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葛藤とはじまり


ややあってマリアは、仲間の元に戻ってきていた。その両手には紙袋を抱えている。

「ごめんなさい、待たせて。…はぁ、はぁ」

駆け足で戻ったため、息が荒くなる。

「いいんだ。ゆっくり休め」

アイグルの言葉に甘え、マリアはおとなしく呼吸を整えることにした。

その際、仲間の顔を見渡す。

まず、アイグル。帰ってきたマリアを見つけるなり「わかってるぜ」と言わんばかりに口角を釣り上げていた。今も、三日月型に細められた目でマリアと紙袋とを交互に見つめていた。そんな彼の隣には、キャナリが立っている。キャナリは、アイグルほど分かりやすい表情は浮かべていなかったが、マリアを見つめる眼差しが普段よりかなり柔らかい気がする。唇がぴくぴく小刻みに動いていた。時折、両手を重ね、落ち着きない様子で自分の手を触っていた。

ただ1人、シンクだけは「おかえり」といつもの調子でマリアを迎えていたが。

どうやらシンク以外には、マリアがなんのために何をしてきたのか大体お見通しらしい。

「…もう分かっているのね?」

マリアは眉尻を下げ、肩を落とし苦笑いを浮かべた。力なく笑う。なんとなく驚かせたかっただけに少々ガックリきたマリアだった。どこかのタイミングでこっそりと『行って』くればよかったと今更ながら後悔した。

「まあ、なんとなくだけどな」

マリアの複雑な感情を察してか、アイグルが柔らかい声色で答えた。キャナリは無言で顎を引く。シンクはきょとんと口を半開きにしている。

「マリア、何か買ってきたの?」

シンクはマリアの紙袋を見つめて問うた。マリアの肩が少しピクつく。アイグルとキャナリもシンクの後に続く。

「この中には何が入ってるんだろな?シン坊、キャナリ、気になるよなぁ」

「気になりますね」

アイグルはともかく、キャナリまでもが嬉しそうに目を細めている。

マリアは今更ながら恥ずかしくなった。3人はじっと(一部はニヤニヤと)マリアの『説明』を待っていた。その視線に、逆に言葉が詰まってしまうが、いいよどむだけ余計恥ずかしくなるだけだった。

謎の圧力に耐えきれずマリアは口を開いて、やや大きめの声を出した。

「みんなに、お礼がしたくてプレゼントを買ってきたの!」

声の最後のほうは、裏返っていた。


まずはアイグルからというマリアの声に、キャナリとシンクは一歩下がった。

「そういうことだと思ったぜ」

予想が当たったアイグルは、マリアを目の前により顔をにやけさてせた。

「……せっかくの男前が滅茶苦茶だらしなくなってるわよ」

アイグルの顔にマリアは憎まれ口で答える。アイグルは、

「それでもイケメンだろ?」

調子に乗った発言で返した。確かに、情けなくにやけても尚アイグルの顔は整って見えるが、マリアが言いたいのはそういうことではなかった。

「アイグル」

「なんだ」

マリアは早々に話を進めることにした。抱えた紙袋を漁り、目当ての物を見つけ、アイグルの目の前に突き出した。

「これ、あげるわ」

アイグルはマリアの差し出した『プレゼント』を受け取っていた。プレゼントは小包だった。マリアの真意に気づいたシンクは、先ほどまでのマリアの言動にようやく合点がいった。

「わ…」

とくりと胸が高鳴り、短く声が漏れる。自分の番になるのが、待ち遠しくなる。今、その番を待つのがもどかしく感じていた。しかし、アイグルの邪魔をするわけにはいかない。シンクははやる気持ちをなんとか抑え、その場に踏みとどまった。キャナリは、そわそわしつつもおとなしく待機するシンクを横目で見、気づかれないように微笑む。幼稚な印象のシンクはしかし、自分本位の人間では無いのだ。彼のそんなところを、キャナリはひそかに評価しているのだった。キャナリはシンクと同じ方角、つまりアイグルとマリアの両者に視線を向けた。

「今開けていいかー?」

嬉しさを抑えきれない様子のアイグル。わざわざそういう風に尋ねてくる。マリアはわざと、ぶっきらぼうに答えた。

「いいわよ」

「へへ、なんだろな」

非常に嬉しそうな調子で、アイグルは小包を丁寧に開封していった。縦長の箱が現れ、アイグルは蓋を開けた。

そこに入っていたのは、

「羽根ペン、か」

アイグルは中身をそっと取り出した。白と黒の混ざった、大きな羽根が非常に特徴的だった。アイグルは手に取ったそれをしげしげと眺め、その造形美に目を見張る。アイグルは一目でこのペンを気に入った。

「気に入らなかったかしら?」

マリアは不安げに尋ねてくる。アイグルは、

「そんなこと聞くなよ。マリアが俺のために選んでくれたことが嬉しいんだから」

先ほどの浮かれきった声とは正反対の真剣な声。アイグルは続ける。

「それに、……当然、気に入ったぜ。仕事の時に使わせてもらうよ」

優しい口調でそう言うと、羽根ペンを小箱に戻し、上着の内ポケットに丁寧に納めた。そして、

「これを使ったら、仕事が捗りそうだな」

上着の、ちょうど小箱の入っているあたりを撫で、ニカッと歯を見せて笑った。

「ありがとな、マリア」

気恥かしさや嬉しさや照れやらが込み上げたマリアは、どんな表情をするべきか分からなかった。

「どういたしまして」

礼に対しては、そう言って、本題を告げる。

「アイグル」

「なんだ」

「ありがとう」

「…」

アイグルはそう言われることが分かっていたものの、つい黙り込む。

「アイグルがいたから、行動することができたの。アイグルがいなかったら私、アルムでずっとうんうん迷っていただけだった。こんなに楽しく旅ができたのは、アイグルがいたからよ。ありがとう、アイグル」

正直な気持ちをぶつけるマリア。逃げ道など許されない真剣な想いだ。マリアは容赦がなかった。

今度はアイグルが気恥ずかしくなる番だった。

「いい旅ができたなら、引率者冥利に尽きるけどよ」

声を裏返らせ、そっぽを向いた。マリアはアイグルの変化に気づき、ニヤリと口を釣り上げる。

「あら、照れてるのかしら」

形勢の逆転に、マリアは背を向けるアイグルの肩をツンツンつついた。アイグルはぷるぷる震える。

「さっきまで照れてたやつに言われたくねえよっ!」

アイグルは言い返した。マリアはその真っ赤になった顔をニマニマ見つめた。

「ちゃんと使ってね」

「…使うさ」

アイグルはしっかり答えた。マリアはその顔を見て納得したように頷き、次の仲間を呼ぶ。

「キャナリ、おいで」

「はい」

呼ばれたキャナリはマリアの前に進んだ。緊張が混ざりつつも期待のこもった眼差し。マリアも、先ほどのやりとりで緊張が解れたらしく、肩の力が抜けていた。一方、妹と入れ替わるようにアイグルはシンクの隣に立つ。シンクは、口元を緩ませる年上の顔を覗き込んで笑う。

「アーにい顔赤い」

「うっせ」

指摘され、アイグルはシンクを肘でつついた。マリアはその様子を一目見て、笑い、キャナリに小包を渡した。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

キャナリは、それを恭しく両手で丁寧に受け取った。その動作は緊張からかいつもより硬くて、マリアはキャナリに気づかれないよう笑う。冷静を努めるキャナリの葛藤を、可愛らしく思った。

「中を、開けて見てもよろしいですか」

「もちろんよ」

マリアは、期待を隠したつもりの声色に気づかないフリをして頷く。マリアに許可をもらったキャナリは、一見丁寧な手つきで包みをほどいていく。

中身に到達し、キャナリはそれを手に取った。じっと、それを見つめる。それは、

「髪飾りを買ったの」

マリアが告げる。キャナリが手にしているのは、純白の羽のついた、愛らしい髪飾りだった。羽の周りには色のついたビーズが付いている。キャナリに似合いそうな、愛らしく清楚なアクセサリーだ。キャナリの目が見開かれる。マリアはその瞳に宿る感情を、注意深くうかがう。もしかして、気に入らなかっただろうかと一瞬不安になる。

しかし、その心配は無用だった。

「とても素敵です」

「…!」

キャナリは珍しいことに、にっこりと微笑んだ。

「そう、良かったわ」

幼い子どものような微笑みに、マリアはつられて目を細めた。アイグルとシンクも、キャナリの滅多に見ない顔に、目を丸くしていた。マリアとしては、キャナリがプレゼントを喜んでくれたのが、とても嬉しい。マリアは喜びの波に乗り、追加情報を発信した。

「その髪飾り、アイグルの羽根ペンを作った人が作った商品なんですって」

「そうでしたか」

キャナリは髪飾りから目を離さず、短く答える。アイグルは、マリアの情報に口角を上げる。

「キャナリ、俺とお揃いだな」

「そうですね」

キャナリは、兄に背中を向けたまま淡々と答えた。特に嬉しいとかは思ってなさそうな平坦な声色だった。アイグルはフッとクールに寂しげに鼻を鳴らした。

「反抗期、だな?」

「マリア様、これ、付けてくださいますか?」

キャナリは背後から聞こえる音を完全に無視し、マリアを見上げてお願いした。マリアは頷いた。

「もちろん。付けさせて!」

マリアは快諾し、早速キャナリに髪飾りを付けはじめる。視界の端で肩を落としているアイグルのことは無視した。

「こっちがいいかしら。それとも、サイドに付けた方が見栄えがいいかもしれないわね…」

色々模索した結果、後頭部に付けることにした。羽はそれなりに大きく、前からでも飾りは見えた。マリアはキャナリの前に回り込んでその姿を確認する。そして、その可憐なビジュアルに見惚れる。

「かわいい…」

うっかり言葉が漏れるマリアであった。髪の後ろから、ちょこんと覗く羽が、キャナリの愛らしさに拍車をかけていた。

マリアは手鏡を取り出し、キャナリに見せた。

「どうかしら」

あえて短く尋ねるマリア。キャナリは鏡に映った自分を見た。自分で思うのもなんだが、よく似合っているとキャナリは思った。

「いいですね」

「でしょう!アイグルとシンクは? どう思う?」

仲間たちに意見を求めた。2人の反応は良かった。

「すごくかわいい!」

「ああ…。可愛い。似合ってるよ、我が妹よ」

シンクに続き、さっきまでいじけていたアイグルも素直に褒める。キャナリはどこか得意そうだった。

「マリア様にはセンスがありますね」

「キャナリが可愛いのよ」

マリアは心から思ったことを伝える。そして、

「キャナリ」

キャナリはそれが合図だったように、マリアを見上げる。アクセサリーが揺れた。

「はい」

応えるようにその先を促すように、しっかりした声が、マリアに届く。

「キャナリはいつも、私のそばにいてくれたわね」

「当然です。私は貴女の…」

「私は、キャナリのこと、友人だと思っているわ」

「……」

マリアの短い言葉に、キャナリは思わず押し黙った。マリアは、キャナリの僅かに動いた瞼に、今回何度目になるかわからない、笑みを浮かべる。

「といってもまだ私はわからないことだらけで、キャナリの助けが必要なの。だから、アルムに帰ってからも、私を支えてほしいの。王の私も、友人の私も、キャナリに支えてほしがってる」

「だからキャナリ、これからも私のそばにいてね」

「…はい」

「こちらこそ、貴女のそばにいさせてください。マリア様」

キャナリは当たり前のように誓った。



さっき、朝食を摂ったばかりだと思っていたのに、いつの間にか太陽は高い位置に登っていた。マリアは息を一吐、髪を高い場所で結った彼を手招きした。

呼ばれた彼は、非常に嬉しそうな顔で、弾む心を抑えられないような足取りで、マリアに近づく。



シンクは、楽しいことが待つ前日の幼子のようなキラキラした瞳をマリアに向ける。

マリアは、子どもを見守る親に似た眼差しで、その視線に答えた。マリアは、それが正しいことのか、まだわからなかった。



シンクはマリアのアクションを待っていた。マリアはその様子に、反応に困ったかのようにくすぐったがるように身をよじる。期待の籠められた眼差しに射抜かれる。

マリアは『こうなること』は予想していたが、いざその状況に置かれるとこうも気恥かしさが襲ってくるとは、思わなかった。マリアはつい、言葉に詰まってしまった。

「…マリア、」

焦れたシンクが強請るように、言葉尻を上げて唇を尖らせた。マリアは勢いが大事だと自分に念じ、シンクに紙袋を突き出した。紙袋は突き出された弾みでがさりと音をたて揺れる。

「シンク、これ、あげるわ」

「っ!」

『餌』を目の前にしたシンクはもう声も出ない。待ちわびてた瞬間に手を伸ばし、紙袋を必死になって掴んでいた。

「あ、開けても、」

顔を紅潮させ大いに興奮したシンクは、もはやまともに言葉も告げれない。マリアはそんなシンクに優しい口調で促した。

「いいわよ」

「うん!」

返事にすらなっていない返答とともに、シンクは包装を剥がしていく。2人からやや距離をとった場所で控えるアイグルとキャナリは、中身が気になりこっそり身を乗り出して状況を見守る。

シンクは、プレゼントを開けた。

「わ…」

シンクは顔をほころばせた。目当ての物を二つ見つけた。

その一つは、モザールだった。アランジするためには欠かせない必需品だ。マリアがシンクの為に用意した事実が一目で分かる贈り物だった。

「これ…」

嬉しさで言葉を失うシンクに、

「モザール、尽きかけてたでしょう?だから買ったの」

まるで照れ隠しのように早口で告げる。それを聞きながら、シンクはもう一つのプレゼントを見つめた。それは、木製の櫛だった。ところどころに、小さな宝石のような飾りがたくさん散りばめられている。飾りは多いが、その輝きは決して下品ではない。

「櫛も毎日使ったでしょう。新しくしたほうがいいと思ったの」

マリアは言いながら、シンクの手から容器を取り、その蓋を開けてみせた。シンクは容器の中身から漂う甘い匂いに目を細めた。

「いい匂い」

「でしょう?この匂いも、シンクに似合うと思って買ってきたのよ」

マリアは旅を振り返る。弱く優しい風が吹き、シンクの髪を揺らした。

何もない自分を見つけてくれたのは、シンクだった。元気を無くしたり、小さな、しかし新しいことに飛び込むたび不安になった自分を、何度も励ましてくれたシンクを思い出した。励まし方がブッとんでいた時は容赦なく接した。彼の意外な過去を知り、思いを馳せたこともあった。複雑な思いと、積もった思いがマリアの中で交錯していた。しかしマリアはこう思う。

シンクがいなければ、シンクがマリアを認めていなければ、マリアはここまで来れなかった。

いつだってシンクは、自分の味方でいてくれた。

それは、紛れもない事実だった。

だからこそマリアは、

「明日からも、これを塗ってあげるわ」

それらの思いを込めて、シンクに言葉を贈った。


喜びに顔をほころばせるシンクを見つめながら同時に、マリアはそれが別世界の出来事のようにも感じていた。

戸惑いに胸が震える。それでも、マリアは自覚していた。だって、シンクへの『この感情』は、マリアが抱いた感情の一つだ。認めないわけにはいかないし、否定するつもりもなかった。だからこそ先ほどの言葉を、彼に告げた。それでも、迷いは晴れなかった。

この葛藤が正しいのか、マリアにはずっと分からなかった。



4人は、フートゥの門を前に、それぞれ思いを抱えて並び立つ。

アイグルは、マリアと、キャナリと、シンクを順に見つめ、息を吸って、言った。

「帰ろう。アルムに」

マリアは、引率者の号令に頷いた。そして、4人はフートゥの門をくぐり、旅立ちの国への一歩を踏み出した。

整備の行き届いた地面が、ジャリっと短く音を立てる。故郷へ帰還する、始まりの音。


しかしそれは、同時に、波乱を巻きおこす引き金でもあった。




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