンクは床に尻をつけて座り、マリアのベッドに顎を乗せていた。昨日蹴飛ばされたからか、ベッドの中には入ってこなかったようだ。しかしシンク、相変わらず顔が近い。

「マリア、おはよ。朝ごはん食べよ?」

「…おはようシンク。そうね…朝ごはん、ね」

マリアは呻くが、いつまで経ってもベッドから出てこなかった。

「どうして起きないの?」

シンクはなかなかベッドから出ないマリアに不思議そうに尋ねる。正確には、起きたくても起きれないのだ。昨日の、訓練とは名ばかりの調教のせいで、マリアの全身は筋肉痛に襲われていた。

「シンク…悪いのだけど、朝ごはんを持ってきてくれるかしら」

「どうして?」

「…起きれないの。身体が痛くて」

「そっかぁ…」

シンクは残念そうに呟くと、マリアのベッドに潜り込んだ。

「じゃあさ、いっしょに二度寝…しよっか?」

「シンクには人の声が聞こえないの?」

「マリアのにおい、いいにおい…。ふふ、あったかぁい」

「呪うように祈れば的は燃える…」

マリアの声など聞こえないかのように、シンクはマリアに抱きついた。マリアは拳のかわりに魔法を出そうとしたが、シンクを燃やすと自分も燃えそうだったので諦めた。シンクは幸せそうにマリアの首筋に頬を擦り付ける。結局、使用人がマリアの部屋に入るまでシンクはマリアのベッドに潜り込んでいた。




使用人が運んできた朝食を摂り、マリアは服を着替える。身体がうまく動かないので、使用人に着替えを手伝ってもらった。ちなみに、食後は歯磨きの代わりにクリンという飲み物を飲んで、口内を綺麗にするらしい。クリンはクリパプリというパプリから生成するのだとか。

着替えが終わると、シンクが部屋に入ってきた。

「マリア、アランジして?」

「……」

マリアは半目でシンクを睨みつけたが、シンクは小首をかしげるだけだった。マリアは着替えを手伝ってくれた使用人に声をかけた。

「私の代わりにシンクにアランジしてくれないかしら」

「それはできません」

使用人はきっぱり断ると、マリアの部屋から出て行った。

「マリア、おねがい」

立ち尽くすマリアにシンクは近づいた。手にしているのは手櫛と、髪を整える液体・モザール。準備万端だ。

人が筋肉痛になっているというのに、シンクはマリアに道具を差し出している。

「どうして私があなたの髪を整えないといけないのかしら」

マリアは、痛む腹を押さえて恨めしげに言った。

「僕はマリアの婚約者だから」

「だからってね」

「女性は、生涯を誓った者の髪をアランジする。それが2人の愛の証だから」

マリアは思わず口をつぐんだ。シンクは、マリアをまっすぐに見つめる。シンクの大きな瞳に映るのはこの世界でただ1人、マリアだけ。

「だから、マリア以外の女の人は僕の髪をアランジしない」

マリアはシンクから目を反らせなかった。

「僕はマリア以外の(ひと)に髪を触らせたくない」

その声は、いつものような上ずったそれではなく、真剣そのもの。心からの言葉だった。一切の汚れなき思いだ。

不意打ちをくらったマリアの心臓の鼓動は、少しだけ早くなる。

「…」

「マリア」

「…。仕方がないわね」

マリアはシンクの手から手櫛とモザールを取ると、ベッドに腰掛けた。

「マリア…!」

「勘違いしないで。私の記憶がなくなっても、あんたは私の婚約者だから。その責任を取るだけよ」

「えへへ…。マリアはやっぱり優しいね!」

「調子に乗らないの。身体痛むから適当にするわよ」

「はーい」

シンクは椅子を持ってきて、マリアの目の前に背を向けて腰掛けた。シンクは髪を縛っていた紐を外す。シンクの髪はふわりと解け、マリアの目の前にカーテンのように広がった。

マリアは、モザールを手のひらに馴染ませて、手櫛で丁寧に髪を梳いた。

シンクの髪はサラサラになった。



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