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間幕と朝食


「世界を変えるにはどうしたらいいと思う?」

ある日、唐突に彼女に問われた私は、その突飛な問いかけに言葉に詰まった。

「抽象的で難しいことを聞きますね」

とりあえずそう答えて、ふと彼女の目を見る。彼女の瞳が真剣なことに気がついた。

「何か、考えているのですか」

彼女は答えない。私は彼女の真意を探るべく身を乗り出す。私の動きに合わせ、清潔な白い服がごそりと動く。

「それはね…カディス…」

そうして彼女は私に、ある考えを打ち明けた。私は彼女の話を、黙って聞いていた。

これは、随分昔の話のような気のする、近い出来事の話。




私は目を覚ました。朝の木漏れ日が、カーテン越しに部屋に差し込む。どうやら懐かしい夢を見ていたらしい。その輝きに目を細めつつ、私は自分の手を撫でた。

「無事を祈っていますよ。マリア」

その指にあった指輪を、身につけているあの人に、呟いた。




カディスが目を覚ました頃。南のリゾート地にある、豪華なホテルの一室。

「マリアおはよう」

着替えもそこそこのマリアに、シンクは甘えるように抱きついた。

「…せめて、着替えてから来て欲しいわねって、前も言わなかったかしら」

マリアは半目のまま、抱きついてきたシンクに低い声で唸る。

ちなみにマリアの部屋にキャナリはいない。いつもなら男2人、女2人と部屋を取るのだが、今回はチケットパワーで各自個室を取っていた。つまり、広々とした一室を独占できたのだった。

キャナリと過ごす夜も悪くないのだが、一人で過ごせるのは気兼ねがなくてよかった。

しかし、シンクの襲撃をモロに食らうのがデメリットである…いや、最初からモロに食らっていたのでデメリットも何もないのかもしれない。マリアは「フッ」と微笑むと、シンクの手を取った。

「顔を洗うから待ってなさい」

淡々とした諦めに似た声色だった。シンクはおとなしく、名残惜しそうにマリアから離れた。




顔を洗い着替えを終えたマリア(シンクの見えないところで着替えた)は、シンクの後ろに回り、櫛を取り出した。シンクは旅行に行く前の子どものようなワクワクした表情を浮かべ、マリアにモザールの入った容器を渡した。

「…すっかり、使っちゃったわね」

マリアは容器の中身を覗いて、呟いた。その中身はもう、ほとんど残っていない。

「旅に出て、マリアが毎日アランジしてくれたおかげだよ」

「…そう、そうね」

シンクの返答に相槌を打ちつつ、マリアはモザールを手に馴染ませシンクの髪に丁寧に塗りつけていく。

もう、それはすっかり慣れた動作。

マリアは思いにふける。目を覚ましてから毎日、1日も欠かしたことのない習慣。ふと視界に入るシンクの髪は、カーテンの隙間から差し込む日差しに反射し、キラキラと輝いていた。

綺麗だと、思う。

今こうして、男の髪を女の自分が整えていることに強烈な違和感はあるけれど、それでもマリアはシンクの髪を綺麗だと思っていた。

昨日見た海の輝きよりも、アルムの花畑よりも、シンクの髪は美しく見えた。

…なんて、本人に言わないけれど。

「マリアー」

(マリアにとっては)不意に話しかけられ、マリアはピクリと櫛を動かす。

「どうしたの。アランジならあと少しで終わるから」

「んーん。ちがうよ。…あのね、マリア」

「何」

シンクは顔を前に向けたまま、つまりマリアに背を向けたまま、明るい声を出した。

「アルムに帰っても、よろしくね」

マリアは、唇をきゅっと結んだ。

「…ええ。こちらこそ」

未来も共にいることを望まれた記憶のない女は、コクリと強く頷いた。


やがて、シンクのアランジは終わった。彼の髪はサラサラと、重力に従って下に流れている。マリアはカーテンに近づき、サッと開けた。

南の国に相応しい、強い陽光が部屋全体に差し込む。

「今日もいい天気だね、マリア」

マリアは背後でそう言うシンクを、振り返る。

陽光に当たるシンクの髪は美しい。

この髪を自分が整えたのだと思うと、マリアは気分がよかった。ふとそう感じた自分の気持ちに、ハッと目を見開き己の口元を手で覆った。

「マリア、どうしたの?」

マリアの動作を不審に思ってか、シンクは髪を横に揺らしてマリアの様子を気にする。マリアは首を横に振りはっと短く息を吐いた。

「……なんでもないわ。それより朝食を食べに行きましょう?」

マリアは伏せた顔を上げ、歩き、部屋の扉を開けてシンクにそう促した。マリアは部屋を出ると、隣の部屋の扉をノックした。その部屋にはキャナリがいた。ややあって部屋から出てきたキャナリはマリアの誘いに頷き、アイグルを起こしに行くと答えていた。ありがとうと答えるマリアの横顔はどこか元気のないようにも見えた。シンクは首を傾げながらも、マリアの後に続く。



朝食会場は、昨晩と同じレストラン。マリアは、また色とりどり種類豊富な数々の食べ物を皿に取っていく。昨日と同じバイキング形式の会場なのだった。取った料理はもちろん残したりしない。マリアは皿に乗ったその全てをじゃんじゃん食べ尽くしていく。

「マリアの腹は無尽蔵だなぁ」

そう答えるのは、寝癖を直しきれていないアイグル。まだ重い瞼を擦りながら、お腹に優しそうな暖かいスープを口にする。ポヤポヤした表情で、柔らかそうなパンを貪る。調度品云々まで気力が回らないのかそれとも慣れたのか、皿やカップの扱いもリラックスしたものになっている。

「兄さん、気力がありませんね」

アイグルの隣に座るキャナリは、ポヤポヤしている兄の顔を覗き込む。アイグルとは真逆で、キャナリは寝癖もしっかり整え身なりもきっちりしている。

「あー。昨日海で遊んだ疲れが抜けなくてなー。眠い」

アイグルは後頭部を掻いて答える。

「年なんですね」

「うっせ、まだ若いわ」

アイグルは、からかう妹の肩をコツンと軽く小突いた。キャナリは素知らぬ顔でオムレツを頬張る。ふと目の前の人物の顔を見て、ポツリと声をかけた。

「シンク、口汚れてますよ」

「え、どこ」

キャナリに指摘されたシンクは、ナプキンで見当違いの場所を拭く。キャナリは首を振り、ここですと自分の口に指を当てて見せる。シンクはそれに倣って自分の唇を拭くが、汚れとは反対側を拭いていた。

シンクの隣に座るマリアは、そのやりとりにため息をついた。

「はぁ、シンク。ちょっとこっち向きなさい」

「んぷ」

シンクを振り向かせ、彼の代わりに汚れを拭ってやった。

「取れたわよ」

「ありがとうマリア」

シンクは笑って礼を言う。マリアはどういたしましてと答え、再び食事に戻る。旬と思しき豪華な食事を堪能しつつマリアはシンクを横目で見る。

「(シンクは、本当に子供っぽいわね。昔のことがあるからでしょうけど、それでも)」

普段もそうであるのだが、マリアの前では特に、シンクの子どもらしさは顕著だった。マリアはシンクの過去に思いを馳せながら、スパゲティーを完食した。スパゲティーの皿を下げ、次に手を伸ばしたのは豪華な皿に上品に盛られた蒸し魚。

「(庇護欲をそそられるとでも言うのかしら)」

丁寧に咀嚼しながら蒸し魚を味わい、完食。マリアは小さなロールパンにジャムを塗り、口の中に放る。斜め前に座るアイグルの半目には気づかない。

「(子どもぽくてデリカシーのないところはある。でも素直で、優しくて、いい子なのよね…)」

お茶を飲み口を潤し、今度は燻製肉に手をつける。

「(…でも、)」

マリアはぺらぺらの肉をフォークで二枚取り、手をそっと持ち上げ、

「マリア」

「……。何?アイグル」

アイグルはマリアのフォークを持った方の手に、己の手を覆い被せた。思考と食事の両方を遮られたマリアは、ワンテンポ遅れてアイグルをじっと睨んだ。アイグルは何かを訴えるように、マリアを無言で見つめる。マリアは、アイグルが何を訴えたいのかわからず、彼を見つめ返した。

両者間で、しばらくの間、無言で視線が飛び交う。

手の上に手を重ね見つめ合うその姿は、はたから見ると恋人同士の熱いコミュニケーションのようだが、

「食い過ぎだ」

痺れを切らしたアイグルの言葉はロマンスのカケラも無かった。アイグルはマリアの周囲に重ねられた皿を見て、首を横に振っていた。

「……」

ようやくアイグルの言いたいことが伝わったマリアは、目下の燻製肉を見下ろしながら、声を絞る。

「あと、3皿だけ」

「2皿だ」

「…3さ「2皿」

粘って見るものの、マリアの言葉に被せるようにアイグルは言い切る。アイグルの強い眼差しに気圧されたマリアは、肩を落として、燻製肉の乗った皿とオムライスが盛られた皿を引き寄せた。きっちり2皿だ。

ヘタレな印象のアイグルだが、こういう際の押しは強いのだった。

とはいえ、2皿でも、量としては十分多いのだが。

結局、マリアの『暴走』は食い止めきれないのだった。






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