ざわめく心
マリアたちがフートゥの国から出る、わずか前。
「ははぁー。これが例のスイッチなんだね」
黒い服をまとった少年カレフは、自身のパーカーを取り除くと、目の前の装置に興味を示した。まじまじと外観を見つめそーっと手を伸ばし、
「こら、触るな」
「はぁーい」
厳しい顔をした青年に咎められ、しぶしぶ手を引っ込めた。
青年は、カレフの自由な行動に、短く息をはいた。
「今呆れたでしょ」
「よくわかったな。その通りだ」
ニヤニヤと笑みを浮かべるカレフに、青年は冷淡に言い放った。
「遊びゴコロがないよね、ホント」
「今は必要ないだろう」
真面目に答える青年に、カレフはこっそり笑うのだった。
「にしても、ここを探るのちょっと大変だったよねー。ここの人たち、みんな案内とかしてくれないんだもん。スイッチまでたどり着くのに、こんなに時間がかかるなんて思わなかった」
カレフは、ネーベルに到着してから今この場所に至るまでの経緯を思い出し、常に明るく元気な彼にしては珍しく、げんなりと肩を落とす。
ここは、辺境の国・ネーベルの敷地内にある地下洞窟。複雑に入り組んだ内部は侵入する者を容赦無く追い出そうと、ところどころに罠の類が仕掛けられてあった。最深部までの距離は長く、カレフ、そして彼の後に続く少数の部隊はすっかり疲労していた。集団の中で青年だけは、唯一涼しい顔をしていた。
カレフの傍にいる青年はひとつも表情を崩さずに、
「これは俺たちが選んだ道で、俺たちの望んだ試練だ。他人の手助けなど求めるべきではない」
「…む。まぁ、ね」
固い表情で紡がれる言葉に、カレフはもにょもにょと口を波打たせた。カレフは、この青年の堅苦しさに慣れていたし、自分に無い謹直さを尊敬していた。が、常にこの調子だと今度はこっちがため息をつきたくなる。
「何か不満か」
「ぜんぜん」
青年が振り向き、カレフは平然と首を振った。青年はそうか、と言った。カレフの態度は特に気にならないらしい。冷たい瞳は、目の前にある装置を見下ろしていた。青年は何も喋らず、前に手を伸ばしてみた。
一見、岩のように見えるその大きな装置はしかし、青年が手の平を広げ魔力を込めると、ブンと鈍い音をたてて反応した。装置は、ある図形を空中に写し出した。それは、この大陸全体を現す地図だった。いくつかの箇所に、赤い点が浮かび上がっている。
「アルムの女王以外の王は、国から出ていないようだな」
「そだね」
カレフは同意した。そして、これから起こる変革に期待する。
青年は、自分についてきた集団をようやく振り向いた。青年の視線を浴び、黒い服をまとった集団は一斉に姿勢を正し、青年をじっと見つめ返した。その視線に答えるように、青年は冷たく冷静に告げた。
「これよりヴァーチェインを開始する」
彼の号令に反対する者など、誰一人いない。
そして、それは実行された。
マリアは、フートゥの国から一歩、出た。
シンク、アイグル、キャナリもまた、マリアに続いて門を潜る。
「…?」
ふと、生ぬるい風が吹いたような気がして、マリアは足を止めた。
「どうした、マリア」
マリアの様子にいち早く反応したのはアイグルだった。
「いえ、今、なにか違和感が」
「違和感?」
「寒気みたいなものを感じて」
ざわざわする心を曖昧に表現し、マリアは顔を曇らせる。
アイグルは首をかしげるばかりだ。キャナリはマリアを心配し、歩み寄る。
「マリア様、どこか具合が悪いのでしょうか?」
キャナリの気遣いに、マリアは首をゆるく振った。
「そういう感じではないの。大丈夫よキャナリ」
「そうですか?…シンク、どうしましたか」
なおも心配そうにマリアを見上げるキャナリだったが、シンクのそぶりに気づき声をかけた。
「…あ、うん?なんでもないよ…?」
「ちょ、シンクふらついてるじゃない」
「え?そう?…わっ」
シンクはこめかみを押さえながら、脚をガクガク震わせている。自分で自分の不調が分からないようだった。
前に出そうとしたらしい脚を絡ませてしまい、横に体が倒れる。マリアはシンクの肩に手を添え、支えた。
「大丈夫シンク?」
「マリア、ありがとう」
シンクはマリアの肩に額をスリスリさせ甘えた。
「うん大丈夫みたいね」
マリアは感情を込めずに笑うと、アイグルにシンクを押し付けた。
「どうしたんだよ。お前ら急に」
怪訝な顔をして、アイグルはマリア・シンクの両者に聞く。
「自分でもよく分からないんだけど…」
「なんか、ぞわぞわっていうか。首の後ろが冷えたっていうか」
「なんだそりゃ」
マリアもシンクも、うーんと顎に手を添えて違和感の原因を考えるが、何も心当たりはなかった。要領を得ない表現に、アイグルもお手上げだった。
「特に具合が悪いとかじゃ、ないんだな?」
「うん。それはないわね」
「昨日いっぱい寝たから大丈夫!」
マリアは腰に手を当て、シンクは両手を握って答えた。
「なら問題はないな。…シン坊もう歩けるか?ちょっと休んでいくか?」
「ううん、もう平気。ありがとうアーにい」
シンクはアイグルに礼を言うと、ゆっくりと彼のそばから離れた。アイグルはシンクの肩を撫でた。
「なにかありましたら、すぐに教えてくださいね」
キャナリは二人の様子を気にして、優しく告げる。
「うん。ありがとうキャナリ」
気を取り直して、4人は故郷の地へと進む。
(うん。何もないはず。きっと大丈夫)
マリアは、自分の手のひらを包んでグッと唾を飲み込んだ。
カディスの指輪が、鈍く光を放つ。




